守銭奴
1
進化論や遺伝学などは、人間は本質的に浪費家であると教えている。人間という種が成立したとき、彼らの必要としていた資源は食料だけであった。保存の方法を見つけるのはもっと後のことであるので、食料を残したところで腐らせてしまうだけである。また、見つけたときに食べなければ、今度いつ食べられるかの保障はない。だから手に入れたものは全て消費し尽くすのが人間にとって最適な行動であった。人間はその頃から遺伝的にはほとんど進化していないので、消費を明日にのばすということは人間の生得的な能力にはなしえないことなのである。
経済学者は人間が合理的に行動すると信じているし、その信念に矛盾するようなのだが、人間は合理的に行動すべきだと言っている。合理的な消費というのは、いまの消費と、いまの消費をあきらめることによって得られる将来の消費を、どのような割合にするかを判断することである。経済学者に言われなくとも、私たちは将来のことを考えなければならないということは分かっている。しかし、私たちは遺伝的に現在に縛られている。問題なのは、将来の私が現在はいないということである。将来の私がいま私の前にいて自分の権利を主張しない限り、私はいまを楽しむ。
そんなことをやっていたのでは、人間は余剰を作りだせず、文明を発生させることは出来なかっただろう。「現在」からほんの少しでも離れることができれば、この恐ろしくて気紛れな世界に放り出されている自分の危うさに気がつく。しかし、将来に備えるという、浪費家の本性に外れるような行為は、合理的な判断では決してなし得なかったろう。「現在」への執着に太刀打ちできるのは、衝動の力しかない。たぶん、将来の私は不安という形で現在に立ち現れる。不安が、明日の自分を確かにするために備えなければならないという思いを起こさせる。そのことに遺伝的な根拠があるのどうかは分からない。分かっているのは、それがケチという俗称を持っていて、時には守銭奴と呼ばれることだ。
2
鹿田氏の人格が分裂するきっかけとなったのは、彼の普通預金口座が分割されたことである。彼の勤め先の取引銀行が彼の職場に現金引出機を設置し、他の銀行を利用している者に給与振込みの口座分割を勧めた。鹿田氏の口座のある銀行は勤め先の近所にはなく、帰宅途中に寄ろうとしても午後六時を過ぎてしまうことが多くて不便を感じていたので(ご存じのように六時を過ぎると手数料がかかる)、勧誘に乗って小遣い分の金額を別口座に振込むことにした。
鹿田氏は自分のことをケチだとは思っていない。ケチとは何だろうか。必要な物さえ購入しない人のことだろう。しかし、何が必要かはその人の判断によるものである。何を買うか買わないかは個人の勝手であり、他人の口をはさむ余地はない。経済学者は予算制約下において効用を最大にするように、つまり使えるカネは全て使えと言っているが、欲しいものを全て買ってもカネが残ったなら、欲しくもないものまで買う必要があろうか。そもそも経済学とはアメリカ人のお気に入りの学問であり、奴らは借金しても消費しようとするような連中なのだ。不況の中でも不況だからとみなが貯金してますます不況に陥るような日本とは違うのだ。
何か買いたいものがあってためているというのではなく、使わないで残ったカネが少しずつたまっていく。鹿田氏は通帳の残高が増えていくのを見て喜ぶ趣味はないが、たまったカネを何かに使おうとも思わない。高価だけれど欲しいものもあるが(たとえばクルーザー型のヨット、高原の別荘、アトリエのような大きな部屋のある家、台所とトイレと風呂つきのトレーラーハウス)、それがなければ辛抱できないというものではない。そういう鹿田氏であるから、使うカネに不足したことはない(言い忘れたが、鹿田氏は独身である)。だから、小遣いを制限しようと思ったこともないので、その月額を決めねばならないことに戸惑った。
