井本喬作品集

気にする漱石

 あまたある漱石論の、たぶんほとんどは、漱石の作品をその深みにおいて捕えようとしている。漱石が何を思い、何を感じ、何を望み、何を行ったかなどを調べ、それらと作品を関係づけることで、いわば彼の創作の神秘を暴けるかのように。

 ここでの私のやり方は表面的である。漱石が読者の興味を引くためにどのような工夫をしたかを、作品から推察しようというだけである。夏目漱石は作家である。こういう分かり切ったことを書くのは、奇を衒っているようであるが(まさにその通りなのだが)、漱石を論じる多くの人が最初に失ってしまう観点のように思われる。だから、漱石の作品はもっと小説としての面白さから評されていいはずだ。大げさに言えば、作家漱石を思想家漱石から切り離すということになろうが、ただし、そこに何かの意義(あるいは異議)が見出せるというほどのものではない。単に私の興味によるものでしかない。

 何年か前、『坊っちゃん』が発表されて百年になるというので、松山では記念のイベントがあった。『坊っちゃん』の中であれほど悪口を書かれているのに、松山の人たちが腹を立てず、かえって街のシンボル的な扱いをしているのは不思議だ。「廿五萬石の城下だって高の知れたものだ。こんな所に住んで御城下だ抔と威張ってる人間は可哀想なものだ‥‥」「こんな卑劣な根性は封建時代から、養成した此土地の習慣なんだから、いくら云って聞かしたって、教へてやったって、到底直りっこない」「其夜おれと山嵐は此不浄な地を離れた。船が岸を去れば去る程いゝ心持ちがした」というように散々である。

 作中人物の言葉と作者の言葉を混同するような初歩的な間違いをしてはいけない、なんてとぼけたことは言わないでほしい。こんな風に扱われているのを承知しながら鷹揚として受け入れているのであれば、松山の人はよっぽど寛容なのだろう。それとも、観光商売のためには背に腹は代えられぬ、とあきらめているのかもしれない(一番考えられるのは、『坊っちゃん』を読んでいないのだ)。

 そういうところへは目くじらを立てぬのが大人なのだろう。そう、『坊っちゃん』は大人の小説である。若者が(すくなくとも少年が)読んで面白いと思うような小説ではない。そう思う子供がいたとしたら、よっぽど老成した人間に違いない。私の場合について言えば、『坊っちゃん』を読んで、面白いどころか、反発を感じた。なぜか。感情移入できる登場人物がいなかったからだ。学校の話なら「坊っちゃん」は先生だから生徒たちとの交流があるだろうと期待したのに、生徒はひとかたまりの悪意ある存在としか描かれていない。むろん生徒間の友情などというものがあろうはずはなかった。威勢がいいだけの主人公にはついていけず、他には書き割りのような人物が出てくるだけで、どこが面白いのか全然分からなかった。『吾輩は猫である』にしても同様で、人生はこんなもんかと見切りをつけた年齢にならなければ、自分や他人を笑う気にはなれない。むしろ、『こゝろ』の悲劇的な雰囲気なら共感できるのである。

 ところが、ある程度の年齢になり、失望させられるような経験も積み、自分の限界が明瞭になった目で見るならば、『坊っちゃん』は傑作である。一人称であるので、文体が主人公の性格を巧みに表現し、主人公の性格の独自さによって、叙述が笑いを誘う。プロットは明確。「坊っちゃん」が松山に中学の先生として赴任し、現地の人間といろいろ摩擦を起こし、結局辞めて帰る、というもの(辞めて帰る、という結末に到らすため、松山にいささかの未練も残すような情緒をつけてはいない)。ストーリーには無駄がない。結末の文章のさりげないような置き方は、漱石の作家としての伎倆の高さを示している。

  だから清の墓は小日向の養源寺にある。

 漱石については「則天去私」の思想家、あるいは実存的不安者として語られることが多い。思考者、追求者という面が重視されるあまり、初期の作品は漱石が作家となる単なるきっかけのように扱われる。逆に、そういう見方に反発して、初期の作品の小説としての完成度の高さを推奨する立場もあり、『坊っちゃん』派と『こころ』派の対立というようなものもあるらしい。しかし、作家としての漱石の面目はどの作品にも現われているはずだ。

 若い頃と中高年になってからではものの見方や考え方が違ってくるというのは、ありきたりで平凡な認識であろう。しかし、それを実感するには実際に歳をとってみなければならない。つまり、若い人にはその移行について体験による認識が不可能なわけだ。

 そこで、若い頃と歳を加えてからの読書体験の違いということを手がかりに、ちょっとした漱石論をやってみたい。このような体験(の違い)は普遍的なものではないようだ。高齢になっても若いころ読んだ本に同じような感動を(あるいは無感動を)おぼえる人もいる。そういう人は若いままの感受性を保っているのかもしれないし、若い頃から中高年の目(あるいは心)を持っていたのかもしれない。幸か不幸か、私は加齢によって本の読み方が変化する種類の人間だった。その不思議さ(当り前のように思えて、実は不思議なことではないか)に興味を感じたのだ。

 このことは、漱石がどのような読者層を想定していたかにも関わってくる。もちろん、作者の思惑は作品の実際の効果とは齟齬を来す。また、作者の証言でさえ創作の意図を正しく反映しているとは言えないであろう。作者と作品と読者の関係は複雑であるから、分析は容易ではない。ここですることは作品を読み返してみることにすぎない。

 うかつなことだが、『三四郎』を最初に読んだときには、これが三四郎の恋物語(失恋物語)であることに私は気が付かなかった。三四郎の美禰子への思いはいろいろなエピソードの一つに過ぎないように受け取っていた。原因は美禰子の描き方にある。美禰子ははなから三四郎など相手にせず、適当にあしらっているように見える。それに、美禰子は野々宮さんと特別な関係にあるようでもあり、その間に割り込んでいくほど三四郎が情熱的とは感じられない。注意深く読めば、美禰子は三四郎を翻弄しているとも取れ、三四郎も野々宮さんを出し抜く気でいる気配がある。それでも、三四郎は恋の主人公としては役不足であり、読者はそれほど期待しないだろう。三四郎と美禰子の関係が作品の焦点にはなり得ていないので、恋物語としては淡すぎる印象だ。

