伊藤整のエゴイズム論
1 序
現在では、書店で手に入る伊藤整の作品は『日本文壇史』(1953〜73年)だけらしい。彼は既に忘れられた作家になってしまったのだろうか。しかし、私にとっては、いま伊藤整に言及しない方が不思議なのである。伊藤整が主張し、理論化しようとした状況がこれほど明確になったのであるから、いまこそ彼の時代というべきなのではないか。
伊藤整は小説よりも『伊藤整氏の生活と意見』(1953年)などの評論がよく読まれた。彼の小説があまり受け入れられないのは、評論では有効であった世界観が小説では感動をもたらさないからかもしれない。彼の小説がどのように受け取られていたかを示す面白い例がある。1965年に河出書房が「世界の大思想」というシリーズの一冊として『国富論』を出版しているが、内田義彦によるその解説の中にこんなくだりがある。
さて、ここにあらわれる登場人物に注意していただきたい。きわめて平々凡々たる人物である。(中略)かれのぎりぎりの関心事はつねに自己——世間の評判と出世——である。かれの眼はいつも出世のはしごがどこにどうかかっているかを追い求める。(中略)伊藤整の小説にでもでてくるような、チャッカリしているといえばチャッカリしすぎている、ふがいないといえばあまりにふがいのない人物である。
この登場人物がさしあたって広義の経済人ホモ・エコノミクスである。
内田義彦が伊藤整を持ち出してきたのは、このくだりがスミスの大学論を例にとっているので、『氾濫』(1958年)を連想したからなのかもしれない。いずれにせよ、伊藤整の描く人物は矮小なホモ・エコノミクスたちであり、こせこせと損得計算ばかりしていて、高尚な理想や豊かな感情や激しい情熱などには無縁であると一般にはみなされていたようだ。
人間とはこういうものなのだ、と伊藤整は言いたかったのだろうか。そうだとしても(あるいは、そうだとしたらなおさら)人々は小説に別のものを求めてもいいはずだ。現実が醜いとしても、小説が醜くなければならないということはないのだから。そういう考え方もあろう。あるいは、伊藤整は現実を悲観的に見過ぎている、人間はそれだけのものではない、という批判も可能だろう。そう言って、無視してしまうこともできる。
しかし、伊藤整のメッセージを検討することには現代的な意義があると私には思える。エゴイズムに適当な位置を与えるというのが伊藤整の思惑であったからだ。もし伊藤整の主張になにがしかの真実があり、かつ、何かが欠けるなり過剰なりしているせいで問いかけたままになっているのであれば、いつか誰かが彼に正当に答える必要があるのではないか。
伊藤整が創作していたのは、ホモ・エコノミクスが忌避されていた時代である。戦前・戦中の国家主義においては当然のこと、戦後においても資本主義は修正されなければならず、マルクス主義や社会主義でなくとも、少なくともケインズ主義的な介入が当然視されていた。しかし、そもそも日本において市場主義が主流になったことなどあるだろうか。たぶん大正の一時期を除いて自由放任(レセ・フェール)などが信じられたことはなく、規制こそが拠り所であったのではないか。スミスが『国富論』で述べていたような、個々人の利己的な行動が自動的に社会の利益を実現するという「見えざる手」への信頼など、存在しようがなかった。
現在の地点から見ると不思議なことなのだが、エゴイズムこそが資本主義社会を成り立たせているという『国富論』の視点を、なぜ伊藤整が取り得なかったのだろうか。社会なり組織の成り立ちについての説明は、全体の利益ために個々人の利益を抑えるというところに焦点を当てる。それゆえエゴイズムは本質的に反社会的とされる。ところがアダム・スミスはエゴイズムが成り立たせているシステムというアイデアを提示した。それはあまりに急進的でありすぎたのだろう。「見えざる手」のアイデアは、考えようによってはマルクス主義よりも急進的であり、理解し納得するのが困難である。日本の社会において、そして多くの社会において、そのような考えを受け入れる素地はなかった。伊藤整には、目の前にある資本主義は無法地帯に見え、そこに社会を形成し維持する原理などが働いているなどとは考えられなかった。
だから、伊藤整の「エゴ」は最初から抑圧されるものという性格を担わされていた。エゴイズムを規制しようとする社会的な仕組みは強大であり、あえてそれに立ち向かおうとするならば滅ぼされざるを得ないものであり、エゴが生き延びるためには偽装されねばならなかった。だが、人間がエゴから免れえない存在であるならば、偽装こそが真実ではないのか、伊藤整はそう逆襲したのである。
伊藤整の、そして当時の社会の限界は、エゴイズムを肯定的に捕らえることを困難にさせていた。エゴイズムを重視する主張は、背後にある隠された動機という形を取るしかなかった。エゴイズムを規制するものが弱体化したいま、規制を受けない人間がエゴイストにならずにいられるか、という問いを私たちは突きつけられている。それに答えることが、伊藤整への回答となるだろう。
2 文学
むろん、人間のエゴイズムを指摘することなど、文学においてもありふれている。例えば、伊藤整と同時代人の丹羽文雄(伊藤は明治38年、丹羽は明治37年生まれ)は次のように書く。
常にいやしい、狡い自分の中に、美しい良心や、清廉な理性が棲くっている筈がなかった。それは、ただ、良心とか理性という名を借りた自己防衛の、方便にすぎなかった。肉体がつねにいやしい欲望をつのらせているにもかかわらず、良心だけが、理性だけが、あくまで孤立を守り、清浄に、食べるものも食べずに生きつづけているということが、おかしかった。一人の人間のからだの中の機構に、そんな便利な間借りの仕方は、考えられなかった。(『遮断機』1952年)
『自己嫌悪とは、何か。自分で自分をきらいぬくというのは、どういう意味か。きらう己は、何者か。もう一人の自分とは、何ものか』
九三は習慣的に、くりかえして来た観念的な用語を頭にうかべた。自己憐憫、自己虐殺、自己否定、自嘲、等々。それらですまして来られた過去を、思った。もっとも文字の上っつらだけのところですませた。一度も彼は底に達したことがなかった。必ず途中であいまいに追求をやめてしまった。それで自分が説明された気になった。自分で自分を笑いのめす笑声をきいているのは、痛快なことだった。錯倒した快感があった。自分をとことんまで虐殺する、否定するとは言いながら、一度も息の根をとめたことがなかった。加害者であることで、心がしびれるほどの快さを覚える程度の虐殺や否定しか、試みたことはなかった。被害者も、また苦しめられて、快かった。それはむろん底の浅いものだった。死刑執行者と受刑者の一人二役をかねていた。(同)
すぐ気づくことだが、エゴイズムを否定することははなはだやっかいであり、多くの人が自我の陥穽に捕らわれてしまう。まず、人は自分の中にあるエゴイズムに気づく。ところが、そのような反省、批判、悔悟なども、やはり「自分」から逃れられない。それが部分的で切除可能なのではなく、つきつめていくと実は自我の本質であることが分かる。人間が自我から免れないのは当然のことであり、自我に捕らわれていることをエゴイズムと言うなら、人間はエゴイストでなければならず、そうでないという幻想においてのみそのことから逃れた気になれる。幻想という事象が存在するからといって、それが虚偽であることを知ったなら、信ずることができようか。人はそこから信仰へ向かうのかもしれないが(丹羽文雄は親鸞を語るようになる)、伊藤整はその認識を社会に突きつけようとした。そして、ある意味においてエゴイズムを肯定し、それを認めることを要求した。
