井本喬作品集

はずれの山(野坂岳・金糞山)

 どの山に登るかを決めるのに、私はガイドブックに頼っている。最近ではインターネットのサイトで教えられることもある。私が最初に使った関西の山のガイドブックはブルーガイドブックスの『関西ベストハイキング』(実業之日本社、1971年)であり、次に買って今でも使っているのはアルペンガイド別冊『大阪周辺の山』(山と渓谷社1987年)である。いずれもかなり以前に発行された本なので情報は古びていて、アプローチはおろかメインルートさえ大きく変わってしまった山がある。

 この二つのガイドブックに載っていてまだ登っていない山はたくさんあるが、その中でもずっと気になっていた山が二つあった。野坂岳と金糞岳である。

 『関西ベストハイキング』には「野坂岳は敦賀の西南方に位置し、日本海に面する山である。古くから岳詣りといって、毎年7月23日の夜、山麓の村人たちがこぞって山に登る行事があり、この夜は松明の灯りが全山をおおう壮麗さで、きらめくような北国の詩情がある」とあるが、岳詣りをインターネットで検索しても見当たらない。すたれてからかなり期間がたっているのだろうか。

 『大阪周辺の山』には「金糞岳、一三一七メートルは人里離れた岐阜と滋賀の県境に位置し、山麓からその全容を見ることはできない。奇妙な山名は、寛保2年の『近江国大絵図』にカナスソガ嶽と記され、それが訛ったとの説がある」とある。続けて「現在、近江高山から鳥越峠を越えて岐阜坂内村への林道工事が行われており、開通の暁には便利になるものの、静かな山旅の世界がまたひとつ消えて行くことになり、残念だ」とあり、インターネットで検索するとこの林道は既に完成していてアプローチが大幅に短縮されている。

 二つの山を後回しにして放置していたのは、近畿のはずれにあるような気がして、行くのがおっくうだったからだ。いわばたなざらしのままになっていた。しかし、福井や岐阜といったところで琵琶湖周辺なのだから、実際にアプローチにかかる時間は大したことはないはずだ。その遠さは心理的なものにすぎない。

 2007年5月15日、やっと気が向いたので行ってみることにした。北陸方面の天気が怪しそうだが、野坂岳をめざす。敦賀へ行くには、湖西道路と161号線で琵琶湖西岸を走れば、北陸道を使うのと大して時間差はない。敦賀から西へ粟野へ。ガイドブックに記載のスキー場はもはやなく、登山口は少年自然の家の敷地内にある。手前で大掛かりな道路工事をしていたが、舞鶴若狭道路の延伸のようだ。

 駐車場で準備をしていると、鈴の音がして登山姿の中年婦人が下りてきた(いつものように、正午近くになってしまっていた)。頂上の様子を聞くと、霧と風で今にも降りそうとのこと。敦賀から見えた山に雲がかかっていたので嫌な感じがしていたのだが、やはり上の天気はよくないようだ。熊に注意の看板があり、彼女が鈴をつけているので聞くと、熊は出ないと保証してくれた(彼女はしょっちゅう来ているらしい)。

 杉林の谷をつめ、20分ほどでトチノ木地蔵に着く。名水の標示がある。そこから谷を離れて斜面のくねくね道を登る。杉林からブナ混じりの雑林になる。ときどき両側の峰の間から下方の眺望がある。雲が日をさえぎり、やや風が強い。一時間弱で行者岩への分岐があり、寄っていく。ロープのある急な坂を登った岩の上からの眺めはいい。元の道へ戻ると、ちょうど年配の男性が下りてきたので状況を聞く。相変わらず霧と風らしい。

 一の岳はすぐだった。見下ろせば、両脇を山に限られた平野とその向こうの海が一望。信長が袋のネズミになった状況が分る。振り返るとすぐ上を霧が流れている。霧の中を登るにつれてブナが目立つようになる。風が強いが木々がさえぎってくれるのでさほどに感じない。二の岳、三の岳を経由して、午後2時前に頂上に着く。

 強い風に霧が流れている。ときどき明るくなり、はっきりとは分らないが頭上に太陽があるようだ。頂上は草原状の小広場になっている。もちろん霧のため眺望は全くない。頂上の一段下に避難小屋があるので入ってみた。中に小さな社が置かれてある。高い床になっていて割と片付いている。周りの山のパノラマ写真を貼った細長いアルミ板のパネルが壁に立て掛けてあったので手に取ってみると、その後ろに体を折った茶色い蛇がいた。頭の形からマムシではなさそうだった。身を隠す覆いを取られた蛇はゆっくりと壁のすき間に入っていった。

 再び外へ出てみると、雲が切れて青空が見えるときがある。霧が吹き払われるのを待ってみるが、晴れ間は頂上のすぐ上まで来ているのにそこから一向に降りようとしない。男の人が登ってきてすぐ下っていった(ウェブサイトを見ると、三十三間山、野坂岳、赤坂山、百里が岳を一日で登ってしまう猛者がいるから、その同類かもしれない)。私もあきらめて下山する。

 続けて5月21日に金糞山に行った。名神高速道路が改修工事のため渋滞、ただでさえ出るのが遅いのに、さらに遅れてしまう。木之本から365号線を南下、適当に左折して高山の集落を経由し、川沿いの道を行くと大きなキャンプ場がある。そこが西俣出合で、登山道は東俣谷を行くのだが、新たに鳥越林道が尾根を登っている。事前にインターネットで調べたところ、林道は660m地点と990m地点の二か所で登山道と交差し、それぞれ新しい登山口になっていて、登山時間を大幅に短縮している。

 鳥越林道はどんどん高度をあげ、西側の深い谷とその向こうの尾根がパノラマのように展開する。下って来る車とすれ違ったが、乗っているのはもう帰る登山者たちだった。林道は北に向かってさらに山腹を巻いている。ずっと行けば鳥越峠の手前にも登山口があって、小朝の頭の先に取り付けるらしいが、それではあんまり短縮しすぎるので、990m地点登山口の駐車スペースに車を停める。岐阜ナンバーの車が一台停まっている。既に14時になっている。

 登り出して5分ほどで連状の頭に着く(西俣出合からここまでコースタイムで2時間ほど。何と楽をすることか)。さらに15分ほどで小朝の頭の標識。眺望はないが北方に金糞山が見える。雪のせいか根元でまがって道をふさいでいる杉の小木を乗り越えて行くと小さなピーク(大朝の頭?)があり、その先がブナ林になっている。観測用の足場が組まれてあった。雲が多くなってきていたが、日が照るとブナの新緑が映える。

 そこからやや急な登りになる。長靴をはいた夫婦者が降りてきた。手に鎌とビニール袋を持っている。コシアブラを採ってきたのだとビニール袋の中を見せてくれる。天ぷらにするとおいしいらしい。頂上まで20分の標識を過ぎて登り切るとかん木の尾根で、東側が開け林道が見下ろせる。なかなか頂上に着けない。

 15時、頂上に着く。笹を切り開いた丸い空地。東方の山々は遠方がかすみ雲もかかっている。西方が見えないのでさらに北へ少し行く。道は下って次のピーク(白倉岳)に続いている。尾根の向こうに光る琵琶湖。竹生島と葛籠尾崎が墨絵のように見える。平野をはさんで左手に伊吹山。しかし、ブヨが多く、汗をかいた腕にひっついたり、目にとまったりするので落ち着いて眺めていられない。早々に下山する。下りは1時間もかからない。

 野坂岳にしろ金糞山にしろ、ブナのあるこんなにいい山が、それほど遠くないところにあったのに、ほったらかしにしていたのはもったいないことだった。

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