井本喬作品集

聖岳

 便が島の登山口へは遠山川沿いに林道赤石線が通じている。かつては梨元から西沢渡まで長時間の軌道歩きをしいられたらしい。この辺りの山域へ長野県側から入るには、小渋川を溯行するルートや、しらびそ峠から大沢岳へのルートがあるが、前者は難ルートだし後者は現在通行止めになっているので、一般の登山者にはこの道が唯一のアプローチになっている。

 2011年8月28日午前7時20分に中央道の飯田ICを出て、矢筈トンネル経由で152号線に入り、林道への入り口を探して南下する。トンネルの辺りからずっとマイクロバスの後について走った。下栗への分岐を過ぎてすぐに、右手に屋根の付いた道が分岐していて、登山口の標識がある。手前で停まったマイクロバスを追い越してその道に入る。

 この林道を普通乗用車で通れるのか不安だった。斜面にへばりついている下栗の里を通り抜けると予想通り道は悪くなった。土が水に流されて石が露わになっている。道一面がその状態なのでよけることはできず、比較的ましな部分を選べるだけだ。見逃した大きな石に乗り上げてしまったときにタイヤがはじけたような鈍く大きな音がした。そのままゆっくり走り続けたがハンドルがガタついているようだ。悪路のせいかと思ったが、道が大きくカーブしたところに渓流を渡るコンクリートの小さな橋があり、その平面でもガタつきはおさまらない。橋を渡ってすぐの道が膨らんでいる部分に車を止めて調べたら、やはり左後輪がパンクしていた。

 外してみるとタイヤは側面が破れていた。補助タイヤに替えているときに、先程のマイクロバスが通った。乗客はいないようだった。登山者を迎えに行くのだろうか。タイヤを替え終わってから、どうしようかと考えた。もう一度パンクすれば立ち往生してしまう。こんなところでは助けを呼ぶのは大変だ。かといって、ここまで来て引き返すのは業腹だ。思い切って先へ進むことにした。

 悪路をさらに速度を落としておそるおそる運転する。北又渡の発電所のところで川を渡る。ここから便が島まで8~9kmの標示がある。道はましになったりまた悪くなったりする。光岳・茶臼岳の登山口である易老渡には20台ぐらいの車が停まっていた。引き返してきたマイクロバスとすれ違う(連絡バスのようだ)。ようやく便が島に着く(9時10分)。

 聖光小屋のある一般駐車場と、トイレと炊事場のある車中泊用駐車場(有料)がある。一般駐車場には数台の車が停まっていた。登山の支度をしていると、小屋の犬か、中型犬が走り回っていて、かなり深そうな大きな水溜りに飛び込んだ後、ゲエッゲエッと吐いていた。水を呑んでしまったらしい。

 9時25分出発。今は軌道のないトンネルを抜け、西沢渡までは軌道跡の平坦な道。西沢渡には川を越えるための鉄製の頑丈な吊り籠があるが、移動に力がいるので敬遠し、水の少ない流れを渡し板で越える。そこから森の中の登りになる。

 ガイドブックにあった中間地点の標識を目指すのだが、一向にそれらしきものは見当たらない。下りて来る何人かとすれ違う。登山道の土や岩が赤く、これが赤石の名のもとになったラジオラリアだろう。倒木が多くなり、岩と一緒に苔むしている。下りて来た単独行の男の人と話をする。薊畑から45分で来たと言う。とすると中間地点は知らずに通り過ぎたようだ。男の人は苔平はどの辺りかと聞いたが、私には分からない。男の人と別れて登りだすとすぐに苔平の標識があった。あの人も標識を見逃していたのだ。下では晴れていたがガスってくる。

 午後1時25分、薊畑到着。聖岳と聖平の分岐点だ。今日中に聖岳に登ってしまえば、明日は茶臼岳を回って帰ることができるかもしれない。しかし、登り始めたのが遅かったので時間に余裕がなく、しかもガスが雨になってきたので、聖平小屋に向かうことにする。トリカブトの目立つお花畑を下るとコル状の草原に出た。小屋はそこからさらに少し下った林の中にあった。

