穂高よ、穂高
常念岳に登った日はよく晴れていて、稜線に出ると正面に穂高があった。この大きな山塊のうち、私が登ったのは奥穂だけ、それもずっと以前だ。常念から穂高を眺めていて、奥穂だけですませてしまっているのはもったいない気がした。縦走するには大キレットや奥穂西穂間の難所があるが、中心部だけならそれほど危険はないだろう。そこで、涸沢から北穂に登り、奥穂、前穂へとたどって岳沢を下りる計画を立てた。
上高地に入るには沢渡に車を置かねばならないと思い込んでいたが、調べてみると平湯からもシャトルバスが出ているらしい。関西からはこちらの方が近い。早く出れば一日目に涸沢まで入れそうだ。二日目を穂高岳山荘泊まりにすれば、ゆっくりした日程になる。
2013年8月26日、天気予報で三日ほど晴れるのを確認したので未明に家を出た。平湯のあかんだな駐車場で予定よりも早い時間のシャトルバスに乗れて、上高地に着いたのは9時頃。明神、徳沢と順調に歩き、横尾で昼食にする。さすがに槍・穂高への道である、平日でも登山者の行き来が絶えない。横尾大橋を渡り、梓川の本流と別れて横尾谷に入る。左手には迫力ある屏風岩。本谷橋から登りになる。涸沢ヒュッテに着いたのは3時前。ほぼコースタイム通りだ。新館の屋根の上にあるテラスでコーヒーを飲みながら、壁のような穂高の稜線を眺める。コルに穂高岳山荘らしきものが見える。その右下に垂れさがっている細長い尾根がザイテングラートだろう(前はここをピストンした)。北穂へは涸沢小屋の右手の尾根を登るようだ。涸沢小屋の下にはいろいろな色のテントが散らばっている。
翌日、まず北穂に登った。曇りがちの空で、穂高のピークはガスの中。登る途中からは、南アルプスと八ヶ岳の間に富士山が見えた。9時前に北穂高岳頂上に着く。ガスで何も見えない。頂上直下の北穂小屋のテラスでコーヒーをのみ、晴れ間を待つ。下の方のガスが薄らいで大キレットが見えてくる。キレットから次々に人が登って来て、このテラスにたどり着く。お互いの健闘を祝し合っている人もいる。やはりかなりの難路のようだ。ヘルメットをつけている人が多い。
なかなか槍が見えるようにはならない。テラスの下、一般ルートではないところを登って来るパーティがいる。ザイルをつけた三人連れが二組。そういえば、ここへ登って来る時に、若い男女の三人組がルート外れて右の方に登って行った。一般ルートは南稜だが、東稜を登るルートがあるのだろう。テラスに入ってきた二組は登ってくるときに偶然一緒になったらしく、別々にすわって休憩していた。一方のパーティの若い女性は昨日涸沢ヒュッテで見かけた。背が高く、目鼻立ちが大きい美人であるので目立った。今日は白いパンツをはいていて、長い脚に似合っていた。たとえれば、宝塚の男役といったところか。同行は二人の男性で、トップはかなりの年配者だった。休憩が終わって出かけるとき、その男にカラビナ(複数)を下げておく位置を腰の前でなく横にするように注意されていたので、彼女はベテランではないようだ。これから滝谷にでも行くのだろうか。
一時間ばかり休憩していたが、ガスが晴れそうにないので私も出かけることにする。北穂の頂上に戻る。ガスの合間から岩稜が見える。青いジャケットの中年女性が一人でいる。戸惑ったような、場違いな雰囲気を感じさせる。初心者が登ってきたのだろうか。しかし、彼女は奥穂へのルートを取った(後で聞いたら、槍からの縦走者で、このルートは何回か来ているそうだ)。結果的に、先行者として彼女がいてくれて助かった。予想していたより難ルートだった。大キレットや奥穂西穂間に比べればたやすいとガイドブックにはあったが、とてもこれが一般ルートとは思えない。恐くて気が萎えてしまう。ただただ早く通り抜けてしまうことを願った。すれ違う人が大変なルートですと言う。これからも大変ですよと答える。最低鞍部を過ぎるころにはガスが切れ出して、涸沢岳の登りが見えた。あんなところを登るのかと嫌になる。だが、引き返しても同じこと。たった一人でいたならば不安でたまらなかったろう。岩壁に青いジャケットの女性の姿が見えるので、それについて行く気持ちで登る。
ようやく涸沢岳の頂上に着く。もう安心だ。穂高岳山荘の屋根がすぐ下に見える。奥穂と前穂がガスの中から姿を現す。振り返るとすぐ近くに二つの頭を持った岩山。北穂はそれに隠されているのかと思ったが、青いジャケットの女性にその岩山が北穂だと教えられた。こんなに近いのかとあきれる。これっぽっちの距離を歩くのにあのような長い恐怖の時間を必要としたのか。下を覗き込むと、ルートを来る人が小さく見える。
穂高岳山荘に1時前にチュックイン。石畳の前庭で涸沢ヒュッテの弁当を食べる。午後の時間はたっぷりあった。山荘のロビーで備えつけの本を読んだ。ロビーには北穂で見かけた大柄な美人もいた。彼女たちがどのルートで来たのか気になる。ガイド付きの岩場ツアーというのがあるらしいので、その参加者なのかとも思う。
穂高岳山荘で見た未明の空はきれいだった。涸沢ヒュッテでは明る過ぎた半月が、ここでは星の輝きを邪魔することはなかった。オリオンがはっきり分かった。
三日目のコースにはそんなに難しいところはないはずだった。しかし、前日の経験が私をビビらせる。実際にはそれほど危険ではないのだろうが、恐くて体が委縮する。青いジャケットの女性とは前穂の頂上でまた会った(彼女も穂高岳山荘に泊っていた)。この日は晴れて、奥穂頂上でも前穂頂上でも素晴らしい眺望だった。360度周りの山が見渡せた。唯一、富士山だけが雲の中だった。焼岳と霞沢岳にはさまれた上高地も見下ろせた。前穂からは奥又白の池も見えた。穂高のような山にはもう登ることはないだろうと思い、最後にこのような晴天を用意してくれた幸運に感謝した。
前穂の頂上でたまたま会った男性と、同じ境遇(中高年で、ルートにてこずっている)から何となく岳沢小屋まで同行する。他の登山者たちに追い抜かれても、当然のことと意気地なく受け入れる。岳沢小屋で食事をするという男性と別れ(私は穂高岳山荘の弁当を外のベンチで食べた)、そこからは一人で上高地に下った。まだかなり下りが残っていた。2時発のバスにちょうど間に合った。その前に、河童橋の辺りで吊尾根を見上げ、さっきまであそこを歩いていたのに、今ここに、はるかに離れた平地にいることが不思議に感じた。もうあんな危ないところには二度と行くまいと改めて決心した。
しかし、家に帰ってしばらくして、思い直した。確かに、今回の山行では楽しむなんて余裕はなかった。苦しいというより恐さがあった。それでもあきらめて逃げ出すことはしなかった。その過程がどんなにつらく嫌であっても、穂高に登れたことは誇りだった。
楽な山を選ぶなんてことはするまい。登りたい山に登るのだ。それが穂高なら、また登るのだ。