井本喬作品集

最初の挨拶

1

「ああ、言語学者か数学者がいたらなあ」

 私は何度目かのため息をつき、壁の向こうをにらんだ。居住区画には窓がないので見えないのだが、壁の向こうの宇宙空間には、私たちがたまたま出会ってしまった異星人の船がある。私たちも不運だったが、よりによって私たちと最初の接触をしてしまった彼等の不運さに比べればましかも知れない。

 かっては羽振りがよかったこともあったらしいが、今は並みの国に落ちぶれてしまっているわが日本国が、国際宇宙観測年の催しとして分不相応な宇宙船による観測を計画したのは、見栄以外に何の理由も見当たらない。飛ばすことができたのはたった三人しか乗れない小さな船だったが、乗せるべき三人の専門家の一人として私が選ばれたのも、理由がよく分からない。

 まず、操縦者として技術者が必要だ。次に、宇宙に出るのだから物理学者か天文学者。できれば両方の専門家であれば好都合。三番目は、そうだな、生物学者がいいだろう。生命の起源を宇宙に見つけるのも、観測年の目的に入っている。それに、生物学者なら医者みたいなものだから乗組員の健康管理もできるだろう。

 そんなふうに決まったのかもしれない。危険が多くて業績をあげる可能性のほとんどないこんな仕事が私に回ってきたのは、私の未帰還は学会の損失にはならないと判断されたためなのかとひねくれてしまう。万が一私が何かを発見するとしても、彼等が見つけることを私に期待したのは宇宙空間に漂う有機物のかけらであって、宇宙船ではなかったのは確実である。

 他の二人のメンバー、操縦者である金森船長と宇宙物理学者である伊藤博士は当然のことながら私の参加をうさん臭く思っていたし、こんな事態になって一層私が選ばれたことの不適切さを確信したに違いない。対策を三人で話し合ったとき、私は何の期待もされていなかった。

「とりあえず何をしますか」

 私の問いに金森船長が答えた。

「とりあえず出来ることは、何もしないということだ。むろん、船外に出ることは禁止する。相手が全く未知である以上、警戒は当然のことだ」

「では、相手の出方をただ待つだけですか」

 伊藤博士が口をはさむ。

「話し合ってみる必要はありそうだな」

「どうやって」

「それをこれから考えなければならない」

「言葉が通じないのだから、身振り手振りによるしかないでしょう」

 金森船長がとんでもないと私をにらむ。

「我々の姿をさらしてわざわざ我々に関する情報を与えてしまうようなことは避けるべきだ」

「では、絵はどうですか」

「絵はまずい。我々を表現してしまう」

 伊藤博士が話を引き取る。

「伝達の手段として、信号(シグナル)や象徴(シンボル)を使うのは、何らかの形で我々を表示してしまうのでまずいわけだ。だとすれば、記号(サイン)か指標(インデックス)を使う必要がある。複雑な伝達を行うにはやはり記号でなければだめだろうな」

「結局、言語を使用することになりますね」

「しかし、我々が言語を使って表現しようとすれば、同時に言語は我々を表現してしまうでしょう」

「私の考えでは、できるだけ一般的な構造の言語を使用すればいいのではないだろうか。もし彼等がそれを理解したならば、彼等と我々には一般性という底において共通するところがあり、そして、その次元にある限り我々の種としての個別性は読み取られずにすむ。もし彼等が理解できなければ、我々と彼等の間の断絶は大きすぎて、使用した言語から我々のことを探ることはできないだろう」

「どんな言語を使うのですか」

「自然言語は使えない。作らねばならないだろうな」

「言語を作るのですか」

 金森船長は伊藤博士に賛成する。

「他に方法はなさそうだな」

「音韻つまり伝達媒体、意味つまり伝達内容、そして統辞つまり伝達形式、この三つを三人で分担すればいい。媒体に関しては通信工学の知識のある金森船長が適任だ。君は意味と統辞のどっちを選ぶ」

