井本喬作品集

レンゲツツジ

 パートナーのKがレンゲツツジを見たいと言った。5月は旅行をしなかったので6月にはどこかへ行きたいと二人で話していたときだ。6月に咲く花と言えばアジサイだが、アジサイはどこにでもある。レンゲツツジなら見に行く価値があるだろう。

 ネットで調べてみると、湯ノ丸高原が有名らしい。湯ノ丸高原は何度か通ったことがあるが、関西から一泊ではちょっと遠い。どうしようかと迷った。おまけに梅雨である。天気の予想がつかなければためらわれる。

 ぐずぐずしているうちに日がたっていく。そのせいもあってかKとちょっとしたいさかいをし、謝罪のつもりで計画を立てることにした。ネットには霧ヶ峰や美ヶ原にもレンゲツツジがあると載っている。一日目はヴィーナスラインをドライブして休暇村嬬恋鹿沢で泊まり、二日目に湯ノ丸高原を散策することにした。決めたのは水曜日、週末は晴れか曇りの予想である。

 レンゲツツジの群落を始めて見たのは、2011年6月20日に甘利山に行ったときだった。そのときはKと富士山麓を旅行していて、見るべきほどのものは見たし、次にどこへ行こうかと河口湖畔で迷っていた。山梨県の観光パンフレットで探していると、甘利山のレンゲツツジが載っていた。地元の役所に電話して聞いてみると見ごろだとのこと。ちょっと距離はあるが、中央道で帰ることにすれば方向は同じだ。韮崎へ出て、青木鉱泉や御座石温泉にも通じている長い山道に入る。この道は鳳凰三山に登ったときに通ったことがある。甘利山に着いたのは5時近くになった。駐車場のあたりは霧で視界が限られていた。そこにある喫茶・売店の関係者らしき人がいて、甘利山までは山道を登らねばならないと教えてくれた。駐車場付近にもレンゲツツジは咲いていたので、それを見るだけにして帰った。

 高ボッチ高原にもレンゲツツジの群落があることを知って、2013年6月24日にKと一緒に行ってみた。岡谷から国道20号線を塩尻方面に向かい、塩尻峠で高ボッチスカイラインに続く道に入る。山道を登っていくと第一駐車場があり、傍に草競馬場がある。毎年8月第一日曜日にここで草競馬が開催される。さらに行くと第二駐車場があり、ここから高ボッチ山にすぐ登れる。高ボッチ高原自体のレンゲツツジはさほどではなかったが、奥の鉢伏山には一面に咲いていた。

 甘利山のことは気になっていて、2018年6月3日に二人で再度行ってみた。今回は晴れの観光日和。駐車場から山頂までは3~40分ほどである。見ごろには若干早かったようだが、登るにつれた花は増え、山一面に広がっていた。

 それで満足して、それからレンゲツツジのことはあまり気にしなくなった。信州はやはり夏か秋がよい。6月に行こうとは思わなかった。それは信州だけのことではなく、6月は旅行に不向きなのだ。

 2023年6月24日、諏訪ICで高速から出て、大門街道を白樺湖へ向かう。白樺湖からヴィーナスラインに入り、草原の丘を走る。ところどころにレンゲツツジが咲いている。車山に近づくとその数が増えてくる。群落になったところもある。霧ヶ峰にこんなにレンゲツツジがあるとは知らなかった。車山の麓の駐車場に車を停め、夏ならばニッコウキスゲの咲く丘に行ってみると、レンゲツツジの群落があった。ニッコウキスゲの保護のための柵があるが、レンゲツツジはその柵を越えてさらに西方に広がっている。コバイケイソウもまじって咲いている。

 以前はニッコウキスゲが車山一面に咲いていたが、鹿の食害で激減し、電気柵で守られた一画に残るのみ。霧ヶ峰は放牧や採草のために人間が作った二次草原で、現在は景観保護のため人為的に維持されている。レンゲツツジには毒があり、牛が食べないから残ったらしいが、鹿も食べないのだろうか。

 駐車場はほぼ車で埋まっていたが、夏ほど混雑していない。保護柵の中のニッコウキスゲよりもレンゲツツジの広がりの方が景色としては優れているように思えるのだが、知名度の差か。

