愛の夢
1
夢というのは脳の活動の結果であるのは自明である。眠りにあるときに脳が使えるデータは記憶だけのはずだが、様々なデータを操作することにより、多様な夢が生じるのだろう。私たちは寝ている間中ずっと夢を見ているようなのだが、記憶として残るのはまれである。覚醒時に直前の夢を憶えていることは多いが、記憶しようと努力しなければほとんど忘れてしまう。夢見る本人の記憶に残っていなければ、夢があったことは誰にも分からない。
夢でTに会った。夢だから、過去にあったことと、経験したはずがない奇妙な出来事が混ざり合って、おかしな展開なのだが、むろん夢の中の私はそれを変だとは思わない。
Tはいわゆる人妻である。有夫女性というのも同じだが、この言葉の使い古され感には辟易する。人夫(ヒトオット)とか有妻(ユウサイ)とかは使わないことに、男の側の勝手さが明らかである。とはいえ、既婚者という言い方の中立的な振りも馴染みにくい。
とにかく、Tは結婚していて、私は独身だった。私たちは職場で知り合った。Tは以前から夫に対して不満を潜在させていて、私がそれに付け入ることになった。私でなくとも、いずれ誰かとそのような関係になったのかもしれない。
不倫という言葉は、音の響きだけならいいのだけれど、字面は倫理から外れるという意味そのものであり、反発を感じる。では、何と表現すればいいのだろう。女性については有夫姦と言い方もあるらしいが、そもそも不倫というのも女性の側だけに言われがちで、ジェンダー的である。婚外恋愛がいいかもしれない。それでは浮気みたいで軽すぎるのであれば、いっそのこと婚外性交としたら実態に近くてインパクトがありそうだ。略して外婚。ガイコンでは意味が違ってしまうので、ソトコンと読ます。
Tとはずっと以前に別れてしまっていたので、私はTに対する感情を忘れてしまっていた。いや、正確には、別れ際のゴタゴタのせいで、Tへの悪感情がそれ以前の私の思いを台無しにしてしまった。今では、時に思い出すと懐かしい感情が湧くが、それは愛し合っていたころの気持ちとはかけ離れたものだ。
夢の中で私は山陰の温泉の旅館にいた。勤め先の社員旅行のときの記憶である。Tも一緒だった。バス一台の人数だったから五十人くらいの参加者だったろうか。大広間の夕食会場から中年女性たちが引き上げ始め、席が乱れてあちこちに小さな集まりができ、けじめのないままに宴会は終わりかけていた。カラオケやバーに移る連中もいた。私はTと示し合わせて旅館の外へ出た。外にまで繰り出す者はほとんどいなかったので、気が付かれずに脱け出せた。
愛という言葉が具体的にどのようなことを意味しているのかいろいろ見解はあるだろうが、私たちにとっては、一緒にいられること、抱き合えること、抱き合ってお互いの体に夢中になること、そういうことだった。会いたいという思い、会えたなら抱きたいという思い、そして会えるし抱けるという確信、期待というか欲求というか、そういう感情が私たちを高ぶらせ、満ち足らせていた。幸福と言ってもいいだろう。他に望むことは何もなかった。
旅館街の通りを外れると小さな公園があった。誰もいなかったので、そこで立ったまま体を抱き合わせた。キスをし、浴衣の下の下着をずらせて体を愛撫した。どこから来たのか子猫がTの足元にじゃれついてきて、追い払っても離れない。子猫に邪魔されて、私たちは場所を変えた。少し行くとケバい看板のホテルがあった。私は入ろうとTに言ったが、さすがにTは拒否した。さらに行くと海の近くに小さな展望台なようなものがあった。少年たちが傍にたむろしていた。私たちは階段を登って台の上に出た。夜なので当然展望はない。私たちは誰もいず、誰からも見られないその場所で、さっきと同じことした。
夢の中ではそういうことは出てこなかった。同僚たちと混じって旅館の中をさまよっているようで、私は何とかTと二人きりになろうとするのだが、なかなか思うようにならない。しかし、Tと二人きりになって抱き合うことができるという期待がずっと私を捕らえていて、膨らんで爆発しそうな気持になっていた。結局、夢の中ではそれはかなわなかったのだが、目覚めてから夢の記憶をたどっているときに、その気持ちがよみがえってきた。
これが愛だ。かつて私にも感じられたのだ。もちろん、他の女性とも似たような経験がないことはなかった。しかし、それらがTの場合と違っていたのは、一緒になること、一緒に住み、生活を共にするということがその後に続いたことだ。私たちは将来のことを考え、それが現在に跳ね返って態度に影響する。打算というのではないけれども、さまざまな思惑が絡みつく。
