井本喬作品集

K2法

 ローが私たちを訪ねて来たとき、カトーは相変わらず瞑想の最中であり、私は机の下の捜索をしていた。

「突然お邪魔して申し訳ありません」

「やあ、ロー。君は目がいいだろう。どこかに電子クリップが落ちていないか見てくれないか」

「左の奥の机の脚の後にあります。アポイントを取らなかったのは、ここへ来ることを知られたくなかったからです」

「誰に」カトーが目をつぶったまま言った。

「特定の誰かというわけではないのですが。あえて言えば上層部でしょうか」

 ロボにしては歯切れが悪い言い様だが、彼らにも処理しきれないものがあるのだろう。カトーは目を開け、ゆっくりと立ち上がった。

「内緒で来た用事とは何だ。一緒に一杯飲もうとでもいうのなら歓迎する」

「あなた方の助力を得たいのです」

「正式な要請なしで。驚いたな、ロボがそういうことをするとは」

「私の使命は事件を解決することです。そのためには低次のルールに違反することもします。そういう風に作られているのです」

 私は電子クリップを持ってはい出した。

「なぜ上層部に内緒にしなければならない」

「人間の刑事に頼る必要はないと上層部は判断していて、その方針を私は変えさせることができませんでした。この事件はあなた方の力を借りないと解決できない種類のものだと私は確信しています」

「君の一存で方針に違反した捜査をしろというのか。われわれがそんなことをすると君の頭脳が判断したのなら、修理した方がいい」

 ローはしばらく黙っていた。そういう間を作ることが人間との対話では必要だとプログラムされているのだ。

「あなた方が探偵として単なる職業以上の意識を持たれているならこの事件には興味を持つはずです。私はあなた方がそうであると思っているのですが」

 私はカトーの方を見て苦笑した。ロボにお世辞を言われるとは。ところがカトーは満更でもなかったらしい。

「おだてたって駄目だ。だが、せっかく来たのだから話だけは聞いてもいい」

 ローが人間ならにやりとしたことだろう。そこまで妥協させれば事は成ったも同然だ。私はカトーに異議は差し挟まなかった。私自身もローの持ち込んで来た事件に興味があった。私たちを釣り上げるのは簡単なことだ。そもそもその目算があったからこそローは来たのだ。ローは本題を切り出した。

「キジホンのことはもちろんご存知ですね」

 むろん私たちは知っていた。ギジホンとは擬似スマートホンのことだ。スマートホンが使えなくなったので、その代わりに開発された商品だ。

「小型携帯機器禁止法」、いわゆるK2(ケーツー)法が施行されてからもう数年たつ。様々な弊害が無視できないとしてスマホが禁止され、その代わりとして6歳以上の全国民にタブレットが配布された。タブレットは持ち歩くには大きすぎ、重すぎる。さらに、公共の場所や飲食店などでのタブレットの使用が、他人に迷惑をかけるという名目で禁止された。いつでもどこでも情報に接することができる利便さは失われた。多くの人々がタブレットを持ち歩くのを諦めた。同時に、匿名性、自発的グループ形成、転載や拡散の自由などが次々に排除されていった。誰でもが情報を発信できるネット上の自由は失われた。

 ネット上でマスメディアの情報は得られ、また、ネット取引も可能で、ゲームや映像は商業ベースで配信されている。が、それらは受け手としての機能でしかない。個人的な意見表明は、講演会などの対面か、出版物でしか可能ではなくなった。それができるのは限られた少数者である。時代が逆戻りしたのだ。

 その結果、ネットは政府が個人を管理するためのシステムに成り下がった。個人認証が組み込まれたタブレットを使用しなければ行政サービスは受けられない。当然、タブレットを使った行為は全て記録され、把握されている。

 ネット世界を失った人々は離脱症状に陥り、そこで新しいサービスが登場した。搭載したAIが疑似ネット世界を作って、そこでのやり取りでネット体験を代替させる携帯機器である。それが通称ギジホンである。

