井本喬作品集

木を切る

 母が死んでから庭の木や表の生け垣は放ったらかしである。母は夕方になると台所の外にある水道栓につけた長いホースで木々に水をかけていた。私はその作業を受け継がなかったが、木々は枯れることなく繁っている。雑草も生え放題で、あまりにひどくなると思い立って草むしりをするが、根の深い草までは取りきれない。夏になると椿に小さな毛虫が群れて葉を食い尽くしてしまう。薄紫色の羽の小さな蝶が飛んでいるのでそれが成虫のようだ。椿の一本は枯れて再び芽を出すことはなかった。

 隣家の迷惑にもなるので、伸び過ぎた木々の枝は切っている。庭木の手入れは好きではないが、徹底しないと気のすまない性格なので、やり出すとなかなか切り上げられない。用心して長そでのシャツをきるのだが、虫のせいか木そのものの防御作用のせいか、腕や体に赤い発疹がでる。シャワーを浴び、着ていたものを洗濯する。刈り落とした枝葉をゴミ袋に入れたり、使った道具に油を引いたりの後始末もしなければならない。結局、一日が潰れてしまう。それでも手を入れた後を見ると満足感がある。

 生け垣はウバメガシである。秋になるとドングリが落ちていて、どこから転がってきたのだろうかと不審に思ったりしたが、ウバメガシも樫なのだった。伸びたところを揃えるような刈り方をしてきたせいで、だんだん丈が高くなって上辺は脚立でも届かないほどになっていた。枝は横にも伸びて道路を狭くしていた。気になっていたのでこの春に思いきり刈り込んだ。ハサミでは切れないくらい太くなった枝はのこぎりで切った。裸にしてみると枝が複雑にからみ合っているのが分る。下枝も刈ってすこし整理した。今年は梅雨が早く、雨の多い年になるかと思っていると、七月になって晴れが続き、八月は猛暑だった。一番よく繁っていた端のウバメガシが枯れ始めた。雨不足のせいかと思っていたが、よく見てみると小さな蓑虫が多数取りついて葉を食い荒らしていた。見つけられる限り蓑虫を取除いた。小学生の頃、授業の一環として裸にした蓑虫にちぎった色紙を与えてきれいな蓑を作らせことがある。それ以来蓑虫には親近感があり見つけてもそのままにしておいたが、今回は一センチにも満たない小さなやつは踏みつぶし、大きいやつは道路の向いの線路の側溝に投げ捨てた。蓑虫は門が作っている空間を越えて次のウバメガシにも移動して来た。薬はあまり利き目はないようだった。見つけだしてつまみ取るほかない。根気よく続けると、すぐに食べられてしまっていた新芽がようやく育ち出す。

 庭木や生垣の世話は私にとって重荷である。そういうものがなくたってかまわないし、ない方がすっきりする。しかし、なくそうとは思わない。木や草花などには興味はなく、名もほとんど知らないけれど、多くの人がそうであるように、私もそれらを保護しなければならないという強迫観念の虜である。自分とは直接には何の関係もないことではあっても、自然という共有財産が侵害されることに対しては冷静ではいられない。誰かが何かの目的で(どうせよからぬ目的であるに違いない)桜の木でも切り倒そうものなら、そういう人間を極悪人とみなす。

 この春から新しい職場に通っているが、通勤路にちょうどいい裏通りを見つけた。主道は真っすぐな坂道だが、それから分岐して並行するように家々の間を細い道が続いている。この辺りは住宅街で、アパートやマンションも多い。その道は車が通れないので直接の開発からは免れているが、表通りからの蚕食が届いているところもある。道は、古い住宅、新しい住宅、アパートの裏側、マンションの塀、墓地などの間を、入り組んだ敷地の境界となって不規則な曲線を描いている。

 その道に入ってすぐのところに古い平屋の家があって、よく手入れされた小さな庭に梅の木とみかん系の木がある。その隣は空地で草が生え粗大ゴミが置きっぱなしになっているが、中央にイチジクの木が残っていた。春、梅には小さな白い花がたくさん咲いた。夏が近づくともう一本の木に夏みかんのような実が黄色くなった。空地のイチジクにも実がなり、鳥から守るためか茶色い網がかぶせられた。職場の行き帰りに私はそれらを見ていた。夏のある日、平屋の家が壊され始め、何日かすると木も切られて更地になってしまった。隣の空地もきれいにならされイチジクの木もなくなってしまった。しばらくそのままになっていたが、秋になると平屋のあったところに新しい家がせせこましく三軒建ち出した。隣の空地はそのままで、駐車場にでもなるのだろうか。

 以前ならば、型通りに私は切り倒された木のために怒り悲しみ、金儲けという以外に何の意味もなさそうな家を建てる行為を侮蔑しただろう。しかしそのとき私自身も庭の木を切ろうとしていた。私の家は阪神大震災で傾き一部が壊れた。補修の際に庭に面した部屋を立て替え拡張した。そのため一本の木が建物に近くなり邪魔な位置に立つことになってしまった。隣家との間の通路を通って庭に出ようとするとその木が立ちふさがっている。体をよじって通り抜けねばならず、枝を避けるために頭を下げなければならない。建物の壁に寄せかけてある物置への出し入れにも身をかがめる必要があった。その不便さを取り除くためにはその木を切ればいいことに最近気づいたのである。

 それまで木を切るなどということは思いもよらぬことだった。その木はひのきの種類の木で、樅、ヒマラヤ杉と三本並んでいた。(よく覚えていないのだが、後の二本は私たちが幼い頃クリスマスツリーとして買われてきて植えられたのが成長したもののようだ。)その木は他の二本に比べて細く、だいぶ後になって植えられたのだろうが、その経緯は忘れた。幹が細いままにのびて葉を繁らしたので少し傾き、土地の傾斜の関係か土が削られて根が一部現れていた。順調な育ち方をしていない、いわばやっかいものではあったが、庭木として植えられ育ったものを切ってしまうなんて残酷なことは考えたことはなかった。たとえ邪魔な位置になったとしても、多少の不便は忍べばいいのだ。そう思い続けていたのだが、気が変わった。

 木を切った。のこぎりで根元から切り倒し、根はくわで掘り起こした。切った木は枝を切り払ってゴミ袋に入れ棄てた。掘り起こした跡は埋めた。木がなくなってしまうとすっきりするかと思ったが、今まで隠されていた隣の家の壁がやたら目につく。空間というのは周りにあるものによってしか認識できないのだから、得られたものを確認させてくれるのがそういう景観であるのは仕方がないだろう。

 通勤路に新たに建てられている家が段々形をなしていく。私は傍を通り過ぎながらそれを眺める。俗悪に思えた構造物が違って見える。そこに住む人にとっては慰安を与えてくれるわが家なのだ。新しい家に住み快適に暮らしたいという気持ちを誰が否定できるだろうか。その気持ちを満たすための開発は罪悪だろうか。

 木を切った庭の一画はあっけらかんとして間の抜けたようになった。以前はさえぎられていた日の光が満ちている。その空間は私の自由になった。体をひねることなくそこを通ることができ、身をかがめなくても立っていられる。必要だと思えば何かで飾ることもできるだろう。木を切ったことで後悔しはしなかった。切ってしまいたい木はまだある。だが、木を切ることに平気であるまでにはなりきれていない。

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