井本喬作品集

ハライド

 私は人の顔を憶えるのが苦手である。一度や二度会ったぐらいでは、次に訪ねたときに見分けられない。だからこの奇妙な話も単なる錯覚だったかもしれない。そうは思ってみるのだが、気になってしかたがないので書いてみることにする。

 話は登山に関わる。この二年ほどは鈴鹿と大峰の山々を登ることを主にしていた。近畿を代表する山脈であるのに、鈴鹿は御在所岳、大峰は山上が岳を登っただけですませてしまっていたのを反省したからだ。両山脈とも私の住んでいるところからは遠かった。大峰は紀伊半島の中程に入り込まねばならない。鈴鹿の登山口は三重県側が主で、そこへ行くのに鈴鹿自体を越えていかねばならないのだ。

 鈴鹿の釈迦が岳を登ったとき、ついでに水晶岳もと思っていたのが時間切れで羽鳥峰峠から下山してしまっていた。その近辺では国見岳も残している。御在所岳から回って登ったことがあったのだが、国見峠から登りついた砂ザレに「国見岳」と書いた札が木にかけてあり、そこが頂上かと思って引き返して裏道で降りた。あとであるホームページを読んでそこは頂上の手前だということを知った。別のホームページでは国見岳の近くにハライドという峰があることも知った。そこで水晶岳、国見岳、ハライドの三つをつないで登ることにした。

 ハライドというのは切り立った岩壁を持つ台形状の独立峰で、標高はそんなにないが(908m)特徴ある姿が人気らしい。ハライドに登るには、朝明渓谷から腰越峠へ登ってピストンするのが一番早い。ハライドに登った後にヤシオ尾根から根の平峠経由で下山するか、その逆に根の平峠に登り、稜線をたどってヤシオ尾根を腰越峠へ下ってからハライドに登るかする周回コースが一般的らしい。朝明渓谷からは、北から順に、庵座谷経由釈迦が岳、猫谷経由羽鳥峰峠、伏木沢経由中峠、伊勢谷経由根の平峠、腰越谷経由腰越峠へと、扇のようにルートが広がっている。私は中峠に登って水晶岳、国見岳を踏み、国見尾根を降りて腰越峠へ回り、ハライドを登って朝明渓谷に戻るという大回りの計画を立てた。

 十一月の中頃の水曜日、私にしては朝早く出たのだが、朝明渓谷のキャンプ場の駐車場に着いたのは九時過ぎだった。平日なので広い駐車場に車は少なかった。係員が寄ってきて五百円の料金を取られる。どこへ登るのかを聞かれたが説明するのが面倒くさくてハライドとだけ答えておいた。どこにでも停められそうなこんな山裾で駐車料金を取られるのは業腹だが(渓谷の道の至る所に駐車禁止の表示がしてあった)、遭難して帰って来れなかったときに何かの手を打ってくれるのであるならば安いものだ。

 出発の準備をしていると、既に来ていたらしい登山姿の女性が駐車場の係員に道を聞いていた。声は聞こえないが係員の指さす方向から、たぶん庵座大滝経由で釈迦が岳に登るのだろう。私も以前そのコースを登ったのだが登山道への入り口が分かりにくい。若い女性が一人で登って大丈夫かなと思った。さほど危険なコースではないが、急峻な箇所がいくつかある。だが、女性だからと危ぶむ必要はないのかもしれない。

 山に登る女性の容貌については俗説があるが、私の見る限り街で見かけるのと変わりはない。最近は若者、特に女性の登山者が増えているようだが、主流はやはり中高年だ。若い女性が一人で登るのは珍しい。その女性はほっそりとしていかついところがなく、顔は遠目だが上品そうだ。だからといって山馴れていないことにはならない。気にはなったがコースが違うので私は準備に専念し、車を離れて出かけようとするときには女性の姿はなかった。

 舗装道を川に沿って遡る。「腰越峠・ハライド」の標識のある分岐、「根の平峠」の標識のある分岐を過ぎて、「中峠」の標識のある分岐に着く。まっすぐ行けばこの前降りてきた羽鳥峰峠だ。川を渡って谷を遡行する。一時間弱で中峠に登り着く。ここは十字路。峠を越えて西へ下って行けば愛知川上流の神崎川に出る。稜線を北に行けば羽鳥峰峠と猫岳を経由して釈迦が岳へ。私は南へ水晶岳を目指す。

