井本喬作品集

番号の山

 前鬼の手前で道は閉ざされていました。数台の車が停められるスペースがあり、ここが登山口になります。駐車スペースにはシルバー色の小型車が一台だけ停めてありました。ナンバープレートを見るとレンタカーのようです。地元のではなかったので、私と同じく登山者のものなのでしょうか。休日ですが、あまり人は来ていないようです。

 私は朝が遅い方なので、いつも登るのが最後になってしまいます。山に登るのに順番などはないのですが、山登りの鉄則といって、午後三時には行動を終わる、つまり、下山してしまうとか、山小屋に泊まるとか、そういう予定を立てて登ることになっていますから、たいていの登山者は朝早くから登ります。山は午後から雲が出ることが多いですから、そういう意味でも午前中に登ってしまう方がいいのです。朝、暗いうちに家を出て、明るくなるやいなや(暗くても灯りに頼って)登り出すというのが一般的なようです。ところが私は朝が弱くて早く起きられません。起きてもすぐに素早い行動はできず、顔を洗ったり食事をしたり便所に行ったりしているうちに一時間ぐらいはすぐ経ってしまいます。だからヘタすると仕事のときよりも遅くなって(やはり休みだからのんびりしてしまうのです)、出かけるのが九時か十時頃、山の麓に着くのが昼頃になってしまうことがよくあります。場合によってはもう下山してきた人と登山口で出会ったりします。今回は距離があるコースでしたので、さすがの私も早起きして出かけてきたのですが、それでも登山口に着いたのは十時を過ぎていました。

 道路のすぐ横の谷川を吊り橋で渡り、左岸の廃道のような道を遡行します。以前はこの道が人の往来や物資の運搬に使われていたようで、軽自動車なら通れるほどの幅が残っています。いまは、一般車は通行禁止になっている対岸の道路がその役割を担っていて、見捨てられ荒れた道は登山者が歩くのみです。三椏の群落(おそらく栽培されていた名残り)を通り抜けると前鬼です。駐車場所から三十分ほどかかりました。

 前鬼は大峰登山の宿坊で、かつては五坊ありましたが、いまは一坊のみが残っています。やや開けた谷間に石垣を組んで二棟の比較的新しそうな建物が立っています。簡素な造りですが、宿泊する人はある程度いるのでしょう。さらに一段高くなったその奥に風雨にさらされた昔からの家がありました。表には誰もいません。休憩することなく通り過ぎて、裏手の登山道に入りました。

 森林帯の中の急な傾斜を登ります。長い木の階段がありました。柱を二本、桁としてタテに平行に並べた上に、半分に割った丸太の平らな方を表面にして段にしたものです。丸太の大きさは均一で段は等間隔であり、しっかりと作られています。桁も丸太もきれいに削られていて、ぞんざいな造りではありません。山の関係者が手作りしたのではなく、何らかの機関が土木工事を施したものです。登山道のこういう整備の仕方については、修験としての大峰登山の意義を損ねるという意見をネットで見たことがあります。

 階段の登山道は登りやすいですが、単調です。歩幅が合わないときは苦労します。この階段はやや段差が小さくて小刻みに歩かなくてはなりませんが、順調に高度が稼げます。しかし、登るという行為が作業のようなものになってしまうのは避けられません。階段が途切れて二ツ石を過ぎるとまたしばらく階段が続き、やがて普通の登山道になり、稜線に出ます。太古の辻です。稜線をたどる道は奥駆道で、南は熊野本宮へ、北は八剣山や山上が岳を経て吉野まで通じています。

 ここまで前鬼から一時間半ぐらいかかりました。曇り空のせいか空気はひんやりとして、登りでかいた汗が冷たく感じます。新緑の木々が美しく、途中にはこぶしやつつじが咲いていました。この辺りの山は森林限界よりも低いので、稜線に出ても木々が回りを取り囲み眺望を奪っています。ここで昼食にしてもいいのですが、もう三十分ほど歩けば深仙の宿ですので、そこまで頑張ることにし、奥駆道を北へたどります。

 宿と言っても、稜線の鞍部に避難小屋のような参籠所とお堂があるだけで、無人です。お堂の前に人がすわっていました。若い女性でした。山スカートというのをはいていて、これがいま流行りの山ガールというのでしょう。同行者がいるのかと辺りを見ましたが、彼女一人のようです。なぜか私は彼女がこの場所に不似合いなような気がしました。まるでファッションモデルが山の服装をしたときのように、山にこなれていない感じが明らかなのです。

 彼女は疲れたようすで、私が現れたことに気がつかないのか、気がついても注意を向ける気力もないのか、同じ姿勢で動きませんでした。「こんにちは」とか声をかけるのが礼儀かもしれませんが、普段から山では人と話さないし、おまけに若い女性なので気後れしたこともあり、私は黙って彼女を見ていました。人里をはるかに離れた山頂で二人きりなのですから、何かの対話があってしかるべきなのでしょう。「どちらから来られましたか」とか、「きつい登りでしたね」とか、「眺望はいまひとつですね」とか、話題にすることはいろいろあります。しかし、女性が私を無視しているのを幸いに、私は参籠所の前にすわり、ザックからコンビニで買ってきた弁当を出して食べ始めました。

 私は女性のことは無視するように努力しました。気になりましたが、親しくなりたい下心があるように思われるのは嫌なので、目をやったり声はかけませんでした。そういう気持ちがないわけではなく、同行を申し出てみようかという気に一瞬なったのですが、きっと警戒されるだろうと思ってやめました。

 女性が一人で山へ入るというのは危険なことです。登山好きの男がそうでない男と比べて紳士的であるはずがなく、人目につかない環境がどこにでもある山の中では、かえって何をするか分かりません。現にこの状況で、私が女性を襲っても、誰にも邪魔されることはないでしょう。この山域にいる人はごくわずかでしょうし、この時間帯にこの付近に人が来ることはないでしょう。女性が叫ぼうとわめこうと、誰にも聞こえないのです。

 山でなくたって、女性が狙われる危険はいたるところにあります。私の近所でも、少し以前に、帰宅途中の女子大生が襲われて殺される事件がありました。殺人までにいたらなくても、性的な事件は頻繁に起こっています。ニュースでは、痴漢はもちろん、女子トイレにカメラを設置したり、エスカレーターでスカートの中を隠し撮りして捕まる男が絶えないことを伝えています。きちんとした職業や家庭がありながら、そういう些細とも言える犯罪で一生を駄目にする男が常にいるというのは、性の衝動がいかに強いものかを現しています。私はそういう記事に接する度に、そういう男たちを非難したり憐れんだりすることとは別に、人間の弱さを思ってしまいます。私だって、いつそのような立場に落ち込んでしまうか分からないのですから。

 性の陥穽についてあれこれ考えているうちに、食事を終えました。食事の間、女性が何をしていたのかはっきりとは分かりませんでした。もちろん視野の隅に彼女の姿を捕らえていたのですが、焦点を合わせることはなかったのです。彼女は私には興味はないようで、彼女自身の関心事(たぶん、バテてしまったので、これからどうするかということ)に捕らわれているのでしょう。彼女が何をしているにせよ、わざとぐずぐずしているようにも思えました。私がいなくなるのを待っているのかもしれません。彼女の立場になって考えれば、先に動き出すと、追いかけてきた私に襲われる恐れがあります。後から動くようにすれば、用心のために私とは別の方向を取ることもできます。

 そうであるなら、私は一刻も早く立ち去って、彼女を安心させてあげなければなりません。私はザックに荷物を入れ直してファスナーを閉め、肩にかけ、忘れ物はないかとすわっていた場所の回りを確認し、出発しました。女性の前を通り過ぎるときに「お先に」と声をかけました。通常なら「お気をつけて」とでも答えるはずのところを、彼女は黙っていました。おびえているのだろうと、私は気を悪くしないようにしましたが、それほど警戒するのなら一人で山へ来ることもなかろうにとも思いました。

 頂上への道を十メートルほど歩いたときに、「待って」と女性が叫びました。私は立ち止まって振り返りました。女性は立ち上がって私の方を見ていました。私は彼女の次の言葉を待ちました。

「頂上へ行くの?」

 私は彼女の問いかけの意図が計りかねました。この道をたどるなら頂上へ行くのは明白であり、わざわざ確認することもないことです。

「ええ、そうですが」

「じゃあ、お願いがあるの」

 私の頭は素早く回転しました。私は襲うような人間ではないと彼女が判断して、同行を頼まれるのではないでしょうか。この女性と一緒では、時間がかかるし面倒です。かといって頼まれれば、女性を山の中に置き去りにはできません。私は引き受けるつもりになり、女性の傍に戻って言いました。

「何でしょうか」

 そのとき初めて私は彼女の顔をまともに見ました。彼女の顔はすっきりした卵型ではなく、顎のあたりがやや角張っていて(エラが張っているというのでしょうか、といっても重々しさや堅苦しさを感じさせるほどではないのですが)、大きめの目とわずかに段がついた鼻と相まって、色は白いけれども、「中東的」という印象を受けました。中東という言葉が本来どのような特徴を意味するのかは分からないのですが、私なりの解釈では東洋人から見れば西洋的要素が、西洋人から見れば東洋的要素が認められるといったようなものでしょうか。差異はあるが、まるっきり異質ではないという感じ。もちろん、彼女には混血を思わせるところはなく、遠い祖先は知らず、両親や祖父母が日本人であることは明白でした。美人の部類には入るのだろうけれど、好みによって評価が分かれる容貌です。

「私、疲れちゃって、頂上まで行けそうもないから、あなたが頂上に行くのなら、頼みたいことがあるの」

 私は当てが外れて、自分の先走りを苦々しく思いました。私はぶっきらぼうに繰り返しました。

「何でしょう」

「初対面で図々しいんだけど、頂上に置いてきてほしいものがあるのよ」

 私は女性の口の利き方が気に食いませんでした。まるで年下の者に命じているような、横柄で馴れ馴れしい口ぶりです。どっちが年上なのかはよく分かりませんが、それにしても遠慮がなさすぎます。敬意まで持てとはいいませんが、もっと丁寧であってもいいはずです。私はさらに不機嫌そうに答えました。

「何をですか」

「ちょっとややこしいんだけど、詳しいことは後で説明するから、このプレートを頂上につけてきてほしいの」

「プレート?」

 彼女は直系三センチほどの丸い小さな円盤を差し出しました。陶器のようで、白い地に黒で1と数字が書いてあります。数字は彫り込んで着色されていますが、全体の作りも数字の形も稚拙で、彼女が自分で作ったものと思われます。円盤の端には小さな穴があいていてビニール被覆の針金が通してありました。

「どこかよく目立つところに、なるべく動かないようにして置いてきてほしいの」

「それ、何ですか」

「ちょっと訳ありで、後で説明するわ」

「勝手に置いてもいいものですか」

「いいでしょ。誰に迷惑がかかるでもなし」

「何のためですか」

「それも後で説明するわ。心配しないで、犯罪になるようなものではないから。」

 私は黙っていました。そんな説明で誰が納得するでしょう。私の沈黙に拒否の姿勢を読み取ったせいなのか、彼女の表情に現れたわずかな変化は険悪さを思わせるものでした。しかし、すぐにそれは消されてしまい、彼女は私を説得にかかりました。

「他の人たちには何の意味もないことのだけど、私には重要なの。もし、万一、あなたがどうしても駄目だと判断したなら、そのまま持って返ってもいいのよ。そのときはいずれ私が置きに行くことになるのだけれど。もちろん、あなたがしてくれるなら、お礼はするわ」

 訳の分からない話だからと断ることはできたでしょう。しかし、断ってしまえば、彼女の説明を聞くことはできなくなるのだから、一体どういうことだろうとあれこれ推測させられてしまうのは避けられません。余計に気になってしまうでしょう。

「分かりました。引き受けましょう。お礼なんかいいですよ。ついでですから」

 彼女は明らかに安堵したようでした。そして、愛嬌さえ感じさせる仕草で両手で合わせて私を拝みました。

「ありがとう。お願いね。それで、申し訳ないのだけれど、写真を撮ってきてほしいの。あなたを信用しないというのではなくて、写真が必要なの」

 私は憮然として答えました。

「カメラは持っていません」

「スマホのでいいのよ」

「スマホも持っていません」

「ガラケーなの?もちろんそれでもいいけど」

「ケータイは持って来ていないのですよ」

「置いてきたの?じゃ、遭難したらどうするのよ」

「ここいらはケータイはつながらないのじゃないかな」

 面倒なのでそれ以上は説明しませんでしたが、私は山にケータイを持ち込むことに抵抗があるのです。

 彼女はまた黙って考え込みました。写真はどうしても必要なようです。だとしたら、この話はオジャンでしょう。そのまま出発するつもりで私が彼女に声をかけようとしたときに、機先を制して彼女は言いました。

「私のスマホを渡すから、それで写真を撮ってきて」

「スマホを預けるのですか。見も知らぬ他人に。それは無用心でしょう」

「あなた、何か悪さをしようというの」

「そんなつもりはないですけど」

「じゃ、信用するわよ」

 私は迷いました。彼女のスマホの内容をのぞいてみたい誘惑に取りつかれるのが嫌だったからです。しかし拒否するのはあまりに頑なな気がしたので、私は彼女の提案を受けることにし、スマホを彼女から受け取りました。

「それじゃあ、ここへ戻ってくればいいのですね」

「こんなとこで待ってはいられないわ」

「それでは、登山口で?あのレンタカーはあなたのですか」

「そうよ。私は先に下りてるから。あなたに追いつかれそうだけど」

「そんなに早くは行ってこれません」

「何時頃に下りてこれるかしら」

 私はざっと計算してみました。ここから頂上まで三十分ぐらいで行けるでしょう。下山は飛ばして二時間半ぐらいすれば、三時間後になります。ちょっときついかもしれませんが、何とかなるでしょう。

「四時には着けると思いますが、遅れることがあるかも知れません」

「いいわ、あなたが下りて来るまで待ってるわ」

 私は不可解な気持ちのまま頂上へ向かいました。ところで、平凡な登山者である私にも、唯一自負するものがあります。それはスピードです。たいていの登山者には負けません。もっともこれには秘密があります。私は荷物を極端に軽くしているのです。荷物が重くなるとスピードは失われてしまいます。持ち物といったら、水筒と弁当と、車に置いておけない貴重品だけです。おやつも非常食も持ちません。雨は降らないと見当をつけたら雨具も持ちません。

 深仙の宿からの登りなどたいしたことはないはずでしたが、なかなか頂上に着きませんでした。笹原の斜面からは頂上は見えず、次から次へとそれらしいピークが現れるので幻惑されてしまいます。さっきの女性との約束のせいであせっていたのかもしれません。いつものペースを乱してしゃにむに歩いてバテ気味になってしまった頃、旭口への分岐がありました。頂上はそこからすぐでした。

 そのとき私は気がついたのですが、旭口には新しい登山口が出来ていて、そこからなら二時間程で登って来られるのです。あの女性が他に容易なルートがあるのを知りながら、なぜわざわざ前鬼ルートを選んだのでしょう。私のように、承知してこのルートを取ったとは思えません。たぶん、彼女は山に関して全くの素人で、ごく限られた情報しか入手していなかったのでしょう。ガイドブックの筆者の中には、通常のルートの記載を避けたがる人もいるようです。安易なためよく知られているコースをわざわざ解説する気にならず、あまり人の歩かないコースを推奨するのです。釈迦が岳についても、メインコースが旭口に移りつつあるのを快く思っていない人もいるはずです。

 そもそも、なぜ大峰の釈迦が岳など登ろうとしたのか。大峰山は古来の修験道の山ですので(山上ヶ岳は今なお女人禁制が守られています)、初心者の女性が取り付くにはハードすぎます。吉野から熊野まで、大天井が岳、山上が岳、大普賢岳、弥山、八経が岳、釈迦が岳などの山々をつなぐ奥駆道は、山上が岳と弥山に宿泊施設があるだけで、縦走しようとすればテント、食糧持参で何日もかかります。それらの山を単独で登ろうとしても、アプローチが大変です。今では道路が山中まで伸びていて、日帰りも可能ですが、気軽に登れる山ではありません。

 釈迦ヶ岳(1779.6m)の頂上には、その名を具現化しているように釈迦如来像が立っています。三、四mほどのかなり大きなものです。一九二四年に設置され、二〇〇七年に修復されたことはネットで知りました。石を積み上げた台の上に、さらに台座に乗って直立の姿勢でおられます。

 一時半を過ぎていました。前鬼から三時間余りかかりました。昼食の時間を除けば、コースタイムの七割のペースを保てたようです。頂上には男女の二人連れがいました。食事を終えて出発するところのようで、大きなザックのパッキングの最中でした。他に人はいません。

 頂上付近は開けていて、周囲が見渡せます。深い谷と、向かいの山と、その背後の山々が眺められます。地平線は山また山、目に入るのは山ばかりです。

 頂上の周囲をかこんでいる矮小な樹木には、いくつか登山記念のプレートがぶら下がっていました。さすがに人のいる前で頼まれたプレートをつけるのははばかられました。急いでいるので、早く二人が立ち去らないかとイライラします。ふだんならこちらから声をかけることはないのですが、そんな気持ちのせいか、私は二人に話しかけました。

「どちらからいらっしゃいました」

 いかにも山馴れたという二人はパッキングを終えようとしているザックから目を離して私に向けました。女性の方が答えました。

「吉野から」

「奥駈けですか」

「そう。本宮まで、六泊で」

「へええ、すごいな」

 どうりで、身なりなどかまわないというような、ちょっと薄汚れた感じがするわけです。彼らがザックを背負って出発するのを見送り、もう一度誰もいないのを確かめてから、早速番号札を目立つところに懸け、その写真を撮って、すぐに下山しました。

 私がコースタイムに近いかそれ以上の時間がかかることがあるとすれば、下りです。下りには技術がいるのです。踏みしめて下りるようでは膝を痛めてしまいます。歩幅を狭くして、ひょいひょいと軽く走るように下りるのがコツですが、バランスをよくしないと転倒しやすいのです。私は得意ではありません。だから下りのコースタイムを縮めるのは難しいのです。もう一つ、下りのコースタイムが当てにならないのは、ガイドブックの著者たちが実際の時間を計らずに、登りの七掛けとかそういういいかげんな記載の仕方をしているのではないかと疑われるフシがあり、それが理由ではないかとも思っています。

 駐車場に四時までに着くには、二時間余で下りなければなりませんでした。思ったより手間取りました。女性との約束時間には間に合わず、彼女を少し待たせることになりそうです。深仙の宿を過ぎて太古の辻へ向かう途中に大日岳への分岐がありました。私はうかと忘れていたのですが、帰りに登るつもりで行きには寄らなかったのです。小さなピークですが、せっかく来たのだから頂を踏んでおきたい気がしました。この山域は初めてでしたし、またいつ来るかは分からないのですから。でも、そこへ寄っていたのでは、約束の時間にますます遅れてしまいます。私は分岐の標識の前で、しばらく迷っていましたが、結局省略することにしました。

 大日岳に登れなかったのが惜しい気が消えず、なぜもっと余裕を持った時刻を女性に示しておかなかったかと悔みながら、せめて時間には間に合わせなければと急いで下っていると、曲がり角で道を見失いそうになりました。その時思い出したのですが、太古の辻から前鬼への下りで道に迷う人が結構いるということでした。山の遭難を扱った本にいくつかそういうケースが載っていました。そこで取り上げていたのは生還者のことでしたが、大峰には行方不明のまま見つからない登山者は数十名いるという記載もありました。先行した女性が麓に戻っていなかったらどうしようと、そういうことも考えたのです。やはり、初心者で単独行の女性が登る山ではありません。

 登山口の駐車場所まで戻ってみると、彼女の(らしかった)車はなくなっていました。あるのは私の車だけで、誰もいませんでした。私は騙されたのだと思いました。私が番号札を付けてきたことを確かめる必要があるという、ただそれだけの理由で彼女が待っていると思ったのは甘かったのです。彼女にそんな悪意がなかったとしても、見も知らぬ男を辺鄙な場所で待つこと自体が馬鹿げています。気が変わるということもあるでしょう。失望感と怒りが起こりかけたのですが、すぐに、彼女のスマホのことに気がつきました。彼女が自分のスマホを他人に渡しっぱなしにするはずはありません。後で思い当たったのですが、彼女がスマホを預けたのは、私を待つことの保証でもあったのでしょう。

 よく見ると、ワイパーに紙片がはさんでありました。それには彼女からのメッセージが書いてありました。「道の駅で待っています」。

 私は登山靴と厚手の靴下を脱ぎ、車に残していた靴と靴下に履き替えました。靴が変わって足が軽くなったのを感じます。シャツや下着は汗をすっていて、特にザックと密着した背中は濡れていましたが、帰りにどこかで風呂に入った後で着替えるつもりでした。ザックと登山靴を車の中に入れ、運転席に乗り込みました。

 道は川沿いに山を下っています。一車線の幅の曲がりくねった道で、片側は山に続く崖、反対側は谷川へ落ち込んでいます。川の向こうはまた崖になって山につながっています。山には木が茂り、谷を緑に染めています。途中に大きな滝が眼下に見えます。道は舗装されていました。こんな山の奥の細い道まで舗装されているのには感心します。日は長くなり、この時間では十分明るく、光が斜めになって木々の側面を照らし、逆の側の暗さを際立たせています。明暗がはっきりしたこの時分の景色が私は好きです。

 道は国道一六九号線に合流しましたが、まだ山の中です。わずかな人家がかたまっている集落をいくつか通り過ぎます。

 地域振興のためでしょう、道の駅は辺鄙なところに建てられてあるのが多く、一般的に駐車場も含めた敷地は広いようです。整備されて間もないものは、建物も、付属の便所も新しく、きれいです。通常、建物には地元の物産を並べた売り場と、食堂と、案内と休憩のためのスペースがあります。交流スペースなどと名づけられた建物には、その辺りの名所旧蹟を記した地図や写真、観光地を映し出す大きなテレビモニターなどがあったりします。そういうものでしかそこがいかなる所かを知らせられないという、地域振興策の貧弱さを象徴しているようでもありますが。

 この近くにある道の駅は、古いせいなのか、そういうイメージとは異なり、渓谷の斜面につけられた道と川の崖の間の狭い場所に窮屈そうに押し込められています。小さな駐車場に彼女の車が停まっていました。川には歩行用の吊り橋がかかり、対岸の温泉と結んでいます。建物の売店には客はいませんでした。奥の食堂のテーブルに彼女は座って所在なさげに空になったコーヒーカップを見ていました。どのくらい彼女を待たせたのでしょう。私に気がつくと彼女は立ち上がりました。

