井本喬作品集

明暗・機械・氾濫

序 エゴイズムについて

 ――最近、私は伊藤整の大作『氾濫』を通読して、これが『明暗』と『機械』を結ぶ延長線上の一結実たることを私なりに肯定した。『明暗』で創始された精刻な心理主義的分析によるエゴイズムの剔抉、それの諸条件の解明は、ここにひとつの文学的達成をもった。それを私は疑わない。しかし、『氾濫』に表現された八方塞がりの暗い人間関係に、ほとんどやりきれない思いをしたのも事実である。これが人間存在の実相かもしれぬ、しかし――という思いをとどめあえなかったからである。(平野謙『芸術と実生活』)

 私たちは自分がエゴイストであることを知っている。そして、自分にはエゴイストでない部分もあることを知っていると思っている。要は、昔から言われているように、人間には善も悪も備わっていて、悪の根源はエゴイズムにあるのだ。この常識的見解では、エゴイズムの克服が問題となる。

 まず、理性に頼ってみる。理性は感情と違って冷静であり、物事を的確に判断し、人間を正しい道に導くだろう。しかし、理性は自分の利益をも明らかにし、その追求の方法も教えてくれる。理性は手段でしかない。理性はエゴイズムと相反することはなく、理性的なエゴイストは最悪のエゴイストとなってしまう。

 では、感情に頼ろうか。愛情とか思いやりは利害を超越し得るから、エゴイズムにも勝てるかもしれない。しかし、愛情は身近な人や好ましい人に感じるのでエゴイストになることを妨げない。思いやりでさえ公平さを保つのは難しい。それに根本的には、愛情とか思いやりはそれを感じる者にとって好ましいのだから、エゴイズムから免れがたいのではないか。だからカントは義務を強調したのである。むろん、カント的理性は理性としての上述の問題をもっているから、堂々巡りである。

 そもそも、エゴイズムに悩むということがエゴイストたる私たちに可能なのだろうか。自分のエゴイズムに悩むとき、そのことを好ましく(そして得意に)思っていはしないか。それはエゴイズムではないのか。こういう反省自体が同じ反省を呼び起こし、無限後退に陥ってしまう。これは地獄だ。

 だから、私たちに出来ることは、自分はエゴイストであると開き直ることだ。エゴイズムと行為を同一視してしまえば、私たちの興味はそれがどのように作用するかだけになるだろう。平野謙が『氾濫』や『明暗』の中に見たのはこのような世界だろうか(後で見るように、『機械』は主体性の否定という観点なので、エゴイズムとは直接関係しない)。

 全ての行為はエゴイズムに基づくという定言は、全ての行為の原理をエゴイズムと名づけるということしか意味しないなら、同義反復であるにすぎない。この定言が意味を持つのは、エゴイズムに基づかない行為というものの存在が想定されていて、その想定を否定するという点にある。そのようにしてエゴイズムから悪臭を洗い落してしまっても、なお臭いが消えないならば、その源は他のどこかに求めなければならない。それは私たちの欺瞞から漂ってくるのだろうか。エゴイズムをエゴイズムと認めてしまえばきれいさっぱりするのだろうか。もし、それでも私たちがエゴイズムに悪臭を感ぜざるを得ないのであれば、結局私たちはエゴイズムに種類の違いを見出さねばならなくなる。好ましいエゴイズムと嫌われるエゴイズム、正しいエゴイズムと間違ったエゴイズム。これは前進だろうか。

 しかし、これらの作品の作者や評者にそれを期待するのは酷だろう。つまり、エゴイズムには効率性と協調性をもたらすという積極的な機能があるという、スミス的な見方まで期待するのは。彼らは、あるのはエゴイズムだけかもしれない(『機械』を含めるなら、主体性=人格性=道徳性というものはまやかしなのかもしれない)、というところまでは行ったのだ。それだけでも注目に値する。その認識を越えようとする文学者はいまだに出ていないのだから。

1 明暗(1)

 谷崎潤一郎は「芸術家一家言」の中で否定的な『明暗』評を述べている。その一部を引用しながら、論を進めることにしよう。

 「明暗」の作者は、物語の筋を進めて行くのに滑稽なほど論理的であって、その為めにちょいと見ると組み立てが整然として居るやうに感ぜられるけれども、実はその論理が却って筋を不自然にさせ、総てを造り物にさせてしまって居る。

 『明暗』が何日間の出来ごとを描いているのか不明である。というのは、津田が退院してから、療養のために温泉に出発する前日に小林に会うまでの日数が明確でないからである。もし、退院した翌日に小林に会ったとすれば、全部で十五日間の物語である。十五日間といっても、そのうち四日間は第一五三章だけですませられているから、実質的には、第一五二章までの八日間と、第一五四章からの三日間の、計十一日間であると言える。

