櫃ヶ岳
1
1972年から二年半ほど岡山に住んだことがあり、よく山陰に遊びに行った。米子自動車道がまだ出来ていなかったので、大山方面に行くには勝山から313号線を北上したが、勝山と湯原の中間あたりの道路脇に「櫃ヶ岳登山口」という小さな看板があった。何度かそれを見て興味を持った。普通、山に登るためには分かりにくい田舎道を登山口までたどらねばならない。国道からすぐ登れるのは好都合だ。それに名前が面白い。しかし、それだけの理由でわざわざ登りに行くほどの山ではなさそう。気にはなったが寄る機会を作れないまま、岡山を離れてしまった。
それからかなり年月がたった後、日帰りのできる近辺の山がまだないかと兵庫県の地図で三角点を探していると、京都府との県境、173号線の近くにも櫃ヶ岳という山があるのに気づいた。名前の同じ山はたくさんあり、たとえば「三国」のつく山などいたる所にあるが、櫃ヶ岳というのはめずらしい。ガイドブックには載っていないのでルートは分からないが、二万五千分の一の地図には稜線までの道が記してある。稜線に出れば何とかなるだろうと思い、1993年3月14日に登りに行った。
雨の心配はなく、陽が当たると暖かい。車の中は暑いくらい。173号線で篠山へ出、瑞穂の手前にある櫛石窓神社を過ぎたところを右折する。道の端にたぬきの屍骸があった。外傷はなさそうだが車に轢かれたらしく舌を出していた。宮代という集落を抜け、山へ入る所で犬を連れた年配の女性に道を聞く。山道に入り、傾斜が急になった所で車をとめ、歩き出す。しばらく行くと三叉路で広くなっている。車はここまで入れた(山道はどこで車を離れるかに迷う。楽をするためできるだけ奥まで行きたいが、狭くなって車をとめる余地がなくなるとやっかいだ)。そこからは本当の山道で、谷をつめる。杉林の中は打たれた枝が落ち、間伐された木が倒れている。谷の上部は植林されてまだ日が浅く、背丈ほどの若木。杉林の中は下草がないので道がはっきりしない。わずかな踏み跡をたどり境界尾根に出る。尾根の向う側は大きな杉や雑木で様相が異なる。尾根にそって登る。歩き出して30分ほどで頂上へ着く。
頂上は台地状の小さな広場で、西側は木で眺望は悪いが、東側は見渡せた。櫃が岳の名の由来を示すものは何もない。測量会社が立てたらしい赤白まだらのポール。国土地理院の二等三角点を示す新旧二本の杭。東京十二支山の会の「平成3年辛未の歳記念登山」の銘板。二枚あって一枚には「櫃ヶ岳」、もう一枚には「羊ヶ岳」としてある。晴れてはいるがうす雲がかかり風があって寒い。来る途中で買ったパンを食べウーロン茶を飲む。落ち葉をかきわける音がする。登ってくるときに土を掘り返した跡があったので、イノシシかもしれない。
行程の途中、木がなく開けた斜面があった。帰り道、谷を下りてそこにかかると、かすかな水音が聞こえ出し、やがて小川を形成する。山から水がしみ出て川が誕生するところだ。地面は芝草のようなものでおおわれ、川の姿を隠している。谷の中に一本の木が切られずに残っており、その根の下を水が流れている。春の徴候はふきのとうぐらいで、新緑はまだ見られない。
173号線に出る途中の集落に、大芋(「おくも」と読むらしい)村役場という看板のかかった建物があった。櫛石窓神社(延喜式)は大芋の大宮と呼ばれていたと説明板に書いてある。近くには岩井山古墳群がある。この辺りの二万五千分の一地図の表題は村雲になっている(廃線になった篠山線には村雲駅があった)。やや南には細工所という興味をそそる地名もある。櫃が岳という名も由緒ありげであるが、それ以上調べていない。
2
その年の4月に友人二人と醍醐桜を見に行くことにした。1991年に薄墨桜、翌年に樽見の大桜(兵庫県養父郡大屋町)を見たので、桜巡りを続けたのだ。醍醐桜は岡山県真庭郡落合町の吉念寺というところにある。櫃ヶ岳のある湯原町は落合町に近い。同行の二人には話さなかったが、時間をやりくりして櫃ヶ岳に登れないかと考えた。その下心から宿泊地を櫃ヶ岳のふもとの足(たる)温泉にした。
18日に出かけた。中国道を佐用で下り、373号線を北上する。平福というところで桜まつりをやっているので寄ってみた。佐用川にそって昔ながらの建物が並び、建物の裏は今は使われていない船着き場になっている。平福からさらに北上して岡山県に入ると道の分岐に宮本武蔵の生誕地への案内があった。智頭では桜土手の桜並木が満開だった。
智頭から53号線で鳥取へ、鳥取から9号線で大山へ。ひたすら走り、大山のふもとを大山寺、枡水原、鏡ヶ成と経由して蒜山へ抜け、482号、313号で足温泉に着いた。大山のぶな林にはまだ雪が残っていた。足温泉は素朴な宿で、風呂(外湯)には地元の人が多く入っていた。
翌朝、6時前に起き、友人は寝たままにして車で登山口へ行き、登山口から少し上がった所に車をとめた。厚めの靴の他、登山の装備はしていない。登山口から見て山は北西になるが、道は北へ迂回して谷を登り、尾根に取りつき、それから西へ向かう。暑くなったのでジャンパーを脱いで手に持った。五合目からは笹原で見晴しがよくなる。尾根はいくつかの段状になっていて、頂上の手前に顕著なピークがあり、そこで道が二つに分れている。南側の道はピークを巻いて頂上に向かう。北側の道は高度を下げて天狗の森へ入り、登り返してピークと頂上の鞍部で南側の道に合流する。北側の道を取ったため時間をロスする。7時前に頂上に着く。
櫃ヶ岳の頂上は細長い台地状で、頂上直下が岩壁になっている。晴れてはいるが朝もやで景色はかすんでいる。旭川まで見下ろせ、足温泉も見える。頂上を下から見ると岩壁のなす台形であり、それが名の由来になったのかもしれない。この山に登るという二十年来の念願がかなった。
山を下り、足温泉に戻ったのは8時前で、二人の友はまだ寝ていた。その日は勝山に寄った後、醍醐桜を見て、さらに高梁へ行き松山城跡を訪れた。北房ICから中国道に入って帰った。