明神平
山での遭難騒ぎはめずらしいことではないが、場所が明神平なのが気になった。上の宮中学校の「山岳・アウトドア部」の12人(生徒10人、引率教師2人)が下山予定日になっても戻らず、翌日にコースを外れた場所で発見されて全員無事下山したというものである(2012年8月14日)。計画では、11日に大又の登山口から入山して明神平でテント泊、12日に桧塚奥峰まで往復して明神平で二泊目、13日に薊岳を経由して下山することになっていたらしい。13日夜から14日朝にかけて近畿地方で局所的豪雨の被害があったから、最初このニュースを聞いたときは雨のせいかと思ったが、直接の原因は道に迷ったことのようである。
なぜ気になったかというと、私は明神平に五度行ったことがあるからだ。地方的には知名度は割とあるのだが、この事件で全国的となった。どうせすぐに忘れられてしまうだろうが、ひょっとして興味を持つ人がいるかもしれないので、私の明神平行きの次第を書いてみよう。
最初に明神平に行ったのは1996年8月25日である。暑さが盛りを越したようなので、ガイドブックにあった国見山へのコースを選んで出かけた。国見山(同じ名前の山は方々にあるが)は奈良と三重の県境となっている台高山脈(大台と高見山をつないでいる)の一つのピークであり、明神平経由の登山口は奈良県側(西麓)の東吉野村の大又の奥にある。登山口までは遠いがいつものように出遅れて9時出発、阪神高速を松原ICで下りて、富田林、河内長野、五條を経由、吉野川をさかのぼる(これが最短のコースのように思えたのだ)。夏休みなのでいたるところで川遊びをしている。矢治の辺りで迷い、小川の分岐を大又方面へ、大又の集落(バスはここまで)を過ぎて林道終点に着いたのが1時過ぎ。車が4台とまっている。
空には雲が低くあり、不安な天気。登り出すとすぐに堰堤があり、その上方のきれいな青い淵で釣りをしている人がいた。道は谷をつめていく。途中に小屋が2軒。明神滝を過ぎると道は谷を離れ、ジグザグに斜面を登っていく。適度な傾斜の道は平坦で歩きやすい。雨が降り出すが林の中なのでさほど濡れない。2時過ぎに明神平に着く。あずまやがあり、休憩していた団体が下り始める。そこで食事をし、レインコートを着る。ガスが晴れて明神平の全景が見える。盆地や台地ではなく幅広の鞍部である。低木に囲まれた草原。倉庫のような愛想のない作りの小屋がある(天理大のかもしか山荘)。
明神平から北へ折れて国見山に登り出す頃には雨はやみ、暑くなったのでレインコートを脱ぐ。低木の林の中の稜線の道。3時に国見山に着く。灌木にさえぎられて眺望はきかない。上空は晴れているが下は雲に覆われている。引き返して下山、登山口に4時30分に着く。汗だくで気持ち悪かったので、裸になりあの青い淵に入ってみた。とても冷たくすぐに上がった。
二回目に明神平に行ったのは2002年11月3日。同僚の中年女性二人と紅葉の山にいく約束をしていて、集合した朝に薊岳に決めた。薊岳は主稜線から外れていて大又からも登れるが、明神平を経由することにした。阪神高速から西名阪に入り、針ICから南下、榛原、大宇陀、菟田野を経由して東吉野へ(これが最短のコースらしい)。途中道を間違え、登山口に着いたのは12時前。さらに奥へと工事用らしい道が延びていたので、急坂を車で登る。狭い道沿いにたくさんの車が並べて停めてある。どんつきまで入り、都合よく空いていた場所に停める。
途中降っていた雨はやんだが、空一面に低い雲。谷はかなり荒れていて、以前とはルートが違っているところがあるようだ。二軒あったはずの小屋が一軒しかなく、その小屋も壊れかけている。小屋の上部の斜面はすさまじい崩壊の跡。
降りてくる人が雨具姿なので聞くと、明神平は吹雪になっているとのこと。明神滝の下で食事をする。とりあえず行けるところまで行ってみることにする。谷から離れて斜面を登るにつれて、落ち葉の上を雪がおおうようになる。上の方はガスっているが、雪は降っていない。明神平の手前で樹氷が現れる。明神平は一面10cmぐらいの積雪。あずまやのすぐ上に以前にはなかったログハウス風の立派な小屋が建っていた(1998年の台風で谷にあった天王寺高校のあしび山荘が崩壊し、2000年にこの場所に立て替えたらしい)。
