井本喬作品集

「自我」の果て

 80年代消費社会が地平に没したのを見届けた警世家たちは、バブル後の長い不況のもたらす閉塞感を背景に、放埒と形容しうるほどに拡大した個人の自由を制限しようと声をあげている。気になるのは、多くの人々が、日本の経済社会システムの崩壊の予感にうなされて、彼等に同感し始めていることだ。彼等の言い分は、特に探そうとしなくてもいくらでも拾い上げられる。例えば、西澤潤一。

 根本は、戦後社会が、社会意識の乏しい、社会に対する責任を自覚しない人間を育てたことと共に、皆と同じ、皆と一緒にやるという不思議な群集心理を社会に定着させてしまったことに原因があると考える。(中略)今、本当に必要なのは、社会に対して責任感があり、個性的で自主的である人間なのだ。(毎日新聞 一九九八年四月一二日)

 あるいは、塩野谷祐一。

 家庭においても学校においても、若者たちは、社会に入るためのしつけをほとんど学んでいない。社会に入るためのしつけとは、「私」と「公」との関係を学ぶことにほかならない。戦後民主主義の流行の中で、自律的個人が、共有する正義観の下で、公共精神を持ち、連帯して公共生活を営むという観念が育たなかった。(中略)戦後の学校教育と会社主義の中で、私欲の確立は普遍化したが、公共精神を持った「私」はほとんど未熟なままである。(朝日新聞 一九九八年七月二日)

 共同体の復活は、資本主義が出現したとほぼ同時に主張され、繰り返し要請されている。社会主義も、全体主義も、資本主義がもたらした無秩序状態(と彼等が考えたもの)に対する抗議であった。また、資本主義が社会として成立するためには何らかの規範がなければならない、という考えも広い支持を得ている。ウェーバーの重視、『道徳感情論』を『国富論』の必須の前提と見なすスミス理解など、資本主義社会、あるいはその政治形態である市民社会を、欲望の解放の体系とみなすのではなく、その道徳的側面を強調する、という思想の系譜。近代的自我は利己的であるのではなく、社会の一員としての義務を自覚している。自由を利己的に理解するのは、市民社会として成熟していない証拠だ、とそれは言う。

 このような言い方は決して新しいものではなく、明治初期以来ずっと言われ続けてきたことだ。しかし、そのような願いとは異なって、現実の日本は道徳的な近代社会には一向にならず、豊かさとともに共同体は失われていった。自由化の進展という皮相な見方の方が現実を言い当てているのだ。「社会的責任感のある市民」ではなく、「自由を享受する個人」が支配的になったのである。

 そして80年代の繁栄が訪れ、豊かさが決定的な何かをなしうると思えだした頃、バブルの崩壊が起こった。内輪だけの話なら、そこで私たちは反省して終りだろう。しかし、グローバリゼイションの悪夢がさらに私たちを襲った。日本のつまずきと対照的なアメリカ経済の好調が、新古典派とその社会思想であるリバータリアニズムに支配的な地位を与えている。私たちの選択は、規律正しく飢えるか、乱雑に豊かになるか、そのどちらかという狭いもののように見える。

 だから、彼等も単純な道徳社会を提示するだけで済ませられないのだ。もはや豊かさへの希求を誰も否定できない。西澤潤一が「社会的責任」とともに「個性と自主性」を強調するのも、経済的繁栄が「個性と自主性」に支えられるという認識があるからだ。しかし、「社会的責任」と「個性と自主性」はそんなに簡単に調和するものだろうか。文部省の言う「個性と自主性」が国家統制の前では単なるお題目にすぎないのは、所沢高校の「卒業記念祭」「入学を祝う会」で明白になったではないか。

 一方で旧来の共同体は解体し続けている。私たちに最も身近な共同体、家族においてそれは顕著であった。生産者としての私たちは企業社会の規制から逃れられなかったが、消費者としての私たちは自由になっていった。女性と子供が先鋭化したのは当然だったろう。

 80年代消費社会が象徴するのは豊かさが「個人」を可能にしたということである。そして、豊かさは個人の自由なくしては保てない。いまや問題となっているのは、自由と規制の関係であり、前提となっているのは利己的な個人像なのだ。自由で利己的な個人の作る社会こそが私たちの社会なのである。

 それはもはや後戻りができない。たとえ不況がいかに長引こうと、いくら社会のためと言われても、「個人」はいったん手にしたものを易々と手放したりしないだろう。

 それが文学にどんな関係があるのか。

 市民社会は道徳的な社会であるという考えは、「社会化された私」「近代的自我」という概念とともに文学をも席けんした。そのような観点から文学や作家を論ずるとき、「社会的責任」との関係でしか社会との関わりを見られない。しかもそれらは「社会」を語ることに成功しているわけではない。

 私たちは近代的自我という概念の空虚さに気がついているのだが、突破口が見出せないでいる。その理由の一つは、日本的特殊性の扱いにある。多くの論者が西欧と日本の文化的異質性にこだわり、つまずいた。以下においてその最近の例をいくつかあげる。彼等は80年代消費社会の達成したものを正確に把握していながら、それが欠いていることを探そうとするために、そこにあるものを見失っているのだ。

