井本喬作品集

労働(アルバイト)の日々

 入学して二回目の夏が来る頃には、私は大学をやめて働こうかと考えていた。大学で学ぶことが我慢のならぬほど下らぬことに思えた。他の学生たちが居心地よさそうにしているのが私には不思議だった。働くことが安定した位置を与えてくれるのではないかと、私は期待した。

 働くのが格別に好きだったというのではない。しかし、青春の常として、考えることがいやになると肉体的行為を賛美したくなるものだ。そんなわけで、夏休みのアルバイトが百貨店の商品発送という職種しか選べなかったことにさほど失望しなかった。

 アルバイトの最初の日、私は新しい環境に対する不安を感じながら出かけた。神戸の西をエリアとする配送センターだった。受付で聞いて食堂へ行った。既に多くの者がすわって話をしたり押し黙って時計を見つめたりしていた。十五分ばかりして女の事務員と幹部らしい男、それに数人の男が入ってきた。さまざまの事務的な手続きの後、私が配属されたのは商品の仕分係だった。

 仕分係になった者は仕分け場へ連れていかれた。建物の一階が広いプラットホームになっており、十数本の柱の他には遮蔽物はない。駐車場に面して荷物の積み出し口があり、そこにトラックが荷台をつける。三本のベルトコンベアーが荷物を乗せて走っており、各地域別に取り出されてトラックに積まれる。建物のもう一方の側は、砂糖や酒などの商品別に区切られた包装場だった。

 私を含めた三人が、一つの区分けのところでそこの責任者らしい男に引き渡された。私たちを連れてきた上司らしい男に、その男は私たちが経験がないことについて不平を言った。私は侮辱されたように感じた。上司らしい男は私たちを置いて、他の者を引き連れて行ってしまった。

 私たちの監督者であるこの仕事場の責任者は、私たちをそのままにして、既に働いているバイト学生に何か話しかけていた。私たち三人はなすこともなく立っていた。しばらくしてからその男は私たちの方へ来て、仕事の説明をした。こんな場合の常として、一応の話の後にとりとめもない注意がいくらでもつけ加わる。

 私たちの仕事は、コンベアで流れてくる商品のうち、受け持ち区域宛のものをより分けて、ボテと呼ばれる大きな箱に入れておき、トラックが来たら積み込むのだ。

「ま、当分見てな」とその男は言った。

 しかし、私たちはただつっ立っているだけの状態には耐えられなかった。もっと図太かったなら、神妙な顔をしながらも、この待遇に満足を感じたかもしれない。しかし、私たちは役立たずとして仕事に参加させてもらないでいることが不安だった。早く仕事になれて与えられた自分の役割を果たしたかった。

 そこで私たち新米はおずおずとコンベアの前に立ち、流れてくる商品の一つを取り上げては長い間かかって仕分けした。先輩たちは私たちの存在をむしろ迷惑そうにし、私たちを無視した。そして、私たちの見逃した商品を勝ち誇ったようにコンベアから取り上げ、むとんちゃくに相棒に投げ渡した。

 先輩たちは各人の役割を分担し、仕事はスムーズな流れとなって遂行されていた。私たち新米はコンベアからボテへとうろうろするばかりで、分業の全過程を一人でぶざまにやっていた。

 昼休み、私は屋上に上がってみた。コンクリートの床は日が白く照り返っていた。近くの幹線道路の車の通行の音が重く響く。たくましい体格のバイト学生たちがソフトボールをしていた。彼らは場なれていて、シャツの裾を出しボタンを外ずし、上半身裸の者もいた。彼らは笑い、自信に満ち、ゲームを楽しんでいた。生きることにおいて私は彼らに劣っているのだろうか、そんなふうに思ってしまう。

 午後になると私たちも分業の中に、全面的ではないが、組み入れてもらうことが出来た。その日はそんなことで終わってしまった。

 次第に私たちはなれていった。初めのうちはコンベアの前に立って流れていく商品を見つめていると、チャップリンの映画のように、機械に従属させられる労働者のカリカチュアになったように感じることがあった。しかし、だんだん能率が上がり出すと、仕事に対する誇りめいたものが生まれてくる。次々と流れてくる商品を間違いなくまた見逃すことなく手早く拾い上げる。とても入りきれそうもない数の商品をうまくボテに詰めそして積み上げる。私たちは先輩と同じようなベテランになったと感じる。コンベアの前で余裕を持って商品の流れを見つめ、片手でちょいとつまみ上げたり、退屈そうによそ見をしながら確実に商品を捕らえる。そういう気取りによって自分の熟練ぶりを示そうとする。そして新人が来ると、どなったりお節介をやく。見学者がきたりすれば、無関心を装いながら、手際のよさを強調する派手なアクションを見せる。

