井本喬作品集

大岐の浜

 起きるのが遅く、もう昼前だった。迷ったがやはり行くことにした。行けるところまで行って、いざとなれば車の中で寝ればいい。海水パンツとバスタオルと洗面用具を紙袋に入れ、ジーンズとTシャツ、サングラスにサンダルという格好。二年前に友人と二人で四国一周旅行をしたとき、足摺から中村へ向かう途中、大きな砂浜の湾を見た。そのときは通り過ぎてしまったのだが、後になって、いつか再び訪れてみたいと思うようになった。今年(74年)の夏の休暇は一人で過ごすことになったので、その場所に行ってみることにした。

 車は焼けていた。ドアを開けて中の空気を入れ替える。走り出してすぐに窓を閉めてクーラーをかけた。岡山の市街を抜けて30号線を走る。風景が広がって空が大きくなった。平野の向こうに乳房の形をした金甲山が見える。少し雲がある。30号線は玉野の手前で小さな山を越える。登りつめたところから海が見える。ほんのわずかの時間、山にはさまれた視界の中に水面が現われる。その海が僕を引きつける。街へすべり降りていきながら、そのけん引力による惰性で高松まで行けそうに思える。

 休日なので海を渡る車は多かった(瀬戸大橋はまだなかった)。フェリーの中で弁当を買って食べた。船室の外へ出たが、景色は白ぼけていた。船室に戻って着くのを待つ。高松では夏祭りの開催を告げる看板が目についた。帰りに見物しよう。32号線で高知へ向かう。初めての道だが急ぐので楽しむ余裕はない。大歩危小歩危も通り過ぎる。高知の手前で眠くなったので車の中で少し眠った。高知市内も走り抜けた。日暮れ近くにドライブインでまずいカレーを食べた。暗くなっても走り続ける。山にかかったようだった。二度ゆっくりと星が流れた。雨が降り出した。しばらくするとやんだ。疲労のせいの幻覚のようにも思えた。

 中村で喫茶店に入った。ガレージに入れるときに車の横を少しすった。氷を注文し、店にあったマンガを読んだ。中村を出てからしばらくして、左側に海の気配がした。暗くて何も見えず音もしないが、水面の上の空虚な空間が感じられた。それまでずっと一人で走っていたが、後ろに車がついた。負けまいとしてスピードを出した。カーブが多く、道がどの方向に続いているのか見当がつかない。ライトの中の道に目をこらす。波の音がしたようだ。舗装が切れ、突然道を見失って急ブレーキをかける。道は急に右にまがっていて、前は畑だった。後ろの車が追い抜いていった。

 その後は慎重に車を走らせた。すぐに「大岐の浜」の掲示があり、坂を下って行くと左手が開けた。海のようだった。車を道端にとめて外へ出た。よく見えないが岩の多い狭い浜のようだった。下の方でたき火が見え、話し声がした。車に戻り、シートを倒して寝た。時おり通る車のライトが車の中を照らした。

 起きると六時だった。明るいがまだ日はさしていない。外へ出て海を見た。めざす浜ではない。車を出した。すぐ先で大きな入り江が眼下に広がった。この高台からは浜の弓型になった全景が見えた。幾筋もの白い波頭がゆっくりと進み、浜のあちこちで倒れ込んでいる。浜の正面に回り、えん堤の切れ目から入り込んで、数台の車と並べてとめた。前には流れ込んでいる川があり、淀んだ水たまりになっている。浜へ出る途中に幾張りかのテントがあった。

 波の大きさに僕は恐れをなした。海面の上にはもやがかかっている。誰もいない浜を端まで歩いた。そこにも小さな流れがあった。川はミニチュアの峡谷の砂を削り取り、砂の壁が崩れ落ちて流れの中で徐々に消えていった。波とたわむれながら戻った。道路を渡って小さな集落に入った。一軒の家の開け放たれた部屋に都会風の男女がいた。お盆で帰ってきたのだろう。墓参りに行くのか子供達がかたまって歩いてくる。その後から大人たちもついてきた。

