井本喬作品集

誰でもする遭難1(蓼科山)

 登山の話は、成功したものより遭難の方が興味深い。面白いと言っては遭難者(死んだ人も生き延びた人も)に対して不謹慎かもしれないが、単なるドキュメンタリーではなく小説的な興奮を与えてくれるのは、何と言っても思いがけないケースなのだ。

 私は雪山登山や岩登りはしないから、遭難するような状況には無縁であると、若干劣等感も込めて、思っていた。ところが、『生還 山岳遭難からの救出』(羽根田治、山と渓谷社、2000年)という本を読んでみると、遭難して当り前のような厳しい季節や場所(雪山や渓谷など)だけではなくて、誰でもが起こしそうなケースが載っていて、私にも似たような経験がある。

 怪我などで動けなくなる場合はもちろん、迷ったときにも動き回らずに救助を待つことが大事だが、行き先を知らせてなければ救助は期待できない。登山計画を家族や知人に伝えておくことや登山カードを提出しておくことは重要だ。近頃はケータイで救助要請ができるけれども、山では通じないことが多い。単独行の場合は何かがあればたちまち遭難する可能性が高く、この本に取り上げられているのも単独行のケースが多い。私も単独行である。多少名の知れた山でも、平日などは一日誰にも会わないこともある。転倒して足でも痛めたら、即遭難になりかねない。この本を読んで改めて山での危険を思った。

 山で道に迷ったときの鉄則は、はっきりした目印があるなどで場所が分かるところまで引き返すことと、それができないときには谷には下らず尾根に登ること、である。引き返すのは、簡単なようでなかなか出来ない。下っているときは登り返すのがしんどく、登っているときはそれまでの登りが無駄になると思う。ついつい何とかなるだろうそのまま進んでしまって、いっそう引き返すことが難しくなってしまう。ことに時間に余裕がないときにはそうなりやすい。私も何回かそういうことをやった。低山ならば強引に藪こぎをすれば道に出られる。だが、2010年5月に蓼科山に登ったときは危うかった。そのことを書いてみる。

 かつて勤めていた職場の元同僚と夏に信州の山へ行くことをここ何年か続けていた。保養施設として職場が契約して料金の割引があるホテルで二泊し、真ん中の日を日帰り登山に当てるという楽な行程である。最初の二回は天候に恵まれたが、三回目は雨の中を焼岳に登り、続く二回も雨で、登山は中止して近辺観光ですませてしまっていた。その後いろいろあって、ここ二年、間が空いた。久しぶりということで一般登山シーズンには早いが5月23~25日に再開することになった。出発時点で登山当日はまたもや雨の予想となっていた。雨をついてまで登山する気にはなれないのは私も同様だが、せっかく信州まで行って空振りは残念である。他のメンバーは私ほど登山に執心しておらず、単なる旅行になってしまってもあまり気にならないようだ。

 二日目は案の定朝から小雨だった。他のメンバーは中止を決めたが、私は手頃な蓼科山に一人でも登ると言い張った。一泊目は諏訪湖畔のホテル、二泊目が女神湖近くのコテージだったので、移動ついでに登山口まで送ってもらうことにした。午前は観光をし、登山口に着いたのは午後1時40分頃だった。大河原峠まで行きたかったのだが、七合目登山口から先は通行止めの柵があった。5時に迎えに来てもらう約束をし、雨具をつけて一人で登り出した。

 林の中の水が流れている笹の道を少し行くと、広い道の登りになる。やがて道は狭くなり意外にも雪が現れた。午前中に雲の切れ目から見えた蓼科山は冠雪していなかったが、日陰には残っているようだ。登るにつれて雪は多くなり、将軍平の手前では道は雪に埋もれている。凍っている部分があるがアイゼンは持参していない。端を通るようにして何とか通過する。

 将軍平着2時40分。蓼科山荘には寄らず、頂上への道に入る。そこから道はずっと雪におおわれていたが、幸いほぼシャーベット状なのでアイゼンなしでも登れる。林が切れて雪渓に出る。ロープが張ってあるのでそれにすがって急傾斜を直登する。ロープがなくなり傾斜がやや緩くなった雪渓を過ぎると大小の岩の斜面。岩に巻いた別のロープがあって、下山のときの目印になるだろう。道がはっきりしないがとにかく登る。風がきつくなる。登りきって頂上部の平坦地(ただし岩だらけ)に出る。吹き飛ばされそうな風。ガスって視界はあまりない。鳥居が見えたのでとりあえずそこを目指す。左手のやや高くなったところが頂上らしく柱の標識がある。そこへ行くが風に耐えきれずすぐ引き返す。頂上ヒュッテが見当たらないのが不思議だった。