 稜線の木々は既に葉を落としていて道は落ち葉に埋まっている。山腹は常緑樹が多くて色づきはよくない。二十分ほど歩くと縦走路から少し外れている水晶岳への分岐がある。水晶岳は特徴のない丘のような頂となっていて、「永源寺ダム御在所雨量局」のアンテナが立っている。晴れた空には透けそうな白い雲が広がっている。北方には釈迦が岳と鈴鹿北部の山並み。南方には国見岳、御在所岳、そして西に雨乞岳へと続いている。

 縦走路に戻り、いったん下って根の平峠へ、登り返すと大きな岩が現れてくる。道はヤシオ尾根への分岐までは平坦、そこから青岳への登りとなって、岩の多い国見岳が目の前だ。国見岳の山頂は岩を積み重ねたようになっている。登り初めて三時間弱で到着。コースタイムをだいぶ縮めているはずだ。景色を眺めるのもそこそこにコンビニ弁当の昼食にする。

 食事をほぼ済ました頃になって、岩陰に人がいるのに気づいた。隠れて見えなかったのと静かだったので分からなかったのだ。どのくらい前からか、私が着いた時には既にいたのだろうか。私は岩の上のすわっている位置を少し動いてそっとのぞいてみた。服装に見覚えがあった。登山口の駐車場にいた女性だ。不思議に思った。釈迦が岳から南下してここまで来るというのはいくら何でも早すぎる。では、釈迦が岳に登ったのではなく、たぶん根の平峠を経由して国見岳へ来たのだろう。それでも結構早いが、それなら考えられる。

 女性は縦走路を南に出発していった。彼女が取ると一番考えられるのは国見峠から裏道を降りるコースだ。もしかすると国見尾根から降りるのかもしれない。どちらにしろ登り口とは違うところに降りることになるが、朝明渓谷に車を置いてはいないのだろう。食事は済んだので、後をつけるというつもりはなかったけれど、私も出発した。

 頂上からすぐ南に国見尾根の分岐がある。国見尾根を下っていくと、岩の累積がある。さらに下ると再び岩の累積が二つならんでいる。一方がゆるぎ岩、もう一方が天狗岩だ。ゆるぎ岩のてっぺんの岩は動くという。二つの岩塊の間にあの女性が立っていて上を向いていた。わたしは初めて間近で女性の顔を見た。私は「こんにちは」と声をかけた。山中での習慣化されたマナーだが、私はあまり好きでない。だがこの際利用しない手はない。女性は私を見て「こんにちは」と答えて、すぐ目を上方に戻した。私も岩を見上げた。女性はこの岩に登るつもりなのだろうか。もしそうなら一緒に登ってみようかと一瞬考えた。しかし、時間がなかった。私は女性を残して道を急いだ。

 尾根の先にまた岩の累積があった。そこで北谷へ降りる道と一の谷へ降りる道に分かれる。一の谷への道は尾根の北斜面の砂ザレを下り、次にまっすぐに落ちている岩だらけの涸谷を降りる。岩が落ち出さないかと不安になるほどの急傾斜だ。一の谷の流れに出て滝を高巻くと岳不動のお堂がある。更に流れに沿って下るとまた川の合流点にでる。ここでまた道が別れ、右は藤内小屋を経て下山、左は腰越峠へ登る。左へ川を渡る。もう午後一時半になっている。歩き出してから四時間以上になっている。疲れのせいもあるのか、ここからの道が意外と長かった。この道はヤシオ尾根の裾を回り込んでいるらしい。あまり人が通らないのか落ち葉が厚い。小さな谷をいくつか横断するのに短いが激しい下りと上りがある。谷は赤と黄に彩られてきれいだ。右手にハライドらしき隆起が見える。最後の急な傾斜を登り切ると腰越峠。西にヤシオ尾根の岩壁、東にハライドの岩壁。

