井本喬作品集

完全自動車製作教本

Ⅰ はじめに

 1 搭載されたAIが運転の全てを担当するときに、自動車が備えるべき機能について解説する。以下、このような自動車を完全自動車と呼ぶ。

 2 路上にある複数の自動車の走行調整については、何らかのセンターによる集中管理と、個々の車の判断に任せる分散管理という二つのシステムが(二つの極として)考えられる。

 3 全ての自動車が完全自動車になったとき、交通システムを集中管理のもとに置くことが可能になる。その場合に完全自動車に求められる機能はそれほど複雑にはならない。

 4 完全自動車と、人間が操作する従来型の自動車(以下、非完全自動車と呼ぶ)が混在するときは、状況が異なる。非完全自動車が存在する限り、集中管理の可能な範囲は限られるであろう。したがって、完全自動車は分散管理に対応する機能を持たねばならない。しかも、非完全自動車の動きに対応するためには、完全自動車に対応する場合よりも複雑な機能が求められる。

Ⅱ 移行期

 1 完全自動車と非完全自動車が混在する状況を移行期と呼ぶことにしよう。

 2 移行期における完全自動車は、路上にある非完全自動車の運転者の意図を考慮に入れて走行しなければならない。完全自動車どうしであれば、お互いの行動の予測は比較的容易である。また、同時的コミュニケーションによってお互いの予測を確認しあうことも可能であろう。しかし、人間の意図は不適切であることがある。たとえば、思いがけない動きを予測するのは難しい。また、相手の動きを予測したことによるお互いの回避行動が、かえって衝突を招くことがありうる。

 3 すなわち、移行期における完全自動車は、人間の運転者と同じように、予測能力の低い行動主体として扱われなければならない。運転のメカニズムがどうあれ、路上での自動車どうしの対応は、本質的には変わらないままとなる。

 4 したがって、移行期においては、完全自動車にとっても、信号やルールが必要になる。ただし、それだけのことであるなら、完全自動車が対応するのは難しくない。問題になるのは、車社会の中で発生し、自発的に広まったインフォーマルな(暗黙の)ルールがあることである。きちんと定式化されていないそのようなルールを無視しては、安全な走行は期待できない。

 5 さらに、人間の運転者は他の運転者と、また歩行者や軽車両の使い手や道路保全関係者などと、手段は限られてはいるが、安全上重要なコミュニケーションをとっている。完全自動車もそのようなコミュニケーション機能を備える必要がある。

 6 では、非完全自動車はどのようなコミュニケーションをしているのか。運転者が自車外の人間と視覚的・聴覚的に相互に確認しあえるならば、通常のコミュニケーションと同様である。声が届かなければ、顔の表情、動作などで意思を伝達しあう。完全自動車にロボットのようなものを設置しない限り、これを真似るのは難しい。

 7 運転者が自車外の人間と直接相互確認できない場合、既に車に備わっている機能がコミュニケーションの手段として使われる。媒体は音と光である。

 8 音としてはクラクションが使われるが、騒音防止の観点から使用は制限されている。また、エンジン音は歩行者の背後から車が近づく場合に警告音として重要な役割を果たしていたが、HV車やEV車ではそれがなくなった。視覚障がい者には音声による警告が必要ということもあるので、完全自動車がEV車であるならば、クラクションとは異なる何らかの発音装置が必要となろう。

 9 光としてはランプ類が使われる。方向指示ランプ(ウィンカー)、ヘッドランプのパッシング機能、ハザードランプが、運転者の操作できるコミュニケーション手段である。

 10 コミュニケーションの種類としては、自車の動きを事前に通告するという意思表示、他者・他車の動作に干渉するための呼びかけ、謝意の表示、情報の提供などがある。

 11 自車の意思表示には、ブレーキランプ、方向指示ランプ、ハザードランプを使用する。

 速度の低下、進路変更、緊急対応など、自車の行動を通告して、他車に対応を促すものである。ブレーキランプは自動で作用するが、方向指示ランプ、ハザードランプは予告であるので、運転者の判断による(ただし、ハザードランプは、事前だけではなく、状況が進行中にも使用される)。交差点などで方向指示ランプを進路変更開始とともに点灯する運転者がいるが、行動の事前予告の意味になっていない。

