賢い選択
1
男が来たのは夜だった。
「お待ちしていました」
田所は声を出して男を中へ入れた。こそこそ秘密めいたことをして近所の警戒感を呼び起こすことは避けねばならない。男の外観に他人の目を引くようなところがないか田所は点検した。髪の毛やヒゲをのばしていないか。服装に汚れや傷みはないか、チグハグではないか。衰弱や狂気の気配がしないか。体が清潔に保たれ、臭いなどをさせていないか。つまり、逃げ回っているような徴候を示して、危険を引き連れて来はしなかったかを、田所は見定めようとした。
「食事はまだ」
「ああ」
「作ってあるからお食べなさい」
「俺のことは聞いているのか」
「話は後で。あまり大きな音を立てないように」
田所は男をテーブルにつかせパンと温めたシチューを出した。男は急いで食べ出した。田所が見ているのを気にして男は弁解した。
「朝から歩き回っていた。人ごみの中なら目立たないと思って。カネはあったけど、恐くて店には入れなかった」
田所はテレビの音を少し大きくした。テレビはクイズのようなことをしていたが田所も男も見はしなかった。
「ここでは遠慮しなくていい。ただ、気をつけて。私たちの提供できる隠れ家には、欧米のような地下室や屋根裏部屋などはないから」
男はうなずき、後は黙って食べた。食事が済むと田所は男にコーヒーを勧め、自分も飲んだ。コーヒーを飲みながら男は部屋を見渡した。
「あんたひとりなのか」
「そう。単身赴任みたいなものだ」
「ひとりでは広いな」
「前は家族と住んでいた。疲れているだろうからシャワーを浴びて寝なさい。あの部屋にベッドがある。私のパジャマを着るがいい。下着は洗濯しておこう」
「洗濯ぐらいはする」
「いや。洗濯物を干すのにも気をつけなければいけない。君は何もしなくていい。あの部屋を君が使えるようにしてある。できるだけそこいるようにしてくれたまえ」
浴室に入るために男は裸になりはじめた。田所は男が脱いだ服を受け取った。男の右肩から背中にかけてまだかさぶたの残っている擦過傷の跡があった。
「収容所からどこかへ移送される途中、事故があったので隙を見て逃げ出した。これはそのときの傷だ」
「幸運だった」
「俺は殺されるはずだったのか」
「何か聞かされていた」
「いや、何も。噂はいろいろあったが。何かの実験台にされるとか」
「そうかもしれないな」
「知っているなら教えてくれないか。何が起こっているのか」
男はすっかり裸になっていたが、浴室には入ろうとはせずに田所と会話を続けていた。
「私もよくは知らない。分かっているのは、何か不正なことが行われている、しかも政府の一部が関与しているということぐらい。さあ、シャワーを浴びたまえ。そして寝たまえ。耐えなければならない日がこれからも続くから、休めるときにしっかりと休んでおくことだ」
2
田所と男の共同生活が始まった。田所は仕事のため日中は出かけている。男は閉め切った家の中で田所の帰るのを待つ。音はもちろんのこと、窓のカーテンに人影がうつることさえも注意しなければならないので、男は横になっていることが多かった。トイレを使っても音を立てないため水は流さない。イヤホーンをつければテレビを見ることはできた。昼食は田所が準備したものを食べる。冷蔵庫の中の物は食べてもいいが、調理はしてはならず、ゴミも別にしておくように言われている。
男は田所の指示を守った。田所は三日間男を観察した後、彼と話し合った。
「そろそろ移動した方がいい。あまり長く一か所にいると見つかる可能性が高くなる。そこで君のことを聞かせてほしい。人によってルートを変える必要がある」
「こんな風にいつまでも逃げ回っていなければならないのか。外国にでも逃がしてくれないのか」
「どこへいっても同じなのだ。今は辛抱しなければならない。だが、これがずっと続くわけではない。ある期間がすぎれば、元のようになるだろう」
「知っているのだな。教えてくれ、何が起こっているのか」
「その前に、君のことを聞かせてくれ。君は一度捕まったのだね」
「ホームレス狩りに引っかかって収容所に入れられた。そこでいろいろ質問され、心理テストなんかもされた。カウンセリングだと言っていたが、何かを調べていたらしい。結局俺は『アウト』になった。『セーフ』『アウト』とみなは言っていた。その意味ははっきりは分らないが」
「何でホームレスになった」
男はすぐには答えなかった。田所は待った。
「今さら隠しても仕方がないな。あんたらは警察とは対立しているようだし。俺は人を殺した。しかも、妻と子を。もうどうなってもよかったんだが、逃げられるものなら逃げようと思ってホームレスの群れに加わった」