 時代は異なるけれども、伊藤整はそのような陥穽をかろうじて避け得ている稀な例である。50年代という早い時期にそのような認識を持った彼が提出するのが、利己的な人間像であるのは興味深い。陳腐な言い方をすれば、「時代が彼に追いついた」。この最近はあまり言及されることのない作家・評論家について見直すことは、「いま」の理解に役立つ、と私は思う。

 大塚英志は『「彼女たち」の連合赤軍』において、80年代消費社会のサブカルチャーを正当に評価しながら、90年代の「反動」に対して江藤淳の『成熟と喪失』に頼ろうとする。

 しかし、『成熟と喪失』は頼りがいのない作品なのだ。江藤淳は戦後の日本を文化論的に説明しようとしたが、説得力のある論理展開には成功していない。

 江藤淳はまず、アメリカと日本の文化的相違を男性原理と女性原理の対立で説明しようとする。父性原理が子の成熟をもたらす(アメリカ牧畜社会)のに対して、母性原理が子の成熟を成しえない(日本農耕社会)と主張する。そして、戦後の日本が母性原理の崩壊によって父性原理へ移行せざるをえなくなり成熟をしいられていく、という単純で魅惑的な論理展開を見せる。だが、この立場はすぐに放棄されてしまう。もともとこのような論理は危うさを含んでいる。母性原理の社会では母と子の関係、父性原理の社会では父と子の関係が取り上げられるが、母性社会の父、父性社会の母の位置があいまいなのだ。具体的な家庭をイメージしてしまうと、父と母と子の関係が焦点になる。母性社会で母が支配的な地位から退いても、父性原理的な父がいなければ父性社会への移行はなしえない、ということになってしまう。つまり、母性原理は母親像に、父性原理は父親像に矮小化されてしまうのである。文化論は道徳的説教に堕す。

 したがって、原理は同居し、簡単に交代する。日本の母性原理優位は文化的=通歴史的なものではなく、戦前の父性原理がアメリカへの敗北によって失われてしまった結果であるとされる。戦前期の日本は父性原理・母性原理の二点セットを備えていたのであり、戦後の父性の不在により母性が優位にならざるをえなくなった。さらに、母性も自己崩壊するゆえに戦後の日本は父も母もいない不毛の状況になった。父/母の対比が、父母有り/父母無しの対比に横滑りしてしまっているのである。

 原理がそう簡単に変わるのでは、説明が恣意的になってしまう。ましてや、対立する原理に優劣のつけようはないはずである。一方にあって他方にないというのは、原理対立からいって当然のことであり、それゆえに一方の原理が不充分であるなどというのは、原理設定自体が間違っているとしか言いようがない。では、江藤淳の論理展開に合わせて原理を修正すればいいのだろうか。母性原理・父性原理の他に、父母有り原理、父母なし原理を設定すればいいのだろうか。しかしそうしてみても、原理は原理の名に値する説明力を持たない。江藤淳にとっては「父母有り」が規範なのであり、片親や親無しは不完全なのである。

 江藤淳が文化論を語るのに失敗しているからといって、彼の論理が歴史的であるのではない。彼は、変化を規範型からの逸脱としてしか捕らえ切れない。それは戦後を逸脱した時代とみる彼自身の枠組のゆえでもあるのだろう。江藤淳は確かに母性の優位を否定はした。しかし、母性的要素が失われることにも反対なのである。母性は父性に支えられてこそ、その豊かさを発揮できるというのだ。つまり、強い父性の支配のもとでの母性こそ容認されるのである。彼の世界は厳父慈母の世界なのである。

 確かに、戦前的な家庭ないし家族関係は崩壊しているかもしれない。しかし、それは一つの家庭的規範の崩壊であって、それを構成する個人の崩壊ではない。八〇年代消費社会を、父母のいなくなった社会、子供じみた社会、未熟な社会とみなすところに、私たちの求めるものは何もない。私たちはこの社会から出発しなければならないはずだ。

 その意味で、大塚英志の次のような覚悟は分かる。

 戦後民主主義の清算の動きと出産本のブームは「母」=「自然」=「国家」の奇妙な回復の動き、として僕には一つの現象のように見てとれる。だが「成熟」のためにそのような場所を求めない、というのが戦後社会の最低限の選択であったはずであり、繰り返すがぼくや「彼女」たちの自己実現の場は「母」の崩壊した後の「人工」的な時空としての「戦後」である。それが戦後史の唯一の現場であるべきだ、とぼくは考える。

 しかしながら、私には「母」などという概念で社会を語ることでなにがしかの理解を得たことにはならないと思う。それは、西欧/日本、父性/母性、近代/前近代、人工/自然、おとな(成熟)/こども(未成熟)といった対概念のごちゃまぜの中の万能の(それゆえ虚な)言葉でしかない。出産本のブームを「母」の復活などと受止めるのはあまりに短絡的である。出産本の作者たちに対する、「『主体』を放棄することで『母』となっていく」という大塚英志の評価は、やはり「近代的自我」の呪縛から免れていない。規範的な何かにならねばならないという彼の強迫症じみた覚悟は、禁欲的でありすぎ、自己卑下的すぎる。