 ローは続けた。

「最近、新しいタイプのギジホンがはやり出しているのです。私たちはそれがK2法に違反しているのではないかと疑っています」

 カトーが口をはさんだ。

「ギジホンは単なるおもちゃにすぎないだろう」

「今までのギジホンはそうです。単に機器のAIが応答するだけで、通信ができるようにはなっていません。だからこそ販売が認められています。しかし、新型のギジホンは通信ができるようなのです。だから、価格が非常に高いにもかかわらず売買されている」

「それは初耳だ。証拠を押さえたのか」

「いいえ。私たちが手に入れたギジホンでは通信を再現できませんでした」

「それじゃあ話にならない」

 むろん、話にならないからこそ、ローは私たちのもとへ来たのだ。ちゃんとした証拠があるなら自分たちだけでとっくに解決しているはずだ。ローは衣服のポケットから何かを出した。

「できる限りの分析はしてみました。私有物ですから破壊するわけにはいきませんでしたが」

 それは携帯機器としては大きかった。まるで何十年も前の旧式なスマートホンのようだった。大き過ぎて手首にはつけられないのか、四角い形をしていた。カトーはローからケータイを受け取った。

「これは骨董品なのか」

「違います。形は昔のタイプに似せていますが、作られたのは最近です」

「カバーがついているな」

「以前のスマホは壊れやすかったですからね。保護のために必要だったのです」

 カトーはギジホンをいじくりまわした。

「使えるのか」

「普通のスマホと同じように声に反応します」

 カトーは手に持ったギジホンに向けて声を出した。

「ハロー」

「電源を入れなければ駄目です」

 ローが注意した。カトーは悪態をつきながらケータイをいじりまわした。今どきオンオフをマニュアルでする機器など扱ったことがないので、ローが手順を教えなければならなかった。

 もう一度カトーが呼びかけると、疑似ケータイは女性の声で「はい」と答えた。

「これがデフォルトの反応です。普通のスマホと同じように、機器のAIが入力された音声を分析して返答しているのです」

 カトーは続けた。

「オレを認識できるか」

「いいえ」

「オレの指示には従えるか」

「今のモードでは、条件付きで可能です」

 カトーは少し考えていたが、私にスマートホンを渡した。

「少し熱くなっているみたいだ」

 ローが説明した。

「回路が雑なのか、電源を入れると発熱するのです。でも温度はそれ以上あがりません」

 私はスマートホンを調べた。長方形の薄い板のようになっていて、片面がディスプレイのパネルになっている。私は電源を切った。

「これをどこから手に入れた」

「ある事件の証拠品です」

「持ち出すのに許可を得ているのか」

「許可は得られないでしょう」

「ヤバいな」

「私たちが手に入れることができた唯一の新型ギジホンです。ギジホンの携行だけでは犯罪にはならないので押収することができないのです」

「買えばいいじゃないか」

「このギジホンを手に入れるのは難しいのです。極端に管理された顧客システムによって買い手を選ぶようです。もちろん行政機関には売ってくれません」

「個人的に手に入れればいい。それぐらいの予算はあるだろう」

「ロボには売りません。手に入れていただくとありがたいのですが」

 私はギジホンをローに返した。

「他のギジホンと違うところがあるのか」

 ローはしばらく間をあけた。彼らが発言に迷うということはないのだろうが、こういう間をあけられると何かあたかも重大な決断を必要としたみたいに思わせられる。嫌味なプログラムだ。

「この新型の評判がひそかに広がっているのです。本当に通信ができるというのです」

 カトーがすかさず口をはさんだ。

「ギジホンはそういう幻想をもたらすことをウリにしているんだ。幻想が事実だと信じ込む馬鹿はいるだろうよ」

「そもそもギジホンが需要されること自体が私たちには理解できないのですが。ネット世界に近いものを形成できるとしても、それが本物でないことは分かっているはずでしょう」

