井本喬作品集

投入堂

 投入堂を知ったのは、朝日新聞の日曜版の特集記事か、NHKテレビの特集番組か、どちらが先かは忘れてしまったが、とにかくそれらの紹介によってだった。テレビでは有名な建築家のA氏が現地で解説し、特別に立入禁止の堂の中まで登っていた。A氏の設計については私はあまり感心していないのだが(ただし、氏の設計した建築物を実際に見たのはわずか二カ所でしかない)、彼の解説はともかく、投入堂の建てられた位置の奇妙さと、そこへ行き着くまでの道の峻厳さに、興味を覚えた。

 けれども、それだけのためにあえて行く気にならぬまま、投入堂がどこにあるのかは忘れてしまっていた。2003年に、たまたま倉吉に行ったときに案内表示を見て、近くに投入堂があることを知った。それは2月11日のこと、Mと二人でスキーに蒜山へ行ったのだが、その日は雨で観光に切り替えた。三朝温泉を通って、投入堂のある三徳山三仏寺に行ってみる。谷底の川沿いの道路から急な石段が山腹に登っていて、それが寺の入口だった。冷たい雨に濡れていて滑りそうだし、上には雪もありそうだ。とうてい行けそうもない。そこから道路を少し奥へ行ったところに参拝所があり、下から投入堂が見えるはずなのだが、霧のため分からない。あきらめて引き返した。

 その年の11月に再び蒜山に行き、投入堂を訪ねることにした。2月に近くまで行って引き返したことがずっと気になっていたのだ。今度もMと一緒だった。前回は蒜山の国民休暇村に泊まったが、今回は鏡ヶ成の国民休暇村に泊まった。一日目(11月16日)は、まず但東町の安国禅寺に寄った。狭い裏庭の崖に一本のドウダンツツジが大きく茂っていて、座敷から見ると、鴨居と壁と床が紅葉の拡がりを四角く切り取り、額縁のように中におさめている。次に、村岡町(現在は香美町)の瀞川平オーバーラントガルテンへ行った。窓口の人が、紅葉は終わっていて、と申し訳なさそうに言う。だが、少し色づいた葉がまだ残っていた。ここには樹齢千年といわれるカツラの木(和池のカツラ)があって、その根元を流れる小川の水は千年水として売られている。

 9号線で鳥取へ出、日本海沿岸を走り、赤碕から山に入って船上山に行った。大山には何度も来ているのに今までこちら側まで回ることはなかった。船上山は急斜面の草原の上に岩壁が突っ立っていて、なかなか豪快な風景だ。岩壁に雄滝、雌滝が細くかかっている。大山を左回りに半周して鏡ヶ成へ向かう。大山のブナ林は既に葉を落としていた。

 翌日は地蔵峠を通り、関金、倉吉、三朝を経由して、三徳山へ。朝方は曇っていたのが晴れてくる。階段を登りつめた三仏寺の本堂の裏の事務所で、投入堂への峯入りの手続きをすると白い輪袈裟を渡された。案内パンフレットには、道程約七百メートル、往復一時間から一時間半とある。Mは山登りの経験がほとんどない(ずっと以前、富士山に登ったことがあるらしい)。この程度の山道なら大丈夫だろうと歩き出すと、初っぱなが「かずら坂」の急登になっていた。土から出ている木の根を手がかり足がかりにして登らねばならない。ブナの葉が黄色くなっている。「くさり坂」を登ると岩の上に文殊堂があり、縁側の下が切れ落ちて高度感がある。地蔵堂、鐘楼堂を過ぎ、「馬の背・牛の背」という狭い岩稜を登ると、小さな納経堂があり、その横に、岩の窪みにおさまった観音堂がある。観音堂と背後の岩との間を通り抜け、水のしたたり落ちる下を過ぎ、小さな不動堂のある角を曲がると投入堂が見えた。

 思っていたより小ぶりに見える。巨大な岩壁が垂直に頭上に展開し、その裾が削られたような窪みになっていて、その中に引っかかったように投入堂がある。投入堂の下は岩の急斜面になっている。投入堂を支える長さのまちまちな柱がそこに据えられている。投入堂に登る危うい道があるが、立入禁止になっている。私たちは道の上の岩に座って、途中のコンビニで買った弁当を食べた。

 投入堂の向こう側の下方にもみじがあり、上部が紅葉し下部はまだ緑のまま残ったのがきれいだ。見上げる岩壁にはつる状の植物の黄色くなった葉が点在する。食事をしているすぐ傍にムラサキシキブの実がなっている。ムラサキシキブは来る途中にも見かけた。

 登るときに何組かとすれ違い、食事中も二組の人が来て帰って行った。今日は月曜日だが観光シーズンなのだろう。寒くなってきたので降りることにする。順調に下っていったが、鐘楼堂で登って来た老夫婦とすれ違うことになり、鐘楼の四本の柱の中を通った。鐘楼はごつごつした岩の上に建てられているので、足元を見ながら通り抜けねばならない。私が鐘楼を出たすぐあとに、ごんというかなり大きな音がした。振り返ると、私の後についてきていたMが、柱をつなぐ横木に頭をぶつけてうめいていた。帽子のひさしで視界がさえぎられ、しかも足元に注意を集中していたために、頭を下げてくぐらなければいけない横木に気がつかなかったのだ。

 幸い痛みだけですんだ。山慣れないMは足が弱り始めている。距離は短いが登山の覚悟のいる道だ。「かずら坂」ではMに足を置く位置を指示しながら下りた。「かずら坂」の下で、ストッキングにわらじをはいた二人の婦人のうちの一人が、上れそうにないから帰ろうと連れに言っていた。

 宝物殿に寄り、駐車場に戻る。車で遙拝所に行ってみる。前来たときには分からなかった投入堂がはっきり見えた。ここからだと、中空にある感じがいっそう強い。鹿野町を通り、湖山池の南岸を回って鳥取へ出て、29号線で山崎ICまで行き、中国道にのって帰った。

[ 一覧に戻る ]