井本喬作品集

空き缶

 これだけゴミの問題が叫ばれているのに、いまだにタバコの吸い殻や、ペットボトル、空き缶、食べ物の包装などが棄てられているのをよく見かける。路上などに棄てられるのは、飲食関係の残滓や容器、包装などが主だ。食生活などの生活スタイルの変化やプラスティックや金属などの安価な使い棄て容器・包装の普及が、こういう事態を引き起こしている。ゴミについての人々の意識が低下した(道徳心の低下を嘆く人が言いつのりそうだが)のではなく、ゴミの量と種類が変化したことがゴミ問題を重大化させているのだろう。 

 でも、さすがに最近はゴミについての意識が高まり、行楽地などでゴミを棄てないというだけでなく、持ち帰ることが奨励されている。ゴミ箱があるとそれに投げ込むことで良心は満足するが、回収がきちんとされない限り、あふれ出るゴミにゴミ箱が埋まってしまうような状態になる。かえってゴミの発生を促すことになってしまうのを防ぐため、ゴミ箱を設置しない施設も増えてきた。

 話は少しそれるが、マラソンランナーたちが給水のための飲み物の容器やスポンジを、用が済んだら路上に投げ棄てるのはいかがなものであろうか。テレビで中継されたりしているから、そういう態度が目障りである。ゴミ箱に棄てるというマナーをルール化するか、いっそ、そういうものは背負うなりして自分で運び、最後まで運びきるという風にしてはどうかと思う。

 登山やハイキングでは事態は改善されていて、ゴミは持ち帰るようになっている。この前白山に登ったとき、小屋の売店で買ったビールの空き缶を持って帰らされたのにはさすがに納得しかねたが、まあ、それほど徹底されている。思い出してみると、確かに以前は山でもゴミが目立った。私は次のようなSF調の物語のアイデアを思いついたことがある。遠い未来、人類は資源の枯渇に悩んでいた。あるとき、地表近くに鉄とアルミの鉱脈が発見される。不思議なことに、その鉱脈は細い筋となって、山の峰々をつなぐように続いていた。実は、その鉱脈の線は、はるか昔に登山コースとして使われていた道であり、鉱脈はその道に棄てられた無数の空き缶だった‥‥今ではこのアイデアは放棄せざるを得ない。

 さて、前置きはそのくらいにして(後で話にからんでくるが)、ここからが本題である。私の語りたいのは一緒に山に登った仲間のことである。一人で山に登るのは面倒がなくていいが、いい仲間がいれば一緒に登るのも悪くはない。残念なことに、そういう仲間を得るのはなかなか難しい。体力のレベルの差は、強い方が弱い方に合わせればいいのだが、問題は性格面の相性だ。登る山の選択や、ルートの取り方や、天候や緊急時の判断などで意見が違ったとき、妥協できないとしこりが残って関係が続かなくなる。幸運なことに、職場で適当な相棒を見つけた。実名はさしさわりがあるのでAということにしておこう。Aはかなりの山行歴があり、トライアスロンもやるという運動派である。性格は明るく、私より柔軟性があって、自分の意見を頑固に固執したりはしない。年齢が私より下なのもよかったのであろう。

 Aとは以前から顔見知りではあったが、特に親しかったのではなく、二人の間で登山のことを話題にしたこともなかったので、誘われたときは意外だった。山好きの女性二人に山に連れてってくれと頼まれたのだが、一人では重荷なので一緒に行ってくれないかと持ちかけられたのだ。私が山に登っていることをAは承知していて、アプローチに私の車が使えることも理由の一つだと正直に打ち明けた。後で分かったことなのだが、女性の一人は独身で、やはり独身だった私と結びつけようという画策があったようで、Aが主導したのではないが、お膳立てを引き受けたらしい。山行きは決行されたが、私とその女性との交際は始まらず、そのままうやむやになってしまった。その代わり、私はAと一緒に山へ行くようになった。

 Aと二人で山に登るのは楽しかった。主に日帰りで、あちこちの山に登った。Aが他の人を誘うこともあったが、私はあえて反対しなかった。Aは偏屈な私の中和剤として、集団で登ることを私に容易にしてくれたのだ。

 Aが健康であることを誰が疑っただろうか。しかし、あるとき彼は半月ほど欠勤した。彼がB型肝炎の感染者であることを私が知ったのはそのときだった。インターフェロンの治療も受けたようだが、効果は現れなかったらしい。しばらくは病状は進行しないように見えた。Aはトライアスロンのような過激な運動はやめたが、登山は続けた。衰えは急激にやってきた。Aは痩せ始め、ときどき休むようになった。最後に一緒に山に登ったときは(病状がそれほど進行しているとは思わずに、誘ったのだが)、それまでは見せたことのない疲れを隠し切れずにいた。

 Aは肝硬変になり、入院した。私は病院に一度見舞いに行った。そのときでも、私は病状の重大さに気づかず、ベッドの上に座って話をするAが元気そうなので安心し、しばらくすれば退院して復帰すると思っていた。Aの容態が危険なことは、同僚の話で知った。私はAにまた会いたかったが、会いに行けなくなってしまった。Aにどう接していいか分からなかったのだ。知らぬ振りして会えばよかったのだろうが、そういうことは出来そうになかったし、それになぜかそうすることはよくない気がした。Aが死んでしまった後になって、もう一度Aに会っておかなかったことを後悔した。

