おしゃべりの山
私がその男と出会ったのは、A山(話の最後になれば理解いただけると思うが、具体的な地名は避けさせてもらう)の頂上だった。その日の私はなぜかあまり調子がよくなくて、何度も休憩し、一度は引き返そうかとまで思ったのだが、しかし意地になりようやくのことで頂上にたどり着いた。頂上はやや細長い平地になっていて、隅の岩に腰かけている男の他には誰もいなかった。登って来る途中で下山する何人かとはすれ違ったが、この時間ではもう登って来る人はいないだろう。私が最後の登頂者のようだ。
私は息を切らしながら標識の柱の立っているところまで行き、かついでいたザックを下ろしてペットボトルに残っているスポーツドリンクを空になるまで飲んだ(二本目だが、もう一本用意してある)。私は愛想のよい方ではないので、たとえ街の雑踏から遠く離れた山の上で二人きりでいることになっても、その相手と会話する義務は感じない。男とは目が合ったときに会釈はした。それで十分だと私は思い、相手にもそう思わせたつもりだった。
天気はよくて、頂上からは辺りの山が四方に見渡せた。湿気の多い日本では晴れていても遠くの山はかすんで一様に単調な青色だ。形も穏やかで、他から際立つような特徴を持とうとはしていない。私が批評家なら風土に関連づけた日本人論をやるところだが、それほど酔狂ではないので黙って見ているだけである。
「どこからいらっしゃいました?」
男が話しかけてきた。黙殺する程の度胸はない。しかし、この「どこから」というのがあいまいで答えるのが難しい。以前、富士山で若い外人女性から下りる道を聞かれたことがあり、学校文法通りの英語でどこから来たのか尋ねると、怒ったように離れていってしまった。私としてはどこから登って来たかを確認しなければそこへ下る道を教えられないので聞いたのだが、彼女としては出身国を聞く脳天気な質問か、あるいは「来たところへ帰ればいいじゃあないか」とからかっていると取られたのかもしれない。
私は住所のある市の名前を言った。男はさも意外であるように答えた。
「へえ、遠くから」
まあ、遠くである。この山は全国的に知られているほどではなく、いわばローカルな山なので、よそ者に知られることが地元の人にはうれしくもあり面はゆくもあるのだろう。私はその感想に黙っていた。なぜこんな遠方の山に登りに来たかを説明する義理などなかったからである。
私はザックからコンビニで買った弁当を出して食べ始めた。食料調達という点では登山においてもコンビニはまさに便利である。私は全般的に社会の変化(進歩とは言わなくても)を歓迎している。山に登るのも昔に比べれば非常に便利になった。アプローチは短くなり、道具も改良されている。ペットボトルのおかげで水筒など持ったこともない。私が食事をしている間、男は話しかけるのを控えていた。彼自身はもう食事を済ましているらしく、用がないならさっさとおりればいいのにと私は思っていた。山の上で他人に気を使うのが鬱陶しかったのである。
男は私が食事を済ますのを待っているようだった。私は食べ終わっても彼と会話を始めようとはしなかった。私は地図を出して、周りの山々を同定しようとした。男を無視する意思表示のつもりだった。ところが男はそれを会話の機会として捕らえた。
「あれがB岳です。その隣がC岳とD山。残念ながらE山はC岳に隠れて見えません。D山の肩にちょこっと見えているのがF岳です。今日はかすんでいて遠くの山は識別が難しいですね」
悔しいことに、私はその男の的確な指摘を参考とせざるを得なかった。それらの山々は名前を与えられて個性を獲得し、のっぺらぼうであった景色の中で地理的な感覚の手がかりとなった。私は同意を表明するしかなかった。
「へえ、なるほどそうですか」