伊藤整の考えは統一された理論として提出されているのではなく、様々な時期に書かれた評論の中で述べられているので要約するのが難しいが、その要諦は、文学は正義(倫理、道徳)とは無縁である、むしろ反正義的なものである、という主張にある。当然、マルクス主義という正義に捕らわれた文学や、人格的完成を求めるような文学については疑問視する。
人間は性慾や、他人を押しのけて他人を従わせたい権力慾や、情緒の中にひたっていたい感情やを持っていて、それ等の慾望を思うように味わいたいと常に求めている。これ等のエゴイズムとして一括されるもの、即ち人間の内部にある悪と言われるところの諸衝動が、元来の純粋な人間なのである。しかしこれ等の諸衝動をそのまま発揮させると殺人、姦淫、独裁政治、肉体的破滅が生まれることを人間は知っている故に、それを法律や道徳や医学的配慮で批判しかつ防禦している。だが、人間そのものは決して、その批判や防禦の方法に合致しているのではなく、元来諸慾求そのものが人間の実在である。つまり、人間の慾求が人間存在の本質であって、我々が宗教、道徳、科学、法律等の名で呼んでいるところの文化体系の全体はその人間の生活を、より安全に、より便利にするための手段に外ならない。役に立つところの文化全体は、生命のための手段、補助具なのである。(「芸術は何のためにあるか」1956年、『芸術は何のためにあるか』所収)
文学も含めた芸術は「悪と言われるところの諸衝動」を味わうことであって、したがって反秩序的要素を含んでいる、と伊藤整は言う。
ここに引用した文は分かりやすいのであるが、彼の主張は必ずしもこのようなすっきりした形で述べられているのではなく、難解な点が多い。その原因は次の点にある。伊藤整は秩序(引用文では「文化体系」)を功利的なものとみなしている。それは生きるための「手段、補助具」であるからだ。秩序を作った人間の精神の働きも功利的である。それは妥協であり、生存のために衝動を押し殺す。伊藤整はこの功利性をエゴの作用とは認めていない。なぜなら、エゴは衝動であり、盲目的であってそのような打算はしないからだ。彼の言うエゴは、いわば純粋なのである。一方で、秩序の功利性は市場の功利性に通ずるものであり、アダム・スミス的な視点をとることが可能である。ところが、功利的な精神の働きを低俗とみなして、エゴイズムの醜さに一括してしまうことが伊藤整にはあるのだ。純粋エゴ=芸術、低俗エゴ=秩序の混同が論理を混乱させてしまう。
彼の文学論は、「勧善懲悪」は古いという自然主義(リアリズム)的傾向と、世俗の下らぬ拘束から逃れたいというロマン主義的傾向の両方をカバーしようとする。秩序を構成する低俗エゴの曝露であるリアリズムと、秩序から逃れようとする純粋エゴのロマン主義を、秩序への反抗という共通性でくくろうとするのだ。「逃亡奴隷と仮面紳士」「破滅型と調和型」「求道者と認識者」という概念設定はその努力の現れである。
エゴが醜いと伊藤整が言うとき、秩序の観点を受け入れているのだろうか。しかし彼は秩序における低俗エゴの醜さを言っていること多い。純粋エゴと低俗エゴが自我の中で同居してしまうため、純粋エゴは自らが指弾する低俗エゴの醜さの汚名をかぶらなければならないような展開になってしまう。
もっと簡単なのは、全てが、正義さえも、エゴイズムであると言ってしまうことだ。しかし、そうすると反エゴイズムというものはなくなってしまい、エゴイズムを抑えようとする現象の存在をどう説明するかが問題となる。伊藤整はそこまで極端ではなく、外在的な秩序というものの実在は認め、そこから正義が生まれてくると考える。
伊藤整の考えでは、正義はエゴを抑圧する。そして、エゴは喜びを求める。正義にエゴの喜びはないから、エゴは正義を求めない。もしエゴが正義に喜びを見出すとするなら、エゴが間違っているか、偽っているか、あるいは正義といわれているものが本当の正義ではないのである。文学というものがエゴの喜びから生まれるものであり、正義がエゴの喜びを阻止するものであるなら、文学は正義に反抗するものであるはずだ。伊藤整はそのことを執拗に説明しようとしたが、成功しているとは言い難い。彼もそのことは認めざるを得なかった。
しかし、良心的な人間が、その良心的な衝動によってよい作品を書くとは私は絶対に思わない。正義を論じながら、それの不完全さを知り、不完全さを利用するある狡猾さ、裏切りなしには、芸の仕事は完成しない。(中略)私はある時代の正義感が芸の強い動機になることを知り、それに敬意を払い続け、芸の永続的本質を崩してまでそれに迎合しようとして、かなり苦しんだ。(中略)人間は生命の持つバネを正義のバネだと誤認することによって、正義を芸の中に持ち込み、生命のバネの後暗さから目をふさぐようである。(中略)結局私は、甚だ残念なことだが、正義を主張するところの芸術家たちを認め、その派の人々の生み出した感動をも是認し、尊重する外ないから、素直にそうすることにしたが、残念さは消えない。(「一つの感想」1963年)
私はこの評論で伊藤整を批判するつもりだが、彼がエゴイズムを過大評価したからではない。むしろ、彼が汎エゴイズムを徹底しなかったことを批判することによって、彼の無念を晴らしたいと思う。
3 経済
伊藤整が小樽高商から東京商科大学というコースをとったことと彼の思想との間に何らかの関係があるのか、というのが長い間私の疑問になっていた。伊藤整自身はそのことについては何も言っていないようである。彼のように自覚的な著述家が言及していないということは何もなかったようである。しかし、それらの学校で彼が何を学んだかが分れば、もう少しはっきりするのではないかと思っていた。最近、桶谷秀昭の『伊藤整』(1994年)を読んで、やはり何の関係もなかったということを教えられた。「私は官立の高等学校か札幌の官立大学予科へ行くつもりであった。私は文学に心を占められてゐながら、医者になりたいと思ってゐた。それは実現しさうもなかったので、私は妥協して自家から通へる小樽の高等商業学校を選んだ」と『若い詩人の肖像』(1956年)にあるように、もともと伊藤整は経済学などには興味はなかったが、それらの学校で学んだこともそのことを変化させなかったようである。
(小樽高商で)伊藤整が身を入れて勉強したのは英語で、それも濱林生之助や小林象三といふ教師が文藝作品の抜萃を教科書として使った授業であった。さういふ英語の授業だけが、この学校と、文学に心を占められてゐたこの青年とをつなぐ唯一のパイプのやうであった。(『伊藤整』)
‥‥はじめは真面目に学校(東京商科大学)に行ってゐたが、大学の授業は休講が多く、またそこで習ふものが大部分、私が田舎の商業学校で学んだものの反復にすぎないことに私は気がついた。私は学校を怠け、‥‥(『若い詩人の肖像』)
しかし、そうであるならば、逆に、なぜ経済学が彼に何の影響も与えなかったのかというのが新たな疑問になる。伊藤整が経済学をどの程度学んだかについて、桶谷秀昭は次のようなことを教えてくれている。
東京商科大学の入学試験を来年もう一度受けるために、伊藤整は苦手の経済学と簿記の勉強をはじめた。
経済学の勉強に、福田徳三の『国民経済講話』を買ってきて、ノオトを取りながら読んだ。(中略)
しかし、伊藤整が、「私の得た印象では、福田徳三は、資本主義経済はその利点を温存したままで計画経済または統制経済に移行する方が有利である」といふことを読み取ったのは、決して的はずれではない。(中略)
福田徳三は『国民経済講話』を通俗的なスタイルで書いたが、その内容が必ずしもわかりよくないのは、伊藤整のいふように「はっきりした理論の構造がない」ためでなく、イギリス古典派からマルクスにいたる経済学を、“価格理論”に立つ経済学として批判し、相対化したからである。そして、人間社会の厚生に必要なほんたうの所得を尺度とする経済理論のヴィジョンを、よく展開できずに五十六歳で死んだためである。