 ハライドに登る。砂ザレの急傾斜だ。途中道は林の中に入っていくが、そのまま砂ザレの中を頂上へ出た。頂上はなだらかになっていて広い。振り返ると深い谷をはさんでヤシオ尾根の岩壁に紅・黄葉が点在している。右(北)には朝明の谷の向こうに釈迦が岳、左(南)は御在所岳の稜線が湯の山温泉の方へ落ちている。その途中に顔を出しているのは鎌が岳か。午後二時半。日は翳り、風が出て来た。

 腰越峠に戻り、朝明渓谷へ下る。この道も岩石で埋まった谷だ。この辺りにはこういう道が多い。足が思うように動かなくなっている。鈴鹿は急峻な山だと思い知らされる。鈴鹿の傾斜は東西で非対称になっていて、滋賀県側に比して三重県側が急である。その分、頂上へのアプローチが短い。主たる登山道が三重県側にあるのはそのせいなのだ。

 砂防ダムを三つ越すと林道に出た。別れ道で間違えたか、朝明渓谷の舗装道に出たときどの辺か分からなくなった。駐車場より下に出てしまったのかと、川を遡る方へ進む。向こうから誰かが歩いて来る。驚いたことにゆるぎ岩で追い越した女性だった。一体彼女はどの道を降りてきたのか。追い越されたはずはないが、私がハライドに登っている間に腰越峠を通過したのだろうか。それとも、国見尾根を戻って根の平峠から降りてきたのだろうか。どちらにしてもそんなに早く歩けるとは思えない。私はどうにも不思議でならず、彼女とすれ違うときに立ち止まって声をかけた。

「どちらから降りてこられました」

 女性は歩みをとめずに答えた。

「羽鳥峰峠から」

 私は一層混乱した。この女性は私が国見岳であった女性とは別人なのか。私は確かめようとして、去って行く彼女の後ろ姿に向かって言った。

「じゃあ、釈迦が岳に登られたのですか」

「そう」

 女性はそれだけ答えるとしっかりとした足取りで歩いて行った。それでは朝駐車場でみかけた女性だ。釈迦が岳のコースならこの時間で納得できる。しかし、彼女は国見岳の女性とそっくりだった。細かいところは憶えていないが同じ服装、顔つきも同じだった。

 そんなはずはない。同一人物ではありえない。私は人の顔を記憶できないという自分の欠陥を思った。けれども、今回は二つの顔が同じだということがはっきりと分かったのだ。

 私はしばらく小さくなっていく女性の姿を見送っていたが、女性がもと来たところへ戻っているなら駐車場はあっちの方だと気がついた。私も川の流れに従って歩き出した。少し行くと登るときに見た「腰越峠・ハライド」の標識があった。間違えなければここへ出てきたのだ。駐車場に着いたのは午後四時前だった。女性の姿はなかった。乗って来た車で帰ってしまったのだろう。

 それだけのことなのだが、私はどうしても納得できなかった。やはりあの二人の女性は同一人物としか思えなかった。だとすれば、彼女は嘘をついたことになる。嘘でなければ、釈迦が岳から国見岳へ行き、また羽鳥峰峠へ戻ったことになる。とても人間業とは思えない。帰ってから考え続けていると、ハライドという名が気になった。漢字なら「祓戸」と書くのだろう。何かまがまがしいことがあの辺りで起こるのだとしたら。

 三日して、夜に体中の関節が痛み出し、歩くことはおろか寝返りを打つのもままならなくなった。ずっと以前にぎっくり腰をやったときに似ているが、あのときは腰だけだった。今度は腕も足も痛い。ことに膝の関節の痛みが強い。インフルエンザかとも思ったが、咳も熱もなく頭痛もしない。次の日は終日寝て暮らす。食欲はなく牛乳とミカンだけ口に入れる。その翌日から徐々に回復したが、まともに歩けるようになるのに一週間かかった。歩けるようになってから病院に行ってみたが原因は分からない。膝に炎症が見られ、左膝にわずかな傷があるのでそこから菌が入ったのかもしれないとも医者は言った。左膝の傷が全身の関節痛の原因になるとは考えにくい。

 あの女の祟りだろうか。

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