 『三四郎』と『坊っちゃん』は表面上は異なった印象を与えるが、実は似た作品である。両者とも若者を描きながら若者の感情移入を拒んでいる。だから、『坊っちゃん』の後に『三四郎』と並んでいれば自然なのだが、その間に『野分』『虞美人草』『坑夫』などがはさまっている。その理由として考えられるのは、『三四郎』は『野分』『虞美人草』『坑夫』での試みの失敗を挽回しようとした作品ではなかったかということだ。ただし、成功した地点(『坊っちゃん』)にまで戻るという消極的な戦略のもとに書かれている。積極的な意図がなかったために、過去の作品の要素を集めたごった煮(よく言えば総合)のような作品になっている。

 主人公の「三四郎」は、「坊っちゃん」とは対照的な人物に設定されているが、それがかえって回帰性を暗示している。主人公の相似性を避けようとした意図が明白なのだ。「坊っちゃん」は無鉄砲であり、先生として東京から地方へ行くのだが、「三四郎」は度胸がなく、学生として地方から東京へ行く。

 『野分』や『虞美人草』で扱われた師弟関係が、廣田先生と三四郎、與次郎の関係として組み入れられている。『野分』で白井道也先生を援助しようとする高柳は、廣田先生を支援しようとする與次郎となって再演される(一度目は悲劇で、二度目は喜劇で)。

 『虞美人草』の宗近・糸子の兄妹は野々宮・よし子に再現され、小野・藤尾・宗近の三角関係は三四郎・美禰子・野々宮の間に投影されている。恋の役割から言えば、三四郎は小野であり、美禰子は藤尾であり、野々宮は宗近である(さらに言うなら、三輪田の御光さんが小夜子に相当するかもしれない)。

 ただし、美禰子の性格は藤尾ではなく、『草枕』の那美を受け継いでいる。『草枕』は主人公の画家が泊まった温泉宿の娘である那美が主人公を翻弄する話だが、彼女は精神に異常がある(かもしれない)のでその突飛な行動の動機が解明される必要がなく、謎の女となりえている。漱石は『草枕』で「余裕派」という主張を打ち出して、作家的姿勢を模索しているが、これも若者には面白くない作品だ。若者は那美のような女性には反感をおぼえるだけで、恋の対象にはしない。男をもてあそぶような女性とのきわどいたわむれなどは、恋などとっくに諦めたおじさんのすることだ。しかも、「もしかすると」という下心がみえみえである。そういうおじさんの心境にならないと、つまらないだろう。

 『三四郎』の美禰子は、那美とそっくりである。三四郎も『草枕』の語り手と同じように、ヒロインに適当にあしらわれるが、そういう自分のみじめさを主観的に語ることはない。美禰子は藤尾にはあった明確な輪郭を与えられず、那美のようなコケティシュで得体の知れない存在に戻っている。それが恋物語としての『三四郎』の性格を曖昧なものにしている。美禰子は世界という不可解で、魅力的で、危険なものの象徴である。三四郎は自信のなさと淡い期待で、美禰子を見ているだけなのだ。執着というものは現れてはならない。人間はみな、通行人のように、ただ流されて行くだけなのである。激しい動きは、滑稽という形をとってのみ、実現する。

 ところで、『坊っちゃん』から『三四郎』への経過が直線的でないことに、漱石の創作上の多様な試みがうかがえる。では、『野分』『虞美人草』『坑夫』などで何が試みられたのであろうか。一つは、『草枕』ではある程度成功した美文調・漢文調的な叙述のスタイルである。もう一つは、『草枕』にはまだ残っている「高踏性」からの脱却である。社会性あるいは通俗性とでもいうべきものの導入である。

 『吾輩は猫である』や『坊っちゃん』は、漱石が自分自身を読者として書いたような作品である。もちろん作品として発表するのだから、読者への配慮は必要だが、自分自身とは異なる読者の特性にはあまり気を使う必要はなかった。

 漱石が表現したかったものの一つに不正への不満がある。『吾輩は猫である』や『坊っちゃん』では世の中の不正はどうしようもないものとして諧謔の対象となっている。しかし、作品の発表の場が広がって(自分とは違った)多くの読者というものを意識したとき、漱石は彼らに影響力を発揮したいと思ったのであろう。自分の思いを他人に認めさせたい、その結果として他人を変化させたい、それが可能であるかもしれないという期待が生じた。だが、漱石が持ち出してきたのは貧富や義理人情という使い古された関係であり、しかもその倫理的解決をもくろんだため、『野分』はご都合主義、『虞美人草』は昔ながらの勧善懲悪になってしまった。

 そして、『坑夫』という奇妙な作品がある。これは漱石の作品の中で一番不人気らしいが、当時の鉱山労働者の様子が描かれていて興味深い。この作品の題材は「社会性」というものにぴったりではないか。漱石は鉱山労働者の実態を素直に描いて、都市の中流層に別の世界を示してショックを与えることもできたろう。あるいは漱石は、この作品を『坊っちゃん』型の滑稽ものにもできたかもしれない。鉱山へ着くまでの道中はそのような傾向を示している。しかし、なぜか漱石のこだわったのは「無性格」ということだった。漱石は主人公(語り手)の心理分析に焦点を当てる。結局、そのことがこの作品を読みにくくし、不評にしている。

 漱石はなぜそんなことをしたのだろう。漱石にとっての貧しさとは、中産階級から脱落してしまうことであった。下層社会の人々は漱石にとって異質であり、理解しがたい不気味な存在でしかない。『坑夫』を社会的な作品にしようとすれば、炭鉱労働者の劣悪な処遇に疑問を感じなければならない。ところが漱石は下層社会のみじめさを当然のこととして納得している。漱石が興味を持ったのは、下層社会に落ちていく過程の心理であった。中産階級の生活観では貧困とは結局個人の問題にすぎないが、倫理よりも心理が重要と考えたのは、『野分』『虞美人草』の失敗の反省から出てきたものかもしれない。『坑夫』の欠陥は、創作の偶然性(新聞連載の穴を埋めるため、他人の経験をほぼそのまま書いた)にもよるのだろうが、心理は所詮中産階級的な環境でなければ生彩を欠く。