「なんで奥さんと子供を殺した」
「そもそもの最初はハシタガネだった。魔がさしたというか。会社のカネを使い込んだ。うんざりしていたんだ、何も出来ないでいることに」
「それが発覚したのか」
「そうだ。それでクビになった。仕事はなく、妻が働くようになり、仲が険悪になった。子供も俺を嫌うようになった。当然、別れ話だ。俺は承知しなかった。妻の様子がおかしいのでそっと調べたら、職場の男とできていた。問いつめたらケンカになり、馬鹿にしたような口をきいたからカッとなって。子供も妻の味方をしたから成りゆきで殺すことになってしまった」
田所は何のコメントもしなかった。
「こんな人間でも逃がしてくれるのか」
「私たちは犯罪を裁いたり、道徳的な批判はしない」
「有り難いけど、一体何のために助けてくれるのだ。カネではないよな。カネなんか持っていない。犯罪組織のリクルートか」
「悪事を働いているのではない」
「警察に楯突いているというのに」
「君を追いかけているのは単なる警察ではないのだ」
「どうもそうらしいな。何か変なことが起こっている。知っているなら教えくれ」
田所は少し間を空けた。これから話すことの重大さが相手に理解されるかを危ぶんでいた。この瞬間の気持ちはいつまでたっても変わらない。
「たぶん、信じられないだろう。あまりに荒唐無稽だから。しかし、現に君が経験したことが一つの証拠だ。だから、素直に聞いてくれ。このことについての情報の秘匿は徹底されているから、正確なことは分らない。大まかなことはこうだ。八か月前にエイリアンが人類に接触してきた。彼らの力は人類を超絶していたから、人類としてどういう態度をとるかを迷うことすらできなかった。彼らは全ての国や地域の政府に通告した。一年後に人類の中から任意の一人を選ぶ。その人間が人類の存続を決める。すなわち、その人間が人類の存続を希望するなら、今まで通り地球を人類にゆだねる。その人間が人類の存続を希望しないなら、人類を絶滅させて、地球を人類のいない世界にする」
男は田所が冗談をいっているのか見極めようとした。田所が真面目に話していると分かってもなお騙されているのではないかと迷っていた。
「最近の世界の情勢の急変はこれで理解できるだろう。各国政府は連絡を取り合って、不幸の発生を防ごうとしている。絶望した人間は復讐のために人類の未来を投げ捨てかねないから。紛争地域には強力な調停が行われた。急速に世界に平和がもたらされた。国際的にも、国内的にも所得の再分配が増大した。富める国から貧しい国への援助は大盤振る舞いになった。福祉予算は増額され、貧しい者にはカネが与えられ、ホームレスには住む場所が提供された。一部の富裕層は不満だろうが、彼らは未来が大事だから、放っておいてもいい」
「そう言われれば思い当たることが多いが、信じられない話だ。国を統治する者がエイリアンなんてものの脅しに屈してそんなことをするだろうか」
「エイリアンの示した力が想像を絶するものだったらしい。人類の代表者たちはびびってしまった。それで人道主義者にならざるを得なかった」
「しかし、そんないいことづくめなら、俺の場合はどういうことだ」
「一方では人類の未来に危険と見なされる人間は根絶やしにされているのだ。紛争が調停で解決が難しい場合は武力が行使され、言い分はどうあれ、調停を受け入れない側は徹底的に攻撃された。死刑の執行は早められた。重罪犯や精神病者は密かに処分されている。その他にも未来に希望を持てない連中が探し出され、消去されている。人類は自らを健全化させようと偏執的になっている」
「誰も反対しないのか」
「反対すれば、危険とみなされて処分されてしまう。このことを知っているのはごく少数の者だけだ。大方は真相を知らされていない。しかし、知らされたところで、人々はパニックになって虐殺が横行することになってしまうだろう」
「どっちにしろ、俺は助からないというわけか」
「私たちは助けようと努力しているのだ。エイリアンの示した期限が過ぎれば、こんな馬鹿げたことは終る。それまで生き延びることだ」
田所の言葉は男を慰めることにはならなかった。状況が明確になったことで、希望のなさを男は思い出したようだった。
「生き延びたところで俺の人生が新しくなるわけではない。逃げ回るのはおなじことだ。捕まっても殺されることはないというだけの違いだ。刑務所に入れられ、出たところでそこよりいい生活があるわけではない。いっそのことエイリアンがみんな」
男はそこで口をつぐんだ。男は考えていた。田所は男が言い出すのを待った。