 第一五二章までは、津田とその妻のお延に対する作者の取り扱いは量的質的に全く対等である。津田とお延がそれぞれ別個に吉川夫人、小林、津田の妹お秀に会う回数の合計は、津田は五回、お延は四回であるが、津田は藤井一家と一度会うだけなのに、お延は岡本一家と二度会っているから、差はないと考えていい。しかも、津田が藤井家の真事と会うのに対応して、お延は岡本家の継子と会うといった念の入れ方である(岡本家には百合子や一もいるが)。さらに、津田が藤井方で小林に会うごとく、お延が吉川夫人と会うのは岡本家と一緒のときである。

 津田とお延の夫婦、お秀、吉川夫人、小林という五人の主要人物は、藤井・岡本の二つの家族といろいろつながりを持っており、津田とお延のそれぞれの親たちも京都において結びついている。これらの関係は津田とお延を二つの焦点として対称形を形作っている。独立した子供のいない夫婦という境遇がお延の活動範囲を広くしているのは言うまでもない。お延の性質だけでなく、設定された状況もお延が津田に拮抗するのを可能にしている。

 物語が始まってから五日目の前半までは津田が中心、それから七日目の前半まではお延が中心となっていて、それぞれ四十四章(第一章から第四四章まで)と四十六章(第四五章から第九〇章まで)をついやしている。七日目の前半でお延が小林と会っている頃、津田はお秀と会っており、第九一章はその記述となる。そこへお延が現れて、津田・お秀・お延の三者が顔を合わせる(第一一三章まで)。

 八日目(第一一四章から)は圧巻で、津田が小林と会い、お延はお秀と会い、次に津田は吉川夫人と会い、最後に津田とお延が合流する。一方、直接には描かれていないが、それ以前にお秀は吉川夫人と会い、さらに藤井方でお秀と小林が会っている。つまり、五人の間に六回の対面が行われている。二人以上が会うことがないのは単なる偶然ではなく、津田は吉川夫人の来る前に小林を追い払い、吉川夫人とお延を会わせないためにお延に来るなという手紙を届ける。手紙は間に合わなかったが、津田が吉川夫人と会っているときお秀はお延と会っていて、お延の帰ったことをお秀の電話で知った吉川夫人は退散する。お延と吉川夫人は危うくすれ違う。

 五人の主要人物のうち三人以上が集まるのは、既述の七日目の津田・お秀・お延が会うときだけである。津田とお延の夫婦は別々に他人たちと会って、確執の種を拾ってくる。二人が手を組むのは、三人が会った機会にお秀に対して共同戦線をはったときだけなのだ。三人の人間が集まって最初にすることは、二人が他の一人の悪口を言うことだ、ということわざのようなものがある。つまり、三人以上ならば協調と対立が同時に現れることが可能だ。だが、二人では、協調か対立か、である。『明暗』では、七日目の三人集合以外は、主要登場人物たちは常に一対一で対面する。漱石は協調を排除して全て対立の様相を与えている(ただし、お延に対抗して、お秀と吉川夫人の間には協調がある)。対立のはっきりとした理由は告げられず、しいて言うなら他人であるからということだろうか。

 このような物語の構成はむろん漱石が意識的に作り上げたものである。この構成こそが漱石の表現なのだ。

2 明暗(2)

 津田にしても、延子にしても、津田の妹の秀子にしても、僅かばかりの金の調達や遣り取りをするのに、恐ろしく面倒な議論を戦はしたり技巧を弄したり、智恵くらべをしたりする。出て来る人間も出て来る人間も物を云ふのに一々相手の顔色を判じたり、自他の心理を解剖したり、妙に細かく神経を働かせたりして、徹頭徹尾理智に依って動いていく。(「藝術家一家言」)

 谷崎の言いたいことを要約するキーワードは「論理」「造り物」「理智」などだろう。作者がそう形容されてしかるべきなのは間違いない。しかし『明暗』の登場人物たちははたして「徹頭徹尾理智に依って動いて」いるだろうか。

 既述のように、『明暗』の登場人物たちの対立には明確な理由が示されていない。虫が好かないというのが原因で起こる葛藤劇なのである。感情が先走っているから、妥協や協調はありえない。登場人物たちは会えばあからさまな、ないし暗黙の闘争を始めるのである。彼らが求めているのは、感情的に優位に立つことである。相手を屈服させることである。だから、たとえばカネのことなど本当は問題ではないのだ。以下のお秀の言葉はそのことを現している。

 兄さん、あなたは私の出したこのお金は欲しいと仰ゃるのでしょう。然し私のこのお金を出す親切は不用だと仰ゃるのでしょう。私から見ればまるで逆です。人間としてまるで逆なのです。だから大変な不幸なのです。そうして兄さんはその不幸に気が付いていらっしゃらないのです。嫂さんは又私の持って来たこのお金を兄さんが貰わなければ可いと思っていらっしゃるんです。さっきから貰わせまい貰わせまいとしていらっしゃるんです。つまりこのお金を断ることによって、併せて私の親切をも排除しようとなさるのです。そうしてそれが嫂さんには大変なお得意になるのです。嫂さんも逆です。嫂さんは妹の実意を素直に受けるために感じられる好い気持ちが、今のお得意よりも何層倍人間として愉快だか、まるで御存じない方なのです。