経済学といふのは、“きたない学問”で、それを研究してゐるとおのずから品性がいやしくなる、と公言して憚らなかった。近代の主流である価格経済学をいってゐるのである。
ともかく、伊藤整は、福田徳三の正続二冊の著書を熟読し、これが「商科大学的な経済学」なのだと合点した。(『伊藤整』)
福田徳三が死んだのは昭和5年5月であり、伊藤整が入学した昭和3年には、大塚金之助の経済原論と並行してもう一つの経済原論を講義してゐた。大塚金之助はマルクス経済学の立場に在り、原論がマルクス一色に片寄るのは好ましくないとの考へから、福田徳三が近代経済学系統の原論を講じてゐた。そして聴講生の数は、大塚金之助の方が、福田徳三の倍くらゐあった。
伊藤整の記憶ちがひ(引用者注:伊藤整が入学したときには福田徳三は死んでいたという『私の大学生活』の記述)は、彼が大塚金之助の原論を聴講し、福田徳三を聴講しなかったことに由来するかもしれない。(同)
そうであるならば、伊藤整が学んだ経済学の原論部分は経済学批判の観点からのものであり、「品性がいやしくなる」経済学の立場に立ったものではない。東京商科大学は反マルクス的であり、いわゆる「近代経済学」中心の教育が行われていたと私は思っていたが、そうでもないようである。経済学が社会改良ないし改革を目指す道徳論的傾向を強く示すものと受け取ったのであれば、道徳の有効性を疑問視した伊藤整にとっては魅力のないものであっただろう。
桶谷秀昭は次のような指摘をしている。
なぜならば伊藤整はそこで、「正しき行為は、ほとんど常にエゴイズムの充足を伴ってゐるといふ私の意地穢い見方は、ずっと持ちつづけられてをり、私は生涯それから抜け出すことはできないであらう」と書いているからである。
その考え方を植ゑつけたのは十九世紀と二十世紀の二人のユダヤ人思想家であった。マルクスとフロイト。マルクスは道徳の不朽性を唯物史観からゆさぶり、フロイトは愛着といふものの機械的なはたらきを分析的に説いて、キリスト教の愛の神話をゆさぶった。伊藤整は「二十歳代に、精神分析学が私を傷つけた」といふいひかたをしてゐる。つまり、フロイトは伊藤整の精神にいやしがたい外傷(トラウマ)を与えた。(同)
しかし、「道徳の不朽性を唯物史観からゆさぶり」という風にマルクスから影響を受けた形跡は伊藤整にはない。だから彼に「その(意地穢い)考え方を植ゑつけた」一人としてマルクスをあげることはできない。マルクスの道徳批判的側面に伊藤整は顧慮していないかのようである(フロイトについては後述する)。
むしろ、福田徳三のいう「きたない」、「品性がいやしくなる」経済学が、伊藤整の「意地穢い見方」を支持したはずなのである。そのような経済学をたとえ批判的にせよ知り得たはずなのに、なぜ伊藤整は経済学に無関心であったのか。それは、たぶん、マルクス経済学を含めた経済学というものが社会全体の福祉を扱い、それゆえ物質的なレベルでの皮相な解決を目指していると思われたからではないか。伊藤整は自分の考えを、隠された真実、凡人には致死的な、したがって受け入れ難い真実の認識であり、「意地穢い」と拒否されざるを得ないものと規定していた。このような反社会的であると思われる彼自身の考えと、現世肯定的な基盤に立つ経済学が、共通な地盤をもつことは考えられなかったであろう。
そのことは、伊藤整が「功利」という言葉をエゴではなく秩序と結びつけていることにも表れている。伊藤整は功利主義を正義的な概念として受け止め、秩序形成の要素とみなしたのかもしれない。それは経済学に対する彼の態度に対応している。
しかし、このような経済学への態度はかなり特殊なものだ。伊藤整には経済学は道徳的に見えたかもしれないが、普通の人間には経済学は道徳的に何か欠けているように思える。経済学が社会を愛したようには、社会は経済学を愛そうとはしない。
とくにイギリス派の経済学に抜きがたくあるベンタムの功利主義、最小の苦痛で最大の快楽を得ることに文明生活の意義を見出す功利思想は、小林多喜二でなくとも、この頃の日本の青年に馴染みにくいものがあった。
また、限界効用学派の主観主義は、個人の消費享楽を動機にしているため、“修身”の倫理感覚を身につけている日本人に違和感を抱かせた。(同)
このような桶谷秀昭の指摘は、今でも妥当性を失っていない。これは日本に限ったことではない。アングロサクソンの社会でさえ経済学の考え方が常識とはなっていないであろう。
経済学者はいう。人間が自己利益を求めるという動機に反応するだろうと考えることはごく現実的なことである。それが正しいとか善だとかいうのではなく、ただ単にそれが現実だというだけなのである。(中略)だがわれわれはこういう考え方には眉をひそめる傾向がある。(中略)難題を持ち出す人々——たとえば、自己利益が人間にとって一番の動機であるという経済学者——は美徳という神を崇拝していないために、彼らの行動の動機を信用してもらえないだろう。ということは、彼らも他人を信用していないとみなされるからだ。つまり、自己利益の問題に、病的な関心を示しているようにみえるのである。(マット・リドレー『徳の起源』岸由二監修、古川奈々子訳、翔泳社、2000年)
この点では伊藤整は経済学者と同じ立場にある。無邪気な経済学者とは違って、彼は人間行動における「エゴ」の優位性を認識しながら、それを「意地穢い見方」と卑下してみせる。もちろん、彼自身、自己の利益のことだけを考え、他人のことを顧みない行動を実践し、それを当然のこととして公言してはばからない人を、「それでよし」と認めたりはしないだろう。嫌なやつと思い、反発するだろう。誰だって、他人がエゴイストであることは不愉快なのである。
伊藤整は自分がそういう連中と変わりがないことを自覚している。ただし、エゴイストであることを公言するような人間は、正直だが馬鹿なやつとみなすだろう。そのような言動は人の反発を買い、かえって自己に不利益になるからだ。他人の反応を配慮して利己心を隠す、あるいはある程度制限する、それが賢いやり方なのだ。人々がみなそういう「功利的」なやり方をしているのであれば、社会は偽善であるということになる。「エゴ」は不正直さと狡猾さを含むゆえにいっそう「意地穢い」ものであるだろう。
4 社会
社会についての伊藤整の見解には、経済学を道徳的学問と捕らえたのと同じような視点がある。伊藤整は社会の形成を、経済現象が経済学によって道徳的改良を加えられるように、集団が政治によって徳化される過程と捕らえる。
そういう社会観がよく現れているのは「我が秩序の認識」(1950年、『小説の認識』所収)である。伊藤整によれば、倫理とは理想的な人間社会を目指す指導者などがその実現のために作ったものであり、人々は否応なしにそれに従わされる。理想と現実のギャップのゆえに、倫理は厳しく抑圧的なものにならざるを得ない。しかし、そのような倫理がなければ、人々は弱肉強食の動物的な状態に陥ってしまうであろう。利己心の重量によって地上に縛り付けられた人間を天上に引き上げるためには強力な倫理が必要である。それでも人間は遂に高みに達することができず、天地の中間に宙ぶらりんになっている。つまり、倫理は一般の人間にとって外在的であり、抑圧的なものであるが、利己心を抑えて社会を形成するためには必要なものである。伊藤整にとっての倫理はホッブスにとっての国家のようなものと言えよう。