 江藤ふうにいうなら「母」を自己崩壊せしめることで彼女たちは「人工」的身体、サブカルチャー的身体という「自由」を獲得したのだ。むろんそれはあまりに不毛な選択だったが、しかし彼女たちにはそれは一つの確かな「可能性」であった。その「自由」や「可能性」の中に女性たちの戦後史があるのだといえる。江藤はさすがにこの点までは思いも及ばなかったろう。

 どうして「あまりに不毛な選択」といえるのだろうか。豊かな「母」が欠如しているためだろうか。自然、農耕社会、村落共同体、厳父慈母などが産業社会で失われたからだろうか。

 私たちは80年代消費社会を経由して豊かで自由になったのである。物質的には豊かになったが精神的には貧しくなったなどというたわごとは論外である。私たちは「成熟」を求める必要はない。私たちは常に既に成熟しているのだから。

 諏訪哲二は「契約社会」が「共同社会」を解体した現状を「学校」の中に認め、「日本の市民革命は達成された」とまで言い切っている。ただし、彼の戦いは二方向作戦で、したがってあまり勝ち目はない。彼は、いまだに近代的自我の成立を目指すような理想主義者に対してはその妄想を笑い、共同体主義者に対してはその幻想の共有を拒否する。

 私はそのことを「近代的自我は確立した」と表現したが、おおかたの賛成は得られなかった。(中略)個人の自立という近代の夢はそれほど絶対的なものだろうか。(『〈平等主義〉が学校を殺した』以下同じ)

 むろん彼はそのような状況を肯定するわけではない。

 社会性・集団性を根本的に欠いた生徒たちの個別性に毎日接している私たちとしては、それらの個人の欲望や衝動の総和が何らかの未来につながるとは思えない。

 したがって、彼が次のようなことを皮肉として言っているのは当然であろう。

 共同社会のモラルや常識、高校生や未成年であることの立場性、そして親とのしがらみとも切れてあっけらかんと個人の欲望に従っている彼女たち(売春をする女子高校性――引用者注)はとても「さわやか」である。彼女たちはまわりの世間から切れて、M・M氏(『お役所の掟』の著者――引用者注)と同様ゲゼルシャフト的に独立している。地域や学校や家庭にあるさまざまな道徳性や観念から自立し、もっぱら己れ一個の意志と欲望とで自分を律している。日本的な共同性や集団性の桎梏から完全に逃れた、「真の自己」が確立したといってよい。

 日本はヨーロッパに遅れて後進的であり、前近代的なものがたくさん残っている、集団主義的で個人が自立していないと思ってきた人たちは、日本でも個人は自立したと乾杯でもすべきであろう。

 私に言わせれば、彼の言葉は額面通りに受け取るべきなのである。豊かさが個を目覚めさせたのであれば、私たちはそれを喜ぶべきである。たとえ欲望を媒介とした形ではあっても。貧しさに見合ったモラルの持ち主は心が痛むであろう。しかし、そのようなモラルの喪失が社会の崩壊を意味するならともかく、ある人々の心の平安を乱すに過ぎないのであれば、嘆く必要はない。

 諏訪哲二は、「契約社会」の有様が、世界的(少なくとも先進国的)普遍性によるものなのか、日本的特殊性の表われなのか、迷っているのであろう。「契約社会」の危機が日本的特性を帯びているゆえにより深刻であると判断しているのなら、そのことによって実は彼自身も近代化論者の一人にすぎないことを暴露している。

 なぜなら、この国は市民革命を成しえなかったせいかどうか、ついに「個が全体のことを考える」という民主主義の真髄が定着しなかったからである。全体は「お上」であり個を支配するものだという確信が横溢しており、逆に、個の求めるものはいつも正しいという退嬰的な気分が蔓延している 。

 全能の神との距離を測ることによって、自己の確立を目指さねばならなかったキリスト教文明とは異なり、他人のまなざしと己の意識のとのはざかいに自己を見出していく私たちの文化‥‥

 ‥‥個人というものが「上なる普遍」との対比によって設定されることのなかった戦後思想の限界‥‥

 私は、それは余計な条件であると思う。そんな考慮なしに諏訪哲二の主張は成立する。彼の問題意識はずっと普遍的なのである。

 共同体が一方で国家にまで拡散し(ある意味で国家を越えてさえいる)、他方で核家族まで縮小してしまったので、個人間のきずなは個人の思考や感情というもろいものに基礎を置かざるをえない。夫婦という最小の共同体が、お互いの意思でのみ成立するのなら、一方の気持ちの変化が即共同体の崩壊となる。他方はそれを非難する根拠がないのである。子供達も、家庭や学校が共同体としての束縛を主張しても、それが根拠のないものと見抜いているからこそ、自由なのである。