 援助を受けようとすると、感謝を返さなければならない。単なる言葉でしかない感謝が対価となりうるのは、援助を与えられるという屈辱的な地位を甘受するということの表明だからなのだ。津田とお延は、お秀に屈服したくはないので援助を断ろうとする。それはお秀の言う通りだ。しかし、お秀の言う親切とは、援助を与えることによる優位の気持ちからもたらされるものだ。お秀は、津田とお延が快く屈服してくれることを望んでいる。つまり、援助とか奉仕というのは一方的な贈与ではなく、有形・無形の対価を要求する交換であるのだ。『明暗』の登場人物たちは感情において計算高いのである。

 漱石より後の時代の人間として、私たちは、交換や互恵などの概念によって、エゴイストたちが(嫌な言葉だが)win-winの関係を築けることを説明しうる。片方が得をし片方が損をするように見える資源の移動も、実は負債がいつかは返済されてみなが利益を得ることになるのだ。これは経済的な関係ばかりでなく、社会的な関係にも適用できる。人間が他の人間に渡し、他の人間から受け取るのは、目に見えるものだけではなく目に見えないものでもあり、したがって、受け渡されるものは目に見えるもの同士だけではなく、目に見えるものと見えないもの、あるいは目に見えないもの同士でもある。だから、目に見える資源の移動が一方的であっても、目に見えない対価(負債という形を取るときもある)の存在を推測できるのだ。

 逆に言えば、そもそもそういう対価が払えないとき、関係は成り立たない。それでも資源の移動があるならば、対等な関係は崩れているのだ。真の贈与や収奪は地位の異なる人間たちの間で起こる。人間関係で優位を望むなら、少なくとも対等でありたいと願うなら、他人から収奪されてはならないし、また他人から施しを受けてはならない。これは「理智」のなせる技ではなく、むしろ意地とでも呼べるような作用である。

 一体漱石氏には何となく思はせぶりな貴族趣味があって、「明暗」の中の人物も小林を除く外は大概お上品な、愚にも付かない事に意地を張ったり、智慧を弄したりする、煮え切らない歯切れの悪い人たちばかりである。私に云はせればあの物語中の出来事は、悉くヒマな人間の余計なオセッカヒと馬鹿々々しい遠慮の為に葛藤が起ってゐるのである。(「芸術家一家言」)

 『明暗』の登場人物たちは、小林を除いて、一応衣食足っている。このような人たちの関心事は、「社会的」な関係が主である。確かに彼らもおカネの不足を心配する。しかし、よく注意すれば、彼らが真に心配しているのは、おカネの欠如が劣位を表現してしまうことだけなのだ。その点では、津田とお延も、小林も同じである。いわば彼らはみな見栄っ張りなのだ。考えてみれば、貧しい人でさえ、そういった心理上の駆け引きに翻弄されている。中産階級の人々は、経済的な不足や過剰に悩まされることが少ないから、そのような態度が目立つだけなのだ。

 彼らには信念がないように見える。というより、寄って立つべき規範が見当たらないのだ。これは作者の思いが表現されているとみなすべきである。漱石は、変化する社会の中で、崩壊した古い倫理に代わる新しい倫理を求めたのだろうが、遂に信じるべきものが得られなかった。『行人』までは探究の書であるが、『こころ』からは幻滅の書である。倫理はもはやあり得ない、これが現実だ、と漱石は言う。

 倫理がなければ、人間行為はエゴイスティックにならざるを得ない。しかし、序でも述べたように、全てがエゴイズムであるとみなすことは、そうであってはならないはずだという心情に支えられてこそ可能である。もしそうでなければ、エゴイズムはただの原理でしかなくなるだろう――あるいは、漱石はそうしたかったのかもしれない。「則天去私」とは天から与えられたものとしてエゴイズムを受け入れる覚悟だったのかもしれない。人間が肉体を持ち、原動力として欲望を持つように、方法としてのエゴイズムは必須なのかもしれない。だとすれば、何を嘆き悲しむ必要があろうか。

3 機械(1)

 エゴイズムと合理性について、私には奇妙な体験がある。大学の経済学部の授業で、ある教授が、ソ連における一挿話を語った。ソ連が崩壊する前の話だ。ある織物工場が布の長さでノルマを課せられたので、幅を縮めることで対処しようとしたというのである。教授はシステムの不合理さを指摘したのだが、私はそのとき何かが分かったと思った。人間は常に合理的なのだ。合理性と主体性は同じものであり、人間から奪い去ることはできないのだ。

 そういう私から見れば、『機械』は希薄な世界である。執着心も熱意も欠けた、それゆえどうにでも解釈出来、解釈が変わったからといって特にどうということはない世界なのだ。これが与えられた世界であるなら、人は不条理を諦念で受け止める世界である。