 『坊っちゃん』と『三四郎』の間に書かれたこれらの作品は、失敗というのが言い過ぎであるなら、適切なテーマを見出せなかったのである。読者(批評者も含めて)の反応や、漱石の意図と作品のずれなども、影響したであろう。漱石はいったん撤退して、体勢を立て直そうとした。それが『三四郎』である。

 『三四郎』は、巧みにエピソードを絡ませつないでいく。その構成のまとまりは、登場人物が適度な役割を担っているから得られている。『三四郎』的世界から抜け出しながら、そのバランスをどのように保持していくかが、以後の漱石の課題となる。

 『三四郎』は成功したが、このスタイルを踏襲していたのではいずれ行き詰まってしまうことは明らかであった。漱石はユーモア路線から深刻路線への転換をはかっていた。かといって、『野分』や『虞美人草』のような方向が漱石には合わないのは証明ずみである。その方向とは、いわば自然主義的な題材を自然主義的にではなく取り上げることであるが、それに倫理的な解決を与えようとすれば、自然主義の革新性は失われてしまう。

 叙述の範囲を漱石の創作技法に限りたいのではあるが、漱石の作品の傾向変化についてはそれ以外の要素の影響について考慮せざるを得ない。漱石を取り囲む環境の変化は、世間の評価とともに、弟子と呼ばれる若い人たちとの交流によってももたらされたようである。漱石は世捨て人の立場から指導者へ祭り上げられた格好になった。元来寂しがり屋であったらしい漱石はその変化を喜んだようである。そういうことにはうぶだった漱石は、いわば舞い上がってしまったのだ。自分とは異質であると思っていた世間に、橋がかかったように思えたのであろう。

 それまでの老成した傍観者的な立場がゆすぶられ、漱石は立ち上がり動こうとした。ただし、世俗を受け入れようとしたのではなく、青年らしい反抗の気持ちに共感したのである。世間を変えようというのなら、古い道徳的要請に頼るのではなく、何か新しい価値観を求めるべきだ。いわば漱石の「第二の青春」であった。

 恋愛は青春の特権である。恋愛には反社会的、破壊的な要素が含まれている。傍観者的、鑑賞的な恋愛ごっこでは趣味の世界で終わってしまうが、そういう安全な立場を棄てて、戦いの場に踏み入る。しかし、この戦いを描くのは難しい。主人公が勝つのを描くのは簡単であるが、それでは現実性が失われる。主人公が敗れるのは現実的であるが、自然主義的か古典的な物語になるだろう。主人公が勝つための現実的でかつ斬新な要因を検討することが、漱石の目論んだことではないだろうか。

 ただし、漱石は一気に飛躍しようとはしなかった。中年男としての慎重さは失ってはいない。世間というものはそんな単純でヤワなものではないことは再認識させられている。したたかな世間と渡り合うためには慎重でなければいけない。『三四郎』の成功は、『坊っちゃん』を基本に他の作品を総合したことにあった。漱石が得た教訓は、作品の発展的連続性の有効性であった。まったく新しい物語を考えるよりも、前作のテーマなりプロットなりを受け継ぎ、再構成して描くことにより、効率的で効果的な創作が可能であるということであった。

 なぜ『それから』なのかという疑問の解答はそこに求められるだろう。『三四郎』での淡い三角関係の枠組みを、はっきりした争奪劇に構成しなおしたのが『それから』である。代助にはなお出世間的な性格が与えられているが、それはそこが彼が世間と対決するために世間に足を踏み入れるための出発点となるからである。

 『それから』が提示したのは、他の男から女を奪う男だった。このテーマが『こゝろ』まで続くのである。奪う男というのは『虞美人草』の小野や、三四郎自身も潜在的にそうであった。そういう意味では『それから』は『虞美人草』や『三四郎』からの発展とも言える。しかし、『虞美人草』の小野は反省して藤尾を捨て、三四郎の恋は顕在化する前に美禰子に去られてしまう。しかも、彼女らは(約束した男がいたかもしれないが)まだ結婚してはいないのである。他方、『それから』の代助は、友人の平岡と結婚した三千代を奪おうとする。これは明らかに「不倫」という方へ一線を越えようとするものである。しかし、作品はそこで終わっている。二人は離婚と再婚(それが困難であることは示唆されている)を目指すが、「不倫」(肉体的な意味での)にはいたっていない。

 私たちが『それから』に読むべきなのは、世俗の掟に縛られずに、純粋な情熱を貫き通すというロマンチシズムなのだろうか。あるいは、そういうロマンスを求めながら、現実の重さに押しつぶされて幻滅するリアリズムなのか。どうも中途半端なのである。

 この中途半端さは、漱石に迷いがあったからだろう。漱石自身にもどのような結末が適切なのか判断がつかなかった。それが次の作品にも影響して、『門』ではことが終わったところから始まっている。肝心の二人の結びつきの瞬間が飛び越えられてしまっているのだ。ひょっとすると、漱石が恋愛そのものを描けなかったのは、彼がそれを心底からは信じられなかったからではないだろうか。

 ここで少し寄り道をして、漱石の描いた女性像について見てみよう。男を裏切る女性というのは、『坊っちゃん』のマドンナ、『草枕』の那美、『虞美人草』の藤尾、『三四郎』の美禰子と続くが、その心理が詳しく描かれたのは藤尾だけである。藤尾は魅力的な女性である。藤尾は明示的に男性に対峙する。彼女が自滅するほどまでに小野のような男に惚れ込むとは考えにくく、実際の作品とは逆に、甲野・宗近・小野などの男どもが束になってかかってもかなわないのではないか。藤尾のような女性がヒロインになるには、男性もまた対抗しうるだけの強い性格を備えていなければならない。そういう主人公を漱石は準備できていなかった。

 藤尾は『三四郎』の世界を破壊する。藤尾に恋をしようと思えば、三四郎はもっと俗っぽい、しかしより青年らしい人物でなければならなかったろう。傍観者的な態度は捨て去らなければならない。しかし、そうすると、『三四郎』の超俗的な世界は成り立たなくなる。その超俗性とは、中年男が若い女性を、自分には手に入らないと半ばあきらめながら、物欲しげに見つめることに似ている。節度、つまり他人との距離が彼を安定させているのだが、それによって失われたかもしれないものを惜しむ気持ちがどこかにある。