 今度は私が答えた。

「それが人間なのさ。ギジホンの中に自分で作り上げたキャラを実在の人物と区別できなくなる。君らには永遠の謎だろうが」

 ローは私を見つめた。彼らの目は人間そっくりだがやはり不気味な感じがする。

「私たちは新型ギジホンの持ち主が本当に通信しているのではないかと疑っています」

 ローは語彙に迷ったようにそこで言葉を切った。私は彼が何を言いたいか察しようとは思わなかった。彼らの方が語彙が豊富なのは分かり切っている。

「彼らのこだわり方がすごく切実なのです。幻想だとしたら非常に強力なものでしょう」

 そんなことがお前等に分かるのかと言いかけて、やめた。血圧や心拍数や脳神経の活動状況を把握することができる彼らの方が、人間の感情に関してもエキスパートなのだから。

「私たちはこう考えました。新型ギジホンには何かがプラスされているのではないか。その何かは、電波のような物理的な媒体ではなく、私たちの知ることのできない、人間のある種の能力ではないか」

「テレパシーを考えているのか」

「そういったものです」

「不可能犯罪か。でも、そうだとしたら君らの管轄外だ。厳密にいえば、K2法違反には当たらないだろう」

「K2法違反というだけではなく、この新型ギジホンの秘密に絡んで何かの犯罪が起こるか、あるいはもう起こっているのではないかと私たちは判断しています。それを突き止めたいのです」

「こんなことが知れたら、君はクビだぞ」

「そうですね。私たちが任務を解かれるときは廃棄されてしまいます。そうなる確率は高いです」

「君らには恐れというものがないのか」

「自己を保存することは私たちに備え付けられた機能のうちでも高い次元のものです。でも、それよりも上位の機能があります」

「人間を助けることか」

「そうです」

「われわれが協力しなければどうする」

「人間の協力はどうしても必要ですから、他を当たります。このことを内密にしてはいただけるでしょうね」

 私はカトーを見た。

「どうする」

「ロボでさえこんな危険をおかしているのだ。やらないでどうする」

「よし、やってみよう」

「ありがとうございます」

「君たちの得た情報を教えてくれたまえ。それと、そのギジホンをしばらく借りられるかな」

 ローはギジホンを差し出した。それを受取りながら私はローに言った。

「もちろん、われわれが引き受けることは分っていたのだろう」

「そうですね。でも私が当てにしたのは予想ではなく信頼です」

「電波をあやつれる超能力者なんて聞いたことはないわ」

 超能力犯罪局を訪ねた私たちにルリコは言った。

「第一、そういう者がいたとして、なぜ他人の通信の手助けをするの。通信会社を運営して金儲けをしようとでも」

「そういうことも考えられはしないか」

「あるいはね。超能力者が私たちの支配から逃れて自立しようとすれば、経済的基盤が必要になる。けれども、そういう組織を作るためにはかなりの数の超能力者が必要でしょう。何千人もの顧客の通信を媒介しなければならない。一人のそういう超能力者がいて、何人ぐらいの顧客の対応ができるかしら。顧客が常に接続しているとは限らないけれども、顧客のリクエストに応えるのは一人や二人では無理でしょう」

「通信の内容まで関与しなくても、電波を発生させる場を作るだけで済むのではないかな」

「どのくらいの面積をカバーするというの。そのギジホンの使用は限られた地域に集中してるわけ?」

「そうではなさそうだが」

「ではネットワークが必要なのね。超能力者のネットワーク。そういうものが可能なら、私たちはとっくに超能力者に支配されてしまっているわ」

「このギジホンに超能力者が関わっている可能性はないと言うのか」

「少なくとも、私たちが知る限りでは」

「君たちの知らないこともあるだろう」

「あなたは私たちの力を見くびり過ぎている。私たちの部門は人類を守るための最大限の努力をしているのよ。私たちがしくじれば、人類は超能力者の奴隷になってしまう。どんなささいなことでも、こと超能力に関することを私たちは見逃さない。人類が平穏でいられるということは、私たちが成功していることのあかしよ」

