井本喬作品集

二百番目の山(剣岳)

 以前に、NHKテレビのニュースが、小学六年生の女の子が日本百名山を全て登ったと伝えていた。いつだったか、山行記録のホームページを見ていたら、五百座を登ったがこれからは数えないことにするという記述を見つけたことがある。そういう人たちに比べれば見劣りがするが、私もやはり登った山の数についてこだわっている。

 あるとき、ふと思いついて今まで登った山を数えてみた。それで分かったのだが、「山に登る」というのはどういうことなのかを決めるのが案外難しい。山というのは単にピークであればいいのか、三角点がなければいけないか、あるいは名前が付いていればいいのか。登るとは麓から歩く場合のみに限るのか。車やケーブルカーやロープウエイやリフトを使った場合はどうか。歩いた場合に限るとしても、そもそも出発点となる登山口をどこに設定するかは恣意的である。

 そこで基準を決めた。何でもいいからとにかく名前がついているピークであれば山とみなす。そして、たとえ車などで頂上近くまで行けても、そこから少しは歩いたのであれば登ったことに含める。逆に、どんなに時間をかけて登っても、頂上を踏まないで帰ってしまえば除外する。こういう甘い基準なのに、案外少ない数だった。有象無象の山を集めれば百は越えていると思ったのだが。

 それは1988年のことで、その年のうちに百を達成しようと思い、数をこなすために近くの山を集中的に登った。6月に7座、7月に4座、8月はパスして(近郊の山は夏は暑いのだ)、9月に3座で累計99座。10月に百番目の山として近畿の最高峰の八経が岳に登った。

 それから17年たって(2005年)、そろそろ山の数が二百になりそうなので、二百番目の山を決めようと思った。17年間で百弱しか登れていないのは、余暇を全て当てるほどには山に執心していないし、また山への思いにもムラがあって全然山に行かない時期もあったからだ。

 めぼしい山はたくさんあるうち、剣岳にしようと思った。学生のときや就職してしばらくは、年に一回は北アルプスに行くことにしていたが、三十代になってやめてしまった。山に登ることは続けたが、日帰りの可能な近くの山や、たまに遠出するとしても他の地域の山を選んだ。理由はいろいろ考えられるが、今まで好きだった人間に突然嫌気がさすようなものだったかもしれない。ところが、昨年の9月に職場の同僚たちに誘われて乗鞍岳と焼岳に登った。いずれも初めての山だったが、懐かしく感じた。北アルプスをほったらかしにしていたことを悔いた。やり残した仕事をするように、未踏の剣岳を訪ねてみることにした。長時間歩けるか体力が心配だが、この機会を過ごせばますます困難になってしまうだろう。

 数字をうめるためと、体を馴らすために、事前に手頃な山に登った。6月19日、三上山(198番目)、 7月7日、青葉山(199番目)。鍛錬用には物足りないが、二つともいい山だった。いよいよ二百番目の山、と思ったが、何やかやとあってなかなか出かけられない。思い切って予定を立ててしまえばいいのだが、ここ何年か遠出すると山で雨にあうことが続いているので、天気のいい日を選ぼうとするのだが、台風が来たりしてうまく決められない。7月、8月はたちまち過ぎてしまった。9月初旬に去年の仲間と八ヶ岳に行くことになっていて、登る山によってはそれが二百番目の山になってしまう。その前にと思っていたが、とうとう剣岳に登れずじまいのまま八ヶ岳に出かけた。もうこだわらずにどんな山でもいいと思うことにしたが、幸か不幸か台風の余波で雨になり、登山は中止して八島湿原を歩くだけで終った。

 9月も半ばを過ぎ、今年は見送ろうかと弱気になりかけたので(本来、出無精なのだ)、もう一度事前に体力を確かめておこうと思い、9月16日に武奈ガ岳に登った。武奈ガ岳には琵琶湖側からと朽木渓谷側の坊村からと、二度登ったことがある。距離の長い琵琶湖側からのルートを選び、比良山を六時間ほど歩いて自信がついたが、歩きにくい下りの登山道で左足のつま先を痛めてしまった。