「組織と人間」(1953年、『小説の認識』所収)はまた違った視点に立っているように見える。冒頭で「人間は観念のために生きている」という「我が秩序の認識」と似たようなテーゼを持ち出しながら、それは論理の展開につれて失われ、「それ等の秩序の中心の動機は、たいてい口実として正義が掲げられているけれども、実は力である」という疎外論に変わっている。
ここで伊藤整は、国家や社会より一段下のレベルの秩序である「組織」を対象にしようとしている。組織が人間を絡め取るという図式を展開するには、現代の代表的組織である企業を取り上げざるを得ない。企業組織は確かに人間を「歯車」にする側面を持つ。
けれども、このレベルの違いは見かけだけのものである。ここでは伊藤整は「エゴ」という言葉を使っていないが、エゴが秩序を必要とするように、社会的動物である人間は組織を必要とし、エゴが秩序に屈服するように、人間は組織内では自立はできない、と主張しているのだ。そして「組織」はいつの間にか「社会組織」というように国家や社会レベルに横滑りしてしまっている。
「組織」という言葉はいかにも人間が作ったものという意味合いがある。伊藤整の考える秩序のイメージに合うのである。ただし、組織は、「思うように」「思い通りに」という意味での意図に忠実に従って作られてはいないかもしれない。あるいは、組織は「思いがけず」「思いのほか」という意味で意図とは関係なく作られたかもしれない。前者を人工的、後者を自生的と形容するなら、両者ともに、意図に沿わないという点において、疎外という問題が出てくる。
マルクスは自生的システムとしての資本主義の疎外を問題にし、ハイエクは人工的システムとしての共産主義の疎外を問題にした。疎外という問題はつきまとうものの、資本主義は自生的であるゆえに無理が少ないとハイエクはみなしたのである。伊藤整のイメージする社会はハイエクが批判した人工的社会に相当する。伊藤整の社会批判は人工的社会に対するハイエクのものと同じと言っていい。しかし、伊藤整にはハイエクの主張の核である自生的組織の概念がない。
伊藤整の生きた時代はイデオロギー対立の激しい時代のように見えた。しかし、資本主義と共産主義の対立が解消されても、やはりイデオロギーは力をふるっている。イデオロギーの対立は、国家の、あるいは人々の対立の象徴的な表現でしかなかった。確かに国家や社会には掲げる理念がある。市民社会にも資本主義にもイデオロギーがある。しかし、イデオロギーが単独でそれらの国家や社会を生み出したとはみなせない。せいぜい、一つの要素としか言えない。イデオロギーによる国家対決のイメージは、国家がイデオロギーによって成り立っていると錯覚させてしまう。伊藤整がそのような社会観を持ったのは仕方がなかったのかもしれない。
一方、伊藤整にはもう一つの社会観がある。それは彼自身によっても明確に意識されてはいないのだが。
家族、友人、社会等の関係においても、若し人がこの認識を強烈に持つならば、一つの笑い顔、一つの握手、一物の授受においても、人間はたがいに相手の肉を食い血をすすり合う動物の群としての姿を露呈して見え来る。(中略)それを我々俗徒の目から隠しているものは、生殖や競争や生や死を蔽う儀式や礼節という人工の目かくしであり、また愛国心や友情や家族愛という名で擬装された攻守同盟である。(「我が秩序の認識」)
この「人工の目かくし」や「擬装された攻守同盟」こそが自生的な社会を形成するものであろう。伊藤整はこれらを「功利」と呼び、やはり秩序を成立させる要素とみなしている。彼はこれらの「功利」をエゴとは結びつけない。彼のエゴは秩序に反抗する純粋エゴなのだから秩序に加担などしないのである。秩序に加担する以上それらは正義と同類であり、エゴに対立するのである。しかし、伊藤整が「認識者」として社会を見るとき、秩序に反抗する純粋エゴにではなく、秩序を成り立たせているこのような偽善的エゴに、人間の醜さ(エゴイズム)を感じてしまう。
功利的なものは人間の生活を便利にするから秩序の側に立つ、伊藤整はそう考えていた。功利的なものをエゴに結びつければ、エゴが秩序の側にあるということになってしまい、エゴは秩序に反抗するという彼の理論は破綻する。秩序が倫理に基づいて作られていながら、人間は完全には倫理を実践しえないとしたら、秩序は何によって支えられるか。倫理的には完全でない人間によって秩序が支えられるならば、秩序は非(反ではない)倫理的でありうる。そういう人間の主体性を奪って秩序の独立性(人間に支えられていないこと)を主張しようとしたのが、「組織と人間」論なのかもしれない。
そのことを留保した上で、伊藤整の社会のイメージは、人工的な形成物であり、しかもある正義の観念の実現という意図のもとに作られたという性格を持っている。当然そこでは、人間の利己心や自由が抑圧されてしまう。人間が利己的な存在であるなら、そしてそういう人間が社会を形成するために倫理を必要とするならば、倫理は何に由来するか。利己心は本質的に反社会的であるとみなす伊藤整にとっては、それは外在的に与えられざるを得ず、特定の人間によって恣意的に思いつかれることになる。
しかしながら、社会・秩序・組織などが自生的なものであるならば、人間にとって何らかの好ましい要素があったに違いない。そこでは利己心も肯定的な役割を果たしているはずだ。さもなければそのようなものが作られ、永続するはずがない。そもそもなぜ私たちが集団を形成するかを考えてみる必要がある。人間が集まって生活するのは、単独で行動するよりも好まれたからであろう。だとすれば、集団(社会)は個人にとってメリットがあるから、そしてメリットのある限りにおいて形成されるという社会契約説的な説明の方が妥当と思われる。倫理はそういう社会のルールとして合意されたものと考えることができよう。
むろん、伊藤整にとってはこのような考えは無縁であったろう。彼の住んでいた社会、彼の見ていた世界は公権力が優越していた。レセ・フェールは信用を落としていた。自由主義の新しい潮流がアメリカから発せられていたが、伊藤整より後の世代である私たちにしても受け入れがたかった。共産主義国家の崩壊や変質、そして「失われた十年」の経験を経て、ようやく馴染めるようになったのである。
5 合理性
伊藤整がフロイトから受けた影響はどのようなものであったのだろう。彼がフロイトの著書のうち何を読んだかについては分からないが、たぶん初期のものに限られていたのではないか。伊藤整のフロイトについての理解の程度を云々する必要はない。彼はフロイトの解説者ではないのだから。ただし、フロイトのどの部分を受け入れたのかは、伊藤整の考えを知る上で重要である。
伊藤整の「エゴ」は、自我のイド的側面とエゴ的側面(あるいは無意識的側面と意識的側面。どちらにしろ、不正確な言い方になるが)を明確に区別しないまま含んでいる。イドの盲目的な渇望だけではなく、それをコントロールしようとするエゴの「現実原則」についても注目している。むしろ、欲望のままにという他人を無視した生き方は憧れのようなものであり、他人の思惑をはばかって本音を隠すという生き方しかできぬ自分の姿を、醜いエゴとよんだのではないか。「仮面紳士」という概念がそのことをよく表している。
エゴは道徳を信じてはいない。エゴの道徳への配慮は、人に見つからなければ無視するという態度を許容するだろう。そこで考慮されるのは人に見つかる確率だけだろう。しかし、フロイトは超自我というものを考えざるを得なかった。人に見つかる確率はゼロなのになぜ道徳が守られるのか。それよりも何よりも、人はなぜ自分自身を苦しめるようなことをするのか。フロイトの考えは変化してやまず、エロスとタナトスというところまで行き着く。
