井本喬作品集

ミルフォードトラック

 
1999年3月4日(木)

 大阪市内の銀行での両替に手間取り、関空に着いたのは集合時間の5分前だった。集合といっても航空券を受け取るだけで、同行者は見当たらない。2時間後(17時45分)、ニュージーランド航空098便にて出発、暗い中を飛ぶ。窓から大きな明かりが見えたので、最初は翼の灯りかと思ったが、満月が翼の上で輝いていたのだった。

 
3月5日(金)

 11時間のフライトの後、オークランドに近づくと、飛行機は一面の雲の上を飛んでいて、雲の果てがまだ見えぬ朝日に照らされ赤く染まっている。雨とのことだったが、雲の下に降りてみると雨は降っていなかった。オークランドでクライストチャーチ行きへ乗り継ぎ、クライストチャーチでクイーンズタウン行きに乗り継ぐ。

 飛行機から見たクライストチャーチの地表は、パッチワークのようにいくつもの区画に分かれた畑が広がっていた。緑は少なく、赤茶けた、あるいは黄色い土が風景の異様さを際立たせている(雨が少なかったらしい)。

 クイーンズタウンへ降りて行く飛行機は、雲を抜けて谷の中に入っていく。両側の山の方が飛行機よりも高いので怖くなる。飛行機はワカティプ湖の上を、湖の形に沿ってカーブし、飛行場へ着いた。

 飛行場からバスで直接テ・アナウへ向かう。道はしばらく湖に沿い、やがて羊のいる丘や平原を走る。牧場の草は黄色く、山はむき出しの岩か黄色い草がおおうだけ。ときどき十軒内外の小さな集落が現われ、一軒あるだけの食堂兼雑貨屋に向かって、郵便か新聞の束のようなものを運転手が投げる。まるで開拓時代のアメリカ西部の街のようだ。羊の他に牛や鹿も飼われている。

 テ・アナウに着き、ホテルでニュージーランドに移住したという日本人の係員に説明を受ける。ここまで空港ごとに案内の日本人が待ち受けていて、私たち日本人乗客を順送りにしてくれた。だが、ここからは一人でやって行かねばならないようだ。ニュージーランドでの登山の服装は、上衣はフリース、下は短パンにタイツが標準とのことだったが、むろん、真似るつもりはなく、持ってきたもので間に合わせる。水辺にサンドフライという虫がいて刺されると大変なことになるから、必ず虫よけを塗布するように言われたので、近くの店で買う。

 夕食前に顔合わせのパーティーがあり、集まってきた中の、私を除いた唯一東洋系の男は英語を喋っている(後で中国系のアメリカ人だと分かった)。名前(姓ではなく)を書いた名札を付け、お互いに名で呼び合う。彼等は初対面でも積極的に話をし、知己を広めようとしている。いくたりかは私にも話しかけようとするのだが、彼らの発話が私には理解できず、私は孤立してしまう。この苦行は食事の席まで続いた。

 
3月6日(土)

 参加者が私一人だけのためか、日本語による説明会は今回はなし。9時30分から現地ガイドによる説明があるが、全然分からない(日本語の案内を渡されていたので、内容は察せられたが)。シーツとゴミ袋を渡され、必要な者にはバッグとレインコートが貸し与えられる。トレッキングに持っていく荷物、パスポートなどの貴重品(事務所に預ける)、ミルフォードサウンドのホテルへ送る荷物、テ・アナウに置いておく荷物を分け、チェックアウトと昼食をすませ、記念写真を撮る。参加者は26名(男性15名、女性11名)、年配者が多く、夫婦連れも何組か。ガイドはスーザンという女性と若い男の二人。

 貸切バスで出発。テ・アナウ湖に沿って走り、テ・アナウダウンズの船着き場へ。後から、素泊まりの小屋を利用する個人客(一日40人に制限されている)を乗せたバスが着き、一緒に小さな船に乗る。船は両岸の切り立った岩山の間を進み、テ・アナウ湖の北端まで私たちを運ぶ。船室の外へ出て移りゆく景色を見る。天気はいいが、風は冷たい。日が当らないと寒い。2時間ほどでグレイドワーフに着く。

 船の一か所に集めたザックを、スーザンが一つずつ上陸するメンバーに渡す。私の番になって、渡されたのは私のザックではないので、そう言うと、スーザンが渋い顔をした。私はすぐに気づいて渡されたザックを運んだ。陸に揚げるのは協同作業なのだ。

 今日の宿、グレイドハウスは1.6km先なのですぐに着く。クリントン川の傍の開けた平地に立つ簡素で感じのいい建物だ。前面と背後に岩の峰がそびえている。部屋割の後、近くの森を案内される。