 金森博士の問いかけに私はあわてた。

「文法など私には分かりません」

「それでは君、異星の知的生命体との出会いという宇宙史上画期的な事件の際に交わされるメッセージを作る方がいいというのかい。我々のこの感動を込め、しかも適切な情報を与え、敵意は避けるが過度の好意も控え、将来の選択に幅を持たせ、むろん長ったらしくてはいけない。しかも、彼等に分からせるには宇宙的に普遍的な内容が要求される。かといって、分かりきったことを伝えたって意味がない。彼等が我々のロゼッタ石を解読したとき、そこに書かれているのが1+1=2といった単純な言明だったらきっと失望するだろう。どうだい、それでも君はメッセージを作る方を選ぶかい」

 というわけで、私は宇宙言語を作り上げるというとんでもない仕事に取り組むことになってしまったのだ。

「まず私から始めよう」

 金森船長が最初に発表する。

「私に与えられた課題は、この言葉の音韻ないしは文字を考え出すことだ。基本単位として単語を選んだ。当然この言語は単語から成り立っているはずだ」

 金森船長の視線に答えて私はうなずいた。

「アルファベットに相当するものから出発してもよかったのだが、要は単語の弁別ができればいいのだから。単語の弁別方法として最も簡単なのは、ある順序で並べた単語に一連番号を付すことだろう。しかしながら、この方法だと、新たな言葉はただ単に追加されていくだけだから、意味の多様性に伴って無限に追加されなければならなくなる。語形の変化や語の結合などの造語力は得られない。せいぜい出来ることは、意味の群れというものを近接しあう数字で示すぐらいだろう。それはやむを得まい」

 金森船長がそこで言葉をきったので、私たちは同意の身振りをした。

「したがって、技術的な問題は、いくつかの数のつながりで表現された文を、相手にいかにしてわからせるかということになる。数字の表現は二進法がいいだろう。お馴染みのトン・ツーのモールス信号だ。ただし、トン・ツーの二種類の記号では不足なのだ。トン・ツーが表現されるためには、それらが無いということ、つまり空白であることの表現がなければならない。我々は空白を時間的物理的な隔たりで理解するが、彼等が同じような理解をするとは限らない。桁数をそろえることも考えられるが、とりあえず空間的な隔たりを空白とみなすことにする。語彙はコンピューターが番号付けをしてくれるから、メッセージの内容と文法があれば、通信はすぐできる」

「では、メッセージを披露しよう」

 伊藤博士が次に話し出す。

「彼等にメッセージを分からせるためには、言語そのもの以外の手がかりを与える必要がある。言語が発せられる状況は、メッセージの理解を大いに助ける。したがって、今の我々と彼等の状況を表現することがメッセージの一部となる。メッセージは短く、そして繰り返すことがのぞましい。しかも、ただ単に繰り返すのでは理解が深まらないので、規則的な変化を示しながらの繰り返しが必要だ。そこで、次のようなメッセージを私は提案する」

 あなた方とわれわれは会わなかった。

 あなた方とわれわれは会った。

 あなた方とわれわれは会うだろう、あるいは、会わないだろう。

「過去、現在、未来。肯定と否定。それらの組み合わせ。どうかね」

 むろん、金森船長も私も反対の表明はしなかった。それを賛成と解釈して、伊藤博士は私をうながした。

「では最後に君の番だ」

「普遍的な人工言語は元になる自然言語より単純化されます。エスペラント語のように。どれだけ単純化できるかを考えていけばいいでしょう。この言語の最低単位は、金森船長が言われたように語とします。いくつかの語が組み合わされて句、そして文を形成します。文は何らかの言明がなされる最低単位です。文は主部と述部に別れます」