「お待たせしてすいませんでした。結構時間がかかってしまって」

「行きましょう。ここでは話が出来ないから」

 彼女は先に立って建物を出ました。

「人に聞かれたくないから、車の中で話しましょう。あなたの車の方がよさそうね」

 私は車の解錠をして彼女を乗せてから、自販機で缶コーヒーを買い(彼女にも勧めたのですが、さっき飲んだからと断られました)、それを持って車に乗りました。私は缶コーヒーを一口飲み、待ちました。

「ご苦労様。付けてきてくれた?」

 私はスマホを彼女に返しました。彼女は写真を確認しました。

「ありがとう」

 彼女は小さな手提げの袋からティッシュを四角くたたんだようなものを出して、私に渡そうとしました。

「少ないけど、これ」

 私は手を出しませんでした。

「いいですよ、そんなもの」

「そうはいかないわ。約束だから」

 彼女は私が遠慮していると思ったのでしょうが、私が望んでいたのは違うことでした。

「他の約束があったでしょう」

「他に?何だったかしら」

 彼女はとぼけているのでしょうか。それとも、早く私と縁切りにしたいとだけ考えているのかもしれません。

「事情を話してくれるはずでしょう。お礼はそれだけでいいですよ」

 彼女は手にした包みをどうしたものやらとゆるやかに振っていました。何か誤魔化す方法を検討しているかのように私には思えました。

「ちょっとそれは言いにくいのよ。これで納得してくれないかなあ」

「カネ目当てで引き受けたのではないです。どうしても教えられないというのなら、かまいません。降りて下さい。帰りますから」

 私はエンジンをかけました。彼女は動かず、私の横顔を見ているようでした。どんな顔つきなのかは正面を向いた私には分かりませんでした。

「そんなに怒らないでよ。短気なのね。これだけで終わらすつもりはないのよ。提案があるので聞いてくれない?まず、エンジンを切ってよ」

 私は彼女の方を見ました。彼女はにこやかに笑いかけていました。男の不機嫌などには馴れきっていて、どうすればいいかよく分かっているようでした。こういうことでは、年齢が同じようでも、男は女にかないません。私はエンジンを切りました。

「提案って、何です」

「今日、あの山に置いてきてもらった番号札と同じものを、他の山にも持っていってほしいの。もちろん、報酬は出すわ」

 私は彼女が報酬にこだわるのが気に食いませんでした。だから、詳しい話を聞く前に断ってしまってもよかったのです。しかし、私は彼女のしようとしていることに興味がありました。むろん、彼女そのものにも。このまま彼女と別れてしまうことが残念な気持ちがあったのです。彼女が理由を教えてくれないとしても、つながりを保っていれば、何かの進展が期待できそうです。私は不機嫌な口調を保ったまま答えました。

「どこの山です」

「たくさんあるのよ。自分で付けるつもりだったけど、私には無理なのが今日分かったわ。だから、私の代わりにあなたにお願いしたいの」

 私は女性の顔を挑戦するように見つめました。山での私の美的判断が正しかったのか、私は検討し直してみました。キャップをとっていたので、彼女が広い額を持っているのが分かりました。というより、額を広くみせていました。髪を後ろでまとめ上げて、お下げにしていました。ポニーテイルというには少し短いようでしたが。そういう髪型は、ある少女たちのことを私に思い出させました。私が買い物に行くスーパーマーケットの近くの二階建てのビルは、一階がバレー教室に、二階が空手の教室になっています。小さな男の子たちや女の子たちが母親に送り迎えされているのをときたま見かけます。何だか膨らんだ感じの空手着姿の男の子たちに比べ、一階に出入りする女の子たちはほっそりとしていました。彼女たちの髪は後ろでまとめられていて、あらわになった額が小さな女の子の風貌を大人びて見せていました。

 たぶん、ふだんの彼女は違った髪型なのでしょう。キャップをかぶったとき、彼女は後の調整用のバンドの上の小さな穴からお下げを出していました。髪が邪魔にならないようにまとめているのです。私は最初から彼女の容貌が気になっていて、彼女の奇妙な申し出を受け入れたのはそのせいもあったようです。彼女の顔のどういうところが私に強く訴えかけたのか確かめたかったのですが、もちろん見るだけで何が分かるというものではありません。

「なぜその番号札を山に置くかは、教えてくれないのですね」

「これは私のビジネスなの。邪魔されたり、横取りされたくない。そのための用心なの。分かってね」

「そんなに大事なことなら、なぜ見ず知らずの僕なんかに頼むんですか」

「一目見たときから、あなたは信頼出来ると感じたからよ」

 彼女はそう言って、私の目をのぞき込みました。何だかからかわれているようでもあり、誘惑されている感じでもありました。自分のような美人からの申し出を断ることがあなたにできるかしら、そういう明白なメッセージが彼女の目から読み取れました(明らかに彼女は異性に及ぼす自分の魅力を十分承知していました)。

「一目見ただけで信頼できるかどうか分かるのですか」

「第一印象というのは確かだと思わない?一目惚れというのもあるじゃない」

「そうですね。でも、見込み違いということになるかもしれませんよ」

「契約はいつでも、どちらからでも解除できるわ。後腐れのないように」

 セールスに関する勧誘や、詐欺や犯罪に関わるようなことなら、私は断わったでしょう。

 また、ありきたりの用事で、何の面白味もないことであったら、たとえ彼女の頼みであっても、どうするか決めかねたかもしれません。ところが、彼女の申し出たのは、謎解きの興味を引き起こすもので、断るには惜しすぎました。

「いくつぐらいの山に登ればいいのですか。私にしても仕事があるので山へ行けるのは土日に限られています」

「週一でいいわ。山の数は十前後かな。だから三カ月もかからないと思うけど」

「毎週はきついですね」

「じゃあ、月に二回ぐらいでもいいわ。お願い」

 彼女は私の腕に手を添えて、二人の距離の近さを強調しました。引き受けるしかなさそうでした。どっちにしろ、山へは登るのです。

「分かりました。お引き受けしましょう。で、具体的にはどうすればいいのですか」

「ありがとう。助かったわ。そうね、とりあえず見当をつけている山がいくつかあるので、後で教えるわ」

 そういう行き当たりばったりのやり方は、彼女の手際の悪さをうかがわせたので、私はもっと踏み込んだ協力が出来るのではないかと思いました。たとえば、ちゃんとした計画を立てるとか。

「山のリストがあるのですか」

 彼女は私がお節介をしようとしていることを敏感に察したのかもしれません。何も知らないくせに口出しをしないでというように、ぶっきらぼうに答えました。

「リストなんてないわ。その都度よ」

 私はあいまいにうなずき、彼女の設定した境界まで退きました。彼女はさらに自分のリーダーシップを認めさせるかのように続けました。

「報酬は日当一万でいいかしら」

 どこら辺に行くかによりますが、それではガソリン代と高速代にしかならないかもしれません。いずれにせよ、私は報酬などどうでもよかったので、何も言いませんでした。

「番号札を郵送するから住所を教えてね。写真はスマホに送ってもらえばいいわ。そのとき口座を教えてくれれば、おカネは振り込むわ」

 今日私と会って依頼することを思いついたにしては、すらすらと段取りがいいです。あるいは、話を持ちかける相手を探していたのかもしれません。ミステリー風のいきさつが事務的な手続きに変わってしまったのが、私には不満でした。

「そういうのは嫌ですね。取引は対面でしたいです。写真のデータと現金を手渡しで交換することにしてくれませんか。場所や時間はあなたが決めてくれていい。できるだけ都合を合わすようにしますから」

 むろん、私の申し出は彼女には意外だったでしょう。私の下心を疑ったかもしれません。私には彼女に対する野心などはなく、好奇心と、若干の意地悪な気持ちがあっただけなのです。彼女が拒否して話が成立しなくとも、構わなかったのです。

 ところが、彼女は案外素直に同意しました。

「分かったわ。そういうことでいいわ」

 彼女は笑顔を見せましたが、すぐに真顔に戻って付け加えました。

「それと、これは絶対守ってほしいのだけれど、このことは誰にも喋らないこと。もしこれが漏れてしまったら、全てがぶち壊しになってしまう。約束してくれる?」

 私は承諾しました。話が決まると、お互いの名前を告げ合い、メールアドレスを交換した後、別れました。女性の姓は横田でしたが名までは明かしませんでした。私は住所を伝えたのですが、彼女の方は教えてくれませんでした。

 そのようにして、番号の山への私の訪問は始まったのでした。

 私は二十七歳、関西の大手の電器メーカーに勤めています。実家は地方なので、こちらではアパートで一人暮らしです。山に登り始めたのは仕事をするようになってからです。それまでそういう趣味はなく、機会もなかったので、周りが山の土地で育っていながら、そこへ登ることなど考えもしませんでした。きっかけは職場の先輩に誘われたハイキングでした。大都会で一人暮らしをするようになって、いたって無趣味な私は休みの日には部屋でゴロゴロするばかりでしたので、出かけてみる気になったのです。人付き合いは悪い方ではないのですが、酒をあまり飲めない体質なので夜遊びに参加することは少なく、また、決まって付き合うような友達も、むろん恋人めいた相手もいなかったので、何となく孤立しているような感じに受け取られていたのかもしれません。その先輩は気を使って、女性を交えたグループの遊興に私を誘ってくれたようです。六甲山の中腹の東お多福山へのハイキングでしたが、結構厳しい道もあって、みなできゃあきゃあ騒ぎながら楽しい時を過ごしました。

 そのハイキングで私が親しくなったのは女性ではなく、山に登ることでした。育った環境はまあまあ、学校の成績もまあまあ、他人の受けもまあまあで、たいした幸運も苦労もなくいわば淡々と生きてきて、自分の力だけで何ごとかをなしたという実感、自分自身に対する信頼というか手応えのようなものを、はっきり自覚したことはそれまでなかったのです。勉強も仕事も、投げやりというのではないが、自分のしていることは最上のものとはほど遠いという諦めのようなものがあって、中途半端な気持ちがありました。ところが、急傾斜の地面を登っているとき、苦しいけれども確実に体を運んでいるという感覚が何か充実したものを与えてくれたのです。その感覚をもう一度得たいと思い、ハイキングに誘ってくれた先輩(三浦さん)に頼んで山に連れて行ってもらいました。

 三浦さんは学生時代から登山の経験があり、かなり本格的な活動もしていたようですが、今は仕事が忙しくて休止状態のようでした。三浦さんスポーツ用品店を紹介してくれ、靴やザックを買うときにもついてきてアドバイスしてくれました。ただし、三浦さんと一緒に山に登ったのは一度だけでした。三浦さんは山登りを再開する気はありませんでしたし、私も誰かと一緒よりも一人の方がいいと分かったからです。私はガイドブックなどを頼りに一人で山に登るようになりました。三浦さんはそれを知ると、単独行の場合は必ず誰かに行き先を告げておくようにと私に言いました。遭難したときにすぐに捜索にかかれるからです。行き先が分からないので行方不明になったままの登山者が結構いるそうです。適当な相手がいないので、三浦さんにメールで連絡しておくことにしてもらいました。

 とはいっても、岩壁をはい登ったり氷雪の峰を踏破したりするような極端なことは私の手には負えません。私の登山は正確にはハイキングといった方がいい程度のレベルです。無積雪期の三シーズンに、正規の登山道を歩くだけなのですから。それだけで私には十分でした。また、毎週でも山に登るという熱中ぶりにもなりませんでした。月に一、二回手頃な山に行くだけでいいのです。それだけで、それまでの日常では何か欠けていたものが埋められる気がしたのです。

 三浦さんは社内でもデキると評判の人ですが、出世ということにはこだわっていないようで、社内政治には関わらないようにしているようです。噂では、将来独立することを目論んでいるのではないかということでした。三浦さんはなぜか私に何かと目をかけてくれるので、二人で話をすることもあります。私は誰にも打ち明けることのない私の思いを、三浦さんだけには披歴しました。

 三浦さんはつまみのシシャモを食いちぎりながらときどき私の方に目をやって、聞いているぞと示していました。私たちはターミナルの繁華街の居酒屋のテーブルで話していました。仕事帰りの男女が大勢来ていて、ほぼ満員状態でした。しゃれた店が増えてきたこの頃でも、気を遣わずに済むこういうところは人気なのでしょう。ふだん酒を飲まない私は、外で飲食をすることはあまりないのですが、行くならこういう店がやはり落ち着きます。今日は三浦さんに誘われたのですが、酒よりも夕食を目当ての私に配慮してくれたのです。

 私は女性に対する気持ちについて述べていました。私は話し終わると、自分のジョッキを取り上げて、ビールをちょびちょび飲みました。こういう会話ができるのは三浦さんだからこそです。私は三浦さんの包容力に信頼を置いて好きなことが言えるのです。三浦さんは私のせこい飲み方を見ながら言いました。

「受付のあの子はどう思う。ちょっと気取っているところもあるが、根はいい子だぜ」

「三浦さんの趣味ですか。僕はちょっと」

「おいおい、変に勘ぐるなよ。どうかなと思っただけさ。受付にいるだけあって、容姿は問題ないだろ。性格もすれてないし」

「彼女なら、恋人がいるんじゃないですか」

「聞いてないが、いるかもしれないな。だからどうなんだ。初めからあきらめていては何もできないよ」

「でも、やめておきます。そんな気にはなれないので」

「君は条件にうるさそうだな。理想通りの相手なんてめったに見つかるもんじゃないぞ」

「そういうのではなくて、何て言ったらいいか、疲れるのです。女の子と話しても、どうも退屈させているようで、僕の方も退屈ですし、何よりも、話すことが見つからないのです。共通の話題がなくて」

「話題なんて何でもいいのさ。話していること自体が楽しいのだから」

「そうなんでしょうか。興味のないことを話題にしてもしょうがない気がしますが」

 三浦さんは自分のジョッキのビールを飲むために間をあけました。度し難い奴め、と思っているのかもしれませんが、面白がっているようにも見えます。

「君は恋愛というものを信じていないのか」

「そんなことはないですよ」

「じゃあ、女性を好きになったりはするのだね」

「当り前じゃあないですか。そんな風に見ていたのですか」

「それにしては、君が女性を見る目は冷ややかではないか」

「僕だって、女性を見て熱をあげたり、興奮することはあります。でも、そういう自分を我ながらあさましいと思えてしまうのです」

「そんなことでは恋愛はできないよ。恋愛というのは本質的にあさましいものなのだから」

「でも、そのあさましさが乗り越えられなければどうしようもないですよ。動物の求愛行動というのをテレビなどでやることがありますが、見たことがあるでしょう?メスを引きつけるためにオスは必死になる。体を飾り立て、ダンスをし、巣を作り、贈り物をし、他のオスと戦う。彼らは、求愛に成功するためだけに生きているようなものです。それと同じようなことじゃないかと思えて」

 三浦さんはちょっと考える風に少し間を置いてから言いました。

「どうして美男美女がもてるのか、考えたことはあるかい」

「それは、‥‥きれいなものには惹かれるからでしょう」

「そうだ。美男美女はもてる。だから、美男美女はもてるんだ」

「?」

「もっと正確に言うと、美男美女の子供はやはり美男美女になる確率が高いだろう。そうすると、子供たちももてる。つまり、美男美女を配偶者にすると、子孫が増える確率が高いわけだ。だから、美男美女はもてるのだよ」

「何だか誤魔化しみたいですね」

「簡単なことだよ。子孫を多く残す遺伝子が生き残り、支配的になる。俺たちは遺伝子の命じるままに、子孫を残そうとあがいている。ただ、主観的には、そんなことは思ってはいない。俺たちは異性に引きつけられるという衝動を感じているだけだ。その衝動に素直に従えばいいのさ」

「でも、そういう衝動というのは盲目的なものでしょう?本で読んだことがありますが、トゲウオを使った実験では、オスはメスの赤い腹を見て発情するそうです。オスに赤い色をしたものを見せると、それが魚の形をしてなくても、赤ければ何にでも飛びついていきます。」

「トゲウオを馬鹿にはできないさ。人間だって同じようなものだ。単なる多色の紙でしかないのに、ポルノ写真を見ただけで興奮するのだから」

 続けて、三浦さんはからかうつもりのないことを示すように真面目な口調で言いました。

「君は欲望をどう処理しているんだい。それとも、欲望がそれほど高まることはないのかい」

 私は言い淀みました。いくら三浦さんにでも、明らかにしにくいことはあります。私の返事を待たずに三浦さんはたたみかけました。

「マスターベーションはするのか」

「え、ええ」

 私はあいまいに答えました。私は赤くなったようでした。

「恥じることはない。マスターベーションが完全な満足を与えてくれるものなら、推奨すべき方法だからね。でも、残念ながらそうではなさそうだ。マスターベーションだけで十分ならば、性犯罪などなくなっているはずだ」

「なぜなんでしょう」

「性的欲望というのは単に肉体的刺激を求めているものではないからだよ。異性に引き付けられるというのはもっと複雑なことだ。性欲は優秀な異性を求めて繁殖を成功させるための動因でしかなく、そのためのテクニックとして求愛行動が発達したのだろう。だから、愛とか恋とかいうのは派生的なものにすぎない。しかしね、この派生的なものに生物は熱中するようになる。なぜなら、そういうことに長けたものが繁殖に成功するからだ。ダーウィンはこれを性選択と名づけた。生物はそのメカニズムを理解しているわけではない。ただ、それに熱中するようになっているのだ。はしょって言えば、それが喜びであり、楽しいからだ。目的が性交であっても、その前段階である恋や愛も同じように望ましいものなのだよ」

「面倒ですね」

「君の問題は経験不足にある。俺としては、もっと君に経験してもらいたいな」

「そういう三浦さんはどうなんです。もちろん、恋人はおありでしょうけど、結婚はしないのですか」

 三浦さんはしばらく黙っていました。三浦さんには、社内の人や取引先の人から縁談の話があったことは、聞いていました。相手先の家を継ぐ婿入りの話もあったようです。三浦さんはすべて断ったので、最近はそういうことはないようなのですが。また、社内で評判になるような女性たちが、三浦さんをめぐって対抗しているというようなことも、耳にします。しかし、三浦さんが特定の女性と付き合っているのかどうかについては、誰も知りません。

「結婚が、生きるうえにおいてプラスになるならば、するだろう。今のところそうは思えないというところかな」

 三浦さんは明快でした。自分のしていることに確信が持てる少数の人に属しているのです。私も三浦さんと似たような(あるいは、まったく別の?)危惧を結婚について感じていたのですが、はっきりとした意思にまではできていなかったのです。

 大学で知り合ったなかで、この人となら結婚してもいいと思った女性がいました。彼女は上品で知性的で優しく、容貌も優れていました。私とは、会えば簡単な会話をするぐらいの仲でしかなく、デイトなどできませんでした。彼女は私と同級の男と結婚しました。その男は成績優秀で快活なスポーツマンでした。彼なら彼女を獲得してしまうのは仕方がないなと納得できました。ところが、しばらく前に、同窓の男から、二人が離婚したことを聞きました。事情通らしいその男は、下卑た口ぶりでその理由を教えてくれました。

「嫁さんが、なかなかさせてくれないんだと。いくら美人でも、それじゃあねえ。再婚した女とは離婚前からつきあっていたらしいんだが、顔はも一つだが、あっちの方はいいらしいや」

 結婚というものは男女間の友情の究極な形であるなどとおぼこいことを思っていたわけではないのですが、性という怪しいものがそこに潜んでいることにはどうしてなじめませんでした。結婚というのがそんなに難しいものなら、失敗する危険を冒してまでするべきものか疑問です。一昔前なら、男も女も結婚するのは当り前、結婚しない者はできない者と蔑まれたのでしょう。でも今は違います。結婚しないのも選択肢の一つです。でも、私は選択しているつもりはなかったのです。

 横田さんと出会ったことは、そういう私のあやふやな(それなりに均衡していた)状態に変化を与えるものでした。

 釈迦が岳から十日ほどして横田さんが指定してきたのは三周が岳(1292m)でした。送付されてきた札の番号は2でした。この山には登ったことがありません。調べてみると、三周が岳は岐阜県と福井県の県境にあります。美濃の山は日帰りではぎりぎりのところです。横田さんのリクエストに応えるために早起きをしなければならないのは、ちょっと苦痛です。どこまでの範囲の山を対象とするのか確認しておくべきでした。

 登山口は福井県側と岐阜県側の両方にありますが、岐阜県側にしました。岐阜県といっても、滋賀県の木之元ICから三〇三号線で県境を越えてすぐのところです。林道の終点の登山口に駐車場があるはずでした。ところが、林道は途中で通行止めになっていました。この辺りも冬は雪が積もりますが、もう融けて残っていないはずです。たぶん道が荒れていて整備されるまでは使えないのでしょう。

 路側に車が何台か停めてありました。私もその後ろに車をつけて、準備をしました。また車が来て私の後ろに停まり、男が出て来ました。登山者にしては服装が地味なので、工事関係者かもしれません。準備を終えて私は川沿いの林道を歩き出しました。ところどころに藤の花が咲いています。道路脇の溝に水が流れ込んでくるような場所ではほえるような奇妙なカエルの声がしていました。

 登山口まで一時間以上かかりました。往復二時間余りのロスです。おまけに舗装された林道は登山靴の底から直に圧力がかかって足を痛めつけます。林道に雪はなく、崩れたところや落ちている岩もなく、車の通行に支障はないようでした。杓子定規なお役所仕事が通行止めを継続させているのだろうと、悪態をつきたくなりました。ようやく登山口の駐車場に着きました。

 駐車場には軽トラが三台とまっていました。山仕事をする地元の人の車でしょう。登山届用のポストがあったので、中にあった用紙に記入していると、後から来た男が追いついてきました。駐車したところで見かけた中年の男でした。白いシャツに作業ズボンという、登山をするには不似合いな服装で、まるで思い立って何の準備もせずに出かけてきたような印象でした。靴でさえスニーカーのようです。しゃれた服装やいろいろな装備に飾られた登山者と比べると、その無造作な様子がかえってベテランのようにも見えます。しかし、それは私のかいかぶりで、初心者なのかもしれません。それも、山に関する知識をほとんど仕入れることなく、無知ゆえの大胆さでしゃにむに登ってしまおうというような。男はそのまま登山道へ入っていきました。私はザックからペットボトルを出してスポーツドリンクを飲みました。あの勢いでは途中でバテてペースダウンするだろうから、追い抜けるだろうと思いました。私の背中は汗で少し濡れていましたが、温度はさほど高くなく、暑いほどではありません。

