井本喬作品集

誰でもする遭難3(雪彦山)

 また、山で遭難しかかった。こんなに同じことを繰り返すというのは、性格的に欠陥があるのだろうか。とにかく経過を述べてみよう。2月の日曜日に、鳥見山から貝ヶ平山まで歩いたのだが、思いがけず一、二センチほどの雪があった。週の半ばに広範囲の積雪があったので、雪のない低い山を選んだつもりだった。しかし、奈良には高見山や三峰山など、樹氷で有名な山があるのだから、低いといっても雪があって不思議はない。次の週末には、雪のなさそうな山に行くことにした。

 前年(2014年)、「やすとみグリーンステーション鹿ヶ壺」という施設に寄ったことがあり、そのときにもらったリーフレットに、雪彦山への登山ルートの案内図が載っていた。雪彦山には夢前川の上流の登山口から登ったことがあるが、こちら側にもルートがあることを知った。鹿ヶ壺という甌穴までは足元が悪そうなので行かなかったのだが(ずっと以前に見に来たこともあったので)、それももう一度見てみたい気もした。それで雪彦山に決めた。近畿の西端になるから雪はないだろうと判断したのだ(後から考えれば、そもそも山名に雪を含んでいたのだから、その理由が何であれ警戒すべきだった)。

 2015年2月21日(土)、いつものように出るのが遅れて、「やすとみグリーンステーション鹿ヶ壺」に着いたのは午後1時過ぎだった。駐車場に車を停めて早速登り始める。曇り空だが雨は心配なさそうだ。この時刻だから登山者らしき人はいない。鹿ヶ壺には流れに沿ってコンクリート製の階段が設置されていて、いくつかの甌穴とそれを結ぶ岩のなめらかな溝を見ることができる。一番上の甌穴が鹿ヶ壺で、鹿の形をしている。もっとも、看板にある解説図を見なければどこが鹿に似ているのかよく分からない。その直下の小さな甌穴が底なしと呼ばれているらしい。

 鹿ヶ壺から上が山道になり、しばらく登ると林道らしき広い道に出て、さらに登ると千畳平に着く。わずかに雪があった。千畳平は造成されたらしいテントサイトで、十二張りの基礎がきちんと並んでいる。荷物用のモノレールとプレハブの小屋があり、工事でもしているようだ。別の方面からここまで舗装した道が通じていて、車が一台停まっている。その道を少し先に行くと雪彦山の登山口になっている。

 登りだすとすぐに雪が地面を覆うようになる。上から降りて来た中高年の夫婦と出会う。上は雪が深いと忠告される。雪彦まではまあまあだが、鉾立まで行くと4~50センチぐらい積もっていると脅かされたが、これが逆効果になった。本当にそうなのかと見てみたい気になったのだ。

 薄く積もった雪の斜面を登って分岐になっている尾根に着く。右は洞が岳(大天井岳・不行岳・三峰・地蔵岳からなる)、左は三角点雪彦山。雪彦山というのはこの辺りの山域一帯(洞が岳、鉾立山、三辻山)を指していて、特定のピークのことではではなかったようなのだが、三角点のある場所がそう呼ばれるようになったらしい。紛らわしいので三角点雪彦山としている。左へ登っていくと、程なくして頂上。

 3時である。もう引き返すべきだ。しかし、鉾立山まで行ってみたい気もする。ここでは眺望がないが鉾立山なら得られそうだ。標識には鉾立山まで30分とある。鉾立山から下るのに1時間半とみれば、5時には登山口には戻れるだろう。迷ったが、結局先へ進むことにした。

 道の雪はだんだん深くなってきて、人が通った跡が溝状になっている。いったん下って登り返す。鉾立山頂上3時35分。西方の眺望が開ける。木の板を白く塗って黒い線で描いた展望図があるが、消えかけていてよく分からない。さて、引き返そうとしたが、雪彦山へ戻るには登りがある。リーフレットの地図を見るとこのまま下った方が楽な気がして、先へ進むことにした。そうやって場当たり的に予定をどんどん変更してしまったのだ。