「ちょっと待ってくれ」

 伊藤博士が遮る。

「彼等のコミュニケーション媒体がそんな構造をしているとは限るまい」

「そうかもしれませんが、そうだとしたら言語によるコミュニケーションはあきらめた方がよさそうです。我々が何かを言明するというのは、主部を述部と結びつける以外のことでは無いはずですから」

「分かった。続けたまえ」

「主部は名詞句、述部は動詞句、動詞句はさらに動詞と名詞句から構成されます。そこで、文の基本的構成を名詞句、動詞、名詞句、補助句とします。これらを単語によって表現しようとするなら、品詞を設定する必要があります。別の方法として、語の位置によって決めることもできるでしょう。その場合、文は、空位の語を含めて、同じ語数で成り立つようにします。自然言語は無限の生成を行いますから、文の長さの上限というものはありません。文の長さを一定にするには、名詞句から文を生成させないようにします。句の内部においては、つぎのような規則にします。先行の語は後続の語を形容する。ただし、後続の語との間に並記記号がある場合には後続の語が形容する語を先行する語も形容する。こうすれば、形容詞が名詞を、副詞が形容詞を、そして動詞の前に語を置くことを許容すれば、副詞が動詞を修飾できます。次に数、格、性、時制です。数については語は日本語のように単複同型とし、動詞変化はなしにします。格についても同様。日本語では助詞が格変化を表現しますが、この言語は文の中の位置によって格がきまります。性についても無視します」

 再び伊藤博士が疑問を呈する。

「彼等に性があるとは限らないからね。ところで、君の言語は自然言語に近い構造を持っていながら、制限がきつくて表現が非常に限られてくるね」

「自然言語というのはある意味で効率的なのです。その柔軟性が意味を多義的にし、あいまいにしますが、表現能力は無限に近い。この言語を作りながら私も伊藤博士と同じ感想を持ちました。いっそのこと、自然言語を使ってみてはどうでしょうか」

 金森船長がすぐに反対する。

「それは危険だと話し合ったではないか」

「我々の特性を明らかにしてしまうというのでしょう。でも、それは人工言語でも同じです。いや、かえって我々の思考方法の限界を露骨に示してしまうような気がします」

 伊藤博士が意外にも賛成する。

「そうだね。それに、このコミュニケーションが成功すれば、以後も踏襲されるだろう。当然、この人工言語の不備も踏襲され、最初なら簡単に取り除けたものが大きな障害になる可能性がある。私にはこの人工言語の出来栄えを判断できないから、これを使う責任はとれないよ」

「私だってとれませんよ。よろしいです。お二人がそうおっしゃるなら、自然言語を使うことにしましょう。では、何語を」

 私は勢い込んでいった。

「考えたのです。ここで使われた言語が以後も彼等と我々のコミュニケーションに使われることになるとすれば、それがいわばユニバーサル・スタンダードになるわけですね。それがはねかえって、グローバル・スタンダードにもなるのではないでしょうか。日本語を使いましょう。そうすれば、宇宙でも、地球でも、皆が日本語を話すようになる」

 伊藤博士も金森船長もきょとんとしていた。しばらくして二人とも笑い出した。

「そいつは面白い」

「英語に一泡吹かせてやれるな」

「さっそくメッセージを送りましょう」

 そのとき、コンピューターが彼等からのメッセージが入っていることを知らせた。メッセージは同じ短いパターンの繰り返しだった。

「彼等が動き始めた」

「何をしようというのでしょう」

「離れていく。どうやら行ってしまうようだ」

「何か急ぎの用事があるのだろう」

「捕まって標本にされるおそれはなくなりましたね」

「貴重な機会を逃してしまったのではないかな」

「この宙域をうろついていれば、再会できるでしょう」

 私たちはほっとした。重荷を投げ出さずにすんだのだ、重荷の方が下りてくれたので。

 私は言った。

「少なくとも、彼等のメッセージは分かりましたね」

 金森船長はけげんそうに私を見た。

 伊藤博士はうなずき、苦笑いして言った。

「さようなら」

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