 駐車場から小さな谷に降りて二、三回流れを縫うように渡ると、尾根の登りになります。道は尾根を登り切らずに、中腹を巻く緩やかな登りに変わります。小さな流れをいくつか横切ります。ここでもカエルが鳴いています。新緑の谷の向こうに夜叉壁が見えてきました。夜叉が池の南側は岩壁となって谷へ落ちているのです。先行した男にはなかなか追いつけません。

 幽幻の滝という細い滝を過ぎると夜叉壁の登りです。岩壁はかなりの幅で立ちふさがっていて、見上げるほど高く、手がかりもなさそうですが、登山道は見た目ほど険しくありません。切れ込んで谷のようになったところの、向かって左側を登って行きます。谷には昇竜の滝が流れ落ちています。登り切ると稜線のコルのようになったところへ出ます。反対側に夜叉が池があります。

 どうしてこんなところに池ができたのだろうと不思議に思います。標高一一〇〇mの尾根の窪地に水がたまり、入る流れも出る流れもありません。池は長径が七、八〇mほどのいびつな楕円形をしていて、周囲の木々を映してか緑色をしています。この池だけの固有種であるヤシャゲンゴロウがいますが、有名なのはモリアオガエルの方かも知れません。まだ早いのですが、六月になると、池の周りの木の、水の上に張り出した枝に、やや黄色っぽい白い泡がついて、果実か花のように見えます。下にはイモリがうろついています。モリアオガエルのオタマジャクシが泡から落ちてくるのを待っているのでしょう。そういう循環が、何千年、いや何万年とこの池で繰り返されているのです。

 池の西の端が砂地になっていて、そこで休憩している人が何人かいました。私を追い越した男も既にいて、食事をしていました。私が思っていたよりもタフなようです。私も昼食にします。今日もコンビニのおにぎりを食べていると、食事を済ませたその男は水際まで行って池の中をのぞいていましたが、何も見つけられなかったらしく、つまらなそうに戻ってきて、私に軽く会釈しました。私も応答の仕草をしましたが、男は私と会話をするつもりはなさそうで、小さなザックを背負うと池に沿った短い木道に向かいました。男の姿はいったん木々の中に消えましたが、しばらくして西南に延びる稜線を登っていく姿が見えました。夜叉が池を見下ろす眺望を求めたのでしょう。

 三周が岳に登るなら、時間的にやや遅いので急がなければなりません。手早く食事を済ませて、出発しました。先程の男とは反対の南東の尾根に取り付きます。道には笹が繁っていましたが、ヤブこぎというほどではなく、ある程度は整備されているようです。夜叉壁の縁を過ぎると三周が岳が見えてきました。ところどころ岩があるアップダウンの稜線をたどります。最後の登りのヤブを抜けると、頂上でした。笹に囲まれた狭い頂上から私は周囲を見回しました。眺望はあるのですが遠方はかすんでいて、白山は見えないようです。

 登頂の感慨に長くひたっているヒマはないので、私はポケットから横田さんに託された番号札を取り出し、設置する場所を探しました。少ない木の一つに適当にくくりつけ、写真を撮りました。そのとき、笹の間の登山道から、あの男が現れました。私は悪いことをしているのを見つけられたように(実際、人に言えるようなことではないのですが)、ドキリとしてあわててスマホをしまいました。男は声をかけてきました。

「こんにちは。あなたがこっちへの方へ登るのを見たので、何かあるのだろうかと来てみたのです。ここが頂上ですか」

「そうです。三周が岳です」

「なるほど」

 男が黙ったので、私が話を継ぎました。

「歩くのがお速いですね」

「そうですかね」

「よく山に登られるのですか」

「まあ」

 男は私よりも背が高く、細見ですが鍛えられたような体つきをしていました。丸顔で鼻と口が一体になって突き出したような印象で、刈り上げた頭とも相まって漫画のネズミのような印象――悪いものではなく愛嬌のある好ましい感じの――です。私に話しかけてきたのにもかかわらず、そんなに話好きではないようです。私たちはそれ以上の会話をすることなく立っていました。まだ暮れる心配はありませんが、山にいるには遅い時間になっていました。下山途中何があるか分かりません。もうこの山に残っているのは私たちだけのようです。

「そろそろ降りましょうか」

 私がそう言ったので、何となく同行するような形となりました。私は男に先に行ってもらいました。間があいてしまうなら自然に別れることができると思ったのです。しかし、男は私のペースに合わすように速度を調整しているようで、パーティーとなって間をあけずに歩くことになりました。眼下にこれから下る尾根が続き、夜叉が池(まだ見えませんが)の辺りでコルになって再び隆起し、前方の山並みに加わっていきます。四方も山ばかりです。人里離れたこんな山の中に二人でいることに奇妙な連帯感が感じられます。夜叉壁の下りに気を使った他ははかどり、駐車場まで快調でした。

 非社交的な私がなぜ見も知らぬ男とずっと一緒だったのかはよく分かりません。男の方が馴れ馴れしかったというのではなく、どちらかというとぶっきらぼうな方でした。一つ考えられるのは、二人とも足が速かったということです。登山者も全く世間離れしているわけではなくやはり序列というようなものがあって、足の速さは評価の一つです。もちろん、単に速いだけではなく持続しなければなりません。一泊行程のところを日帰りにしてしまうような長時間高速歩行を誇る人もたくさんいます。いかにも足の速さを見せびらかすような人には反発を感じるのですが、私も自分より遅い人にはそういう態度を取っているのかもしれません。一緒に歩いた男は、私の力量を見極めると、かなりの速さで歩き、私は何とかついていきました。男には何となく好感を持てるような雰囲気がありました。

 男はこの辺りは不案内のようですが、山のことには詳しく、夜叉壁を見上げながら次のような会話をしたことは記憶に残りました。私が山一般の好ましさについてやや誇張して言うと、男はこう答えたのでした。

「山が人間に親和的に見えるのは、道があるからですよ。道は人間の住んでいるところにつながっている。道さえ失わなければ孤立することはない。山もそれを知っているから、私たちに手を出さない。道はいわば私たちを守ってくれている聖なる印のようなものです。だから、それを失えばすぐに山は親しげな相貌を一変して私たちを襲ってくる。あなたは山で迷った経験はありますか」

「ありますけど、遭難までにはなりませんでした」

「それは幸運でしたね。私もあります。ルートを外れてしまうと山はよそよそしくなり、いつもは無頓着さの中に隠している真の姿を見せる。あの恐ろしさは経験した者でないと分からないでしょうね。山の中で人間がいられるのは、通路としての道だけなのです。ルートを作っていく雪山や岩壁でさえ、そう言えると思います」

「人生みたいなものですかね」

「‥‥そうかもしれません。道を外れた人生というのもありますが」

 駐車場からの林道の堅い舗装に、酷使してきた足が痛みました。でも、ここまで来れば暗くなっても安心です。それまで前後になって山道を下っていた男と私は、並んで歩きました。ずっと一緒に歩いてきたので、親しみが増していました。道のカーブを曲がった向こうに車が見えてきました。私は別れの会話を切り出しました。

「さすがに最後の林道はちょっときつかったですね。でも、おかげで楽しく歩けました。ありがとうございました」

「いえ、こちらこそ。ところでこの辺りで風呂に入れるところはありますかね」

 下山後、温泉に入るのを登山者は好みます。日本人の温泉好きというところもありますが、かいた汗を流したいという切実な欲求なのです。私は調べていたので教えてあげました。

「藤橋の道の駅にあります。私は木之元から来たのですが、帰りは池田町で風呂へ入って、関ケ原から帰るつもりです。池田の方が施設がよさそうですので」

「そうですか。一緒に行っていいですか」

「ええ、かまいませんが」

 それぞれの車に乗り、私が先導して、池田町の温泉にいきました。入浴後、その施設内のレストランで一緒に食事をしながら話しました。これからまだ運転しなければならないので酒は飲みませんでしたが、男(佐藤と名乗りました)は打ち解けて、自分のことを話し出しました。

「私は警備員の仕事をしている。イベント会場やら工事現場での臨時の仕事だ。今日はこの地方の道路工事に派遣されていた。ところが、朝になって中止の連絡があったんだが、もう現場近くに来てしまっていて、あいてしまった一日をどう過ごそうかと、たまたま見かけた観光地図の看板で夜叉が池を見つけて、行ってみる気になった。そこで君に会ったんだ。君が夜叉が池からさらに奥へ行くのを見て、ついていってみた。久し振りの山だが楽しかった。君には感謝するよ」

「お役に立てたのなら、うれしいことです」

 佐藤は一呼吸置いて言いました。

「そこでだが、ついでに教えてくれないか。これは何だね」

 佐藤は番号札を写したスマホの画面を見せました。私はドキリとしましたが、知らぬ振りをしました。いつの間にこんな写真を撮ったのでしょう。

「さあ、何でしょうね。何かの記念のつもりでしょうか」

 佐藤はあざけるような表情をしました。

「君は知っているはずだ。だって、これは君がつけたものだろう」

「違いますよ。私は知りません」

 私はどう答えたらいいかとっさに判断がつかなかったので否定してしまいました。佐藤は私の否定がさほど意外ではなかったらしく、さらに追求してきました。

「君がこれをつけているのを見たんだよ」

「私はそんなことをしていません」

 私は何とかしらを切ろうとしました。私の頑固な態度にあきれたのか、佐藤は作戦を変えてきました。

「じゃあ、これは廃棄してもいいものだね。今度登ったら外しておこう」

 私は迷いました。佐藤にそうされても、また置きに来ればいいのです。粘土で作った粗末な札に過ぎないのですから、作り直すのは簡単なような気がします。でも、その札が特別で、替えがきかないものだとしたら、何とかしなければなりません。

「そんなこと、私には分かりません。それを置いた人に聞いて下さい」

「君が知らないと言うなら、私の判断で処分する」

「何でそんなことするんですか。あなたにそんな権利があるのですか」

「君には関係のないことだろう。これを置いた人に責められるなら別だが」

 私は怯えてしまいました。私のせいで横田さんのやろうとしていることがダメになってしまう。何としてでも防がねばならない。じっくり考える余裕はありませんでした。

「分かりました。それは私のものです。そのままにしておいてください」

「わけを教えてくれたらね。そうじゃないと、確かに君のものとは証明できない」

「私は頼まれただけなんです。詳しいことは知らない」

 佐藤は私が言い逃れをしているかどうか判断しかねているようでした。私が人に与えるのは善良そうな印象です。嘘を突き通したり誤魔化しを重ねたりはできないように見えるのです。彼はあきらめてように言いました。

「じゃあ、君の依頼主に伝えてくれたまえ。この番号札について知りたがっている男がいるということを」

 私は相談した後で連絡すると佐藤に約束したのでした。とりあえずメールアドレスを交換しておきました。

 山から下りてきて横田さんにメールを入れました。翌日の日曜日に待ち合わせることにしました。彼女も市内中心かその近くで働くか何かの活動をしているのだということが察せられました。あるいは学生なのかもしれません。待ち合わせの場所は二人とも知っていたターミナルの喫茶店にしました。セルフサービスで長時間ねばれる店です。

 次の日、私は早い目に着いてしまったので、注文したコーヒーを持って、小さなテーブルの席にすわりました。休日なので客層は普段とは違っていて、ビジネスパーソンや学生らしき人もいるにはいましたが、遊びに来た若い人が多いようです。カップルや女性連れなどが主です。中にはどういう関係なのか見当がつきかねる組もいます。たとえば、中年男と若い娘。親子ではなさそうです。親戚なのか上司と部下なのか、いやに親しげです。客のたいていはお喋りをしていますが、一人で本を読んでいる人もいます。平日ならば、レポートでも書いているような若い人もいるのですが、今日は見かけません。みんな楽しそうに、そうでなくとも楽しむことは知っているように見えます。人生に不満など少しもないような。

 横田さんを待つ間に、まだ迷っている考えをまとめようとしました。番号札を付けるところを佐藤に見られてしまったことを話すべきか。最初の山行きでこんなヘマをしたのでは、横田さんは私を信頼しなくなるのではないか。黙っていたって分かりはしないのだからわざわざ言う必要があろうか。佐藤が何をたくらもうが、彼と横田さんをつなぐのは私しかいないのだから、横田さんに余計な心配をさせる必要はないのではないか。そんな風に、正直に話すべきだという思いを何とか抑え込もうとしていたのです。いや、逆に、隠しておこうという気持ちの方が強く、誠実であろうとする弱々しい努力がしつこくつきまとうのを追い払おうとしていたのかもしれません。

 現実問題としては、佐藤にどう対応するかということがありました。何か適当な口実で逃げてしまおうと思うのですが、なかなか思いつきません。そのうち忘れてくれるのではないかという甘い期待についつい寄りかかってしまいます。懸案事項を放ったらかしにして皆が忘れてくれることで解決するという悪い経験を私は何度かしていました。今度もそうなってくれるのではないか。

 横田さんは遅れてきました。待たせたことを謝ってから、彼女はカウンターへ行って飲み物のカップを受け取り、私の向かいの席にすわりました。今日の彼女は髪の毛を顔の両側にたらし、くっきりとした眉と目、赤い唇という、まるで違った印象でした。ファッションにはうとい私ですから、どう表現していいか分かりませんが、白いブラウスにベージュの上衣、黒い短めのパンツ、素足にサンダルのようなパンプス、手入れされた爪には白いマニキュアとペデキュア。似合っているかどうかと言えば、私には彼女自身も自信に欠けているような感じを受けました。山にいても街にいても、何か場違いなところ、無理しているようなところがあるように思えるのは、私の偏見でしょうか。

 写真を自分のスマホへ移すと、彼女は約束の一万円を差し出しました。私は黙って受け取りました。佐藤のことが頭に浮かびましたが、私は違うことを言い始めました。

「岐阜は日帰りではちょっとしんどいな」

「泊ったっていいのよ」

 一万円では無理だろうと言いかけるのを私は抑えました。

「もっと遠くの山もあるのかい」

「とりあえずは、関西圏ね」

 横田さんの頭の中では関西というのはどの範囲になるのか疑問がありましたが、私は問いただそうとはしませんでした。それでも、言っておくべきことはありました。

「梅雨の時期には、山にはなかなか行けなくなるよ。雨の山は嫌だからね。それに、夏になったら、低い山は暑すぎる。だから、もうしばらくしたら一時休止にして、秋になったら再開するということにしてくれないか」

「夏は登山シーズンではないの」

「それは信州の山なんかさ。このあたりの山の蒸し暑さには耐えられないよ」

「それは困ったわね」

 横田さんの不機嫌そうな顔つきに、私はすぐに妥協してしまいました。

「むろん、その年の気温の傾向とか、その日の気候の状況にもよるけど」

「じゃあ、その時に判断するということで、いいわね」

 私はうなずきました。夏になったら信州の山へ行きたかったのですが、そのことは言いそびれてしまいました。

 そのやり取りが済んでも、横田さんは去ってしまうような素振りを示さず、腰を落ち着けたままでした。しかし、私は見知らぬ女性と二人きりでいるという経験がほとんどないので、何を話していいか分かりませんでした。私が話題を見つけられないでいるので、横田さんの方から切り出しました。

「あなたはなぜ山に登るの」

 横田さんの問いかけにどう答えるべきか迷いました。そういう問いは何度か受けたことがあります。マロリーのようなしゃれた答えができないので、相手の疑問や好奇心を満足させるような適当な理由を考えるのですが、出て来るのは平凡な答えばかりです。今回もそうでした。

「ヒマだからかな」

「ヒマだとしても、他にもすることはあるでしょう」

「運動にもなるし」

「運動だって、他にいくらでもあるわ」

 確かに、ヒマだからといっても、また、運動になるからといっても、必ずしも山に登る必要はないわけです。

「他にすることを見つけられないからかもしれない」

「それにしても、何か理由があるはずよ」

 そう追及されると、自分の答えのいい加減さが露わになってしまいます。私は底の浅い人間であるかのように横田さんに取られることを恐れました。

「登山の目的は単純に頂上を踏むことだろう。初心者でも頂上を目指すことではトップ・クライマーと同じだ。人生で、こんなに単純な目的を与えてくれるものが他にはあまりないだろう」

「景色がいいから山に行くと言う人もいるけど」

「それは附随的なことだよ」

「どうしてそういえるの」

「景色がよくたって、頂上まで行けなければ満足できない」

「でも、景色が見えなかったらつまらないでしょう?」

「ガスっていて何も見えないときでも、山へ登るなら頂上まで行く。それでも満足はできる」

「何も見えないより見えた方がいいのはいいのでしょう?」

「それはそうだけど。君はどうなの」

「どおって」

「君も山に登るんだろ。君はどう思う」

「私はあんまり登ったことないから」

「そんな感じだったね。じゃあ、何で山に興味があるの」

「私が興味があるのは、何であんなにたくさんの人が山に登りたがるかってこと」

「それが君のやってることに関係しているわけ?」

「それは聞かない約束よ」

 険悪な雰囲気になりそうだったので、私は黙りました。横田さんは私を落ち着かなくさせるあの目つきで私を見つめました。

「あなた案外喋るのね。もっと無口かと思っていた」

「人によって違うんだ。話しやすい人と、そうでない人がいる。誰だってそうだろう?」

 横田さんは、私に関する興味はそこまでというように、別のことを言い出しました。

「あなたの言う通りだとすると、登山者に中高年が多い理由が分かるような気がする。今どきの若者は人生に目的があるなんて思ってないから」

「逆じゃないかな。中高年の連中は経験でそういうものはめったにないということを知って、唯一それが得られそうに思える山に登るのではないかな。若者はそういうものがあるという可能性をまだ信じることができる。だから、山なんぞ行く必要性を感じていないのじゃないか」

「最近は山ガールが増えているらしいけど」

 そのことについては私には何の意見もないので、話の方向を変えました。

「クライマーズ・ハイというのを知ってる?」

「聞いたことはあるわ」

「苦しみや痛みがある限界を越えると、人間の体はそれを和らげるために麻薬のような物質を脳に分泌するらしい。それに中毒してしまって、わざと苦しみや痛みを求める。登山にはそんな要素があるみたいだ」

「あなたが山に登るのも、そのせいだというの?」

「そうかもしれないな。確かに登るときの喜びというのはある。登りは苦しいものだけど、その苦しさと戦っている自分の肉体に、いわば酔うのかな。確実に頂上に近づいているという喜ばしい気持ち、自分の肉体に、足に、肺や心臓に、誇らしさを感じ、重力に抗して一歩一歩高度を上げていくその力が、自分のどこに秘められていたのか不思議なほどに思う気持ち」

「それが何とかハイなの?」

「だとしても、僕が目的としているのはそれではないんだ。僕が山登りで一番楽しいのは、山を下りるときなんだ。とらわれやこだわりから解放されたような爽快感があるんだ。宿題をすませてしまった後のようかな。ちょっと違うかもしれないけど、義務を果たした後の気持ちのようなもの。達成感なら頂上に達したときに感じる。やった、という気持ち。それはある。しかし、それより大きいのは、下山するときの安堵感のようなものなんだ」

「それって、同じことじゃない?」

「そうじゃないと思うよ。どうもうまく説明できないんだけど。こうも考えてみた。たとえとして適当でないかもしれないけど、セックスでいえば、絶頂に達するまでは欲望にせきたてられて何も考えられずに突っ走っていく。欲望からときはなされてから、やっと自由になって、自分自身に帰れるのじゃないかな」

「そのたとえはおかしいわね。セックスはその過程が楽しいんじゃない」

「そうかな。女の人の感じと男とは違うのかもしれないけど。僕の場合はせきたてられるという感じもあって、ときには重荷になってしまうこともある。ある意味、しなければならないことをしているというのに近いんだ」

「そんな風にセックスしているの?」

「そうじゃなくて登山のこと。でも、セックスのたとえを使ったのだから、同じことになるのかな」

「じゃあ、登山は楽しくないの?セックスも?」

「かゆいところをかくのは気持ちいいさ。でも、かくこと自体が楽しいわけではないだろ」

「よく分からないわね」

「アルコール依存症は知ってるね?彼等のことを皮肉って、職や家族や友人を失い、命さえ失いかねないという悲惨な結果にもめげず、酒を飲み続けるのだから、よっぽど意志が強くなくてはいけない、と言ったりする。セックスや登山にもそういうところがあるのではないかな」

「あなたは変わってるわね」

「そうかな」

「自分でそう思わない?スマホも持たずに一人で山に登ったりして」

「山に行くときぐらい、下界のしがらみを断つべきだよ」

「前にも言ったけど、遭難したらどうするのよ」

「遭難したらスマホで連絡するなんて考えるなら、山には行かない方がいいな」

「やはり、変わっているわ」

 会話が途切れたのを潮に、私たちは喫茶店を出て別れました。佐藤のことはとうとう言い出せませんでした。

 三番目の山は日出が岳(1695m)でした。日出が岳は大台が原の東端にあるピークです。北の高見山から南の大台が原まで、三重県と奈良県の県境となっている山々は、大台の「台」と高見の「高」をとって台高山脈と呼ばれています。

 横田さんの選択の気まぐれさには翻弄されます。また奈良県へ戻りました。最初の山であった釈迦が岳の登山口である前鬼には一六九号線から入るのですが、大台が原にはドライブウェイが通じていて、その入り口も、だいぶ北にはなりますが、やはり一六九号線の新叔母峰トンネルのところにあります。

 日出が岳もまだ登ったことがありませんでした。駐車場から四十分もあれば登れてしまいますし、大台が原は人が多そうなので敬遠していたのです。日出が岳から松阪の方へ下る大杉谷のルートがあり、滝と吊り橋が連続する魅力的なコースですが、二〇〇四年の水害で通行不能になっていました。その後、整備されて二〇一四年に開通しましたが、今回は時間的に無理なようです。

 日出が岳だけではあっけなさすぎるので、ついでに大台が原を周遊することにしました。ルートとして東と西の二つあり、西大台は入山が規制されていて事前に申し込みが必要なので、面倒のない東大台に決めました。東大台の一周コースは、右回りで行けば、日出が岳、正木が原、牛石が原、大蛇嵓、シオカラ谷を経由して駐車場に戻ります。

 大台が原は観光地化されていて、週末には駐車場がいっぱいになります。シーズンならば並んで待たねばならないくらいです。幸い、車は多いものの空いているスペースを見つけて停めることができました。準備をして出発します。車の中には何も残さないようにします。登山口に駐車した車は車上荒らしに狙われやすいのです。ここには店やバス停があるのでさほど心配はないのですが、たいていの登山口は人家がありませんし、車の所有者はみな山に登ってしまうので不用心なのです。窓ガラスを割られるのを避けるためにわざとドアをロックしない人もいるらしいです。