 12 呼びかけには、相手の行動をけん制・抑止する警告と、相手の行動を引き出そうとする催促の二種類がある。警告は、パッシングやクラクションなどにより、相手の行為をやめさせようとするような場合である。催促は、信号の変わり目に前車の発進を促すクラクション、先行車に道を譲るよう要請するパッシング(右側の方向指示ランプを使うこともある)など、相手を操作しようとする面が強く出ると反発を呼ぶこともある。パッシングは、進入車や右折車へ道を譲ることを知らせる際や、逆に道を譲ってほしい際にも使われる。パッシングは多くの用途で使われるので、まぎらわしい。なお、先行車に速度を上げさせたり道を譲らせたりするために車体を近づける、いわゆるあおり行為も、脅しという一種のコミュニケーションではある。

 13 走行上の必要性とは直接関係しないが、道を譲られたときなどに、謝意を表してパッシングやクラクションやハザードランプが用いられている。これは車社会も「社会」であることの証といえよう。

 14 情報提供として、大型車の速度表示灯(制度としては廃止)、後続車に渋滞を知らせるハザードランプの点灯、対向車に、ランプの消し忘れや、速度違反の取り締まり(いわゆるネズミ捕り)が行われていることを知らせるパッシングなどがある。

 15 では、完全自動車のコミュニケーション手段としては、どのようなものが考えられるであろうか。完全自動車間では無線通信による情報交換が可能である。しかし、非完全自動車や歩行者に対しては、やはり音と光を使った従来のコミュニケーション形式を用いざるを得ない。

 16 色や光や音で特別なコミュニケーションを取ることは、緊急車両で現に用いられているものが参考になろう。車体の色、警告灯、文字表示板、サイレン、スピーカー(による肉声)などがその手段となっている。

 17 完全自動車はヘッドランプや窓を必要としなくなるであろうから、車体をスクリーンとして、大きくかつ分かりやすい視覚的意思表示が可能である。その場合、文字よりも記号、あるいは色彩の方がとっさの把握には適しているであろう。

 18 音については、過度な使用はかえって安全を損なう恐れがあり、慎重に範囲を定めるべきである。人間の声に似せた音声では、自動車として識別できない場合があることも考慮されねばならない。

 19 このような手段を使ってコミュニケーションをとる基礎には、解釈におけるルールがなければならない。前記のコミュニケーションのルールの多くはインフォーマルではあるが、通行上の安全に寄与している。しかし、インフォーマルなルールは明文化されていないし、解釈も統一されていない(たとえば、近づいてくる後続車に追い越しをさせるために方向指示ランプを使うとき、左右どちらを点灯するか)ので、完全自動車のAIに理解させるためには、フォーマル化されることが求められる。

 20 ただし、交通ルールやコミュニケーションのルールが細かく規定されても、すべての状況をカバーするのは困難であるし、また、ルールの厳密な適用が妥当でない場合もある。

 21 例えば、狭い道での対向車への道譲りの例を考えてみよう。現状では明確なルールがないが、退避スペースが近い車がバックするのが一般的であろう。しかし、退避スペースがはっきりしない場合や、運転技術の巧拙、車の大きさ、運転者の気質などによって、どちらがバックするかは臨機応変に決まる。

 22 常に完全自動車の方がバックするというルールが適当かもしれない。一般的に、完全自動車の方が運転技術に信頼が置けるからだ。しかし、このようなルールの一律適用は非効率になる可能性が高い。明らかに非完全自動車がバックする方が適切な場合があるからだ。

