井本喬作品集

北の桜

 一度東北の桜を見たいと思っていたので、W君、T君に声をかけ、去年に続けて今年も一緒に出かけることにした。W君は藤沢周平のファンなので鶴岡へ行ってみたいと言う。東北の桜と言えば三春は外せないだろう。角館もよさそうだ。新幹線で郡山に行き、レンタカーを借りて三春、鶴岡、角館を回り、盛岡から新幹線で帰るという三泊四日のコースをまず考えた。

 だが、手配の面倒くささや、費用のことなどを考えると、決めかねた。予約をするとコース変更の余地がなくなってしまうのも気に食わない。結局、大阪から車で行くことにした。直接福島県に行くのは遠いので、長野県の高山村と山ノ内町を中継地にした。去年の旅行の際にコースに入れられなくてあきらめたところなので、そこへ寄る魂胆が最初からあった。

 07年4月24日火曜日、T君の勤務の関係で11時に千里中央に集合、吹田ICから名神高速道路に乗り、中央自動車道、長野自動車道、上信越自動車道を経由して、須坂長野東ICで降りたのは15時半頃だった。思ったより早く着いたので、この日のうちに高山村へ行くことにした。高山村は千曲川の支流である松川の谷に位置している。村の中心部に入るとリンゴの花が咲き、桜の木があちこちにある。村役場に行って案内図をもらった。目当ては水中の桜だが、それも含めて高山五大桜というのがあるので、順番に訪ねてみることにする。

 水中の桜は人家を抜けて山の端にかかる登りにあった。背が高く形のよいしだれ桜である。花は五、六分か、物足りない。数は多くないが観光客が途切れずに訪れていた。次の桜を求めて狭い道を行く。道はややこしいが要所に案内標示があって親切だ。赤和観音のしだれ桜は、樹勢が衰えているのか、花は咲いているが少ない。黒部のエドヒガン桜は開けたゆるやかな傾斜地の畑の中にあって遠くからでも見えた。満開の花の色は赤っぽい。この木は人気があるのか写真を撮っている人が何人かいる。木の傍からは村が見下ろせていい景色なのだが、正面の小山が採石のため削られているのが興醒め。

 川を越えて中塩のしだれ桜と坪井のしだれ桜を見た。中塩の桜はどうってことのないまあまあの花。坪井のしだれ桜は小さな墓地にある。古びてだいぶ痛んでいるようだが満開。横浜ナンバーの車から降りてきた四人連れの中高年婦人が、「墓の下の養分できれいなのよ」「自分も桜の木の下に埋めて欲しい」などと話していた。六時を過ぎたので中野まで行ってビジネスホテルに泊まった。

 翌朝(4月25日)、山ノ内町へ。雨の降り出しそうな曇天。道を間違えてスキー場の方へ行ってしまう。男の人に道を聞いたがややこしく、ガソリンスタンドで給油して店の若い男に再び聞く。桜はあまり有名ではないようで、いずれも宇木という地名で教えてくれる。夜間瀬駅の近くの信号を北へ曲がるべきところを直進してしまったのだ。斜面をだいぶ登ったところの道の傍に千歳桜といわれる宇木のエドヒガン桜が立っていた。満開は過ぎていたがまだ花はたくさんある。この斜面全体が下から見えるので、一本だけ立つこの桜の木も識別できるのかもしれない。

 中野ICから上信越道にのり、雪に覆われた黒姫や妙高を見て、上越JCTで北陸道へ入る。さらに新潟中央JTCで磐越道へ。ときどき雨が降り、磐梯山は雲に隠れて見えない。磐梯SAで遅い昼食、郡山ICで下りた。下りる手前に「滝桜散り始め」という電光掲示板がいくつかあった。よほど有名のようだ。

 三春町役場で観光案内をもらう。ここにもたくさんの桜があるようだが、道が入り組んでいて分かりにくい。とりあえず案内標識に従って滝桜を見に行く。大きな駐車場がありバスも停まっていて、平日だというのに多くの観光客が来ていた。降り出していた雨は駐車場から桜の木までの整備された道を歩くうちにあがった。滝桜は斜面に立っていて、周回路が大きな輪を作っている。木は立派だが、花はだいぶ散っていて葉が混じっているせいか、薄汚れた色に見える。満開の週末にはさぞ大混雑だったろう。

 近くに弘法桜というのがあるようなので探してみるが分からない。道に迷ってしまい仕方なく役場の方へ戻る。途中で貝山薬師桜を見つける。役場の隣の駐車場に車を停めて近くを歩いてみたが、街をめぐるには結構時間がかかりそう。16時半になったので、今日の宿泊地である斉藤の湯に向かう。途中探しあぐねた弘法桜の案内標示を見かけたので寄る。野中の小高い墓地に立って咲いていた。三春町では滝桜が有名すぎて他の桜は冷遇されているようだ。

