電車の中のロールズ
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ロールズの「無知のベール」は思考実験であり、現実の世界では起こりえないこととされている。はたしてそうであろうか。もし、現実の世界でそれに類する現象が起こっているのであれば、ロールズの原理の妥当性が検証されるであろう。ほんの限られた状況においてであるが、人々に「無知のベール」がかかり、そこに資源配分に関するルールが成立する、そういう世界が存在する。このロールズ的世界は次のような特性を有している。
①個人はその世界での自己の立場を事前には知らない。
②自由で利己的な行為が可能である。
このような世界とは、電車などの交通機関に偶然乗り合わせた人々の作る世界である。
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電車にたまたま乗り合わせただけの人々がする行為に大して意味があるとは思えないであろう。彼等は単に通過中であり、基本的には互いに無関心である。利害関係や情緒的関連が発生する理由も時間もないだろう。しかし、電車の中には重要な資源があり、その配分をめぐって問題が生じる。その資源とは座席である。
高齢者や障害者に対して座席が優先的に与えられることは、ロールズの原理にかなっているようである。しかし、高齢者や障害者は列車に乗ったことによって不利な状態になったわけではない。もともと彼等は不利な状態にあったのであり、「無知のベール」はそれを隠し切れていない。したがって彼等のことは除外しよう。この世界で不利な立場にあるということは、座席に座れないということなのであり、座席に座れるかどうかは予め分からない。
もっとも、この資源配分に関するルールは単純で、先占権が全てである。席があればそこに最初に座った人がその席に座る権利を可能な限り保持しうる。席を立つことによって権利は放棄され、他の人がその権利を継承する。新たに乗り込む人全てが席を得ることができれば、このルールの持つ意味は大したことはない。また、ひとたび席がふさがった状態が(おそらく終着駅まで)そのまま保持されるのであれば、ルールの単純さも保持される。問題は、ふさがった席が空くとき、その席に座ることができるのは誰かということである。
ここで資源配分にあずかる人々は、立っている人々であり、その不利さ加減は立っている時間によって計られる。人々は、列車に乗る際に自分がどのような立場になるのかを知らないという「無知のベール」の状態のもとで、誰が座席に座るべきかのルールを決めるとしよう。
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考えられるルールを枚挙し、検討してみる。
①早い者勝ちとする。
先占権のルールである。立っている人が少ない場合、このルールが適用される。しかし、立っている人が多い場合混乱を避けるために別のルールが必要とされる。
②ジャンケンなりくじ引きなどで決める。
偶然という公平性を制度化しようとするものである。問題は取引費用が高くなりすぎるという点にある。
③席を立つ人が指名する。
席に関して占有権を持っているからといって、その処分の権利まであるかは疑問である。しかし、席を知人などの特別な関係にある人に譲ることは通常なされており、そのことは強く批判されることはないので、ある程度の処分権は認められているといえよう。ただし、席を譲ることによる見返りが期待できなければ、その決定はむしろ重荷になる。譲る相手は誰であってもいいのだから、意志決定の様々なコストを考えると、ほとんどの人は処分権を放棄するであろう。そうなると、配分の問題は解決されないまま残ることになる。
④権威者(車掌など)の判断に委ねる。
高齢者、障害者、妊婦など、座るのが適切だと明らかに判断できる場合は除外しているから、どのような人に座る権利を認めるかは難しい。しかし十分な権威があれば様々なシステムが考えられ、それがいかに馬鹿げたものであろうと資源配分の問題を解決する。
⑤何らかの方法で(例えば価格づけなどで)もっとも必要と認められた人が座る。