この寒さでは先には行くどころか、ここに長くとどまることもできない。すぐに降りることにする。ガスがなくなり少し明るくなって辺りが見通せる。登っていたときには余裕がなく気がつかなかったのだが、紅葉がきれいだった。
このとき薊岳に登れなかったのがずっと気になり、2005年11月7日にようやく機会を作って一人で行ってみた。薊岳は林道の通っている大又川の谷の南の尾根にあり、周回するには大又を起点にして明神平で折り返すことになる。谷からか尾根からかどちら回りにせよ、大又から明神平の登山口まで(あるいはその逆を)林道歩きをせねばならない。それでは時間がかかるので、やはり登山口からのピストンにする。
登山口のだいぶ手前に工事関係車両以外の車は立入禁止の掲示があった。そこには道に沿って長い空き地があり、車を停められるようになっている。川に沿った傾斜のきつい道路を登る。途中に、流石を防ぐためか、コンクリートと鉄のパイプでできた構造物が川に設置されてあった。前回車を停めたところまで来てみると、さらに先に道を延ばす工事を行っていて、右岸の斜面が削られている。こんなところに道を通してどうしようというのだろう。
三度目なので道の記憶が残っている。改めて谷の荒れているのが分かる。明神滝から上は紅葉が盛りだ。明神平に近づくと木は既に葉を落としている。明神平から国見山方面とは反対の南の斜面を登る。明神岩の向こうに窪地状の草原があった。稜線には裸のブナの木。この辺りの風景は小屋のある鞍部よりも風情がある。錆びた支柱やワイヤーを巻くドラムのようなものが放置してある。以前はスキー場だったようだ。
三ツ塚で薊岳方面へ行くはずが、分岐が見当たらずそのまま道をたどる(帰りに分かったのだが、三ツ塚を巻いた道を行ってしまったのだ)。明神岳(後で分かった)に着く。それでも間違いに気づかなかった。二度も行ったことのある山域だからとなめて地図を持たなかった。さらに先に進む。稜線では西側が鋭く切れ落ちていて、強い風が谷から吹き上げてくる。振り返ると薊岳のあるような尾根が見える。ようやく間違えたことに気づく。これは池木屋山への縦走路だ。三ツ塚から西の尾根へ曲がるべきところを、そのまま南下してしまったのだ。もう2時になっていて、今から戻って薊岳へ行く時間はない。感じのいい道だからもう少し歩いてみることにする。ブナと丈の低い笹原の尾根道。笹がないところでは落ち葉で道が隠れて迷いそうだ。笹ヶ峰とおぼしきところで引き返す。
薊岳に二度も振られてしまったので、今度こそはと2006年6月7日、梅雨入り前の最後の晴れ間に出かける。阪神高速が事故で渋滞し、登山口(元の登山口より大分手前の新しい登山口)についたのは11時頃になってしまう。歩き出すと甘みのある腐臭というような匂いがする。あちこちにウツギの花が咲いているので、これが匂っているのだろうか。登山道と別れるところで道路は右岸の斜面をコンクリートで固めて強引に登り、三度折り返してそこで止まっている。登山道は左岸をちょっと行って、小さな鉄の橋で川を渡り、道路の最初の折り返しのところでまっすぐ谷に入っていく。谷は荒れた感じは残っているが、それなりに落ち着いてきたようだ。明神滝まで遡行し、それから斜面のジグザグ道を登る。バイケイ草が目立つ。道が横切る小さな流れではカエルが石を打つような音を出して鳴いている。ぴーぴーぴぴと鳥がやかましい。
明神平のあずまやで男一人女三人のパーティーが食事をしていた。彼等は私が着くとすぐに出発し、三ツ塚の方へ登って行った。食事を済ませて彼等の後を追う。今度は間違えずに三ツ塚の分岐を右へ、薊岳への尾根をたどる。池木屋山への縦走路と同じように、ブナの木と笹原の道。今の時期は新緑の木陰。晴れてはいるが、風が少しあり、暑くはない。平日であり、夫婦連れとすれ違っただけで、後は誰にも会わなかった。明神平から1時間30分ほどで薊岳の頂上に着く。