 「よくも悪くも、戦後『社会』は戦後『理念』を超えたのである。」と言う宮崎哲弥の現状認識は正しいと思う。そして、彼の正しさは、近代的自我を幻想とみなすという点においてぬきんでている。しかし、彼はそこで止まってしまい、通念の限界を超えることができていないのではなかろうか。

 新聞論説などを読むと、いまだに「日本人は『強い個』を獲得しなければならない」云々と、百年一日のごとき繰り言が反復されているから、あえていっておくが、絶対的一神教の伝統を持たない私達にとって「強い個人」は不可能である。(『身捨つるほどの祖国はありや』以下同じ)

 ジャーナリズムでは、自己決定だの自己責任だのといったクリシェが虚しく飛び交っているが、そもそもそういったアングロ・サクソン流の個人至上主義は大きな思想的欠陥がみられるし、日本にはその理念に見合った現実も存在しない。

 そのとおり、「強い個」は単なる理念にすぎない。だが、私達にとってだけ理念にすぎないのだろうか。西欧人にとっても理念にすぎないと、言えないであろうか。

 宮崎哲弥は現代社会の世界的共通性を言っており、西欧、特にアメリカにおいて「強い個」が事態を日本とは異ならせているとは考えていないようである。

 そして、その先に待ち受けているのは、社会の均質化、平板化、人格の断片化、生のニヒリズムの全面化である。来世紀前半まで、先進諸国で精神の荒廃と生の停滞が猛威をふるうことは、おそらく避け難い。 

 アメリカでは「いま、ここ」のヘドニズムがピューリタン的勤勉性を打ち破り、その結果として八〇年代に、労働規律の緩み、生産性の低迷、離婚率の上昇、家計貯蓄率の低下、巨額の財政赤字を招来することになった。日本でも九〇年代に入り、同様の傾向が顕著化してきている。
私たちは、資本主義経済の下ではジャンキーと成り果てるほかなく、快楽の王国・ポルノトピアにしか住処はないのだ。

 では、「強い個」はどこにいるのであろうか。ただ理念の中に存在するにすぎないのではなかろうか。日本が西欧的理念と日本的現実の齟齬に悩んでいるとしたら、西欧も西欧的理念と西欧的現実の齟齬に悩んでいるのではないであろうか。

 日本と西欧を対極とした粗雑な論理を「百年一日のごと」く繰り返すのは精神の怠慢であろう。西欧はその文化的重要性において一方の極に置くのはやむを得ないとしても、日本をそれと対置させるのは、世界の他の地域に対しておこがましすぎるのではないか。例えば、イスラム教をどう評価するのか。インドや中国はどのように位置づけられるのか。それだけでも、日本を相対化させるに十分である。また、西欧と呼ばれる世界の中の多様さを無視していいものだろうか。

 宮崎哲弥は「自由な個人」の優位な世界が終りに近づいており、次の世界は共同体が優位を取り戻す、あるいは取り戻すべきだと考えているようだ。未来の予測においても、西欧と日本の差より、世界的な傾向が重視されている。

 近代は「公共性」が「共同性」を、「中央」が「地方」を、「普遍に繋がる抽象的な個人概念」が「共同体のなかの具体的な私の生」を制圧した時代であった。しかし、その時代もようやく終りに近づきつつある。

 私達は、アメリカニズムがもはや当のアメリカにおいて、既に解体期に入っていることを知ることができる。しかしちょうど十年ほど遅れて、いま我が国でアメリカニズムが開花しようとしていることは、笑止の沙汰といえよう。

 宮崎哲哉にとって、日本の特殊性の認識はむしろ余計であろう。「強い個」による近代の成立などというものは、理念でしかなく、それは日本においても西欧においても同様である。私達は近代社会を成立させたのであり、それが理念と異なるからといって卑下する必要はない。

 宮崎哲哉は山本七平を引用して、「少女達は売春を正当化し、そして、大人達は汚職を言い訳する」論理の日本的特性を言う。その論理とは「前提なしの無条件の話合いに基づく合意が絶対であり、それを外部から拘束する法的・論理的規範は一切認めない」というものだそうである。私にはこの論理が新古典派やリバータリアンのものに思える。

 汚職と自由意思による売春はむしろ方向が相反する。汚職は規制の上に成立し、市場の論理が不完全な証拠である。自由意思による売春は市場の論理が規制と衝突する地点なのである。自分の肉体や才能を市場において行使する意思を、宮崎哲哉は全く評価しないのであろうか。

 夫婦間に契約などの資本主義的関係性を持ち込むよりも、私は、おだやかな共産主義的関係こそが維持されて然るべきと考える。市場競争の原理を家族にまで適用しようとは暴論としかいいようがない。それは最も親しき他者すら、自己目的達成のための手段としか見做さない精神的頽廃を、社会の基部にまで徹底させる構想であり、「共生の時代」に全く相応しくない、見当違いの「活性化」論である。

 しかしながら、「姓」の選択がどうであれ、夫婦関係が両性の合意に基礎を置かざるをえない状況が支配的になりつつある。宮崎哲哉が賞賛するアムロの夫姓選択の決意は、夫婦という共同体が個人の意思によって(のみ)成立するということを意味してしまっているのであり、それは宮崎哲弥の本意ではないと思うのだが。

