井本喬作品集

塩見岳

 南アルプスの山はずっと敬遠してきた。私が山に登り始めた頃購入したガイドブックに次のように書かれてあったからである。「山小屋は、北アルプスとちがって収容力も少なく、寝具の設備もほとんどないし、駒ガ岳・鳳凰山周辺のごく一部の山小屋をのぞいては食事の用意もないから、寝具、食糧、炊事用具から燃料まで、山の世帯道具いっさいを背負ってゆかなくてはならない」(『ブルーガイドブックス17アルプス縦走』実業之日本社、1966年)。重い荷物に苦しむのは嫌だったから、南アルプスに行くのはあきらめることにした。むろん、こういう状態がいつまでも続くわけではないことで、ガイドブックを責めることはできない。いかな辺鄙な土地でも変化は起こり、観光地化されることでそれは激しくなる(ガイドブックがそれに加担することもある)。変化に対応するためには何度も改訂しなければならず、それはガイドブックの宿命だろう。読者の方でもそれについて行く必要がある。しかし、興味がなければ、いったん獲得してしまった先入観を訂正するための努力はしないものだ。

 さすがに、登山を趣味としていながら南アルプスを全く無視することはできないので、登りやすい北部の山はいくつか行ったが、南部の山々は登山の対象から外したまま日が過ぎた。最近になって、インターネットのサイトで、塩見岳を日帰りするという記事を見かけた。単に日帰りというだけなら、甲斐駒が岳や仙丈岳はもちろん、北岳だってできないことはない。しかしそれは北沢峠や広河原にバスが入りアプローチが容易になった北部のことであって、それ以南の山域は相変わらず不便なままではないのか。記事を見てみると、島倉林道からの登山口を使えば、三伏峠まで、従来の塩川小屋からのルートよりも2時間程度短縮できるらしい。それでもコースタイムでは往復15時間ほどかかる(健脚者なら7、8割に縮められるだろうが)。世の中には私などは足元にも及ばない健脚の人がいくらでもいて、百名山を全て日帰りするという記事を載せているウェブサイトも見かけた。そういうのがはやっているのだろうか。山小屋泊まりを避けたい私も見習いたいのだが、とうてい無理だろう。

 しかし、塩見岳という南アルプスのど真ん中にある山が意外と簡単に登れることを知った。標準の行程では三伏峠小屋で二泊して塩見岳まで往復することになっているが、8時頃までに登山口に着ければコースタイムで7時間の塩見小屋まで行って一泊し、翌日塩見岳に登ってその日のうちに下山できるはずだ。コースタイムは健脚者から「ジジババタイム」と馬鹿にされていて、私でも相当短縮できるのだ(公表するコースタイムを誰に合わせるべきかといえば、安全を見て遅めの人向きにするのは当然なのだが)。

 2008年8月21日に出かけることにした。塩見岳の登山口に8時に着くためには、3時に家を出る必要があった。ところが、やはりそんなに早くは起きられなくて、出発が6時過ぎになってしまった。島倉林道の駐車場に着いたのは11時だった。登山口は晴れていたが、山の峰には雲がかかっていて、三伏峠までの道は大部分ガスの中だった。三伏峠小屋に着いたのは14時前。17時までには塩見小屋へ着けると見込まれたので、弁当を食べただけで通過する。途中雲が切れて塩見岳が見えたときもあったが、ほとんどガスの中で、一時は雨になった(大したことはないので雨具は着けず)。塩見小屋には16時半頃着いた。小さな、背の低い、まさに小屋と呼ぶにふさわしい棟が二つ並んでいる。一方の棟の窓口で宿泊を申し込むと、もう火を落としてしまったので食事を提供できるか分からないとのこと。もっと早く、せめて三十分前に着くようにと軽くたしなめられる。いま食事が始まったらしく、配膳の具合で余分を出せるか判断するのだろう。結局一人なら都合がつくということで食事にありつけた。

 宿泊の手続きをする際に、トイレの方法を教わる。中にオムツを入れたようなビニール袋を渡され、トイレの中の便座にセットしてこの中に排便し、袋はトイレの前の箱にいれるようになっている(環境に配慮しているのだ)。水は水場からボッカしているので、水道はない。水の入ったペットボトル一本を渡される。

 一棟は食堂と管理棟になっていて、もう一棟が宿舎である(別にテント仕様の棟が二つあるが、その日は使われていなかった)。片側が二段ベッドになっていて、布団の敷けるスペースを数えてみると二十二人ほどの定員、今日は十四人が泊まっている。こんな小さな小屋は初めてだ。消灯は19時半、朝食は4時半である。