Tとの場合は、短くはない年月の間、ときどき密かに会うだけで、食事をともにすることさえまれだった。普段はそれぞれの生活を営み、一緒にいられる三時間ほどの間に、交わす言葉は短く、会話といった内容もなく、ただただ抱き合うことに熱中した。過去も未来もなく、いまだけ。会っている間は、いわば、燃え続ける。そして離れた後も燃え尽きることはなく、再び酸素が吹き込まれるのをひたすら待つ。
愛は刹那的でなければならないのだろうか。一緒に生活すれば、相手のそれまで知らなかった面に気づき、自分の行動が制限され妥協を強いられ、怒りや不満からケンカもし、さらに悪いことには、不平不満を言い出せずにため込み、毒となって心を蝕む。別れようにもしがらみから抜け出せない。当初の愛もいつの間にか単なる欲望に転化してしまう。
愛は生活に負けるのだろうか。いや逆に、生活を破壊するか、あきらめるかしなければ、愛を持続させることはできないのだろうか。
夢の中でTへの愛が復活した。もちろん、それは私の一方的な思いでしかない。私の記憶に秘められていたTとの経験にアクセスできたというだけなのだ。そもそも、T自身が私のことをどう思っていたのか、確かなことは分からない。それはTしか知らないことである。しかし、私がTを愛したように、Tも私を愛していたことは、私には信じられた。私たちはお互いに相手を愛する部分でしかなかった。全体を委ねるには生活が必要だった。生活を得るためには私たちは愛以外のことに関わらなければならなかっただろう。その過程で愛は失われていっただろう。
夢から覚めたときに、私は愛がどんなものだったのかを理解した。そして、いまの私にはもはや再び得ることはないことを悟った。
愛とは愛する二人を生活に導く誘因物なのだ。生活をともにするようになると、愛はその役割を終えて消えてしまう。後は生活が二人を縛りつける。愛がはかないのではない。愛は単に生活の外にある。人々が自分の道を歩もうとするとき、生活を作り出さねばならない。その最初にだけ愛が可能なのだ。
Tと私は二人の生活が可能でないところで会い、愛し合った。あんなにも長く愛が続いたのは、いつまでたってもそのままだったからだ。もし、Tが離婚し、私と結婚していたならば、愛はそこで終わっていただろう。愛がもっと強ければ、二人はそうしていたのかもしれない。ということは、私たちの愛は弱いゆえに、消えずに済んだのだろうか。
愛には生活を導くという力はない。生活への道を開くトリガーにすぎないのだ。思わせぶりにではなく言うと、愛は性交にのみ結びつく。性交の結果子供が生まれることによって、私たちは育児という段階に追いやられるのだ。遺伝子は自らの複製を残すために、自己保存と生殖の過程のいくつかのステージごとに生物がなすべきことをなさしめるようにしている。愛は適切な相手と性交をなさしめるように私たちを導くだけのものなのだ。子供が生まれれば、愛(性愛)は子供への愛に取って代わられる。育児のためには生活をしなければならない。
Tと私はトリガーにすぎない愛を目的にすることができた。実りのない愛だったからこそそれが可能だった。むなしい愛だったからこそ純粋だった。夢の中のTがそれを教えてくれた。
2
また不思議な夢を見た。
中学・高校を通じて、私は一学年下のAという少女に憧れていた。Aと私は、中学生の二年間、高校生の二年間、計四年間を同じ場所で学んだ。私はAと話したことはなかった。Aが私をどの程度認知していたかさえ分からない。廊下や校庭ですれ違うことがあるだけの関係であった。
ただし、Aと私が見知り合う機会はあった。私たちは同じ路線を使って通学していたのだ。登校時か下校時にAと同じ電車に乗ることがあった。そのことはAも認識していたはずだ。しかし、それ以上のことは起こらなかった。お互いに友達と一緒なので二人だけになることはなかった。たとえ二人きりになったとしても、話しかける勇気は持てなかったろう。彼女が私を相手にするとはとても思えなかった。
私が高校を卒業してしまうとAと会う機会はなくなった。それでも私はAへの憧れはしばらく持ち続けた。Aが高校を卒業してしばらくしたときに、私は一度Aに会った。それがここで話そうとする夢に関係するのだ。