 『成熟と喪失』がその解釈に大きな部分をさいている『抱擁家族』(1965年)は、昨今はやりの表現をすれば、不倫小説である。個人の自由は社会生活においては他者に何らかの影響を与えずには行使できない。それはどこまで許容されるのか。パートナー以外の人間とセックスすることも自由の範疇にあるならば、夫婦関係は自由とどのように折り合いをつけるのか。

 よくされるように、『抱擁家族』を『暗夜行路』と比べてみよう。

 時任謙作は妻に責任を取らせようとはしない。責任のないところに自由があるはずがない。

 ‥‥然し俺から云ふと総ては純粋に俺一人の問題なんだ。今、お前がいったやうに寛大な俺の考と、寛大でない俺の感情とが、ピッタリ一つになって呉れさへすれば、何も彼も問題はないんだ。イゴイスティックな考へ方だよ。同時に功利的な考へ方かも知れない。さふいふ性質だから仕方がない。お前といふものを認めてゐない事になるが、認めたって認めなくたって、俺自身結局其所へ落ちつくより仕方がないんだ。

 むろん、時任謙作の苦悩は妻の不倫の非意図性の上に成立している。妻が真に裏切ることを全く除外している。妻は自己に属するものであり、したがって妻の裏切りはありえないものであり、ありえないものであるからこそ、それがありえることを自分に認めさせることに多大の努力を要するのである。

 時任謙作の家庭がいかに家制度の埒外にあろうとも、彼の態度は家父長的なように見える。しかし、彼は夫婦関係が彼の意思によって(のみ)維持しうると考えている。妻として不適切なら、別の女を妻とすればいいとは思わない。夫婦という共同体は、夫と妻という役割の殻によって支えられるのではなく、個人と個人の結びつきに基礎を置くと思っている点で、時任謙作は少なくとも彼自身の自由は確保している。半分だけの「近代化」とでも言えようか。だから、彼が結婚後いくら放蕩しようが(『暗夜行路』にはないが)、夫婦関係が安定的でありうるのは、家父長の制度的特権のゆえではなく、彼が妻を愛しているかぎりにおいてなのである。では、彼が妻に同じような自由を感じたらどうなるか。

 三輪俊介は妻の時子が彼以外の男と性交渉を持ったのを知ってから、彼に従属しない人格としての妻を「女」という形で認識する。

  俊介はこのとき自分の中に変化がおこっていることに気がついた。

  彼の視線は時子の首筋のあたりと、それから組んだ脚に注がれていた。彼は静かな口調でそういったが、落着いているわけではなかった。好奇心をそそる首筋も脚も、その若者の入念な愛撫をうけたのだ、ほんとに計画的だったのかもしれない、と俊介は思った。しかし、それを憤るよりも、そこにひとりの女がいるということのまぶしさに圧倒されていた。

  (中略)

  俊介は時子の血管の中の血の流れから、それが皮膚にもたせるつやから、しぼんだり開いたりするマツ毛の動きから、首筋や肩へ流れる骨組から、ゼイ肉を適度につけて二つか三つヒダを作っている下腹部から心持ち大きさの違う二つの乳房から、しっかりした足をもった比較的長い脚などを造物主のような気持ちで眺め、自分の手を離れて独り立ちした人間の重さにおどろいた。

 夫婦という共同体が二人の個人によって成立していることの認識。それは女性が個人になることで、男性も個人であることを自覚することである。これこそ「近代化」のもたらしたものである。それを皮相というのは、事実を規範から批判することしかできない者の言いぐさだ。「近代化」はこのようなレベルで実現したのであり、確実に社会を変化させたのだ。私たちはずっと後になってようやくそれに気づくのである。

 女性が自由になること、それは母性の放棄ではない。「母の崩壊」ではない。厳父と慈母という役割の構図から女性が抜け出すことにすぎない。イエ・共同体の桎梏から、まず女性が抜け出し、子供が続く。残された男は自分自身の自由に気づかされる。そのはしりが、夫が妻と他の男との性交を容認する気持ちになることである。

 どうしてもっと、時子とジョージを放っておいてもっと続けさせてやらなかったのだろう。どうせ一度やりかけたものなら、続けたっておんなじことではないか。もっと続けていたらどうであったろう。そのとき彼女は自分でも口走ったように遠く遠く自分から離れて行ってしまったであろう。そのときは、その一回一回は、どんなであっただろうか。そのときこれまた彼女が口走ったようにもっと、完璧な楽しみを得たにちがいない。ああ、あんなに不機嫌な舌足らずな自分との交渉ではなしに、十分に味わわせてやればよかった。

 むろん、それは一時の気の迷いであって、持続しうるものではないかもしれない。あるいは、男たちが未練を断ち切って、離婚しようとしたら、女たちは困るかもしれない。経済的に依存しつつ裏切るというのは、自立とは程遠いといえるかもしれない。しかし、時代は変わっていく。