 しかし、その時期も長く続かない。仕事の内容が単純であり単調であるのですぐにあきてしまうのだ。新人はもう増えず、中元商戦の初期に多かった見学者も来なくなる。

 私たちの仕事の内容そのものが達成感を持続させない。私たちは何かを作り出しているわけではない。私たちの仕事の成果である商品の山はそれ自体では意味のない堆積でしかない。いかに商品を多く高くみごとに積み上げたところで、すぐにトラックに運ばれて消えていく。壊されるために待機しているものを巧妙に作り上げたところで何になろう。そのことが私たちの労働を苦役にしてしまう。

 私たちは苦痛と疲労をもたらすコンベアの動きを憎むようになる。コンベアの止まるのを心待ちする。流れる荷物の少なくなった頃を見計らって、コンベアが止まり、スイッチの傍にいる男が、5とか10とか書いた板を先につけた棒を振る。それが休憩の時間の長さを示しているのだ。コンベアが止まると、たくさんの顔が突き出てどの数字が振られるのかを見守る。多くの場合5か10であるので失望のつぶやきが起こる。たまに15が出ると喜びの歓声が上がる。

 休憩は貴重だった。何もせずにただ時の経過にひたる。労働というものがこのような時を作るために必要であるというならば、私たちは何というぜいたくなことをしていることになるのだろうと思った。

 流れてくる商品のうち缶やびんは重かった。特にビールびんのケースはみなに嫌がられた。ビールびんのケースがコンベアの上にあるのに気づくと、それが自分達の区域宛でないことを願う。近づいてきたそれの宛名のラベルをみるのは、くじをひく気持ちに似ていた。ごくたまに、商品が破損することがある。液体のものは包装がぬれているので分かる。ビールびんもわれていることがあった。床にもれたビールはおがくずで吸収する。ビールのにおいがあたりにただよう。割れたびんに残っているビールをもったいないからと飲むやつもいた。時には、割れてないびんを開けてしまうこともある。ささやかな横領。

 私たちは昼寝をすることを憶えた。コンクリートの床は夏とはいっても冷えるから、段ボールの箱をこわして開いたものをしいて横になる。床は簡単な掃き掃除をするだけだからホコリだらけだった。私たちの作業着(自前のシャツとズボン)は仕事でよごれていたが、床に寝ることでますます汚くなった。誰もそれを気にしなかった。静まり返った真昼に床で寝ることは、逸脱の心地よさがあった。積み出し口にすわって話をすることもあった。ときどき駐車場に水がまかれた。私たちは黙ってそれを見つめていた。夏の午後がものうく過ぎていく。

 私たちの働いている建物の通りをはさんだ向こう側は、どこかの会社の所有しているグラウンドで、そこで毎日子供たちが野球をしていた。私たちはそれを見て勝手な批評をしていた。そのグラウンドへ子供たちは金網の破れたところから入り込んでいた。ある日、その穴は鉄条網でふさがれた。しかし、翌日には、鉄条網は両側に寄せられて再び穴はあいていた。私たちはそれを見て笑ったり感心したりしていた。

 数日後、数人の男たちが細長い鉄管とボンベを持ち込み、何やらやりだした。私たちは何だろうとささやきあい、結局ちゃんとした入口を作るのだろうと結論した。私たちは満足した。けれど、午後になってみると、鉄管を溶接して徹底的に穴をふさいでいるのだということが判明した。私たちは口々にののしりあった(作業者に聞かせるのではないが)。ああまですることはないだろうに。その共通の怒りの快さに私は酔った。

 不思議なことに、重労働と眠り食うだけの日が続くと、女たちに対しての興味が露骨に意識されるようになる。私たちはよく伝票係の部屋に行って、アルバイトの女子学生と話をした。男と女は職場が違うので、接触する機会があまりない。私たちは彼女たちへの興味を隠さず話あった。

 私は一人の娘を気にしていた。それは私の秘密だった。美しく物静かなその娘は、私たちの話題によくのぼったのだが、まだ誰も親しくなったことがない。たぶんその物腰が近より難いものを感じさせていたのだろう。

 伝票係の娘達は彼女たちの仕事場である二階から、伝票を取りに私たちの仕事場へ下りてくる。彼女たちは伝票を運ぶための小さな段ボールの箱かポリバケツを持っている。私たちが流れてくる商品から外した伝票を、彼女たちが整理をして輸送係に渡すのだ。私たちは彼女たちに会えるのでそれが楽しみだった。