 時間がないので八島湿原は省略し、美ヶ原に向かう。美ヶ原のレンゲツツジは王ヶ頭近辺と美ヶ原高原美術館近辺の二か所にある。ヴィーナスラインから王ヶ頭へ行くには一度山を下って大回りしなければならない。美術館近くの物見石山にだけ寄ることにした。林の中のこじんまりした群落だった。

 美ヶ原を下って宿へ向かう。今日は長いドライブだった。Kと交互に運転した。信州にはよく行くので見慣れた風景である。山道ではマタタビが葉を白くしている。里には栗が花をつけている。私は何となくそれを見ているうちに、ある想いに捕らわれていった。

 マタタビのことは知識として得ていたし、それと知らずに見たこともあったのかもしれない。しかし、それをそれとして知ったのは、帝釈峡で人に教えてもらったときだ。帝釈峡へはCと一緒に行った。帝釈教は紅葉で有名だが、私たちが行ったのは6月、時季外れなので観光客はいなかった。帝釈教へ行く途中でも車の中から白くなった葉をよく見かけ、何だろうと疑問を持っていた。マタタビの前で立っていると、たまたま作業服を着た公務員らしい三人の男が通りかかったので、彼等なら知っているだろうと聞いてみたのだ。一人が親切に教えてくれて、花や実も陰にあるだろうと葉を持ち上げみせた。

 Cと別れてしまったのは私に原因がある。Cは離婚していて、成人した子どもが二人(娘と息子)いた。娘も離婚していて、やはり子供(Cにとっては孫)が二人いる。Cは孫たちのことを懸念して、私と二人で育てたいと言った。私はそういうことに縛られるのが嫌だった。孫たちは私になついていたし、彼らの将来は心配だったが、そこまでの責任を背負う気にはなれなかった。Cはそういう私の態度に不満だった。彼女が他の男とつき合っているらしいことが分かってきた。私たちは修羅場なしに次第に疎遠となっていき、やがて交流は途絶えた。Cのその後の消息は知らない。

 栗の花には痛切な思い出がある。Tには夫がおり、小さな子供が二人いた。私たちは隠れて会っていた。二人とも夢中だった。自分たちのやっていることが悪いなどとは全然思っていなかった。Tがあるとき言った。栗の花のにおいは私のにおいだから、思いっきり吸い込んでむせてしまった、と。それほど私を愛してくれていたT。彼女と別れたのも私のせいだ。結局、私の愛は彼女の体目当てでしかないとTは悟ったのだ。Tが二人の関係に何を求めていたのか私には分からなかった。彼女とは修羅場になった。でも、結局は彼女の望み通りに別れることになった。

 もっと違うようにできたかもしれないと思うことがある。しかし、そのときの私には無理だった。今の私ならどうだろう。Kとの一緒の生活ができているなら、CやTとだってそうできないことはなかったろう。でも、そのときの私にはできなかった。

 二日目は前日通り過ぎた湯ノ丸高原まで戻り、地蔵峠の駐車場に車を停める。驚いたことにまだ9時前なのに車が多い。観光バスも停まっていて、登山姿の乗客が下りてくる。スキー場のリフトが8時半から動いていて、観光客をつつじ平まで運んでいる。歩いて登る人もいる。リフト乗り場の横では何かのイベントの準備をしている。関東圏ではここは有名なようだ。

 登りはリフトを使った。リフトを降りて少し歩くとつつじ平の標識があり、柵で作ったコの字型の入口がある。牛が通れないようにしているらしい。ツツジを牛から守るのではなく、牛がゲレンデへ出ないようにしているようだ。もっとも、リフトで登ってきたゲレンデの途中に四頭の牛がかたまっていたので、その用はいまはなくなっているのかもしれない。

 入口を入ってすぐに、リフト券が落ちているのを見つけた。子ども用の往復券である。辺りを見回しても、人はいるが子供の姿はない。仕方なく、リフト乗り場まで戻って係員に渡しておく。戻ってレンゲツツジの中を行くと、少し離れたところに女性と二人の小さな子供がいたので声をかけた。彼女は何かを探るように確認して、リフト券がないことに気づいたようだ。リフトの係員に渡しておいたと言うと、すみませんと声を出した。