伊藤整が自分の考えを「意地穢い」と思うのであれば(他人から見れば「意地穢い」かもしれないが自分はそうは思わない、というのでなければ)、そんな風に思わせるのはエゴにはできないないはずだ。道徳的判断をする何ものか(超自我のようなもの)を想定しなければならない。たとえそれが他人の中にのみあるものであっても。
フロイトは超自我の成立を社会化というものに求めた。親が罰と報酬によって幼い子どもをしつけ、写像のようなものを子どもの中に作り出して、たとえ親がそこにいなくても写像が監督者としての親の代行をする。精神分析に反対した行動科学も、道徳の発生を子どものしつけに、つまり報酬と罰による学習に見出そうとした。彼らの考えの根底にあるのは、人間は本来的に利己的であるか、もしくは白紙であり、道徳的な傾向を生まれながらに持っているのではない、ということである。彼らは人間にとって外在的である道徳がいかに内部化されるのかという点を究明しようとした。
伊藤整は道徳が内部化される過程には興味がなかったようである。エゴによる無意識的な自己欺瞞、合理化の作用と考えるだけで十分だったのだろうか。しかしその辺りのメカニズムはあいまいである。一方、内部化という考えにも論証不能な点があり、「だからこうなった」というおとぎ話に近い。内部化というあやふやな仕組みを使わずに道徳を説明できないだろうか。伊藤整は知ることができなかったが、二十世紀後半にはエゴイズムが人間行動の基礎にあるという考えが強くなった。社会生物学において人間を含めた生物(というより遺伝子)の利己性が明らかにされてきたことの影響も大きかった。一見利他的とみなされる行動も、実は別の動機(あるいは遺伝子が仕組んだ戦略)があり、結局は自己(あるいは自己の遺伝子)に有利な結果を目指すものである、とそれらは論証する。
(略)ほとんどの行動科学者は、仲間におめでたい奴だと思われるのを恐れている。(中略)冷徹な研究者は、自分が利他的であると言ってきた行為が、もっと頭の切れる同業者によって利己的な行為である証明されること以上の屈辱はないと思っている。一見すると自己犠牲に見える行為から利己的な動機を見つけ出そうとして、行動科学者たちが必死になってきたのも、この恐れによって説明できるだろう。(ロバート・フランク『オデッセウスの鎖』山岸俊男監訳、サイエンス社、1995年)
エゴイズムから利他性はどのようにして生じると考えられるのか。それは例えばエゴイズムに長期的観点を与えることである。長期的な人間関係を維持することが個人にとって有利であり、短期的な観点による利己的行動がこの関係を壊してしまうことになるならば、人はそのような行動を控えるであろう。個人が合理的であり、将来の予測をある程度立てられるのであれば、エゴイズムから道徳が生まれるであろう。集団や社会に属することは個人にとって長期的利益になるゆえに、道徳の求める短期的な損失を耐えてでもそこに留まるのである。つまり道徳は集団・社会が与えてくれる便益に対する支払いのようなものである。このようにして、他からの強制も、外在的な道徳の内部化もなしで、利他的な関係を形成することができる。
もし伊藤整がこのような知的状況を目にしたならば、どう思ったであろうか。エゴイズムの修正バージョンを採用して、自説を補強しただろうか。ただし、注目されているのはエゴイズムが積極的に活用する合理性なのだが、伊藤整はそういう意味での合理性を取り上げることはしなかった。彼が認めた「合理化」というのは、隠すとか誤魔化すという意味でうまくやる機能でしかなく、建設的な役割は想定していない。あるいは、彼は合理性という明るさを秩序の側に見出していたのかもしれない。彼にとって、暗いエゴは秩序の敵であるので、両者の結びつきは考えられなかった。もしくは、西洋的合理性というのは虚偽の体系とみなして、エゴイズムの巧妙な手段と考えたのかもしれない。
6 利他性
今まで、「利己的」あるいは「エゴイズム」という言葉を厳密に定義することなく使ってきた。ここで整理を試みてみよう。
一般に、利己的ということは、「自分のことを第一にする」というような意味に受け取られているであろう。ただ、これだけでは他者との関係が明確ではない。「自分のことを第一にする」という態度と他者の状況との関係は以下のようなものが考えられる。
1 「自分のことを第一にする」ことが、他者にはほとんど何の影響も及ぼさない。
2 「自分のことを第一にする」ことが、他者に害を与える。
3 「自分のことを第一にする」ことが、他者に利益を与える。
私たちの行動のほとんどは1か3のケースに属する。もちろん、意図しなくとも他者に害を与えていることはある。自己の状況が他人に嫉妬心を起こさせるときなどである。このような場合をどう扱うかは問題であるが、ここでは省略する。
3のケースは市場交換が典型的である。私たちは商品を買ってカネを払う。買った者は、強制されたり騙されているのでない限り、そのことで利益を得ている(そうでなければ、買ったりしない)。売った者も利益を得ている(そうでなければ、売ったりはしない)。つまり自発的交換は当事者双方に利益を与えるのである。
「自分のことを第一にする」ことがエゴイズムの定義であるならば、私たちはみなエゴイストである。しかし、それではエゴイズムは人間の性質であると言っているにすぎない。エゴイズムに実質的な意味を与えるのは、2のケースである。つまり「自分のことを第一にする」だけではエゴイズムとは言えない。むしろ、「自分のことを第一にする」のは生物個体としての私たちには当然のことなのである。
そこで問題が生じる。利他性というのは「自分にとっては損失であるが、他者の利益になるような行動」を形容する言葉である。「自分のことを第一にする」のが私たちの性質であるならば、利他性というのは謎である。謎ではあるが、それは現実に存在する。
「自分のことを第一にする」はずの人間が利他的な傾向を示すことの説明に、遺伝的進化論者はいろいろ説明を試みた。まず、血縁選択が挙げられる。自分と遺伝子を共有する他人を助けることは、遺伝子レベルでみれば利己的な行動である、というわけだ。では、血縁関係にない他人についてはどうだろうか。互恵的利他主義というのがその答えだ。一方的な援助とみられるものは、実は時間をずらした交換なのである。いまは私がお前を助ける、だから、次に私が困ったときには助けてくれ、という暗黙の契約である。あるいは、善人であるという評判はその人を有利な立場につかせるから、人は評判を得るために人を助ける。だが、そんな考えを持って人は利他的行動をするのではないはずだ。そういう疑問には自己欺瞞という説明がなされる。人を騙すには、まず自分を騙さなければならない。私たちは利他的行動は無償であると意識しているが、意識には真の動機が知らされていないのである。
もう一つの説明の仕方は、集団選択論である。人間は集団で生活する。他のメンバーを助けようとする成員がいる集団は、そうでない集団よりも生き延びる可能性が高いであろう。長い年月の間に、利他的な傾向を持つ成員によって構成される集団のみが生き残った。それゆえ、私たちには利他的傾向がある。
これに対する批判は以下のようになる。利他的な成員の中では非利他的である成員は有利であり、生き延びる可能性が高い。それゆえ、いずれは非利他的な成員が利他的な成員を淘汰してしまうであろう。このような批判にさらされて、集団選択論は人気を失ったが、再評価される傾向もあるようだ。
いずれせよ、利他性と「自分のことを第一にする」は必ずしも相反はしない。ところで私たちが「自分のことを第一にする」のは、考えた上でのことではない。大雑把な言い方をすれば、私たちにとってそれが「快」であるからだ。利他的行動が「自分のことを第一にする」からなされるのであれば、それは快でもある。つまり、利他的行動は喜びであるのだ。利他的行動はエゴイズムとは相反するが、エゴに満足を与えることができるのである。
