平等世界 Ⅱ
あなたと別れてからずいぶん長い時間がたったような気がします。あの時以来、私が姿を消したことで、あなたは嘆き、憤り、恨んだことでしょう。私が保身のために逃げたと思っておられるかもしれません。しかし、私もあなたと同様、いや、あなた以上に苦しんだのです。あなたに真実を知らせることは残酷なことであり、私の苦しみを軽減するとしても、それはあなたに負担をかけることにおいてなので、私はためらいました。しかし、あなたには知る権利がある。真実の苦しみは、偽りの救いよりも、結局は私たちを浄化してくれるものと私は信じます。
私たちが知り合ったのは、あなたが私の職場に配属されたからでした。あなたは左手が不自由でした。それはめずらしいことでした。普通なら義手に変えて機能を向上させるのですが。皆はあなたを敬遠しました。あなたの姿は皆が意識の外に置こうとすることを目の前に示してしまうものでしたから。それはいわれのないことですが、あなたにも分かっていたようでした。私があなたに親切であったのは、そういう皆の態度を恥じたからであったかもしれません。いや、そもそもの初めから私はあなたを好きになっていました。だから皆の態度に憤慨したのです。そういう私をあなたも好ましく思ってくれていたようでした。
私は思いきってあなたを花火に誘いました。あなたは戸惑いながらも承知してくれました。雑踏の中をいい場所を探してうろついているうち、暗がりであなたがつまずき、あなたの使えぬ左手が右手に私をつかまえさせました。私たちは思わず笑いあい、二人の間のぎこちなさが消え去りました。やっと人垣の間にすき間を見つけたっとき、花火が上がり始めました。二人の上に広がる夜空にひっきりなしに花火が開き、私たちは並んで見上げていました。こんなにたくさんの人出なのに、私たちは二人きりでした。
花火のすんだ後、私たちは別れ難く、いろいろ話をしました。話題があのことから始まったのは仕方がありません。初対面のあいさつみたいなものですから。私は左足が義足であると言いました。あなたは歩き方では分らないと言いました。あなたは動かない左手を私に触らせました。私はなぜ『自然』のままなのかと問いました。子供の時から麻痺があったので、『手術』はしなかった、とあなたは答えました。
私たちは親しくなりました。かなり大きいとはいえオフィスの中でなぜそれまで一度もあなたに会わなかったのか不思議ですが、出会ってからは一人でいた時を取りかえすように頻繁に会いました。毎日毎日が楽しかった。あなたに会えるうれしさに朝早く起き、明日あなたに会いたいがために夜は早く寝ました。あなたを見ない日はとても悲しく、何もする気がしなかった。
私たちは愛し合いました、お互いの心と、そして体を。陶酔の中で私は奇妙なことに気づいたのです。私を抱きしめる二本の腕。動かないはずのあなたの左手が私の背中を探り、私たちが一体であることを確かめようとする。裸で並んで横たわりながら、あなたは秘密を打ち明けました。
「じゃ、君は『完全』なのか」
「そうよ。私の両親は体を傷つけることに反対だった。だから、生まれてからすぐに私を訓練して左手を使わせないようにした。その結果、左手は本当に麻痺してしまった。『選択期』を無事にパスしてから、今度は動かす訓練をした。全く均等には発育しなかったけれど、左手は右手とほぼ同じようになったわ。訓練以外には使わないようにしているから、ふだんは動くことはないのよ。驚いた」
私の表情が変わったのを、あなたは驚きとのみ受け取ったのでしょうか。私はあなたの言葉をはっきりと覚えています。
「これが本当の人間の体なのよ。皆のしていることは人間のやることではないわ。人間は『完全』であるべきであり、『完全』な人間のみが美しいのよ」
あなたは私の足に気づき、急いでつけ加えました。
「あなたを愛している。あなたも私を愛してちょうだい。この『完全』さはあなたのものよ。あなただけのものよ」
翌朝、職場への道を歩きながら、私は自分が変わったのを、あなたによって変えられたのに気がつきました。行き交う人々とは全く別の存在になったように思えるのです。これは単に恋する者の排他的な感情だけではないようでした。
私は今まで何とも思っていなかった自分の左足が気になりました。私の義足を私は初めて意識したのです。そして、その義足によって、私は他の人々、私が疎隔感をもって眺めるようになった人々とつながってしまうのでした。私はあなたとは違う自分であることを憎みました。あるべきはずの自分になれなかったことを。
かつて人類は完璧を望み、遺伝子やiPS細胞などを使って、自分の身体をいじくり回し、危機に陥りました。その反動で身体平等法が出来ました。身体を有機的に改造して身体機能を向上することが一切禁止されたのです。しかし、それは障害を除去して健常な身体にするチャンスを放棄することでもありました。身体上の不平等が残る限り身体改造の禁止は守られなくなるだろう。そこで、身体改造を禁止する代わりに、皆で平等に障害を引き受けようということになったのでした。補助具の発達がそれを可能にしました。身体平等法は、全ての人に、15歳になったとき身体の一部に傷害を生ぜしめる『手術』をうけることを義務づけています。傷害の部位は選ぶことができ、既に傷害のある人はこの義務から免除されます。そうすることで社会は平等を保障し、高慢や偏見、羨望や嫉妬を排除することが可能になります。それは正しい政策だったと教えられてきましたし、私もそう思ってきました。でも、あなたを知ってから、疑問を感じるようになってしまったのです。
あなたのことを考えるだけで幸福感が私を包みました。あなたが誇らしかった。あなたと愛し合うことで、私の欠如は埋められるのでした。こんなにも幸福であるのはいけないのではないか。あまりに度が過ぎたことへのおびえでしょうか、不吉な予感がときどき私を襲いました。たぶん、失うことへのおそれが私を不安がらせたのだと思います。むろん、後悔など決してしなかったけれど。
そして、やはり幸せは長くは続きませんでした。あなたの姿が突然街から消えました。あなたが捕まったといううわさがすぐに広まりました。私はあなたのいない寂しさに耐えていました。もう二度と会うことはないと分かっていたので。私は転勤を願い出て受理されました。しかし、私が出発するよりも早くあなたは帰ってきました。私を訪ねてきたあなたは、義肢になった左手を見せました。
「分かってしまったの。だから、こうされてしまったわ」
私は黙っていました。あなたに再び会うとは思ってもいませんでしたので。
「私は恥じたりはしない。私のやったことは正しかったはずよ。皆が何を言おうと平気だわ。でも、あなたは私を愛してくれるでしょう。私にはあなたが必要なの」
「僕はもう君を愛せない。君も僕を愛せないだろう」
「どうしてなの。私が『完全』でなくなってしまったから?」
私は答えませんでした。むしろあなたに誤解されたままの方がよかったのでした。その日のうちに私は街を離れました。相変わらず私はあなたを愛していました。あなたを愛し続けるために私はあなたから離れなければならないのでした。
なぜ私はあなたに出会ってしまったのでしょう。『完全』は美しい、すばらしい。私はそれを認めます。だからこそ『完全』はあってはならないのです。私たちは謙虚でなければなりません。私たちの弱い心をつなぎ止めておくために、『手術』は絶対に必要なのです。人が驕り、高ぶり、思いやりがなくなり、自分勝手になるのは、自分を無条件に誇れるときです。私たちはそれをゆるしてはならないのです。
あなたを密告したのは私です。
さようなら。いつまでも愛しています。