 だが此の私ひとりにとって明瞭なこともどこまでが現実として明瞭なことなのかどこでどうして計ることが出来るのであらう。それにも拘らず私たちの間には一切が明瞭に分かってゐるかのごとき見えざる機械が絶えず私たちを計ってゐてその計ったままに私たちを推し進めてくれてゐるのである。

 しかし、機械のメカニズムは一向に明瞭ではない。ただ何かに決定せられていると説明されているだけで、それが何なのかは語られていない。唯物論の悪しきカリカチュアであり、唯物論の決定論的世界像への反措定であるかとも思える。

 いわばこれは夢の世界である。与えられた夢が解釈されれば、それが何かに支配されていたことが分かるであろう。なるほど、ある人びとにとってこの世は悪夢にすぎぬかもしれない。しかし、悪夢は悪夢なりの現実性は持っているだろう。夢なら覚めてという叫びもあるだろう。覚めぬと知れた夢、あるいは覚めても見る夢こそ真の悪夢であるとしても。

 『機械』の中の人間関係の基本は、『明暗』とは対照的に、三角形である。主人と細君とそれを評価する第三者の形成する三角形。主人と軽部と「私」の形成する三角形。軽部と屋敷と「私」の形成する三角形。ジンメル流の結合と分離の組み合わせの力学がここに働くのは明白である。対立と協調が成立し、一方が他方を引き起こす。第三者は二者関係に巻き込まれるが、逆に戦略として関係を選択する。けれども、『機械』が執拗に主張するのは、巻き込まれた傍観者の諦念だけである。他人の戦略に流されっ放しになった「私」だけが喋っている。

 関係を押しつけられたとみなすことは、その関係に対して権利と義務を見出さないことである。そこから、その関係の廃棄と新たな関係の選択の可能性が開ける。押しつけられたという認識は積極性を持ちうる。しかし、押しつけられた関係の変化もまた押しつけられたものだとみなすのであれば、人間はそれに従って右往左往するしかない。

 実際はどうなのか。お人好しの主人はいざ知らず、軽部も屋敷も彼らなりの戦略――たとえ誤っていても――によって行動している。ただ「私」だけが意志薄弱ぶりを喋り散らしているにすぎぬ。そういう「私」にしても孤立の中に漁夫の利を得ようという戦略を抱いているのかもしれないではないか。なかなか夢の世界どころではない。

 つまり、『機械』は「私」の懐疑的な独白が人間関係の前面に流れていて、この「私」の感想にどう反応するかというのがポイントなのだ。一人称を使ったところに巧妙さがある。私たちは作者にたぶらかされるわけである。『機械』を倫理書と呼んだ者がいたが、むしろプロパガンダと言った方がよい。作者の野心は効果にあった。思想も技法もそこに向かって絞られているのである。つまり、『機械』は小説なのである。

 だとすれば、『機械』の提出する世界像について何をとやかく言う必要があろうか。伊藤整の言うように「横光は言わばマルクス主義文学に対して技術的に挑戦したのではなかったろうか」(ただし、これは『上海』についての評であるが)。皮肉なことに『機械』の先に「純粋小説論」を経た『旅愁』がある。技術によって人を説得することは出来る。しかし、おのれ自身を技術の輩とみなす決意にゆるぎはないか。

 横光利一は『旅愁』を書きながら、小賢しい技術ではどうにもならぬものを感じていたに違いない。技術の要求に都合よく動いてくれる思想など何ほどのこともなかった。自由に作り上げられる認識に生じた苦悩など一体何だったろう。生の陥穽に落ち込んだとき、『機械』のこぎれいな認識に何が出来ただろうか。

4 機械(2)

 『機械』は『卍』と似ている。一人称であること、四人の登場人物が入り乱れること、他人の意図が語り手には見通せず、したがって疑惑と推測によって人間関係が組み立てられること、薬物による死がカタストロフィーになること、など(ちなみに、『卍』は昭和三年~五年、『機械』は昭和五年、いずれも『改造』に掲載された)。志賀直哉(=人格)を横光利一(=関係)と谷崎潤一郎(=性)によって挟撃した伊藤整は、この二つの作品をどう見ていただろうか。

 〈『機械』について〉
『機械』に定着された人間社会観は、人間の実在は、他の人間との出逢ひによって、その価値や力が絶えず変るものであり、またある事件が甲なる存在に与へる影響と乙なる存在に与へる影響とが違ったものとなる可能性があるということ、また努力がかへって人間を駄目にすることがあり、失敗がかへって実益を多くもたらすこともあるといふ考へ方である。人と人、人と仕事、人と人との組み合はせの動きによって、善意や努力と関係なく、人間は浮び上り、また破滅する。さふいふ人間の組み合はせと社会条件の組み合はせの中に、現代人の生きることの実体がある、といふ考へ方である。