 伊藤整は『氾濫』(1958年)において『抱擁家族』で書かれたのと同じ認識を示している。

 今まで彼の心の中にあったところの、彼のために家庭を営み、娘の教育に気を配る主婦としての文子、来客を接待し、家計をまとめ、食事や洗濯物に心を占められている妻としての文子でない、女としての文子が彼の前に現われた。それは、近頃になって夫である彼との性の交渉の時に、それに執着して取り乱し、それを持続し、それからできるだけの喜びを貪ろうとするようになった中年の貪欲な女としての文子であった。また男の来客たちには媚態めいた笑顔を浮かべていて、時には夫である彼にまでその同じ笑顔を向ける文子であった。そういう時の文子は主婦でもなく、母でもない、自分の魅力を男に押しつけ、肉体の喜びの知覚に貪欲な一人の女であった。しなやかで強い腕と脚を持ち、飽くことのない下腹部を持っている性の女であった。

 しばらくして彼の考は、予想もしなかったところに漂い着いた。それは、おれの妻、おれと長い間一緒に暮して来たこの女は、いま女としての魅力を全く失う直前にいる。人生の終りに近いところに来ている。おれが幸子と遭ったように、この妻だって、誰かよその男を選み、愛の言葉を囁き合い、肉体の新しい喜びを持ってもいいではないか。それをゆるし、見ぬふりをしてやるような気持におれがなってもいいではないか、という、これまで経験したこともない考であった。それが当り前の、何でもないことに思われた。真田佐平の心から、嫉妬心も、疑いも、怖れも姿を消した。長年自分と暮して、何一つ楽しい思いをしなかったのだから、お前だっていくらか魅力のあるうちに、別な男と人生を味ってもいいのではないか、と彼は、ほとんどそれを口にだして言おうとした。

 どうして伊藤整は早くからこのような認識を持ちえたのであろうか。

 河出書房『世界の大思想14・スミス国富論』の上巻の解説(1965年)で、内田義彦はスミスが大学を論じる箇所を取り上げて次のように書いている。

 さて、ここにあらわれる登場人物に注意していただきたい。きわめて平々凡々たる人物である。どういう機構のもとにおかれようとも、出世のはしごがどうかかっていても、それにはお構なく、つねに学者(学問の生産者)たる本分を守って真理を探究し、これを曲げない、そういう気魄をもった人物ではない。彼のぎりぎりの関心事はつねに自己――世間の評判と出世――である。(中略)伊藤整の小説にでもでてくるような、チャッカリしているといえばチャッカリしすぎている、ふがいないといえばあまりにふがいのない人物である。

 この登場人物がさしあたって広義の経済人ホモ・エコノミクスである。

 内田義彦のいう「広義のホモ・エコノミクス」とは、「利己心をもち経済の世界に足をつっこんでいる」が、「何らかの特権が個人または階級に与えられている」場合をも含むものであり、そのような状況においては「反社会的な結果」をもたらす存在である。「狭義」のホモ・エコノミクスとは、「特定の個人、または特定の階級に対して何らの特権が与えられていない社会」における利己的個人であり、「見えざる手」に導かれて社会的善を生み出す存在である。

 内田義彦は日本においては狭義のホモ・エコノミクスはいまだ存在しないと言う。「現代日本は封建主義から生産主義への移行過程にあり、コネ型の支配する現在の経済世界は未だ真の経済世界ではない」。

 こういった立身出世型人物が、官界のみならずわが国の経済界の支配的人物であった。そして、要領よくコネを伝わることが、これら経済人が追及する「経済のロジック」であった。それらの人物が「飯食い道」を求めて競い合う「金色夜叉」の世界にあるいは対抗し、あるいは軽蔑し、あるいはインフェリオリティとスペリオリティをコンプレックスさせながら、「経済」の世界の外に思想をおいもとめてきたのが、『浮雲』以来の日本の文学を貫く一筋の金線であった。そういう意味では、日本型ホモ・エコノミクスを示す引例は日本文学史のなかにゴロゴロよこたわっている。

 内田義彦が「広義のホモ・エコノミクス」の典型として伊藤整の作品に言及するほど、伊藤整のエゴイズム描写は知られていた。しかし内田義彦は伊藤整をアンチ経済的文学系列の最後尾に並ばせることはせず、先の言及だけで済ませてしまっている。なぜなら、確かに伊藤整の描く人物は「広義のホモ・エコノミクス」というにふさわしいのだが、それに対蹠するような人間像を彼は提出しないのだ。日本の経済社会が真の資本主義=市民社会ではなく、その批判基準となる西欧を理念に抱くゆえに疎外される主人公、という構図を伊藤整は取らない。彼は『氾濫』の世界が普遍的なのであり、決して日本社会の特殊な状況によるのではないと主張するのだ。

 伊藤整の人間観はエゴイズムを本質とするものであり、社会的責任なるものは自己の利益に裏打ちされない限り保持しえない。彼の描き方は隠されたエゴイズムを暴露するという自然主義的な方法であり、資本主義社会が欲望社会であることの告発という性格を帯びている。しかし、彼は過去の牧歌的な社会を夢想したりしない。どのような社会においても、人間の本質は変わらないと確信しているのだ。エゴイズムにおいて対等であるという意味で、彼の描く世界は、個人主義的であり自由主義的である。

