井本喬作品集

少年野球

 以前私が失業していた頃の話である。母と同居の家にいずらくて、昼間はほとんど外出していた。

 話の筋とは関係ないのだが、この前本屋で立ち読みをした本に、カフカはサラリーマンであったという記述があった。私は前から『変身』は失業者の物語ではないかと思っていた。失業者になることは(特に自発的に失業者となることは)、家族からも他人からも醜い虫に見られることなのだ。何もせずに一日中ベッドに横になり、家族を養わず逆に養ってもらうということは、人間であることをやめてしまうことなのだ。むろん、それは下層中流階級の心性である。最近は失業をそんなに怖がることもなくなったので、そのような『変身』の読み方はできないだろうが。

 その日は日曜日だった。私は川の傍の市営グランドへ行った。

 川は私のよく行くところだった。川原へ下り、その広い器の底のような空間から周りの景色を眺めたり、すわり込んで水の流れを見ていた。そうしていると、孤独であることと自分を包むものとの一体感を同時に感じることが出来た。

 ふだんはあまり人のいない市営グラウンドには、ちゃんと仕事を持っている連中が休日を楽しそうに遊んでいる。ことにテニスコートがはなやかだった。球場では少年野球の試合をやっていた。私はバックネット近くの土手にすわり、見物することにした。

 ちょうど試合が始まるところだった。片方のチームは全員ユニホームで、道具なんかもそろっている。中年の監督が指示をしていた。もう一方のチームは出来たばかりのようで、服装はバラバラ、世話役らしい母親達はいるが誰が仕切っているのか分からない。

 両チームがグラウンドに出る気配はなく、何かもめている。ベテランチームの監督が審判に抗議を申し込んでいるのだ。新米チームには試合ができないルール違反があるようだ。審判はそんなに厳密にルールを適用したくはなく、試合を始めたいようなのだが、監督は頑として譲らない。新米チームの母親たちはそんな決まりがあることは知らず、審判から説明を聞いてもどうしていいか分からない。審判達は協議を始めた。

 どうやら、新米チームには試合をするだけの人数がいないらしい。九人はいるようなのだが、正式な試合にはもっとメンバーが必要なようだ。後日、私は解説書で調べてみた。ルールでは、試合開始五分前にホームベースの前で審判と両軍監督が打順表の交換をすることになっている。(もっとも、通常は三十分前ぐらいにするようだが。)打順表に載るのは九人だけ、指名打者をいれても十人である。もし人数の不足が問題になっていたのなら、打順表とは別にベンチ入りのメンバーを何人か登録しておかねばならない規則が少年野球にはあるのか。

 あるいは、もめているのは違ったことだったかもしれない。ユニホームとか、指導者の資格とか、道具の数とか、とにかくそういうつまらぬこと、野球をすること自体の妨げにはならないことが問題になっていたのだろう。

 ベテランチームの監督はメンバーの少年たちと審判の出す結論を待っている。審判が気づかなかった(あるいは気づいても無視しようとした)ルール違反を見逃さず、戦わずして勝利を得ることができるのだ。一番分かっているのは俺なんだというように得意そうに審判達を見やっていた。監督のいかにもセミプロらしいやり方に、チームの少年たちは優越感を共有しあって、いやらしい余裕を見せながら誇らしげに監督にまとわりついていた。私は腹が立ってきた。

「お前たち、野球をしたくないのか」

 私の叫び声に彼等は怪訝な顔を向ける。

「野球をするためにここへ来たんだろう。相手も野球をしたがっているんだ。汚いまねしないで、試合をやれ」

 彼等は私を無視した。変なやつが変なことを言っている。

 『キャプテン』という野球マンガのことに思い当たらないだろうか。主人公は野球の名門中学である青葉二中から野球落ちこぼれとして転校し、そこの野球部に入る。主人公たちは、よくある話の筋だが、野球に熱中し、練習し、うまくなる。やがて地区大会に出場した主人公たちは勝ち上がり、決勝で青葉二中と対戦する。全国大会で優勝を狙っている青葉二中は地区大会では二軍選手で勝ってきた。決勝でも二軍が先発するが、主人公たちに苦戦し、一軍とメンバーチェンジをしだす。何人かが交代したとき、主人公たちは交替の人数が規定を超えたと抗議する。青葉二中の監督は審判団に対して、ルールブックにはそんな規定はないと強弁する。(交替の人数を制限しているのはローカルルールなのだろう。)審判団はそれを認める。言い分を通してベンチに帰った青葉二中の監督に、選手が「よかったですね」と声をかける。監督は「お前たちのせいで恥をかいた」と怒鳴り返す。全員一軍になった青葉二中はなんとか勝つ。そんなストーリーだった。(マンガの展開では、後で監督の強弁が問題になり、再試合が行われ、今度は主人公たちが勝つ。)

 審判団は協議の結果、ベテランチームの監督の抗議を受け入れ、新米チームを失格とした。しかし、新米チームの子供達の気持ちを配慮して、練習試合という形でゲームをすることを監督に要請した。監督はこの試合の勝敗が正式なものでないことを確認した後、承知した。

 審判団の判断に私の叫びが影響を与えたということはないだろう。分別のある人間なら誰もが下すであろう妥当な判断である。また、監督の態度に私の叫びが何らかの作用を及ぼしたということもないだろう。彼の主張は通ったのであるから、彼がよほどのボンクラでないかぎり、練習試合まで拒否して少年スポーツの指導者としては不適切な冷酷な人間であると思われるのは避けるはずだ。

 けれども、私の叫びが耳に入ったとすれば、彼等は彼等が判断を下そうとしているトラブルの正しい解決の仕方を、彼等を見ている何者かの声として聞いたのだ。

 試合が始まった。私は満足して経過を見つめた。むろん新米チームはコールド負けをしてしまった。だけどそれが何だというのだ。大事なのはゲームをすることだ。たとえそれが正式なゲームと認められなくとも。

 私は立ち上がり、家路についた。その日のことが私の気持ちを変化させ、母との関係を好転させた、というようにはならなかった。世の中、そんなにうまく行くものではないよね。

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