眺望はよく、北側は深い谷をはさんで長い尾根。その向こうに三角形の高見山が見える。南側は山また山の連なり。うっすらと高く見えるのは大峰だろう。目の前にはシャクナゲがまだピンクの花を咲かせている。
先行したパーティーには追いつけなかったが、もう大又の方へ下りてしまったのだろうか。池木屋山へ行ったのではあるまい。それが少し気になって、帰ってからこの辺りの山行のホームページを見てみると、桧塚へ行くコースというのがある。明神岳から東の方(三重県側)へ行くらしい。結構人気のある山のようだ。行ってみたくなった。
そういうわけで、同じ年の10月28日に五回目となる明神平に出かける。その年は紅葉が遅かったが、前年の経験から稜線のブナの黄葉は比較的に早いと思われるので、見当をつけるのが難しかった。前日の天気予報では、ほぼ日本全土を高気圧がおおうが、南方に気圧の谷があって、近畿地方は午後から曇り、夜になって雨になるらしい。
私にしては早い目に出たのだが、西名阪で渋滞し、登山口に着いたのは10時。既に30台近くの車が停まっている。私が着いた時に男の登山者が一人出発していったが、10分後に歩き出して、明神滝の手前で追いつく。「まだ紅葉は早いようですね」と話しかけられ、上の方はちょうどいいのではないかと返事をし、しばらく歩きながら会話をする。彼が道を譲ったので、先へ行く。滝の上の斜面の道は紅葉が盛りだった。11時30分頃、明神平に着く。
あずまやには男女二人連れがいた。近くにテントを張ろうしている男二人。あしび山荘の前にも人がいる。男女二人連れは出発し、国見山の方へ行く。明神平の手前で追い越した男二人と、さっき会話をした男が到着する。ときどき日が射す程度の曇り空だったのが、雲が低く黒くなってきた。休憩もそこそこに出発する。
稜線のブナは既に葉を落としていたが、下の方のブナはまだ黄色い葉をつけている。カエデやモミジは真っ赤な色の盛りだ。明神岳には何人かが休憩していて、男二人が桧塚への下り口が分かりにくいのか話し合っている。かまわず急斜面を下りブナの林の中を行く。紅葉のきれいな、アップダウンの少ない道。何組かとすれ違う。少し登って、桧塚奥峰。南側が断崖になっていて眺望がよい。休憩している人が十数人いる。
先に桧塚まで行ってしまうことにする。笹原の尾根を伝い桧塚へ。頂上は木があって眺望はよくない。数人のグループが来たので写真をとってもらう。彼等は間違えたと言って少し戻り、道のない笹原を南へ下って行った。南の方からガスがせまってきた。桧塚奥峰に戻って食事をする。1時。眺望は失われている。さっきの人たちはいなくなっていて、男女二人連れと単独行の男が地図を見て話し合っている。雨がぽつぽつ落ちてきた。急いで戻ることにする。
大した雨ではなさそうなのでそのまま歩く。天気予報を信じて雨具は持ってこなかったが、念のため車に積んであるレインコートをザックに入れてある。とにかく急ぐ。景色はもう目に入らない。幸い風はない。シャツもズボンも雨がしみてくる。しゃにむに歩いたが、明神岳への登りでスピードがダウンしてしまい、やむなくレインコートの上衣だけを着る。2時、明神平着。あずまやで雨宿り。先にいたグループが出発し、その後テントにいた二人が来てコンロでソーセージをあぶっていた。雨がやみそうなのでレインコートを脱ぎ、下山。
五回の明神平探訪で、桧塚奥峰や薊岳にも行ったが、薊岳から大又への下山路はたどってはいないので、遭難の状況は想像しにくい。だが、今度の事件で、学校の部活動が制限されたり、明神平の評判が悪くなることがないように願う。明神平とその近辺を私はすっかり気に入っていて、機会があればまた行ってみたい。
ところで、日本にもミルフォードトラックみたいなトレッキングツアーのできるコースが作れないものだろうか。ちゃんとした食事を提供し、きちんとしたベッドを用意した、できればシャワーのある宿泊所を二つか三つつないで、ガイドが面倒を見る(といっても行動はあまり束縛されない)三、四日のトレッキング。むろん、できるだけ環境に負荷をかけないようにして。
規模は小さくても、明神平の辺りにそんなコースができれば素敵だろうと思う。