 〈『卍』について〉
肉体的恐怖は、単にそれのみに止まる場合は単なる恐怖であるが、人間の肉体の条件がその人間の倫理観を動揺させ変化させる時、その恐怖と不安は深刻なものとなる。それは人間性の根本に対する疑いとなり、道徳や愛というものの性質が、根本から考え直さなければならなくなる。人間は意識によって支配できない深層の、自分自身にも隠されている動機によって衝動的に動かされるものである、という近代の精神分析学の示した結果と、このような肉体から生れる精神的恐怖の把握とは、同じような結論を示している。

 人間の主体性に疑問を呈するという点で共通するこの二つの見方は、実は、伊藤整に『機械』と『卍』の根本的な共通点を見失わせてしまっているのだ。『卍』における「性」は登場人物の結びつきの理由として無条件に前提されているのであって、動き(変化)は結びつきそのものに見られるのである。『卍』も『機械』と同様、人間関係に焦点が置かれており、ただそれが「性」をめぐった人間関係であるというにすぎない。

 谷崎潤一郎の作品の中の、いわゆるマゾヒズムとか日本趣味とかいうものは、単に嗜好の問題にすぎず、他人に押しつけることは出来るかもしれないが、一般性を持ちうることはないのである。私たちの興味が向うのは、そのような表面上の主張(あるいは話を進めるための道具立て)を超えた、登場人物たちの葛藤の姿の普遍性である。谷崎潤一郎は人間関係における角逐――結合と離反に常に関心を持っていたのであり、そのような彼が理想的な人間関係として主従の結びつきに到達したのは当然かもしれない。

 主従関係が封建的だなどと言うつもりはさらさらない。競合と相補、平等と格差という普遍的な観点で見れば、競合よりも相補は安定的であり、平等は維持するのに格差よりも難しい。たとえば、同程度の規模の企業の関係よりも、大企業と中小企業の関係の方が安定的である。もし、安定のために不平等な関係が望まれるなら、しかも従たる立場が望まれるなら、そこにあるのは相補関係であり、主たる立場は単に象徴的なものにすぎず、実体を失い、従たる物を写す鏡のようなものでしかなくなる。それが人間の形を取る必要がなければ、信仰であり、道徳でもあるだろう。献身というのは集団(二人以上の人間の結合)の安定要素である。献身はその対象を批判しない。それが完璧であるからではなく、批判のあるところに献身はないからだ。献身するに値する資格をその対象に求めるようになれば、それはもはや献身ではなくなる。それゆえ、献身は、献身する方によって専ら支えられているのである。

 谷崎潤一郎の構成しているのはこのような高度に意図的な世界である。究極的にこの構成がもたらされるためには、そこまでの経過においても人間関係のバランスへの目配りが必要とされるのは当然だろう。人は他人を完全に自分の自由にすることは出来ないが、全く無力だというわけでもない。そこに駆け引きが生じる。関係というのは、人間を排除した実体ではなく、人間によって支えられているのだ。『卍』は『機械』のような無力的な人間の世界ではなく、説得や欺瞞を駆使し、協力し、敵対しつつ、お互いを支配し合おうとする人間の世界を描いている。

 伊藤整が人間(人格)の否定を見ようとした作品から聞こえてくるのは、人間の賛歌に他ならない。確かにそこでは人間は滅びることもある。しかし、彼らは喜んで滅びていく。滅亡さえも人間が望まぬ限り実現しないのだ。

5 氾濫(1)

 少し長い文章だが、『氾濫』と『暗夜行路』から引用してみる。登場人物が他人を、とくに異性をどのように見るかの違いがよく分かると思うからだ。

 その間も、女は、その商品の宣伝の続きを、よどみなく、なめらかに喋っていた。種村恭助は平気でいようとした。その目の働きは明らかに商売用の、人を目でとらえて自分のまわりに引きとめようとする性質のものであった。それをいまこの女は、女客でなく、男の自分に対して使って、言葉よりも声の魅力の効果を確かめようとしている、と彼は思った。だが、種村恭助はそれが分かっていながら、その女の貴族的に見えるよく張った鼻梁と、黒い大きく見開かれた目と、輝くような白い頬とを、どきっとするような効果で受け取ってしまった。彼の心はおさえるすべもなく動いた。この女を自分のものにし、この女を抱きしめ、この女の衣服をめくり、この女を‥‥と彼の感覚はすでに反応してしまった。そして彼は、自分のその動揺があらわに女の目に暴露されたことを感じた。しかも、その最後に、しかしおれにはそれをするだけの資格もなく、地位や容貌の魅力もなく、この女を左右する金もない、どこかの金持ちの中年男か、役者のような厭らしい気障な男にこの女は自由にされるのだ、という敗北の意識まで、その女に見て取られた、と彼は思った。/彼はそこからエスカレーターの方へ歩いてゆくあいだ、女が自分の後姿を見ていることを感じた。あそこに、もう一人、私の魅力に心を見出された男が歩いて行く。もう四五年も毎日着ているよれよれになった合服を着、木綿の登山帽をかぶり、そして踵の形のイビツになった靴をはいて、全然そんな資格がないのに、私の裸の身体を撫でまわすような目つきしてあの男は通って行った‥‥そう思っているにちがいない。種村恭助はやりきれなくなった。(『氾濫』)

