ブタナ
6月の下旬、遅かった梅雨がそろそろ始まりそうな曇りの日、買い物の帰りに店の傍の公園に寄ってみた。この公園は地面が芝に覆われた針葉樹主体の疎らな林になっている。緑は濃くなったが、まだどことなく新緑の気配を残している。
短く刈り取られた芝が地面のなだらかな凹凸を表現している中に、いつのまにか黄色い小さな花が咲いている。長い茎の先の一輪だけの花が適度に散らばっていて、茎も緑色だから、まるで地表近くの宙に漂っているようだった。
この花の名前は知っている。ブタナというのだ。何ともひどい名だが、外来植物で、原産地のフランスでは「豚のサラダ」と呼ばれることもあり、そこからこの和名となったらしい。別名タンポポモドキ。タンポポと同じように綿毛で播種する。
この花の名前を知ったのは最近だった。それまで私はそれをキンポウゲだと思っていた。キンポウゲについてはあいまいな知識しかなく、調べて確かめたのでもないのだが、その響きの良さは平原に黄色く咲くこの花のものだと、何となく思い込んでしまっていた。
この花をそれとして見たのは、ちょうど二十年前の6月中旬だった。蒜山郷土博物館近くの草地にこの花が咲いていて、そこでCの写真を撮ったのだ。写真の中の彼女は陽を避けるためにつば広の帽子をかぶり、「キンポウゲ」に囲まれて幸福そうだった。
それがキンポウゲではなかったというのは、皮肉にも思える。彼女の周りを彩っていたのが、キンポウゲではなくブタナであったのなら、彼女の幸福そうな姿も実は間違いであったということなのだろうか。その後いろいろあって別れてしまったので、結果的には事実としてそうなってしまったのだから、そう言えるのかもしれない。
Cとはその前年のやはり6月中旬に、岡山県北西部を旅したことがある。鯉が窪湿原目指して哲西町を走っていたとき、道の両側によく目立つ黄色い花が続いていた。何という花なのかその後ずっと分からずにいたのだが、その名も最近知った。オオキンケイギクという、これも外来植物で、特にタチが悪いので特定外来生物に指定されている。
ブタナにしろオオキンケイギクにしろ、その名が分かるようになったのは、ネットとスマホのおかげである。ネットで検索するか、それが難しければスマホの検索アプリで実物を特定する。便利な世の中になったものだ。
もう一つ考えられることとして、ブタナやオオキンケイギクが繁殖範囲を拡大させていて、日常見かける植物になったことがあげられよう。中国地方から近畿への侵入という過程があったかどうかは分からないが(近畿より中国地方の方が早く侵入されたのかどうかも知らないが)、阪神間のこの辺りでも開花時にはいたるところで見かける。
外来種であり、在来種を圧迫していることを思えば、きれいだとは言っていられない。もっとも、オオキンケイギクは花の色の鮮やかさと繁殖力の強さが珍重されて、わざわざ人間によって導入された。ブタナは輸入品に紛れ込んで入国したようだ。花の色がきれいなので、人間たちが容認してしまったところがあったのかもしれない。根から引っこ抜かねば除去の効果がないので、もはや駆除するのは困難のようでもある。しかし、それでも排除の気持ちは維持せねばならない。
とはいえ、公園のこの景色を嘆かわしいとして嫌うまでにはならない。名がブタナであろうが、外来植物であろうが、きれいなものはきれいなのだ。この景色が偽物であり、あるべき本来の姿ではないとしても。
取り囲んでいたのがキンポウゲではなくブタナであったとしても、あの時のCは幸福そうだった。その後の経過がどうであれ、その幸せはそこにあったのだ。そして、カメラを持ってそれを眺めていた私にも。ブタナは二人を祝福していた。
この公園の景色が私を引きつけるのも、ブタナを介して、幸福そうなCと結びつくことができそうに思えるからだ。ときとところを越えて、青い空の下で。