「このギジホンは平穏さを乱しているようだが」

「それは私たちのせいではない。誰かその担当の者の怠慢よ」

「君が自分たちの仕事にケチをつけられていい気持ちがしないのは分る。だが、そういうセクト主義は抑えてくれないか。このギジホンはテレパシー能力を増幅する装置とも考えられる。普通人でも潜在的にそういう能力があるとすれば、そういう装置は可能だろうか」

「そうね、機械を補助にして超能力を高めようという研究はされているけど、今のところ成功はしていないわ」

 カトーが口をはさむ。

「君らの秘密主義からは、こういうことも考えられないか。このギジホンは自覚していない超能力者を見つけだす装置であって、あれを使って通信できれば超能力者だと分る。つまり、このギジホンは君らの組織のリクルートの一つだということ」

「馬鹿なことを言わないで。ギジホンを使っている人間を私たちの調査の対象にした実績などないわ」

 私はカトーから会話を引き取った。

「このギジホンを超能力者に使わしたことがあるかい」

「たぶん、ないわ」

 カトーがポケットからギジホンを出してルリコに渡した。

「これさ」

 ルリコはめずらしそうにギジホンをいじくった。

「これを君のところの超能力者に使わしてみてくれないか」

「いいわよ。しばらく貸してもらえるのね」

「それは駄目だ。いまここで使わせてみてくれ」

「では無理ね。超能力者を普通人に接触させることはできない」

「分っている。それを承知で頼むのだ。超能力を見せてもらおうというのではない。ただこのギジホンが使えるかどうかだけ確認したいのだ」

 ルリコは考えた。

「やっぱり無理ね。そういうことは管理された環境下で行なわれなければ。あなたたちは超能力者の危険性がよく分かっていない」

「それでは仕方ないな」

 カトーはルリコからギジホンを取り返した。ルリコはそれではこれで話はおしまいねと問いかけるような表情をした。私は会話を長引かすために話題を変えた。

「前から疑問に思っていたのだけれど、超能力者はスマホを使うのかい」

「K2法ではそのことを取り上げていないけれど、それ以前からスマホの使用は超能力者には禁じられていた」

「超能力者にはスマホなんか必要ないだろう」

「テレパシーを使える超能力者でも、スマホは便利なのよ。普通の相手と通信できるでしょう」

「スマホを使えば超能力を補強できるわけか。相手の考えていることもスマホで分かるのかい」

「それは無理なようね。実験はしたはずだわ」

「スマホはある種の超能力者を失業させてしまったことにならないかい」

「そうね、ある意味でスマホは超能力を与えられたと同じ効果を普通の人間に及ぼしたことになる。超能力に対するのと同じ警戒をスマホにも持つのは当然ね。スマホがどう使われたかは超能力研究の参考になったわ。スマホの情報伝達能力を使えばいろいろなことが出来た。でも、社会の効率が上がったということの確証はないようね。むしろ、スマホが社会にもたらした質的な変化は、犯罪と情緒的な伝達への固執だった。それは超能力と同じ傾向を示していた。超能力が犯罪に使われやすいことは分かっていた。意外だったのは、超能力が超能力者自身をとりこにしてしまったこと。スマホでの現象は一部の超能力者の態度とそっくり同じだった。彼等はテレパシーで相手とつながることだけで満足し、場合によってはそれだけを求め、それに依存してしまう。人間というのは、分に過ぎた能力を持つと、とんでもない使い方をしてしまうということよ。赤ん坊に鉄砲を持たせるようなものね」

「K2法についてどう思う」

「K2法というのは、超能力者管理のようなものかも。便利ではあるけれど一面危険な道具の使用を制限させている。社会のために使われればいいのだけれど、個人的な関心に捕われて使われると困るから」

