チューリング・テスト
刑事は応接室に通された。応対したのは二人の男だった。それぞれ、所長、開発チーフという肩書の名刺を差し出した。刑事はまず所長に向かって言った。
「ご要請の通り、一人で参りました」
「ご苦労さん。ご相談したい件は国家機密に準ずるような取り扱いを要する。われわれとしてはできるだけ内密に処理することを希望している。そのためなら最大限の協力を惜しまない」
刑事はそっけなく答えた。
「では早速事情をお聞きしましょう」
いかにも技術者といった格好のチーフが口をはさんだ。
「お待ちください。確認しておきたいのですが、あなた方は私たちのロボをまだ確保されていないのですね」
刑事は二人の顔を交互に見てから答えた。
「そうお伝えしたはずですが」
「では、確保次第すぐにお引渡し願いたいのですが」
「遺失物のようには扱えませんね、こんな事件を起こしているのですから」
所長が口をはさんだ。
「事件のことは詳しくは知らないが、あのロボが人間に危害を加えることはない。それは従来のロボと同じだ」
刑事はその言葉に敏感に反応した。
「では、普通のロボとは違ったところもあるのですね」
所長はしばらく黙り込み、やがて、あきらめたように言った。
「極秘のプロジェクトなのだ。R10EMO、これがあのロボの名前なのだが、あれはより人間に近いロボとして作られた」
「ほう。どういう風にですか」
所長はチーフを見やった。チーフが所長に代わって言った。
「人間とロボの一番の違いは何だと思われますか」
刑事は少し考えてから答えた。
「心かな」
「そうですね。ロボには心がありません。ただそれらしく振舞っているだけです。欲求や衝動や感情が備わっているように見えても、実態は、そういうものが生じるはずの状況では、そういうものが生じているように行動するようプログラムされているだけなのです。しかし、機能的にはロボと人間との差はほとんど分からなくなっています。外から見て違いが判らなければ、私たちに見分けがつきません」
刑事はいらつきを隠すことなく言った。
「そのことが今度の事件に関係しているのですか」
刑事の不服を無視してチーフは言った。
「チューリング・テストをご存知ですか」
「聞いたことはある」
「解釈はいろいろありますが、つまりは、人間と、人間のように作られた機械とを見分けられるかどうかというテストですね。もともとは外見で判断できないように部屋を別にして文字で会話をするのですが、外見が人間そっくりな機械なら直接対話でもいいわけです。今のロボは呼吸や発汗もしますから、一緒にいてもロボとは気がつきませんからね。私たちはそのようなチューリング・テストに通るロボを作ろうとしているのです」
「体の中を見ない限り、人間と全く区別できないロボですか。それが今回問題になっているロボですか」
「実は、レモ、われわれはR10EMOをそう呼んでいました、レモより以前に、何体かのそういうロボを作って、人間の中に紛れ込ませるテストをしていたのです。しかし、最初のうちは人間とみなされるのですが、ある程度の接触が続くと、なぜかロボであることが分かってしまうのです。周りの人間にインタビューなどして調べてみるのですが、なぜだか分かりません。どことは指摘できなくとも、人間たちは何となく見破ってしまうのです」
刑事が何か言いかけるのをさえぎって、チーフは続けた。
「話が回りくどくてすみません。一応順序だてて説明しないと、理解していただけないでしょうから。私たちはその原因が、自由にあるのではないかと考えたのです」
刑事はあきれたようにチーフを見つめた。
「ロボを自由にさせるのですか」
「自由というのは言い過ぎですかね。もっとつつましいものです。自由のカケラとでも言えばいいのかもしれません。ところで、自由とは何だと思われますか」
「いい加減にしてください。なぞなぞをしている時間はありません」
「失礼しました。講義のスタイルに慣れてしまっているので。でも、ここの理解が肝心なのです。先程言いましたように、ロボと人間が機能的に同じとみなされるのは、その行動を因果的に解釈できるからです。行動主体が認識している状況が分かれば、どのような行動が選ばれるかが予測できるのです。私たち科学者は唯物論者ですから、世界は因果的に閉じていると考えています。そこに自由の入り込む余地はないのです。これは人間も同じです。ですから、自由というのは幻想とみなされてしまいます。」
「確かに、人間のすることは知れていますからね。でも、気まぐれということもありますよ。先日、女友達と食事をしたんですが、その時の会話が、『何を食べたい?』『何でもいい』『じゃあ、中華にするか』『中華はちょっと』『何でもいいと言ったじゃないか』『そうだけど。じゃあ、中華以外なら何でもいい』と、こうですよ」