 23 登山道での例が参考になるであろう。登山道では、登り優先がルール化されており、狭い道で登山者が鉢合わせをするようなときには、下ろうとする登山者が待機して、登りの登山者を先に通すことになる。しかし、このルールの厳密な適用は必ずしも望まれていない。登りの登山者が道を譲ろうとすることは少なくない。それは個々の状況判断にもよるし、登りの登山者がせかされるのを好まない(譲る方にその気はなくとも、譲られる方が気を使うことになるので)こともあるようだ。

 24 ルールの適宜変更の場合には、道を譲るという意思表示が必要になる。人間どうしなら「どうぞ」という声かけ。車が単にバックするだけなら、バックするという行為が同時に意思表示となる。しかし、道の合流や、狭い踏切でのすれ違い、信号のない交差点での出会いなどの場合は、パッシングやクラクションや運転手の手の動きなどのコミュニケーションが必要となる。完全自動車どうしのコミュニケーションなら、無線通信によって「そちらが先に行け」「了解」ということになるのだろう。

 25 このようなコミュニケーションは歩行者などとも必要になる時がある。また、道路工事現場のガードマンの誘導や、警察の取り締まりなどにも対応せねばならない。人間の発するメッセージを完全自動車がいかに理解するか、また、完全自動車の発するメッセージをどう理解してもらうかは、移行期の大きな課題である。

Ⅲ 法定速度・指定速度について

 1 現行の法定最高速度ないしは指定最高速度(以下、最高速度という)はほとんど守られていない。警察による違反摘発においても、たとえば一般道において最高速度が時速50kmであるなら、時速15km超未満は見逃すというのが暗黙のルールになっているようである。速度計測の誤差を考慮することが理由になっているようだが、現在の計測器の誤差ははるかに小さいはずである。最高速度かそれ以下の速度で走るとかえって渋滞を招くという現実も配慮されているようだ。最高速度で走っていても迷惑がられるのが現状である。

 2 完全自動車が最高速度を守るとすれば、最高速度を無視する非完全自動車に追い抜かれてしまう。そのような状況を完全自動車の搭乗者は受け入れ難いであろう。かといって、法律を無視するようプログラムを完全自動車に組み込むわけにはいかない。搭乗者が完全自動車に指示して最高速度を無視させるようにすることはできようが(その場合の責任は搭乗者が負う)、そのようなシステムには問題が多すぎよう。

 3 完全自動車と非完全自動車の最高速度を別にするということも考えられる。安全走行については完全自動車に高い信頼を置けるのであるから、完全自動車の最高速度を高めに設定するのである。

 4 前記の場合、完全自動車の最高速度順守は厳しく見守られる必要がある。最高速度違反が頻発するようであれば、最高速度を高めにするという優遇措置が受け入れ難くなってしまうからだ。プログラムによって最高速度の順守が保証されているとはいえ、抜け道を防ぐには、完全自動車に速度の報告を即時・常時に義務づけることも必要となろう。報告の形態はさまざま考えられるが、いずれも技術的には容易である。

 5 この場合、完全自動車と非完全自動車の識別が容易であるようにしなければならない。非完全自動車が完全自動車を装って最高速度違反をすることも考えられるからである。

 6 ただし、違反車を適切に取り締まることが困難であるなら、高い最高速度を守って走る完全自動車と、低い最高速度を超えて走る非完全自動車が、ほぼ同じ速度で走る状態を作り出すことになるのかもしれない。それが望ましいかどうか、判断は分かれよう。

 7 むしろ、完全自動車を最高速度のメルクマールとして、すべての車が最高速度を順守するように仕向ける方が好ましいのかもしれない。完全自動車を追い越す車を違反車として摘発するのである。

 8 その場合、違反車の摘発を警察のみに頼るのでは効果はあるまい。完全自動車の認識装置を警察の監視装置とリンクさせて、違反車告発の証拠とするようなことも可能であろう。そのよう相互監視システムを社会が受け入れるかどうかの問題はあるが、完全自動車が非完全自動車を駆逐する過程とも考えられよう。

