井本喬作品集

再訪の山2(甲斐駒ヶ岳)

 鹿島槍のあと、夏の間にもう一つぐらい高い山に登ろうと思ったが、盆を過ぎてから台風が来たり秋雨前線が居座ったりではっきりしない天気が続き、9月に入っても機会がない。8月が登山シーズンなのは天候が安定するからだが、温暖化の影響か最近は長雨が多くなったようである。

 鹿島槍に登った時は冷池小屋に泊った。そんなに混んではいなかったし、眠れなかったということもなかったので不満はない。むしろいい山小屋だと思った。その上、山小屋に泊るメリットさえ納得した。時期やその年の天候にもよるのだろうけど、尾根付近は10時頃にはもうガスに包まれてしまう。いい眺望を得るためには早朝に山頂に登る必要がある。山頂近くの山小屋ならそれが可能なのだ。麓から登っていては間に合わない。

 けれどもやはり、山小屋に泊るのは気が進まない。何となく面倒なのだ。一つには、一泊だと二日間の天候を気にしなければならないことがある。二日続けて晴れそうだと見当をつけるのはなかなか難しい。日帰りなら、晴れの日が一日あればいい。

 台風17・18号の影響で線状降雨帯というものが発生し、茨城や宮城などで洪水をもたらしたが、西日本は晴れてきて、9月12日は快晴の予報となった。被害の報道を見ていると気が引けたが、この機会を逃すともう夏山ではなくなってしまうので、出かけることにした。日帰りということで思いついたのは甲斐駒が岳だった。

 甲斐駒には一度登ったことがある。いや、一度半と言うべきか。二日かけて甲斐駒と仙丈を登る予定で、初日に甲斐駒を目指したが駒津峰でギブアップ、長衛荘(現・北沢峠こもれび山荘)へ泊って翌日登り直し、仙丈は諦めて帰った。必死だったたせいか、そのときの記憶がいっさいない。どんな山だったか、もう一度登って確かめたい気がしていた。

 2015年9月11日の夜に車で出発、日付が変わってから仙流荘前のバス停に着く。駐車場の場所が以前とは変わっていて、道路から一段下がった川の傍になっている。真っ暗でよく分からない。適当な場所に停めて仮眠する。寝る前に見上げた空には、都会ではこれほど見ることのない多くの星。近眼でははっきりしないが、たぶん天の川も見えているのだろう。

 起きてみると車が増えて駐車場がほぼいっぱいになっている。土曜日なので、バスは6時05分の始発がある(夏のシーズンなら5時15分始発なのだが)。バス停には既に人が並び、準備をして行ってみると列の後ろの方の位置だった。私のザックは小さいので荷物券は買わなかったのだが、切符売り場に見本として掲げてあったザックは以前に見たときより小さくなっていて、気になるので荷物券を追加することにした。列を抜けるときに傍に並んでいた夫婦連れに位置の確保を頼んだのだが、彼等とは後述するような因縁が出来た。

 最初の2台のマイクロバスには乗れず、引き返してきた(?)便に乗って出発が30分ほど遅れ、北沢峠には7時30分頃着いた。予報通り天気はよい。ルートとしては双児山経由と仙水峠経由の二つがあり、駒津峰で合流する。景色は仙水峠経由の方がいいらしいが、回り道のように思えたので双児山経由にする(もっとも時間的にはほとんど差はない)。北沢峠こもれび山荘の横から登山道に入る。森の中の道でひんやりする。

 睡眠不足のせいか、バスの中で酔いそうになったので、体調が気がかりだった。歩き出してみるとペースが上がらない。気温が低いのでウォーミングアップしにくいからかとも思う(上衣は着なかった)。バス停で一緒に並んでいた夫婦が先行している。奥さんについて気になったのだが、全体的な雰囲気が、実用よりもスタイルが勝っているように感じた。特異な服装をしているというのでもないので、具体的にどうこう言えないのだが、いわば登山経験のないモデルが登山の格好をしたときに感じられるような違和感が、わずかではあるが漂っていた。二人のペースは早かった。このペースを続けられるなら、私の勘は当てにならず、ベテランなのだろう。しばらくすると夫婦は休憩していて、その隙に私は追い越した。

 双児山の山頂までがなかなかだった。足が痛み動悸が激しくなる(これは登りの間、断続的に続いた)。林の中だから展望がきかず、どのくらい登ったのか見当がつかない。ようやく山頂に着いて(9時頃)、辺りを見回す。南には北岳、間の岳、塩見岳が見える。東には裾が雲に隠れた鳳凰三山。行く手には駒津峰の上に甲斐駒が岳。

 駒津峰へはいったん下がって登り返す。駒津峰からはいっそう広い展望。鳳凰三山に隠されていた富士山が見えるようになる。仙丈岳や、伊那谷の向こうに中央アルプス、北アルプスも。甲斐駒は不気味に白っぽく、つるつるしているように見え、あれが登れるのかと不安にさえ思える。