「おっしゃる通り、きまぐれというのは重要な現象です。それに気がつかれたのはさすがですね。その女の人のことは理論的にはこう解釈されます。選択の手掛かりになる要素がはっきりしないとか、選択の時点まで時間的な余裕があって要素変化の幅が広いとか、そういう場合にはとりあえず保留的な態度をとります。選択の状況が明確になると絞り込みが行われるのです。しかし、私たちは迷います。選択肢があっても結局は絞り込めないこともあります。どれを選んでもいいということは、どれも選ぶ理由がないということなのです。それでも決めなければならないとしたら、気まぐれが助けになります」
「つまり、気まぐれが自由ということですか」
「そうですね。適切な選択というのはコストがかかるものです。過去の経験と将来の予測を使って現在の状況を判断しなければなりませんから。選択というのは、検討すればするほど難しくなるのです。選択が可能になるのは、実は選択が問題にならないときなのです。言い換えれば、選択が問題になるのは、選択ができないときなのです」
刑事はついていけないというような身振りをしたが、チーフはかまわず続けた。
「ビュリダンのロバについて聞いたことがおありでしょう。同じ量の草の束が同じ距離にあったとき、ロバはどちらにするかを決めかねて飢え死にするという仮説です」
「聞いたことはある」
「オプションに優劣をつけられなければ、私たちはビュリダンのロバになってしまいます。このことを解決する自動的な手続きはありません。決定はサイコロ投げに頼らざるをえないでしょう。実は、私たち人間はサイコロ投げをしているようなのです。ただし、完全に偶然にまかせるのではなく、多少のイカサマをしているようです。その辺りはよく分かっていないのですが。気まぐれもその一種なのでしょう」
「ロボにはそういうことはないわけですか」
「実は、ロボにも気まぐれの機能は組み込まれているのです。ロボが行動を決定するとき、状況を数値化して、最適な選択をします。選択肢が同じ数値になることはほとんどないと考えられますが、可能性はあります。また、数値化の過程ではデータの不足や不確実性などがありますから、多少の細かい差は評価の対象としては不適当です。その結果、選択肢が同じ価値とされる場合が結構あります。そういう場合は、サイコロに相当する機能で決めているのです」
「なるほど。気まぐれとサイコロ。話を戻したいのですが、それが新しいロボとどう関係するのですか」
「話が回りくどくてすみませんね。ここからが結論部分になります。ロボにサイコロ投げの機能を持たせても、ロボの行動は決定論的です。判断の時間はかかりますが、その違いは人間にはわかりません。どうもそれが人間に違和感をもたらすらしいのです。つまり、ロボには迷いがないのです」
「分かりましたよ。新しいロボは迷うのですな。ハムレットのように」
「そうです。ただし、人間にしてもそうですが、いずれ選択はなされなければなりません。選択しないというのも一つの選択ですから。ただ、人間は躊躇します。できるだけ決断の時間を延ばそうとします。レモには、決断に人間的な時間がかかるような機能を備えさせたのです」
「それは危険なことではありませんか」
「むろん、ロボの行動の安全性には十分配慮しています」
「しかし、それだけのことで人間のように見えるものでしょうか」
「それを検証していたのです」
刑事は一呼吸置いてから言った。
「ご丁寧にいろいろ説明していただいて、ありがとうございます。今回のロボの行動の理由が分かりかけてきたような気がします。あなた方はどう判断されているのですか」
「報道を聞いて、調べてはいるのですが、レモと連絡が取れないので困っていました」
「事件のことはご存知ですね。そのロボ、レモというのですね、レモが強姦未遂事件の被疑者として告発されているのです」
「報道ではいまだに人間扱いされていますね。それが誤解のもとになっているのではないですか」
「各所の防犯カメラの映像から、レモの行動はほぼ分かっています。事件の夜、レモは住んでいるマンションの同じフロアの女性の部屋から飛び出してきて、そのまま逃げ去ってしまったのです。レモは部屋には戻ってきませんでした。もっとも、当初はロボとは分かっていませんでしたが」
所長がうめくように言った。
「信じられん。レモがそんなことをするとは」
「レモに特殊な機能を付け加えたことで、人間に対する行動に変化が生じたということは考えられませんか」
「それはないです」
チーフがすぐさま断定したことに刑事は気を悪くしたようだ。
「じゃあ、なぜ逃げているのです」
二人が言い詰まってしまったので、刑事は質問を変えた。
「レモをあそこに住まわせたのはあなた方ですね」
チーフが答えた。