 集落には店らしいものはなかったので、車で高台にある食堂へ行ってみたが、まだ開いていない。浜へ戻った。隣の車の中で二人の青年が寝ていた。日が車を焼いて暑苦しそうだった。娘がドアの陰で身繕いをしていた。テントの連中も起き出している。泳ぐことにした。

 波は波打ち際から二、三十メートルほどのところで崩れている。水の中を歩いていくと、だんだんに波の勢いが激しくなり後ろに投げかえされる。波の崩れる向こう側へ行かなければ泳ぎにくい。胸ぐらいの深さのところで立ち止まった。崩れた波がくる度にかがんで水の中に潜る。波が頭の上を通るときその影が水の中を暗くした。波が崩れる場所は、岸に近づき、遠去かるということを短い周期で繰り返していた。岸に近くなったとき、泳ぎ出した。二度潜って波の下を抜けると、波の崩れる場所の外だった。うねりが僕を持ち上げた。ここはもう外海に続いている海面だ。陸から離れ、誰にも知られず、一人漂っている。

 沖へ出るのは不安だったのでじっとしていた。波の崩れる場所が沖側へ戻ってきた。うねりの先がとがり、白い泡がちらつく。あわてて岸へ戻ろうとした。崩れかけた波を潜ってやり過ごした。振り返ると高く盛り上がった水の壁がせまってきた。白い泡が広がり滝のように倒れ込んできた。潜ったが、強い圧力にたたきつけられ水の中で回転した。ようやく水面に出るとまた波が崩れ落ちてきた。水を飲んでしまい、動転しながら必死で泳いだ。ちらっと死のことを考えた。何度か波にいたぶられて、ようやく足の立つところまでたどり着いた。波が背中をどやしつけるにまかせて、浜まで歩いた。せきをし、鼻をかんだ。

 浜にすわり、海を眺めた。海に入る人数は増えていた。波が崩れた後の浅いところで遊んでいる。立って波を待ち受け、波が通る度に歓声をあげている。Tシャツを着、タオルを首にかけて高台の食堂へ行った。温度は上がっていた。水で痛めつけられた感覚が風景を遠去ける。日ざしの中をゆっくりと歩いた。

 食堂で窓から浜を見下ろしながら、トーストと紅茶を味わった。浜に青年たちを乗せた二台のジープが入ってきた。彼等は波打ち際を走った。浜の中央でUターンして戻り、浜で休んでいる人々の間を走り抜けた。そんなことを繰り返した。水の中に入った一台が動かなくなった。僕は意地悪い気持ちで見ていたが、もう一台が押すと簡単に点火した。彼等は浜辺の往復に飽きるとジープをとめて、泳ぐでもなくたむろしている。

 しばらくして僕は浜を離れた。

 帰りは松山を回って帰るつもりだった。中村まで戻り、宿毛へ抜ける。宿毛から北上した。時々海が見えた。宇和島で街を歩いた。高校を卒業する頃に四国を旅行し、宇和島城を見物したことがある。小高い丘の上に小さな天守閣だけが残っていて、満開の桜の下では花見の宴が二つ三つ、そういう思い出につられて歩いてみたのだが、どこにでもある駅前の商店街だった。

 道後で風呂に入った。利用料の安い一階で湯上がりの茶を立ったまま飲む。扇風機の風が心地よい。突然鼻腔の奥に潮を感じた。海水が残っていたのだろうか。一瞬だったが、僕は去ってきた海を実在化させた。

 松山から11号線で高松へ向かう。二年前の旅行のときはこの道を逆に走った。春浅い頃で石槌山には雪が残っていた。丸亀の街では植木市が開かれ、街路樹の柳の枝が刈られてあった。根元にかためられた枝の一本を取り上げて振り回した。ひゅうとしなる柳のムチ。そんなことを思い出した。

 高松に着いたときは遅く、祭りは既に終わっていた。

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