 いつものように荷物はできるだけ軽くしています。昼食と飲み物と貴重品だけです。非常食とか着替えはなし。今日は雨具もいらないでしょう。昼食は途中のコンビニでおにぎりを買っておきました。ペットボトルを二本。今日も暑いので、水分はかなり必要になるはずです。一本はお茶、もう一本はスポーツドリンクです。汗で失われるミネラルを補充しなければ体力が落ちてしまうのは、経験から悟りました。帽子はかぶらず、バンダナを頭に巻いていました。帽子のひさしに視界を限られてしまうと、頭上の木の枝や岩に気づかずに頭をぶつけてしまうことがあるからです。

 登山口からしばらくは林の中の平坦な道です。右下方に渓流があるようです。やがて緩やかな登りになり、尾根に出ます。道が左右に分かれ、右は周回コース、日出が岳山頂は左です。その分岐には展望台がありました。西側がひらけて見渡せるのです。海が見えます。尾鷲湾です。大台ケ原は山奥の印象が強いですが、意外と海に近いところにあるのです。一汗かいたので、シャツを脱ぎザックに入れて、Tシャツ一枚になりました。

 分岐から木の階段を登ると日出が岳の頂上です。こちらには四角い建物のような立派な木製の展望台があります。下部は柱だけの吹き抜けの休憩所になっていて、階上の展望台からは広い展望が得られます。視界がよければ遠く富士山や御岳山も見えるそうです。今日は、天気はいいですが、例のごとくかすんで、遠方の山はぼやけています。

 番号札をつける場所に迷いました。展望台の周りは木がなく、かといって展望台の柱では目立ち過ぎます。結局、展望台を取り巻く柵の一つにつけておきました。

 分岐に戻って周回コースに入ります。日出が岳の向いのピーク(正木の嶺)を超える道はずっと立派な木の階段になっています。登山道としては整備され過ぎている感じがしました。釈迦が岳の登山道の木の階段についても、修行の道としてはいかがなものかという意見があります。どの程度の覚悟と技術を持った者を対象とするかで、整備の程度が違ってくるでしょう。私たちにしても、例えばロッククライマーしか行けないようなところを整備して登れるようにしてくれることはありがたいのですが、一般客まで来れるようにするのには抵抗があります。

 しかし、一般客にしてみれば、行ってみたいところまで行けるように整備してもらいたいでしょう。登山者ではない観光客をどこまで山に近づけるようにすればいいのでしょうか。登山者にしてみれば登山靴もはかずに来る連中と一緒にはなりたくないのですが、観光客のおかげでアプローチが便利になるのは歓迎ではあります。もちろん、安易なアプローチには反対で、一般観光客を遠ざけるために不便である方がいいという登山者もいるでしょう。登山者の間でも意見が分れてしまうのではないでしょうか。ドライブウェイやロープウェイで誰でもが頂上近くまで労せずして登れてしまう山は確かに登頂意欲を減退させはしますが、それでも登山道を使って登る楽しみを残すことはできます。一般観光客と登山者の共存がうまく図れればいいのですが。

 木道には道が荒れることを防ぐ効果があるのは確かです。多くの登山者が歩くと登山道が掘り返され、そこに雨水が流れ溝となったり、ぬかるみが残ります。それを避けようと登山者が道の端を歩こうとするので道幅が広がり、ますます道が荒れてしまいます。木道ならそういうことは起こりません。ただし、木道は維持管理に手間がかかります。

 登山コースの整備には一九七九年に大杉谷で起きた吊橋事故が影響を与えているという見解もあります。遺族の賠償請求裁判で三重県の責任が認められたために、全国で行政が過剰な整備に走ることになってしまったようなのです。山での事故は登山者の自己責任であるというのが原則のはずですが、観光として売り出すためにはそうも言ってられません。登山者としての自覚のない一般客を呼ぶには、事故防止のための努力を示すことが、責任回避のために必要なのでしょう。

 ピークを超えた斜面は、ミヤコザサとトウヒの立ち枯れの異様な風景です。一九五九年の伊勢湾台風の被害とその後の鹿の食害が原因のようです。さえぎるものがないので、下方の山並みとその向こうの海が一望です。階段の道を下りきると正木が原に続き、大きなアップダウンはなくなります。午後もだいぶ遅くなりましたが、日はまだ高く、のんびりと歩きました。

 観光客の多くは日出が岳で引き返し、さらに正木が原まで来ても尾鷲辻からのショートカット・コースで駐車場へ戻るので、そこから先は数が減って、登山者らしい服装の人だけになります。大きな岩と神武天皇像のある牛石が原を過ぎて、大蛇ぐらへの分岐に進みます。大蛇ぐらは絶壁に突き出ている大きな岩です。岩には転落防止の柵が打ち込んでありますが、高度感があって立っているのさえ怖いです。私は岩に座って、眼下に広がる景色に目を向けました。何となく、なぜ自分がいまここにいるのかを思いました。

 もともと私の登山は気まぐれなものでした。いろいろな山の情報は仕入れるけれども、どの山に登るかを決める基準などありませんでした。ちょっとした情報にも動かされるし、確立した評判にも敬意を払うのです。決めるたからといってそれに拘泥することなく、当日の天候や気分などで変更することさえありました。横田さんからの指示は意外性があって面白くはあったのですが、自分で選べないというのはやはり否応なしという窮屈さを感じさせます。また、いくつかの週末をそれに当てねばならないことも、拘束として意識されるのでした。

 予定を立てて何かをすることは、たとえ趣味や楽しいことでも義務化してしまうものです。何かをしようと思えば、いつどのようにするかを決めなければなりませんが、決めたらそれを実行することが重荷になります。計画のときはとても楽しみにしていた旅行が、直前にはおっくうになってしまうことが私にはよくありました。

 予定を立てるということは訓練としては適当だったかもしれません。登山への衝動に従うというのは勝手な気分に流されているのに等しく、それを馴致するためには他から強制された規則正しさというのが一番だったでしょう。横田さんの指示はそういうものになりえたのでした。いわば自由奔放な恋愛を結婚生活の節制に変えるようなものです。しかし、そういう登山は続けられるかどうか。

 横田という名前以外は得体のしれない女に指示されて、労働と化した登山をしているにすぎない気がしないでもありません。以前とやっていることは同じでも、その意味は変質してしまいました。そもそも私が一人で山へ登ろうとしたのは、好きなときに好きなところへ行けるからではなかったでしょうか。決められたことを決められた手順ですることに耐え難さを感じたゆえに。

 大蛇ぐらからはシオカラ谷への下りになります。下方に衣類の色彩が見え、登山者がいるのが分かりました。近づいてみると、男女二人連れで、女性が男性の足元にかがみ込んでいます。何かトラブルがあったようです。さすがに孤立主義の私でも、こういう場合は声をかけます。

「どうされました」

 二人はそのままの姿勢で私の方に顔を向け、男性が答えました。

「底がとれてしまって」

 女性は男性の右の靴にひものようなものを巻きつけているようですが、うまくいかないようです。

「テープがありますよ」

 私はそう言って、ザックをおろして中を探りました。そのような事故が突然起こることは知っており、現に私が登山靴を買ったときにも、店員からそのことの注意を受けました。ですから、ザックの中に応急修理用のテープを常に入れていました。

「私がやりましょう」

 女性に渡すよりは私がやった方がいいと思い、女性と代わりました。女性に支えてもらって男性の足を上げさせ、靴に粘着テープを巻きつけました。作業をすますと、念のため男性の左の靴を見てみると、こちらも剥がれかけていましたので、同じ処置を施しました。

「すみませんねえ」

 男性も女性も、作業の最中にしきりに恐縮していました。二人ともかなり年配で、夫婦のようです。

 ミッドソール(中底)のウレタン樹脂が加水分解して靴底が剥がれることについて、三浦さんが話していたことを思い出しました。詳しく調べたわけではないので正確なことは分からないがと断った上で、登山靴は輸入品が多いから、たぶんウレタンのミッドソールはヨーロッパで開発されたのだろう、と三浦さんは言いました。外国で開発されたものを無条件に日本に持ち込んだから問題が起こったのだ、と三浦さんは推測していました。比較的乾燥しているヨーロッパではさほど支障がなくても、湿度が高い日本では加水分解が急激に進行してしまうのです。そのことに関連して、三浦さんは橋梁建設の技術者であった父親から聞いた話をしてくれました。アメリカで開発された防錆効果の高い亜鉛粉末入りの塗料を導入して日本で塗られた橋梁が、塗料の剥離を頻発したことがあったそうです。アメリカではさほど問題がなかったのですが、雨の多い日本では、上に塗った塗料のピンホール(塗られた塗料は膜のようになっているように見えても、細かい穴があいているそうです)から水分が浸透し、亜鉛との化学作用で上の塗料がはがれてしまうらしいのです。風土の試練にあわなければ、その土地に適合するかどうかは判断できないのだ、と教訓的な結論で三浦さんは話を締めくくりました。

 処置が終わって、男性は立ち上がり、足踏みをしました。

「どうです。歩けますか」

「ええ、行けそうです」

 そのまま先に去ってしまうのは不安でした。歩行に支障があったり、補強のテープが取れてしまったりしたときのことを考えて、ついていくことにしました。靴のせいで事故になったりしたら、後味が悪いですから。

「靴がすべりやすくなってますから、気をつけて」

 後ろから声をかけます。もっとも、私が注意しなくとも、もともとゆっくり目で歩くであろう二人は、さらに慎重になっています。おまけに、いろいろと話しかけてくるので、速度は格段に落ちます。普段の私なら、煩わしくイライラするところですが、何となくのんびりとした気分で応答しました。

 お互いに気を使いながら歩いている二人を後ろから見ていると、普段から仲がよいのだろうと察せられます。夫婦なら当り前のようですが、実際は難しいことのようです。街でも山でも、中高年の夫婦連れをみかける機会が多いですが、聞こえる会話からは二人の関係がどうなのかなといぶかしく思わされることがあります。長い間連れ添っているから遠慮がないということかもしれませんが、憎しみに近いものが潜んでいるのがうかがわれるのです。例えばスーパーで買い物をしているとき、夫がかごに入れた商品を、妻がこんなものをなぜ選ぶのかと毒づくようにして、邪険に取り除いてしまいます。妻たちが夫を軽んじていて、夫はそれを受け流そうとすることで屈辱に耐えているようでした。たぶん、この歳になっては男性は一人で生きていくことに自信がなく、冷たくされても妻にしがみついているのでしょう。妻たちは以前から抱いていた夫に対する不満を、安心して吐き出せるようになったと心得ているのでしょう。女性が一方的に悪いというのではなく、あまりに長い間お互いを縛りつけていたことにうんざりさせられたせいなのです。しかし、この二人は幸運にもお互いを飽きることなかったのか、そうなることを賢く避けることができたのです。二人を祝福したく思い、うらやましくも感じました。

 駐車場に出たので、私は二人に別れを告げました。二人はくどく礼を言い、名前を教えてくれるように請いました。私は断りましたが、しつこいので面倒くさくなり、メールアドレスの交換をしました。

 帰りの車の中で、私はおかしくなって小さく笑い声をあげ、それから何となくうれしくなりました。登頂をやり終えて下ってきたときのいい気分、他人を助けたことの幾分か高揚した気持ち、仲のいい夫婦に会えたこと、そういったもののせいだったでしょうか。

 山崎氏からメールが来たのはその三日後でした。山崎というのが日出が岳で出会った男性の名でした。老人というにはまだ早く、中年というにはやや遅すぎる年齢だったような印象でしたが、やはり現役を退いているようでした。彼のメールの内容は、お願いしたいことがあるので一度会ってほしいというものでした。先日の礼のつもりならば断わるのでしたが、登山に関する話のようだったので、都合がつくならと了承しました。何回かメールのやり取りがあり、彼は食事に誘いたいようでしたが、私は用件だけに済ませたいので、週末の午後にカフェで会うことにしました。

 山崎氏の住居は阪神間にあるようでしたが、私の家の近くまで来るのは構わないと伝えてきました。私が二人の居住地の中間あたりにすることを提案すると、乗換駅の近くにある店を知っているがそこでいいかと返事があり、私は了承しました。

 その駅のある小都市には大規模な商業施設もあって、何度か行ったことはあるのですが、詳しい街並みは知りませんでした。指定されたカフェは駅前から延びる商店街の中にありました。この商店街も地方都市の例にもれずさびれた様相でしたが、カフェは石造りのクラシカルな建物でした。元は地方銀行だったものをリフォームしたようです。

 二重扉の入り口を入ると、廊下のような細長いスペースとそれを仕切っている長いカウンターがあります。カウンターは木製ですが、鉄製の棒で作られた低い柵が上についていて、一定の間隔で物が出し入れできる口が開いています。この程度の柵なら乗り越えようと思えば簡単にできそうですが、象徴的な境界なのでしょう。向こう側はカネという神が支配する神聖な領域であり、私たち庶民は小さな窓口から神官たる事務員にお伺いを立てるのです。金融の場としてはその役割をとうに終えているのですが、威光の名残のようなものは消え失せていません。見上げれば吹き抜けになった高い天井、そして三方の壁を取り巻く回廊が、ここなら大事なカネを預けて安心だと思わせています。

 かつて銀行員たちが業務をしていた場所には訪れてきた客をもてなすためのテーブルが置かれています。私は人の顔を覚えるのが得意な方ではありませんので、山崎氏を見分けられるかどうか自信がなかったのですが、カウンター前のベンチに座っていた山崎氏が私を見つけて近づいてきました。

「わざわざ来ていただいて恐縮です」

「すみません、お待たせしたようですね」

「いえ、時間通りですよ。二階の個室をとっておきましたので、行きましょう」

 山崎氏はカウンターを回り込んで中に入り、そこにいた店員に合図のように手を挙げて二階へ通じる階段を上っていきました。私は後をついていきます。回廊にはいくつか扉があり、その一つを開けて山崎氏は中に入りました。私も後に続きます。こぢんまりとした部屋に大きめのテーブルが一つありました。壁に絵が一枚かかっているだけで、装飾は簡素でしたが、重厚さを目指したようなこの部屋にはふさわしいのでしょう。私たちは机の角を挟んで座りました。

「ここは元の支店長室だったようです。お茶だけというのも何ですから、ケーキセットにしませんか」

「ええ、それでお願いします」

 山崎氏は机の上のメニューを示して飲み物とケーキの種類を決め、水を持ってきた店員に注文しました。

「いいお店ですね」

「そうでしょう。私は古い建物が好きでして、こういうカフェを見つけるのが趣味みたいなものです。いや、建築について知識があるというのではなくて、ただ雰囲気が好きなのです。ここは駐車場か少し離れているのが難点ですが、何しろ落ち着けますからね」

 私には懐古趣味はないのですが、山崎氏に気を使って壁や天井を見渡しました。快適であればどこでもいいのですが、個室というのはあまり居心地がよくありません。

「この間はありがとうございました。久しぶりに山へ登ったのですが、靴の手入れがおろそかになっていたことに気づきませんでした。登山者として恥ずかしい限りです」

「お役に立ててよかったです」

「長い間、山に登っていなかったのですよ。引退してヒマになったのでまた山にでも行ってみようかと思っていた矢先に病気になりましてね。ガンです」

「そうですか。それは‥」

 こういう場合にどう言えばいいのか、世慣れていない私は戸惑いました。山崎氏は相手のこういう反応には慣れているらしく、かまわず続けました。

「早期の発見だったので手術をするだけで済みました。しかし、体力が落ちてしまって、登山は無理だろうといったんはあきらめたのですよ」

 店員が注文したコーヒーとチーズケーキを運んできたので、会話は途切れました。ケーキを食べながら、山崎氏の用件は何なのだろう、早く本題に入ってほしいなと私は思っていました。ケーキを食べ終わってから、山崎氏は話を再開しました。

「まず先に、わざわざお呼び立てした訳をお話ししておいた方がいいですね。実は、この体では一人で山に登る自信がないのです。それで、あなたに同行していただけないかと、お願いしようと思いましてね。突然こんなことを言い出すと戸惑われるのは当然です。詳しい事情をお話しいたします。お返事はその後にしていただいてもよろしいでしょうか」

 私は面倒だと思って断ることにしましたが、すぐに言い出すのは角が立つので、適当な理由を見つけるために山崎氏の話を聞くことにしました。

「私が山に登っていたのは二十年近く前のことです。仕事の関係もあったのですが、何となくやめてしまいました。山へ登ることの必要性というか、人生の中に占める重要性というのか、そんなものが徐々に失われていったのでしょう。つまりは、山に登るのがそんなに楽しくなくなってしまったのです。しかし、ガンを宣告されて、死ということも考えなければならなくなって、過去のこともいろいろ思うようになりました。そうすると、かつて登った山のことがいろいろ思い出されるようになりました」

 自然が心の安定になるというのでしょうか。死ぬことは自然に還ること、そう思うことで死の不安から逃れようというのでしょうか。私はそんな安直な思いには同感できませんから、話を飛ばさせようと口をはさみました。

「もう一度同じ山に登ってみたいとおっしゃるのですか」

 山崎氏は一瞬きょとんとした表情を見せましたが、すぐに笑い顔になりました。

「そういう感傷にひたるのも悪くはないのでしょうが、私の思っていたのは違うのです。登りたかったけれども登り残した山がいくつかあることが気になったのです。そんな思いはとっくに薄れていたのですが、改めてそのことを思い出しました」

「では、その山に登るのですか」

「もう無理でしょうね。あきらめねば仕方がありません」

 私は山崎氏が何を言いたいのか分からなくなって黙ってしまいました。その間に山崎氏は私の問いかけよって乱された説明の段取りを立て直しました。

「でも、あきらめきれない山があるのです。あなたは鷲羽岳をご存じですか」

「鷲羽岳。どこにある山ですか」

「北アルプスです。ええと、雲ノ平の近く、水晶岳と三俣蓮華岳の間、裏銀座コースの中ほどにある山です。あまり目立たない山ですが」

「ああ、そういえばそんな山がありましたね」

 私ははっきりと思い当たったわけではありませんが、調子を合わせました。北アルプスは行ったことがあるとはいえ、さほど詳しくはありません。その山についての具体的なイメージはまるでないのでした。

「どうしてその山にこだわるのか、聞いていただきますか」

「その山に登るのに私の助力が必要なのですか」

「ご存じかもしれませんが、簡単に登れる山ではないのです。大台が原に行ったのは体力を見極めるためでした。念のため家内についてきてもらったのですが、北アルプスはあれには荷が重すぎます。あれは私に付き合って近辺の山に登った経験があるだけで、そもそも山登りには興味がないのです」

「私は高い山の経験はあまりありませんし、山で人を助ける自信もありません。ガイドをお雇いになったらどうですか」

「それも考えました。でも、何だか大げさで、躊躇してしまうのです。鷲羽岳はアプローチが長いのですが、ガイドに案内してもらうとか援助してもらうというほどの山ではありません。これからお話しするように、鷲羽岳への私のこだわりは個人的な事情ですので、人に理解してもらうのは難しいでしょうし、笑われはしないかという懸念もあるのです。できれば一人ででも行きたいのですが、体力に不安があるので、適当な同行者が欲しいと思っていたのです」

「なぜ私にしたのですか」

「まあ、直観というか、第一印象ですか、この人は信頼できると感じたのですね。もちろん、無理にとは申しません。そちらのご都合もあるでしょうし、こんな老人とは付き合いたくないとお思いになるであろうことも承知しています。ですが、もし、私の思いを聞いてくださって、私を助けてやろうという気になって下されば、お願いしたいのです。むろん、費用は負担しますし、謝礼もお支払いします」

「そうおっしゃられても、困ってしまいます」

「では、話だけでも聞いてください。私は一般ルートで山を楽しむだけの登山者でした。雪山もロッククライミングもしていません。百名山を踏破するというような気もありませんでした。登りたいと思った山に登るだけの気ままな登山をしていました。それでも、めぼしい山には登っておこうというぐらいのこだわりはありました。北アルプスでもいくつかの山は登りました。鷲羽岳も近くは通っているのです。裏銀座コースならルート上にあるのですが、私たちは前年に表銀座で槍は登っていたので、岩苔乗越から雲の平へ抜けるコースにしたのです」

 山崎氏は横に置いたリュックから折りたたんだ紙を取り出して広げました。登山用の地図でした。最近買ったもののようです。

「あなたはご承知のことかもしれませんが、地図でご説明した方が分かりやすいですね。これが鷲羽岳です。私が最初にたどったコースは、烏帽子岳から裏銀座コースを行き、鷲羽岳の手前で西へ折れて、雲ノ平、太郎兵衛平を通って折立へ下りたのです。太郎兵衛平から薬師岳にピストンしました。お行きになったことはありますか」

「いえ、そっち方面はないです」

「いいところです。機会があればお行きになるがいい。それで、もう一度この辺りには行ったことがあるのです。今度は折立から登り、太郎兵衛平から黒部五郎、三俣蓮華、双六、笠と縦走しました。つまり、ちょうど鷲羽岳だけが抜けてしまったのです」

 私は山崎氏が指で示したコースを目でたどり直しました。鷲羽岳の辺りに登山道が集まってきて、十字路のようになっているようでした。

「これを見てお分かりのように、鷲羽岳は北アルプスの最奥にあると言えます。一日ではたどり着きません。鷲羽岳へのルートはいくつかあります。裏銀座コース、折立から雲ノ平を経由するコース。槍へ登って西鎌尾根を下るコース、新穂高から双六へ登るコース、赤牛を越える読売新道などです。いずれもかなりの距離です」

「そのようですね」

「最短のコースは新穂高からのコースです。弓折岳、樅沢岳、双六岳、三俣蓮華岳とたどっていくのですが、いずれの山も巻道で迂回できます。小屋も、わさび平、鏡平、双六、三俣蓮華にありますから、比較的安全なコースです。普通なら山小屋一泊コースですが、山麓一泊、山中二泊で考えています」

 山崎氏は計画を練り上げているようでした。むしろこんな山に手間暇かけて登る価値があるのかと思われるほどでした。体力が心配なら、ほかにいくらでも適当な山はあるはずです。私が思いつくだけでも、乗鞍とか立山とか西穂とか蝶などはどうなのでしょうか。私の疑問を察したのかどうか、山崎氏は続けました。