 漱石の作品の中の多くのヒロインは、男の理解を越えた不可思議な存在であり、それゆえ憧れの対象であるのだが、実在感に欠けている。それに対し、藤尾は異色である。しかし、藤尾は孤立しているのではなく、彼女の系譜を引く女性が、後に『道草』と『明暗』に現れている。彼女らは漱石のお気に召さない。彼女らのことを漱石はよく理解しているのだが、理解できるがゆえに好きになれないのだ。彼女らは漱石の嫌う現実世界の住人であるからだ。

 つまり、漱石の女性像は分裂している。不可解で美しい憧れの女性と、身近にいる自己主張の強い嫌悪すべき女性。それゆえ、漱石には恋愛の対象としての女性像が欠けてしまっている。しがない語学教師としての漱石にとっては、そのような女性像で十分であったのだ。ところが流行作家としてもてはやされ、弟子のような若者たちに取り囲まれるようになって、漱石の気持ちも変わってきた。傍観的な立場から、主体的に人生に関わる姿勢に転じたのである。漱石は「第二の青春」の中で、憧れの女性を恋愛の対象として描くことを試みた。

 しかし、それは簡単なことではない。そもそも漱石の描く女性像が分裂するのはそれなりの根拠がある。皮肉な目、容赦のないまなざしでみるとき、彼の描写はさえる。しかし、それは美しさを損ねてしまう。美しさを守るためには、輪郭をぼやかし、色調を淡くし、部分を強調し、デフォルメしてしまうことだ。そういう女性は眺めることはできるが触れることはできない。愛するためには美しさを損ねても現実的であらねばならない。漱石にとって現実の恋愛とは、美的でないものを愛することなのである。それを困難にしているのは、倫理的な障害よりも趣味的な障害なのである。

 それゆえ、真の若者(あるいはその感情移入)とは違って、漱石はストレートには恋愛を扱えなかった。世俗的な恋愛に幻想を抱けなかったのである。まともな恋愛を描けば、必ず藤尾が現れるだろう。藤尾のような女性を愛せるだろうか。漱石には藤尾に対抗できる男を創造することはできなかった。藤尾をおとなしくさせるにはハンディをつけるしかない。つまり、他人の妻(であった)という拘束を女性に課し、彼女に罪の重荷を負わせて感情の自由を制限してしまうのだ。また、他人の妻は手に入れることが困難であるという点において、憧れの女性の性格を帯びることになる。

 『それから』以前は、「裏切る女」に関して、漱石および主人公たちは、直接裏切られるのではないが、裏切られる男の側にいた。男一般から逃れるのか他の男に走るのかの違いはあっても、女は手の届かぬ、手に負えない存在であった。そういう風に祭り上げてしまうことで、鑑賞的立場を守っていたのである。

 『それから』では、主人公は女を裏切らせる側の男となる。しかしそのことで女性の主体性を奪うことになっているのだ。男は責任を一身に背負うことで、女性の側の積極性を封じてしまう。主人公たちは自分が直接裏切る(例えば女を捨てる)ことはせず、女性を通じた裏切りに苦しむことで、殉教者になれるのである。女性は殉教者への道をいざなう天使となる。つまり、恋愛は苦悩を得るための手段となってしまう。

 漱石は、『明暗』でそれを試みたのかもしれないが、結局「不倫」を描かなかった。『門』の米は、宗助の友人安井の愛人であったのでしかないのだから(最初、妹と紹介された)、宗助が奪ったとしても「不倫」にはならない。だから「彼等は親を棄てた。親類を棄てた。友達を棄てた。大きく云えば一般の社会を棄てた。もしくはそれ等から棄てられた」というのは大げさすぎる反応である。『こゝろ』にしたところで、結婚前の娘の取り合いにすぎず、ライバルの友人が自殺しなければ、「先生」が悩むほどのことではない。

 唯一「不倫」を予感させるのは『行人』の二郎と嫂の直の関係である。

  その晩は静かな雨が夜通し降った。枕を叩くような雨滴の音の中に、自分は何時までも嫂の幻影を描いた。濃い眉とそれから濃い眸子、それが眼に浮かぶと、蒼白い額や頬は、磁石に吸い付けられる鉄片の速度で、すぐその周囲に反映した。彼女の幻影は何遍も打ち崩された。打ち崩される度に復た同じ順序がすぐ繰返された。自分は遂に彼女の唇の色まで鮮かに見た。その唇の両端にあたる筋肉が声に出ない言葉の符号の如く微かに顫動するのを見た。それから、肉眼の注意を逃れようとする微細の渦が、靨に寄ろうか崩れようかとまよう姿で、間断なく波を打つ彼女の頬をありありと見た。

  自分はそれ位活きた彼女をそれ位劇しく想像した。そうして雨滴の音のぽたりぽたり響く中に、取り留めもない色々な事を考えて、火照った頭を悩まし始めた。

  それから三四日の間というもの自分の頭は絶えず嫂の幽霊に追い廻された。事務所の机の前に立って肝心の図を引く時ですら、自分はこの祟を払い退ける手段を知らなかった。或日には始終他人の手を借りて仕事を運んで行く様な歯掻ゆい思さえ加わった。こうして自分で自分を離れた気分を持ちながら、上部だけを人並に遣って行くのに傍の者は何故不審がらないのだろうと疑ってみたりした。

 これは完全に恋する男の心情であるが、二人の関係は進展せず、兄の一郎の友人であるHさんの、兄についての「分析」の手紙で終わってしまっている。『こゝろ』の先生が、嫂と結ばれた二郎の後身であり、自殺したKが兄の一郎であったなら、『こゝろ』は確かなリアリティを得られたのではないか。しかし、漱石は「不倫」そのものを遂に書き得なかった。

 なぜそうなったのか。理由はいろいろ考えられる。一つには、漱石は斬新な理念なり生き方なりを提示することはできなかった。それは漱石の限界であると同時に、多くの読者層を持つ作家としての限界でもあった。その結果、弟子たちは漱石から離れていった。見捨てられた漱石は「第二の青春」の夢から醒めてしまう。

 また、漱石は、問題の本質は社会の仕組みにあるのではなく、人の心にあるのではないかと疑い始めた。それも、以前のような悪い心とよい心の対立ではなく、一つの心の中に善と悪が分けがたく混じり合っているのではないかと思うようになった。それは自己自身を分析し直す方向に漱石を向けさせる。