「あんたらはなぜ俺を助けようとするのだ」
「真実を知ったまま、黙って見ていることができないから」
「俺はあんたらが命がけで助けるに値する人間じゃない」
「そんなことはない」
「人類のことなど何も考えていない奴、いやむしろ人類の滅亡をかえって面白がる奴も助けるのか。もし俺が、エイリアンに指名されたら人類の滅亡を選択するような人間でも、あんたらは俺を助けるのか」
「そうだ」
男は何かを言おうとしたが、何を言っていいか思いつかないようだった。田所は事務的に言った。
「これから君の逃亡ルートを教えよう。記録してはいけない。覚えてくれ。そして万が一捕まったら忘れてしまってくれ」
3
警報が発せられた。こういう時がいつか来るのは分かっていたが、いざとなると何か現実離れした感覚に捕われる。部屋に残す品物のいくつかに未練があったが、あきらめねばならない。もう二度とこの部屋には戻れない。今度は彼自身が逃亡者となるのだ。
田所はアパートの建物の出口で周囲をそれとなく見回し、怪しい者が見当たらないのを確認してから駐車場に向かった。突然田所の前に人が現れた。振り返ると背後にも複数の人間。田所は間に合わなかったことを悟った。
捕まって三日目に田所を尋問したのはかなり上位にある人間のようだった。こういう奴らのやり口を田所は承知していた。彼等は田所の自尊心に働きかけるのだ。田所は自分の行為を正しいと信じていたが、その信念を自分だけで支えるのはつらいから、理解されるとうれしくなって警戒心が緩む。誰かに知ってもらうこと、たとえ意見の対立する者であっても他人に話したいという誘惑は強力だった。田所は黙秘を貫けと自分に言い聞かせた。
尋問者は検事であると名乗り、それまでの尋問とは違い親しげに話しかけた。
「ようやく君らを捕まえることができた。我々のシステムにどこか洩れがあることは分かっていた。ずいぶん調べたがなかなか見つからなかった。手間を取らせてくれた」
田所は黙ったままでいたが、かまわず検事は続けた。
「君は当然知っていることだが、事実関係を整理してみよう。君が属していた逃亡者の救出機関はもともとは反政府組織だった。そのような組織の存在を察知したときに、我々はそれらを解体するのではなく、内密に再構築して逃亡者の摘発機関に変えた。今でも大方の人は、政府関係者でさえ、逃亡支援組織が存在すると信じている。逃亡者はこの機関を頼って来る。我々は逃亡者を苦労して探さなくても、彼等の方から来るのを待っていればいい。君らが逃亡者を受け入れ、我々のもとへ送ってくる。とても効率的なシステムだ」
検事は田所を怒らそうとしている。怒らせて沈黙の壁を破らせ喋らそうとしている。検事はさらに続けた。
「ところが、このシステムは完全ではなかった。それはこのシステムが人間によって運行されているからだ。システムの崇高な目的を理解せず、目先の感情に支配されて逃亡者に同情してしまう人間が出てくる。そういう者の手によって、システムに取り込まれた逃亡者を再び逃がすというルートが作られた。そういう穴は塞がれなければならない。そこで我々はシステムの中へスパイを送り込んだ」
検事は少し間をあけて田所の反応を探った。田所は感情を表情に現さないようにしていた。
「我々は君らが逃亡者を選んでいることは分かっていた。全員を逃がすわけにはいかない。そんなことをすれば君らのやっていることがばれてしまう。我々は君らの選択基準をこう考えた。逃亡者の中には誤解や偏見によって追われている者もいるだろう。君らはそういう人間を選別して助けているに違いない。だから、そのように装った人間をスパイとして潜入させた」
そんなことはお互いに十分承知しているはずというように検事は淡々と話した。田所は黙ったまま聞いていた。
「だが、我々は間違っていた。送り込んだスパイが、みんなちゃんとしたルートに乗って戻ってくる。我々のやっていることが筒抜けになっているのではないかと疑ってもみた。何度も失敗した後、もしやと思って、今度のスパイには最低の人間であるように装わせた。それがうまくいった」
相変わらず田所が何も言わないので検事は口調を変えた。
「君らが助けていたのは、明らかに有罪の人間たちだった。彼等は他人を憎み、人類を憎み、人類の滅亡を願う人間たちだ。一体なぜなのだ。なぜあんな人間たちを助けていたのだ。君らも人類の滅亡を願っているのか」
「違う」田宮は言った。この検事には自分達の気持ちなどわからないだろう、だから言っても無駄だろう、余計なことは言わずに黙っているべきだ、そう思いつつも、自分達についての間違った考えを持たれたくないという希求が彼の口を開かせた。