「どうしてこの山にこだわるのか、不思議に思われるでしょう。私にしても、当時この山に登っておかなかったことを何とも思っていませんでした。単なるルート上の経由点にすぎず、場合によっては巻き道で回避できる山でしたから。この山が気になりだしたのは、また山へ登りたいと思うようになってからでした。最初は、どうせこれからではそんなにたくさんは登れないし、無理もできないから、近くの低山にするつもりだったのです。ところが、過去の山行をいろいろ思い出しているうちに、この山に登ることが人生でやり残したことに思えてきたのです。そして、そのことばかりに気がとられてしまうようになってしまいました。不思議な話ですが、いったん取りつかれると、どうあってもそのことを実現しなければならいというような脅迫的なまでの気持ちに責め続けられ、やめようとしてもどうにもならなくなります。そういう気持ちになったことはありませんか。例えば、何か気に入った品を見つけて、特に必要もないのに欲しくてたまらなくなり、探し回って、手に入るのならいくらでも支払うという気になったことなどは。そういう気持ちをずっと持ち続けている人もいるはずです。恋愛などもそんな感情の一種なのでしょう。まあ、私の場合は鷲羽岳に恋してしまったというようなものでしょうか」

「そうですね。そういうことがあるというのは分からなくもないですが」

「で、どうでしょう。いますぐというわけではありません。私はもう少し体力をつける必要があります。できるだけご迷惑はかけないようにしますが、私の計画にご協力いただけないでしょうか」

 私は即答しませんでした。迷っていたのです。山崎氏のことに興味を持つようにはなりましたが、そういう登山が私にとって楽しいものとなる気がしません。断るのに気が引けるようなことはないのですが、断ってしまうのをためらわせるような、何か引っかかるものがありました。

「しばらく考えさせてもらえませんか」

「ええ、もちろんです。検討する価値があると思われたのなら、時間をかけて判断してください。もし、気が進まないのでしたら、私のことなどお気遣いなくはっきりと断ってくださって結構です。やってみてもいいと思われるのでしたら、どうぞお願いします。気長にお待ちしています」

 私がすぐに断らなかったことが、山崎氏に期待を持たせてしまったのだとしたら、またしても私の優柔不断がしがらみを生み出してしまったようで、私の思いとは裏腹に、他人たちがどんどん私の人生に入り込んでくるような気がしていました。

 どの山に登るかを選ぶについて、三浦さんが言っていたことがあります。

「こんなにみなが百名山を登るようになるのが分かっていたら、深田久弥は初心者には難しい山を入れなかったかもしれない。悪いのは深田久弥じゃないけどね。百名山なんて恣意的なリストをありがたがって、目標にしている連中が悪いんだ」

 私は別の考えです。登る山を決めるのはなかなかやっかいなのです。どこにどんな山があるかはガイドブックなどに頼らざるをえません。ところが、それらが提供する山の情報は多すぎて、その中からどれを選ぶかに迷うのです。選ぶ基準として、何か権威ある意見を求めようとするのは自然なことでしょう。何か目標がほしいけれど、それが見出せない人に、適当な(いいかげんでもかまわないのですが)目標が与えられるのは、非難されるべきことでしょうか。もちろん、その目標を受け入れるかどうかはその人の意思にまかせられるのですが、判断を放棄して無条件に受け入れる態度もあながち悪いというわけではなく、選択に関する面倒さを省略するメリットもあるのです。

 団体登山ツアーに高齢者が多いのも、目的地の選択や段取りなどに手間がかからないからでしょう。私が山へ登りだしたときは既にそうなっていましたが、昔を知る人は若者が少なくなったことを嘆いています(そう言う彼ら自身が中高年なのですが)。元気な中高年が増えるのは結構なことではないでしょうか。たとえ彼らが観光気分で、山へ世俗的な雰囲気を持ち込もうとも。私自身は彼らと交流することはないのですが、彼らの存在をうとましく思うことはありません。

 それはともかく、信州の山を別にするなら、地元の山はその地方の人以外にはあまり知られていないのが実情です。地元の人でさえ、山好きでないならば、その知識はあいまいです。近畿を代表する山をあげてみるなら、大峰、鈴鹿、比良、六甲などですが、その中の個々の山について知っている人はどれほどいるでしょう。横田さんと出会った釈迦が岳にしても、アプローチの不便さもあるので、大峰というブランドがなければ、もっとさびれていたに違いありません。

 横田さんに山を指定されるのは、自分で登る山を選択する手間を省いていると考えればいいのでしょう。だとすれば、番号の山のアイデアも捨てたものではないかも知れません。何か権威づけることができれば皆に有難がらせることも可能かもしれません。

 山に登るについてはそれ相応の準備がいります。一般的なガイドブックに載っているような山や、登ったことのある山なら特に下調べの必要はないのですが、そうでない山の場合、アプローチの方法、登山口、登山道、コースタイムなどを確認する必要があります。手がかりが何もないときは国土地理院発行の地図で調べることになりますが、たいていはインターネットで検索すれば情報は得られました。どこにあるのか探すのに苦労するほどマイナーな山でも、誰かが登って記録を公表してくれています。そのまめさは感心するほどです。GPSで記録したルートを地図に落としてくれているものなどはとても助かります。

 今回、横田さんが指定してきたのは伯母子岳(1344m)です。伯母子岳は地味な山ですが、その肩にある伯母子峠が熊野古道になっているので、ある程度の知名度があるようです。大股という集落から伯母子峠を越える熊野古道のルートが登山道にもなっています。熊野古道は熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)へ詣でるための道で、中辺路、大辺路、小辺路、伊勢路の四つのルートがあります。小辺路は高野山から熊野本宮大社を結んでいますが、千メートルを超える峠を三つ(伯母子峠1220m、三浦峠1070m、果無峠1114m)も越えなければならない険しい道です。伯母子峠はこのルートの最高点です。

 吉野からの奥駆け道と高野からの小辺路が熊野本宮で合流します。その二つのルート上の釈迦が岳と伯母子岳を選んでいるのは、横田さんに何か意図があるのでしょうか。

 梅雨に入ったと気象庁は発表したのですが、昔のようにシトシトと降り続くことはなく、晴れて本格的な夏の暑さの合間に、突然地域的に豪雨になるというように様相が変化してきています。一か所に次々と積乱雲が発達して列状になる線上降水帯と呼ばれる現象によって、大きな被害が出るようになりました。

 天候については、直前の予報でないと行動の調整がつけられません。一週間ほど先であれば天候の変化のペースが天気予報とずれてしまうこともあって、晴れのつもりで登山を予定した日が雨になることがあります。ましてや局地的な雨は予想がつきません。雨の日でも山には登れますが、楽しいものではありません。

 土曜日の天気ははっきりしませんでした。全般的な雨の予報ではないのですが、大気の状態が不安定なので、ところにより雷雨のおそれがあるというのです。朝、見上げると青空があったので、決行することにしました。雨なら中止しようと思っていたせいもあって、そんなに早くは起きなかったので、家を出たのが八時すぎになってしまいました。登山口の北股は野迫川町にあります。まず、橋本まで南下して高野山に登り、高野龍神スカイラインへ入ります。高野山のにぎわいをすぎるともう人家のない山の中です。しばらく走って野迫川への表示を見つけ、東へ曲がって急坂を下ります。谷底へ下りると人家があり、県道733号へ出たところに村役場がありました。県道を南下します。すぐに人家が途切れ、しばらくすると道が狭くなります。林道のようになった川沿いの道をひたすら走ります。やがて、道が分岐し、右の道には「平家の里」という標識がありました。その先には平という集落があり、平維盛の終焉の地という伝説があるそうです。二つの道は少し先でまた合流し、そこにキャンプ場のような施設がありました。大股はその先でした。既に正午近くになっていました。雲が増えてきたのが気になります。

 ここで川は直角近く曲がっていて、深く谷を穿っています。集落は橋を渡った対岸にありますが、橋のこちらのたもとにトイレと小さな(四、五台ほどの)駐車場があります。川をのぞき込むとはるか下を澄んだ水が流れていました。道路は川よりかなり高いところを通っているのですが、急傾斜の両岸に挟まれて、ここでさえ穴の底のような感じがします。小辺路登山口の標示があります。橋を渡り、集落の中の急な坂を上ると墓地があって、十軒ほどの家々が見下ろせます。曲がった川が上流へ伸び、その岸の一か所につめこまれたように屋根がかたまっています。

 墓地から山道になるのですが、軽トラなら通れるような幅があります。観光用に整備されたようですが、登山道としては物足りません。スギ林の中を登っていくと萱小屋に着きました。萱小屋というのは昔集落があったのでつけられた名前のようですが、ログハウス風の新しそうな小屋がありました。休憩所かトイレなのかなと見てみると、倉庫のようでした。さらに、スギかヒノキの植林とブナやカエデもある雑林が交互に入れ替わる登りを行きます。夏虫山への分岐まで来て、桧峠を知らずに通り過ぎたことに気がつきました。そこから道はやや下り、山腹をトラバースするようになだらかになります。

 急に雨が葉に当たる音がしました。この程度の雨なら、林の中なのでさほど濡れることはありませんが、先を急ぎます。登りになって、十字路に出ました。右は牛首山から高野龍神スカイラインへ出る道、左は伯母子峠への道です。間に伯母子岳への細い登山路が先に延びています。雨が強くなってきましたので、とりあえず、峠の避難小屋を目指すことにしました。念のため雨具は持ってきたのですが、着る手間を考えると、小屋まで急いだほうがいいと判断しました。本当は、面倒くさがらずに使うべきなのでしょうが。

 道は頂上を迂回して反対側の伯母子峠に通じていました。そこに避難小屋とトイレがありました。トイレは比較的新しく、避難小屋より立派なくらいでした。これも観光のため整備されたのでしょうか。

 避難小屋の戸を開けて入ると、中は暗く、明り取りは正面の壁の上の方にある小さな窓だけでした。中央の土間で二つに仕切られた板の間となっています。ドアを閉めると暗闇に近くなるので、開けたままにしておきました。板の間に座り、遅くなった昼食を食べました。雨は降り続き、南の方で雷が鳴っていました。

 さて、どうするか。しばらく様子を見て、雨がやみそうならこちら側からの道で頂上へ登ればいいでしょう。雨がやまぬなら、雨具を着て登ることになります。雨中で番号札の写真を撮るのが厄介ですが、できないことはないでしょう。しかし、雷が心配でした。ネットの写真で見た限りは、頂上には木がなく吹きさらしの空間です。

 やや小降りになって、雷も遠ざかったようなので、雨具を着て出かけることにしました。小屋を出ようとすると雨が再び強くなっていました。ためらったのですが、いつまで待っていてもしょうがないと、小屋の戸を閉め、頂上への道へ入ります。少し登ったところで、また雷が鳴りました。今度はかなり近そうです。私は引き返しました。小屋には戻らず、そのまま下山することにしました。冷静に考えれば、いったん小屋に戻って様子を見るべきだったでしょう。でも、あの薄暗い小屋の中でじっと待っているのは嫌でした。ずっと閉じ込められて夜になってしまうように思えてしまうからです。とにかく早く下山したい気持ちでした。雷鳴はますます近くなります。霧が出てきているようでした。雷雲の中に入ったのでしょうか。雷は、頭上というよりも、同じ平面で鳴っているようでした。

 桧峠を過ぎて下りにかかると、雲から抜け出たのか、雲が去ったのか、雨は小降りになり、雷も遠くなりました。萱小屋に着いた頃に雨はやみ、4時頃大股にたどり着いたときには、周りの山々が見えるようになって、白い雲の間から青空も見えます。川の水は少し濁っていましたが、さほど増水してはいないようでした。

 恐怖にかられて逃げ出してきたのですが、冷静に考えれば、危険を避けていることにはなっていませんでした。林の中だから落雷にはあわないだろうというあやふやな判断に頼っていたのです。避難小屋で待機していれば、いずれは雨雲は通り過ぎて行ったでしょう。危機に当たっての対応は、事前には適切な方法が分かっているつもりでも、いざその時になると慌ててしまって、一番まずいことをしてしまうものかもしれません。

 番号札は設置できませんでした。いまさら戻るには時間がたりませんし、むろん、その気にもなりませんでした。とりあえず帰るしかありません。

 帰る途中で、横田さんにメールで連絡をいれました。例のごとく、次の日に会って、事情を話すつもりでした。しかし、彼女からの返事は、とにかく番号札をつけるようにという素っ気ないものでした。こちらの苦労を察してくれもせずに。私は腹が立ちました。

 横田さんとの関係を、私は情緒的に受け取っていたのでした。それでなくて、何で経費にも足りない一万円ほどの報酬でこんな面倒なことをするでしょうか。しかし、横田さんはあくまで契約という割り切った関係のつもりのようです。それなら、こういう場合の取り扱い方とか、条件をもっと詰めておくべきでした。いや、そもそも一万円という報酬自体が問題です。けれども、増額を持ち出したりしたら、横田さんは契約そのものを破棄してしまうかもしれません。横田さんに何の興味もないのであれば、私だってそれで構わないでしょう。そう割り切れないところに私の弱みがありました。横田さんもそれを承知しているのでしょうか。

 腹立ちまぎれに、私は伯母子岳に翌日再挑戦することを決めました。牛首山経由の別ルートがあります。護摩壇山の辺りで高野龍神スカイラインから西へ分岐する奥千丈林道に登山口があり、伯母子岳のかなり近くまで車で行けそうです。護摩壇山もこの辺りの名山ですが、スカイラインの開通で登山の対象としては魅力が薄れてしまいました。

 昨日と同じコースで高野龍神スカイラインに入ります。護摩壇山の辺りには道の駅があり、眺望用の塔が立っています。奥千丈林道はその手前で東へ分岐します。見晴らしのきく高度感のある道です。舗装はしてありますが、ガードレールないため、怖いところもあります。11時ごろ登山口に着きました。駐車スペースがあまりないのですが、他に車はありませんでした。昨日と違って雨の心配はありませんが、暑さにまいりそうです。

 出発しようとしていると、男が一人登山道から出てきて、登山口の標識の辺りでしばらく戸惑っているようでしたが、護摩壇山へ行くのはこの道でいいのかと聞いてきました。私はそうですと答え、ここから小さく見えるタワーを指差しました。男は林道を歩き始めました。私は登山道をたどります。

 道は大股からのルートと同じように幅がありました。アップダウンを繰り返しますがどちらかというと下降しているようです。林の中の道で眺望はききません。三十分ほどで口千丈山に着きました。道の傍に標識があるのですが、頂上という感じはしません。さらに二十分ほどで牛首山です。眺望が開けましたが、伯母子岳がどれかは分かりません。再び林の中を行き、トラバース気味の道になって、やがて分岐に着きました。道標には、広い道をこのまま行けば大股、右に上がっている道を行けば伯母子岳となっています。昨日の分岐とは違うようです。右へ取り、ようやく山道らしくなった道を登り、13時ごろ頂上へ。大股からの道、伯母子峠からの道が頂上で合流しています。

 細長い頂上は、回りの木が切り払われているのか、360度の展望です。雷雨のときに来なくて正解です。食事をしながら景色を眺めます。例のごとく山また山です。西の方には護摩壇山のタワーが確認できます。東は大峰山脈でしょうが、個々の山は同定できません。北方に見えるきれいな三角形のピークは荒神岳ということを後で知りました。荒神岳の頂上近くには日本三大荒神の一つである立里荒神があります(他の二つは、桜井市の笠山荒神、宝塚市の清荒神)。

 横田さんへの反発の勢いで登って来たのですが、そんなこだわりはとっくに消え、山頂に立つ喜びが湧いてきます。登り損ねた山を残しておくのは気になることですから、今日登ってしまったのはよかったのかもしれません。私は4の番号札を山頂の標識につけました。それは誇らしげに、私の達成したことを象徴しているように見えました。

 1 釈迦が岳(奈良県)     一八〇〇m

 2 三周が岳(岐阜県・福井県) 一二九二m

 3 日出が岳(奈良県・三重県) 一六九五m

 4 伯母子岳(奈良県)     一三四四m

 横田さんを待ちながら手帳に記した番号の山のリストを見ていましたが、それらの山の名前にも標高にも、番号との関連は見つけられません。私は手帳をしまい、もう一度決意の固さを確かめてみました。本当に、これきりでいいのだな、横田さんと会うのは。

 私は山崎氏の依頼を引き受けることにしました。いま北アルプスに行くことは何かの転換点になるかもしれないと思ったからです。横田さんとの奇妙な関係をいつまでもだらだらと続けてみても、何か意味あることに行き当たるとは期待できそうもありません。山崎氏との山行はまだ具体化していませんし、横田さんの計画との日程調整も可能ではあるのですが、変化のきっかけとしては十分です。

 横田さんには山崎さんのことは黙っておくことにしました。理由とするには根拠が弱すぎて、横田さんを納得させるのは難しいでしょう。嘘をつくのも嫌でした。飽きたというのが正直なのでしょうが、横田さんの反発をまともに受けるのも嫌です。横田さんが来た時も、どう言えばいいのか、まだ決めかねていました。私はいきなり切り出しました。

「もう、こんなことを続ける気がしなくなってきた」

 もちろん、横田さんには唐突だったようです。

「それは困るわ」

 横田さんは言いました。怒りに近い表情です。

「報酬やスケジュールのことなら、何とかするわよ」

「そうことじゃない」

「じゃあ、何なの」

 私は正しい理由を思いつきました。それは横田さんに対する不満でした。

「君は何も教えてくれないのだもの」

「それは」横田さんはひるみました。「まだダメなのよ。もう少し待ってほしいの」

「そんな約束はもう飽き飽きしたよ。いますぐ教えてくれるか、それとも手を引かせてもらうか、どちらかだ」

 私は勢いのままそう言いました。私の心変わりの理由はそうではないのでしたが。

 横田さんは黙り込みました。頭の中では考えを巡らせているらしく、不機嫌そうな、また困惑しているような表情を私に向けていました。私はそれを見つめながら、彼女と同じような険しい表情を保つようにしました。横田さんは私の強硬な態度に、説得は無駄だと悟ったようでした。

「それでは仕方がないわ。教えたげる」

 横田さんはあきらめたように言い、表情をやわらげました。

「でも、これは絶対に秘密よ。他の人には決して話さないでちょうだい。もし約束を破ったら‥‥」

 そこで横田さんは言い淀み、私に対する懲罰の方法を検討しているようでしたが、結局具体的には思い浮かばないようでした。

「ひどい目にあわせてやるから」

 横田さんはどこから話したらいいのか、また、どの程度話したらいいのか、決めかねている感じで、行き当たりばったりに話し出しました。

「これはビジネスなのよ。つまり、おカネ儲けね。ビジネスチャンスとして私たちが狙えるのは、さしあたりサービス業しかないわ。初期投資が少なくてすむから。でも、既存の事業に割り込むのは難しい。ニッチを見つける必要がある。そこで登山者に目を付けたの。中高年の登山人口は多いし、若者も一定程度は見込める。登山者相手のビジネスといえば、服や装具が大部分でしょ。後はツアーとか、山小屋とか、ほんの限られた観光業だけ。潜在的なニーズはある」

 横田さんはそこで言葉を切りました。話を展開してしまうとややこしくなるとは思いましたが、行きがかり上、私は問いました。

「具体的には何だい」

「そこまでは教えられないわ」

 横田さんのような山の素人が思いつくようなアイデアはどうせ大したことはないはずです。あるいは、素人だからこそそれまでだれもが見逃していた突拍子もないことなのかもしれません。

「スポンサーとか仲間はいるの」

「それは、これからよ」

「君一人でやっているのか」

「始めたばかりでしょ」

 将来性の見込める企業家か、夢ばかり見ている誇大妄想癖者か、どちらを前にしているのでしょう。もっとも、企業家というのは程度の差こそあれ誇大妄想気味であるのでしょうが。私は角度を変えてみました。

「君はどんな基準で山を選んでいるんだ。何か参考にしているのかい」

「それも教えられない」

 横田さんが釈迦が岳の前鬼コースを登ろうとしたことを念頭に置いて、私は言いました。

「山は変らなくても、登山には流行があるんだよ。それにルートやアプローチは常に変化している。もし、本気で登山をビジネスにする気なら、もっと勉強しなければダメだ」

「知識不足は認めるわ。でも、キゾンのガイネンに捕らわれていては、いいアイデアは浮かばないわ」

「なるほどね。でも、もっと詳しいことが分からなければ、君のアイデアを評価しようがないな。それは教えてくれないんだね」

「約束よ。ここまで話したんだから、続けてくれるわね」

 横田さんの希望と熱意に危うさ感じた私は、彼女の楽観論に水を差したくなりました。私の保守的な(というより臆病な)見解に対して、彼女は成功した起業者を持ちだしてきました。横田さんが彼らを英雄視するのに反発して、私は言いました。

「才能の違いについてはよく分からないけど、努力の余地なんて、そんなに大きくはないんじゃないか。運の方がよっぽど大きな役割を果たしていると思うんだけど」

「運だって、努力次第じゃない」

「確かに宝くじを買わなければ当たらない。けれども、買ってみたって当たらない」

「当たる人は必ずいるわ」

「それはそうだけど、当たると誰に分かる。努力してくじに当たるかい」

「少なくとも、努力をするということは、くじに当たる資格があるということでしょ。だから、努力するしかないのではない?」

 私がシニカルでいられるのは、余裕があるからだと横田さんはきめつけました。

「あなたは貧乏ではないでしょう」

「金持ちではないよ」

「いまどき定職があれば、豊かなものよ」

 横田さんのバックグラウンドがどのようなものかが分かれば、彼女の企図について理解しやすくなるでしょうが、彼女は自分自身のことについては一切話そうとしませんでした。私としては、彼女が意図しないで洩らしてしまう半端な情報を手がかりに想像するしかありませんでした。彼女が今の境遇に満足していなくて、強い上昇志向があるのはうかがえました。どうやら私と同じように地方から出て来て、一人で生活しているようです。

 当初私がなぜ横田さんの頼みを引き受けたのかは言うまでもないことで、横田さんが若い女性だったからです。一体私が何を期待していたのかは自分自身でもはっきりしませんでしたが、異性と親しくなるのにそれほど積極的でなかった私にとって、彼女が謎めいた存在であることが刺激になったのでした。

 横田さんと一緒にいることを周りの人間に見せびらかすことは楽しいことでした。彼女は連れて歩く女性としては申し分なく、私のような野暮な男と一緒であることを不審がられるのが当然なほどでした。

 横田さんを理想の女性とは思っていませんでした。彼女の気の強さ、私との趣味の違いなど、気になる点はありました。しかし、それが彼女に惹かれることへの障害にはなりませんでした。最初は小生意気な女と思っていたのに、いつのまにか彼女に魅力を感じるようになってしまいました。どんな形であるにせよ、面と向かう時間を持つようになれば、異性であるというだけで漂い出す誘惑には抵抗できなくなります。