 女性との関係でいえば、女性に憧れる心自体が無前提に善なるものとは言えないということの認識である。それを具体化したのが『こゝろ』と言えよう。『こゝろ』では恋愛は突破口にも妙薬にもなりはしないという否定的なメッセージがある。『それから』の代助は、過去に好きな女性を友に譲った。彼は未完の恋を成就するために、友と争うことになる。『こゝろ』の先生は、過去に友から好きな女性を奪った。友はそのために自殺してしまう。二つの物語を重ねると、自殺した友は代助であって、結局は先生から女性を奪い返すことになるのだ(先生の死によって)。つまり、先生は女性を幸福にはできなかった。それは先生が幸福ではなかったからだ。恋愛は何ものにも勝る至福ではなく、人を争いに巻き込む厄介者なのだ。人は恋愛の勝者になろうとし、敗者を作り出してしまう。それならば、いっそ敗者であった方がましではないのか。

 漱石はそれを物語にした。しかし、『それから』から『こゝろ』への変遷を、思想的な遍歴とのみみなすことは、漱石を軽く見てしまうことになる。漱石の本領は物語ることにある。取り上げられているテーマは、物語の面白さを追求するために選ばれてもいるのだ。思い切って言ってしまえば、漱石にとっては二次的なものでしかないかもしれない。

 漱石はなぜ普通でない、いわゆる「不倫」とか「姦通」とか言われるような劇的な男女関係ばかりを書いたのだろうかと誰しも不思議に思うだろう。とはいえ、作家にとって描きたくなるのはそういう関係なのだろうから、漱石も例外でないだけかもしれないのだが。江藤淳は「登世という名の嫂」(『決定版夏目漱石』所収)でつぎのような解釈をしている。

  だがすでに明らかなように、漱石は英詩のなかにおけるほど直截に登世との恋を告白したことはなかった。英語が外国語であり、一種の暗号であることを思えば、漱石にとって告白とは告白しないことであったという逆説が可能である。それならなぜ彼にとって告白とは決して告白せず、つねに暗号や象徴によって語ることであったか。それは彼がその生涯を通じていつも自分を禁忌の拘束のなかに置きつづけていたからである。家族、大学社会、門弟その他の彼をとり囲む環境は、漱石にとって常に禁忌によって拘束された社会であった。いや実は社会はそれが社会であるならばつねにそのなかに禁忌を含み、人を拘束する。それが漱石の生活の場であり、それ以外に人の生きる場所があり得ないことを彼は知りつくしていた。彼にとって自由とは英雄的に自己を顕示することではなく、禁忌に対して秘密を対置し、それをイメージの力によって「生」の持続に変換し、かつそのことの持たらす「罪」の感覚を確認する努力以外ではありえなかった。書かなければ自由は存在せず、書くことは生きることである。そう感じたからこそ、彼はそう生きたのである。

 実は、理解するのに困難を憶えながらこの評論を読んでいったのだが――「禁忌」と「罪」と「生の持続への切なる希求」との関係がよく分らなかったのだが、この文章で納得した。江藤淳は伊藤整の「逃亡奴隷と仮面紳士」理論を(おそらくは明確に意識することなく)適用していたのである。伊藤理論を簡略に述べれば、彼は文学を秩序に対するエゴの反抗の表現と見ており、世間的地位を失うことを恐れる作家(西欧ならびに西欧的な)は、その表現において自分自身への直接的な言及を避けて虚構を用い、一方、世間への顧慮を軽視する、というより世間的地位など初めからない作家(私小説家)は率直に表現する、というものである。引用した江藤の文は、「仮面紳士」としての漱石像を明確に提示している。

 しかし、そうなるとまた分らなくなる。漱石にとっての「罪」の位置についてである。伊藤理論に従えば、「禁忌」は社会がエゴに押しつけたものであり、エゴの外部にあるものであり、それを破ることはエゴにとっては罪とは感じられない。エゴは自分の行動は正当なものであり、非は社会の側にあるとする。エゴが恐れるのは、社会の制裁、つまり罰でしかない。エゴの自己抑制は他人志向的なのだ。エゴが隠すのは、発覚して罰せられるのを避けるためである。発覚することを恐れる気持ちが罪の意識であるならば、エゴにもそれはあることになるだろう。だとしても、それは発覚してしまえば消え去ってしまうような状況依存的なものにすぎない。

 もし、漱石の作品の根底にある「罪」がその程度のものであるならば、江藤淳の見解に反して、漱石は極めて日本人的であると言えないこともなかろう。なぜなら、「罪」の文化と「恥」の文化という概念によって、日本人の他人志向的な特徴を指摘するという思考様式があるからだ。日本人には欠けている神の存在が、他人の存在(状況)とは関係なしに西欧人を倫理的にするということらしい(しかし、神という他者を必要としなければならないのであれば、彼らもまた他人志向的でしかないとも言える。神による罰を想定しなければ罪の意識が持てないのだから)。

 他人に知られようがどうであろうが、他人の反応がどうであろうが、自己自身を責めるのが罪の意識であろう。それは、社会が許容しうる範囲内の行動においても起こる可能性がある。発覚しても罰せられない場合でも、罪の意識は生じるかもしれない。逆に言えば、社会の「禁忌」がどんなものであれ、自己が自己自身に課する「禁忌」と同じとは限らないということだ。社会の「禁忌」を犯す行動が罪の意識を生じないことがある一方、誰でもがする行動を自分もすることを罪とみなす個人もいる。

 もし、漱石が「罪」に捕われていたとしたら、その「禁忌」は個人的なものではないだろうか。もちろん、個人的な「禁忌」はどこから由来するかという問題もあり、それがより普遍的な傾向の現れであるとも考えられる。また、ある特定の社会の「禁忌」は、個別的・具体的であろうとすることで普遍性を失ってしまうので、個人からの異議を受けざるを得なくなると考えることもできよう。

 漱石に「罪」を見出すのは、『こゝろ』という作品の印象が大きいからだろう。しかし『こゝろ』では、夫婦という公的な関係への侵犯ではなく、友達を騙したということに罪を感じているのだ。ところで、愛のない夫を騙す(不倫)のは許せても、親友を騙すのは許せない、ということになるのだろうか。そうではなくて、「不倫」という大げさな行動にばかり注目しなくても、「罪」はどこにでも潜んでいるということを漱石は言いたかったのだろう。社会的「禁忌」さえ守っていれば「罪」を免れると思っているのは、あまりにも楽天的ではないのか、と。

