井本喬作品集

センチメンタル山行(仙丈岳・八ヶ岳)

 遠い山に行く機会は限られるので、一度登った山を再訪してみたいという思いはあっても、やはり未登の山を優先することになる。そこで、今夏(2007年)は、全く未知ではないけれども登り残している部分のある山へ行くことにした。仙丈岳と八ヶ岳(横岳・硫黄岳)である。未知と再訪の両方の興味を満たしてくれるだろう。

 仙丈岳は十五年前に甲斐駒ヶ岳と一緒に登ろうとして断念してしまっていた。車で夜出発して中央道のSAで仮眠し、翌朝甲斐駒ヶ岳に取り付いたのだが、睡眠不足でバテてしまい、駒津峰であきらめて引き返した。北沢峠の長衛荘で泊まって翌日再度挑戦して甲斐駒ヶ岳には登ったが、仙丈岳に登る気力はなくしてしまった。

 八ヶ岳には二十一年前に清里から県界尾根で赤岳に登り、そこから夏沢峠まで縦走するつもりだったがバテてくじけ、その日のうちに美濃戸へ下りてしまった。単独行は気ままに行程を選べるが、不安になると支えてくれる人がいないので、もろくも逃げ出してしまうことになりやすい。

 せっかく遠出するのだから一度に一つの山ではもったいない。二つの山はちょうどいい位置にあった。出発日は信州まで行って泊り、翌日に仙丈岳を登って茅野で泊まり、次の日に八ヶ岳に登って大阪へ帰る。どちらの山も山小屋に泊まらずに日帰りをする。そういう計画を立てた。

 8月23日に伊那市のビジネスホテルで泊まり、翌朝5時に出て仙流荘のバス停の駐車場に車を停め、6時05分発のバスに乗る。以前は長谷村村営だったのが、市町村合併で伊那市営になっていた。乗り場の辺りは記憶にあるのと変わっていないようだ。既に多くの登山者が並んでいて、乗れたのは二台目のバスだった。マイクロバスなので右側の座席は二人用、左側は一人用だが、両方とも満席で、私は通路に折りたたみの補助椅子を出してすわった。私の左側にすわっていたのは若い女性だった。バスを待っているときに、あるパーティーの中のただ一人の女性としての彼女に気づいていた。中高年ばかりの登山者の中に彼女のような若い女性がいるのは頼もしい。バスは林道を上がっていく。鋸岳や甲斐駒ヶ岳はバスの左側に見えるので、私は左にばかりに顔を向けていた。あいにくガスっていて、稜線は隠れている。私はときどき焦点を近づけてすぐ横にすわっている彼女の横顔を見た。彼女はほとんど眠っていた。夜中に出発してきたのかもしれない。

 北沢峠は林の中の道の一部というだけの特徴のない場所で、長衛荘とバス停がなければ通り過ぎてしまいそうだ。来てみれば定かな記憶はないがこういう所だったのかなと思う。針葉樹の林の中の道を登る。大滝頭の少し上でハイマツに変わり、眺望が開ける。前方左手には北岳とそれに続く尾根。振り返れば甲斐駒ヶ岳が目の前にあり、右肩に瘤のように摩利支天が付き、稜線は急傾斜で大武川の谷へ落ちている。あの下が仙水峠なら登るのは大変だなと思ったが、峠はもっと手前になるようだ。

 小仙丈岳を経て仙丈岳頂上へ。頭上は快晴だが遠く取り巻く山々には雲があり、大きな円の青空の下にいるようだ。切れ落ちた北側の眼下には仙丈小屋と馬の背ヒュッテが見える。頂上には十数人の人がいて、二人の男(たぶん初対面)がずっとここにいたいですねと会話していた。その気持ちには同感だったが、北沢峠午後1時発のバスに乗れそうなので下山にかかる。

 北沢峠からすぐに仙丈岳に登り始めたから、バスの中で隣にすわっていた女性たちのパーティーがどちらへ行ったのか分からなかったし、気にもしていなかったのだが、仙丈小屋から下って馬の背に続く尾根にかかるとき、彼らが休憩しているのに出会った。彼らは藪沢小屋経由の道を取ったようだ。その場所からは仙丈岳頂上直下の小さなカールの底に仙丈小屋が見え、その下のハイマツとナナカマドの緑の斜面が小屋を頂くように裾を拡げている。

 面白いことに、同じような体験を八ヶ岳でもした。美濃戸から赤岳鉱泉への林道を、若い女性が一人まじったパーティーと一緒に歩いた(話はしなかった)。パーティーの成員の年齢は様々で、彼らの短い会話から職場の同僚のように察せられた。先頭を歩く地下足袋をはいた割と高年の人のペースが速かったが、パーティーの中にこのルートを経験した人がいるようなのでついていくことにした。林道を四十分ほど歩くと谷川ぞいの登山道に変わった。私は一列になったパーティーの最後尾を歩いた。相変わらず速いペースであるのに感心していると、先を行くうちの二人ほどが足をすべらした。疲れてきているようだ。やがてパーティーは休止した。私は彼らを追い抜いた。

 赤岳鉱泉で休憩している間には彼らは到着しなかった。私は硫黄岳へ取り付き、横岳を経由して赤岳に登った。赤岳頂上小屋の前の人の群れの中に、彼らを見つけた。彼らは赤岳鉱泉から行者小屋へ向かい、そこから赤岳に登ってきたのだろう。眼下に行者小屋と赤岳鉱泉が見える。二つの建物は美濃戸中山の小さな隆起に隔てられている。

 赤岳を越え、ところどころに編み目の鉄板の階段が設置されている文三郎道を下り、行者小屋に着く。行者小屋から見上げる横岳の岩壁は迫力があった。それは思いもかけないほど近くに、頭上に屏風のように広がって視野を一杯にしている。この風景は記憶にあった。前回、地蔵尾根を下りて来て見た風景だ。あまりに気力が萎えてしまっていたので、地蔵尾根の下り口でこんな急傾斜を下りることができるだろうかと途方に暮れてしまったほどだったのだが、下り切った行者小屋からの風景はそういうみじめな気持ちを切り替えてくれたのだ。

 行者小屋から美濃戸への道は以前に通った。結構長くかかった記憶があり、今回もそうだった。美濃戸からは林道になる。前回はとにかく早く帰ろうと景色を見る余裕もなくしゃにむに歩いた。今日はゆっくり歩こう。幅のある白い地道が目障りだが、いい林である。気分は快適。素敵な旅だったではないか。いい天気だった。いい景色だった。未踏のままずっとわだかまっていたものが解消した。

 美濃戸口に停めていた車に乗り、山麓の畑の中を茅野に向かって走らせる。背後には八ヶ岳の稜線、左手には北岳、甲斐駒ヶ岳、仙丈岳が見える。また来てもいい、これきりでもいい。そんな風にあっさりと思えた。

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