 Aの不条理な死(どうして納得できよう)に、私は呆然とした。彼には妻と小さな子がいた。肝臓移植をすれば、たぶん彼は死なずにすんだはずだ。だが、移植手術には多額の費用がかかる。それだけのカネを用意することはできなかったか、たとえできたとしても借金で家族を苦しめることは避けたかったのだろう。自分が死ぬことで、遺族年金を残せるし、家のローンも返せる。彼はあきらめたのだ。医療でもどうすることもできない死ならば、仕方ないとあきらめもつく。カネで命が買えるということに、そして、カネがない者には命が買えないということには、誰だって釈然としないだろう。

 Aの死からしばらくして、私は一人で山へ行った。Aの追悼のつもりだった。もう冬に入っていた。私の心情を反映したように、空は灰色の雲に覆われていた。雪がちらついてきそうだった。その山は初めてだったが、さほど高くなく、険しくもないはずだった。ふもとにあった案内板の地図を見てコースを決めた。ガイドブックには載っているがさほど知名度がある山ではなく、平日だったせいもあって誰もいなかった。私は心の中でときどきAに話しかけながら、ゆっくりと登った。どこかでAが見ているような気がした。

 頂上は葉を落とした矮小木に囲まれていた。景色は暗く寒々としていた。眼下には何も植わっていない狭い谷間の平地、その向こうには山また山の連なり。光はどこにもなく、動くものもなかった。ただ風だけが低い雲と皺寄った大地の間をどこまでも吹き抜けていく。

 少し下った岩の陰で風をよけながら手早くパンを食べた。出かけるのが遅かったので、ヒルはとっくに過ぎていた。下りはコースを変えることにした。麓でみた地図では、うろ覚えながら、道は下でつながっているはずだった。大した山ではないと甘く見て、地図もガイドブックも持ってきていなかった。それが間違いだった。下りだした道は登山口とは違う方にどんどんそれていく。どこかに分岐点があるはずだったがなかなか出てこない。

 ようやくそれらしき道を見つけて、そちらをたどる。落ち葉に隠れて頼りない道跡になる。谷に下っているようなので、低い方へと道を選ぶ。道のような道でないような感じだが、藪にはなっていないので突き進む。小さな涸れ谷に出た。ここまで目印のテープもなかった。引き返そうとも思ったが、元の地点に戻るためにもう一度頂上まで登り返すのはおっくうだった。それに、道のないようなところを下りてきたので、来たところを戻れるか不安があった。

 早くも暗くなってきた気がした。まだ日が暮れるには間があるはずだが、時間をくうと足元が見えなくなる。ライトの準備はしていなかった。どうしようか迷った。まさか遭難はしないだろうし、万一一晩山中で過ごすことになっても凍死するようなことはない。しかし、そんなことになればやっかいではある。下るのは方向としては合っているはずだったが、ヘタをすると崖で行き詰まってしまうので、道を見失ったとしたら尾根の方に登るべきだった。

 そのとき、少し先に白っぽいものがあるのが見えた。何かと思って近寄って見ると、ビールの空き缶だった。誰かがここを通ったのだ。冒頭に書いたように、山にゴミを棄てるのはけしからんことだけど、そのときは棄てた人間をありがたく思った。

 私はその谷を下りた。道になっているのかどうか分からないが、大きな岩などはなく、傾斜もさほどきつくない。石のごろごろしている中を下りていくと、やがて水が流れ出し、谷が広くなった。さらに進むと、流れからやや上に道らしきものが出て来た。その道をたどって、暗くなる前に下りることができた。

 帰りの車の中で気が付いたことがある。捨ててあったビールの空き缶の銘柄のことだ。近頃はビールやら発泡酒やら第三のビールやら、いろいろな銘柄が次から次へと売り出され、売れない銘柄はどんどん消えていく。捨ててあったのはヒットせず、もはや発売されていない銘柄だった。それをかつて私は飲んでいたのだ。それを飲むようになったのは、Aが気に入っていると私に話したので(Aはまだその頃酒は飲めた)、試しに飲んでみて、まあまあと思い、値段も手頃だからときどき飲むようになった。発売が中止されてからは忘れてしまっていた。

 たぶん偶然なんだろう。Aの霊が私を助けるためにビールの空き缶を置くなんてことはあり得ない。だって、命にかかわるようなことではなかったのだから、たとえAの霊が私を見守ってくれていたとしても、わざわざそんなことをしてもらうのは気の毒なくらいだ。

 でも、もしかして、Aを追悼するつもりで登った山で困っている私を、Aの霊がちょっとした手助けをしてくれたのかもしれない。だとしたら、現実にビールの缶があったのだろうか。ひょっとして、目の錯覚、あるいは幻影だったかもしれない。Aがそれを見せてくれただけなのかもしれない。それを確かめるには、もう一度あの場所に行ってみることだ。

 だが、今に至るまで、私は行かずにそのままにしている。

[ 一覧に戻る ]