「私たちも人類の存続は願っている」
「しかし、君らの行為は人類滅亡の確率を高めている」
「あなたたちは何を恐れているのですか。エイリアンがあんな馬鹿なことをすると本当に信じているのですか」
「百パーセント信じられなくても、備えはしておくべきだ」
「彼らの言うことを聞いたからといって、彼らが私たちを生き延びさせてくれるかどうか分かりませんよ」
「だからといって我々に何ができる。彼らの技術力は我々のとは隔絶している。戦って勝てる相手ではない」
「エイリアンがなぜあんなことを私たちに宣言したのかについては、彼らは何も言っていない。彼らのあの宣言自体が我々を絶滅させる手段だということも考えられる。人類は生き延びるためにお互いに殺しあう。それを止めようとする者も殺される。残るのは自らが生き延びることを第一とする人間だけだ。そういう人間が構成する社会は自壊する。彼らは定期的にあの宣言を繰り返すだけで私たちを滅ぼすことができるのかもしれない。ちょうど、不妊処理した個体をばらまいて害虫を絶滅させるように」
「かれらが我々を滅ぼそうと思っているのなら、そんな面倒なことはしないでも簡単にできるだろう」
「彼らは人類をペテンにかけようとしているのかもしれません。彼らにとって滅びを選ぶ人間を指名するのは簡単だ。そうして、人類が自ら選んだ道だといって、絶滅を正当化するつもりかもしれない」
「彼らを悪意ある存在としてばかり考えるのは選択の幅を狭めることになる。彼らは我々のためを考えてくれているかもしれないということを否定することはできないだろう。エイリアンの宣言に対して、各国政府や国連は選ばれる個人の選択にいい影響を与えるためにいい政策を取るだろうと人々は期待する。世の中がよくなるという期待があれば、人々は滅亡を選択しはしない。エイリアンが望んでいるのもそういうことかもしれない」
「だとしたら、政府はなぜそうしないのです」
「全ての人の期待を満たすことはできないからね。期待は失望をもたらし、悲観をまき散らす」
「エイリアンが神のような存在なら、彼らには悪意も善意もなくて、ただ我々をテストするはずです。人類が存亡の危機に対してどのような行動を取るのかを見て、私たちに対する処遇を決めようとしているとしたらどうですか。あわてて仲間を殺しはじめるような種を誰が尊重するでしょう。」
「彼らについてはどんな想像だってできる。彼らは単に遊んでいるだけという可能性だってある。気紛れに、どんな答えが出るか賭けでもしてね。エイリアンの気持ちを忖度しても仕方のないことだ」
「あなた方のやっていることは狂気じみている。人間全ての考えを統一するなんてできることではない」
「人間というものは、よほど悲惨な状況にあるのでない限り、生きたいと思うものだ。たとえ自らは滅びても、親族や子孫が生き延びてほしいと願う。だから、自分と共に人類が滅びることを望む者などめったにいるものではない。いまなされている作戦によってそういう者が選ばれる確率はごくわずかになるはずだ。我々のやっていることは十分効果があるし、そういう人間を排除することが人類の品格を落とすことになるとは思わない」
田所は答えなかった。もっと喋りたい気持ちは強かったが、もうこれ以上話すべきではない。喋ったことはまずかったかもしれないが、重要な情報は漏らしていないはずだ。検事は田所が再び黙秘になったのも気にしていないようだった。
「君を説得するつもりはない。私は君にさよならを言いに来ただけだ。君の死を宣告する役目だ。君は人類の存続に投票すると言っている。嘘ではないだろう。しかし、君が政府のやっていることに反対している以上、いつ気が変わるかもしれない。そんな危険はおかせない。君は選択の日を迎えることなく死ぬ。残念だが仕方がない。私との会話が少しでも慰めになったらよかったのだが」
検事は立ち上がった。田所はすわったまま言った。
「あなたたちの幸運を祈ってますよ」
4
逃亡者をあのように選別したのは技術的な問題からだった。検事の言ったように、全ての逃亡者をシステムから離脱させるわけにはいかなかった。選ぶのはシステムが一番ほしがっている人物にすることに決められた。そうでない人々はシステムが放免する可能性があり、あるいは自分でシステムと交渉することができるかもしれない。一番絶望的な人間こそシステムの手から救い出さねばならない。たとえその人物がむかつくほど利己的な理由で人類の滅亡を願っているとしても。
