異次元緩和の評価
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2022年4月、円安が金融政策の問題となってきている。2013年から始まった日銀の異次元緩和政策の目的の一つが円安にあったことを指摘する論者は多い。円安は日本経済にとってプラスとみなされていたのである。ところが、日本の経済構造の変化により、もはや円安が景気の刺激とはならず、物価上昇をもたらすデメリットの方が大きくなっている。
今回の円安は金融政策の意図せざる結果である。物価上昇対策としてFRBが金利を上げる方向に転じたが、日銀はあくまで金利を上げまいとする政策にこだわっていて、日米金利差が生じ、その結果としての円安なのである。さらに、コロナ禍からの回復にともなう世界的需要拡大に加え、ロシアのウクライナ侵攻による資源価格の高騰があり、日本でも物価上昇が懸念されている。しかし、黒田日銀総裁は景気回復による物価上昇ではないとして金利を上げることを否定した。
日銀が金利を上げようとしないのは出口戦略も絡んでいるからのようだ。金利を上げるということは、異次元緩和の終了を意味することになる。たとえ円安によって物価が上昇したとしても、「望ましい」2%の物価上昇という政策目的を達成しないままの政策変更は失敗とみなされることになってしまう。
今回の円安問題の以前から、異次元緩和終了に伴う金利上昇に懸念が表されてきた。金利を上げれば膨大な国債を抱える日銀が債務超過となる危険をはらむ(このメカニズムは、ごく単純化すれば、長期国債という資産の利率を、その購入対価としての超過準備という超短期の負債の利率が上回ってしまうことによるものである)。日銀の債務超過は日銀自らが補えるし、さもなければ政府が肩代わりすればいいのだから、何ら問題はないという意見もある。それに対して、債務超過は日銀に対する信認を損なうことが問題だという指摘がある。いずれにしても簡単には金利を上げるわけにはいかないようだ。
さて、この機会に、いつ終わるか分からない日銀の異次元緩和の評価についてWEB検索してみた。すると、門間一夫という人のコメントをいくつか見つけた。東大卒業後日銀に入行し、2012年に理事になった経歴の持ち主である(現在はみずほリサーチ&テクノロジーズ所属)。2013年には「2%インフレ目標」という政府と日銀の共同声明文の起草を担った。
『異次元緩和とは何だったのか~歴史的意義と残る課題~』というコラム(みずほリサーチ&テクノロジー2020年10月12日)で、門間は次のように書いている。「2%物価目標に向けて日銀が全力投球したことの歴史的意義は、(中略)いくつかの重要な、そして正しい認識を専門家、政財界、メディアの間に浸透させたことにある。」「日銀が2%物価目標に向けて極限まで挑んだからこそ、金融緩和が足りないとかつて批判していた内外の論者はことごとく沈黙し、経済政策の焦点は正しく『第三の矢』に当たるようになった。」「2%物価目標は非現実的な約束であったが、非生産的な日銀批判を根絶し、より生産的な経済政策論の展開を促すうえで、おそらく不可欠のピースだったのである。」
異次元緩和はリフレ派を黙らせるために実施されたというのである。結果としてそうなったというのではなく、それが目的だったとまで言っているように受け取れる。「日銀が実際にとった政策手段、たとえば国債買い入れやマネタリーベースを『2倍』に増やすなどということに、科学的根拠があるのかないのかはどうでもよかった。」とさえ言っているのだから。元日銀理事の証言として、日銀全体とは言えなくとも、日銀の一部の意見とみなしうるだろう。
さすがにこれは言い過ぎだと思ったのか(たぶん、批判も受けたのだろう)、2021年9月28日のNHKのNEWS WEBビジネス特集『「法王」超え歴代最長 黒田日銀総裁“異次元”緩和の成果は?』の中で門間は、「当初は本気で目標(2%の物価上昇:引用者注)の達成を目指したが、後半の5年間は副作用への配慮が政策の中心となっていった」という修正とも取れる発言をしている。