「ギジホンについてはどうだい」

「自分が超能力者であるという妄想をもつ人間は結構いる。ギジホンも、かつてのスマホに対する憧れを満たしているのかもしれない。たとえそれが単なるお飾りであってもね」

「このギジホンがこんなレトロな形をしているのは、そのせいと言うのかい」

「どうかしら。私はそんなもの欲しいとは思わないから、分からない。お役に立てなくてごめんなさい」

 これ以上ルリコを引き止めることは無理なようだった。私たちはルリコを解放した。

 時間犯罪局のタニザキ氏はわれわれを歓迎してくれた。

「お久しぶりですね。また何か事件ですか」

「この前はお世話になりました。今度もご協力していただけるとありがたいのですが」

「いいですよ、私にできることがあるなら」

「ギジホンのことを調べているのですが」

 タニザキ氏は不審そうに問うた。

「ギジホンのことをなぜあなた方が調べるのですか。あなた方の担当ではなさそうですが」

「犯罪のあるところ、私たちの行かざる所はないのです」カトーが答えた。「ギジホンがからんだ事件を調べているのです」

「そうですか。何が知りたいのですか。もっとも、ギジホンについて私の知っていることはわずかですが」

「実は、ある種のギジホンが特殊な技術を使っているようなのです。時間犯罪がからんでいるのではないかとも思われるのですが」

「この前にもお教えしたように、それが時間犯罪であるなら、もう解決されているのです。私のところへ聞きにくること自体が無駄なことなのです」

「でも、前はそうではなかった」

「あれは特殊な事例です」

「このギジホンもそうかもしれません」

 私たちは新型ギジホンについてのあらましをタニザキ氏に説明した。私たちの話を聞くとタニザキ氏の表面的な愛想のよさははがれ落ちてしまった。

「そもそも、そのギジホンを時間犯罪に関連付けようとするのはなぜですか。それがレトロ風だから過去からもたらされたのに違いない、あるいは、それの機能が理解できないのは未来のものだからだ、そんな風に考えられているようですね。自分たちが解決できないからといって何でもかんでも時間犯罪と結び付けるのは安易過ぎやしませんか」

「こういうことは考えられませんか。このギジホンがもし過去のものであったら、通信に使われる電波は過去の次元を経由しているのではないか。だからわれわれには捕捉できない」

「電波が過去にタイムトラベルするなんて話は聞いたことがありませんね」

「未来でもいい。未来にそんな技術が開発されるのかもしれない」

「そうだとしたら、タイムパトロールがとっくに摘発しているはずです」

「タイムパトロールはそれを犯罪とみなしていないのでは。形のないもののタイムトラベルを規制することはできないことになっているとしたら」

「そんなことはあり得ない。もし過去や未来と通信できるなら、簡単に歴史の改変が可能でしょう。タイムパトロールがそんなものを容認するはずがない」

「こうだとしたらどうでしょうか。電波は過去ないし未来を経由するが、つなぐのは現在だけである。だとしたら、歴史への干渉にはならない」

「そういうことを可能にする技術が持ち込まれたのであれば、歴史への干渉になる」

「そういう技術がこの世界で発明されたのであればどうですか」

 谷崎氏は笑い出した。

「もしそうなら、タイムパトロールには何の関係もない。あなた方がここへ来る必要はないわけだ」

 私たちは黙り込んでしまった。時間犯罪であれば解決は簡単だと思ったのだが。しかし、そうであれば既に誰かが手を打っているはずだし、われわれが乗り出す余地などなくなっているだろう。カトーは食い下がった。

「この新型ギジホンについて、タイムパトロールに問い合わせてみてくれませんか」

「そのギジホンが時間犯罪に関わっているという証拠がない限り、そんなことはできません。何度もご説明していますが、問い合わせるという行為自体が歴史の改変になるのですから、慎重にしなければなりません」