Aがどこの大学に進学したかは知っていた。私は神戸の大学に通っていたが、彼女の通う大学は京都にあった。二人が接する機会は全くないと言っていいが、ただ通学の路線が一部共通していた。もっとも、お互いに登校や下校の時間が定まらない大学生なので、そのときに出会う確率はほとんどなく、私は期待していなかった。ところが、いつだったか時期は忘れたが、お互いが帰宅の途中、電車の中で出会ったのである。
いつもの私なら、彼女の姿を盗み見するぐらいのことしかできなかったろう。しかし、この時も私の無謀さが私を駆り立てた。勇気というようなものではない。何か目途や魂胆があったというのでもない。そもそも、私は女性とちゃんと付き合う仕方を知らなかったし、それを覚えるほどの経験もなかった。世慣れていないうえに、親しくない人と話すことが苦手だった。私ができたのはとにかくまず話しかけてみることだけだった。
Aは私に話しかけられて少し驚いたようだったが、礼儀上逃げ出さずに相手をしてくれた。話したのは大学のことだったように思う(他に話題は見当たらない)。何とか私が話をつぎ、Aは短く答えた。すぐにAの降りる駅に着いた。彼女は私から解放されることを喜んだろう。しかし、私も一緒に降りた。
警戒気味の彼女に私は説明した。駅は台地の麓にあり、登った台地の上にゴルフ場があって、私はそこの景色が好きなのでときどき寄るのだ、と。半分は本当で、半分は嘘だった。そこの景色が気に入っていたのは事実だが、たまたま行ってみたことがあるだけで、ときどき寄ったりはしていなかった。私の説明をAが信じたのかは分からないが、二人は並んで台地を上がる道を歩いた。彼女の家も台地の上にあった。周りに人がいなくなったので、私は思い切って告白した。ずっと彼女のことが好きで、彼女の姿を見ることが喜びだった、と。下手なやり方である。もっと穏便に、また会うことができないかと聞くだけにすればよかったのに。しかし、そうしたところで彼女はやんわりと断っただろう。だから、私の思いを打ち明けるのはそのときしかなかったし、そうすることで事態に何の変化もなくても、私たち二人の記憶には残るのだ。
彼女は頷くでもなく嫌がるでもなく黙って静かに聞いていた。返事のしようもなかったに違いない。彼女の家の前で私たちは別れた。私は彼女に説明した通りゴルフ場へ行った。台地の端の崖の上に木が数本立っていて、そこから下方の景色が見渡せる(下から見上げるその崖の景色も絵の題材になりそうな構図だった)。
一体、自分のしたことは何だったのだろうか。Aとのつながりができたのだろうか。彼女とは何の約束もしていない。ただ一方的に私が喋っただけで、そのことをAがどう思ったかさえも聞きはしなかった。彼女の心を動かすことは期待しなかったのか。断られてもいいから、また会ってほしいと言えなかったのか。結局、Aに対して何の働きかけもせず、彼女にしたところで反応のしようがなかった。彼女の反応に傷つくのが嫌だったので、彼女が反応しないでもいいように仕向けてしまったのだろうか。結局、その後Aと会うことはなかった。
はるか昔のことである。思い出すこともない。そのAが夢に出てきたのだ。夢の中でAの姿は定かではなかったのだけれど、私は彼女とだと分かっていた。二人は一緒にいたいのだが、例のごとくいろいろ支障が生じて、思い通りになれない。どうやら電車に乗っているらしい。電車を降りてからようやく二人きりになり、向かい合って座って話をした。私は彼女に付き合ってほしいと言った。彼女は残念そうに、結婚の予定があると返事した。私はやはりそうか思った。それだけの夢だった。
こんなにも長い間、また会ってほしいとAに言い出せなかったことを悔いていたのだろうか。夢の中のAの返事に私は失望しなかった。Aに交際を求めることができたことだけで満足していた。もしかすると、こういう夢を何度も見ているのだけれど、目がさめたときには覚えていないということを繰り返しているのかもしれない。青春の日に成し遂げられなかったことを、夢の中で何度も実行しているのかもしれない。
私は、性を排除しようとしたり、性をほのめかすだけでそれ以上露わにすることを避けたりするのは、偽善的だと言いたい。それでも、青春の一時期に心と体の葛藤を感じることを時代遅れとは思わない。性とは切り離されることが可能なように、まるで美という基準だけがあるかのように、一人の人間を好きになることはあるのだ。その幻想が破られたあとでも、その幻想を支えていた一人の人間の面影をずっと抱いていることもあり得るのだ。たとえ、本人がそのことを忘れてしまい、秘められたそのことに気づいていないとしても。
夢の中で私はAと静かに向かい合っていた。