 ここのレンゲツツジの群落は密度のある広がりだった。人気があるのは当然だ。主部は林の中にあるが、林を越えて向かいの山の鞍部まで草原を下っている。登山者たちはその山の方へ歩いて行った。

 帰りはゲレンデを歩いて下った。このゲレンデは上級者向きとなっていた。ゲレンデの中程で傾斜がより急になり、下から見ると上部が隠されて見えない。雪のコブができるのかもしれない。

 近くに池の平湿原があるので寄ってみた。ここへは一度来たことがある。7月だった。ヤナギランはまだね、と言っていた人がいた。そのときヤナギランというのを知った。いまの時期は花はあまり期待できない。

 駐車場には車が少なかったので、こちらの方にはあまり人が来ないのかなと思ったが、一段上にある駐車場は満杯だった。カラマツ林の中を湿原まで下る。湿原には整備された木道がある。人の姿はまばらだ。湿原を横切る木道を行くと、見知った花があったが名前が出てこない。Kも何か名前を言ったが違っている。しばらく行った先にイワカガミの標示があった。

「私、イワカガミといったでしょ」

「いや、言わなかった」

「じゃ、何と言った?」

「分からない、でも、イワカガミじゃない」

 私は断言した。Kは自分が正しいことにこだわる。間違っていてもなかなか認めようとしない。彼女のそういう性格を私は非難することはできなかった。私にもその傾向があるからだ。似た者同士だから惹かれあったのか。

 Kは黙った。それ以上言うと言い合いになる。

 湿原を渡り切ると十字路になっている。右は行き止まり、左は湿原を一周する道、中は三方コマクサ園に登る道。前回は時間がなかったせいもあってコマクサ園はパスした。コマクサが咲いているという情報を得ていたので今回は行ってみることにした。

 登り始めてすぐにヤナギランかと思わせる花を見つけた。Kがスマホのアプリで確認すると、ハクサンチドリと出た。先に進むとかがみこんで写真をとっている女性がいた。私が通りすがりに「ハクサンチドリか」と独り言を言うと、女性が振り向いて「ええ、ハクサンチドリ」と言った。

 途中で入れ替わって先を行くKが「ホタルブクロ」と言って写真を撮ろうとした。近づいてよく見ると、小さすぎる。

「スズランだよ」

「スズランよね。私、そういわなかった?」

 私は答えなかった。

「スズランと言っているつもりだったのに、違うこと言っていたのね」

 ザレ場になった尾根には保護柵が作られてコマクサを守っていた。コマクサはたくさん咲いていたが近づいて見ることはできない。ここが折り返し点になるので十数人の人がいた。私たちはベンチにすわって休憩した。コマクサは珍重されるが、高山のザレ場でよく見る花だ。私が一番感動したのは、針ノ木小屋に泊まった翌朝、向かいの蓮華岳をちょっと登ってみて、気づいたら朝日に照らされたコマクサに囲まれていたときだ。

 十字路まで下って周回コースに入る。木道の両側のあちこちにイワカガミが咲いている。Kが言った。

「イワカガミって、岩の上で咲くからイワカガミって言うのかしら」

「そうかもしれないね」

 カラマツ林の道まで帰ってくると、人が増えてきている。地蔵峠まで戻り、山を下って茅野へ向かった。山にはマタタビの白い葉、里には栗の花。Kとはいつまで一緒にいられるだろうか。結局は分かれることになるのだろうか。Cのように修羅場なしにか、Tのように修羅場を経由して。私が自分の態度をうまくコントロールすることができさえすれば、Kが私の死を看取ってくれることになるだろう。遺体の始末もつけてくれるだろう。そうできなことはないはずだ。この期に及んでわがままを通す気力はない。少しの我慢をすればいいだけだ。できないはずはない。

 だが、そうすることに意味はあるのだろうか。分からない。先のことはどうなるか分からない。自分の人生をしっかりとつかんでいるような人間では、私はない。車の窓の外を流れていく景色のように、とらえどころのない移ろいが私の人生なのだろう。

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