否定と疑問
通信事業者のテレビCMに、「キビ団子って、力、出なくない?」というセリフがあった。この言い方に違和感を覚えたので、理由を考えてみた。ただし、私は文法に詳しくはないので、単に日本語話者としての語感による感想である。
若者言葉に「~くない?」を末尾につける語法がある。通常そのような場合は「~ない?」を使い、上接の語は連用形である。たとえば、「美しくない?」とか「きれいでない?」というように(ただし、大阪地方の方言では「美しない?」、「きれない?」と言うこともある)。
若者言葉の「~くない?」の「く」は形容詞の連用形の語尾と考えらえる。形容詞や形容動詞ならば連用形がとれるが、名詞を連用形化するためには、通常、助詞「だ」をつけて、たとえば「春でない?」とする。あるいは、「~らしい」とか「~っぽい」をつけて、「春らしくない?」、「春っぽくない?」とする。しかし、いずれも「春である」という状態を表現しきれていない感じがする。
「~くない?」を一般化して、上接する語を形容詞化するという用法にすれば、上接する語は活用する必要がない。「春」を「春い」の語幹と考えれば、「春くない?」である。形容動詞についても語幹に上接させて「きれいくない?」とする。
形容詞についてはこの操作の結果は平常表現と同じであり、面白くない。ならば、逆に形容詞の終止形を名詞化して「~くない?」に上接させ、「美しいくない?」としてはどうか。「春」も「春いくない?」となる。動詞についても終止形を上接させ、「動くくない?」「走るくない?」とする。
この用法が若者言葉で使われているならば、「出る」は「出るくない?」となるであろう。それゆえ「出なくない?」は若者言葉ではなさそうである。
さて、「~ない?」をつけるのは、上接する語や文が真であることの同意を求める語法である。自身の判断の妥当性を相手の判断によって補強したいときに使われる。「~違う?」と同じ使い方である。ただし、文字表現では区別できないが、発話ではアクセントなどで話者の判断の確信の強さの程度を表現し得る。たとえば、「赤くない?」は、「赤いはずだ」と「赤いはずだが赤くはないのか?」とのどちらにも使える。「出ない?」も「出るはず」、「出ないのかな」のどちらにおいても使える。
また、「~で(は)ない?」という語法もある。「~ない?」よりもやや否定の確認の傾向が強い。植木等の有名なセリフ「お呼びでない?」は「お呼び」の否定の確認であるが、状況により肯定の確認にもなる。「赤(なの)で(は)ない?」、「出る(の)で(は)ない?」も同様である。
ところで、「~なくない?」というのは二重否定(つまり肯定)を疑問形にしているのだが、「~ない?」と同じ作用をする。しかし、末尾の「~ない?」が、たとえば動詞の否定形を確認しているのか、「~なくない?」で語幹の確認になるのかの区別がつきにくい。
「力、出なく」+「ない?」 → 「力、出ない」を確認
「力、出」+「なくない?」 → 「力、出る」を確認
「~で(は)なくない?」も「~なくない」と同じような機能を持っている。ところが、「出なく」と「でなく」が同音なので、「力、出なくない?」と「力、で(は)なくない?」のどちらなのかは発話では判然としない。
私が「力、出なくない」に違和感を覚えたのは、このような多様な発話の解釈に迷ったからである。
言葉は、文法を含めて、感覚である。言葉は論理的に考えるより先に意味が分かるのである。意味が分からない時に初めて論理が必要になる。論理的に考えようとするのは意味がはっきりとつかめていないからだ。
また、私の戸惑いはCMの文脈や状況からではどの答えが妥当であるのかはっきりしないかったことにも原因がある。話者の意図の理解には、文脈や状況を手がかりにして、言葉だけでは得られない情報を得ることが大きな助けになる。
結局、このCMの「力、出なくない?」は、私には「力、出ない」の確認のように聞き取れた。