 9 完全自動車の安全運転に対する信頼が高ければ、完全自動車については最高速度を設定しないことも一つの方法である。その場合、AIにどの程度の確率で安全性を確保させるのかというような規制が必要とされるかもしれない。あるいは、完全自動車メーカーの判断にゆだねるということもあろう。いずれにせよ、事故の場合には、メーカーにかかる責任が各段に重くなってこよう。

Ⅳ 完全自動車対完全自動車

 1 路上に完全自動車しか存在しないような交通システムを想定した場合、完全自動車の機能はどのようであるべきかを考えてみる。既述のように、集中管理システムであれば、列車運行システムをより複雑化する方向で対応できよう。各車は、管理センターの指示に従って運転をすればよい。このシステムの欠陥は、管理システムにトラブルが生じたとき、個々の車は対処のしようがなく、広範囲に、しかもかなりの時間、深刻な交通障害を生じせしめてしまうことである。

 2 一方、判断は各車にまかせて、車どうしの相互作用から生じる一種の均衡状態を期待するシステム(分散システム)が考えられる。これは人間が運転する従来の交通システムを、AIが運転する完全自動車にも適用しようとするものである。この均衡状態を安定的に保つには一定のルールが必要になるが、すべての状態をルールが網羅できないので、臨機応変な対応の余地が残される。

 3 完全自動車は無線通信によって意図を伝えあうことができる。そのような即時のコミュニケーションを取れるとしたら、自車の動きと相手の動きを調整して衝突などの事故を避けることができる。ちょうど、スクランブル交差点で、視覚による情報によって歩行者がぶつかることなく行き交うように。信号やルールは不要になるかもしれない。

 4 しかし、完全自動車が相手にするのが完全自動車である場合、戦略的な行動、つまり駆け引きが生じてくる。たとえば、回避行動が必要であっても、どちらか一方の行動で十分であるとき、どちらがそれをするべきであろうか。しやすい方、つまり回避行動のコストが低い方がするべきであろうか。しかし、そのコストがほぼ等しければ、どうすべきか。

 5 さらに、自らの意図を正直に伝えるという動機をAIに持たせることができるであろうか。運転者としてのAIは、自車の有利さを追求するために、相手に偽りの情報を伝えるかもしれない。また、図々しいプログラムが、相手が回避することを予測(期待)して突っ込むこともありうるだろう。そのようなプログラムが両方の車に搭載されていれば、チキンゲームのように、衝突が起こってしまう。

 6 どちらかの車に優先権を与えることで(例えば、ある基準時点で速度が速いとか、どちらの方向に進行しているとかという識別によって)、そのような事態を避けなければならない。ただし、ルールを認めるという合意だけでは十分ではなく、ルールの適用についての細部の合意も必要である。その点で論争があってはルールがうまく適用できない。その調整に第三者的な立場が要請されるのであれば、集中管理システムの方がましかもしれない。

 7 ルール適用の細部がはっきりしない場合、どちらが優先するかは運転者の任意に任されることになろう。人間の場合、ときには譲り合ってかえって動けなくなってしまうことさえある。同じように、譲歩をプログラムされた完全自動車同士では譲り合いが生じてしまうだろう。より強引なプログラムとより寛容なプログラムが混在するというのが適切なのかもしれない。

 8 運転者に個性があることが交通システムの安定に役立つのであれば、完全自動車に個性があることがシステム全体にとって望ましいのかもしれない。

 9 それとは別に、搭乗者ないし所有者が、完全自動車に個性を求めることも考えられる。そのことは、完全自動車のAIにどこまで自主性をもたせるかという問題にも絡んでくる。

 10 搭乗者にAIの意思は伝えられるべきか。行き先と到着予定時刻が決定したならば、どのような経路をとるか(当初の予定を変更するかどうか)、どのようなモードで運転するか、通常とは違ったことが起きていることへの対応など、運転の意思決定について、すべてをAIにゆだねるのか。あるいは、どのレベルかはいろいろ考えられるとしても、人間の意見を聞くために、何をするつもりかをAIは搭乗者に伝えた方がいいのか。