 人家のない川沿いの道を行くと上の湯と下の湯の二軒があり、上の湯に泊まった。宿はひなびていて、風呂に入っている人はいたが、宿泊客は私たちだけのようだった。

 翌朝(4月26日)は晴れていた。遠回りになるが越代の桜に寄ることにする。古殿町に向かうが、不動桜の案内標示があったのでそっちへ曲がる。ここは郡山市になるらしい。台地の鼻の盛り土のようになった上に桜の木があり傍にお堂が建っている。朝から見物客がきており、青空に満開の花が映えるのを狙って写真をとっている人がいる。先に進むと今度は紅枝垂地蔵桜の案内標示があり、道を戻るようになるが行ってみる。名の通りやや赤い花で、根元に小さな地蔵堂がある。離れて見ようと前の道を歩くと、満開の木から少しずつ花びらが風に飛ばされてきた。思わぬ寄り道の後、古殿町目指してかなり走る。曲がりくねった山の中の細い道を行き、越代へ。桜はまだつぼみだった。

 小野まで戻って磐越道にのる。郡山JCTで東北自動車へ入る。雲が出て来て激しい雨、北上すると晴れて青空が見えたが、さらに行くと再び雨。福島飯坂ICで下り、13号線で米沢へ。雨はやんだが曇ったままで、風がきつく寒い。上杉神社(米沢城趾)に寄る。古木の桜が満開であった。

 さらに北上して長井市へ。ここからお目当ての置賜さくら回廊になり、案内図に示された桜を律儀に次々と見たのだが(それでもいくつかはぬけた)、途中から食傷してしまった。順番に、伊佐沢の久保桜、最上川堤防千本桜、草岡の大明神桜、白兎のしだれ桜、釜の越桜(ここから白鷹町)、十二の桜、山口奨学桜、子守堂の桜。

 後は一路鶴岡目指し、寒河江に出て、道の両側に雪の残る月山花笠ラインを通る。18時になっていたが、田麦俣に寄る。以前月山に登ったとき、かぶと造り多層民家というのがあると知り、興味を引かれたが時間がなくてあきらめた。行ってみると、二軒が保存されて残っているだけで、それ以外の集落の建物は改装されてしまっていた。鶴岡のビジネスホテルに泊まる。

 今日(4月27日)は、三日かけてはるばる来た鶴岡から一気に大阪へ帰ることになる。晴れているが寒い。鶴岡公園(鶴ヶ岡城趾)の桜は半分方散っていた。まだ早いので致道館も大宝館も開いていない。タブの巨木のある通りを行くと木造の教会があった。鶴岡カトリック教会天主堂で、司教館も付属している。その先に丙申堂というのがあった。開門前だったが入れてもらう。旧風間家の住宅である。屋根が石置になっているのが珍しい。案内してくれた人が屋根を葺き替えたときのDVDを見せてくれる。『蝉時雨』の撮影場所にもなったらしい。私はテレビでその映画を見たが、も一つ感心しなかった。原作については、W君には悪いが、私はあまり買わないが、でも映画は原作の感じを伝えることに失敗している(映画はそれを目指したのではないのかもしれないが)。

 別邸の釈迦堂に寄り、引き返して藩校だった致道館と擬洋風建築の大宝館を見学する。大宝館の展示で、高山樗牛がこの地の出身だったことと、横光利一の意外な関わりを知った。横光の夫人が鶴岡出身で、彼もここへ来て作品を書いたり、疎開していたらしい。

 W君は酒田にも行きたかったようだが時間がない。10時半、鶴岡を離れる。高校生の駅伝らしいのとすれ違い、7号線で海沿いを南下、やがて7号線は陸の中へはいるがカーナビは引き続き海沿いの345号線を指示するので従う。島が見えるので佐渡かと思ったが、後で調べると粟島のようだ。笹川流れの案内標識が目につき、何だろうかといぶかる(海岸美の景勝地らしい)。この道は時間があればゆっくりと走ってみたい。中条ICで日本海東北自動車道にのり、新潟中央JCTで北陸道に入る。後はひたすら走るだけ。三ヶ月後に起きた新潟県中越沖地震(7月16日)の被災地となった刈羽村、柏崎市を通りぬける。

 富山に入り、流杉PAから剣岳が真正面に見えたのに感激。立山はわずかに顔をのぞかせ、薬師岳が堂々としている。いずれも雪で白い。

 大津SAで夕食をとり、20時半に千里中央着、解散。家に帰り着くと走行距離は2083㎞になっていた。

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