 駒津峰からはちょっとした岩稜のアップダウンになって、六方石を越えて下ったところが頂上への二つのコースの分岐になる。しかし、分岐の標示はなく、岩に「直登」という文字と上向きの矢印が書かれてあったので、何となくそっちへ行ってしまう。岩壁というほどの高度感はないが、岩を次々に乗り越えて行かねばならず、一か所足の置き場が離れていたところでは難渋した。右手下に岩まじりのざら場の斜面が見え、歩いている人の小さな姿がある。あっちが巻道のようだ。なおも岩は続き、ときどき休みながら、ようやく頂上まで登り切る(11時20分)。

 頂上からの眺望は全方位さえぎるものはない。今まで見えなかった八ヶ岳が、北方、雲の海から突き出ている。雲は諏訪盆地と甲府盆地をおおい、富士も相変わらず裾を雲の中に入れている。西方や南方には雲はなく、北アルプス、中央アルプス、南アルプスの峰々が見えている。御岳や白山も見える。最高の眺望である。だが、ゆっくりはしていられない。下りの不安があった。最終バスは16時である。予定では楽勝のはずが、危うくなってきた。

 さすがに人気のある山だ、9月に入っても登山者が多い。頂上の標識の横に立った写真は既に撮ってもらっていたが、念のため石のお堂をバックにした写真も頼もうと思い、たまたま傍にいた人に声をかけると、バス停から一緒だった夫婦の夫の方だった。奥さんは途中で諦めたとのこと。「ハードなコースですからね」と合わせたが、実際このコースは彼女では無理だったろうと納得するところがあった。彼とはそのまま別れ(後で見ると操作を間違えたのか写真は撮れていなかった)、私は簡単な食事を済ませる。日は照っているが風の当たる南側では寒いくらいだ。

 12時になる前に、滑りやすいザレの巻道を下りだす。道を外れやすいことを配慮して、ところどころに小さな赤い矢印のついた棒が立てられてある。最初摩利支天の方へ向かうが、やがて右に曲がって行き、コルへの分岐がある。摩利支天は省略して、そこからは西の方へ斜めにトラバースして駒津峰を目指す。相変わらず人は多く、登ってくる人と下る人がすれ違っている。林の中に入ると水場があった。その上が直登コースとの分岐だ。巻道は分岐から見ると急に下っているので分かりにくい。

 駒津峰からは仙水峠へのコースを取る。ほぼまっすぐな急な下り。最初はよく見えていた甲斐駒と摩利支天が、林の中に入ると隠れてしまうが、ときどき姿を現す。なるほどこちらの方が景色はよさそうだ。さすがにこの時間に登ってくる人はいないと思っていると、仙水峠の手前で必死に登ってくる若い男に会った。今からだと頂上に着くのは早くても16時を大幅に過ぎてしまうだろう。小屋はないが、どこかにテントを張る場所でもあるのだろうか。

 仙水峠では団体が休憩していた。峠自体にはガスはないが、摩利支天は見えない。頂上から見たときに、こちらの方に低く雲がかかっていたので懸念していたのだが、やはりガスが壁になって隠しているのだろう。午前中ならまだガスはなかっただろうから、こちらから登るべきだったと悔やむ。団体が出発しかけたときに、思わぬ高みに摩利支天の頭が現れた。誰かが「巨人が姿を現した」とつぶやいた。まさにそういう感じだった。なおも待っているとガスが切れて摩利支天の全貌が現れたが、ガスの中で頭だけ出していたときの方が印象が強い。とにかく、姿を見せてくれたのがありがたい。仙水峠まで来た甲斐があった。

 石のゴーロの涸れ谷を抜け、仙水小屋まで下ると谷川へ出る。砂防ダムがいくつかある川沿いに長衛小屋まで行き、そこから車道を少し歩いて北沢峠へ。15時45分になっていた。ぎりぎりセーフ。バス停のテントの中で、乗客がベンチに座って待っている。私もその端に加わる。後ろを見るとベンチに女性が横になっている。バス会社の職員が「最後のバスにしますか」と聞いている相手は、頂上で会った男性だ。横になっているのは奥さんに違いない。女性は動かず、声も出さない。相当まいっているようだ。

 私は話しかけることはせず、最初に来たバスに乗った。甲斐駒は手強い山だった。あの奥さんにはきつすぎたのは当然のような気がする。彼女にどれほどの経験があるのか分からないが、明らかに夫の選択ミスだろう。余計なことかもしれないが、今度のことで夫婦の間に生じる感情のことまで気になった。

 私自身に関して言えば、コンディションの悪さは車中泊での睡眠不足が影響していたのだろう。前に途中で断念したのも同じ状況だった。快適な登山のためには前夜泊が好ましいのは当然だが、一般の宿は早朝出発には不便なのが難点である。

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