「では、こうしないか。一緒に山に登ろう。一緒に番号札を付けに行くんだ。それならば、協力する」

 横田さんにとっては、いい提案ではなさそうでした。彼女は顔をしかめて答えました。

「あんなしんどいのはもう嫌よ」

「だって、山をビジネスにするというのだろう。だったら、山に登るのは当然じゃないか」

「でも」

「それなら手を引かせてもらうよ」

 横田さんはしばらく黙っていましたが、ついてくるようにと言って喫茶店を出ました。彼女の意図がどういうものなのか分かりませんでしたが、私は従いました。横田さんは大股な早足で(せかせかはしていないのですが速度があるのです)、前を歩く人を追い越し向こうから来る人をよけ、後から私がついて来ることなど気にかけていない様子で進んで行きます。私は横田さんが作った人の流れのすき間が埋められてしまう前に入り込むのに必死でした。やがて繁華街からぬけて人通りのなくなった横道に入りました。怪しげなホテルの前へ着くと、横田さんは立ち止り、振り向いて言いました。

「さあ、ここよ。入って」

 ちゅうちょしている私の手を取ると、横田さんは塀で隠されたドアの方へ引っ張って行きました。そのときの私の気持ちがどうだったのか、正直に言えば半分その気になっていたようです。しかし、私は逆に横田さんを引っ張ってそこを離れました。とっさのことなので、何が私をそうさせたのか、よく分かりません。危うい均衡が、ちょっとつつかれただけで一方へ倒れたのと同じことだったのかもしれません。

「馬鹿なことをするな。もっと自分を大切にしろ」

 そんなお説教じみたセリフを吐いたのでした。横田さんは黙って引かれるままになっていました。

「そんなことまでして、やるほどのビジネスなのか」

「何が大切なのかは、自分で分かるわ。あなたに教えられなくとも」

 私たちは手をつないだまま、どこを目指すのでもなく歩きました。

「君にそんなことはやってほしくないな。分かったよ。番号札は引き受けるよ」

10

 もちろん、私は後悔しました。なぜあのとき横田さんを抱かなかったのか、と。一方では、彼女が体の関係と割り切ってしまうことには抵抗がありました。それだけに過ぎないのでは物足りない気持ちがあるのです。どちらにしろ、機会は去ってしまいました。後悔先に立たず。幸運の女神の後ろは禿げ頭。

 夏の盛りに低山に登るのは御免こうむりたいのですが、横田さんが指定してきたのは伊吹山でした。番号は5です。伊吹山は夏の夜間登山が盛んです。樹木のない単調な斜面は日中には耐えがたいからです。富士山と同じです。ただし、富士山と違って、伊吹山は山頂直下までドライブウェイが通じています。楽をしたいなら車で行けます。横田さんはそこまで考慮してくれたのでしょうか。

 伊吹山は、鈴鹿の北部の山と同じように、石灰岩質です。石灰岩はセメントなどの工業用材料として採掘されるため、伊吹山や藤原岳は山の形が変わってしまいました。霊仙岳、御池岳、藤原岳などにはカッレンフェルトやドリーネが見られます。石灰岩は保水力が弱いので森林にはなりにくく草原状になります。

 そのせいか、伊吹山にはかつてスキー場がありました。しかし、2008年には休業、一合目までの山麓リフト、一合目から五合目までのスキーリフトは撤去されました。スキー場休業後も夏山登山用に営業されていた一合目から三合目までのゴンドラも2011年には休業し、撤去されました。麓から伊吹山に登ろうとすれば足を使うしかなくなりました。

 志賀高原でさえゲレンデの廃止が進行しているのですから、地方のスキー場が衰退するのは当然でしょう。スキー人口の減少の理由としては、レジャーの多様化と若年人口の減少があげられていますが、往年のスキーブームはバブルの一形態であったという見解もあります。

 スキー場のリフトやゴンドラが使えると登行距離と時間が短縮されて便利なのですが、そういうものを利用するのはそもそも登山という名に値するのかという疑問も生じます。しかし、アプローチが短縮されるのは、ロープウェイも道路も同じことなので、そう目くじら立てることもないのですが。

 車で登るのはあんまりなので、夜間登山を考えました。頂上小屋で仮眠をするには予約が必要なようです。明るくなる頃に山頂に着き、そのまま下山しようかとも思いました(富士山であればいわゆる弾丸登山です)。しかし、深夜に出発したのでは睡眠をとるのが難しく、結局、早朝登山に決めました。

 登山口の上野に着いたのは5時半ごろでした。こんな朝早くから駐車場の客引きの男の人がいたので、そこに車を停めます。スキー場があったころは、民宿や駐車場として繁盛していたのかもしれません。冬はスキー、夏は登山というビジネスモデルが成り立たなくなっても、すぐには変わりようがないのでしょう。

 準備をして出かけようとすると、その男の人が、今日は絶好の登山日和で、御岳も見えるだろうと、声をかけてくれました。ここらは昨夜雨が降ったようです。空にはまだ雲が多く残っています。そのせいか、日の光はまだ射していません。何人か登り始めていました。一合目までは杉林の中の暗い道です。幅は広いのですが、石が一面に飛び出し、おまけに湿った土が滑りやすく、歩きにくい道です。

 一合目でゲレンデ跡の下部に出ました。元のスキーロッジのような家が何軒かあります。一軒は休憩所のようになっていますが、まだ開いていません。別の一軒からは若い女性たちの声がしていて、早朝からゲームのようなことをしているようです。その家にはハングライダー教室の看板がかかっていました。ゲレンデ脇を登っていきます。草は伸びていますが、ゲレンデの形はまだ明瞭です。緩やかな斜度の、短くまっすぐなゲレンデです。振り返ると琵琶湖の一部が見えました。

 ゲレンデを登りきると二合目で、登山道は道路を横切ってかん木の中へ入りますが、すぐに開けて下方が見えるようになります。その先の右手に小さなゲレンデ跡がありました。昭和43年にここでスキージャンプ大会が行われたという説明版があります。さらに行くと三合目の台地に取りつきます。右手下に長いゲレンデ、左手は廃業したホテルの建物が残っている丘です。台地の上へ出たところに三合目の標識があります。ここは舌のような形に張り出した高原になっています。草原には鹿よけのネットが張ってあり、中にはユウスゲが咲いています。舌の根に当たるところにトイレと休憩所があります(舌の先がホテルです)。数人の登山者が休憩しています。ここまで来る間に、もう下りてくる人が何人かいました。夜間登山者でしょう。

 中腹に雲のかかった伊吹山の全容が見えています。立地としてはいいところで、やりようによってはリゾートホテルとして存続できたかもしれません。私には、アクセスが徒歩だけになって、登山者たちの通過の場所として、静かなままに残されている現状の方が望ましく思えます。

 休憩所の背後のなだらかなゲレンデ跡を登りきると4合目です。ここにはリフトの基台のようなコンクリートの立方体が残っています。ここからかん木の中を登っていくと、開けた五合目に出ます。五合目がスキー場の最上部だったようですが、それを思わせるのはバラック建ての売店のみです。まだ7時すぎなので閉まっていますが、飲料の自販機は作動していて、登山者たちが購入しています。柱を立ててヨシズの屋根で日陰を作り、ベンチと机を置いた休憩所が設けられています。今の時間は登る人と下る人が混在して休憩しているようです。私もそこに腰掛け、朝食のパンを食べました。

 ここへ来るまではときどきガスがかかりましたが、低い雲は抜け出たようです。伊吹山が視界いっぱいにそびえています。こちらに向けている面の中央部は樹木がほとんどない草原の斜面になっていて、登山道がジグザグに登っているのが分かります。少し登ったところにあるのは避難小屋でしょうか。登山者の姿が小さく見えます。ずっと上の方にも続いています。頂上台地の位置は分かりませんが、コースは右手の方で取りついているようです。

 五合目から斜面を登っていくとさえぎるもののない眺望が得られます。まず、眼下に三合目の緑色の台地が突き出ています。五合目も小さな台地になっているのが分かります。台地の先には、こちらの伊吹山と向かいの鈴鹿の北端の山々に挟まれて、田畑、あちこちにかたまっている人家、平地を限るまだら模様の森などが帯状に広がっています。その帯は右方で広がって琵琶湖と接しています。左方は手前の山裾に隠れてしまいますが、関ケ原になるのでしょう。雲が低く漂っています。

 琵琶湖はにぶい青色に輝いています。伊吹山に隠されるきわに竹生島が見えます。西岸が伸びている先にあるのは沖島です。対岸には比良山が見えます。

 七合目までは眺望を楽しみながらの快適な登りです。道には石灰岩が増えてきました。先行する人、後続の人、すれ違う人、私には久しぶりの山の賑わいです。多くの登山者たちがストック(トレッキングポール)を持っています。中高年の登山者が増えた理由の一つにストックの普及があるかもしれません。三浦さんから聞いたのですが、以前は登山にストックを使うようなことはあまりないため、登山用のストックという製品がなく、必要な場合にはスキーのストックを代用していたとのことでした。今では持ち運びに便利なように伸縮可能になり、標準装備品として店に並んでいます。もっとも、ストックの普及には登山方法の変化が背景にあるのでしょうから、中高年だけに焦点をあてるのは短絡的かもしれません。

 確かにストックは便利だと思います。特に湿ってすべりやすい道では重宝します。岩や石の多い道でも使い方で威力を発揮するようです。また、足への負担を手に分散し、いわば獣のように四つ足になるので、歩行が楽になります。でも、私は何となくストックを使う気にはなれないのです。

 七合目からは急な登りになります。八合目の休憩用のベンチを過ぎると、岩場めいたところもありました。こういうところではストックはかえって邪魔になります。頂上台地の稜線が見えてきました。人が立っています。ひと登りでようやく九合目、お花畑への入り口です。左方に、先ほど人の姿が見えた小さなピークがあるので、行ってみました。頂上台地の西端になるようです。いつのまにか雲が湧き上がってきて、眺望が失われつつありました。しかし、まだ琵琶湖は見えます。南湖は雲に隠れていますが、北湖ほぼ全景が見渡せます。

 山頂からの眺望はやはり登山の魅力の一つには違いありません。頭上には青い天蓋、地表ははるか眼下にあって、ただただ美しいだけです。至福というのはこういうことなのかと思います。山を登ることにうだうだと理屈づけすることは無意味であり、このような経験が一度でもあれば山に登る理由として十分かもしれません。以前、ある晴れた日の山頂で、隣にいた登山者が「いつまでもここにいたい」とつぶやいたのを聞いたことがあります。その言葉はそのときの私のものでもありました。横田さんにもこのような頂上の一つに立たせられたら、と思います。

 頂上をめざしてお花畑の中の道を歩きます。花の数はあまり多くないように思いましたが、見逃しているのかもしれません。クガイソウ、シモツケソウ、メタカラコウ、コオニユリ、ツリガネニンジン、ナデシコ、アザミといった花が咲いていました。

 お花畑は網で囲われ、出入り口はドアのようになっていました。シカの食害を防ぐためのようです。こんなところまでシカが現れるのでしょうか。そういえば、鈴鹿北部の山は以前は笹におおわれていることが多かったのですが、最近は笹がなくなってしまっていて、シカによる食害のせいともいわれています(はっきりしたことは分かっていません)。大台ケ原もシカの食害が激しいようです。大峰の八経ヶ岳近辺でも、オオヤマレンゲの保護のため網が設置されていました。シカが増えたことについては、天敵の狼がいなくなったことが理由の一つとされています。シカの駆除のために狼を導入するべきだという意見もあるようです。

 山頂に着いたのは9時ごろでした。車で登って来た人もいるので、登山者や観光客が入り混じって、かなりの人出ですが、まだ早いせいか、にぎわっているというほどではありません。頂上には複数の小屋があり、売店、食堂を営業しています。日本武尊像の横に山頂の標識をつけた杭がありますが、番号札をつけるには目立ちすぎてしまいます。台地の北の端へ行くと駐車場が見えましたが、雲が迫ってきています。山頂もガスってきて、肌寒くなってきました。それでも登って来た時の暑さの惰性で、小屋でかき氷を食べました。その後、台地の南端を歩いてみましたが、ガスで眺望はありません。三角点はこちらにあります。その近くの柵に番号札を結び付けておきました。

 ベンチに座って待ってみましたが、ガスは切れそうにありません。下山することにしました。八合目辺りまで下ると、雲から抜けて再び眺望が広がります。登ってくる人が続いているのは意外でした。日差しのきつい日中の登山は避けられているのではないかと思っていたからです。さらに意外なのは、小さな子供づれの家族が少なからずいたことでした。夏休みなので当然かもしれませんが、小さな子供にはハードな気がします。最近は私のような若年の登山者も再び増えてきて、伊吹山では中高年者に負けていないようです。伊吹山は人気のある山なのです。

 山に登るからといって、思いが純粋になるわけではなく、いろいろな雑念が湧いてきます。考えようとしないと、かえってそうなるのです。歩くことだけに関心を集中し、目の前の登山道の傾斜や凹凸を追っていて、気がつくとどこをどう来たのかそこまでの道程が全く空白のときもあります。そういうときは体がひたすらに歩くことに任せて、頭は何かの考えをもてあそんでいるようです。考えることが多いのは横田さんのことでした。

 横田さんにとって私が道具でしかないとしたら、用がすんだら見向きもされなくなってしまうのでしょう。そういう関係を基礎にして、何か確かなものを形作ろうとしても無駄なような気もします。せいぜい役に立っている間だけでも得られるものに満足すべきなのかもしれません。

 横田さんはどう思っているのでしょうか。横田さんの好意を得ようと思えば、私のするべきことは彼女の信頼を勝ち取ることなのでしょう。しかし、そのために私に何ができるかと言えば、見当もつきません。そもそも二人が知り合ったいきさつが異様でしたし、その後の経過も男女が付き合うことになるのに普通の仕方ではありません。何かのきっかけをつかめるのではないかと、彼女自身を話題にしてみようとすることもありました。しかし、彼女ははぐらかすばかりで真剣には答えようとしません。

 何でこんなことにかかずらってしまったのかと、嫌になるときもあります。横田さんがそれほど執着するに値する女でしょうか。あるいは、女というものにそれほど心を惑わすほどの価値があるのでしょうか。確かに、生物としての男は否応なしに女に引き付けられてしまいます。私がそれから免れているわけではありません。けれどもそれに身をゆだねきってしまうことには抵抗があります。そうさせようとするものへの憎しみのような気持ちを抱くこともあります。ただ、それも、拒否されることや失うことへの恐れから来る防御的な心情なのかもしれないという反省もあるのですが。やはり私は臆病なのです。

 ようやく一合目まで下りてきました。それまでも、登るときには静かだったセミがかん木の中で個々に鳴いていましたが、ここから登山口までの鬱蒼とした杉林の中では、ヒグラシの大合唱です。しかも、声をシンクロさせています。一匹が鳴き出すと、他の全てがそれに従って、同じリズムを繰り返します。しばらくして鳴き声がやみますが、すぐに一匹の声をきっかけにして合唱が始まります。足元の地面は湿って滑りやすくなっているので慎重に歩きます。ヒグラシはそういう私には無関心に不思議な合唱を続けていました。

11

 山崎氏から連絡があって、また会うことになりました。事情が変わったのでぜひとも説明したいというのです。週末に、前回と同じ場所で、同じ時間に待ち合わせました。山崎氏は同じ個室で待っていました。私を待たせるようなことは決してしない人のようです。

 今回はイチゴのシフォンケーキを注文しました。ケーキセットが運ばれてくる前に山崎氏は話し始めました。

「実は、せっかくお願いを聞いていただいたのに、私が山へ行けなくなりまして。ガンが再発したのです。今度は放射線と抗がん剤での治療になるそうです。歳も歳ですし、もう登山は無理になりました」

 驚きはありませんでした。そういうこともあるのだと納得しただけです。同情という感情も、振り回されたという否定的な感情も起こりませんでした。

「そうですか。それはお大事になさってください」

「申し訳なかったですね。無理を言って、予定を立てていただくようにしていただいたのに」

「いえ、そんなことはお気になさらないでください。調整しなければならない予定なんて他にありませんから。わざわざお会いしなくとも、メールか電話でよかったのですが」

「そういうわけにはいかないでしょう」

 注文した品が来たので会話は途切れました。私は山崎氏が何かお詫びのための金品を提供しようとするのではないかということに気づきました。早く切り上げて別れてしまおうと決めました。ケーキを食べ終わると山崎氏は話し始めました。

「お呼び立てしたのは、お約束を破ることになってしまったことをお詫びするためもありますが、誠に厚かましいのですが、新たにお願いしたいことがあるからなのです」

「はあ」

「どうにも諦めきれないのですね、あの山のことが。死んでもいいから登ってやろうとも考えたのです。もちろん、そんなことはできませんよね。登ることは断念せざるを得ません。鷲羽岳には登れずに死ぬことになるのでしょう。あ、すぐに死ぬというわけではありませんが、でも、まあ、あの山に関しては死んだも同然です」

 私は黙ってうなずいた。他にどう反応しようがあるだろうか。

「でも、未練がましく、さんざん考えたのですよ。何らかの形であの山との結びつきを作れないものかと」

 山崎氏が何を言いたいのか見当もつきません。まさかとは思いますが、鷲羽岳に散骨でもするつもりなのでしょうか。

「誰かに鷲羽岳まで何か形見の品とでもいった物を持って行ってもらうということも考えました。しかし、それも陳腐ですし、そんな感傷じみたことは好きではありません」

 私は横田さんのことを連想しました。何か似たようなことになってきました。

「そこでお願いなのですが、私の代わりにあなたに鷲羽岳に登っていただきたいのです」

「一人で、ですか」

「私と一緒ではないという意味では一人で。もちろん、お仲間連れでもいいのです」

「それはかまいませんが」

「そうですか。ありがとうございます。いつでもいいのです。あなたのご都合のいいときで。あなたにその約束をしていただくだけで十分です」

「それだけでいいのですか。登ったときに何かするとか、その必要はないのですか」

「いえ、ただ登っていただくだけで結構です。登られたことの証明とか、報告とかもいりません。何かのご都合で、結局は登ることができなかったとしてもかまわないのです。ただ、私の思いをあなたに託したいだけなのです」

「そんないい加減なお約束でいいのですか」

「あなたに重荷を背負わせるようなことにはしたくないのです。いや、思いというのも結構な重荷になりますから、できるだけその負担を減らしたいのです。でも、全然重さがないというのも頼りないですからね、ほどほどの重荷、重荷ではなくて荷物といった方がいいかな、ほどほどの荷物というくらいのものをあなたに預けたい」

「ちょっと深刻になってしまいますね」

「軽い気持ちで、というわけにはいかないでしょうね。でも、私の執念みたいにはお考えにならないでください。面倒なら放っておいてくださってもいいですし、忘れてしまっても化けて出るようなことはしません。あなたに託したということだけで満足なのです。もちろん、費用と謝礼はお支払いします。この場でお渡しする用意もしています」

「それは、いいですよ。」

「いまお受け取りいただけないなら、具体的になってから連絡をいただいて振り込むようにしましょう。私がいなくても妻ができますから」

「その必要はないです。裏銀座コースや雲ノ平には行ってみたいと思っていましたから。ついでといったら何ですが、鷲羽岳には寄れますから」

「ついででももちろんかまいませんが、ボランティアというのはいけません」

「おカネをもらうと、それこそ重荷になってしまいます。お約束しますよ。時期は決められませんが、必ず鷲羽岳に登ります」

 山崎氏はしばらく私の顔を見つめていました。

「分かりました。おカネがあなたを縛ってしまうことになるのなら、私も不本意です。あなたの意志に私の思いを託しましょう」

「私も鷲羽岳に興味が出てきました」

「ありがとうございます。お礼の申しようもない。年寄りのどうしようもないわがままですが。あ、コーヒー、お代わりしましょうか。それとも他に何かお口に入れたいものがありますか」

 私はコーヒーだけを頼んだ。山崎氏は壁のインターフォンで店員に注文した。

「不思議なものですね、こういう気持ちになるなんて。まあ、欲しいと思ったらたまらなくなるのが人情でしょうが」

「そうですね。子供のときには、どうしても欲しいおもちゃがあるのに、親が買ってくれないので、自分で何とかしようと苦心したこともありましたね」

「大人になってからは、ありませんか」

「物にはあまり執着がないタイプなので」

「物以外ではどうですか。名声とか、賞賛とか、勝利とか、陶酔とか、あるいは女性とか。女性は物になるのかな」

「物以外でも執着は薄いのでしょうね。それが自分の欠点と言われることもあります。恋愛というのも執着なのでしょうか」

 山崎氏はそれには直接答えずに、述懐を始めた。

「今回のことで、こだわりを持つことへの理解が深まりました。そういう気持ちが高じると、いてもたってもいられなくなって、ひどいときには犯罪に走ってしまう。客観的に見れば、何であんなものにこだわるのかと理解に苦しむのですが」

「確かに、趣味の対象などにはそういうものがありますね」

「こだわりとか執着心というのはロクなことにはなりません。それが分かっていながら、本人はどうしようもない。麻薬みたいなところがある。クライマーズ・ハイというのはご存じですね。あれと同じように、執着心には脳内麻薬が関連しているのでしょう」

「脳内麻薬ですか」

「ご存じですね。脳内麻薬は私たちにある行動を促すために出されているのです。生きるために必要だからです。執着心というのは、度を超すと問題ですが、ないとチャンスを逸してしまうことがありますからね。スティック・トゥ・ユア・ブッシュという言葉をご存じですか」

「いえ、知りません」

「中学の時に英語の教科書に載っていた人生訓のようなものです。野原でベリーか何かの実をみんなで摘む話です。こっちの藪に実がたくさんある、あっちの藪にもあるとウロウロしていると結局得られる実は少ないが、一か所の藪で頑張ればそこそこの実は得られる、というのです。話自体は堅実さを説く道徳話にすぎませんが、進化的な真実に触れている点もあります。粘ってみれば何がしかは得られるのです。次々に目移りするのは、当たれば大ききかもしれないが、確率は低く、トータルでは負けてしまう。人間に執着心が備わっているのは、進化の過程で執着心を備えた個体が移り気な個体に打ち勝ったということの結果なのでしょう」

「そうなのですか。では、執着心のない自分のようなのは負け組になるのでしょうね」

「ほどほどがいいのですよ。あまりに一つのことに捕らわれると、かえって害になってしまいます。特に今の時代は、変化についていかねばなりませんから。これからは、移り気というか、機転の利く方が勝ち残っていくのかもしれません」