「でも、歴史の改変の阻止に関しては、かなりいいかげんであることを私たちは知っていますよ」

「あなたたちはそう推測されましたね。でも、私どもはそれを認めているわけではありませんから」

 カトーはタニザキ氏の返答にイライラしているようだ。何か痛烈なことを言いたいような顔付きをしている。私は話題を変えてみた。

「この新型ギジホンのことをどうお考えになりますか」

「私の意見をお聞きになりたいのですか。よく知らないので、いいかげんなことは言いたくないのですが」

「何でもかまいません。時間犯罪に長年関わってこられた経験からお考えいただければ、何か捜査のヒントになるかもしれません」

「そうですね、そのギジホンが何らかの方法で通信できるようになっているのであれば、電波ではなく何かそれに代わるような手段を使っているのではないでしょうか」

「どんな手段でしょう」

「検討がつきませんが、思いつくものとしては振動とか、においとか、熱などでしょうか」

「地面や空気を媒体とするのですか。それだと伝達に時間がかかるでしょうね」

「何か革新的な技術が使われているのかもしれません」

「そういうものが未来には実現しているのですか」

「誘導尋問ですね。何度も言っていますが、私は未来に関する情報などもっていませんよ」

「失礼しました。そんなつもりではなかったのですが。でも、もしあなたの言うような技術が既に発明されているとしたら、なぜ公にされないのでしょう」

「K2法に違反するので使えないからじゃないですか。だから秘密にされている。あるいはそういう技術の原理は既に専門家には知られているのかもしれません。電波による通信よりコスト高で実現していなかったのだけれど、K2法で電波が制限されてしまったので、代替として開発が可能になったというふうにも考えられます」

「なるほど。公になればK2法の対象になるので闇商売をしているというわけですね。しかし、その技術で通信網を構築するとなればかなりの投資が必要になるでしょう。それだけの投資を回収できるものでしょうか」

「そのギジホンがどれだけ売れるかにかかっていますね」

「それとK2法の行方ですね。もしK2法が廃止されたり緩和されたりすれば、こんな商売はいっぺんでつぶれてしまう。そういうリスクを避けるためにはK2法の未来に関する情報がほしいのではないでしょうか」

「時間犯罪の可能性があるとおっしゃるのですか。でも、今までの会話は仮定の話です。現に、そのギジホンでは通信が再現できないのでしょう」

「何か操作の秘密があって、それが分かっていないだけだと思います。情報を売買する時間犯罪は多いはずですね」

「未来の情報はビジネスチャンスを生みますからね。しかし、そういうチャンネルは我々の方からは不可能だ。未来の連中にいいようにされるだけですよ」

「時間詐欺ですか」

「ノーコメントにしておきましょう。もう喋り過ぎています」

「もう一つだけご意見をうかがわせて下さい。K2法をどう思われますか」

「それが捜査の役にたつのですか」

「何が役に立つかは後になってみないと分からないのです」

「では、私の意見を申しましょう。K2法による私的な通信の制限が不当とは思いません。私的な通信ができなくなったことで私はいささかも不便を感じていません。私的な通信が多くの犯罪とか怠惰とか規律違反をもたらしたのだから、禁止されるのは当然だったでしょう」

 私はカトーを見た。カトーはもういいという顔付きをした。

「ありがとうございました。また何かありましたらご助力をお願いすることになると思いますが」

「いつでも喜んで協力いたしますよ」

 私たちは時間犯罪局の建物を出てソーサー置き場に来た。カトーが空を見上げて言った。

「雨が降りそうだ」

「予報は知らせていてくれたよ」

「やれやれ、ソーサーの雨よけは信頼できないなあ。これだけ科学技術が発達しているのに、傘やカッパと大して変わらぬ代物で雨を防がねばならないとはね」

「雨宿りをしていくか」

「いや、こんなところにいたくはない。濡れてもいいから引き上げよう」

「今日はこれまでだな。今から事務所に帰る必要はなさそうだ」

「直帰にするか。このギジホンは俺が預かっておくよ」

「では、明日」

 翌日、今後どうするかを決めるために、ローを私たちの事務所に呼び出した。カトーは体調が悪そうだった。

「大丈夫か」

「昨日の雨に濡れて、風邪気味なんだ」

「風邪か。いまだに効果的な薬はないからな。今日は休んだらどうだ」

「そうだな。もうしばらく様子を見てみるよ」

 ローが来たので三人で話し合った。とはいえカトーが元気ないので、もっぱらローと私の話し合いになった。

「というわけで、このギジホンがK2法違反に当たるとは考えられない。むしろ、すごく巧妙に作られたギジホンなんだろう。本当に通信できているように錯覚させるほどのプログラムが仕組まれていて、そのノウハウを守るために秘密主義的な販売をしているのかもしれない」