 漱石の見方がそう発展してきたと考えると、彼が「不倫」関係に注目してきたのは、そこでの心理的葛藤に興味があったからだと推定される。一回限りの個別的事件の作品上の繰り返しではなく、様々なケースを想定した思考実験。

 江藤淳の言うように、それを描くことで、かつての恋を追体験しようとしたということもあるかもしれない。しかし、それが目的で作品が書かれたとまで言えるだろうか。

 漱石を思想家ではなく物語作家とみなそうということは、彼の創作が公的なものであることを否定するものではない。作家は読者を相手にする。たとえ作家によって読者と想定されるのが少数の特殊な人たち(例えば作家自身)に過ぎなくとも、そこには作品を通じた共通の理解の期待がある。ところが、漱石が私的な目的によって創作をしたというのが江藤淳の見解である。江藤淳は漱石の作品のいくつか(あるいは全部?)を暗号とみなしている。表向きのメッセージとは別に、真のメッセージが作品に隠されているというのである。小説という公的な器を私的に利用したというのは、漱石を貶めることだと私は思うのだが、はたしてどうなのだろうか。

 暗号も伝達の手段であるから、伝え手と受け手がいるはずだ。伝え手はもちろん漱石だが、受け手は一体誰なのだろう。暗号化された作品を解読できると想定されるのは漱石のみだから、受け手もまた彼であるはずだ。しかし、そうだとするとなぜ漱石は作品を公表したのか。いや、そもそも、公表することを前提としなければ作品を暗号化する必要もないわけである。唯一考えられるのは、少数の受け手(例えば禁断の恋の相手)にのみ真の意味を伝えたい場合だ。作品の公表が唯一の伝達手段であるならば、他の人々には悟られぬように暗号化するというのは納得できる。江藤淳によって漱石の愛の対象とされている女性は既に死んでいるが、死者に宛てるメッセージというのもある。

 もし作品が暗号化されているのであれば、コードとしての作品は、表面上のメッセージと真のメッセージの両者を担っているはずである。暗号を解くことを期待されていない読者に対して漱石が作品を渡したのだとしたら、彼の伝えたのは表面上のメッセージに他ならない。これは文学作品においては普通のことにすぎない。コードとしての作品は、作者にとって特別の意味を持っているかもしれない。しかし、その暗号を解く鍵(つまり作者の体験なり思惑なり)が与えられていなければ、その意味を読者は知りようもなく、作者が望まぬ限り知る必要もないのだ。

 つまり、読者に与えられた作品は、作者の意図通りの作品と受け取っていいのであって、真のメッセージと思われるものを探って深読みしたり、裏を探ったりしてみても、鑑賞の質を高めるものではない。

 ところで、作者の体験と作品の内容の間には照応関係というようなものが成り立っているのであろうか。そこに明確な対応が期待できるのであれば、作者の意図ではなくとも、作品の理解の参考にはなるかもしれない。

 だが、作品に虚構が使われているとすれば、照応関係は不確かなものとなってしまう。例えば、現実において恋が成就したからといって、作品にそれがそのまま反映されるとは限るまい。現実の恋の成就を隠すために作品では不成立として表現されるかもしれない。逆に、恋の成就を希求するために、現実では不成立であった恋が、作品では成就させられるかもしれない。あるいは、恋が存在しないからこそそれを描くことが可能であるということもありうるのだ。つまり、作者の体験と作品の内容についてはどうにでも結びつけられるので、何とでも言えるのだ。何とでも言えるということは、推定としてでさえ何も言えないということである。

 作者の体験が明らかにされ、それに照応する作品があるならば、両者の関係について何ごとか言うことはできよう。しかし、作品の内容から作者の体験を推定することはできない。どのような体験の可能性に対しても、作品の内容は親和的でありうるのだから。創作というのは捕らえどころのない技である。

 だから、江藤淳が次のように言っていることは憶測の域を出ない。

  「‥‥花をも捧げず水も手向けず只この棒杭を周る事三度」したとき、漱石の胸中に湧き上がって来た「感慨」が、どれほど深いものであったかは、その後作家になってからの彼の作品に長く投じられている登世の影によってうかがい知ることができる。おそらくこのとき、漱石は、嫂登世のための「挽歌」を書こうと決心したのである。一つの「挽歌」をというよりも、むしろ一連の「挽歌」を。そして『薤露行』は、この一連の「挽歌」の一章をなすべき作品であったと思われる。(『漱石とアーサー王伝説』)

 確かめようのない憶測が当たっていようが外れていようがどうでもいいことだが、肝心なのはそのように想定することが作品の鑑賞にいかに貢献するかである。

 『草枕』の主人公は「船でも岡でも、かいてある通りでいゝんです。何故と聞き出すと探偵になって仕舞ふです」「普通の小説はみんな探偵が発明したものですよ。非人情なところがないから、些とも趣がない」と那美に言い聞かせる。ところが、『彼岸過迄』ではまさに探偵まがいの尾行の話が出てくる。その緒言に「久し振りだから成るべく面白いものを書かなければ済まないという気がいくらかある」と漱石は書いている。新聞連載という発表の仕方が、読者に「普通の小説」を提供することを漱石に強いていたのであろうか。

 探偵小説の常道の一つに、犯罪の原因を過去に求めるというのがある。過去がたたるというのは漱石がよく使う設定である。『野分』では白井の教師時代にその排斥に参加したという高柳の過去。『虞美人草』では孤堂に援助してもらったという小野の過去。『それから』では三千代を平岡に譲ったという代助の過去。『門』では米を安井から奪ったという宗助の過去。『彼岸過迄』では女中の子であるという須永の過去。『こゝろ』ではKを裏切った先生の過去。『道草』では一時養子であったという健三の過去。『明暗』では清子と結婚できなかった津田の過去。その過去を探る、あるいはその過去の詳細が明らかになるという筋書きにすれば、まさに探偵小説である。そういう興味で読者をつるということが最もあからさまなのは『こゝろ』であろう。

