井本喬作品集

愛知万博へ

 T君が、愛知万博の入場券を手に入れたので、一緒に行かないかと言ってきた。それまで万博には行く気は全くなかったのだが、久しぶりにT君と旅行するのも悪くないと思って承知した。日帰りはきついので一泊することにして、ついでに名古屋近辺のどこかを観光することにした。ちょうど行きたいところがあった。NHKテレビの番組で取り上げていた千本松堤を見てみたいと思っていたのだ。それと、三年ほど前、紅葉を見に、横倉寺、華厳寺、楓谷へ行き、ついでに足をのばして見物した美濃市の「うだつの街並」を、もう一度訪れてみたい。そのときは五時を過ぎていたので建物の中には入れず、じっくりとは見られなかったのだが、整然と整備された通りが印象的だった。

 出かけたのは2005年7月21日木曜日。名古屋へ行くのは名神高速道を使えば簡単だが、それでは面白くないので、名神を栗東ICで下りて、477号線で鈴鹿越えをした。何か変化のある風景を期待したのだが、何もなかった。途中で昼食をすませて、一号線の伊勢大橋で揖斐川を渡る。橋の半ばに千本松堤への道があったのを見逃してしまい、渡りきった左岸を北上する。船頭平河川公園というのがあったので寄ってみた。後でパンフレットを見て知ったのだが、この公園は国営木曽三川公園の一部で、この辺りから上流の川沿いに点々と施設が存在する。

 ここには明治時代に出来た船頭平閘門がある。閘門の傍にオランダ人技師のヨハネス・デ・レーケの像が立っているので、彼が閘門を作ったのかと早とちりしてしまうが、デ・レーケは洪水対策として三川分流工事を指導した人らしい。分流工事により水運が不便になってしまったので、水位の異なる木曽川と長良川をつなぐ閘門がこの地に作られた。公園は閘門から少し離れたところにあり、色や形が異なる多種の蓮の花が咲いていた。

 さらに道を進むと三つの川を横切る道路に突き当たる。右折すれば木曽川を渡る立田大橋、左折すれば長良川を渡る長良川大橋、その先に揖斐川を渡る油島大橋。長良川大橋と油島大橋の間に木曽三川公園センターがある。河川敷の駐車場に車を止めて道路を渡ると、公園の入口の向かいに治水神社があった。ここが千本松堤の起点らしい。

 千本松堤は宝暦治水によって作られた。幕府の命令で揖斐川と木曽川(長良川)の合流地点の築堤を命ぜられた薩摩藩が、苦労の末完成させた。幕府のあまりに過酷なやり方に憤った藩士五十数名が抗議の自害をしたが、幕府をはばかって病死として扱われなければならなかった。責任者の平田靱負は工事の完成後、藩士の死と借財の責任を取って自害した。治水神社は彼と薩摩藩士84名を祭っている。彼の像があるかと探してみたがここにはなかった。

 公園の入口には「水と緑の館」と展望タワーがある。建物の裏に庭園が広がっていた。いろいろな花が咲いている花壇にスプリンクラーで水をまいていた。復元された水屋(輪中の農家)の近くの小さな水路で、パンツひとつになった小さな子供たち(男女)が遊んでいた。傍の四阿風の休憩所に母親らしいヨーロッパ系の女性たちがいた。人影のまばらな園内をのんびり歩きながらT君が言った。

「ここも万博みたいですね」

 パンフレットによれば近くにアクアワールド水郷パークセンターがあるので、行ってみる。義呂池という大きな池に面した公園である。池を蓮の葉がおおっているが、花はそれほど多くない。オランダ風の風車が、モーター仕掛けで回るようになっている羽根を止めたまま立っている。運河によって岸から切り離されて島のようになった部分には、モデルハウスとして建てられたようなこぎれいな住宅が数軒あり、公園の施設として使われている。T君は言う。

「やっぱり万博やないですか」

 そこから北上して岐阜羽島ICから名神にのり美濃市を目指す。名神から分かれて東海北陸自動車道を北上してしばらくすると、右手に奇妙な塔が見える。以前から通る度に何だろうか思っていたのだが、これも国営木曽三川公園の施設の一つでツインタワー138というのだそうだ(一宮市にちなんで高さが138〈いちの・み・や〉メートルある)。塔のある辺りは138タワーパークという施設になっている。さらに進んだその先には、これも公園の施設の一つである河川環境楽園につながったSAがある。

 美濃ICでおりて美濃市の市街地へ向かい、重要伝統的建造物群保存地区の南にある駐車場に車を止める。寄り道が多すぎて、またしても五時を過ぎてしまった。家並みを外から見るしかない。期待しすぎていたのか、前回のときよりも印象が弱い。