そういう選抜の仕方がシステムを出し抜くことになるのは予想された。それが田所たちを安全にすることも当然考慮に入れられた。一番安全な方法が選ばれたわけではない。たまたま選ばれたのが安全をも保障してくれる方法だったのだ。しかし、システムが知った以上、この方法はもはや安全ではなくなった。それでもあえてこの方法を保持するべきだろうか。もし方法を変えるのであれば、結局田所たちも自分たちの安全を優先して考えていたことになる。田所にはもはや関係なかったが、捕まらずに済んだ仲間たちはどうすべきか苦悩しているだろう。
自分はいつ殺されるのか。そんなに長くは待たされまい。彼等は忙しいので処理の流れを早くしたがるに違いない。今日とはいわなくとも、明日か明後日か。田所はそう覚悟した。システムに逆らったからには、こうなる可能性が高いことは分かっていた。
狭い独房のベッドに横になり、田所は平和な頃の過去を回想した。それが一番心を落ち着かせる。緊張が解けたせいかそのまま眠ってしまった。田所は夢を見た。夢の中で田所は人間の代表として他の種の生物たちの前にいた。彼は人間の未来を彼らに決めさせようとしていた。
「人類の存続について、意見を述べてほしい」
「私は人間がいなくなるのは困る」とツバメが言った。「人間は私に優しいし、人間の傍にいれば敵は近づかない」
「私は人間とともに繁栄してきた」とゴキブリが言った。「人間は私を嫌うが、人間の作る環境は私には心地よい」
「それは私にも同じだ」とドブネズミは言った。「しかし、最近は住みにくくなってきている。ドブは埋められてしまい、人間の家は入りづらい構造になった。人間は他の生物をどんどん排除する」
「私は暮らし易くなった」とクマネズミは言った。「私は人間の家に入り込める。人間の家は暖かくて快適だ」
「人間は私に食べ物を提供してくれる」とカラスは言った。「私を追い払おうとするがね」
「そうだ」とハトが言った。「私たちの数を増やしておきながら、一方で迷惑がっている。勝手なものだ」
田所はハトに問いかけた。「君は人間にいてほしいのか、いてほしくないのか、どっちだ」
「それは、人間がいなくなれば私は困る。人間は勝手だけれど、大体においては私を大事にしてくれるから」
「君らはみんな人間のおこぼれで生きている。だから人間と運命を共にせざるを得ない。人間の肩を持つのは当然だ」とトラが言った。「私は人間に領地を奪われ、やむを得ず人間の家畜を食べようとして憎まれた。私たちは絶滅寸前だ。人間がいなくなれば元のように生きていけるだろう」
「そうだ」と野生動物たちは一斉に叫んだ。
「私たちの仲間は毎日人間の車にひき殺されている」とタヌキとシカとイノシシが言った。
「私たちの仲間の多くが、車や電車や飛行機や高い建物にぶつかって死んでいる」と鳥たちが言った。
「私たちの仲間は大量に人間に捕まって食べられている」と魚たちが言った。
「でも、人間は私たちを増やしてくれている」と金魚と鯉と鮒と鮎が言った。
「そうだ、私たちに新しい領地をどんどん提供してくれている」とブラックバスが言った。
「君はリリースされるからいい。私たちは太らされて食べられてしまう」とハマチとウナギが言った。
田所は猫と犬に聞いた。「君たちは人間の味方だろう」
「こんな畸形にされてしまっては、人間なしでは生きてはいけないしなあ」と犬は言った。
「人間だって私なしでは生きていけないでしょう。時には捨てるようなこともするけど」と猫は言った。
「私はどうすればいい」と豚が言った。「食べられるために人間に育てられている。生き延びるためにはこんな過酷な運命を甘受しなければならない」
「そうだ」と牛が言った。
「それは自分で決めなければ」と田所は言った。「ところで、どうやって決めよう。多数決にしようか」
「種の数の多さなら、私たちが多数派だ」と昆虫たちが言った。「個体数でもそうだろうな」
「いや、多数派は私たちだ」細菌とウイルスが言った。「私たちはどちらかというと人間がいた方が有利と判断する」
「それは不公平だ」と動物たちが言った。
「みなが納得する決定をするには、偶然に頼るしかないだろうな」と田所は言った。「人間の進化だって偶然が作用した結果なのだから。全生物(植物も入れてあげなければならないだろう)の中から、ある種のある個体をクジのような偶然による方法で選ぶ。その個体が人類の存続の可否を決定する。それでいいかな」
みなの返事を聞く前に田所は目覚めた。暗闇の中で田所はその奇妙な夢の記憶を呼び起こした。同じ種の中から選ばれた個体の決定に運命をゆだねることができるのだから、人類は幸運だと思わねばならないのだろう。田所は再び眠りに落ちた。