私の肯定的な反応に気をよくしたのか、男は方位をずらしながら周囲三六〇度の眺望を説明した。どこまで信用していいのか分からないが、かなり詳しく、登山コースの経路まで教えてくれる。私はすぐに興味を失い、男の饒舌にうんざりし始めた。私はあいづちを打つのをやめ、手元の地図を見ていた。
男は私が黙っているので、急いで一通りの説明を終わらした。もっと伝えたいことがあるのだが、はしょってしまうことがいかにも心残りな口ぶりだった。私は会話を終わらせるつもりで言った。
「ありがとうございました」
男は、いいえとかどうもとか大したことではとか、そんな風な謙遜の言葉をつぶやいて私の傍からゆっくりと離れていった。私が何か問いかけの言葉でも発そうものならすぐさま飛びついてきそうな、未練たっぷりな距離の開け方である。私は自分の冷淡な態度が少し気になったが、そんな風に思わせた男も憎んだ。
私はそっと男の方をうかがった。そのときになって初めて私は男の姿をはっきりと見た。顔はやや細め、整ってはいるが平凡な顔つきである。中肉中背、どこといって特徴のない体つき。後から思い出してモンタージュ写真を作るのは難しそうだ。年は四十代、ひょっとしたら五十を越しているかもしれない。キャップをかぶり、素材がポリエスらしい青いTシャツにベージュの短パン、灰色のタイツをはいている。いかにも山なれている感じで、毎月でも山に登っていそう。しいて知り合いになりたいとは思わない類の人物だ。
男は私が出発するのを待って、同行を申し出るつもりなのかもしれない。そう思った私は、わざと出発を遅らせて、先に男をたたせようとした。しかし、男がぐずぐずしているので、我慢しきれなくなって下山することにした。私がザックを整理してかつぎあげると、案の定男が声をかけてきた。
「降りられるのですか。ご一緒していいですか」
さすがの私も嫌ですとは言いかねたが、言外にはにおわせた。
「急ぎますので」
男は鈍いのか図太いのかわからないが、平気で答えた。
「結構です。ついていけるだけついていきますから」
「そうですか。それなら」
こういう場合の対処はスピードをあげて引き離してしまうことだ。必死についてこようとするだろうが、すぐにあきらめて私を解放してくれる。なかにはご親切にも「どうぞ先へ行って下さい」と私の冷淡さに気づかぬ(振りをする?)人もいる。
私は来た道を先に降り出した。登山口に車を止めているのでピストン登山である。男は私の後に従った。もしかしたら男は違ったコースで下山するかと思ったが、そうではなかった。下山路を私に合わせたのかもしれないというのは考え過ぎだろうか。私は出来るだけ急いだ。男は二本のストックを器用に使って余裕をもってついてくる。私は歩く速度に多少の自信はあるが、降りるよりも登る方が得意である。降りるときは急ぐとバランスを崩しがちで、転ぶのを警戒するからあまり早く歩けない。ストックを使えば改善できそうだが、変なこだわりから敬遠していた。
男を引き離せそうにないことが分かったので、機会を捕えて、先に行かせようと思った。男は私の屈託などそ知らぬげに、いろいろと話しかけてくる。登った山や、登山者のことや、装備などについて。私は興味のないことを露骨に示していいかげんな返事をし、あるいは返事もせずに黙っていたが、男は気にしていないようだった。三十分ほどして、私は立ち止った。疲れた振りをしようとしたのではなく、実際その日は疲れがあったのだ。
「休憩します。どうも調子が悪いので、ぼちぼち行きますから、お先にどうぞ」
男は大げさに心配そうな顔をした。
「大丈夫ですか。いいですよ、急ぎませんから、ゆっくり行きましょう」
もっと気が強かったら、私は男を追っ払っていただろう。だが、ふだんから人と争うことを出来るだけ避けたいという気持ちが強いので、それ以上は言えなかった。仕方がない、運が悪かったとあきらめよう。それに、本当にバテてしまったら、連れがいるのは心強いだろうから。