 この前は行けなかった上有知(こうずち)川湊灯台に行ってみる。長良川の河畔に立っている江戸時代末期のこの灯台は住吉型というらしい。その下の川辺では中学生らしい女の子が二人、魚を捕って遊んでいた。対岸には泳いでいる人がいる。灯台の少し上流に美濃橋というつり橋があり、これは現存する最古の近代つり橋とのことである。

 川とは反対側の道脇に用水路が流れている。曽代(そだい)用水といって、寛永三年(1663年)に、喜田吉右衛門、林幽閑、柴山伊兵衛という三人の民間人によって開削が始められたが、難工事のため三人とも破産し、二人は逃げ出してしまい、残った柴山伊兵衛も貧窮のうちに死んだらしい。何の変哲もなさそうな溝のように小さな流れにも歴史が秘められている。

 城跡である小倉山に登ることにする。日暮れにはまだ時間があり明るい。こちら側は裏らしく、細い道をたどると、表側からの道に出る。かなりの登りで、暑さもあってT君はバテてしまう。頂上には展望台があるのだが、T君は上がる気力もなくベンチにすわりこんだまま。一人で上がって四方を見渡す。北方から長良川が眼下に流れてきている。南方に町並みがある。川が山あいから開けた地に出る地点をこの城が扼していたのが分かる。

 表側に下りた。もうひぐらしが鳴いている。ふもとの広場に小動物園があった。城跡の公園にはこういう施設がよくある。都会では絶滅したこういう施設が地方では生き延びられるのかもしれない。アヒル、ガチョウ、カモが最初のオリに、ニワトリ、シャモ、 ウコッケイが次のオリにいた。それから、クジャク、シカ、サル、シチメンチョウ、ウサギ、モルモット、ムジヒメシャッケイがそれぞれのオリにいた。ムジヒメシャッケイがさかんに鳴いていた。モルモットは繁殖したのかたくさん寝転がっている。サルが土のようなものをもてあそんでいたのでよく見るとレンコンらしく、かじってちぎり食べていた。突然クジャクが鳴いた。

 駐車場へ戻って街を離れたのは七時ごろだった。そろそろ暗くなってきた。高速にはのらず下を走る。途中ファミレスで食事をして九時頃名古屋市街に入る。予約したホテルの住所は分かっていたが、詳しい地図を用意していなくて場所が分からない。住所から城の近くだろうと判断して行ってみる。こういうときにカーナビがあれば便利なのだが、装備していない。しかも二人とも時代遅れでケータイを持っていない。近頃は公衆電話が少なくなってケータイがなければ電話もかけられない。城の周りをぐるぐるして結局見つけられず、駅へ行けば分かるのではないかと道路標識を頼りに走る。駅前で停車し、T君が車を降りて通りがかった人にたずねた。教えてられたように行ってみるが、曲がるのが右か左かあやふやで、再び迷子になってしまう。ようやく公衆電話を見つけて停車し、T君にホテルの電話番号のメモを渡すが、思い直して私がかけた。

 私は腹を立てていたのである。しかも、元はといえば場所を確認しておかなかった私が悪いのに、T君が頼りないからホテルを見つけられないのだと人のせいにしていた。T君は人がいいからそういう私の態度を見逃してくれるが、普通の人間ならけんかになるところだ。

 電話で場所を聞くが、現在地もはっきりしないのでよく分からない。予約したホテルの近くにさっき見かけた大きなホテルがあるのが分かったので、それを目標にする。結局その大きなホテルの前に停まっていた客待ちのタクシーの運転手に場所を聞いてたどり着くことが出来た。一時間半近くも名古屋の市街地をうろついたことになる。

 部屋に落ち着いてから、ビールを買いに外出した。T君もついてきた。近くのコンビニでビールとつまみを買う。T君は酒が飲めないから清涼飲料水を買う。私の腹立ちはおさまっていた。この辺りはさっき車で一度は通ったような気がする。ホテルの建物の壁には名前が書いてあるようだが、暗くて見えないので見逃してしまったのかもしれない。

 相変わらずT君のイビキはすごい。だが、何とか眠れた。

 愛知万博という表題をつけていながら、羊頭狗肉、前置きの話ばかりで、ようやく万博会場に行くことになった。ゆっくり目に起き、ホテルで朝食を食べ、チェックアウトは9時頃になる。会場には駐車場がないので、名古屋空港まで行って、シャトルバスに乗り換える。新しい高速道路がいろいろ出来ていて経路がややこしそうだ。この日も晴れていて暑くなりそう。

