杉ヶ沢高原
兵庫県養父市に杉ヶ沢高原という景勝地があるのをネット検索で知った。コロナ禍による緊急事態宣言で外出自粛を求められているのだが、せめて県内の野外ぐらいならと出かける先を探していたときに見つけた。萩の名所の高照寺と組み合わせて行ってみることにした。
ネット記事によると「北海道を思わせる」景色らしいが、位置がよく分からない。加保坂の水芭蕉公園の近くとしている地図もあるが、そこは杉ヶ沢高原の住所である轟とは離れている。畑の中に道が通っている写真がある一方で、ハイキングコースらしい草原の写真もある。グーグルマップには轟の表示はあるが杉ヶ沢高原は載っていない。現地で確認するしかないようだ。
2021年9月26日(日曜日)、ごたついて出遅れ、11時ごろ出発する。三田でそばの昼食を取り、三田西ICから舞鶴道に乗る。このインターはたまに利用するだけなので、進入路を間違えてしまった。仕方がないので吉川ICまで行って、いったん降りてUターンする。
春日JTCで北近畿豊岡自動車道に入り、八鹿氷ノ山ICで降りて9号線を進む。曇り空だが雨の降る気配はない。山は緑が濃く、紅葉はまだ先だ。稲が実って黄色い田と稲刈りを済ませて地を見せている田が混在し、畦には彼岸花の赤が目立つ。高照寺が見つからないのでおかしいと思っているうちに、鉢高原への分岐まで来てしまった。Uターンして戻る。高照寺は9号線に入ってすぐのところなので、通り過ぎてから随分と走ってしまっていた。ようやく道沿いの駐車場に車を入れるが、ここは大型専用となっているので、反対側の細い道に入る。だが、また間違えたようで、引き返そうにもUターンできず、何とか通り抜けて9号線に戻り、再び同じ道に入ると、すぐ左折したところに駐車場があった。高照寺には何度か来たことがあり、この駐車場も利用したことがあるのに、記憶というのは当てにならない。今日はついていない。
高照寺は白萩で有名だが、盛りが過ぎかけていて、花を散らしていた。高台の狭い境内に登る斜面に、それほど多くはないが、枝を長く垂らして、残っている花を見せている。赤い萩も少しある。株の数が物足りないが、たくさんあっても仕方ないのだろう。
さて、杉ヶ沢高原を目指す。カーナビにはその表示があったので目的地に設定する。先ほど引き返してきた9号線をまた辿り、鉢高原への道(県道87号)へ入り、出合というところに案内標識があったので左折、山へ登っていく。林道のようだが整備されている。しばらく行くと、こんなところにと思わせられる集落がある。これが轟らしい。集落の中を通り過ぎて少し登ると道が分かれ、標識には右が杉ヶ坂高原、左が大屋とある。カーナビは左を指示していたが、標識に従って右折すると、作業小屋らしきものが現れ、人手が入っている土地のようだ。道が大きくカーブしたところに「拓魂碑」とかかれた石碑があった。傍の畑に緑の葉がある。轟大根というのが名産になっているらしい。
さらに進む。小屋は飛び飛びにいくつかあり、そこに畑地が広がっているが、耕作はされていないように見える。バイクとすれ違った。この道はどこかへ抜けられるのだろうか。斜面に畑地が増えてきて、その波打つ様は、スケールは違え北海道に似ていると言えないこともない。ただ段々畑もあるのが北海道との違いだ。峠になったところから下方が見渡せた。広いくぼ地が一面畑になっている。北海道というより、嬬恋のキャベツ畑を思わせる。ただし、耕作されているのは一部のようで、左手上部が植え付けられて緑になっているだけ。右手斜面の急な上部は段々畑になっていて、畦のススキが穂をつけている。くぼんだ地形から言うと、砥峰高原に似ているかもしれない。
くぼ地の真ん中を走る道を行く。確かに珍しい景色だ。底のあたりで車を停めて辺りを見回していると、軽トラが通り過ぎて先の方へ行った。追いかける形で進むと道は登りになり、くぼ地の反対側の峠にさしかかる。再び景色が眼下に広がる。道が急に細くなるところがぬかるんだ空き地になっていたので、そこでUターンする。さっきの軽トラはもっと奥へ行ってしまったようだ。
ところで、ハイキングコースの杉ヶ沢高原はどの辺りなのだろうか。分岐に戻ってカーナビが指示している左側の道に入ってみた。林の中をかなり走っても何もなく不安になったが、やがて十字路に出た。どの道も林道という表示がある。カーナビ通りなら右折だが、道が悪そうだ。直進することにして、どんどん下っていく。道は荒れていて小さな落石が散乱している。突然、レストハウス天滝という施設に着く。ここから天滝方面に道が分岐している。天滝には一度来たことがあるはずなのだが具体的なことはほとんど忘れていた。林道をさらに下るとすぐに県道48号に出たので左折して東走、藪ICから北近畿豊岡自動車道に入り、来た道を帰る。
ところで、天滝の案内板には杉ヶ沢高原へ出るハイキングコースが図示されていた。位置関係がどうなっているのか、帰ってから調べてみた。拓魂碑が建てられたところ(開墾地の入り口?)から分岐している道へ入ると杉ヶ沢高原がある。耕作されていない草原だ。そこからハイキングコースで南へ下ると天滝に至る。
ついでに林道も調べてみた。この辺りは兵庫と鳥取の県境に位置する氷ノ山(兵庫県最高峰1509m)の尾根であり、北側の八木川と南側の大屋川に挟まれている。二つの川は西から東に流れ、いずれも円山川に合流する。道は川に沿って発達するから、八木川沿いに県道87号線、大屋川沿いに県道48号線がある。この二つの谷を山越えの県道714号線(大屋関宮線)が南北に結んでいるが、それ以外の地域は林道によってつながっている。
出合は八木川と出合川の合流点で、ここから轟までは市道出合轟線となり、バスも走っている。轟の先の標識のある分岐の右は耕作地へ、左は林道相地轟線となる。相地轟線を行くと例の十字路がある。そこから私が取った直進路(南方向)は林道天谷尾ノ谷線で、天滝の傍を通って県道48号に出る。十字路の左(東方向)は相地轟線が続き、県道714号(大屋関宮線)に出る。さらに、相地轟線の途中から林道天谷加保坂線が南に分かれ、やはり県道714号に出る。十字路の右(西方向)は林道梅ケ久保線で草原の杉ヶ沢高原を過ぎて拓魂碑のところへ出る(この道を行かそうとしたカーナビはグーグルマップよりも詳しかったのだ)。
ある資料によれば、耕作されていた一帯は昭和40年に県営パイロット事業として開発され、昭和44年に轟大根生産組合が発足した(生産戸数21戸、作付面積3ha)。大根生産は順調に伸び、平成元年には但馬地域畜産基地建設事業による大区画の再造成が行われたが、生産戸数の減少により平成4年から生産は低下に転じている。
轟集落のはずれの分岐で、杉ヶ沢高原は右という標識に従って拓魂碑まで行ってもその辺りには杉ヶ沢高原への案内はなく、そのまま耕作地の方に進んでしまうのが自然である。元来は耕作地も含めた一帯が杉ヶ沢高原だったのかもしれない。紛らわしいので、草原の杉ヶ沢高原と耕作地となった一帯を別の名にしてはどうかと思うのだが。