ところで、このような利他性が存在するとしても、それはそれを保持している個人の生存(正確にはその遺伝子の存続)に役立っていることになるのであれば、これはやはり利他性の利己的な解釈ではないのか。しかし、私たちはそのことを意識していない。スティーブン・ピンカーは、その辺りの事情を至近要因と究極要因の違いと説明している。擬人的な言い方をすれば、遺伝子は私たち(個体)を操作するのに、感情とか欲求とかいう即時的・即自的な動機に頼っている。私たちは単に望ましいから、楽しいから行動するのであって、その行動が自分自身にどのように役立っているかを判断して行動するのではない。私たちが利他的行動をするのも、それが即時的・即自的に望ましく、楽しいからであり、理性的判断はその理由付けを提供するにすぎないのである。
7 市場
しかし、人間には利他的性向があると言っただけでは、伊藤整の問題提起に答えたことにはならない。利他的性向の働く範囲がどんどん失われていき、利己的性向がその役割を代替するようになっているという現実があるからである(ここでは、「利己的」という言葉を「他人のことを配慮しない」という弱い意味で使う)。この現象が汎利己主義とでも言うべき見方に基礎を与えているのだ。
自発的交換が正義を実現していると見て、制度の基本に据えようとするのが市場主義である。交換のネットワーク・システムがうまく機能すれば、集団的統合の理念(利他主義)なしで、社会は効果的に運行する、という見方である。
協同と交換の関係は輻輳している。共同体の中でそれらは同時並行して、ある場合には混ざり合って、行われている。その関係に深入りすることはここでは避けて、単純化した見方を取ろう。共同体と市場によって、その二つを代表させることにする。
このように見ると、伊藤整が「秩序」と捕らえたものには二つの形態が含まれていることが分かる。一つは集団を単位とする協同のシステムである共同体であり、もう一つはカネを媒介として人々を結びつける交換のシステムである市場である。共同体においては個人の利他的性向が助長され、利己的性向は抑えつけられる。市場においては、売買の非人格性が人間性(利他的傾向)を踏みにじり、あるいは無用にする。伊藤整が「秩序」に見た抑圧性あるいは疎外現象は、個人の利己・利他の両面の性向に(別々に)作用しているのである。
現代においては、利他的性向を生かす場である共同体というのが、核家族にまで凝集さてしまっているか、企業という利益追求の場である「組織」に閉じこめられてしまっている。それを嘆く声は大きい。しかし、伊藤整の主張は、本来利他的性向によって成り立っているはずの共同体においてさえ、利己的な動機がはびこっているということにある。というより、それ以外の動機は見当たらないではないかと言っているのだ。これは彼の「秩序」脅威論とは整合性を欠いているのだが。
ある意味で伊藤整の視点は市場主義的経済学者と共通している。家族内や企業内の人間関係も、個人の利害に基づいて理解できると考えるからだ。そのように考えることが出来るような事実もある。私たちは過去の人々よりも大きな資源を個人的に支配しているので、それを使って生存を確保しやすくなっている。個人的に支配できる資源が不足していた時代は、親しい人間という人的資源に頼らざるを得なかった。そういう依存が薄れてしまえば、資源を媒介とした関係、すなわち交換に基づく合理的な関係があらゆる場面に浸透していくのは当然のことである。
利己性と利他性の相克に悩むのは、いつの時代の個人もそうであったろうし、個人の性格によって敏感に反応する場合もあったろう。伊藤整にあっては、個人的な傾向と過渡期的時代風潮のゆえに、利己性の優位について考えざるをえなかったのであろう。今の私たちは彼よりももっと大胆になれるのである。
現代の私たちは、十分な市場さえあれば、他人の援助なしに(そして干渉なしに)生活が可能である。生活に必要な物はすべて市場で調達できる。各種のサービスでさえ買うことができる。万一の備えとしての保険があるのに、近隣の助け合いなど必要とするだろうか。家事労働は外部化され市場化されて女性がそれを専業として分担する必要性は薄れた結果、女性の就業機会が増えたこともあって、男女分業の場としての家庭がなくとも男女とも単身で生活が可能になった。行政サービスでさえ、どこまで「民営化」できないかが問われている。
市場は利他心を不要にしてくれる。「カネさえあれば何でもできる」という主張と「カネでは買えないものがある」という主張の対立の焦点は、貨幣の有効性にあるのではなく、利他的傾向なしで人間は存続できるかという問いかけにある。市場が最も効率的に人々の生活を維持・発展させるのであれば、利己心のみで十分ではないか。問題があるとすれば、利己心が市場のルールを破壊してしまうことだが、私たちが合理的に利己的であるならば、市場による共存共栄を尊重するのではないか。
問題になるのは格差であろう。人々が正当な活動の結果として得たものに格差があると考えるのであれば、多く得た者が少ない者に与えて差を縮めることの必要性は感じない。獲得の仕方に様々な問題があると考えるのであれば、格差は様々な程度で是正されるべきであると感じる。あるいは、多く持つ者は少なく持つ者に分かち与えるべきであるという利他的な観点からは、いかに正当に獲得したものであろうと、多く持ち続けることは非難されるべきことである。しかし、同時に私たちは利己的でもある。自分が持っているものは、他人より多くても、手放すのは惜しい。将来自分が手に入れるはずのものを、そのときが来たら分けてしまうというような約束をしたくはない。
政府の役割の一つ、それも重要な役割の一つは所得再分配である。その役割の必要性を認めるかどうか(あるいは、どの程度まで認めるか)が市場主義を推進する人とそれに反対する人の対立点である。ガチガチの市場主義者であっても所得再分配の必要性を全く認めないことはないであろうが、政府が強制的にするのではなく、寄付や贈与などの自発的な形が望ましいとする。所得分配の差というものをどの程度容認できるかというのが、利己心と利他心の妥協点である。私たちは利他心を無視できないが、そのことでしょっちゅう悩むのも嫌なので、政府に権限を委任することにあまり不満は感じない。自動的に格差をある範囲内に納めるような所得再分配のシステム、それが私たちが利他心にわずらわされることなく生活していける条件である。そこにおいて、私たちは心おきなく利己的になれるのである。
利他的性向が薄れることは悲しむべきことなのであろうか。愛情はカネがからむことによって喜びを減じてしまわないか。人を助けることが税金などの義務的な支払いになってしまえば、そのうれしさは失われてしまうのではないか。そういう懸念はあるであろう。しかし一方で、利他的性向を支える道徳的難詰は、党派性を生み、異端者を迫害する。そういう側面が減少することは好ましいことではないだろうか。
社会を主として支えているのが利己心であるならば、私たちは伊藤整にこう言うことができる。「利己心が全てであっても、それに何の問題があろうか」
8 文化
では、文化はどうなるのだろうか。伊藤整も文化の重要性については言及しているではないか。
思想的には伊藤整は孤立していた。文化的差異による説明によって彼の普遍的立場が批判されていたのである。『小説の方法』(1948年)は大方の人には私小説擁護の書と受け取られた。伊藤整にとっては、私小説も西欧流の本格小説も同じ文学なのである。エゴが人間に普遍的であるなら、日本でも西欧でも(そして他の地域でも)文学の本質は同じはずだ。その現象形態が環境(社会、文化)によって変わるだけではないか。