まず問題になったのは、何を小遣いと見なすかだった。小遣いというからには教養娯楽費だろう。本代、遊興費というところか。誰かと一緒に外でする夕食は食費なのか娯楽費なのか。車は通勤には使っていないからその経費は娯楽費か。インターネットの料金は。テレビやパソコンを買い替えるとしたら。旅行はどうなる。趣味の用具、たとえばカービングスキー板とかは。
使途によっては分けられない、と鹿田氏は考えた。経常費と臨時費という使い方の形態の方が適当だろう。経常費というのは毎年毎月毎日決まっている支出。予測がつき予定が立てられる。食費、光熱費、通信費、被服費、理髪費、税金、保険料、駐車場料金など。二年に一回の車検料も。通勤費は勤務先持ちだが立て替え払いが必要だ。耐久消費材の買い替えのためには減価償却引当金のようなものが必要かもしれない。それ以外の臨時的出費を小遣いとみなせばいい。だが待てよ。慶弔費は臨時費か。事故や病気の出費はどうする。そんなものまで小遣いから回すことは出来ないだろう。
小遣いというからには、金額の小さな支出だ。一回が、まあ、一万円以下のもの。鹿田氏はその辺で妥協することにした。問題が起きればその都度考えればいい。鹿田氏は小遣いの額を決め、定期的な支払いや支払予定の分かっているものを集計し、収入から差し引いてみた。かなりの金額が残る。ボーナスを入れて一年の収支差額を出してみる。これほど残るものだろうか。計算があっているとすれば、今までは何かの漏れがかなりあったということだ。ちゃんと計画すれば残るものだ。鹿田氏は計算した数字しばらく見続けていた。
3
最初は順調であった。小遣いの金額を明確にしたことは、確かに支出の抑制になる。以前は独身の特権として給料の全てを自由に使っていたので、ついつい余計な出費をしてしまう。妻帯者の連中が決められた小遣いの制約に汲々としているのを哀れんでいたくらいなのだ。ところが小遣いの額を一定にすると、飲みに行く回数をきちんと決めるようになる。映画を見るか本を買うかを選択するようになる。車を使うとき、ガソリン代や高速代を考慮するようになる。結果、かなりの金額を貯蓄に回せた。
これが鹿田氏の蓄積本能(そういうものがあるとすれば)を呼び覚ますことになった。蓄積のための蓄積が喜びであることを知ったのである。蓄積のためには余計な出費は無用である。しかし鹿田氏は気の多い人間であったので、通帳の残高を眺める楽しみのために他の全ての欲望を放棄してしまうことは出来なかった。職場でのストレス発散のためには同僚と酒を飲むのが一番である。女性とならどんな付き合いの機会も逃したくない。テレビを見るのが一番安上がりだとしても、映画や本の与えてくれる喜びは別物だ。音楽だって聞きたい。車にも乗りたい。そのような様々の欲望を、鹿田氏は小遣い用の別口座に全て押し込めねばならなくなった。
小遣いの管理と貯蓄の金の管理とは、その動機というか欲望というか、事務的に言うならその方針が違っているので、どちらの側を優先させるかの選択に鹿田氏は苦しむようになった。鹿田氏は同時に二つの役割を操るよりも、交代にその役割を演じている方が効率的であることに気付くようになった。つまり、双方の言い分を争わせるよりも、その時々で一方の役割に没入してしまう方が楽なのである。境界の向こうとこちらで、相手のことなど気にせず好きなようにやればいいではないか。酒を飲んだり女に惚れたり遊び回ったりすることと、金のたまる楽しみにふけることとが平和共存できて、言うことはない。だが、そんなことが長続きするはずはなかった。
最初の破綻は、小遣が月半ばですっからかんになってしまったことから起こった。貯蓄を管理する鹿田氏の分身(以後鹿田A氏と呼ぶことにする)に対して、小遣いを使う鹿田氏の分身(以後鹿田B氏と呼ぶことにする)は援助を要請した。
「今月は特別な出費があった。葬式が一つあって、香典を出した。幸い披露宴には呼ばれなかったが結婚式があり、お祝いのほかに二次会の会費を取られた。」
「二次会など行かなければよかったのに。要は酒を飲むだけだろう。」
「あんたは付き合いの大切さを知らない。これは投資と考えるべきだ。」