「そうです。先ほども言いましたように、人間の中で暮らす実験ですから。人間として手続きをして正当に入居しています。仕事は自分で見つけてきて、通勤していました。むろん、陰で我々が援助してはいたのですが。今までは不審を持たれるようなことはありませんでした」
刑事は少し間をあけた。
「ところで、レモは人間の女性から見て魅力的だったのでしょうか」
「外見を目立つようには作っていません。ある特徴に注目されると、他の欠点は隠されてしまいますからね。それではテストの有効性が損なわれてしまいます。できるだけ平凡な体格、顔立ちになっています」
「醜いわけでもない。人間の女性から好かれる可能性もあるのですね」
「彼の目的はチューリング・テストに合格することですから、嫌われるよりも好かれる方が都合がいいのはもちろんです」
刑事は苦笑した。
「あなた方はレモを弁護しようとしているのでしょうが、そうはなっていませんよ。聞き込みなどによると、レモはその女性の部屋に入り浸っていたようです」
所長が不安そうに言った。
「レモとその女性の関係について、詳しいことが分かっているのか」
「女性の証言によると、レモがしつこく言い寄ってきて、仕方なく相手をしていたけれど、あの夜に暴力で無理矢理犯されかけたので、110番通報をしたということです」
「それはおかしな話だ。レモには性的能力はない。人間の女性に肉体的に惹かれるはずはない」
刑事はさらに待ったが、それ以上の言葉は二人から出なかった。そこで、刑事は自分の見解を述べた。
「これは私の経験からの推察ですが、レモは同じフロアに住む女性が彼に興味を示したので、人間との関係の濃い接触を試す機会だとして受け入れたのでしょう。ところが、女性はレモに恋をしてしまった。たぶん、女性が肉体関係を迫ったのでしょう。レモはどうすればいいか迷って、逃げ出してしまった。傷ついた女性は怒ってレモを陥れようとした。そういうことでしょうか」
刑事の言葉に、所長もチーフも考え込んでしまった。二人とも何も言わないので、刑事はさらに続けた。
「ところで、レモに後悔の機能はないのですか」
チーフが答えた。
「一般にロボは過去の行動について検討します。次の行動のためには、過去の行動とその結果を参照しなければなりませんから。レモも同様です。ただ、自分の行動を悔やむということはないでしょう。あくまで将来の行動の参考にするだけですから」
「しかし、失敗の原因については検討するのですね。レモは自分が実験を失敗させたと判断したのでしょう。その失敗が新たな機能のせいだということはレモには分かっていたでしょうか」
「レモには詳しいことは教えていませんが‥‥」
「でも、他のロボとの違いはレモには分かったでしょうね。ロボは賢いですからね。そこから、今回の実験の目的を察することもできたでしょう。さて、実験で支障が生じても、レモに責任を問うことはできませんから、当然あなた方が責められることになる。レモがそう考えたとしたら、事実をあいまいにするため、逃亡したとは考えらえませんか」
所長はチーフを見て言った。
「そういうこともあり得るのかね」
「検証してみないと、はっきりしたことは言えませんが‥‥」
所長は渋い顔をして考え込んでいた。事態をどう処理していいのか困惑しているのだろう。そのとき、刑事に通信が来た。
「失礼」
刑事はそういって部屋を出たが、すぐに戻ってきた。
「ロボが見つかりましたよ」
所長がほっとしたように言った。
「そうですか。よかった。すぐに私たちにお引渡し願えますな」
刑事は言った。
「本来なら、もっと捜査を進めるべきでしょうが、そうはいかないでしょうね。女たらしロボなんてことが知れたら、大騒ぎになりますよ。軽々しく公開すべきでないでしょうな。上の方で調整されることでしょうが、当分は秘密が保たれるようにしておきましょう。容疑者がロボであることはまだ誰も気がついていないようですので、後はあなた方で処理してください」
所長は頭を下げてから言った。
「適切な対応に感謝する。しかるべき部署には報告しておく。あなたのような優秀な人が担当で、本当によかった」
刑事はつまらなそうな顔つきで所長のおべんちゃらを聞き流し、まだ気になるところがあるかのように付け加えた。
「むかし、『鉄腕アトム』という漫画がありましたね。こう見えても私は古い漫画のファンなのですよ。あの中にオメガ因子というのが出てきます。オメガ因子というのは悪の因子なのです。オメガ因子を作った技術者は、オメガ因子を備えたロボこそ完全なロボだ、なぜなら人間に近いからだと、アトムを誘惑します。それと同じように、ロボを人間に近づけようとすれば、自由のようなものが必要なのでしょうか」
チーフが言った。
「人間に似せようとすればそのことに関わらなければならないかもしれません。しかし、自由と責任というのは人間にとっても難問です」
刑事は言った。
「それをロボに担わせてしまったのはかわいそうでしたね。人間だけで十分ですのに」