「特許については、めぼしい情報はなかったですが」

「特許では守るのが難しいのかもしれない」

「では、われわれの見込み違いでしょうか。単なるギジホンに購入者がこれほどの出費をかけるのは不可解なのですが」

「人間とはそういうところがあるのさ。君らには理解しにくいのかもしれないが。第一、これで通信ができるとしたら、相手もこれと同じものを持っていなくてはならない。その障壁を乗り越えないと普及しないはずだ」

「では、調査はこれまでということですね」

「新たな情報が出てこない限り」

 ローはすわっていた椅子から立ち上がった。彼が納得したのかどうか、不満があるのかどうか、顔つきからはわからない。彼らは私たちを傷つけないように表情をコントロールできるから。

「分かりました。ご協力ありがとうございました。ここまで努力していただいて感謝しています」

「ご期待にこたえられなくて残念だが」

「いいえ、そんなことはありません。われわれの疑念が解消されればいいのですから」

 私は立ち上がってローと握手をした。カトーはすわったままだった。ローはそんなことは全然気にしていないといった口ぶりで言った。

「お預けしたギジホンをお返し下さいませんか。あれは証拠品なので」

「そうだった。カトー、返せよ」

 カトーはのろのろとポケットからギジホンを出した。しかし、ローには渡さず、手に持ったままだった。

「これは単なるギジホンじゃない」

 私は驚いた。こいつ何を言っているのだ。

「もう少し調査をする必要がある」

 ローは私を見た。二人の間に見解の相違があって、調整できていないのかと問いかけるまなざしだった。ロボの前で取り繕うようなことをさせるカトーに腹が立った。

「君の考えはそうなのか。よく打ち合わせができていなかったな。昨日は意見が一致していたと思ったんだが」

 ローは礼儀正しかった。

「お二人で話し合う必要がおありのようですね。また連絡していただけますか。それはそれとして、そのギジホンは訴追に必要なのでお返し願いたいのですが」

 カトーはローの言葉を無視して言った。

「こいつはほんとにネットにつながるんだ」

 私はカトーの異常さに気づいた。ローにすわるように手で合図し、私もすわった。

「君はそれでやってみたのか」

 カトーはうなずいた。

「何でそれを言わなかった。まあ、いい。じゃあ、やってみてくれるか」

「昨日はできたんだ。でも、いまはできない」

「なぜだ」

「偶然だったんだ。どうやったか分からない。そのあといくら試しても二度とつながらない」

 私はローに言った。

「このギジホンはいますぐ必要なのか」

「そうです」

「もう一度借りられるかな」

「難しいですね。裁判が結審したら持ち主に返されますから」

 カトーが口をはさんだ。

「もうしばらくでいいから、預からしてくれ。きっとつながるはずだ」

 私はローが何か言いかけるのを制した。

「カトー、君はそいつでネット世界に入ったというんだな」

「そうだ。あれは作りものじゃない。本当にみなにつながるんだ」

 私は迷った。カトーの言うことをどこまで信じていいものか。

「君は昨日雨に濡れて風邪を引いたので熱が出た」

「幻覚じゃない。こいつを濡らしてしまったんで、異常はないかと操作してみたんだ。そしたら、つながった」

 私たちは真相に近づいているのだろうか。何かが足りない。何かを見逃している。何だろう。カトーの風邪。風邪薬だろうか。違う。風邪の原因。雨。そうか、雨だ。私はカトーからギジホンを取り上げた。