 翌朝、山頂でご来光を見る気はないので食事の後もゆっくりしていると、隣の女性が声をかけてきた。中高年の多い中では目立つ若い女性である。昨日、夕食の席で向かいに座っていて、隣の男と山の話をしていた。二人とも単独行らしかった。私は話には加わらずに聞いていた。寝るときはその女性と隣り合わせになったが、満員ではないので十分の間を空けられた。夜になると与えられた毛布では寒くて寝られないので、脱いでいた服を着込んだ。暗い中をごそごそしたので迷惑をかけたかもしれない。彼女は小屋の朝食を食べていなかったようなので聞くと、朝はあまり食べられないので栄養調整食品のブロックですますということだった。彼女は本来は「クマヒラ」まで行くつもりだったが、今日もガスっていて、あさってには雨になりそうなので、今日下山すると言っていた。「クマヒラ」とはどこか分からなかったが聞き返さずにいいかげんにうなずいた。

 彼女とは同行したわけではないが、相前後して塩見岳を往復した。昨夜彼女に話しかけていた男も後から登ってきて追い抜いていった。登っているときはガスの中だったが、頂上付近で雲を抜け出て、頂上からは雲海の上に突き出た富士山、荒川岳、北岳、間ノ岳が見え、やがて雲が下がっていくと、仙丈岳、甲斐駒が岳、農鳥岳が姿を現す。西方から北方にかけて、遠く御岳、中央アルプスや北アルプスの峰々。太陽を背にすると峰直下の雲にブロッケンが見えた。

 塩見岳は双耳峰になっている。東峰がやや高い。頂上にいるのは夫婦連れ一組と私たち三人の単独行者。五人は感動して風景に見入る。やがて夫婦連れが下り、次に男が下りた。去りがたい風景だったが私も下り、すぐに最後まで残っていた女性も下りた。山頂から小屋の方へ降りていくときには、雲が下がって白峰三山の全容が見えてきた。私を追い抜いて下りて行った女性は、もう少し上にいればよかったと残念がった。

 頂上から下りて塩見小屋で休憩しているとき、小屋の背後の二つの峰の右側が天狗岩で左側が塩見岳であることを私は疑問に思って口に出し、そこにいた人たちと論争になった。頂上を目指したときはガスに隠れ、下りるときは背後になったため、頂上との位置関係がつかめていなかった。頂上直下まで西側をトラバースする形でかなり歩いたので、小屋から見える峰は頂上にしては近いし幅もなく、岩峰の一つにすぎないのではないかと思ったのだ。私があまりにしつこくこだわるので、一人の男が「じゃ、そういうことにしておきましょう」と議論を打ち切ろうとした。手に負えない人の扱いは馴れているといった風なそういうやり方に私は腹を立てた。しかし、私が間違っていたことを小屋の人が教えてくれた。塩見岳の頂は細長く、極端に言えば板を立てたようで、東西から見れば鋭いが、南北から見れば半円のような形なのだ。つまらないことに固執して意地を張ったことに後悔した。

 話をした女性は関東方面からバスで来たということだったので、島倉林道の方へ下りるのであれば車で駅まで送ってあげようかと思った(登山口からバス停まで車道を歩かねばならないのだ)。だが彼女は小屋の前で大きなザックを整理していて急ぐ風でもなかったので、そういう申し出はせず、お先にとだけ声をかけて私は小屋を出発した(8時)。

 昨日登って来た道を戻った。三伏峠まで大したアップダウンはない。三伏峠小屋の前で小屋で作ってもらった弁当を食べていると、頂上で一緒だった男性が追いついてきた。下関から来たそうで、今回は御岳にも登り、これで三千メートル以上の山は全て踏破したと言っていた。登山口からバス停まで送ってあげようかと思ったが、彼は先に下りてしまった。ここまで下りて来るときに見えたお花畑の方へ行ってみる。斜面を少し登ると大きなガレの縁に出た。そこから小河内岳を経由して荒川岳のルートが延びている(他に広河内岳や上河内岳というのもあってややこしいが)。

 小屋まで戻って、話をした女性が来ないか待ってみようとも思ったが、あの大きなザックでは時間がかかりそうなので、そのまま下り、登山口には12時半頃着いた。先行したあの男性はもういなかった。バス停まで歩いたか、それとも誰かの車に乗せてもらったか。

 帰ってから「クマヒラ」を探してみると、仙塩尾根に熊の平小屋がある。その先の両俣小屋とつなげば、仙丈岳まで縦走できる。あるいは、熊の平小屋の少し北にある三峰岳から東方に曲がって間ノ岳経由で北岳へも行ける。あの女性はどっちのコースを行こうとしていたのだろうか。

 思い返してみれば、塩見岳の頂上から、東に下りていく尾根が見下ろせていた。頂上直下で蝙蝠岳につながる尾根を南東に分岐させてから、北東へ向かって雲の中に沈んでいた。あの尾根をたどって行けば、仙丈岳や北岳に続いているのだ。機会があれば行ってみてもいいかなと思った。

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