文化という概念は、世界の普遍的理解に対して、歴史性を強調することで異議を唱えるものである。普遍という考え方は、法則、形式、一般性などに注目して、個々の現象の独自性を見失わせてしまう。歴史でさえ、歴史的法則に還元されてしまうのだ。ただし、個々人と法則の間には、偶然性による差異というものがある。偶然は個人のレベルでは統計的なバラツキにすぎないかもしれないが、集団的な現象としては独自のまとまりを形成する。それが文化であり、それは普遍的ではなく歴史的であるのだ。
文化による差異を強調する考えでは、人間性の本質までにその影響が及ぶとみなす。よく使われたその二分法的思考では、西欧=近代=市民社会=ヨコの人間関係、日本=前近代=封建社会=タテの人間関係という対比がなされ、私小説はこのような日本的特質から生まれたものとみなされる。平等な人間関係というのが近代的な道徳(ヒューマニズム)とされ、私小説にはそれが欠けているので道徳的に批判されることになってしまう。伊藤整にとっては反道徳が文学の本質なのであるから、文学を道徳化するというような考えに同調できるはずはなかった。しかし、このような考え方は戦前から強力であり、戦後においても支配的であった。伊藤整でさえ、そのような考えを取り入れざるを得なかった。伊藤整が文化主義に汚染されてしまったことは、当時の風潮からすればやむを得なかったとはいえ、惜しまれる。しかし、彼はエゴがそれぞれの社会・文化に適応する過程で異なった様相を取るという形で、普遍のエゴと文化を妥協させようとした。
残念ながら彼の理論は説得的とは言えない。普遍性を求めるあまり彼の論議は大雑把で粗雑になりがちである。特に『小説の方法』の後半と『小説の認識』(1955年)の前半はそうであり、時には思いつきの垂れ流しになってしまい、こじつけや詭弁とさえ思われるところもある。この時期の彼はまだ考えをまとめきっておらず、試行錯誤の段階にあったのであろう。この混沌の原因は、エゴと秩序の関係において、秩序に二つの意味を持たせたことだ。秩序を枠のようなものとして捕らえると、囲い込んで制限するというイメージとは別に、形を作るというイメージが出てくる。秩序はエゴを抑えつける一方、無限定な生命に形を与えるものとされる。秩序は構成や様式を生み出すことになるのだ。「生命は抵抗物を見出すときに現れるもののようだ」(「散文芸術の性格」一九四八年、『小説の方法』所収)とか、「敵なる秩序の逆用であり、従うことによって失う筈の生命を、従うことによって逆に倍加し」(「藝による認識」1949年、『小説の認識』所収)という言い方で、抑圧が励みに、抵抗が依存に変化させられてしまう。それに対応して、偽装という消極的機能を持たされていた仮構が、構成という積極的機能を持つようになる。秩序の二面性によって理論の矛盾が糊塗されてしまうのだ。
伊藤整の思考の特徴は相似による認識であり、似ているものは同じ原理に従うというような考え方である。だから、文体などの観念的な論議になると抑制を失って漂い出してしまう。逆に、具体的な作家の創作活動が語られるときは面白い。創作の動機の卑俗性というか、実践性というか、状況と作家と作品の関係が、環境決定論的ではあるが、作家の個性や主体性が失われずに、把握されている。「近代日本人の発想の諸形式」(1953年、『小説の認識』所収)は一つの集大成であり、傑作と言っていいであろう。この評論の題は「作家的発想の諸形式」とすべきであった。「近代」とか「日本人」という限定を外れて、普遍的な人間としての作家像を描いて優れている。類型化のレベルを、時代、文化、社会などよりも個人に近くすることで、伊藤整の方法は生きてくる。彼が『日本文壇史』を書いたことが納得される。
とにかく彼はその普遍的人間観を終生保持したが、それが正当に評価されることはなかった。後代から見ると、そのユニークさが埋没してしまい、同時代の他の評論と区別がつかなくなっているのだろう。例えば、『近代日本の批評 昭和篇下』(柄谷行人編、福武書店、1991年)の中には、「事実、戦後十年ほどの批評家を自称した人たちの文章を読むと、伊藤整にせよ、これが批評家の言葉かと耳を疑いたくなるようなものばかりでしょう」という蓮見重彦の発言がある。しかし、同じ中で、蓮見重彦は次のような認識を示している。
かりに、浅田さん的に、六八年に重要性をおくとしても、この時代はやはりマイホームの時代なわけ。つまり、核家族的なブルジョワ化が避けがたく進行した時代というか個のエゴイズムの時代というか、非常に利己的な利害が人々をとらえた時代であって、共同幻想もへったくれもないと思う。未開と文明もない。いかにして同時代の経済的な繁栄と自分を調和させていくかってことが、いまだ無意識ながら非常に生活のなかに響いてきた時代でしょう。
そういう時代の傾向は加速ないし継続していったはずである。伊藤整がそれを予想したというのではない。むしろ伊藤整にしても意外だっただろうが、経済発展の中で「個のエゴイズム」が社会と調和したのである。私たちは豊かになり、そして変わったのである。二十世紀後半のユニークな経験とは、豊かさが人間を、社会を変えたということなのだ。文化的差異よりも経済的豊かさが私たちをよく説明できるのだ。少なくとも伊藤整は普遍のエゴイズムという見方において、文化よりも確かな基盤を見出していた。
一方、文化はもてあそべるし、もてあそぶこと自体がまた文化なのである。文化は恣意的に扱われることを許容する。文化的な差異などというものは流行でしかなく、人間を理解するのに何ほどの役に立ったろう。例えば、『近代日本の批評 明治・大正篇』(柄谷行人編、福武書店、1992年)で柄谷行人は次のような発言をしている。
しかし、中国的であれ、西洋的であれ、日本人の大多数にとっては父権的な思考は合わなかったと思う。もちろん、日本も父権的なのですが、母系的なものがかなり遅くまで残っていた。厳密に言うと双系制だけれども、中国や朝鮮に比べれば、母系的なものですね。(中略)儒教が国民に普及したのは、明治以後です。近代日本人は、いわば父権的な思考に入っていったわけです。(中略)しかし、母権制と母系制は違う。日本の古代はどうさかのぼっても、結局父権制なんですよ。それは母系的なものを利用した支配です。(中略)そういう意味で、日本の思想的土壌においては、あくまで父権的でありながら、母系的なものが優位にあったということができると思う。(中略)むろん、この父権制にして母系制という二重構造は、別のさまざまなレベルでも見られるんですね。
座談会での発言などを取り上げても仕方のないことかもしれないが、このような文化の使われ方は、どうにでもなることであり、つまりはどうでもいいことなのだ。父権制・母系制という言葉をきちんと使うならば、父権制と母権制の対比、父系制と母系制の対比、二つの対比の相違と関係、その組み合わせ(父権・父系、父権・母系、母権・父系、母権・母系)、さらには双系制とやらについてはっきりさせなければならない。「父」と「母」という言葉を使うのは、その対比によって何ごとかを語ろうとするのであろうけれど、両方の要素があるということで「父も母も」にしてしまったのでは、そもそもなぜ「父」と「母」の対比があったのか分からなくなる。首尾一貫させようと思うのであれば、少なくとも四つの様相(父+母+、父+母−、父−母+、父−母−)について語られなければならない。
このような私の批判の仕方は構造主義的かもしれない。構造主義もまた古いファッションとして忘れ去られているが、私はいまだにレヴィ=ストロースを愛読している。彼の著作の中で私が一番好きなのは『今日のトーテミズム』である。その中に、そこで扱われている主題とは直接関係ない脈絡においてではあるが、印象深い箇所があるので引用してみる。オーストラリアの先住民の婚姻クラス組織に関する記述である。
