井本喬作品集

サクラ探訪

 今年(06年)の4月、友人二人と桜を目当てに旅行することにした。以前から気にかけていた臥龍桜と、その近くの桜を訪ねるルートを考えた。雑誌やインターネットで見ると、伊那谷の桜がいいらしい。伊那谷から臥龍桜のある高山へは、木曽山脈を越えて、木曽福島から開田高原経由で行くことが考えられるが、ちょっと距離がある。いろいろ検討していると、伊那市から権兵衛峠越えの道に新しいトンネルが開通して便利になったのを知った。そこで、伊那谷を北上し、伊那市から権兵衛峠を木曽谷へ抜け、木曽福島から高山へ、出来れば御母衣ダムに寄って、東海北陸自動車道で帰阪するという欲張ったルートにした。

 23日の朝、千里中央に集合、名神高速道路から中央自動車道へ入り、園原ICで下りたのは昼近く。道が分かれていて迷う。スキー場があるらしくゴンドラが見えた。この辺りも開発が盛んなようだ。信濃比叡(広拯院という、神坂峠越えの布施屋があった)の少し先、上り坂になった道の下の崖の途中に、駒つなぎの桜があった。名の由来は義経が最初の奥州行の際に馬をつないだからからという。開花情報ではまだつぼみになっていたが、その通りだった。説明板にはエドヒガンとある。木は根元で数本の幹に分かれ広がっている。道と桜の木の間に、田に水を張ったような池があり、そこに姿を写すのだろう。

 ここは阿智村である。昼神温泉で昼食をすませて、256号線で清内路村へ入る。高くなった道の下に目当ての清内路小学校を見つける。空き地に車を停め、川を渡ると小高くなった墓地があり、その中に黒船桜があった。八分咲きぐらいか。説明板によれば推定樹齢130年余のシダレザクラ。この木は個人の所有と記してある。名の由来は嘉永六年に植えられたから。木は高く延び、幹の下部から別に太い枝を一本張り出している。ここには三組ほどの見物客がいた。墓地の入口や橋に、和紙を張った窓がある竹筒が立ててある。夜にはろうそくで灯りをともすようだ。

 来た道を戻り、153号線に入って伊那谷を北上する。ところどころにリンゴの花(あるいは梨の花)が咲いている。時間がなくなったので箕輪町に直行する。雪をかぶった中央アルプスがよく見える。緩い傾斜地に広がった農地の中、公民館の裏に中曽根のエドヒガンがあった。満開であった。樹下に熊野三社大権現がまつられていることから権現桜とも呼ばれている。木は根元で大きく二本に分かれている。二本の木が癒着したのではないかとも言われているそうだ。よく見ると、東に延びた幹の花に比べて西に延びた幹の花の色が薄い。開花時期も若干ずれるらしい。この花も個人所有になっている。十数人の見物客がいた。

 飛び込みで伊那市のビジネスホテルにチェックインした後、近くの春日公園に行ってみる。ここのソメイヨシノも満開だった。暮れ始めたので高遠に向かう。ガードマンの指示に従って河川敷の駐車場に車を止める。歩いて城跡に登るうちに暗くなる。ライトアップされた満開の桜が濃紺の夜空にはえる。ここの桜はコヒガンザクラである。たくさんの人。

 本丸と二の丸の間の空堀に下りると、穴があってその下にも桜が咲いている。奇妙に思ってよく見ると小さな池に桜が写っていたのだが、まるで別の世界が地下にあるような不思議な光景だった。

 宿へ帰って車を置き、居酒屋風の店を見つけて食事をする。ここらの名物であるというローメン、馬刺し、おたぐり、ざざむしなどを食べてみる。

 翌日、再び高遠方面へ、三峰川を渡って街を迂回する。この辺りから桜を盛ったような城跡が遠望される。152号線へ入り、トンネルを抜けると、道路の右側の拡幅部に四台ほどの車が並んでいたので、そこへ停める。山裾の上がり端に桜の木が三本並んで立っているのが見える。近づいていくと、左端の木が一番大きく、満開のシダレザクラ。花のついた枝をふさのように垂らしている。勝間の桜である。今日はよい天気なので青空を背景に日の光を浴びて白い。三脚に乗せたカメラをのぞき込んでいる人が数人いる。振り返ると高遠の桜が帯になって見える。

 伊那市に戻って、361号線のトンネルで権兵衛峠を越える。19号線と合流する手前はまだ未整備だった。木曽福島から同じく361号線をたどって開田高原へ。雪で白い御岳の姿が立派。高山市域に入って、一之宮地区(旧宮村)へ。JR飛騨一之宮駅の裏に臥龍桜がある。駅の構内に入って跨線橋を渡る。開花情報通り、まだつぼみであった。それでも十数人の観光客がいた。説明板によれば、樹齢千年余のエドヒガンザクラ。龍の頭に当たる部分は低く這った枝が根を下ろしたもので、胴に当たる本体との間が枯れ、二つに分かれている。

 御母衣湖畔の荘川桜を見る時間はなくなった。高山と郡上八幡に寄って帰った。

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