金銭などで席の取引をすることを考えた場合、一体誰に支払うべきなのか。席を占有していた人や車掌に支払うのか。最も正当なのは、立っている人全てで分配することであろうが、受取り分はわずかになってしまう。もともとのサービスの提供者は電鉄会社なのだから、受け取るのは電鉄会社ではないのだろうか。現に実施しているように指定席にすればよいのである。しかし、あまりに入れ替わりが激しいか、乗車時間が短いと指定席化は困難になる。実は、席に座ることが出来る者と出来ない者という格差が発生してしまうのは、乗客に対する電鉄会社の不当な取扱いであるといえる。乗客は距離にのみ基づいた差のある運賃を支払っているのであり、座る座れないの差については支払っていない。
このことは劇場の客席を考えるとよく分かる。本来、観客は客席数以内に限られなければならない。もし立ち見を受け入れるなら入場料は安くなければならないであろう。かつて映画館は二本立てなどの連続上映だったので、いつ入場してもよかった。そのため人数制限も席の指定も難しかった。このような映画館の席についても、列車と同じような、しかし構造の違った席取り問題が生じる。電鉄会社も劇場も、席(という資源)の存在量以上に客を受け入れる場合には、その配分問題が起こるのである。
金銭的取引は取引費用を考慮さえすれば可能であろうが、取引の対象が空席でなく全ての席になってしまうであろう。金銭を受け取る代わりに席を譲る者が必ず出てくる。そうすると配分問題は全く別の様相を呈してくる。
⑥もっとも長く待っていた(立って乗っていた)人が座る。
これは行列のルールであり、もし列車内に行列を作ることができるなら、妥当なルールとなろう。しかし列車の機能と構造の上からそれは困難である。したがって架空の行列を想定しなければならない。架空の行列の問題点は、順序を明確にするのが困難なことである。一つの解決策として、番号札のようなもので順序を明示することが考えられよう。しかし、移動の激しさと人数の多さのゆえに調整に手間がかかることが予想される。取引費用が高くなりすぎるのである。
しかし、行列は不利さ加減を正確には反映しない。行列の先頭にいる人が座った場合、それ以下の人よりも待ち時間が長かったかどうかは、個々の人々が列車を降りるときに初めて分かる。従って調整のためには、個々の人の待ち時間と乗車時間の両方が勘案されなければならない。席が空いた際にたとえ待ち時間が一番長くても、席に座る時間が長くて他の人を長時間待たせるのであれば、待ち時間が短くても長く座らないであろう人が先に座るべきである。この取引費用は余りに高過ぎる。
⑦たまたま空いた席にもっとも近いところにいた人が座る。
そんなのはルールではなく、自然な状態にすぎないという反論があるかもしれない。だが、これがルールであるのは、このルールに基づかない席取りが行なわれたときにルールの侵害と認識されるからである。行列の横入りがルール違反であるのと同じなのだ。むろん、ルールは厳密ではないから、それを知らない人もいるし、ルール違反に対して特定のサンクションがなされるわけではないが、数回混んだ列車に乗れば誰でもそのルールを認識できるし、そのルールに則って行動するようになる。ただ受動的に従うのではなく、席を空けそうな人の前に立って権利を確保するのである。(通勤通学電車では知り合いにはならなくとも顔を覚えるようになり、誰がどこで下りるかが多少とも分かるようになる。その場合、その席の前に立つことで席を得ることを予測できる。)
このルールは偶然が不公平な形で働くことを容認するよう見える。誰が席を立つか分からないから、長く立っていた者が先に座ることになるとは限らないのである。それどころか、例えば新たに人が乗ってきたので場所を空けるためにあなたが移動した場合、以前立っていた場所の前の席が空いたとしても、座るのはあなたではなく、あなたが場所を譲った人なのである。あなたが確保していた権利は席の前の場所を離れることで消えてしまう。
このルールは先占権のルールを二重にしたものとも取れるし、一人きりの行列形成とも取れよう。
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ロールズの原理に最も近いのは⑥であろう。そしてそれは自由で利己的な人々でも選択するという意味で合理的である。ただし、取引費用を考慮に入れると、合理性は失われてしまう。現実に行なわれているのは⑦であり、取引費用はなしで済み、公平性は偶然性に委ねられる。むろんこれは限られた世界での限られた結論である。