井本喬作品集

夜は長い

 その夜も眠れなかった。寝る場所が変わったら眠れないというのではないが、近くに人の気配があると眠るのに苦労する。もっとも、一睡もできなかったと思っていても、実際は寝ている時間があることが最近は分かって来た。眠りに入るのに時間がかかるので、気長に待っていればいつかは眠ってしまうのだろう。ただ、何かが気になりだすと眠れないと思い込んでしまう。そのときは子どもの声だった。

 病院のこのフロアーには小児病棟もあり、小さな子供が何人か入院している。昼間、廊下を通るときドアが開け放されていてちらと中をのぞけるときや(大人の相部屋にはドアはなく各ベッドがカーテンで仕切られているだけだが、小児病室にはドアがあった)、トイレの入口付近ですれ違ったりして、子供たちとその母親たちを見かけることがある。入院患者用のキッズルームで遊んでいる親子もいる。何の病気か分からないが、病室という孤立した空間に閉じ込められている境遇は、たぶん私たちの感じる以上に辛いだろう。

 入院して手術を受けるのは今回で二回目だが、医療の進歩というのは目覚ましい。患者のアメニティについてもいろいろ対策が取られている。しかし、特に外科的(侵襲的)な治療は、やむを得ないこととはいえ、人間の体を痛めつけることに変りはない。手術そのものについては麻酔によって知らぬ間に済ませられるが、術後のベッドでの生活は苦しいことが多い。命が助かること比べれば何ほどのことはないとはいうものの、たとえば寝返りを打てないというのがどれほどの苦痛か、体験してみないと分かるまい。

 ただし、術後の経過は以前と比べれば短縮されている。私の場合、手術の翌々日には、点滴、導尿カテーテル、ドレインパイプ、痛み止めの注入器具などの侵入物からいっさい解放され、最後に残ったバストバンドも三日目には取ってもかまわないと言われた。寝返りの打てる自由さよ!病気でないことの一番の幸せはそこにあるのではないかとさえ思える。そして、術後一週間で退院の予定となった。

 だが、眠れることの自由までは与えられなかった。肺の手術だったので、寝ようとすると咳と痰が出る。そして、冒頭に述べたように、他人の気配が眠りに入る邪魔をする。

 で、子供の泣き声が長く続くのが気になって、私はベッドを出た。私のいる病室は四人部屋で、カーテン越しに他の三人のいびきが時々聞こえ、私は彼らを羨んだ。廊下へ出てみると、消灯にはなっているが、非常誘導灯や、トイレとナースステーションから洩れる明かりで、薄暗いながらも廊下が見渡せる。廊下は南北に二本並行に走っていて、私の病室は北側の廊下に面し、子供の声がするのもこちら側の病室からだ。

 子どもは何かを言っているようなのだが、泣き声にまぎれてよく分からない。「おうちに帰りたい」というようにも聞こえたが、こっちの思い込みだったかもしれない。

 もちろん、私は子どもの声について看護士とか親に文句を言うつもりはなかったし、誰が声を出しているのかを知りたいのでもなかった。眠ろうと努力することが嫌になり、気分転換のつもりだった。

 そのとき体験したことをこれから書くのだが、作り話と思われても仕方がないだろう。ただ、そういうことが起こった(ように見えた)のには、二つの理由があったことを述べておく。

 術後の痛み止めのための硬膜外麻酔をされていたとき、目をつむると奇怪な映像が目の前の空間(?)に現われてくる。目を開けていると、反応は鈍いながらも日常動作はできるのだが、まぶたを閉じるだけで眠るまでもなく夢の世界にすぐ入れるのだ。つまり、四六時中半睡状態であるのかもしれない。古い言い回しながら、「ラリってる」ということか。その映像は細密的であると同時に俯瞰的だった。どこと特定できない景色の中を大勢の人が動いている。その形や動きに私の意図は一切含まれていない。私は単なる観客としてそれを見ているだけだ。そういうことが術後二日間続いていたのだ。その影響が残っていたのかもしれない。

 もう一つは、その年の夏、愛・地球博記念公園に行って、「サツキとメイの家」を見たことである。公園に行ったのは旅行の経路の途中にあったというだけのことで、特に目的があったわけではないが、この公園には「サツキとメイの家」以外目玉がなかった。林の中を通るややこしい木道を道標に導かれて行き、日本庭園の横にある受付で申し込みをする。自由に見られるようにはなっていなくて、グループごとの三十分間の見学ツアーというシステムになっている。待つうちに、中国人や韓国人も混じった三十人ほどのグループになった。アニメに忠実に造られているというだけの家なので、さほどの感興もなかったが、ベランダの屋根の支柱の腐り具合まで再現されているのには苦笑させられた。トトロに父親の傘を持っていかれてしまうバス停の標識もあって(位置関係としてはおかしいのだが)、記念写真をガイドが撮ってくれる。サツキとメイの母親が入院していることがこのアニメを構成する大きな要素となっていて、そのことが入院中の私に連想を起こさせたのかもしれない。

 私が誰もいない廊下の端にいて、泣き声の聞こえる病室の方を見ていると、向こうの突き当たりの壁から、通路の容量を無視したような大きなものが飛び出してきた。そう、それは猫バスだった。アニメそのままの猫バスは廊下の中央辺りで急停止し、アニメの中でと同じような音を出してドアを広げた(開けたのではなく、広げた)。病室から小さな子供(男か女かは分からなかった)が出てきて乗り込むと、猫バスはドアをすぼめ、正面の行き先表示を「おうち」に変えると、私の方に向かって走り出し、通り抜けたという感覚すらない素早さで、非常口になっている廊下の反対側から飛び出て行った(むろん、扉を開けたりせずに)。ここは5階だ。猫バスは隣の低い建物の屋根を足場にして跳び上がり、さらに跳躍を繰り返して夜の闇の中を遠ざかって行った。もちろん、その子の「おうち」を目指して。先回りした母親が待っている「おうち」へ。

 私はそうあるべきだと思った。子どもを苦しませたり、悲しませたりしてはいけない。何だかんだと言っても、大人は何らかの責任を取らされるものだ。病気についてもそれを免れることはできない。たとえ、節制した生活をしているのもかかわらず病気になったとしても。だが子どもは違う。彼らに責任を問うことができるとすればただ一つ、生まれてきたことだ。そんなことを神様だってできるだろうか。

 私はベッドに戻った。子どもの泣き声はやんでいた。明るくなる前に何とか一眠りできるだろう。

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