「香典とお祝いは出そう。」
「それだけでは月末まで持たないよ。」
「自業自得だ。我慢するんだな。」
「結婚退職する職員の送別会の予定がある。出る義理がある。」
「何でもっと余裕を持って使わないんだ。仕方がない、三万円出そう。ただし、来月分から差し引く」
「きついな。」
むろん、次の月も同じことが起こる。鹿田B氏にしてみれば、もともと三万円少ないんだから足が出るのは当たり前。一時的に所得が減ったからといって同じ額で消費が減りはしないのは常識ではないか。しかし鹿田A氏は譲らず、少なくなるのは承知のはずであり、それだけ節制の努力をすべきである。今ここで不足額の補填を認めれば、この先支出の膨張はとめどがなくなる、と言い張る。
「では」と鹿田B氏は妥協案を出す。「借金させてくれ。」
鹿田A氏は困惑する。援助だろうと借金だろうと実質的に金が入ればそれでよいというのであれば、鹿田B氏の支出は締まらず、借金が増えていくのではないか。渋る鹿田A氏を鹿田B氏は脅した。
「嫌だというなら勝手にするさ。サラ金から借りるという手もあるんだ。」
「そんなことは許せない。どうせ尻拭いはこちらがしなければならなくなる。」
「だったら、考慮してくれてもいいじゃないか。」
「分かった。その代わり小遣いから利子を差し引く。返済が遅れたり、借金が増えれば、小遣いが減り続ける。」
「仕方がないな、了解。」
そして、しばらくは平穏が続いた。
4
鹿田氏は恋をした。彼とて木石ではないので、過去何回か恋の経験はある。しかし、今回のイカレ方は尋常でない。鹿田氏はぜひ結婚したいと考えている。そのための支出がいくら大きくても惜しいとは思わない。見返りの大きさに比べれば、金銭など何ほどのことがあろうか。
しかし、相手が悪かった。男を「手玉に取る」ことなどまなざし一つで出来る「手練手管」の持ち主である。付き合っているのは鹿田氏だけではないが、いかにも鹿田氏に気があるように思わせて、搾り取る魂胆。まともに見ればそんなことはありありと分かるのだが、まあこれも遺伝的に仕組まれた罠なので、愛嬌のある笑顔や生殖に適している体つきを無視することなど所詮無理な話。
恋は盲目で鹿田B氏は相手の欠点など気がつかないのだが、さすがに鹿田A氏は批判的にならざるをえない。小遣いの範囲内でやることなら、鹿田A氏とても文句は言えない。しかし、小遣いだけではとうていデイト費用はまかなえず、当然鹿田B氏は臨時支出を連続的に請求する。鹿田A氏とて男だから、相手を好ましく思う気持ちはあり、鹿田B氏を支援するのはやぶさかではない。しかし、出費が思いのほかの額にのぼるようになって、鹿田A氏は鹿田B氏に忠告しだした。
「貢ぐわりには効果がないのではないか。もし結婚できなければ、損失は大きいぞ。ほどほどにしてはどうか。」
「何を言う。ここでけち臭いことをしたら、結局何もかも失ってしまう。」
「見込みはあるんだな。」
「見込みの問題ではないだろう。欲しいものを得ようと思えば、代償が必要だ。タダでは何も手に入らない。どうしても金を出せないと言うならそれでもいいが、この恋を失うのは全てお前のせいだぞ。」
脅されても鹿田A氏は引き下がらない。
「たとえ結婚出来たとしても、彼女の経済感覚には大いに疑問がある。とうてい結婚後の家計を委ねることなど出来ない。」
「結婚すれば彼女だって変わるさ。」
「もし彼女の思い通りにカネを使って、スッカラカンになったらどうする。」
「そのときはそのときだ。」
「借金でもするのか。それでもにっちもさっちも行かなくなったら、彼女が一緒にいると思うか。」
「うるさいなあ。そんな先のことなど、どうなるか分からないじゃないか。そんな心配ばかりして、カネを抱え込んで、墓場まで持っていっても仕方がないだろう。」
「しかし、この通帳の残高の減り具合をみろよ。このままではせっかくためた‥‥」
鹿田A氏の繰り言を鹿田B氏は無視した。彼女の喜ぶ顔を見るのに、カネで済むならたやすいこと、命さえ惜しいとは思わないのに、と鹿田B氏はうそぶいた。