そこで、四分組織あるいは八分組織が発案され、模倣され、ないし理知的に借用されたとき、その機能はつねにまず社会的であった、つまり比較的簡単な、しかも部族という限界をこえて適用されうる形で親族体系および婚姻による交換体系を法規化するのに役だった——そして、いまだにしばしば役立っている——と措定しよう。しかし、これらの制度は、ひとたび与えられると独立した存在を営みはじめる。好奇心あるいは審美的驚嘆の対象として、また、その複雑さのゆえにより高度の文明の象徴として‥‥。これらの制度は、その機能を十分に理解しない隣接の住民たちによって、そういうものとして借用されることも度を重ねたに違いない。そのような場合には、既存の社会的規則に合わせておおまかに調整されたこともあったし、すこしも調整されなかったこともある。その存在様式は観念的であるにとどまり、原住民たちは四クラスあるいは八クラスを《もてあそぶ》か、あるいはただ忍従するだけで、ほんとうにこれを使いこなすには至らない。(『今日のトーテミズム』仲沢紀雄訳、みすず書房、1970年)
馴染みのない規則を強制されたある男は嘆く。「われわれは八クラスが少しも理解できません。これはなんの役にも立たないばかげた組織で、せいぜいかれら北部地方のアランダ族のような気違いどもには良いのでしょう。しかし、われわれは、われわれの先祖からこんなばかげた慣行は譲り受けませんでした」(同)。文化とはそのようなものでもある。
9 進化
はるか昔、遺伝子は自己の複製を効率的に作るために、代理人を作った。それが私たちである。依頼者である遺伝子は、代理人である私たちに報酬を与え、遺伝子複製にうまくたずさわるようにさせた。ところが、ここに経済学者のいう依頼者・代理人問題が起こってくる。依頼者である遺伝子の目的は自己の複製である。しかし、代理人である私たちは報酬を求めて行動する。両者の目的はほぼ一致するはずだった。そうでなければ人類は存続していない。しかし、実際は完全には一致していない。しかも、そのずれは拡大しているようである。食欲は身体の維持のために必要だ。だが、豊富な食料のせいで私たちは食べ過ぎて健康を害している。性欲は生殖のために必要だ。だが、私たちは避妊して性交を楽しんでいる。攻撃性は保身のために必要だ。だが、威力のある武器は過大に殺傷を引き起こしている。利他性はみんなのために必要だ。だが、自爆テロだって利他的行動のつもりなのだ。等々。
遺伝子が代理契約を結んだのは、私たちが小さな集団で細々と暮らしていた時代である。そういう環境では、遺伝子の約束した報酬は、依頼者と代理人の利害を一致させるものだった。しかし、この代理人(私たち)は、わずかな報酬に甘んじることなく、環境に働きかけて報酬の拡大を図った。その結果、依頼人(遺伝子)には予想のつかなかった世界を作り出してしまった。
いま契約を結び直すとすれば、遺伝子は報酬を貨幣にするだろう。貨幣を蓄積し、保全し、それを子孫に引き継ぐという衝動を持たせれば、代理人たる私たちはひたすら経済活動と繁殖活動に精を出すであろう。金儲けに成功した人間が生き残り、財産と遺伝子を引き継いでいく。子どもたちは財産によって損なわれることなく、さらに蓄財を重ね、繁栄していく。しかし、契約には何万年とかかり、その頃には貨幣などは消滅しているかもしれない。遺伝子は私たちを支配するが、はるか遠くからなので、うまく操作できないのだ。
市場万能の世界で遺伝子が頼りにするのは合理性である。現代の私たちは余計な感情は持たない方がいい。合理的に行動することが成功の秘訣である。バランスのよい食事(味や量は無視する)、利発な子どもを得るための伴侶(容貌が成功と無相関なら無視する)、冷静な判断(金持ちけんかせず)、他者との適当な距離(カネがあれば独力で生きていけるのだから、他人とかかずらうことで時間と経費を無駄にすることはない)などが望ましいのだろう。市場化は私たちをそういう世界へ連れていくのかもしれない。
伊藤整がこのような状況を知ったら、むしろ困惑しただろう。彼の芸術論は、秩序に反抗するエゴによって作品が作られるというものである。現実とは別次元においてエゴは自己実現を試みるのだ。しかし、もし現実がエゴにとっての理想郷となったら、芸術はいかにして生まれることになるのか。
何度も指摘してきたことだが、伊藤整が秩序としての現実において認識するのは、エゴの跋扈する姿である。エゴはある意味で秩序に安住している。もちろん、秩序に反抗するエゴを描くことが、秩序に反抗するエゴによる芸術になるという鏡のような関係ではないだろう。だが、伊藤整の理論では反秩序が作者と作品を貫く原理なのだ。だから作中のエゴたちは自分の反秩序性を現そうとするのだが、示せるのはみみっちいものでしかない。作者の理論的意図に沿って反秩序を演技させられているかのように。
伊藤整の代表作である『氾濫』が描いているのは、自由化(市場化)された世界、合理的な世界の陰画なのだ。そこにはこの合理的な秩序に逆らうエゴなどいない。作中人物が不当に負わされている罪悪感を取り除いてやれば、彼等の醜さは消え失せてしまう。彼等は市民的、なつかしい言葉を使うなら小市民的なのである。小悪党と呼ぶのもかわいそうなくらいだ。しかし、作者も作中人物もそのことを自覚していない。
桶谷秀昭は『氾濫』について次のように言っている。
このやうな男女の組み合はせと、家庭の内と外とで生まれるその葛藤の地獄相から、さらにテエマを抽出していけば、地獄を救済するのは、人間の真実でも、正義、道徳といふ観念でもない。人間の弱点をいたはり、相手を傷つけまいとする思ひ遣りであり、時には思ひ遣りが生む虚偽であるといふ思想であらう。
しかし、この小説で作者が描いたのは、ひたすら人間の地獄相であり、思い遣りよりそれが生む虚偽の強調である。(『伊藤整』)
たしかにあたふかぎり精密な認識がある。しかしその認識は「生命をそれの働き」においてとらへる芸術の認識からそれていくことで精密になったのではないだろうか。人が生きていく情緒といふものを締め出すことによって認識の精密さが濃くなってゆくとすれば、それは「残酷な小説」とは別のものである。(同)
エゴイズムは「思い遣り」とか「情緒」とかで救われるようなヤワなものではないと伊藤整は反論するであろう。しかし、伊藤整は戸惑うかも知れないが、エゴにとってそれらが「救済」になるかどうかは別として、必要とはされるに違いない。なぜなら、エゴはそれらを求めるからだ。私たちは過去の契約に基づく報酬に縛られている。私たちは魅力のある異性に恋し、つまらぬことに憤り、仲間を助けるためには犠牲となることもいとわない。伊藤理論を次のように言いかえることができるだろう。秩序の功利性(合理性)だけではエゴは物足りない。
市場はカネさえあれば何でも手に入れることのできるパラダイスである。しかし、そこで得られるのは交換(ギブアンドテイク)の精神に裏付けられたものだけだ。感情ではなく勘定の支配する世界である。感情という古い報酬を求める私たちはそこでは満足しきれない。かといって、市場の外には世界はない。どうすればいいか。答えはやはり市場にある。唯一私たちがカネで買える感情は、幻想を媒介としたものである。市場は幻想を取り込んでますます拡大するだろう。
ようやく伊藤整に回答ができそうだ。エゴイズムは幻想において完全になる。そこでは利己性と利他性の区別がつかず、私たちはもはや苦しむことはない。
そこが天国であるのか、地獄であるのかは、分からないけれども。