 早く着いたので小屋で何となく過ごしているうちに、雨は激しくなった。今年は雨が多く、小屋の人もずっとこんなですよと言っていた。ただ、今日の朝は晴れていたという。晴れ間を狙って来たのに、当てが外れてしまった。登山者が次々に来て混みだすが、まだ余裕がある。廊下が真ん中にあり両側が一段高くなった大部屋なので、登山者たちの話が自然と聞ける。向かいの中高年男女の一団は北海道から来ていた。三伏峠から荒川岳を経由、昨日は百間洞山の家に泊ったという。光岳まで行くらしい。去年も南アルプスに来ていて、今回でだいたい主な峰は踏破できたとのこと。別の女の人は今日は兎岳まで往復してきたという。かなりのアップダウンらしい。そんな話を聞いていると、赤石岳や光岳へのルートもたどってみたくなる。

 夕食は4時半、消灯は8時。例によってよく眠れない。雨はやみそうにない。帰りの道が崩壊して車が通れなくなるかもしれないことまで心配になる。来たことを後悔する気も起こる。早立ちの人は午前3時頃からガタガタしだす。4時点灯。雨はやんでいた。外へ出ると星がきれいに見える。天の川も見える。4時半朝食。

 あらかたの人が出てしまった後、5時過ぎに小屋を出発する。聖平に出るとモルゲンロートで風景が赤く染まっている。昨日はガスで分からなかったが、薊畑は南側が切れ落ちたガレになっていて展望が開けている。下方は雲海だ。お花畑の斜面と林を登り小聖岳へ。数人が休憩している。眼前に大きく聖岳、その左に兎岳。尾根づたいの道を行くと、水の流れる沢があった。そこから砂地の急登だ。見上げると垂直に近く見える斜面である。先に登っている人が小さく見える。ひたすらに登る。よく晴れているが、東の方は雲が出てきて富士は見えない。空がだんだん近づいてくる。ついに山頂へ。前聖岳だ(7時10分)。

 数人の人がいて、中に小屋で見かけた親子連れ(小さな女の子と両親)がいた。彼らは小屋傍で幕営したようだった。若い父親と話す。ご来光の頃は富士が見えていたと言う。北方目の前に大きな赤石岳、その背後に荒川岳、その横にとんがった仙丈岳。荒川の左肩に引っかかったように見えるのは甲斐駒らしい。赤石から左(西)へ大沢岳、中盛丸山に続く稜線からかなり下に百間洞山の家の赤い屋根が小さく見える。稜線は南下して兎岳となり聖に続く。兎の左に中央アルプスと御岳が雲海に浮かぶ。中盛丸山と赤石の間に北アルプスが見えると父親は教えてくれたが、近眼の私にははっきり弁別できない。東の方からも雲が出てきて、兎や中盛丸山にかかっている。南方は上河内岳が雲に隠れ、茶臼以下の稜線は見えるが山の同定は難しそうだ。

 奥聖を往復する。東側から雲が登ってきて山の片面を覆ってしまう。前聖に戻ってみると親子連れはもういなかった。ガスの中を下山する。ときにガスが切れて下が見渡せると、よくこんな斜面を登ったものだと改めてあきれてしまう。途中ライチョウを三羽見かけた。小聖から薊畑へ下りて行くときに、聖平と小屋が見下ろせるところがあった。薊畑からの森の中の道は昨日はガスのせいか暗い風景だったが、今日は下るにつれてガスが切れ光がさし込んで明るい。登って来る人と度々すれ違う。途中で頂上にいた親子連れを追い越す。なかなか下りが終わらないのでややまいってしまう。ようやく西沢渡に出て、流れの水を飲み、手と顔を洗う。便が島に着いたのは12時20分だった。幸い帰りはタイヤを痛めることなく林道を無事に通り抜けることができた。

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