「機転の利く方でもないですね」

「あなたのような親切で真面目な人はきっと報われるはずです」

「女性が求愛を拒絶するときのせりふは、あなたはいい人だけど、というのが定番らしいですね」

「もっと自信を持っていいと思います。あなたに足りないとしたら、それかな」

 山崎氏は私のことに話題が移るのは避けるべきだと思ったようでした。話を彼自身のことに戻しました。

「私にしても、機転が利く方でもないし、執着心が強いというのでもありません。まあ、普通の人間はそうでしょう。ほどほどなのですよ。でも、前にもお話しましたが、たまに異常と思われるほどの執着に捕らわれてしまうことがあります。自分でも、なんであんなものに惹かれるのかと不思議です。心のバランスが崩れるのかもしれませんね。それがなければ生きてはいけない、生きるかいがないとさえ思い詰めてしまうのです。そういう思い込みが間違っていると頭では分かっていても、一度固着するとそれから離れられなくなってしまうのです」

「そうですね。寝ても覚めても、という気持ちは分からないでもありません。あるいは、そういう対象がないのは寂しいことかもしれません」

「執着に捕らわれるというのは生命力を燃やすことになるのでしょう。いい目標なら生きている実感を与えてくれる。悪い目標なら身を破滅させることが生きがいになってしまう」

 そこで、私のような者に対して自分の心情を述べることに熱中しすぎたことに山崎氏は気づいたようでした。もっとも、私のような者でなければそういうことはできなかったとも言えそうですが。

「まあ、そういうわけです。私が鷲羽岳にこだわる気持ちもそんなものなのかもしれません。いまだってあきらめきれていないのですよ。頭の中で鷲羽岳に登っていくときの情景が浮かんだりします。実際とは違うでしょうが、過去の山行のときの風景がまぜこぜになって、懐かしいような、心躍るような気持ちになります。結局、自分が生きてきたのは、この山に登ることが目的だったんだなと思えてくるのです。おかしいでしょう。狂ってしまっているのかもしれません。人生の終わりにそんな妄想に捕らわれてしまうなんて」

 何かに取りつかれるということがどれほど私たちの生活に影響をおよぼしているのでしょう。山崎氏と別れてからもそのことが気になりました。横田さんもそうなのでしょうか。でも、彼女が番号の山のアイデアにこだわるのは、あくまで事業としてであり、うまくいくかいかないかを見極めようとしているに過ぎないようです。うまくいかなければ次のアイデアを探すでしょう。いや、横田さんが取りつかれているのは事業欲なのです。アイデアの中味などどうでもいいのです、うまくいきさえすれば。

 横田さんのような若い女性が起業という野心を持たざるを得ないというのは、彼女たちの閉塞状況の現れではないかと思われるのですが、それが事業という形であるというのは、横田さんの性格か、あるいは環境、つまり彼女の経てきた人生のゆえなのでしょうか。彼女に取りついているものを引きはがすことはできないのでしょうか。それができたところで、また新たな何かが取りついてしまうのでしょうか。

 そんなことを考えているうちに、私は一つのアイデアを思いつきました。山に登りたくても登れない人は何人もいるでしょう。山崎氏は代わりに私が登ることを希望したけれども、身代わりになる何かを山頂まで持って行ってほしい人もいるのではないか。チラと私が考えたように、遺骨を置きたいという人もきっといるに違いありません。いろいろな託されたものを収める容器を山頂に設置するというのは商売になるのではないでしょうか。山頂に墓みたいなものを作るなどというのは許可されない可能性が高いので、ケルンがいいかもしれません。ケルンを作って中に入れればいいのです。山頂は無理でも、尾根なら可能かもしれません。八方尾根のケルンのように。

 横田さんに教えてあげよう。そこで私は気づきました。山崎氏のことを持ち出せば説得力があるけれど、それには山崎氏の了解を得る必要があります。しかし、山崎氏の了解を得るには、横田さんのこと告げねばなりません。横田さんの了解が必要です。ところが、横田さんの了解を得るためには山崎氏のことを話さなければなりません。これでは堂々めぐりです。

 具体的なことはぼやかして、まず横田さんに提案してみよう。必要ならば山崎氏には後から了解を得るようにすればいい。

12

 仕事から帰ってアパートに入ろうとしたとき、佐藤が突然現れました。待ち伏せしていたようです。驚いている私を、彼はうれしそうに見ていました。

「ちっとも連絡をしてくれないから、押しかけてきたよ」

 私は何とも答えようがありませんでした。

「なぜここが分かったか、不思議に思っているだろう。俺の能力を神秘的に思わせておくには種明かしはしない方がいいのだが、君に信頼してもらうために、教えてあげよう。何、簡単なことだ。あのとき、君と別れた後、もう一度登山口に戻って、登山届を見たのさ。君の分はすぐ見分けられたよ。プライバシーを守るには、登山届はネットでしておくことだね」

 言われてみれば簡単なことでした。馬鹿正直なことに登山届の住所の項に番地まで書き込んでおいたのです。まさか登山関係者にそのような悪気の人間がいるとは思わず、警戒心が希薄でした。

「何の御用ですか」

「そういう言い方はないだろう。あの時約束したじゃないか。君の依頼者と相談してみる、と。その結果を聞きに来たのさ」

 あのとき、断るとはっきり言っておくべきでした。放っておいて、時間がたてば忘れるだろうと、都合のいい期待をしたのがこの結果です。

「まだ検討中なのです」

「誰がだね。君の依頼主か。それとも君がか」

「それは、両方なんですが」

 佐藤は私の言葉を全く信じていないようでした。

「俺の要望をもっと真剣に受け止めてほしいんだが」

「何でそんなにこだわるのです。たかが、番号のついた札ではないですか」

「その疑問はもっともだろうな。それに答えるには、俺の方の情報を伝えておいた方がいいだろう。それで会いに来たのだ。立ち話も何だから、君んちで話さないか。それが嫌なら、どこかの店でもいいんだが」

 どうせ家は知られてしまったのだから、今さら隠すことはありません。話せる店を探すのも問答だし、私は佐藤をアパートの私の部屋へ入れました。佐藤は持っていたコンビニの袋の中から数本の缶ビールとつまみらしい袋を出しました。

「これを冷やしてくれたまえ。ぬるくなってしまったようだ」

 私は缶ビールを受け取って冷凍庫に入れ、冷蔵庫のペットボトルからお茶を注いで出しました。佐藤は一通り部屋の中を眺めてから、つまみの菓子の袋を一つ破って食べ始めました。

「飯も食わずに君を待っていたのでね。腹が減ったよ」

「あいにく私は夕食をすましてきました。出せるようなものは何もなくて」

「別に催促しているわけではないから、気にしないでくれ」

 佐藤が黙って菓子を食べているので、私は仕方なく会話を始めました。

「最近は、中高年だけではなくて、若い人や家族連れも山に来てますね」

「そうだろうね。今度はどの山に登ったのかい」

 私はあわててしまいました。伊吹山のことを出すわけにはいきません。かといって、とっさに思いつく山もないのでした。

「特定の山ではなくて、一般論ですよ。もう冷えたかな」

 私は冷凍庫から缶ビールを出し、二本を机の上に置き、残りは冷蔵庫に入れました。

「まだあまり冷えていませんが、いただいてもいいですか」

「もちろん。そのために買ったのだから」

 私たちは缶ビールの栓を開けて、何となく乾杯のしぐさをしてから口をつけました。佐藤が話し出しましたが、それは意外にも横田さんのと似たような内容でした。

「登山に関してはいろんなニーズがあり、まだ手が付けられていない分野でビジネスチャンスがあるはずなんだ」

 私は興味があるような応対をすることにしました。

「ニーズとは、例えばどんな」

「ずっと以前だが、ミルフォードトラックに行ったことがあるんだよ。ほら、ニュージーランドの、世界一美しい散歩道と宣伝してるところ。肝心のマッキノン峠は雨だったのでも一つだったが、むしろ感心したのは、ツアーのシステムだ。ガイドが二人ついた三十人ぐらいのツアーだった。泊まるのはツアー客専用の小屋。小屋では食事が出るのはむろんのこと、シャワーがあり、トイレは水洗。寝るところは二段ベッドだが、定員制なので自分のベッドを確保できてゆっくり寝られる。客のほとんどはヨーロッパやアメリカから来ていた。ああいうトレッキングならリピーターになりたいと思ったね。ただ、外国はカネがかかるので、なかなかそうもいかないが」

「日本の山小屋にも一部、個室ができたりして、以前よりはだいぶましになりましたが、依然としてひどいサービスですからね。そういう小屋があるといいですね。」

「そう思うだろう?日本でもああいうシステムを作ればいい。例えば上高地なんか。あそこは河童橋の辺りを散策して戻るだけ。登山をするのでなければせいぜい明神辺りまで行くくらい。もったいないとは思わないか。もちろん、槍穂や蝶・常念の方に登るルートはある。でもその場合は上高地を通過点にしてしまう。単なる観光地や登山のアプローチではなく、トレッキングコースとして上高地を使えればもっと魅力が増すだろうに」

「上高地ですか。でもあそこは一日あれば十分でしょう」

「たとえばこういうルートはどうだろう。新穂高からロープウエイを使って西穂山荘まで登り、上高地側へ降りて、大正池、田代池から徳沢まで梓川を遡上する。徳沢から蝶が岳に登って、安曇野方面に下る。二泊か三泊ぐらいのコースにできるだろう」

「採算がとれますかね」

「魅力的な景色と素敵なサービスがあれば、高齢者でなくとも喜んでカネを支払うよ。そう思わないか」

「そうかもしれませんね。でも、そうだとしたら、なぜ今まで誰もしなかったんでしょう」

「新しい施設を建てようとしても、国立公園内などは規制があって困難だ。いまある山小屋とタイアップしようとしても、彼らには既得権があるので、冒険してまで新しい客を呼ぼうとするインセンティブはないね。それに、高い山にある山小屋だと宿泊者を断れないので、定員制をとれないということもある」

「では、難しい話ですね」

「いま観光地になっているところに入り込むのは無理だろう。でも、一般にはあまり知られていない比較的低い山なら可能だ。立地も条件のいいところを選べる。どこかで実績を作れば、そういうビジネスモデルの有効性を証明できる。そうすれば、百名山のような山でも実現できるようになるかもしれない」

 私は佐藤の話に釣り込まれて、肝心なことを忘れていたことに気づきました。

「でも、それが私たちと何の関係があるのですか」

「単なる登山ではなくて、プラスアルファをつけることを考えているからだ」

「プラスアルファって」

 佐藤は少し間をあけました。当初からそれを私に告げることは決めていたに違いないのですが、私がそれに値するかどうかもう一度自問自答していたのでしょう。

「宗教だ」

 意外な返事だったのでどう反応すべきか分からず、私はあいまいに答えました。

「宗教ですか」

「不審に思う気持ちは分かる。今の日本では宗教が何の力にもなっていないように見えるからね。でも、結婚式や葬式には必ず宗教がからみ、初詣には多くの人が寺や神社に出向く。病気や悩みのある人は神にすがる。新興宗教はそれなりの支持がある。日本人は必ずしも無宗教ではなく、宗教心を喚起される適当な環境がないだけなのだ。その意味では、既存の宗教が時代に対応できていないと言える。神が存在するかどうかに関係なく、私たちは神を必要としている。人間は弱いものだから」

 私はようやく対話のとっかかりを得ました。

「要するにニーズがあるということですね。そのニーズに安易に応えようとするのは、私には詐欺と同じに見えます」

「詐欺ね。宗教をサービス業として見れば、そういうことも言えるだろう。しかし、サービス業というのはどんなものでも何らかの詐欺的要素含んでいるのではなかろうか」

「そうでしょうか。宗教家が神のサービスを保証するのは無責任すぎませんか」

「神様を全知全能と考えてはいけない。神様でも気のつかないこともあるし、できることも限られている。だから神様もお布施の多い方に気をひかれるのだ。まあ、冗談は置いて、宗教はそういう身近な現世的な利益だけではなく、もっと深刻な願いにも応えようとする」

「はあ。それは何ですか」

「そうだな。生きていることの意味とでも言うか。おかしいか」

「いえ、ちっとも」

「人間と言うのはちっぽけなものだ。永遠に比べれば無にも等しい短い時間だけ生きて、自分が生まれる前と死んだ後については何の関与もできない。一体何のために存在しているのかが分からない。だから、自分が永遠のもの、不変なものに結びついている、つながっているという意識を持ちたいのだ」

「そんな風に感じることはあるでしょうね」

「そうだろう?信じたい気持はあるのに、それが満たされていないのだ。重要なのは体験だ。神との交流の体験。宗教は体験に形を与えるものだ」

「なるほど。でも、登山がそれに関係するのですか」

「多くの人があんなに苦労してなぜ山に登ると思う?」

「登山が信仰心の現れなんですか」

「日本の登山というのはもともと山岳信仰から始まったものだよね。今の登山ブームにもその要素が残っているはずだ」

「確かに山名には仏教関係の名が多いですが」

「山は修行の場だったのだ」

「修行ですか」

「何かを得るためには、何かを捧げなければならないのだ。見方によっては取引のようなものだ。宗教体験というのは簡単に手に入るものではない。それは貴重なものだから、苦労して手に入れなければならない。簡単に手に入るものなら、有難味はない。逆に言えば、苦労すれば必ず手に入るはずだ。だから人々は好んで苦労しようとする。押しつけられた苦労は嫌だが、自分から進んでする苦労は貴い。わざわざしないでもいい苦労をすれば、その見返りはきっとあるはずだ。そう思えるのだ」

 佐藤の思惑がどの辺りにあるのかよく分かりません。宗教心に凝り固まった原理主義者でないことは確かですが、宗教を商売と割り切っているわけでもなさそうです。

 山に登るのは頂上を踏んだという事実が達成感を与えてくれるからだというのが私の考えでした。苦労というコストが引き合うのはそのためだと思っていました。しかし、佐藤の言うように、それだけでは物足りないのかもしれません。何かプラスアルファがあるのであって、それゆえ登山は単なるスポーツではなく、何か神聖視されるところがあるようなのです。それが宗教心でないとしても、それに似たようなものなのでしょうか。

「で、登山ツアーに信仰を組み入れるというのですか。パワースポットのように宣伝するのですか。」

「具体的にはまだ思案中なのだ。だから、番号札の意味を教えてほしいんだよ。場合によっては、君たちと組めるかもしれない。君と山で会ったのは偶然とは思えない。何かの導きによるのではないだろうか」

 佐藤を適当にあしらうという気持ちはなくなっていました。ひょっとしたら彼の言うように、番号札のビジネスが大化けするかもしれません。横田さんに相談するのがいいようでした。横田さんに報告するなら佐藤のことをもっと知っておくべきだと気がつきました。

「ところで、あなたは登山の経験がかなりおありなのですね。この前の口ぶりでは、今はしておられないようですが」

 佐藤は私の突然の問いに戸惑ったようでした。しかし、冷静な口調を保って言いました。

「私は以前登山ツアーのガイドをしていた。判断ミスで、客を一人死なせてしまったのだ」

 それ以上の詳しいことを聞くのはどうかと思って、私は当たり障りのない方へ話を持っていきました。

「それで、宗教ですか」

「直接は関係ないと思うのだけれど、影響はあるのかもしれない。巡礼ということも考えたから。君たちの番号札もそのようなものに思えるのだが」

 佐藤を横田さんに紹介してもいいと思えてきたのです、依然として横田さんを説得できる自信はありませんでした。私の煮え切らない態度を佐藤は予想していたのかもしれません。彼はポケットから何かを取り出して、私に放り投げてきました。私はとっさに両手で受け取りました。それはあの番号札でした。番号は3でした。日出が岳に着けたやつです。

「これはどうしたのです」

「大台が原にあったのを取ってきた。いくつか山を登って探してみたのさ。見つけたのはこれ一つだけれど、いずれ残りも探し出せるだろう」

「何でこんなことをするんです」

「俺が本気だということを君らに示すためだ。そっちが俺を避けるなら、徹底的に邪魔をすることになるぞ」

 佐藤の口調は穏やかでした。自信があるのでしょう。私は無意識に番号札を撫でていました。せっかくの努力を無駄にされたので腹が立ちましたが、争っても勝ち目はありません。

「分かりました。至急パートナーと相談してみます」

13

 その日のうちに横田さんと連絡を取り、翌日は平日でしたが夜にいつものカフェで会うことにしました。先についた私は、横田さんを待つ間、カフェの中の人たちをそれとなく観察しました。こんな時間でもほぼ満席です。仕事帰りの人もいるのでしょう。学生もいるのかもしれませんが見分けはつきません。話をしている人は半分ぐらいでしょうか。一人でパソコンに向かい合っている人もいます。それぞれが自分のスマホに見入っている二人連れもいます。珍しくも本を読んでいる人もいました。

 彼らはいかにも都会に馴染んでいる様子で、たとえいくらかの不満があろうともそこから離れるつもりはないのでしょう。都会は便利であるけれども魅力を感じるほどでもないと思っている私のような人間は、彼らとの間に距離を覚えます。彼らに反発するとか、逆にうらやむとか、そういうことはないのですが、生きている場所が違うような気がするのです。いわば、身近にはいるが無縁の存在、お互いに影響されることのない通行人の関係です。それでいいと思っていました。

 しかし、彼らの一員である(と思える)横田さんと、親しいとまでは言えなくともまあまあの関係を持つようになって、私の見ていた彼らの姿は上っ面だけの印象に過ぎないと思えてきました。当然のことですが、彼らには個別の事情があり、彼らの思い、希望、情感、そして挫折があります。それらが私とは無縁であるはずがありません。おこがましいかもしれませんが、私は彼らに興味を感じるようになっていますし、感じるべきなのでしょう。彼らにしてもそうではないでしょうか。私には無関心だろうとみなしていたのが、ひょっとすると複雑な気持ちで見られていたのかもしれません。

 それは私の思い過ごしでしょうか。彼らはやはり私のことなど全然気にしていないのではないでしょうか。無縁であるというより、目に入らない存在なのではないでしょうか。そんなことをいろいろ考えてしまうのも横田さんのせいです。

 横田さんがやっと来ました。遅れたことを口先だけで謝ると、すぐに私に説明を促しました。私の報告を聞き終わると、横田さんは厄介なことになったという顔をしました。

「私のことは話していないのね」

「パートナーがいるとだけ言っておいた」

「番号札のことは適当にごまかしてくれればよかったのに」

「あいつを納得させるようなことが思いつかなくて」

 横田さんが私をあまり責めないようにしているのは分かりました。しかし、不満を隠しきれてはいませんでした。私の方は、弁解しつつも、自分にさほどの非があるとは思えないのでした。

「山をビジネスの対象とするのは、君と同じだろう。あいつの提案するコラボについてはどうなの」

「あまり信用できそうな相手ではないわね。どこに住んでいるの」

「住所は分からない」

「山岳ツアーのガイドの経験があると言っていたのね」

 横田さんは考え込みました。私は黙って待っていました。横田さんにしてみれば、一番簡単な方法は私との関係を断ってしまうことです。そうすれば佐藤のことは片がつきます。しかし、彼が番号札の設置の邪魔を続けるのなら、何か対策が必要となります。

「一度、会ってみるわ。彼のメールアドレスを教えて」

「一人で?大丈夫?」

「何を心配しているの」

「まあ、危険ということではないけど」

 横田さんが私を扱うやり方は自分より未熟な者に対するようなので、何となく弟のような(私には姉はいませんが)感じにさせられてしまいます。私が横田さんを守るというというのが滑稽に思えたのでしょう。

 私はこの機会に番号札のことを問い詰めてみようと思いました。今までも、ときどき、手帳を取り出して番号の山のリストを見るのですが、何度考えても関連が分かりません。推測というか空想のようなものは、いくつか思いつきます。たとえば、番号のつけられた山を番号順に結びつけていけば、何かの形が表れるのではないか。ナスカの地上絵か、星座のように、巨大な形象を形作っているのではないか。そんなものを作ってどうしようというのかは、うまく説明できませんが。

 問題なのは数字であって、山自体は単に数字が置かれてある場所というだけなのかもしれません。数字を一定の法則によって組み合わせれば、たとえば暗証番号のような、鍵を解く手段になるというように。もしかすると魔方陣のようなものかもしれませんが、形が方陣ではないですし、数字の並び方に法則があるようにも思えません。そういうことを繰り返し考えるのですが、検証しようにもあまりにデータが少な過ぎます。しかし、とにかく私の思いついたことをぶつけてみようと思ったのです。

「その番号札について、僕なりに考えたことがあるんだけど」

 横田さんは何も言わず、私が続けるのを待つ態勢を示しました。

「常識的にはあの番号順に頂上を極めることが何かの意味をもつとも思われない。あれらの山々に共通点はないようだし、でたらめの選択ではないと言えるような基準は見出せない。最初は新百名山でも作っているのかと考えた。しかし、あれではまとまりがなさすぎる」

「そうなの?山のことはよく分からない」

 私はポケットの中から地図を出しました。他に適当な縮尺の地図がなかったので、高速道路会社の発行するガイドマップでした。それを使っていろいろ考えていたので、今日も持ち歩いていたのです。テーブルの上にスペースを作って地図を広げました。

「今まで登った山を結んだ線を引いてみた」

「結構考えてるじゃない。そういうのを、隅に置けない、というのね」

 私は横田さんの反応を無視してさらに続けました。

「これをどう解釈するかだ」

「どう解釈するの」

「書きかけの文字」

 横田さんは笑い出しました。

「面白いことを言うわね。それが私のビジネスってわけ」

「そうじゃなさそうだな」

 私も自分の意見にはこだわりませんでした。こじつけめいているのは承知していました。他に考えようがなかったのです。横田さんは地図を見つめながら言いました。

「こういうのはどう。巡礼みたいなもの。よくあるでしょ、四国八十八か所とか西国四十四ヵ所とか」

「西国は三十三か所ではなかったかな」

「どっちでもいいわよ。つまり、お寺を回る代わりに、山を巡っていくの、番号順に」

「そうなのかい。これらの山の番号は順番に回るという形にはなっていないけど」

「そうね。これではね」

 横田さんがヒントを与えようとしたのか、私の意見を聞こうとしたのか、それは分かりませんが、結局は途中でやめてしまいました。私たちは少し近づいて、また離れてしまったのでした。ひょっとしたらこれからも同じで、結局重要なことはなにも伝え合えずに済んでしまうのかもしれません。