 女の人は連れの女中との話を其儘、打切って、今度は急に――寧ろ発作的に赤兒の頬だの、首筋だのへ、ぶぶぶと口でお灸(とも少し異うが)日本流の接吻を無闇にした。赤兒はくすぐったさうに身もだえして笑った。女の人は美しい襟足を見せ、丸髷を傾けて、尚しつこく咽の辺りにもそれをした。見て居た謙作は甘ったるいやうな変な気がして、今は真正面にそれを見てゐられなくなった。彼は何気なく首を廻らして窓外を眺めた。そして此女の人は未だ甘ったれ方を知らぬ赤兒よりも遥かに上手に甘ったれてゐると思った。/若い父と、母との甘ったるい関係が、無意識に赤児対手に再現されて居るのだと思ふと、謙作は妙に羞かしくもなり、同時に餘りいい気持ちもしなかった。然し、精神にも筋肉にもたるみのない、そして、何となく軽快な感じのする此女の人を謙作は美しく感じた。彼は恐る々々自分の細君としてかふ云ふ人の来る場合を想像して見た。それは非常な幸福に違ひなかった。一時は他に何物をも欲求しない程の幸福を感じさうな気さへした。/「さあ、今度はおんりするのよ。君やにおんぶしてエッチャエッチャって行くのよ」美しい細君は赤兒を女中におぶせながらこんな事を云った。そして電車の停まるのを待って降りて行った。/謙作は何と云ふ事なし、幸福を感じて居た。此幸福感は其人の印象と共に後まで、彼の心で尾をひいて居た。(『暗夜行路』)

 種村恭助と時任謙作の違いは、性格によるのかもしれないし彼らの環境によるのかもしれない。時任謙作が気にせずにすむことを、種村恭助は気にせずにはいられないのかもしれない。種村恭助が恐れているのは、単に他人が自分をどう見ているかということだけでなく、他人と自分の間に成立する関係なのである。相手の美しさ(あるいは豊かさ、豪胆さ、その他の魅力)に惹かれたことを相手に知られ、しかも相手がこちらを無視しうるとき、優劣関係がお互いの確認の上に成立する。この関係において、劣者は与えるよりも多くを受け取ることになるという心理的負担を感じてしまう。美人というのは、いわば無理矢理押しつけていく債権者のようなものである。いつでも返済が可能な人間でなければ、安心して見ていられない。ちょうど、常におごってくれる友人を平穏な気持ちで受け入れることが出来ないように。

 種村恭助のこのような心の動きが鋭敏であり、時任謙作が鈍感な(もしくは厚かましい)わけではない。あるいは、種村恭助が小心であり時任謙作が鷹揚であるというのでもない。性格の違いというなら、むしろ時任謙作にある種の能力が備わっていると考えるべきだろう。むろん、時任謙作はカネに不自由しない男であり、その境遇がこの能力を支えているのかもしれぬ。つまり、時任謙作は与えずに受け取ることが出来る人間なのである。

 時任謙作の態度は、私たちが風景として自然を眺めるときの態度に等しい。風景は私たちの所有になるが、他者から貰ったり奪ったりするわけではない。より一般的には、他者との相互行為を必要としない。時任謙作は他者と向き合うことなしに、ただ眺めるだけで彼自身の取り分を得る。常にそうだというのではないが、彼にとっては人間も石も対象として差はない。

 もし相手が相互行為を求めてきても、時任謙作は拒絶する。というより、相手の行為は彼を少しも変化させないので、そこに相互行為は成立しない。彼は他者との関係において、他者の協力を必要としない。協力を得るために自分を変えることはせず、自分を相手に押しつける。対象は単に彼の世界を構成する契機にすぎないのである。

 この態度は傲慢である。しかし、受け取ったものすべてに対して支払うことができると考えることの方が、より傲慢ではないのか。常に返済を考える人にとっては、与えずに受け取ることが服従は意味する。むろん、権力は与えずに受け取ることを可能にする。ここから時任謙作の家父長的性格が導き出されるのだが、その検討はややこしいのでここでは保留しておこう。

 種村恭助が計算を働かせるのは、そこに相互行為が成立しているからである。当事者はお互いに相手が何を求めているかを知っている。そこにおいては、自分が与えるものに価値があるのは、相手がそれを求めるからである。

 時任謙作も努力する。しかし、彼の求めているものを他者は知らない。それゆえ他者は彼と交渉できない。彼自身も、何が彼に与えてくれるのかを知らない。彼は闇の中を手探りする他ない。獲得が努力に比例しないとき――たとえば何の気なしに動かした手に触れる――とか、あるいは万遍なく常に努力が求められるとき、そこに計算は働かない。

6 氾濫(2)

