井本喬作品集

沼田

 沼田という地名を知ったのは尾瀬からの帰りだった。新幹線に乗るために大清水からバスで上毛高原駅へ行ったのだが、駅の手前で沼田を通った。こんな遠いところへは二度と来ることはないだろうという感慨を持って、私はバスの窓から街並を見ていた。ところが、それから五年のうちに二回も沼田に来ることになった。いずれも通り過ぎただけで、街にとどまることはなかったのだけれども、奇妙な縁だった。

 そのころ私はある福祉施設に勤めていた。施設は毎年各地で開催される業界(福祉にもそれはある)の全国大会に何人かの職員を参加させていた。そういう機会には、職員は会議後に休暇を取って、開催地の近傍を観光することが多かった。たまたま、そのときは関東方面での開催が多かった。

 福島県飯坂温泉の会議(1987年7月)のときは、終ってから参加者のうちの何人かで旅行しようということになり、手配をまかされた私は、尾瀬に寄る自分だけの行程を付け加えられるようにして、レンタカーで磐梯から日光を回って東京で乗り捨てるという強引な計画を立てた。

 7月24日の午過ぎに福島で借りたバンに男4人女2人が乗り、裏磐梯を観光してその日は鹿沼のホテルで泊った。翌日、日光を見物する皆と別れ(彼等はその後東京まで車で行く)、JR日光駅からバスに乗った。湯元でバスを乗り換え、金精峠を越え、蒲田でまたバスを乗り換え、大清水へ。その日は見晴十字路の山小屋に泊った。26日、尾瀬ヶ原を一周して大清水へ戻り、バスで上毛高原駅に向かったのである。

 日光から沼田へ至る道の風景は飽きることがなかった。金精峠を沼田方面に下ったところに丸沼がある。バスから見ただけなのだが、丸沼の景色は素晴しく、湖畔に一軒だけあるホテルにいつか泊ってみたいと思った。

 三年後(1990年)の11月、栃木県鬼怒川温泉で会議があり、男4人で大阪から車で行った。沼田ICから鬼怒川温泉に向かう途中、丸沼に寄ってみた。丸沼温泉は11月3日で閉まり、冬期は休館。3人の釣り人が胸まである防水具姿のまま、組み立てたテーブルでコーヒーを飲んでいた。釣り人たちは腰まで水に入って釣りをしている。周りの山々は紅葉が終わってしまっているのか裸木と常緑樹しかない。その寂しい景色も丸沼の魅力を減じたりはしていない。こういう場所があり、そしてそれを知ったということで、幸せな気持ちになる。

 さらに二年後(1992年)の7月、新潟県湯沢温泉で会議があり、2台の車に女3人、男5人分乗して出かけた。午前中に会議の終わった7月3日、湯沢ICから関越道に乗り、軽井沢方面へ行くために沼田ICで降りた。三度目の沼田だ。

 沼田というのは交通の要衝らしい、東には日光に通じ、西は国道145号線で信州方面に繋がり、南北にJR上越線、上越新幹線、上越自動車道が走っている。だからこそ、単なる通過地にもなってしまうのだろう。

 沼田にはその後は行っていない。もしまた行くことがあったなら、どんな街か歩いてみたい。

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