井本喬作品集

青と緑

 青信号の色がなぜ「緑」なのかという疑問が解かれぬままにこの歳まで過ごしてきたが、答えはとっくに出ていたのである。『日本語の歴史 青信号はなぜアオなのか』(小松英雄、笠間書院、2001年)にその解釈が載っている。乱暴に要約すると、日本語では青は赤とセットになっているのである。著者のあげている例は、赤鬼/青鬼、赤カビ/青カビ、赤紫蘇/青紫蘇、赤蛙/青蛙、赤鉛筆/青鉛筆など。さらに、青葉、青菜、青海苔、青物、青りんご、青桐、青竹、青豆、青畳、青虫、アオミドロ(青水泥)、青二才、青ビョウタンなど、青には未成熟という含みがある。上記の例にあげられた対象の色はほとんど緑である。青はブルーと同じではない。ブルーといえるのは「青空」、「青鉛筆」ぐらいである。ただし、青は緑であるというのも妥当ではないようだ。

 衝撃的だったのは、(絵や着ぐるみの)鬼やモリアオガエルや青りんごが緑色であることに私が違和感を持ったことがないことだった。青信号でさえ他から情報を得ていなければ違和感はなかったろう(信号が取り上げられがちなのは、英語ではgreen lightとされているかららしい)。

 変だなと思ったことはある。「青い山」という表現はあるが、近くで見る山はほぼ緑色である。ただし、遠景の山は、光の屈折によるらしいが、青く見える。それで一応納得していた。青山(せいざん)には墓地の意味があるらしい。中国でも山は「青い」のだろうか。アオと青も同じではないのだろう。また、山の色は植生や気候によって様々に解釈されるはずだ。

 言葉が実態に合わないと意識されるのは、外国の文化・言語との接触がきっかけになる。古くは朝鮮、中国、近世にはポルトガルやオランダ、そして幕末の開国。色鉛筆が日本に入ってきたとき、伝統的な赤青の組み合わせが取り入れられたが、多くの色の整然とした配置という観点から、青はグリーンではなくブルーであるという意識が働いたのだろう。青鉛筆が緑色になっていたとしても、私たちは違和感をもたなかったのではないか。

 これらについては多くの人が承知しているだろうから、いまさら私がどうこう言うことはない。ただ、ずっと以前から気になっていたことと関連するので取り上げてみたのである。

 第二次世界大戦では飛行機が重要な役割を果たした。私も少年期は軍用機に興味を持ち、模型(現在ではプラモデル)も作った。日本と米国の戦闘では、飛行機の戦場は主として海上であった。戦時中に、日米の軍用機は、上空からも下界からも発見されにくいように、上半分を海の色に、下半分を空の色に同化するような塗装に変更された。下半分には白か灰色が採用された。空の色は必ずしもブルーではなく、雲もある。上半分は日米で対応が分かれた。米軍は青系を、日本軍は緑系を採用したのである。

 日米で色が分れた理由については、よく調べれば分かることではあるが、ここでは個人的見解を述べる。だから、それが妥当なのかどうかは不明である。

 海の色も地域や気候によって変化する。だから、どの色が海の色に近いかの判断は経験的なものだろう。むろん文化的な背景もある。基本的には、光の反射かげんで、浅い海はエメラルドグリーン、深い海はコバルトブルーになるようだ。浅い海には有機物が多いので、これも緑に見える原因になる。

 ということは、日本軍は沿岸部の比較的浅い海域を主な行動範囲と想定し、米軍は太平洋中央部の比較的深い海域を主な行動範囲と想定していたということになる。実際の戦闘においてどちらが有効だったかは分からないが、日本軍の劣勢に機体の色の違いが影響を及ぼす余地はなかった。

 では、私たち日本人が見ている「青い海」とは、緑色の海なのだろうか。

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