 『氾濫』の登場人物たちは社会の提供する価値に敏感である。そのことは、伊藤整が示唆しようとしたのとは違って、少しも反社会的なことではない。『氾濫』は順応した人々を描いている。彼らの欲求が社会的であることが彼らの順応ぶりを示している。彼らが対象を望むのは、それが直接与えてくれる満足によるのでなく、対象の所有がステイタス・シンボルとなるからだ。異性でさえそうである。伊藤整は性の反社会的力を強調した。しかし、純粋の性の喜びというのはないのかもしれない。『氾濫』でもそうなのだが、性は社会的価値に浸透されつくしてしまっている。

 伊藤整が『氾濫』の中に込めたのは、反社会的であるがこれが真実だ、という叫びであろう。だが、多くの人によって行われていることを反社会的と呼ぶのはおかしなことである。伊藤整の主張しているのは、ホンネとタテマエの齟齬という、昔からの嘆きに過ぎないのではなかろうか。伊藤整は社会秩序を道徳と同一視しているようなのだが、実際に社会を構成している要素について道徳はほとんど無知である。だから、道徳は実践原理としては無力なのだ。人々はそのことを経験的に知っているから、道徳に敬意は示しつつ、無視するのである。それでも彼らは反社会的であるのではない。

 伊藤整はそこに偽善を感じるのであろう。道徳と社会の実態がずれていることに人々は気づいていないか、気づいていても知らぬ顔をしている。では、伊藤整は反道徳を主張しているのだろうか。道徳というまやかしを棄てて、正直にホンネを表明するべきだ、と。道徳=秩序というものは生命を抑えつけるためにあるというのが彼の考えであるから、秩序に逆らって生命を解放することは望ましいはずである。しかし、伊藤整は秩序がなくなったアナーキーな世界は恐れるのである。生命のためには秩序はなければならず、しかし秩序は生命を抑え込む。結局、逃げ道は芸術にしかない、と彼は言う。

 では、伊藤整の考える芸術として、『氾濫』は私たちに何をしてくれているのだろうか。反秩序的行為を疑似体験することで生命の解放を感じさせてくれるのだろうか。しかし、『氾濫』が描こうとしたのは読者たちが実際に行っていることの指摘にすぎないのだから、そういう作用は期待出来ないだろう。人間というのは秩序から逃れられず、秩序に抑えつけられ、せいぜい出来るのは隠れてこそこそと楽しむくらいのことだけだ、という憂鬱な真実の認識。伊藤整が『氾濫』でなそうとしたのは、そのような認識を与えようとすることだったようだ。しかし、その実態が実は社会の実質であるとしたら、伊藤整に教えられるまでもなく、人々は当然そのことを承知している(認識している)だろう。

 実のところ、『氾濫』がなしているのは、そういう私たちの実感を証拠にして、道徳の重要さを主張する人や真実を見ようとしない人に対して反論し、抑えつけられた私たちの攻撃的な感情(怒り)を発散させることではないか。つまり、閉塞的な状況における一時的な憂さ晴らしにすぎないことになる。根本的な解決の道は示されない。なぜなら、古い拘束的な道徳の代わりに新しい道徳を求めたとしても、道徳の本質は変わらないのであるから、今度はその新しい道徳が抑圧となり、またしても同じことになってしまう。

 ところで、伊藤整が見損ねていることがある。確かに過度の反道徳は反社会的である。たとえ道徳が完全に実行されなくとも、それがある程度の歯止めとなっているのだから、それを全くなくしてしまえば社会は混乱するだろう。しかし、そのことは、逆に、完全に道徳的であろうとすることはむしろ反社会的であるということをも意味しているのではないだろうか。この辺りはちょっとややこしくなるが、伊藤整の言葉を使えば、生命は秩序と妥協的な関係にあり、その中途半端さが安全性を担保している。生命がそういう状態にあきたらずに秩序に反抗する側面を伊藤整は注目し、それが芸術の契機になるとみなした。だが、中途半端さを脱する逆の道として、秩序と完全に一体化するという方向もあるのではないか。この場合、秩序というのは名目的なものとみなされるので、実体をシステムと呼ぶことにしよう。秩序は中途半端であることでシステムの機能の一部になっている。もし秩序が大きく損傷すればシステムの運行は危うくなる。しかし、秩序があまりにも頑健であろうとする場合には、システムの運行は阻害されてしまう。反社会性をシステム運行への反抗とみなすなら、道徳貫徹も道徳破壊と同様反社会的なのだ。生命の反社会性(伊藤整は反秩序性とするのだが)が芸術の契機であるならば、道徳が芸術的感動の源泉になるのはそれゆえなのだ。

 私はある時代の正義感が、芸の強い動機になることを知り、それに敬意を払いつづけ、芸の永続的本質を崩してまでそれに迎合しようとして、かなり苦しんだ。そして、正義を意識して芸を作る作家の裏切りは私の関知することではないとして、ある時代を限っていえば、臨時的に正義は芸の強い源泉であることを認めざるを得なかった。人間は生命の持つバネを正義のバネだと誤認することによって、正義を芸の中に持ち込み、生命のバネの後暗さから目をふさぐようである。(「一つの感想」)