 『こゝろ』では最初から「先生」の死が告げられ、そして「先生」に秘密があり、それが死んだ友人に関係していることが示唆される。その秘密とは何であり、それが「先生」の死とどう結びつくのかが、謎解きとして展開していく。隠された事象を予想させる手がかりの提示に、読者は戸惑い、その解釈に苦しむが、欠けたつながりが明らかになって、因果関係が完成を遂げることに満足を感じるのだ。肝心なのは、謎が解明されたとき、因果関係が納得のいくものでなければならない。謎としておきながら隠すほどのこともないことであったり、重大な結果を述べておきながらその原因がどうでもいいようなことであるなら、読者は失望するであろう。

 意外な結末を用意していながら、そこへいたる経過のくどさに読者をあかさぬために、予告をする。あるいは、結末の意外さに読者が不審を抱かぬように、事前にほのめかしておく。そういう手法は探偵小説でなくとも使われる。探偵小説が近代的なのは、手がかりが明らかになった結果と結びつけられたとき、その因果関係を合理的に納得できなければならないということである。つまり、劇的な事象が卑俗な解釈を受け入れるかということである。

 『こゝろ』が成り立つためには、「先生」の自殺を読者に納得させなければならない。事実関係だけを考えれば、これは非常に難しい。「先生」の自殺の原因であるKの自殺はかなり以前のことであるし、なぜ今さらという疑問には、明治帝の崩御と乃木大将の殉死がきっかけになったという説明しかなされていない。そもそも、Kの自殺の理由が弱い。Kに対する「先生」の行為がいかに卑劣であっても、自殺に追い込むほどのことであろうか。もっとも、うつの状態であればささいなことでも引き金にはなる。そうしなくてもよいところで、「先生」が責任を感じるということはあり得る。だが、その場合、「先生」のような潔癖な人物が、当の女性と結婚するであろうか。

 『こゝろ』はかなり無理な設定となっている。しかしその設定は必要であった。「先生」の自由意思の選択の結果としての自殺でなければ、倫理を問うことはできない。もっと無理のない設定も可能であるが、それでは運命悲劇になってしまう。例えば、「先生」の奥さんと「私」が間違いを犯し、「先生」がそれを知ったという設定なら、過去の自分の行為の報いと受け止めて「先生」が自殺することは必然性が高いであろう。しかし、それでは先生の倫理性の高さは失われる。つまり、人間は何でもできるが、行為には動機あるいは妥当性がなければならない。動機が弱ければ自由度は増すが、納得性は低くなる。他の人間なら動機にならないことが、「先生」には動機になる、あるいは動機にするということが、『こゝろ』の主題である。

 そういう主題をなぜこのような方法で取り上げたのか。『こゝろ』の前半は「私」の一人称で叙述されている。(後半は「先生」の手紙という一人称である。)ただし、物語が始まったときには全ては終わっていて、叙述は閉ざされた世界の相関をなぞるだけなのである。語り手たる「私」は、作者と同様、何があったのか知っている。叙述は語られたときの知識の範囲を守り、時の経過に忠実な形をとっているかのようである。けれども、既に知っている「私」は、知らない「私」では語り得ない形で語るのである。「私」は、謎を探る探偵であると同時に、探偵を導く作者でもある。このような二重性は、探偵小説では作者にゆるされている技巧が、通常の小説ではわざとらしさと取られてしまうことを避けようとしたのではないか。『門』について正宗白鳥が次のように言っているらしい。

 ところが、しまいの方に近づくと、この腰弁夫婦が異常な過去を有っていることが曝露された。(中略)そう云えば、始めから、何かの伏線らしい変な文句がおりおり挿まれていたのだが、他の小説とはちがって、『門』はしみじみした、衒気のない世相の描写が続いていたので、私は、それだけに満足して、貧しい冴えない腰弁生活の心境に同感して、変な伏線なんかをあまり気にしなかったのであった。それほど柔軟な読者であったために、後で作者のからくりが分かると、激しい嫌悪を覚えた。(中略)作者はどの小説にもどの小説にもなぜこんな筆法を用いるのであろうか。(平野謙『芸術と実生活』からの孫引き)

 謎解きが自然であるためには、未知を既知に変えていく探偵の立場が最適である。しかし作者は手がかりを手がかりと知って探偵に与えなければならない。いかに隠そうとしても作者の技巧が現れてしまう。それゆえ、全てが終わった後で振り返って語る探偵というのが、作者と探偵を合体させる最上の語り口ではないか。

 全てが知られた後でも、「先生」の自殺は十分な納得性を付与されていない。しかし、謎解きの過程の中で、私たちはある程度の因果関係を与えられ、引き起こされた興味を満たされていく。逆に言えば、謎解きという手法を取れば、日常のレベルとは異なった事件性を想定せざるを得なくなる。語られることが劇的にならざるを得ない。『こゝろ』はそういう手法の不可避な到達点である。その行き詰まりも明らかであろう。『こゝろ』の非日常性から『道草』の日常性への転換は、起こるべくして起こったと言える。

 漱石の作品の多くは男女関係が焦点になっているが、むろんそれ以外の人間関係も出てくる。よく出てくるのは、兄弟(『それから』『行人』『道草』)、兄妹(『虞美人草』『三四郎』『行人』『明暗』)、嫂と弟(『それから』『行人』『道草』)、嫂(あるいは兄の恋人・許嫁)と義妹(『虞美人草』『三四郎』『行人』『明暗』)などである。

 ところで、『道草』には他の作品にはない姉弟関係が取り上げられている(それに関連して、姉婿と義弟の関係も)。これは奇妙なことのように思える。漱石は末子であるので兄や姉がいた。妹はいないにもかかわらず、漱石は兄妹の関係をよく描いているのだが、姉弟のことは『道草』だけにしかない。

 異性どうしの関係の中では、兄妹の関係は好ましい風に描かれている(唯一の例外が『虞美人草』である)。嫂と義弟の関係にも親しさがあるのだが、血の繋がっていない異性ということで、危うさを含んでしまう。漱石には経験することのなかった兄妹の関係が、理想化された異性関係とされているようである。逆に考えれば、現実にいる姉たちには、女性としての魅力を感じておらず、作品の中に取り入れようとしなかったのだろう。幻想としての妹と現実の姉、ここにも漱石の女性像の分裂が見られるのである。