まだ五月だというのに夏の暑さになっていた。熱中症の用心はしたつもりだが、体温が上がり気味のようだ。A山は森林限界を超えるほどの高さはなかったから、コースはほとんど林の中で、直射日光は避けられた。しかし、湿度が高いのと風がないので、汗が乾かない。
五分ほど休憩して私たちは再び歩き出した。今度は少しペースを落とした。男のおしゃべりがまた始まった。次から次へと話題を持ち出し、植物や動物や地質のこと、天候のこと、果ては経済や政治のこと、この分ではスポーツや芸能にも話が及ぶに違いない。男の知識は限りがないようだった。男の言っていることが正しいのか、勝手な思い込みなのか、出まかせにすぎないのか、私には判断がつきかねた。
何でも知っているようなこの男に、何かで出し抜いてやりたい気がしていたのだろう、私は登山道の脇に小さな花を見つけると急いで言った。
「イワカガミが咲いていますね」
男は花に近寄って一瞥すると、冷静な科学者のように遠慮なく断定した。
「これはイワウチワです。葉っぱは似てますが、花は全然違います」
言われてみればその通りだった。私は花には疎く、イワカガミとショウジョウバカマを間違えることさえあるのだから、知ったかぶりをすべきではなかった。しかし、私は私をそのようにさせたことで男に腹が立った。
私は男の声が一層不快になった。最初はうっとうしいだけだったが、次第に怒りのようなものが溜まりだしてきた。暑さと疲労による気分の悪さが強くなっていくのが、男の声の作用なのではないかと疑わしくなる。この声から逃れられれば、気分は回復するのではないかと思ってしまう。とにかく山を降り切ってこの男と別れてしまうことだけが望みになり目標になった。
道のある斜面は急だったが、危険な個所はほとんどなかった。三合目辺りの岩場に一か所悪いところがあるが、ホールドがペンキで示してあり、注意すれば難なく通過できる。そこへ来た時には男が先に歩き、私が何とかついていくようになってしまっていた。
「ここは危ないですから、気をつけて」
男はそう言うと、後ろ向きになって岩を降り出した。男の体が岩の陰に見えなくなり、最初のホールドをつかんだ右手だけが残った。私はその手をつかみ、岩から引き離した。何でそんなことをしたか分からない。しようと思ってしたわけではない。手が勝手に動き、それが何をしたかに気付いたときは終わっていた。私は岩の上から乗り出して下を見た。直下に男の姿はなかった。声も立てずに落ちたらしい。崖の下方は木におおわれて見えない。
大変なことをしたのだということが徐々に形になって頭の中に広がっていく。いかに男を嫌っていたにせよ、そんなことをせずともどうにかする方法はいくらでもあったのに。どうかしてたのだ。気分が悪くて、意識がもうろうとしていたのだ。
私はそのときようやく気付いて、辺りをうかがった。誰かに見られていはしなかったかを確かめたのだ。ここから見る限り、人影はなかった。私は慎重に岩を降りて、登山道を急いでたどった。早く逃げ出そうとした。そのときは全然思いつかなかったけれど、あの男は怪我(もちろん重症)はしても死んではいない可能性もあった。何とか崖の下に降りて確かめるべきだった。自分でできなければ、警察なりに通報して、救助すべきだった。しかし、死にかけている人間をそのままにしているかもしれないということには全然思い至らなかった。これは弁解ではなく、本当のことだ。男は死んでしまったと思い込み、ただ逃げたかったのだ。自分のしたことを隠そうとしたのは認めるが、見殺しにするなどという気はなかったことは信じてもらいたい。もっとも、卑劣さにおいて大した違いはないかもしれないけれど。
気分の悪いことは忘れてしまっていた。走るように降りたのだが、不思議と転ぶことなく、すぐに登山口に着いた。停めてあった車に乗って、山を離れた。駐車場には他に車は残っていなかったから、おそらく山には私とあの男しかいなかったのだ。男の車がないということは、男はたぶん林道をずっと下りた集落までバスで来たのだろう。男が私に同行したがったのは、バス停まで車に乗せてもらいたかったからかもしれない。