 シャトルバスは10時頃に東ターミナルに着く。会場に入る前に、自販機でお茶を買い、持参した水筒につめ替える。ペットボトルは持ち込み禁止であり、会場内で飲料水を手に入れるのは容易でなさそうだったから。(これは杞憂で、ペットボトルは会場内のどこでも買えた。水筒一本分ではとても足らず、何度も買わねばならなかった。)予備知識は二人とも全然なく、入場ゲートでもらった会場案内図が頼りだ。

 人の流れについていくと、体育館のようながらんとした感じの北エントランスを通り、センターゾーンへ下りた。グローバル・ハウスの前でブルーホールの11時20分の回の入場整理券をもらっておいて、裏へ回って呼び物の一つである冷凍マンモスを見る。そこから池に沿った道をたどってグローバル・コモン6へ行き、オセアニア・東南アジアの国々のパビリオンをのぞく。どうせ大きなパビリオンには入れないと覚悟していたので、こういう小さなパビリオンを拾っていくことにする。パネルや展示品でその国の紹介をしているが、物産販売と飲食店が主のようなパビリオンも多い。

 入場の時間になったのでグローバル・ハウスへ戻り、ブルーホールで幅50mの2005インチスクリーンの迫力ある画像を見る。放映が終わった後、建物の背後のマンモスラボに回るようになっていて、再び冷凍マンモスを見る。外へ出てもう一度池に沿って歩き、名古屋市館や日本館を当たってみるが、既に予約が一杯でとても入れそうにない。またグローバル・ハウスに引き返し、今度はオレンジホールの13時30分の整理券をもらう。まだ時間があるので、板敷きの高架の通路であるグローバル・ループを歩き、グローバル・コモン5(アフリカ)と3(ヨーロッパ)に行ってみる。3は混んでいてドイツ館にしか入れなかった。

 次第に会場内の配置が分かってくる。パビリオンはいくつかのかたまりに分けられ、全長約2.6km、標準幅約21mのグローバル・ループという回廊が、会場内にばらまかれたそれらのかたまりをつないでいる。グローバル・ループは板敷きで、中央にはシートのようなものが張られて、そこを乗り物が動いている。両端を人々が歩いているが、覆いがないので日光に直射される。ドライミストというこまかい水滴が噴き出す場所もあるが、それだけではとても暑さをしのげない。

 またまたグローバル・ハウスに引き返し、オレンジホールでスーパーハイビジョンの画像を見る。きれいな画面。入場を待って並んでいる間に高所のカメラから撮影した映像が映し出され、大勢の中から自分の顔がはっきりと識別できた。終わったあと、やはりマンモスラボへ回る(三度目!)。

 グローバル・ハウスの傍のレストランでテイクアウトのピザボールを食べた後、一番近いグローバル・コモン1(アジア)へ行く。一通り回り終わったところで、T君が暑さと疲れでダウンしてしまい、グローバル・ループの下の階段状のベンチで休憩する。グローバル・コモン1にあったコンビニで買ったおにぎりを食べる。T君はベンチに横になり目を閉じた。他にも眠っている人がいた。こことグローバル・コモン1の間には段差があり、斜面が花壇になっていて、小道が稲妻状についている。ときどき横の高架歩道から花壇に霧が吹き付けられ、その中を人々が登り降りしている。

 T君が回復したので、「サツキとメイの家」がある方へ行ってみる。グローバル・ループをぶらぶらと歩いて中部千年共生村のところで降り、池と林の間の道を行き、日本庭園の横を通るコースから「サツキとメイの家」を遠望する。「サツキとメイの家」は一日八百名限定の日時指定完全予約制である。林の中を通って戻る。

 瀬戸会場にも行っておこうと、モリゾー・ゴンドラに乗る。民家の上を通るときは、プライバシーを配慮して、窓が自動的に曇るようになっている。瀬戸会場は規模が小さく、わざわざ会場として設定する必要はないように思えた。自然保護とのかねあいで当初の会場設計が変更されたことが影響したのだろうか。

 最後にグローバル・コモン2(北・中・南アメリカ)に行った。カナダ館には入れなかったが、アメリカ館がすいていて入れた。アメリカ館は評判が悪かったのでテコ入れをしたらしい。館の前ではそろいの黒いポロシャツを着た楽団がジャズらしきものを演奏していた。暗くなってきたのでそろそろ帰らねばならないが、8時から「こいの池のイブニング」というのをやっていたのでついでに見ていく。

 名古屋空港の駐車場に帰り着いたのは10時頃だった。名神を走り、それぞれの家に戻ったときには日付が変わっていた。見れたのは万博会場のほんの一部に過ぎないが、予期に反して面白かった。

[ 一覧に戻る ]