 ある日、私は仲間と交代してコンベアから離れ、品物もあまり流れてこないので通路まで出てボテによりかかってぼんやりとしていた。そこへあの娘が通りかかった。彼女は私の前で一枚の伝票を落とし、気がつかずに通りすぎた。私はひろい、彼女を呼びとめた。彼女は私を見、戻ってきた。私は彼女を見つめながら伝票を渡した。彼女は礼を言った。それだけのことにしては、お互いを見つめあう時間がほんの少しだけ長いように私には思えた。私は彼女の後姿を見送りながら、期待を持った。

 それからは私はしばしば通路にたたずみ、彼女が通りかかるのを待ち受けた。彼女が姿を現わすと、私たちはお互いを見つけ、次の瞬間には目をそらす。私はもう彼女の方は向かないが、意識は彼女に集中し、近づくにつれて心臓の鼓動が早くなる。彼女も下を向いて私を見ようとしないが、私の存在を気にしていることは確かだった。

 あるとき、昼休みにいつものように伝票係の部屋へ行き、おしゃべりをしていた。わたしは、彼女が一人ですわっている机の向い側にすわった。私と彼女の間には伝票の整理棚があって、お互いを隠していた。私は棚と棚のすき間から彼女を見ようとした。彼女はそれに気がついた。けれども彼女は避けようとはせず、すわり直した。そして、その美しい横顔を私に見せたまま動かなかった。私は仲間たちとおしゃべりをしながら、彼女を見つめていた。

 それは甘美な時だった。一人の美しい娘が私のために奉仕してくれたのだ。私は素直にそれを受け取った。私はもうろうとした気分になり、ただ彼女と私しか存在しないように感じていた。けだるく空気をかきまぜる扇風機、影のようでしかない他人の存在、明るい午後の陽光、それらが私の意識をぼんやりと包み、その中心に彼女がわずかに首をかしぎ、静かにすわっている。私は満ちたり、それ以上の望みといえば、この瞬間が永遠に続いてほしいということだけだった。

 私たちの直接の監督をするこの職場の責任者はMといった。陽気で、実行力もありそうで、三十すぎのいい男だった。彼は私たちの集まる場所では中心人物だった。彼は自分に関する様々な話をした。転々とした職業の話、身内の話、女の話など。彼は自分のデタラメな所行を話してみなを笑わせた。

 彼はみなから好かれていたらしい。私はあまりいい感じを受けなかった。彼の同僚の地味で黙々とした動きに比べ、彼はあまりに明るく、あまりにうまく立ち回った。

 妻子があったが、Mは女に対してはあからさまだった。女事務員たちに対してよく冗談をいい、ときには尻をたたいたり、ふざけて取っ組み合ったりした。私が残業で遅くなった日、帰りの電車の中で、彼が娘盛りを過ぎたちょっと顔のいい女事務員と一緒にいるのを見かけた。彼は女にかぶさるようにして熱心に話しかけていた。女の方は首を振っていた。私は気づかれないようにそっと車両を移った。

 その日、私たちが娘たちの話をしているとき、Mが来て加わった。私たちは娘たちの批評をし始めた。彼女の話になると、Mが聞き返した。知らないというのだ。私たちは得意になって説明してやった。

 休憩が終わり、私たちは仕事を始め、Mはどこかへ行ってしまった。私はコンベアの前に通路の方を向いて立ち、商品の流れを見ていた。通路に彼女の姿が現れた。外の明るい光を背景に、立ち止まってこちらを見た。逆光なので彼女の顔つきは分からず、私に気づいているかも定かでない。彼女のスカートが透けて見えた。広げられた足が、両方の足首から黒くすっと上にのびて一つになっている。彼女は動かずにその姿勢のまま作業を見ているようだった。彼女の姿勢の力強い構図にもかかわらず、何だかたよりなげに思えて、抱きしめてやりたくなった。

 それからしばらくして、伝票を届ける用事があったので、私は二階に行った。彼女に会えると思って私は走った。部屋に入ると彼女はMと親しげに話をしていた。Mがにやにやしながらささやくと、彼女は身をよじって笑い出し、Mにしなだれかかった。私は打ちのめされた。

 私は何もかもいやになってしまった。彼女も、仕事も、薄汚れたシャツやズボンも、昼寝も、そして仲間たちさえも。私はコンベアに戻った。こんな仕事は下司のやることだ。しょせんは肉体労働にすぎない。精神的な何かを与えてくれるはずはない。

 さらに私は落ち込んでいった。肉体や精神がどうだというのだ。要するにお前は自分の思い通りにならない他人が嫌いなのだ。そうかもしれない。私は流れてきたハンケチの包みを取り上げると、ボテめがけて思いっきり投げつけた。

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