 夕食後、ミーティングがあり、国別に歌を歌わされる。USA、オーストラリア、UK、ニュージーランドはグループで、オーストリアの青年と私は単独で。仕方なく雪山賛歌を歌ったが、後でこれはアメリカ民謡(いとしのクレメンタイン)だったと気がついた。国別対抗ゲーム(USA対オーストラリア)もあった。昔のユースホステルの感じである。

 山小屋とはいえ、お湯の出るシャワーがあり、便所は水洗、手洗いだが洗濯もでき、乾燥室で乾かせる。寝室は二段ベッドの四人部屋。10時消灯。一人のいびきがすごい。同室のベントレイ(中国系アメリカ人)は他の部屋へ逃げてしまう。

 
3月7日(日)

 朝食を済ませ、準備を終えて小屋の前にいると、スーザンが他の人を待つ必要はないと言うので、一番に出かける。かたまって歩くのではなく、自由に好きなようにすればいいようだ。

 クリントン川を吊橋で渡る。昨日、この橋の上から大きなウナギのような魚が見えた。道は川に沿った森の中をいく。ときどき川に出て、両側の峰々が眺められる。川の色は青ではなく緑色だ。水量は多く、ゆったりと流れている。スーザンの一行に抜かれる。デニス(いびきのアメリカ人)、レイモンド(オーストリア人)、ニュージーランド人の夫婦。湿原がある。素泊まり用の小屋(クリントンハット)にちょっと寄る。森の中の道は軽自動車なら通れるほどで、作業用のバギー車一台とすれ違った。ほとんど水平の道をU字渓谷の上流へ遡る。上高地から横尾へたどるのと似た感じを受ける。

 ヒレレ滝の休憩用の小屋に管理人と先行したスーザンがいて、飲み物を用意している。デニスとレイモンドは寄らずに先に行ってしまったらしい。ニュージーランド人の夫婦と一緒に、グレイドハウスで用意されたサンドイッチ、小さなリンゴ、菓子を食べる。

 褐色の大きな鳥が飛来する。昨夜のミーティングで注意があったキアだ。好奇心が強く、何にでもそのくちばしでつつく。靴を外へ出しておいたら持ってかれるそうだ。私のバッグを狙っている。管理人が名前をつけているので、常連なのだろう。

 空が曇りだす。森が切れて開けた場所に出ると、両側の絶壁となった峰が見渡せ、前方にマッキノン峠が見える。何か所か、峰の上から細い白い筋となって滝が落ちている。滝の下は小さな池になっている。

 小雨が降りだす。ポンポローナロッジに着くころは、雲が低く垂れこめて、本格的な雨となる。明日はこのコースのメインであるマッキノン峠越えなのに、この天気とは。もっとも、この地方は雨が多いのは覚悟しておくべきことで、雨のおかげで森が生育しているのだ。

 ベントレイが訴えたのか、デニスが別の部屋へ移ったので、いびきに悩まされずに済んだ。

 
3月8日(月)

 朝、暗いうちに雨の中を出発する。キーウィーらしき鳥が数羽、道を横切るのを見た。天候が悪いので少し行った素泊まり小屋(ミンタロハット)で待つようにスーザンに言われた。小屋には出発しかけている登山者がたくさんいた。スーザンは後続の客をまとめて集団で面倒を見たかったらしいが、後が続かないので、いらついている私にOKを出した。彼女は私の後についてくる。道はジグザグの登りになり、森を抜けて草の斜面にかかる。水の流れが道を横切り、滝のようになっているところもある。スーザンにゆっくり行くように言われたので、着実に歩く。峠を越える手前で、スーザンが先に行くように言う。ここまで来れば私については安心なので、後続を確認するようだ。

 登りきるとマッキノン峠で、記念碑がある。間近のピーク以外は眺望がきかない。しばらくスーザンらを待っているとレインモンドが来たので、彼の高価そうなカメラで彼の写真を撮ってあげる。レインモンドが先へ行き、私も待ちくたびれて彼に続いた。

 峠の小屋(パスシェルター)で飲み物のサービスを受け、昼食をとる。同行者たちが次々に着く。ストーブで服を乾かす。このトレッキングのために購入したゴアテックスの雨具のおかげでほとんど濡れてはいなかったが、靴は流れにひたって水浸しだ。この小屋はツアー客用と個人客用にはっきりと部屋が分かれている(入口が別になっている)。宿所もそうだが、こういう割り切り方が可能なのは興味深い。日本の山ではこういう区別は容認されにくいだろう。

 デニスとレインモンドが出発し、少し遅れて私も続く。ピークの絶壁を巻く下りでカールの底へ降りる。まわりの峰から流れが滝となって幾本も落ちている。またキーウィーらしき鳥を見かける。カールの底では道が流れのようになってしまっているところもあった。川に沿ってどんどん降りて行く。

