井本喬作品集

オン・ザ・ロード

 川岸の堤沿いの桜並木の傍を新しい道路が通った。春が過ぎて花が散り葉が繁ると、毛虫たちが木から道路の上に落ちてくる。彼らは先祖から遺伝的に引き継いだ環境との違いにとまどいながら、必死に道路を這っていく。時おり通る車が毛虫たちをひき潰す。道路には彼らの死骸が「しみ」となって模様のように残る。ドライバーたちはそんなことには気づかずに通り過ぎていく。

「何もないな」

 ヨコミツは探索スクリーンを操作しつつ、何度目かの同じ言葉をつぶやいた。

「みごとなくらい何もない。分子レベルで掃除したみたいだ」

 横からスクリーンをのぞいていたセルズニクが言った。

「これがノウレッジたちの行方不明の原因だろうか」

「こんなに特異な現象が無関係だとは思えない。だが、われわれは無事だ」

「今のところはね」

 二人の会話を聞いていたマーはスクリーンを離れた。この異常な空間に入り込んでから既に4時間がたつ。何かが起こるならもう起こっているはずだ。船は第三警戒体制に入っている。ノウレッジだって同じことをしただろう、とマーは思った。彼等よりも自分達が優秀というわけではない。また、彼等よりも多くの情報を得ているわけでもない。彼等に起こったことが待ち受けているなら、同じようにそれを経験することになるだろう。それが自分達の任務だが、少なくとも何が起こったのかは伝えなくてはならない。さもなければ、後からくる連中は同じことを繰り返すだけになってしまう。

 マーは機関長のアッバスに問いかけた。

「何か異常はないか」

「全ての機器類は正常に作動しています」

「推進装置は」

「異常ありません。出力の低下も上昇も見られません」

「居住環境は」

「オゾン値がやや高くなった以外は変化は見られません。オゾンについても影響はないでしょう」

 マーは副艦長のバラーノフと技術長のクラインに問いかけた。

「乗組員の状況は」

「生理的にも、機能的にも異常はありません。興奮と不安の傾向がありますが、この状況では当然です」

「クライン君、この現象について何か分かりましたか」

「この前ご報告した以上のことは分かっていません。こういう現象が起こるモデルを作っているのですが、未知の要因があるようなのです」

「この状況をどう判断する、バラーノフ君」

「この現象が宇宙船の行方不明と関係あるかどうかは今のところ判断しかねます。船に何の影響も与えていないところからは無関係かと思われますが、このような現象が全く無関係とも考えにくいですし」

「船は第三警戒体制をとっている。このことについて意見はないか。今後すべきことについて提案は」

 バラーノフが何か言いかけたのをマーは制した。クラインが技官の一人と話し始めたのだ。クラインは短い会話を終えると、マーに向かって言った。

「異常が発生したようです」

 クラインに案内されてマーは研究ユニットの一つに入った。中にいた研究員はF3形の標本容器を手にしていた。細長い筒の中で何かが音をたてていた。

「面白いですよ」

「生物か」

「透視ボタンがあります」

 マーは筒を探り、楕円形の突起を押した。筒の一部が白く輝き、透明になった。筒の中には小さな石が「いた」。石は閉じ込められた状態から逃れようとするかのように、飛び跳ね筒に当たって音をたてていた。

「何か仕掛けがあるのか」

「いいえ。これは前回のシーア星系の調査のときの標本です。今度の任務があわただしかったんで積み残しになっていたんですよ。今までは何ともなかったのです。たぶん、この環境が影響しているのでしょう」

 マーは石の動くのをじっと見ていた。筒の透明な部分はやがて徐々にくもりだし元に戻った。

「この標本は貴重なものか」

「分析がまだすんでいないのですが、特に貴重と言うほどのものではないです」

「こいつを出してみよう」

「ここでですか」

「ここでは危険すぎる。船の外でだ」

 マーフィーは標本容器を持って船を離れていった。

「マーフィー、モニターは順調だ。予定通り実行してくれ。もしアクシデントが起ったらESを使え。必ず船に帰れる」

 船は第二警戒体制に入った。マーフィーから送られてくる映像がスクリーンに写される。

「予定ノ距離デス」

「OK、船は見えるか」

「見エナイケド、ドコニイルカハ分カリマス」

「確認する。容器の口を船とは反対方向にしたか」

「シマシタ」

「OK、ふたを外せ」

 誰も石の出るところを見ることが出来なかった。石はまさにすっ飛んで行った。分子マークによる石の飛跡を示す線を見ながら皆は冷や汗をかいた。石は船のすぐ傍を通っていった。マーフィーが容器の口を向けた方向と石が目指した方向はかなりずれている。そちらに石を引き付ける何かがあるということなのだろうか。探索の結果は空しかった。石は宇宙の彼方に消えてしまった。

 探知装置が何かを発見して注意をうながしたのは、石騒動から時間がたち、皆が緊張に耐えきれず、退屈しはじめたときだった。

「船のようです」

「ブライアン号か」

「違います。形も組成も異なっています」

「第一警戒体制を取れ」

 マーがそう指示すると、船内に警戒音が鳴った。

「攻撃するような様子は」

「ありません」

「何か反応は」

「ありません」

「よし、接近を続けろ」

 スクリーンにコンピューターの知覚した映像が写し出される。奇妙な形だ。いびつなだ円形だが縁が滑らかではなく、左右相称でもない。

「行方不明の船のどれかではないか」

「地球の船ではなさそうです。でも何か変ですね」

「このままの間隔を保て。マーフィーを派遣する」

 マーフィーから送られてくる映像が異星の船を写し出している。

「廃棄された船でしょうか」

「ひどく変型している。壊れているようだな」

「乗員は逃げ出したのか、あるいは」

「マーフィー、入り口を探せ」

 マーフィーは船の外殻に沿って移動した。

「裂ケ目ガアリマス」

「入口か」

「チガイマス。破壊サレテデキタモノデス」

「入れるか」

「ヤッテミマス」

 マーはバラーノフに話しかけた。

「どこかでこれに似たようなものを見た記憶があるのだが」

「破壊された宇宙船ですか」

「そうではなくて、もっと小さなサイズ‥‥」

「芸術家が作りそうな形ですね」

「そうだ、博物館だ。二十世紀博物館。あの頃に飲み物や食べ物を保存する容器があって、用済みのそいつを車輪のついた輸送機械が押しつぶす‥‥」

「ああ、私も見ましたよ、『車に轢かれた空き缶』というやつですね」

 マーはびっくりしたようにバラーノフを見た。

「しまった。船を動かせ。この空域からすぐに逃げ出すんだ」

「マーフィーは」

「回収している暇はない」

 船はマーの指示に従って動き出した。

「どうしたというのですか」

「ここは『道路』なんだ。岩石などの自然の妨害物は自動的に排除される。人工物や生物は排除されないが、『車』が通るときに『轢かれ』て押しつぶされてしまうんだ」

「そんな馬鹿な。一体どんな存在が‥‥」

 とてつもなく巨大なものがマーフィーの傍を通り過ぎた。動きだしていた船はそれに巻き込まれ消えた。マーフィーは取り残された。指示する人間たちから解放されたのは初めてだった。だが、マーフィーには待つ以外にすることがなかった。もし人間たちが彼を見つけてくれたなら、何が起ったか教えられるのだが。

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