 雪はさらに深くなったが、ラッセル跡は続いている。二回分岐があり、正しい方向に下ったはずだ。鉄塔に出た。そこには雪がなく、道の跡がない。そのまま真っすぐ進むと雪にスノウシューらしき跡がある。後から考えると、道はここで曲がって谷に下りるようになっていたようだ。スノウシューは尾根をたどっている。それに従った。ここから迷っていたのだが、まだ気がつかなかった。スノウシューの跡は続いているが、道とは言えず、雪に足を突っ込む。そして谷状の吹き溜まりでスノウシューの跡を見失ってしまった。

 ここで引き返すべきだった。だが、ここまで降りてきてしまっているので、来た道を登り返すのは時間がかかる。下山前に日が暮れてしまう。ライトは持ってきていなかった。判断がつかなくてしばらく途方に暮れる。遭難という思いが浮かび、不安になる。方向としては合っているはずなので道を探す。雪に埋もれた木の枝の間を強引に通り抜けると、すぐ傍の稜線に獣よけのネットが見えた。

 助かったと思ったが、誰かが歩いたような跡はない。ネットに沿って一面雪の尾根筋を上がると、木々がなくなり眺望が開けた。右側が谷になっているが道らしきものは見えない。尾根はいったん下がってまた上がっていて、ネットは続いているがそちらは方向が違うようだ。再び遭難のことを思い、さらにそれが強くなる。リーフレットの地図によると、下山コースは谷を下るようになっている。思い切って左方の林の斜面を下ることにした。雪があるから下るのは容易だった。しばらくすると流れの跡があった。水はないが谷に合流するはずだ。滝状になっているとやっかいだが、その中を下ることにした。雪はだんだんなくなっていく。やがて水の流れている谷に出た。その谷を下る。どこへ出るか分からないので不安だが、いずれは山裾に下れるはずだ。

 暗くなってきたようだが、まだ暮れるまでは時間がありそうだ。道のようになってきて、やや不安が薄まり、しばらく行くと、標識があった。こちらからは裏側だが、登って来る道を右(私からは左)の斜面に導いていた。たぶん、ここから谷を離れて鉄塔のところまで登るのだろう。道は荒れているがコースに入ったのは間違いない。そこからまだ時間がかかったが、もう安心だった。車の所に戻ったのは暗くなる直前だった。

 このことについて、当初、私は次のように考えた。甘く見るつもりはないが、低い山なら道に迷ったからといってパニックに陥るほどのことはない。転落などの事故にあったら別だが、身体に異常がなければ何とか切り抜けられるものだ。危険なのは不安によって行動をコントロールできなくなることだ。一人のときは特にそうだろう。道に迷うことは常に起こることだと覚悟しておけば、そうそう遭難にまでは至ることはないはずだ。

 しかし、『山岳遭難の教訓 実例に学ぶ生還の条件』(羽根田治、山と渓谷社、2015年)という本を読んで、思い直した。やっぱり幸運だったのだ。遭難の条件にぴったり合うことばかりしていながら、たまたまルートを見つけることができた。谷筋が一つ違っていれば、どうなっていたか分からない。暗くなったらパニックになっていただろう。低い山だろうと侮ってはいけない。迷ったあげく動けなくなってしまったら、どこの山でも同じだ。

 予防策によって遭難のリスク確率を下げることができるのは確かだ。今回のことで言うと、問題点として以下のことがあげられよう。山に入る時間が遅かった、下調べが十分でなかった、途中で予定を変更した、迷った時点で引き返さなかった、谷を下りた、装備が貧弱だった、予定を誰にも告げていない、など。

 ただし、いくら予防策を講じても、完全には遭難を防ぐことはできないだろう。どんな予防策にもそれを越える事態はあるのだし、そもそも予防策を取ること自体にもリスクはある。たとえば、装備品を多くすれば重量は増え、それが負担となる。また、予防策があるからかえって油断してしまうかもしれない。たとえば、ケータイを持っていると、すぐに救援を頼めるだろうと甘く考えてしまうように。

 山では当然リスクが高くなる。リスク確率は出来るだけ下げるように努力すべきだが、どうしてもある程度のリスクは残る。あまりに慎重であろうとするなら、そもそも何で山になど関わるのか。山での遭難を絶対に避けようと思うのなら山には登らないことだ。それを承知で山へ登るのだから、後は幸運を祈るだけだ。

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