 岩のペンキの矢印に従うと、祠を過ぎて反対側の展望図盤に着く。そこから平坦部の丸い縁を東へ回り込んで下山口を探すがはっきりしない。岩の上をどこでも歩けるが道らしき跡がない。この辺りだと見当をつけて下ってみるが、目印のロープは見つからず、その下の雪渓にも足跡がない。雪渓に入って左右にトラバースしてみるが道は見つからない。いったん雪渓に入ってしまったので、そのまま下ってしまう。その雪渓が下部で登ってきた雪渓とつながっているはずだと見当をつけたのだ。

 もちろん、それが間違いだった。登り返して下山口を探し続けるべきだった。登るのがおっくうだったうえに頂上の風を避けたかったので、安易な方向へ下ってしまったのだ。眺望が得られないため方位が不確かであり、頂上ヒュッテも見つからないので、軽いパニックになっていたのだろう。

 傾斜が急でステップを切っても滑り落ちそうになり、ところどころに出ている木の枝につかまって下りる。雪渓は林で終わっていて、他の雪渓とはつながっていなかった。林の中に入る。下は雪なのでさほど苦労せず下れる。かすかな足跡のようなものを見つけそれをたどるが見失ってしまう。どちらにしろ、東にトラバース気味に下って行けば将軍平を横切る登山道に出るだろうと思って、遮二無二下っていく。やがて林が切れて岩ばかりの斜面に出た。ガスは切れて下方が見渡せる。岩の斜面は下の方で谷になっているようだ。右手(南東)の尾根を注視するが将軍平の小屋らしきものは見えない。ここで始めて遭難するのではないかという不安な気持ちになった。遭難までは行かなくとも5時までに下山できないかもしれない。ケータイは持っていなかったので連絡はとれない(持っていてもつながったかどうか分からない)。

 岩の斜面の中間辺りの右手の尾根の林の中に、空き地のようなものが見える。人工的なもののようで、ヘリポートかテントサイトかもしれない。あそこまで行ってみようと、斜面を下りだす。人間の背丈ほどの岩が敷き詰められたようになっている。岩と岩の間の狭いすき間を草や灌木が埋めているようだが下までは見えない。岩から岩へと移って下っていくが、意外と時間がかかる。一度岩のすき間に足を突っ込み、さらに一度転倒するが、けがはない。焦る気持ちを抑える。

 空き地に近付くと林が視界を遮ったので、見当を付けて林の中へ入る。林はかん木が密生していて、体を通すのに苦労する。林を抜けるとまた岩の斜面だった。今度のは小さめ。空き地と見えたのはこれだったのだ。がっかりする。ペンキの白い輪が描かれているように見えた岩があったので期待して近づいてみると苔だった。どっちへ行くべきか分からなかったのでトラバース気味に斜面のなかに入ってみると、上方、林との境目に棒に横板を打ちつけた標識が見えた。やれやれ、助かったと思った。

 登ってみると、「登山道」とあり、左への矢印。道をたどるとすぐ登山道に出た。そこは天狗の露地への分岐になっている(さっきの岩の斜面が天狗の露地だったのだろう)。4時30分だ。登って来た道に戻れたことを喜びながら、急いで下る。登山口には5時を少し過ぎて着いた。車はだいぶ前から待ってくれていたようだ。

 車の中で私は同行者に遭難しかけたことを伝えたのだが、大して興味を引きつけることはできなかった。無事にほぼ時間通りに帰ってきたのだから、インパクトがないのは当然であろう。しかし、天狗の露地を人工の空き地と間違えることはなく、したがってそちらを目指そうとしなかったならば、夜を山で過ごすことになったかもしれない。明るいうちに私が下山できなかったならば、同行者たちは捜索の手配をし、大騒ぎになっていただろう。もし私が動けなくなってしまっていたならば、登山道から外れてしまった私を見つけるのは難しいに違いない。

 山での遭難というのは誰にでも起きうることである。私たちが無事に山から帰還するのは幸運なことと考えるべきであり、その幸運が続くとは限らないことを常に自らに言い聞かせておくべきだろう。山以外でも、災難というのはそういうものかもしれないのだが。

 幸い私は無事で、安堵して過去を振り返っている。しかし、ときどき私は考えるのだが、実は私は生還したのではなく、山から遠く離れて快適な生活をしていると思っているのは私の必死の願いが呼び起こした夢か幻でしかなく、本当の私は夜の雨の山でいま死にかけているのではないか、と。

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