 その一方で伊藤整は、人間の思考や行動はその社会経済的な地位に規定されるというマルクス主義的な認識にも引かれている。社会的上昇とともに、真田家の人々は欲望を解放していく。

 『氾濫』は、伊藤整の普遍主義的認識提出の意図に反して、戦後の経済成長を反映しているのである。豊かさが人々を変えていく。ただし、豊かさの訪れは、とりあえずは均一ではなかった。マートンの指摘したアメリカ的状況が生じ、『アメリカの悲劇』が起こる可能性があった。『氾濫』にも種村恭助という上昇志向人物が登場する。しかし、日本では格差はそれほどではなく皆が豊かになっていった。貧しさの悲劇は急速に失われていった。

 皆が豊かになり、欲望が平等に解放され、エゴイズムが罪悪観なしに実現する。伊藤整の「隠された世界」があらわになってしまったのである。

 伊藤整は日本の文化的特性を否定していたのではない。むしろ彼はそのような考えの一源泉でさえある。「近代日本人の発想の諸形式」(『小説の認識』)は典型的な日本文化(特異)論である。伊藤整は、『小説の方法』の後半から日本文化論に傾斜していったようであり、『小説の方法』の前半はむしろ日本文学普遍論を主張していた。日本文学の特異性に見えるものは日本社会(文化ではなく)の特異性の反映であり、文学の本質は普遍的である、というように。

 伊藤整が彼自身の日本文化論に染まり切らなかったのは、人間におけるエゴの普遍性がより基本的な認識としてあったからである。彼は文化や社会よりも心理に重点を置いていた。そして彼にとって心理とは利己的動機に他ならない。

 伊藤整の使う「エゴ」という言葉は、秩序形成に関して何の機能も持たされていない。伊藤整のフロイト理解は反社会的な存在としての個人精神の根源性であった。

 しかし、フロイトの理解は様々である。アメリカで精神分析がたどった道は、エゴの現実主義を肯定し、過重な調整的機能を負わせることであった。さらに、パーソンズの社会体系論に見られるように、イド・エゴ・スーパーエゴの機能バランスによる秩序維持という予定調和的な社会観も、フロイトの帰結として可能である。

 ただし、伊藤整のいう「エゴ」は、エゴ・イド・スーパーエゴを含んだ未分化な概念である。スーパーエゴ的な伊藤整の目は、イド的な欲望の存在を認識するが、それ自身を責めるのではなく、世間体を考慮して欲望をストレートに表明せず隠したり変形させたりするエゴ的な心の動きをむしろ醜いものとする。スーパーエゴの非難はイドに対してでなくエゴに向けられるのである。社会に適応することは不正直であり、それは欲望の純粋さを損なうのである。本来のスーパーエゴである世間や社会の規制はあくまで外在的なものにとどまり、内在化されることはない。

 伊藤整が最後まで理解できなかったのは、利他的な「欲望」もまた存在するということである。伊藤整にとっては、そのようなものは利己的な欲望の仮装でしかなかった。しかし、利他的な行為が行為者自身に喜びをもたらすからといって、それを利己的と呼んでみても生産的ではないだろう。(ただし、主観的に思われた利他的行為が、必ずしも他人に益するものかは分からない。理想主義者がもたらす災厄は、よりひどいものでありうる。)

 伊藤整の認識では、欲望のあからさまな充足は破滅をもたらす。欲望の純粋さを追及して身の破滅を選ぶか、保身のために欲望を醜く変形するか、どちらかしかないのである。欲望は、性とか権力とかいう原初的な種類しかなく、せいぜい金銭欲が生活苦の結果として派生するに過ぎない。消費による欲望充足は、所得格差の大きさのため、罪悪感を伴ってしまう。生存の必要を越えた消費による満足は、一部の者のみにしか可能でなく、大多数の者の嫉妬と羨望を招き、秩序を不安定にする。

 伊藤整の描く秩序は資本主義的というより集団主義的な側面が強い。

 伊藤整が「エゴ」「人間」の抑圧者と見た「秩序」「組織」とは、特権を生み出す規制であり、規制を生み出す官僚であり、官僚と結託する業界であり、業界にたかる政治であった。その意味で伊藤整が日本社会を「広義のホモ・エコノミクス」の構成する社会と見たのは正しかった。彼がそれを普遍的な形態と見たのも半分は正しいだろう。(それは日本だけではなく、西欧を含めた他の社会にも、程度の差こそあれ、存在する。)

 それは、内田の言うような未発達な資本主義ではなく、資本主義の修正としての規制国家であり、ある特定の時期(おそらく昭和初期)に成立したものである。資本主義は成立とほぼ同時に対抗思想を呼び起こしているが、大恐慌を契機に、資本主義への疑問が台頭し、アダム・スミスは古典に祭り上げられ、人為的な介入の有効性が信じられるようになる。私たちの資本主義の経験は、修正資本主義的なものであった。私たちはそれを封建主義の残滓と思い込んでいたが、修正資本主義の企てであった。