 11 逆に、AIに搭乗者の意思は伝えられるべきか。AIの行動に口をはさんで、搭乗者にとって望ましい行動をとるように指示することは好ましいのか。

 12 つまり、運転プログラムはどの程度搭乗者ないし所有者の意向に沿うべきであろうか。たとえば、リスクの低いプログラムと高いプログラム(当然、運転効率の高さと相関する)の選択は、搭乗者ないし所有者の責任を発生させることになるであろう。

 13 そのような場合での事故について、AIと搭乗者ないし所有者の責任分担はどうなるであろうか。

 14 AIに運転上の指示を与えることができるのであれば、完全自動車の行動には搭乗者ないし所有者の性格が反映することになる。走行機械という特性から、その色分けは、攻撃的であるか、譲歩的であるか、として把握できるだろう。その基礎には、搭乗者ないし所有者が利己的であるか、利他的であるか、ということがあるように思われる。

 15 完全自動車に搭乗者なり所有者の性格を反映させるということは、完全自動者を一つの人格に育て上げるということに他ならない。搭乗者ないし所有者が完全自動車の行動を評価することで、完全自動車は良い評価を得るためにその意向に沿った行動を選択するようになる。

 16 AIの学習能力に制限をつける(たとえば、搭乗者の意見は無視する)ことも考えられる。これは完全自動車の所有形態によっても変わってくる問題である。

Ⅴ 完全自動車の未来

 1 完全自動車はまだ存在していないが、その未来を考えてみよう。そのためには自動車とはそもそも何であるかを見ておく必要がある。

 2 自動車は移動手段の一つである。しかし、何かの目的のために移動することの必要性は低下していくことが予想される。情報手段の発達により、在宅勤務、在宅学習、在宅事務(物品やサービスの購入、行政関連の手続きなど)が普及すれば、移動すること自体の需要が減少するであろう。

 3 人口の都市集中がさらに激しくなれば、近距離移送手段としての車の役割は低下することも考えられる。

 4 技術進歩は地上を移動するだけの乗り物を陳腐化させてしまうことも考えられる。空中、水上・水中などの移動空間の拡大は、自動車の形態を変化させ、場合によっては過去のものとしてしまうかもしれない。

 5 ただし、自動車は単に移動手段としてのみ使われているのではない。自動車に乗ること自体が目的であるということもその需要に貢献している。いわゆるドライブの楽しみである。これには、運転テクニックを楽しむのと、移動すること自体を楽しむという、二つの形態がある。

 6 完全自動車がこのような需要に応えられないことはない。運転自体を楽しむ場合は、手動運転の補助をAIが行って万一の場合の安全を確保するとか、手動運転をシミュレーション化して実際の運転はAIが行うというようなシステムも考えられる。

 7 気ままなドライブには完全自動車の方が適しているであろう。景色を楽しむには運転から注意をそらすことができる方が好ましい。夜間は寝ながら移動できるので、キャンピングカーとしても活用できる

 8 ただしこのような需要は限られているので、ニッチな市場に終わるであろう。また、VRの発達がこのような需要を奪ってしまうこともありうる。

 9 完全自動車が自動車としての形態や機能を大きく変化させながら発達していくことに対して、反動的な需要が発生する可能性もある。あまりに自動化されたことを忌避して、人間の操作する範囲を残しておこうとする傾向である。

 10 それにしても、どこまで道具に頼るか(あるいは頼らないか)は程度の問題である。ランニングか、自転車か、自動車かは、各人の好みの問題である。自動車についても、どこまで手動部分を残しておくのかは、各人の好みとなろう。

 11 自動車は大量生産ではなくなり、オーダーメイドの注文生産か、ハンドメイドのキットになるのかもしれない。

 12 あるいは、完全自動車など実現しないかもしれない。そもそも、完全自動車など必要とされないのかもしれない。未来は私たちの予想を超える。それが未来というものだ。

[ 一覧に戻る ]