「ロー、これを水につけるんだ。水につけたとき、これがどう作用するか。電磁的だけではなく、化学的な反応も調べるんだ」

 ローは静かに答えた。

「このギジホンの材質は調べています。水との反応については報告がないですが、何かがあれば分かったはずです」

 ロボに抜け目はないな。いいアイデアと思ったんだが。私は手に取ったギジホンをしげしげと見た。レトロなギジホン。カバーまでついている。カバー‥‥。

「そうか。カバーだ。ロー、カバーは調べたのか」

「カバーの詳しい調査はしていません」

「じゃあ、調べてくれ。これを水につけて、化学反応を見るんだ」

 ローたちは新型ギジホンの犯罪性をあばいた。あのギジホンのカバーの材質には合成麻薬が含まれていて、水と熱を加えると気化するのだ。水をかけると表面のピンホールから材質の中に入り込み、発熱したギジホンが反応を促す。麻薬自体は従来からあるもので、鼻孔の粘膜から吸収されて脳へ作用する。麻薬の効果は短期間に失われるからギジホンのカバーは頻繁に更新されねばならなかった。それが犯罪者たちの商売になったのだ。

 今度の事件が特殊だったのは、通信という幻覚に誘い込む手法だった。K2法違反という疑惑にわざと注目させて、本来の麻薬の作用を隠そうとしたのだ。しかも、K2法違反についてはいくら追求しても確証は得られない。

 手柄はローたちのものだった。私たちが果たした役割は秘密にされなければならない。そのことにローが後ろめたさを感じているのかは分からない。それはどうでもいいことだ。私たちはローに貸しを作った。いつか返してくれればいい。こういう貸借についてローは理解を示した。

「義理、というのですか」

 ローは古い概念を持ちだした。

「それであなた方が満足されるのなら、私たちは喜んでそれを負いましょう」

 ローと私は公園のベンチにすわっていた。私たちはカトーに内緒で会っていた。

「君たちに報償でも支払われたのなら、そのお相伴に与るところなのだが」

 私の冗談がローに通じたか。それとも本気に取ったのか。ローは賢明にも直接は答えず、別のことを話し出した。

「人間たちは何であのギジホンに熱中したのでしょう。本質的な機能は普通のギジホンと変わりはないように思えるのですが」

「そうだな。かつてのスマホにしてもギジホンにしても、他人と結びつきたいという私たちの欲望を満たしてくれる点では変わりない。相手が人間かAIかの違いだけだ。だが、いかに人間に似せていても、相手がAIと分かっていると、物足りなくなってすぐに飽きてしまう。ギジホンがあまりはやらないのはそのせいだ。新型ギジホンは薬物の作用で実在の相手と通信していると思わせることができた。それで皆がはまってしまったのだろう」

「でも、薬物の作用であることは分かっていたのでしょう」

「そう。だが、それによって与えられた体験は事実だからね」

「その体験は、現実の体験よりも貴重なのですか」

「君たちに分かるかな。人間というのは幻想を抱く」

「仮定の状態を想定することでしょう。過去の異なった状況のシミュレーションや、未来の予測といった」

「少し違う。人間はそういう想定に喜びを見いだすのだ」

「期待値が大きいということですか」

「期待値というのではないな。想定の実現可能性ではなく、想定そのものを体験することが重要なのだ。仮想体験といえばいいかな。芸術はその洗練された形だ。君らには芸術を鑑賞する気持ちは分かるまい」

「人間がどのようなものを美とみなすかはある程度予想できますが」

「美というのは対象の属性ではない。それがもたらすものなのだ。美というのは喜びなんだ。人間というのは喜びを求められずにはいられない」

 ローは私の言ったことを理解したのかどうか。たとえ理解できなくても聞き返すべきではない場合があるということは、彼らにはプログラミングされている。彼らは礼儀正しいのだ。

「ロー、君に聞きたいことがある」

「何でしょうか」

「君が新型ギジホンをオレたちのところへ持ち込んできたのは、目算があってのことだろう」

「目算といいますと」

「あの新型ギジホンは人間の弱点を突くものだった。それはロボには経験できないから分からない。オレたちならその弱点にはまるかもしれないと予測したのだろう。もちろん、確信というほどの確率の高さはないだろうが、やってみる価値があると判断した。そうじゃないかな。怒っているのではないよ。もしそうだとしたら、刑事としての君の勘をほめてあげようと思ってね」

 ローは礼儀正しく、そして誠実に答えた。

「さあ、どうでしょうか」

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