「もっと僕ができることはないのかい。君の役に立ちたいんだ」

 横田さんは僕をしばらく見つめていましたが、真剣な表情になって言いました。

「本気でそう思っているのなら、私と一緒にやらない?でも、中途半端ではだめよ。いまの仕事をやめるつもりでなければ」

 突然の横田さんの申し出に、私はひるみました。そこまでの覚悟をするには考える時間が必要です。横田さんは私の反応を見抜いて言いました。

「あなたには無理ね。いまの安定した生活を棄てられないでしょう。いま言ったことは忘れて」

「急に言われて戸惑ったんだ」

「時間をかけても同じことよ。いま決断できなければ、いつまでたってもできない」

 私は受け身から攻撃へと立場を変えようとしました。

「君が求めているのはカネなのか」

「カネという言葉は安っぽすぎるわ。適当なのは、やはり、ビジネスかな」

「ビジネス、か。君は男に生まれてくればよかったのにね」

「今どき、ビジネスに男も女もないわよ。そういう時代であることは喜ばしいことでしょ。女にとっても、男にとっても」

 今はそんなに悪い時代ではないという点では、横田さんに同意します。しかし、横田さんは間違った場所にいる、あるいはその場所にふさわしいやり方をしていないのではないかという思いがしてならないのです。

 横田さんに家庭環境や成育歴がどんな影響を及ぼしたのを知りたい気持ちはありましたが、それを聞くのは失礼なるでしょうし、彼女もきっと嫌うはずです。彼女の今の姿については、性格と言ってすませることが一番簡単なようです。要するにエネルギーの違いなのかなとも思います。私の目から見ると横田さんは危うげに見えますが、それは私たちのエネルギーの差がもたらすゆがみのようなものかもしれません。横田さんから見れば私の生き方などもどかしくて仕方がないのでしょう。

 横田さんと別れ、一人で帰る電車の中で、私は暗い外の風景を見ていました。車や家の灯りの他には何も見えませんでした。横田さんの顔が窓ガラスに映って見えたような気がして振り返りましたが、彼女がそこにいるはずはありません。横田さんの申し出を受けようかという気になったりしましたが、将来のことを考えるとそんな決断をする勇気は出てきませんでした。所詮彼女は違う世界の人間ではないかとも思います。お前はお前に似合った世界から出てはいけない、そう自分に言い聞かせました。そんな風な保守的な自分が嫌になりましたが、自分を変えることはできないことは分かっていました。

14

 久しぶりに三浦さんと一緒に食事をしました。仕事が終わってからいつもの居酒屋へ行ったのです。最初はやはり山の話でした。山での遭難の報道があったばかりだったので、そのことが話題になりました。雪山や岩山ではなく、スリーシーズンの登山道歩きの遭難は、低体温症と道迷いが主たるものです。低体温症による遭難は、天候の急変などでの風雪や風雨による体温低下で死に至るものです。有名なところでは、1989年10月の立山(10名中8名死亡)、2006年10月の白馬岳(7名中4名死亡)、2009年7月のトムラウシ山(18名中8名死亡)、2012年5月の白馬岳(6名全員死亡)、2013年8月の中央アルプス(韓国人ツアー20名中4名死亡、うち1名は滑落死)などがあげられるでしょう。低体温症による遭難は大量死を引き起こしがちです。白馬(2006年)、トムラウシ山、中央アルプスはガイド付き登山ツアーでした。三浦さんはツアー会社とガイドの関係のことを論じたついでに、中央アルプスの遭難について触れました。

「あのとき、グループがバラバラになったことが批判されていたが、韓国の登山ツアーではそれが普通なんじゃないかな。穂高で登山ツアーの韓国人グループに出会ったことがあるけど、ガイドは客を勝手に歩かせていたよ。人数や危険度にもよるけど、日本人の登山ツアーのように一列に並んで歩くのもどうかと思うね。そんなグループの後ろについてしまうと、なかなか追い越させてくれないからイライラさせられるよ」

「集団で遭難したときは、バラバラにならずに一緒に行動するように言われてますが、助かる可能性がそれぞれ違っているなら、集団が解体するのもやむを得ないかもしれませんね」

「リーダーの判断が重要だろうな。リーダーが信頼できなければ、各人が勝手に行動をすることになっても仕方がないかもしれない。むしろ、無能なリーダーに従うことを拒否するだけの気概がなければ、厳しい状況では生き延びられないだろう」

「そういう意味では、単独行は楽ですね。すべて自己責任だし」

「ただし、他人に迷惑をかけてしまうのであれば、自己責任だから何でもやっていいということにはならないよ」

「三浦さんは遭難しかけたようなことがありましたか」

「遭難までにはならなかったが、道に迷ったことはある」

 道迷いによる遭難死は単独行者が多くを占めます。複数で迷った場合は、遭難の確認がとりやすく、捜索も大々的になるので、発見がしやすいのでしょう。単独行の場合は、どこの山へ登ったかさえ不明の場合が多く、また、遭難したことが分かるのが遅れがちになるようです。家族や友人に計画をきちんと伝えておくことが大事なのですが、こんな山でまさかと思う心が油断をもたらすのでしょう。

 山で道に迷ったときの鉄則は二つ。一つは、コースが分かる場所まで引き返す。もう一つは、引き返す道が分からなければ、谷には下りず、尾根に登ること。こんな簡単なことが、実はなかなかできないのです。道に迷うときは下りの時が多く、戻るためには登り返さねばならず、それがおっくうで、ついついそのまま突っ込んでしまうことになります。特に谷筋ですと開けて方向も一定ですから、いつか麓に出るだろうと期待してしまうのです。しかし、谷は滝などの岩場が出てきて、降りることができずに行き詰ってしまい、無理をすると滑落し、行動不能になってしまいます。また、山は下るにつれて面積が広がりますから、自分の位置の見当がますますつきにくくなってしまいます(捜索する方も範囲を絞りにくくなります)。尾根に上がれば、道に出ることもありますし、捜索するのにも見つけやすいのです。

 三浦さんが問いました。

「君はどうだ」

「道迷いは何回かありました。近郊の山だから、何とかなると思って、自分をコントロールできました。ただし、日が暮れかけたときには、パニック寸前になりましたが」

「危ないな。自分をコントロールしているつもりでも、適切な判断をしていないこともあるだろう。まあ、山だけのことではないけれど」

「そうですね」

 私は自分の思いにとらわれてしまいました。

「どうしたんだ」

 三浦さんにそう言われて、私は唐突に答えました。

「実は、僕はいま道に迷っているのかもしれません」

 三浦さんに話す気になったのは、自分一人ではどうにも整理がつかず、もやもやとした気持ちのままでいることに耐えられなくなったからです。すべてを聞いた後、三浦さんは言いました。

「要は、君に好きな女性ができて、その女性と一緒になるためには、彼女の考えている企画を援助する必要がある、というのだな」

「彼女は目算ありげですが」

「何かいいアイデアがあるのかもしれない。しかし、それにしても君が乗るような話ではないだろう。俺が忠告するとすれば、やめておけ、だろうな」

「彼女のプロジェクトを当てにしているのではないのです。成功しようが失敗しようが、それはどうでもいいのです」

「どうせ短い間だよ。そんな関係は長続きしない。ビジネスにならなかったら、簡単に棄てられてしまうだろう」

「それは分かっているのです。でも‥‥」

「なるほど。君が望んでいるのはその娘そのものではないということだな。その娘が象徴している何か。だとすれば、俺にどう言ってもらいたいんだろう。とことんやれ、と言って欲しいのか。どうせ短い命だ。好きなようにしろ、と」

「そんな風に思うことはありませんか」

 三浦さんは考え込みました。他人に相談するということは、既に考えが固まっていて、それに保証を与えてもらいたいという気持ちからのことが多いようです。相談された方が示すアドバイスも、その考えに合うものは受け入れられるが、そうでなければ何の影響も及ぼすことはできないのです。だとすれば、相談者は、相手のことを気にすることなく自分の考えを述べるか、相手の気持ちを忖度して気に入られるような返事をするか、いずれにせよ責任を感じる必要はないでしょう。しかし、三浦さんは真剣でした。

「生きるというのはどういうことだろうと考えたことは、君ももちろんあるだろうね。夢とか希望とか、そういった表面的なことを超えて、もっと根本的な、本質的な意味において。シニックに見れば、人間は他の生物と同じように、生まれて、食って、子供を産んで、それらに成功するにせよ失敗するにせよ、遅かれ早かれ死んでいく。個体としての人間が何をなしたかに特別な意味はなく、残るとしたら誰かの記憶の中においてだけであり、それもいずれは消えてしまう。だから、個体としての我々にとっては、自分の状態こそが重要であり、それにこだわらざるを得ない。我々の生きる実質はそこにあるのだから。つまり、自分が満足するようにしか生きられないのだ。非常に個人主義的な見解だが、どう思う」

「結局は、そういうものでしょうか」

「しかし、問題はそこから始まるんだ。我々は他人のためと思って犠牲を払うことにも喜びを見出せる。動機としては個人主義的だが、行動は利他的だ。つまり、人間は何かに喜びを見出せれば、その何かはどんなものであってもかまわないのだ。他人がそのことにとやかくいっても始まらない」

「じゃあ、他人のすることに助言や批判は無効だというのですか」

「人間が現在だけに生きるのであればね。人間は将来のことも考える。現在の生き方が将来を台無しにしてしまうのであれば、何が適当なのかを判断しなければならない。第三者の意見というのは、その参考になる」

「そうですね」

「君が孤立する傾向があることに、私は責任を感じているんだ。君が山へ登るようになったのについては、私の関わりが大きかったからね。一人で山へ行くことが、君のそういう傾向を助長させてしまったのではないかな。前から一度ゆっくり話したいと思っていたんだ」

「そんなことはないですよ。山へ行くようにならなかったら、逆に落ちこぼれてしまっていたかもしれません。一人でいるのが平気なのは以前からで、山登りのせいではないですよ」

「そうかい。それならいいんだが」

 三浦さんはそのことはそれ以上触れずに、話を私の体験に戻しました。

「君はその女性に対する君の気持ちをなぜ正直に言わないのだ。そして君の疑問をぶつけてみないのだ。君は自分勝手にその女性の気持ちを忖度し、疑り、彼女の影と争わねばならなくなってしまった。君は自分自身の迷路に入り込んでいたのだ。そこから抜け出すために、彼女に助けてもらうべきだ」

「でも、彼女は自分のことしか考えていないようで、言ってみても仕方がないのかと」

 三浦さんは手に持ったジョッキに残っているビールを飲み干してテーブルの上に置きました。

「君には彼女のやっていることが馬鹿げた試みに思えるのかもしれないね。だけど、彼女にしてみれば、必死なのだよ。我々のように、定職にありつけるというのは、幸運な少数者なんだ。今の時代、浮かびあがろうと思えば自分の才覚で何とかしなければならない。うまい話はそんなにはないよ。だけど、何かしなければ落ち込んだままだ。そういう意味では、彼女のような若者が日本の社会や経済を変えて行くのかもしれない。彼らは自分個人のことを考えるのが精一杯で、そんな意識はないだろうけれど」

「そういう時代なんでしょうか」

「確かにバブル以降の日本の社会は若者に厳しい状況が続いている。私自身は、若い人の起業の努力については応援したい気持ちがある。だが、そういう意欲のある人は少ない。なんやかんや言っても、日本の状況は他の多くの国に比べれば恵まれていて、ぬるま湯的状況にあることは間違いないから」

 私は三浦さんが独立するつもりであるという噂があることを思い出しました。しかし、そのことを話題にしていいものかどうか分からなかったので、言い出しませんでした。三浦さんは続けました。

「人生にはどの道を行かねばならないか決断しなければならないときがある。そういう別れ道が何度かある。思い切って今までとは別の道を選ぶのは難しい。そっちは未知の領域で、確かなものは何もなく、失うだけで何も得られぬかもしれない。そういう不安や恐れが躊躇させる。だが、安全そうな道を選べば、別の道を選ばなかったことをきっと後悔することになるだろう。君にも経験があるはずだ」

「進学とか就職とかですか」

「そうだ。そういうのは分かりやすいね。ただ、そういう岐路を知らぬ間に通り過ぎてしまうこともある。後で、あのときがそうだったのかと思い返して、違った道もあったのに気がつく。君はいまそういう別れ道を通り過ぎたのかもしれないね」

「でも、僕の方だけの気持ちだけでは、どうにもならないような気がします」

「そうかもしれない。しかし、一番重要なのは君の決意だ。君が決意しなければ、何も起きない。もちろん、なかなか思うようにはいかないだろう。よいようになるのが分かっていれば、決断なんていらない。どうなるか分からないからこそ、踏み出す勇気が必要になる。何が起こるかは君次第なんだ。君が引き受ける結果は、君が作るものなのだ」

 三浦さんのいさぎよさはうらやましく思いました。でもそれは三浦さんのように能力のある人だからこそ言えることではないでしょうか。三浦さんは私の戸惑いに気づいたように、こう付け加えたのでした。

「もちろん、どうするかは君の考えることだが」

 納得しきれぬ気持ちがまだあって、黙り込んでしまった私を見かねてか、三浦さんは言いました。

「あまり深刻に考えないでもいいのかもしれないな。ゲームのようなものだ。君はゲームに参加していて、次の手に迷っている。それだけのことだよ」

「いったい、何のゲームです」

「自分が何に参加しているか分からないゲームというのもあるだろう。人生だってそうじゃないか」

「ゲームにしたって、あまりにも中途半端ですが」

「誰だって、完全な体験などできっこない」

 それがその日の結論になりました。

15

 横田さんからの連絡が入らなくなりました。こちらからメールを入れてみましたが、返事はありません。佐藤のことが原因になっているのだろうことは推察できますが、具体的な理由は分かりません。いつかは終わるとは思っていましたが、このように突然であるとは予期していませんでした。

 山崎氏のこととそこから得たアイデアを横田さんには言いそびれてしまいました。山崎氏との約束は守るつもりですが、すぐにはその気にはなれません。しばらくは先延ばしすることになりそうです。

 横田さんへの思いがどれほどのものだったのか、自分でもよく分かりません。彼女の不在が大きな欠落になっているようでもあり、あるいは、さほど大したことではないのかもしれません。横田さんに会えなくなったのは悲しいことであり、時には苦しく思えましたが、一方で、ホッとしたしたことも事実です。このまま横田さんに関わり続けていけば、いつかは男女の関係のしがらみに捕らわれてしまったでしょう。横田さんは、私の基準を適用すれば、パートナーとしては適切ではありません。そういう異性のために自分の人生を犠牲にしたくはありません。しかし、恋愛にはそういう価値判断を狂わせてしまう力があります。抑制がきかなくなる前に横田さんへの執着が断ち切れたのは幸運だったのでしょう。

 私が横田さんに望むことがあったとすれば、一緒に山に登ることでしょうか。単純に山に登るだけなら、横田さんは足手まといでしかなく、一緒にいることに何のメリットもありません。しかし、山の環境を共有すること、体験をともにすることには、何か心を弾ませるようなものがあるようです。そこには登山の純粋さを損なわせるようなものが含まれてはいますが、かといって、男女関係からくるあからさまな吸引力ではないのです。いささか中途半端なそのような感情は、私にふさわしいものなのかもしれません。

 横田さんが私を男性として好ましく思っていたかどうかは不確かです。しかし、単に番号札を山につけに行くだけのことなら、必ずしも私でなければならないことはなく、もっと適当な人間が見つかるはずです。私がダダをこねたとき、なぜあっさり見限ってしまわなかったのでしょうか。代わりの人間を見つけるのは面倒であり、情報があちこちに漏れるのは好ましくなかったにせよ、なぜ私を引き留める必要があったのでしょうか。

 もちろん、私がどう変わろうと、あるいは変らないままであろうと、横田さんにとってはどうでもいいことなのです。私の決断は私のものであり、その結果を引き受けるのも私であるから、横田さんにとっては責任を持つ謂われはないのです。ただ、私のことを横田さんが気にかけてくれたようにも思うのです。

 何度も何度も考えていると、番号の山に関することは実際に体験したことなのだろうかという疑問に襲われるときがあります。私に残されているのは記憶だけであり、それも徐々にあやふやになり、夢や妄想と区別するのが困難になってきます。横田さんとのメールのやり取りと番号札の写真はその都度消去してしまっていましたから(秘密保持のためにと彼女から要請されていました)、彼女の存在を証明するものは何もありません。彼女のメールアドレスはありますが、何の反応もないことを恐れて、メールは送れないでいます。他にあるのは、手帳に書き留めた番号の山の名前だけです。もちろんそれさえも私の妄想の産物かもしれません。

 そういう疑惑にさいなまれているとき、再度佐藤の訪問を受けたのでした。部屋の中に落着くと、彼はこう切り出しました。

「横田とはビジネスにならなかったよ。まあ、その報告も兼ねて寄ってみたんだ」

「どういうことですか」

 佐藤は私の疑問にはすぐには答えず、夢想家らしいもったいぶった言い方をしました。

「君は運命というものを信じるかい。出会いの不思議。彼女と君が山で会い、俺と君が山で会い、そして、君が仲介の役割を果たしてくれたおかげで、俺と彼女が出会った。君には感謝しているよ」

「感謝されるようなことはしてはいませんよ」

 佐藤は私の無愛想な返答を受け流しました。私から横田さんを奪ったようになっているので、私の不機嫌さは承知の上だったのでしょう。

「俺自身のことを聞いてもらえば、俺の気持ちをいくらかは理解してくれるのではないかな。前にも話したように、俺はガイドの仕事中の事故で人一人死なせてしまった。死者が一人だったからそんなに大きく報道されなかったから、君は知らないかもしれないが、具体的なことは勘弁してもらう。仕事をやめた後、何もかもうまくいかなくて、自分がこんな情けない人間でしかないのであれば、何のために存在しているのか分からなくなってしまった。生きることの意味を見失った、というのかな。妻とは離婚し、子供は妻が引き取った。それからはどうでもいいような日々が続くだけだった。ところが、ひょんなことから三周が岳で君に会った。君と一緒に山を下りて行きながら、また山で生きられるかもしれないと思った。前にも言ったね、再生だった、と。まあ、時間がたったことも影響していたのだろうが、君に会ったことがやはり大きかった。あれは単なる偶然ではなかった。何かの導きだった。君には恩義がある」

 そこまで言われると悪い気はしません。お人好しの私は、佐藤を受け入れる気持ちになりました。

「横田さんとはうまくいかなかったのですか」

「そうだ。詳しいことを知りたいかい」

「ええ、教えて下さい」

 佐藤はどこから話すべきか考えるように少し間をあけてから切り出しました。

「彼女も登山ブームに目を付けて、新しいビジネスにならないか考えていたんだ」

「それは知っています。でも、どうやって商売にするのかは教えてくれませんでした」

「ネットを使うつもりだったんだ。あの番号札を頂上に設置して、登頂者にスマホで写真を撮らせる。登頂の記念に何かを残しておきたい人は結構いるはずだ。その写真を認証して登録する。そして、番号の組み合わせに何らかの意味付けをして、グッズの販売なんかに結びつける。同じようなアイデアを思いつく連中はいるだろうが、早く始めてシェアを取れれば差別化できる。その後のはっきりしたプランは立てていなかったけれど、ツアーを運営するとか、どこかの企業と提携する、いろいろ考えられるからね。」

「それでビジネスになるんでしょうか」

「俺も彼女のプランを聞いたときはどうかなと思った。しかし、俺の考えとコラボレートさせれば、何か化けそうな気がした。だから二人でやることにしたのさ」

「それで僕はお払い箱になったのですね」

「番号札をつけに山に登るのは俺ができるからな」

「で、何がうまくいかなかったのですか」

「彼女のプランを実現するのは、俺たちの手にあまったということかな。やり方がアナログすぎた。デジタル化が必要だった。登頂の認証は番号札よりもQRコードの方がいい。しかし、それよりもスマホの位置情報を使った方が簡単だ。そういうアプリを作るには知識のある人間が必要だ」

「雇うにせよ、依頼するにせよ、カネが必要になりますね」

「そうだ。それに、調べてみれば似たようなサービスが既にあることが分かった。横田のアイデアと全く同じというのはないが、競合しそうなものいがいくつかある。たとえば、山頂でアプリを使うと、GPSでチェックして、スタンプを発行してくれるというものが既にある。しかも相手は全国展開の大手企業だ。横田はそこで諦めてしまった。リサーチ不足だった。彼女がもともと山好きだったら、もっと慎重だっただろうな」

「でも、面白いアイデアではありますね」

「俺もそう言って、続けるように勧めたんだがね。彼女は山に興味はなかったから、執着し続ける気力は持てなかったんだろうな。何か違うことを始めるなら早い方がいいと、見切りをつけてしまった」

「横田さんらしいですね」

「そう思うかい。彼女なら気安く生き方を変えられるように君には見えるかもしれないな。俺には彼女の落胆の大きさが分かった」

 横田さんは、私には見せなかった面を、佐藤にはさらけ出していたのでしょうか。横田さんと佐藤の間にはビジネス以外の何か深いつながり(たぶん、男と女の関係)ができていたのかもしれません。そう考えるのはつらかったのですが、そういう可能性についての疑惑は前からありました。

「あなたのプロジェクトはどうなりました。ミルフォードサウンドのトレッキングみたいなツアーのプランは」

「台高山脈のツアーのシステムを具体化しようとしている。明神平の山小屋や麓のホテルと契約して、二泊三日のツアーから始めるつもりだ」

「いつから始めます?」

「まだはっきりしない。一番の障害は資金さ。もう喋りすぎた。君には一言お別れが言いたくてね。帰るよ」

 そう言うと佐藤は玄関ドアのところへ行ってしまいました。私も仕方なく靴をはく彼の後ろに立って見送りました。佐藤は靴をはき終わると、私に向き直って言いました。

「彼女は君のことを気にしていたよ。彼女は君が好きだったようだね」

 私は何とも答えられませんでした。私の沈黙を別れの仕草だと解釈して、加藤はドアのノブに手をやりました。とっさに私は言いました。

「横田さんに伝言は頼めませんか」

「彼女とはもう会うことはないよ」

 そう言うと佐藤は外へ出て、ドアを閉めてしまいました。私がまたドアを開けて廊下を見ると、背の高い彼の後ろ姿が階段に消えて行くところでした。

 このようにして番号の山に関する私の奇妙な物語は終わりました。

 三浦さんは「ゲームに意味なんかない、ルールがあるだけ」とも言っていました。あるいは、ルールを破ったときから物語が始まるのかもしれませんが、私の物語は発展しませんでした。どうすればよかったのだろう、ときどき私はそう考えますが、それも詮のないことです。

 もちろんいまでも私は山に登っています。自分で選んだ山を、自分の流儀で。本来山に登るのはそれが目的であったはずです。誰に指示されるのでもなく、誰かのためというのでもなく。どうするかを決めるのは自分であり、結果を引き受けるのも自分しかありません。唯一従わなければならないのは自然のルールだけです。

 山に登るのにまで他人に関わる必要はない、そう思います。でも、頂上に着くと白い番号札を探している自分に気づくことがあります。番号札が頂上に置かれることはもうないのでしょう。それは分かっていながら、何かを期待して私は待っているようです。

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