しかし、「本気で目標の達成を目指した」というのは門間の本心ではないようだ。エコノミストOnline『異次元緩和を問う②実験がかき消した金融政策への期待』(2022年3月28日)という記事で、門間は異次元緩和を「実験」とみなしている。「異次元金融緩和は、日銀ができることを全部やったことで『歴史的な実験』になりえた。『日銀には、まだやれることがある』と思われるような中途半端な状態では、実験として成り立たなかった。」「この9年間は二つの段階に分けられる。実験だったのは最初の3年半で、それ以降はリスク管理だ。」
「本気」と「実験」は違った態度を意味しているはずだ。まさか「本気」で「実験」したというような詭弁を弄するつもりではあるまい。
出口戦略についての問いに対して、門間は次のように答えている。「出口に向かう時は2%目標が達成されているわけだから、その分、名目成長率も上がって税収も増えているはずである。日銀の損失は政府が事実上補填(ほてん)することになるが、税収も増えているのだから、コストにはならない。」しかし、2%インフレは日本では困難なことが異次元緩和で証明されたと門間は言っているのだ。だとすれば、望ましい出口は永遠に見いだせないのではないだろうか。事実、門間は「今の異次元緩和は、もはやパワーも驚きもないが、代わりに『永遠の命』がある。」と言っている。つまり、異次元緩和は一時的なものではなく、「ニューノーマル」になったと主張するのだ。(REUTERS為替フォーラム2021年10月5日コラム『2%目標は終わった話だが、異次元緩和はニューノーマルへ』)
上記のエコノミストOnline記事では、「名目成長率が上がっていないのに金利を上げなければならない、という極端なケースもないわけではない。」と門間は付け加えている(自然災害が例として挙げられている)。ところで、「悪い円安」は「極端なケース」に当てはまらないのだろうか。
今回の円安については、2022年4月18日付けのYAHOO!JAPANニュース『門間前日銀理事の経済診断』で次のような主張がされている。
市場の一部には、円安に歯止めをかけるために日銀が金融政策の修正に動く、という思惑もある。しかし、日銀はあくまで2%物価目標のために金融緩和を行っているのであって、為替相場の動きにいちいち対応するという考え方はとっていない。この夏われわれが目にするかもしれない2%インフレは、コストプッシュ型の一時的なものであり、2%物価目標の達成とは全くかけ離れたものである。日銀が金融緩和を後退させるはずがない。
このような言い方では、日銀は2%物価目標を真面目に追及していることになる。門間の言うような「実験」とは思っていないし、日本では2%物価上昇は困難ということが証明されたとも判断していない。それは表向きのことであって、本心は違うというのだろうか。だとすれば、門間はそのような日銀の不誠実さを批判すべきではないのか。
「円安は、立場によって良くもなり悪くもなる『分配問題』なのである。」「分配の問題に対して金融政策にはできることは乏しい。」と門間は言う。しかし、異次元緩和の目的として円安誘導があったのであれば、今回の円安に金融政策で対処することはおかしなことではない。もし日銀が本心では2%物価目標をお荷物だと考えているなら、今回の円安を政策変換の好機と捕らえるべきではないだろうか。
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『黒田日銀超緩和の経済分析』(日本経済新聞社編、2018年)という本を読んでみた。4年前の本なのでコロナ禍の影響は抜けているが、複数の論者の視点から異次元緩和が捕らえられていて、参考になった。執筆者は8人で、異次元緩和に好意的な人も批判的な人もいる。その差異にはこだわらずに、異次元緩和とは一体どんなものだったのかを私なりに整理してみたい。
まず、異次元緩和政策の展開をまとめてみる。
① 2013年4月 量的・質的緩和政策(Quantitative Qualitative Easing Policy:QQE)実施
② 2014年10月 国債・ETF(上場投資信託)の購入額を増大