 伊藤整が見た秩序・組織というのはこのような歴史的文脈に位置づけられていたのであり、超歴史的、普遍的な姿で現象していたのではなかった。それはむしろ全体主義として特徴づけられる。それは敗戦によっても根本的に変化することはなかった。

 そのような体制が戦後の経済発展をもたらし、八〇年代高度消費を可能にしたのは皮肉である。消費の豊かさは人々の意識を変え、逆にこの体制を危機に陥れている。

 伊藤整は秩序批判はしなかった。古い秩序を破壊したとしてもすぐに新たな秩序が発生し、その本質は変わらない。開放されたと思った人々が再び拘束されるのに長くはかからない。人々が群れて生存するかぎり、秩序の桎梏から逃れられない。エゴを満たそうとすれば、秩序の敵になり、追い立てられる。破滅するか屈服するか。それとも、偽善者となって生きるか。

 しかし、私たちの前にある世界は、抑圧的秩序=規制が罪悪視され、自由こそが最善とされ、利己心こそが社会的発展の源とされる潮流が支配的になろうとしている。(もちろん、反動もある。)

 どこが違っているのか。

 利己的な動機によって秩序の形成は可能か。自由主義への問いかけはこの一点に集中する。経済学者からの返答は「神の見えざる手」である。政治学者は社会契約説を提出する。これらの論理はいったんは棄却されたかに思えたのだが、経済学における新古典派の台頭、ロールズやノージックをきっかけとする法学・政治学・倫理学などでの理論展開などにより、きわめて現代的な問題領域となっている。

 個人主義、自由主義は社会の統合を危うくするという懸念は、社会的連帯を保障する何かがなければならないという考えに魅せられるだろう。しかし、自由主義、個人主義を拒絶するなら別だが、それをある程度容認する議論は、困難を呼び込む。自由主義、個人主義は個々人が保持する「社会的連帯」の共通性を保障しないであろうから。

 ある価値観に人々を従わせようとするときでさえ、その価値に関する解釈の違いが人々を分裂させる。ましてや、各人が勝手に社会的連帯についての考えを持っているなら、どのようにして人々を統合できるのか。連合赤軍やオーム真理教は彼等なりの社会的連帯意識を持っていたのではないか。

 社会的責任を口にするだけでは、独裁者でもないかぎり、何が社会にとって最適なのかを見出しえないであろう。

 社会的統合を達成するために、人々に統合の気持ちを持たせようとするのは安易な解決法である。個人が利己的であることを認め、なおかつ彼等がお互いを益することを可能にする社会。アダム・スミスが資本主義に見出したのはそのような仕組であった。むろん、人々が徹底的に利己的であるならば、システムはうまく作動しない。正当な対価は支払うというような最低限の正義は必要である。そのうえで、個人の利己心を正当と認めて、社会的利益と共存させるという意識が、近代的と形容される。

 交換というのは、当事者双方に利益をもたらすというのが、経済学の主張である。交換がゼロサムな取引なら、一方の利益は他方の損失によってのみ生み出される。そうであるなら、交換が利己的な人々を結びつけることはなく、むしろ交換がなされるためには他の何かの力が人々をつなぎ止めなければならない。交換が当事者の双方に利益をもたらすなら、利己的であっても人々は自発的に交換し、交換を維持し続けようとするであろう。交換の体系として社会がその成員全てに利益を与えるのであれば、利己的であっても人々は社会の成員であろうとするだろう。社会が市場化し、その成員全てが市場に参加出来るのであれば、自由な個人は社会を形成し、維持するであろう。

 伊藤整に欠けていたのはこのような観点である。私たちもいまだに利己的であることは反社会的であるという観念から抜け切れない。しかし、社会が豊かになり、共同体の機能が社会化され、物質的にも精神的にも利己心は「正当に」満たされるようになった。利己的であることが全ての問題の根源であるというような単純な論理で人を納得させることはもはや出来ない。人々は利己的であることに後ろめたさなど感じなくてもすんでいるのだから。

 自由な社会の到来。他人に迷惑をかけない限り何をしてもよい、という最低限のルールで社会を形成することが可能になるのかもしれない。

 しかし、「迷惑」とは一体なんだろう。隣で煙草を吸われることは迷惑だろう。では、隣で携帯電話をかけられることはどうか。人前でいちゃつく男女は迷惑をかけているのだろうか。金を持っている連中はそのことだけで貧乏人に迷惑をかけていないか。既婚者がパートナーには内緒で他の異性と関係を持つことは、誰かに迷惑をかけることなのだろうか。男女関係を一方的に破棄しようとするとき、未練を持つほうに迷惑をかけることになるのだろうか。生きるということは、誰かに迷惑をかけない限りなしえない事業ではないのか。

 これらの理不尽な葛藤を生きることを描く、それが文学であり、実際文学は描いてきたのに、私たちが解釈しそこなっている。

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