井本喬作品集

雪の山(八経ヶ岳・明神平・長治谷)

 今年(2005年)、乳頭山という、いかにもなだらかそうな名前の山で遭難騒ぎがあった。3月29日に日帰りの計画で入山した全日本年金者組合(そういうものがあるらしい)秋田支部の登山サークルの43名が下山してこなかった。幸い翌日には全員無事に下山した。吹雪で方向を見失い迷ってしまったということだ。乳頭山(1478m)は秋田県と岩手県の境にある。今年はこの時期としては雪が多く、登山当日は天候の悪化が予想されており、判断ミスとの批判を受けている。

 前年の2月9日にも、大長山という、地元の人以外にはほとんど知られていない山で遭難した関学のワンゲル部員14人がヘリコプターで救出された。大長山(1671m)は、福井県勝山市と石川県白峰村の境にある。当時付近は約五・四メートルの積雪があった。彼らの登山計画は「男子スキー合宿ACT2」と名づけられており、積雪を予想したものだったが、雪は予想を越えた多さだったのだろう。

 私は誰でも行ける山に登っていて、雪山に行くことはない。しかし、中高年者が雪山に挑んだり、ワンゲル部が山岳部のまねごとみたいなことをする気持ちは分からないでもない。自分の技量を誇りたい、冒険をしてみたいという誘惑は常にある。雪山は格好の舞台だ。

 秋の山で予期せぬ雪にあったことが二回ある。一度目は1988年10月29日、弥山と八経が岳に登ったとき。曇り空、強い風、雨も降り出したのでどうするか迷ったが、車で行者還トンネルまで行った。思い切って登り出したのが13時。ビニールのカッパを着る。登るにつれ紅葉から裸木になり、道にうっすらと雪が積もりだす。奥駈道は雪がおおっていた。木々には樹氷がついている。ガスで景色は見えない。時々雪になる。ごおーという音が近づいてきて風が体に当たる。

 弥山小屋に着き、管理棟らしき建物の戸を開けると、がらんとした部屋の隅でテレビがかかっていて、コタツの中で誰かが寝ている。入口近くにビールの空き缶が二本ある。私が入ってきたことに気がつかない様子なので声をかけそびれ、そのまま戸を閉めた。八経が岳を往復し、弥山の頂を踏み、下山にかかる。15時半。弥山小屋の前の広場に静かに雪が降っている。

 暮れないうちに降りてしまおうと急ぐ。登るときに三組、下りで一人の登山者とすれ違った。土曜日だが、この時期では多いのか少ないのか。風が強くなり薄暗くなって心細い。白と灰色の世界から戻ってくると紅葉の色彩が鮮やか。17時に車のところに着く。

 二度目は2002年11月3日、明神平へ行ったとき。同僚の中年女性二人と紅葉の山にいく約束をしていて、彼女らの一人が薊岳を希望した。出かけるのに手間取ったうえに道を間違えたりして、登山口に着いたのは12時前になってしまった。狭い道にたくさんの車が並べて停めてある。途中降っていた雨はやんだが、空一面に低い雲。早くも降りてくる人がいるが、みな雨具姿だ。聞くと、明神平は吹雪になっているとのこと。時間的にも薊岳は無理だが、明神平まで行ってみることにする。

 滝のところで食事を済ませ、登る。登るにつれて地面を雪がおおうようになり、上の方はガスっている。樹氷が現れるとすぐに明神平だ。積雪十センチぐらいの一面の雪。吹雪はやんでいた。登ってくるときにポリタンを持って降りてきた人が戻ってきて小屋(一般開放はしていない)に入った。テントが二張りあり、テントの跡も数カ所あった。あずまやの休憩所で食事をしていた男女連れは薊岳に登って来たとのこと。

 冷えてきたので降りる。ガスがなくなり少し明るくなって辺りが見通せる。紅(黄)葉がきれい。積もった雪から落ち葉がのぞいてまだら模様。S字状に何度も曲がって降りて行くいい道が谷まで続く。厳寒の世界のすぐ下にこういう風景があるのが不思議な気がする。15時に登山口に着くと雨が降り出した。

 関西でも雪山に登ろうと思えば適当な山はあるが、本格的に経験する気はないので、高見山と三峰山に樹氷ハイキングに行った程度。それと、春になってまだ雪のありそうな手頃な山に登るぐらい。大した雪ではないが、その山行はやはり印象深くなる。

 今年は雪が多いので、京大演習林の長治谷作業所まで行ってみることにした。うまく行けば三国峠に登れるかもしれない。3月21日、いつものように出発が遅くなり、生杉に着いたのが12時過ぎ。道路の脇は雪が壁になっている。林道を車で登ろうとしたが、集落の端までしか除雪してなくて、一メートルほどの雪に埋まっている。戻って道が少し広くなっているところに車を停めた。他に三台停めてある。鎖をつけていない犬が二匹うろうろしている。さっき通り過ぎたときも寄ってきて、警笛でどかさなければならなかった。準備をしていると一匹が近づいてきて開いたドアから車の中に入りそうになるので追い払う。

 林道を登る。雪は腐りかけていてときどき足がはまる。足跡はあるが形がはっきりせず、今日のものではないのか、それともとけて形が崩れたのか。雲一つない快晴。周りの山の木々は裸なので雪におおわれた地面が形を現している。木の根元は丸く土が見えている。道路から外れたところで休憩しているパーティーが二組。カンジキをつけストックを持った三人連れとすれ違う。長靴をはいた中年の男が降りてきて、犬をみかけなかったと聞かれたので、車のところにいると告げる。鹿を追っかけて行ってしまったとのこと。

 地蔵峠から谷へ下る山道へ入る。谷は雪に埋り、渡渉の場所が分からず足跡をたどって大回りさせられる。杉林を抜けて丸木橋で再び流れを渡り、長治谷作業所のある谷間に着く。かつての長治谷作業所は撤去されていて、今は小さな小屋があるだけだ。15時。一面の雪。一組の男女がテントの撤収作業をしていた。青い空には飛行機雲が三筋、飛行機雲が崩れたような幅の広い筋が何本か。冷たい風が吹いてきた。靴に水がしみてきている。三国峠はあきらめて引き返す。下るときは長い雪道に飽きてしまった。

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