井本喬作品集

カツラの木

 05年春、甲賀市の畑というところにある枝垂れ桜を見に行った。大津方面で用事を済ませた後だったので、国道422号線で朝宮へ出るコースを取った。瀬田川沿いに南下し、鹿跳橋を渡って山中に入る。途中には富岡磨崖仏がある。脇出という集落で山の端に大きな木があるのが目に入った。まだ葉をつけていない裸木で、幹や枝が上に伸びているのが竹箒の先を逆さにしたような感じである。カツラの木ではないかと思った。そのときはそのまま通り過ぎてしまった。

 夏になって再訪する機会があった。地図を見るとこの辺りはまだ大津市である。木の葉は茂り、周りの草ものびている。カツラの木の特徴であるひこばえが、まだ小さいが幾本も幹に寄り添っている。案内板などは見当たらないので、名のある木ではないようだ。

 カツラの大木を初めて見たのは、床尾山に登ったときだった。登山口に糸井のカツラがあった。本体の幹は朽ちて、ひこばえが輪を作り中は空洞になっていた。二回目は瀞川平オーバーラントガルテンで和池のカツラを見た。

 インターネットで調べてみると、兵庫県北西部にはカツラの大木が多いらしい。興味が湧き、訪ねてみることにした。10月12日、篠山市、丹波市、朝来市、養父市を経由して神鍋高原へ向かった。この地域も平成の大合併で地名が激変した。いずれの市も郡内の町が合併して市になった。丹波市は04年11月に、氷上郡の六町(氷上、柏原、青垣、春日、山南、市島)が合併してできた。丹波という名は、京都府船井郡の三町(園部、八木、日吉)と北桑田郡美山町が合併するときにも候補に上ったらしいが、結局06年1月に南丹市になる。船井郡には丹波町があったが、この日の前日(05年10月11日)に同郡の他の二町(瑞穂、和知)と合併して京丹波町になった。ちょっとややこしい。

 古い地名で言うと、柏原で176号と別れ、氷上を通り、青垣で427号線に入り、山東で9号線に合流するのだが、このルートに沿って、北近畿豊岡自動車道が作られつつある。氷上ICから東は現在一般供用されていて、舞鶴若狭自動車道の春日ICに接続している。西北の工事中の区間は、有料である遠坂トンネルにつながり、和田山で播但自動車道と連絡し、さらに北へ延びて豊岡まで予定されている。

 八鹿で9号線を外れて312号線に入る。以前は江原駅の近くで312号線から482号線に曲がったのだが、手前にトンネルで抜けるバイパスができていた。公共事業が抑制されるとはいっても、新しい道路があちこちにできている。

 神鍋高原の奥まで入り、蘇武トンネルの手前の万劫という集落で車を停める。この近くに万劫のカツラがあるはずなのだ。畑仕事をしていた女性に聞いたが知らないと言う返事。選挙用の掲示板を立てる工事をしていた数人の男性に聞くと、トンネル手前の旧道を登った山の方だとのこと。教えられた旧道を行くと神鍋渓谷公園というのがあった。案内表示に従って荒れた遊歩道を川へ下り、橋を渡って少しさかのぼると一の滝があり、滝の左の崖にカツラの木があった。これは七品のカツラである。戻って、車でさらに行くと、二の滝がある。道は山の中へ入っていく。以前、名草神社から林道を通って蘇武岳へ行き、神鍋高原に下りてきたことがあるが、これがそのときの道のようだ。

 万劫の集落に戻って付近を探すが見つからない。先程の女性が家の前で他の女性と話をしていたので、もう一度聞いてみるが、分からない。年寄りなら分かるかもしれない、と言っていたが、この二人も結構高齢のように見えた。あきらめて蘇武トンネルを抜ける。03年11月に開通した、旧日高町(現豊岡市)と旧村岡町(現香美町)をつなぐトンネルだ。

 9号線へ出て南下、左折して耀山(かかやま)の集落へ、山道をどんどん登っていくと、蘇武岳の林道に突き当たってしまった。右も左も通行止めである。中腹にあった分岐まで引き返し、泥だらけの道へ入って行くと小さな谷川を渡る橋があり、そこにカツラの木の表示がある。すぐ上の岸にカツラの木があった。大きな枝が水平に対岸まで延びている。この谷にはカツラの木がたくさんあるようだが、時間がないので遡行することはできなかった。

 9号線に戻って、さらに南下、黒田の集落に入って、通りかかった高校生らしい女子二人にカツラのことを聞くが、知らないという。家の前の畑で作業していた高齢の婦人に聞いても、兎和野のカツラなら分かるがという返事。(帰ってから気がついたのだが、私が間違えていたので、兎和野のカツラのことを黒田のカツラと記憶していたのだ。)その人がカツラと水について面白い話をしてくれた。黒田の人々が、和池のカツラの水が売られているのを知って、水が売れるのかと驚き、それなら兎和野のカツラの水もと区長さんに言って検査してもらったら、不合格でだめだったということだ。カツラの木の傍には必ずと言っていいほど水が流れている。

 兎和野のカツラを見に、蘇武岳とは反対側の坂道を登る。高原状になったところを行くと、公園の入口があり、案内図に遊歩道が「木の殿堂」まで続いていることが記してある。兎和野のカツラはここから山道を少し登ったところにあった。別宮(べっく)のカツラも見たかったのだが、日が暮れだしたので断念して帰った。

 調べ直してみると、万劫のカツラは神鍋渓谷公園の道をさらに登ったところにあるらしい。11月6日、カツラの葉が黄色くなっている頃だろうと、見逃した木を再度訪ねることにした。最初に糸井のカツラに見に寄った。山の紅葉は盛り。駐車場から意外と距離がある。カツラの木の回りを、以前にはなかった柵が囲っている。広がった枝が黄色くなった葉をつけていた。床尾山への登山者が柵と川にはさまれて狭くなった道を過ぎていく。

 神鍋高原へ行き、蘇武トンネルの脇の道を登る。凹凸のある地道である。だいぶ上へ登ったところの道脇に「万劫の大カツラ」の表示がある。通り過ぎてしばらく行ったところで空き地を見つけて車をUターンさせる。表示の付近に戻り、やや道幅の広がったところに、ぎりぎり車が通れる余地を残して車を停める。道の横に小さな川が流れている。かすかな跡を頼りに川を渡ると、草に隠れた道らしきものが谷の奥へ続いているので、たどっていく。カツラは土の盛り上がったところに立っていた。見捨てられたように、あるいは超然と。

 蘇武トンネルを越え、ハチ北方面への入口付近で9号線から離れ、どこへ向かっているのか分からないような道をたどり、別宮の集落に着く。通りかかった婦人に聞くと、もう少し上で、いまトイレの工事をしているから分かると教えられた。行ってみると、駐車場とトイレが整備中であった。売り出し中というところか。道から一段上がったところにカツラの木がある。葉はもう茶色くなっていた。冬の日は早く暮れだした。

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