 剣岳登山は混雑を避けて二つの連休の合間に行くと決め、前の連休最終日の19日(秋分の日)に出発した。天気予報では現地は曇り、週末には雨になる。大阪駅発7時42分のサンダーバード3号に乗り、富山駅着11時25分。大阪では晴れて日が射していたが北上するにつれ雲が多くなる。駅で鱒寿司弁当を買い、富山地鉄の電車の中で食べる。立山観光の二十人ほどの団体と、葬儀に行くらしい一団が乗っている。後者は五百石という駅で降りた。土砂崩れで不通になっているため、岩峅寺と千垣の間はバスに乗り換える。結構観光客がいてバス一台が満員になる。再び電車に乗ってすぐに立山駅に着く。

 駅の掲示板には「室堂、天候雨、視界不良、温度9℃」とあった。満員のケーブルカーで美女平駅へ、そこからバスに乗る。雨は降っておらず、途中、称名の滝が遠望される。登り着いた弥陀が原も見渡せるが、大日岳にときどき雲がかかる。予定時刻より早く、13時30分頃に室堂バスターミナルに着く。ここの掲示板では温度14℃となっている。

 ターミナルの屋上から遊歩道に入る。Tシャツ一枚では肌寒いが、歩いているうちに体は温かくなる。みくりが池の傍を通り雷鳥沢へ下りる。コンクリートの遊歩道で、痛めた足が直りきっていないのを感じてやや不安になる。木材を並べた小さな橋で沢の流れを渡り、別山乗越への登りにかかる。最初は沢にそって登り、やがて尾根に取り付く。やや左手の大日岳を見ながらひたすら登る。ナナカマドが赤い実をつけている。振り返ると立山が作るすり鉢の半分のような空間の底に室堂付近の建物が小さく見える。15時30分別山乗越に着く。反対側はガスで何も見えない。ここにある剣御前小屋に泊ることにする。

 夕食17時、食後誰もいない談話室で高値の缶ビールを飲みながら備えつけの本を読んだ。消灯は21時だが20時に寝床につく。指定された二階の部屋には、一枚の敷き布団に枕と毛布が二つずつ、二十人分ぐらいの蒲団がすき間なく敷き詰められているが、寝ているのは他に二人のようだ。表で声がしたので窓から見ると、十六夜の月に照らされた剣岳が見えた。消灯の後三人が入ってきたが、酒を飲んでいたらしく、そのうちの一人が隣に横になり、苦しいのかときどき「ああっ」といううめき声をあげるので寝られない。大きな音を立ててトイレに行き、帰ってきてもやはり声を上げる。とうとう我慢しきれなくなり、「やかましい、静かにしろ」と怒鳴った。反応はなくその後も声は続いたが、男はもう一度トイレに行ってから離れた寝床に移った。その後もなかなか寝つかれず、うとうとして物音でさめると、5時だった。

 起きてトイレへ行き(紙は落とさずにゴミ箱に入れるように注意書きがある)、準備をして5時30分に小屋を出る。朝食の弁当は昨日の夕食時に受取っていた。剣山荘への道へ行こうとして、先に出た二人の青年のシルエットが上方の峰に見えたので、剣山荘を迂回する道かと思ってそっちの方へ行く。青年たちを追い越してしばらく行くうち、道を間違えたことに気づく。この道は剣御前の尾根道で、黒百合のコルで巻き道と合流するが遠回りになる。さっきの青年たちは剣御前からご来光を見る目的だったのだ。ここまで来て引き返す気にならず先を急いだが、時間と体力の浪費になってしまい、自分の不注意な過失に腹が立つ。道はハイ松に隠れて見失いがちになる。足下が見えないまま歩いていて大きな枝に右足のすねを打ちつける(痛むので後で見てみたら血が出ていた)。あせる気持ちを抑えて慎重にならざるを得ない。一向に合流しない道に不安を感じながら歩き続けると、尾根が切れ落ちた端に出た。

 道を間違ったのだろうか。しかし、ここまではっきりした道だった。行き止まりになっているにしては長く、分岐もなかった。だとしたならば、道はこの崖を降りているのだろう。歩いた跡があるようでもあり、何とか降りられそうだ。だが、あまりに急すぎてためらわれた。念のため引き返してみると、見逃していた下る道があった。この道も急降下だが、ちゃんとした道だった。危ういところだった。あの崖を下りていれば、転落したか、行き詰っていたに違いない。ようやく黒百合のコルに着く。ここから他の登山者を見かけるようになる。