 クインティンロッジに着くと、荷物を置いて、世界で5番目の落差(580m)があるというサザーランド滝へ行く。30分ほどの距離だ。滝の手前は一段高い岸になっていて、そこに立つと滝のしぶきが吹き付けてくる。川を渡り滝の裏に入る。雨で水量が多くなっているのか、落水に叩かれ苦労する。裏から見上げるが、落水でよく見えない。

 クインティンロッジに戻ると、同行の人にサザーランド滝まで行ってきたのかと問われ、イエスと答えると、年配の婦人が「オー、コマンダー!」と言った。

 ロッジのノートに日本人の書き込みもあり、読んでみると、やはり雨にあった記述が多い。自分の場合もそれほど運が悪かったわけではないと言い聞かせる。

 夜、小屋のベランダにキアがいた。

 
3月9日(火)

 出発前に、デニスが何か喚いている。乾燥室に置いておいた靴が見当たらないと言っているようだ。乾燥室には靴を置かないようにという注意書きを示してやると(それで誰かが動かしたのかも知れないと、親切心のつもりで)、デニスは怒り出して早口でまくし立てた。何を言っているか分からないので退散する。

 今日も雨。出発したときは調子がよかったのだが、雨の中を歩いているうちに、だんだん力が入らなくなる。体が温まらない。速度が落ちて、先程抜いた連中に追い付かれる。ボートシェッド小屋でモーニングティーの休憩。私は白湯を頼む。眠くなるが、スーザンが寝てはいけないと注意する。後から考えると、低体温症になりかかっていたのだ。出発するときに、雨具の中で汗をかくのではないかと思って、上衣は着ず、シャツだけにしたので、体が冷えてしまったのだ。

 皆が出発するのを見送って、最後の方で歩き出す。不安だったが、上衣を着たので、ウォーミングアップして調子が戻る。途中雨があがり、雨具を脱いでいる夫婦者がいたので、私も脱ぐ。雨具を払って水を切ろうとしたら、しずくが女性にかかり、嫌な顔をされる。急いで謝ったが、返事をせず、いいですよ、という顔つきにはならない。こちらが悪いのだが、不快な気分になる。

 トレッキングの終点のサンドフライポイントからミルフォードサウンドへ渡る船は3時と4時に出る。4時の船でもいいのだが、3時に間に合うように急ぐ。先行した何人かを追い越し、ジャイアントゲート滝での昼食もそこそこに、ひたすら歩く。すれ違おうとした大柄の老人が両手を広げて「テン ミニッツ」と大声を出した。びっくりして何も言い返せなかったが、サンドフライポイントまであと10分と教えてくれたのだと気がついた。

 3時の便に間に合った。デニスやレイモンドなど、足の早い連中が既にいる。ミルフォードサウンドでは、山小屋よりましという程度のホテルに泊まり、夕方、完歩を祝す簡単な式典が行われる。スーザンが証書を渡し、ハグするのだが、私の場合は握手だった。日本人は恥ずかしがると思われているらしい。

 
3月10日(水)

 午前中はミルフォードサウンドのクルーズ観光。

 アメリカ人たちは飛行機でクイーンズタウンへ帰り、残ったものはバスに乗る。バスは渓谷を登りつめ、ターナートンネルで反対側の谷へ出て、今度は下っていく。ミルフォードトラックのバス版のようで、トレッキングに負けない景色だ。

 テ・アナウに戻り、昼食後、解散となる。クイーンズタウンへのバスは5時発なので、湖岸を歩いてみる。ビジターセンターの他には何もない。うろうろしていると、トレッキングで一緒だった老夫婦に出会い、女性の方が私のこと心配してくれたので、「気にしないで」と答えたつもりだが、「ほっといてくれ」と取られたのかもしれない、男性の方が、構わないようにと女性の袖を引いていた。スーザンにも出会った。「ここに泊まるのか」と聞くと、そうだと返事をした。

 クイーンズタウンまで行ってホテルに泊まる。

 
3月11日(木)

 一日クイーンズタウンで観光。狭い町なのでトレッキング仲間を見かけた。

 ジェットボートに乗った時、別のボートにベントレイがいた。

 買い物をしているとレイモンドに会った。レイモンドはラフティングをしたと写真を見せてくれる。短い間だったが一緒に行動したことが仲間意識を芽生えさせていた。別れ際にレイモンドは親指を立てた。

 
3月12日(金)

 飛行機に乗り、クライストチャーチで乗り継ぎ、オークランドへ。オークランドで半日観光、ホテルに泊まる。

 
3月13日(土)

 9時35分のニュージーランド航空097便でオークランドを立ち、その日の夕刻に関空に着いた。

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