 秩序(道徳)とシステムを一体化しなければ、伊藤整の理論は整合的になる。エゴイズムと正義(道徳)は、システムからの反対方向への逸脱なのである。そして両者とも芸術的感動を呼び起こす。このことは私小説に関して伊藤整も認識していたことである。破滅型と調和型、より適切には下降型と上昇型という二つのタイプは、この二つの方向と重ね合わせられるものだ。

おわりに 生命と秩序

 本来的にエゴイズム的であっても、人間が社会を形成するためには、他人のエゴイズムを認めねばならないだろう。それは自らのエゴイズムを制限することを意味する。社会の形成の理由が何であれ、社会においてはその成員はエゴイズムの一部(全部ではない)を抑えなければならない。抑えられたエゴイズム(伊藤整は「生命」と呼ぶ)が芸術の契機になるというのが伊藤整の芸術論である。したがって、「生命」は社会の「秩序」と相容れないことになる。だが、その関係は単純ではない。

 私の今の最も大きい躇いは、絵においては多分秩序を示すところの線それ自体が生命的に働くということについてである。それに対しては、線とその調和ということがある時は生命それ自体に近く、後になって人間中心主義時代に近づくに従って、枠というものに意識されるように変化する、という私の推定が正しいか否かにある。(「正義感と芸術性」)

 生命に対しての、社会における秩序の役割を、絵画においては線が果たしている、という伊藤整の社会-芸術並行論ないし反映論が適切かどうかはここでは問題としない。取り上げるのは、秩序に反抗することが生命にとっての唯一の満足か、という疑問である。伊藤整は秩序が生命を抑えつけるという彼の理論からはみ出す現象を何とか取り込もうとしている。その現象とは、秩序が生命にとって喜びとなるような場合が、したがってそのような芸術が存在するということである。上記の引用文も彼の戸惑いの表明である。

 しかし、伊藤整自身も生命と秩序の微妙な関係に気づいているはずである。彼はこう言っている。「結論的に言うと、生命的な要素が、秩序の要素といかに戦い、いかに調和しながら自己を生かそうか、という点が、芸の働きの部分になる」(「芸術の形式と秩序」)。「戦い」だけではなく「調和」も「自己を生か」すということなのだから、反抗だけが「生命」の充実をもたらすのではあるまい。ただし、伊藤整は「調和」という言葉をやむを得ない屈従という意味で使っているのかもしれない。「生命」は反抗という「太く短い」やり方ではなく、妥協や隠れた不服従(サボタージュ)という「細く長い」手段で「自己を生か」そうというのかもしれない。伊藤整にとっては「秩序」や道徳とほとんど同義である「正義」について、次のように言っている。

 正義というものは、極めて不確かな、曖昧なものである。正義はいつの場合も生活者にとって必要であって、必要悪のようなものに過ぎない。私は自分も生活者としてはそれに拠っている。なるべく安定した腐敗直前の古風な正義、即ち常識というものほど使用には便宜である。(中略)正義は功利性の高いもので、それなしに人は生きれない。(「一つの感想」)

 「生活者」というのは「秩序」に従って真の自己(「生命」)を抑えている人間の姿である。これを「調和」というなら、それは「芸の働き」とは言えないだろう。それどころか、このような「調和」(妥協)が「生活者」の実態であるならば、「正義」は常に不完全な形でしか実行され得ないということになるであろう。つまり、既に述べた(私の用語での)システムでの一機能であるということだ。

 厳密さにこだわらずに言えば、伊藤整の「秩序」の完全形は実態としてはどこにもないものであり、「生命」は不完全形の「秩序」と「調和」してうまくやっていっているのである。「生命」がそのような自己を不完全燃焼と感じて不満を持てば、「秩序」に反抗する方向は一つではない。見やすいのは、「秩序」の制限を、それが不完全形であるにしても、脱しようという方向である。だが、「秩序」の不完全性が不満の原因と考えて、完全実施を目指す方向もまたありえるのである。社会(ないし自己)改革の情熱は、道徳破壊の熱狂とベクトルが違うだけで、「生命」が「自己を生かす」(完全燃焼)ことを目指しているのではないか。したがって、伊藤整流の芸術においても、この二つの方向があって当然だと言えよう。

 序で引用した平野謙の嘆きを補足しよう。『氾濫』は伊藤整理論の目指す芸術の理念に合っていないのである。『氾濫』が描いているのは社会の実態であって、秩序への反抗ではない。社会からの逸脱行為の描写は、芸術的な感動の一つの(全ての、と伊藤整は言いたいだろうが)源泉である。だが、『氾濫』にはそれがない。それがないからといって感動もないということにはならないが、目指していたものがないのであれば期待されたものは得にくいであろう。

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