③ 2016年1月 マイナス金利の導入
④ 2016年9月 イールドカーブコントロール(YCC 長短金利操作)導入
マネタリーベース拡大維持のオーバーシュート型コミットメント
⑤ 2018年7月 政策金利のフォワードガイダンス(長期金利の上昇容認)
異次元緩和がデフレからの脱却を実現したことについては異議を唱える人はいないようだ。では、どのようなメカニズムでそれがなされたのか。円安や株高は経済的な経路というよりも心理的な経路によって影響が及んだのは、それが瞬時といっていいほどの速さで実現したことでも明らかではないだろうか。経済成長と失業率の低下については、異次元緩和の効果とみなす人がいる一方で、異次元緩和以前に景気の底は脱していたし、失業率低下は労働人口の減少が主因であると主張する人もいる。
論者によって言い方は違うが、異次元緩和は「④YCC導入」からフェーズが変わっているというのが共通認識だろう。短期決戦から持久戦に変わった、量的緩和政策から金利政策に変わった、「量と金利の最適解」を追求する政策に変わった、などと様々に表現されているが、2%物価目標の達成のめどが立たなくなったことが背景にある。
異次元緩和にどのような効果があったにせよ、2%物価目標が達成されないことはもはや明確になったというのが一般的な評価である。2%物価目標を放棄してしまえば異次元緩和にこだわる必要はなくなる。しかし、2%物価目標の放棄は異次元緩和政策の失敗を認めることになる。逆に言えば、異次元緩和を終了しないために2%物価目標を取り下げないのかもしれない。
2%物価目標が達成されなかった原因としては、賃金が上がらず個人消費が伸びなかったこと、強固なデフレマインド、期待形成がバックワードルッキングであることなどがあげられている。しかし、それらのことは分かっていたはずであり、にもかかわらず政策が実施されたのであるから、目標達成の自信があったのであれば見込み違い、確たる自信はなくともやってみようとしたのなら博打であったということになろう。
「YCC導入」以後については、異次元緩和の失敗と見るか進化型と見るかで評価は違ってくるが、いずれにせよさらに何らかの政策変更を行う必要があるという点では共通している。批判的な論者は政策転換を明確にするべきだと主張しているが、好意的な論者は「市場に無用な混乱を招く」などの理由で急激な変化は避けるべきだと主張している。
「YCC導入」以後の日銀の政策は「長短金利操作付き量的・質的緩和」と呼ばれている。しかし、日銀がどのように説明しようとも、巷間ではステルス・テーパリングと言われているように、異次元緩和の縮小に舵を切ったとみなされている。ではなぜ日銀はそのことを認めようとしないのか。
日銀が政策変更(あるいはその表明)を避けているのは、異次元緩和の主たる効果が心理的ルートによるものであると認識していて、政策変更が心理的に悪影響を及ぼすことを恐れていることもあるのだろう。もう一つ考えられるのは、財政政策への影響である。
もともと2013年1月の政府・日銀共同声明には政府の「機動的なマクロ経済政策運営」があげられている。むろん同時に「持続可能な財政構造を確立」ということも言われているが、実態的には基礎的財政収支均衡はなおざりにされ、コロナ対策も含めた財政支出の拡大が続いている。
財政支出による有効需要創出政策はインフレを結果するだけで効果はないとされてきた。しかし、逆にインフレが起きない日本ではそれが有効であり得ると考えられたのではないか。いくら貨幣を増やしてもそれが使われないのであれば需要の喚起にはならない。民間が支出しないのであれば政府が支出せざるをえない。その財源として日銀が財政をフィナンスする。財政フィナンスの限界はインフレであるが、インフレが起きない日本では気にする必要はない。いや、むしろ、インフレが起こるならば、金融政策の有効性が実証されたことになるではないか。
このようなことを露骨に言っている論者はいない。やはり財政だ、ではあまりに芸がなさすぎる。それでは金融政策に関する論争は何だったのだろう、ということになってしまう。実際、何だったのだろう?