山から帰った日から、いろいろなメディアのニュースをチェックするようにした。遭難した男の死体が発見されたかどうかを知りたかった。そのようなニュースは見つけられなかった。死体がまだ見つかっていないか、見つかってもニュースになっていないかだ。日が経つにつれ、安心と、いつか突然捕まってしまうのではないかという不安が、錯綜するようになった。
とうとう我慢しきれなくなって、私は三週間ほど過ぎた日曜日にA山近辺へ行ってみることにした。犯罪者が現場に戻るというのはこういう心理なのだろうか。山に登ってみるほどの勇気はなく、ふもとの辺りに遭難者発見の何かの兆候でもないかと、ところどころ集落のある田舎の道をドライブした。変わったことは何もなかった。警察官の姿を見かけたときはドキッとしたが、私に関心を示すようなことはなかった。何も見つけられないので、安心を確かなものにできず、また不安のあいまいさを取り払うこともできず、緊張で疲れてしまい、国道へ出て道の駅で休憩した。
自販機で缶コーヒーを買い、カウンターになった席に座って飲んだ。窓から見える駐車場にはまばらに車やバイクが停まり、人がトイレに出入りしていた。背後の売店では二、三人の人が陳列棚の間で品定めをしている。そろそろ梅雨に入る頃だが、今日はいい天気だ。のんびりとした風景の中にいると、自分の恐れやおびえが馬鹿げたものに思える。あんなに重大なことをしてしまったのが自分であることが信じられなくなる。はたしてあれは現実のことだったのか。
空き缶をゴミ箱に捨てて、トイレに行った。トイレの外の壁にA4の大きさのポスターのようなものが貼ってあった。それを何気なく見た私は、パニックに捕えられるのを何とかして抑えた。あの男の写真があった。そのポスターは行方不明者の情報を得ようとして家族が作ったものだった。写真の顔は小さかったが、服装や体つきからすぐにあの男だと分かった(山に行く時にはいつも同じ服装をしていたのだ)。
私は不審がられる危険があるのにポスターの前から離れられなかった。やっぱりあれは現実のことだったのだ。ポスターは私の罪を告発していた。逃げることはできなかった。何とかしなければならない、決心をするのだと私は自分に言い聞かせた。そうして金縛りにあったように立ち尽くしていたが、ふと、透明なシートでカバーしてあるにもかかわらずポスターがかなり色あせ汚れているのに気がついた。私は書かれてある詳細を読んだ。驚いたことに、この男が山で行方不明になったのは一年以上も前のことだった。一人で山へ出かけたまま帰ってこなかった。どこの山へ登るか詳しいことを言い置いておかなかったために、見当をつけて方々にポスターを張り出してあるらしい。
ようやくそこから動いて、もう一度建物の中に入って椅子に座り込んだ。これは一体どういうことだろう。私が会ったのは、あの男の幽霊だったのか。それはそれで恐ろしいことだったが、私は自分が罪を犯したのではないという安堵が大きかったので、そのような不思議な現象を素直に受け入れた。
あの男の霊は、脅したり訴えたりはしなかった。うらめしそうでもなかった。山で死んだこと自体は、あの男の霊は悔やむよりもむしろ喜んでいるのではないか。なぜなら、自分の死体のあるところへ誘導して、発見させようとはしなかったのだから。彼が迷っているのはさびしいからではないか。生きているときも彼は話好きで、山に孤独を求めに来るタイプではなかったと思われる。彼は登山を趣味とする人間に仲間として親しみたいのだ。
あわれなあの男の魂は話し相手を求めていまもA山をさまよっているのであろう。私は二度とA山に行く気になれないが、親切な登山者が彼の相手になってあげてほしいと願っている。