小林秀雄『文芸評論』
1
私はここで小林秀雄についてではなく、彼の文学論の、しかもほんの一部について書きたいと思う。具体的には『文芸評論』(筑摩書房、1974年)についてのみ書くつもりである。
小林秀雄は、私が故意に避けてきた人物の一人である。この偏見が何に由来するのかはっきりしない。読みもしないで嫌いもないものだが、小林秀雄が世間に流通するのをゆるしている自らのイメージというものがあり、それが何も知らぬ者にも届くものらしい。『文芸評論』はそのようなイメージとは違ったものを我々に示してくれる。
筑摩書房版『文系評論』所収の評論は、主として『文芸評論』『続文芸評論』『続々文芸評論』『私小説論』『現代小説の諸問題』『文学』『文学2』『歴史と文学』からのものだが、その異同は次のようになる。
筑摩書房版にあってこれらの評論集にはないもの。「アシルと亀の子(滝井孝作と牧野新一)」「ナンセンス文学」「新しい文学と文壇」「嘉村君のこと」「僕の手帳から」「佐藤春夫論」「岸田国士の『風俗時評』其他」「中野重治君へ」「『夜明け前』について」「戸坂潤氏へ」「『日本的なもの』の問題」「文科の学生諸君へ」「文化と文体」「窪川鶴次郎氏へ」「酒井逸雄君へ」「日本語の不自由さ」「野上豊一郎の『翻訳論』」「現代日本の表現力」「『仮装人物』について」「学者と官僚」「歴史の活眼」「モオロアの『英国史』について」「処世家の理論」「環境」「モオロア『フランス敗れたり』」「林房雄の『西郷隆盛』其他」「伝統」「戦争と平和」「『ガリア戦記』」「ゼークトの『一軍人の思想』について」「文学者の提携について」「現代文学の診断」。
これらの評論集にあって筑摩書房版にはないもの。「からくり」(『文芸評論』)「困却如件(津田英一郎君へ)」「文章について」「ヴァレリイの事」「私信(津田久彌へ)」「さ・え・ら」(以上『続文芸時評』)「ランボオ論」「アランの事」「手帳A」「ジイド論」「エドガア・アラン・ポオ(ボオドレエル)」(以上『続々文芸評論』)「文芸批評の諸問題⑴――時評のヂレンマ」(『現代小説の諸問題』)「『未成年』の独創性に就いて」(『続々文芸評論』・『現代小説の諸問題』)「読書について」「清君の貼紙絵」「杭州」「杭州より南京」「蘇州」「慶州」「満州の印象」(以上『文学』)「フロオベル・ボヴァリー夫人」(『現代小説の諸問題』・『文学』)「歴史と文学」「「文学と自分」「三好達治」「オリムピア」「匹夫不可奪志」「パスカルの『パンセ』について」(以上『歴史と文学』)。
唐突かもしれないが、メルロー=ポンティを引用してみる。
普遍性と世界とは、個別性と主観の深部に見いだされるものだ。このことは世界を対=象として考えている限り、永久に理解できないであろう。(『知覚の現象学』、竹内芳郎・小木貞孝訳、みすず書房)
小林秀雄は次のように言う。
普遍性とは又特殊の絶対的信用以外の何物でもない。(「アシルと亀の子 Ⅳ」)
特定部分の照応というだけでなく、そこには同じ精神がみられるのだ。小林秀雄は現象学から直接的な影響は受けなかったようである(「もぎとられたあだ花」参照)。しかし、「『パスカルに於ける人間の研究』以来読んでゐる」(「アシルと亀の子 Ⅱ」)という三木清などを通じて、ある程度その内容に親しんでいたであろう(もっとも、三木清はフッサールを重視していないが)。いずれにせよ、「様々なる意匠」「アシルと亀の子」などの一連の評論は、『時間と自由』的であるよりも『知覚の現象学』的である。小林秀雄がゲシュタルト心理学に共感を示していることも傍証になるだろう。「この最新式の心理学は、私には全く人間常識が在来心理学の不具にあげた反抗に他ならぬと見えた」と彼は言う。
内省の複雑から逃げ出した行動論者は生ま生ましい直接体験の事実にひきずり戻され、聯合とか再生とかいふ便利な武器を弄してゐる内省論者は、その武器をもぎ取られ、生活体は外界に対して、機能的全体として全事態への反応である全体過程をもって応じるといふ平凡な事実を強いられてゐる。(「心理小説」)