 剣御前の尾根から後立山の上の雲の中に日の出を見たが、空一面の雲であまり明るくならない。剣の頂はぎりぎり雲の下。北西の方から雲が動いてくる。ときどき雨粒が落ちてくるが、まだ本格的な雨にはならない。前剣を越えると、はや降りてくる人がいて、剣沢を3時30分に出たとのこと。前を大柄な外人の男性とその妻らしい小柄な日本人女性のカップルが行くのでついていく。鎖場では彼らはカラビナで確保しながら登るので時間がかかる。カニの縦ばいは岩場の直登なので鎖を使った腕力登行だ。後は頂上目指して登るだけだが、ついにガスに包まれる。

 先行していたカップルを追い抜いたが、あせったせいかまた迷ってしまった。岩と石の道なので注意していないとルートを外れてしまうのだ。自分が道のないところにいるのに気づく。どっちへ行っていいか分からない。途方に暮れていると、上方から声がかかり、さっきのカップルの外人が正しい道を教えてくれた。ぐずぐずの石の堆積の斜面を無理矢理5、6メートル登ってルートへ戻る。落ちる石が当たって手に傷がついたが、もう必死で、かまってられない。

 頂上についた頃には雨になり、雨具を着る。むろん眺望はきかない。一緒に来たカップルは早々に下山する。時計を岩場でポケットに入れ、その上から雨具を着たので出すのが面倒くさく、時間が分からない。9時30分前後だろうか。雨が気になって食べるヒマのなかった朝食のオニギリを立ったまま食べる。頂上に着いた人たちは写真を取るとすぐ降りて行く。すり減った私の靴は濡れた岩場では滑るだろう。不安になり、せかされるように私も降りる。まだ登ってくる人もいる。

 カニの横ばいでは谷から吹き上げる風でフードの中の帽子が飛びそうになる。前を行くのは若いカップルで、女性はもたついている。降りていくうちに雨はやみ、ガスもなくなる。帰りのコースは行きとは別になっていて、どこを歩いているのか分からないままひたすら降りる。疲れ、足が重く、痛む。一服剣まで戻ってきて、ようやく景色を見る余裕ができた。

 後立山の稜線が、白馬から針の木まで見える。真ん中の大きな三角錐の山は鹿島槍らしいが双耳峰には見えない。はるか以前にあの稜線を一人で縦走したことがある。曇り空のせいか山の連なりが遠く見える。それらの山々とこちらを隔てているのは黒部の渓谷だ。眼下の剣沢を阿曽原まで下り、黒部川ぞいを欅平まで歩いたこともある。やはり一人だった。あの頃どういう気持ちで山に登っていたのかもう思い出せない。唯一つ分かるのは、今より体力があったということだ。

 剣山荘まで降りて休憩する。登りで一緒になった外人・日本人の夫婦が既にいて荷物を整理していた。他に私の先を降りていた夫婦(カニの横ばいのカップルとは別)がいて、私たちが小屋の前のベンチで食事をしていると、もう一組の夫婦連れが降りてきた。夫の方が疲れきった様子で座り込み、「もう二度と来ない」と言った。私も同感だった。

 剣岳の上に青空が見えたが、また雲に隠れる。再び別山乗越まで登る。ヘリコプターが黒百合のコルを越えて剣沢小屋に荷を何度も運んでいた。やがて剣沢もガスに包まれた。もう一泊して立山に登ることも考えていたが、疲れているし、足は痛むし、山小屋に泊る気もしなくなったので、帰ることにする。別山乗越を越えて雷鳥沢へ下る。足の筋肉と足先の痛みのためゆっくりしか歩けない。一部の草木が黄色く、赤くなりはじめている。雷鳥沢へ降り切って、楽をしようと思って地獄谷を回って行ったが、最後の登りはきつかった。15時20分、室堂バスターミナルに着く。

 15時40分のバスに乗った。美女平駅では激しい雨。ケーブルカー、富山地鉄と乗り継いで(富山地鉄の不通区間は翌日開通したそうだ)、富山駅着18時16分。雨は降っていない。富山発19時54分、大阪着23時12分のサンダーバード50号に乗る。剣岳の頂上からその日のうちに大阪に帰ってこれるというのは不思議な気がする。

 下山しながら、もう山はこりごりと思ったのだが、帰ってきて疲れがとれ足の痛みも消えると、また行ってみたくなる。剣岳にも再度登ってみたい。三百番目の山には登れるだろうか。

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