しかし、やがて破局が来る。通帳残高がゼロに近づき、給料日はまだ先で、財布には小銭ばかり、そんな折に鹿田氏が彼女のカネの使い方をちょっととがめたのだ。ほんのちょっとだけ。しかし、それが彼女の逆鱗に触れ、いや「カネの切れ目が縁の切れ目」とクールに判断したか、彼女は二度と鹿田氏に会おうとしなくなった。狂った鹿田氏が借金しても元のさやへと思ったとき、幸か不幸か、その女はどこかへ行ってしまい、鹿田氏の前から消えてしまった。
5
敗軍の将鹿田B氏は没落した。もう何の力も意欲もなく、呆然と日々を過ごすだけ。代わって鹿田A氏が支配権を確立した。失われたものを回復しなければならない。荒廃した王国を復興しなければならない。鹿田B氏の小遣い使用権は接収され、鹿田A氏が統一して管理する。鹿田A氏は徹底的に出費を抑え、毎月の小遣い相当額から余剰を出して回収することを目標にし、その余剰の額の大きさを喜ぶのであった。
例えば、一駅ぐらいなら、電車やバスを利用せずに歩く。歩くことによる時間のロスや、靴底の減り、エネルギー消耗による空腹などを考えれば、そういう判断が適切とは限らないだろう。しかし、鹿田A氏はそうは思わない。空腹は抑えればいいし、靴は合成なので使えなくなるほど底をすり減らすには一生かかりそうだ。浮いた時間がカネに代わるわけではなく、ヘタすると浮いた時間のためにカネを使うはめにもなりかねない。
鹿田A氏はカネをモノに変えることが我慢が出来ない。なるほど、カネの対価としてモノは増える。しかし、モノは古び、壊れ、遂にはあるだけの邪魔物になる。カネとは可能性なのだ。いつでもモノに変えることができる。そして、可能性は古くならない。モノたちが古び、消え、また新しいモノが現れようと、カネはいつでも同じままで、同じ力を保持している。だがいったんカネがモノにかわってしまえば、可能性は消え、魔力は失せてしまう。もはやそのモノは単にそのモノに過ぎず、他の何ものにも変わりようがない。モノを売って再びカネに変えることも出来よう。しかし、それは確実ではない。カネは確実にモノに変えられるが、モノがカネに変わるのは運次第だ。
しかもカネはカネを産む。カネはどんどんふくらんでいく。通帳残高の数字が大きくなっていくのを見る喜びに比べれば、モノの与える喜びなど些細なものだ。雨風を防ぐ家屋、寒さや日照りを避ける衣服、空腹を満たす食事、それ以上何を必要とするだろうか。体裁など気にするな。そのことで他人がお前からカネを取るわけではない。他人が寄り付かなるかもしれないが、そうなれば他人のためにカネを使わないで済むのでかえって好都合だ。
こんな生活に鹿田A氏以外が耐えられるはずがない。しばらく静養したので元気を取り戻しつつあった鹿田B氏がクーデターを起こす。しかし鹿田B氏の失地回復は不完全であり、支配権は鹿田A氏と鹿田B氏の間を行き来する。鹿田B氏の大盤振舞が続くと、今度は鹿田A氏の慎重論が勢いを盛り返す。こんなふうに両勇並び立たずの不安定期が続いているうちに、鹿田氏の行動がおかしくなってきた。鹿田A氏・B氏の対立が余りに厳しすぎるゆえに、金銭支出に関する決断ができなくなってしまったのだ。どうすればいいのか、麻痺したように何も出来ないでいるうちに、そもそもしようとしたこと自体が時間の彼方に失われていってしまう。読みたい本を見つけても、買うのを迷っているうちに、商品の交換の激しい本屋の棚から消えてしまう。着たい服を見つけても、躊躇しているうちに、季節が変わって店頭から外されてしまう。見たい映画、食べたい食事、行きたい旅行のプランなどが、手を触れることが出来ないまま流れ去っていく。好きな娘が現れたのに、交際しようかどうしようかと悩んでいるうちに、彼女は結婚してしまう。
何も出来ないことによって失われることの大きさは、鹿田A氏をもパニックに陥れてしまった。今や唯一の解決策は鹿田A氏と鹿田B氏の融合である。
かくして、鹿田氏の分割口座の短い歴史は終った。