 『道草』に姉が登場するのは、作品が自伝的なものであるから当然と言えようが、この作品における漱石の意図の傍証になるのではないか。それまでの作品に登場する女性はいわば理念的であり、家庭生活は理念と現実の食い違いや葛藤に焦点が当てられている。一方、『道草』で描かれたのは現実的な女性であり、家庭である。健三と妻は通常のような結婚をして、通常のように家庭生活を営んでいる。健三と妻の間には、『行人』中の夫婦と同様、感情的な齟齬があってしっくりしないのだけれども、それが彼等の日常を破綻させるまでは至らない。健三の兄や姉はそれぞれ別に所帯をもち、交流は儀礼的なものになっている。島田の出現でその対策を相談することになるが、兄や姉に対する健三の目は冷ややかである。しかし、『道草』において初めて、夫婦(あるいは関係し合う男女)がそれぞれの思いをもって対等にやりあうのが描かれた。それ以前の作品では、男の方の思い込みだけが強調され、女は男から見える側だけが描かれている(唯一の例外が『虞美人草』の藤尾である)。

 『道草』において、漱石は『坊ちゃん』『三四郎』のラインに戻ろうとしたのではないだろうか。はっきり表には出ていないけれど、ユーモアの感覚が背後にある。登場人物たちはそれぞれ勝手な自己主張をするが、作者はそれを優しく笑っているようである。漱石はユーモア作家のままでいたくなかった。あるいは、ユーモア作品では読者の興味をつなぎ止めておけないと思った。しかし、どのような小説が望ましいかの模索の果てに、人生そのものが滑稽なものであり、あえて滑稽に描こうとしなくても、笑えるものであるということに考えが至ったのではないか。

 『明暗』の人間関係も『道草』と同じように描かれている。津田(夫)と延(妻)の関係、津田(兄)と秀(妹)の関係、そして延(嫂)と秀(義妹)の関係が、対立と協調の駆け引きとして描かれている。こじれた兄妹の仲や、嫂に対する義妹の反発というのは『行人』にもある。しかしそれは嫂と義弟の関係の派生物としてしか扱われていない。『明暗』の中の女たちは主体的であり、悪く言えば利己的である。延や秀は『虞美人草』の藤尾の後身といえるだろう。ただし、藤尾には道徳的指弾がなされていたが、彼女らは道徳的判断を超えた存在として描かれている。女性は男性にとっての憧れの対象や謎であるのではなく、男性と同じような資格で登場人物となっている。

 ただし、『明暗』には清子という人物が存在し、彼女がどう描かれるのかは未完のゆえに不明である。漱石のロマン的傾向が彼女を謎の女としてしまえば、私の論旨は危うくなる。描かれなかったことについてあれこれ言っても仕方がないかもしれないが、次のような推論も成り立つであろう。

 漱石は現実的な女性と理念的な女性を並べて描こうとしたのではないか。男からしてみれば、現実的な女性関係(結婚)と理念的な女性関係(恋愛)の対立となる。漱石はその二つの間の選択に津田を直面させた――「恋愛」の非現実性=不可能性を悟らせ、断念させるために。平凡な現実とは違うものを求める気持ちは誰にでもある。漱石の中期の作品は漱石自身のそういう気持の現れでもあった。漱石はそういう気持ちが結局は報われることがないとはっきりと悟ったのであろう。そのことを津田のあがきを描くことで示そうとしたのではないか。私たちの生きているのは『道草』の世界であり、そこから脱け出すことができそうに思える誘惑も、結局は幻滅に終わる、と。

 しかし、私たちは漱石に思想的重荷を課するべきではないだろう。彼が悩んだのは性格の偏倚と対人交渉技術の拙劣さにしか過ぎないのだから。これはオロカナ私小説家にも共通することである。そして、私たちが小説に描かれるのを求めているのも、これらに関することがらではないだろうか。人間が集まって生活をすることから派生する様々の感情。それらがいかに重要であり、思想というものがそこから生まれてくるものだとしても、単にそれについて考えることが思想になるわけではない。思想は小説とは次元が異なるのだ。

 また、漱石の作品に教育的効果を望むのも的外れであろう。彼の言説を人生の指針にするのは馬鹿げているし、その作品の中に、生きることに役に立つ助言などは見当たりはしない。

 漱石の作品が優れているとみなされるのは、それが面白いからであり、そうであるのは漱石が面白く書いてやろうと意図したからである。つまり、読者の反応を気にしていたからである。それ以外の要素は付け足しに過ぎない。むろん、作品の第一の読者は作者である。たとえ読者の存在に敏感であっても、作者が読者をイメージできなければ、読者が作品に影響を与えることはできないのである。漱石の作品の変遷において、読者層のあり方がどのような影響を与えたのか、あるいは与えなかったのか、私には分からない。ただ、どのような傾向の作品であっても、漱石は作品を面白いもの、それが言い過ぎなら興味あるものにしようとした。それが彼の才能なのだ。

 漱石の作品を前・中・後期に分けるとすれば、私は前期(『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『三四郎』など)と後期(『道草』『明暗』)の作品を推す者である。私自身の分類でいえば、「大人」の文学を好む。世にあふれる情緒過多、希望過多の作品には辟易させられる。

 もちろん、文学とは青春の技である。真に悟りきった者に文学は必要ない。苦り切ってはいるがなお一抹の希望のようなものを持たなければ、虚構の世界などに身をゆだねることはできない。「大人」の文学というものも文学である以上、文学としての特質がある。

 それゆえ、『それから』から『こゝろ』に至る中期の作品系列を否定するつもりはない。「大人」にとって読みづらい作品であっても、好む人はいるに違いないのだから。漱石にとってそれらの作品は「第二の青春」の産物であった。その意味では、初期の彼の諦念は確固としたものではなかった。機会に恵まれないひがみのような要素が多分にあったのだろう。有名になった漱石は不惑にして舞い上がってしまったのである。中年の恋と言っていいかもしれない。後ろめたさもあって素直さに欠けるが、真剣であったのは間違いない。だが、青春一般がそうであるように、恋は実らずに終わる。希望は幻滅に変わる。漱石にとってその経験は必要であったのだろう。中途半端な青春を経た早すぎる老成が焼き直され鍛えられたのである。私たちは『明暗』に、また『明暗』以降に、新たな『吾輩は猫である』、新たな『坊っちゃん』を期待できたのかもしれない。その期待は満たされなかったけれども。

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