(常識というものの通弊である)科学に対する弱腰に無縁であった小林秀雄が、常識という言葉で意味しているのは、「直接体験の事実」であり、「平凡な事実」である。けれども、それは輪郭の消失したベルグソン流の直接経験ではない。
小林秀雄はその出発点においてマルクス主義文学論に対決したため、客観主義に対する主観主義の立場に位置づけられてしまったのはやむを得ないことかもしれない。当時のマルクス主義者達が自分自身を一方の端に追いやっていたからである。だが、彼は決して客観を排して主観に固執しようとしたわけではなかった。主観は客観である、と言ったにすぎない。観念的であろうとしたのではなく、主観的経験こそ客観的事実に他ならないと主張したにすぎない。
人々は人の嗜好といふものと尺度といふものを別々に考へてみる、が、別々に考へてみるだけだ、精神と肉体とを別々に考へてみる様に。(中略)生き生きとした嗜好なくして、如何にして溌剌たる尺度を持ち得よう。(「様々なる意匠」)
批評と享受(感動)は自由に使い分けの出来る道具のようなものではない。我々はある態度をとろうと考慮するわけではない。批評しようと思っていても感動するときは感動するのだし、批評しないでおこうとしても感動しないときは感動しないのだ。批評も享受も作品を前にした体験である。ただし、体験は常に一回限りであり、取り消しがきかない。我々は作品の前に立っているだけではない。作品の前に立ったという過去の体験もまた立ち現われるということが事態を複雑にしているにすぎない。
むろん、以上のことに関して小林秀雄がどれほど自覚的であったかは分からない。井上良雄は次のように批判している。
倂しもとより小林氏自身、この愛の立場の持つ限界を知らないのではない。社会が作品を決定するといふ原則も正しいと氏は明瞭に述べている。倂し氏は言ふのだ「社会のある生産様式がある作品を生むと見る時、その批評家にとっては作品とは或る社会的概念の結果である。だが個人の鑑賞に於いて、作品とはその批評家の語らんとする処の原因である。ここに社会的批評と芸術批評のとの間の越え難い溝があるのである。」いかにも越え難い――倂しそれは小林氏の方法にとってだ。又、作品を単なる社会学的概念の結果と見る悟性批評にとってだ。愛と悟性の弁証法の上に立つ批評にとっては、この溝は常に単に弁証法的対立の溝に過ぎない。人の個性的見方と歴史的社会的見方とは、ここで何等抵触しないのだ。(「文芸批評といふもの」)
けれども、小林秀雄は次のように答えることが出来る。愛と悟性、個性的見方と歴史的社会的見方は、弁証法的統一をされるために離れて待つようなことはない。存在するのは既に統一された存在である。
一体、主観とか客観とかいふ言葉も無我夢中で使はれてゐる言葉の王様です。われわれが作品を前にして、われわれの裡に起る全反応、或は生理的全過程を冷然と眺めるのが何が主観的なのですか。それは純然たる客観物です。芸術鑑賞にある程度の修錬をつんだ人なら、誰でも自分の印象の一系列を客観物として眺めてをります。勿論、この立場は個人的立場でありますが、この立場は、社会的立場となんら抵触しません。(「文芸批評の科学性に関する論争」)
それゆえ、統一の問題が存在するとすれば、分析の後にである。なぜなら、「批評といふ純一な精神活動を嗜好と尺度とに区別して考へてみても何等不都合はない以上、吾々は批評の方法を如何に精密に論理づけても差支へない」(「様々な意匠」)から。対立があるとすれば、真と偽の対立である。なぜなら、「虚言も虚言たる現象に於いて何等の錯誤も含んではゐないのだ」(同)から。
文学は、言葉や概念を貫き通して人間のものである。人間の支えなくして作品はありえない。作品は単に対象として扱われるべきではなく、作る側に於いても受けとる側においても、世界との関わり合いの中で眺めなければならない。人と作品の関係は全的であって、何らかの限定を受けた関係――例えばそれが「プロレタリアの為」という限定であれ、「芸術の為」という限定であれ――ではない。
別に意外ではないのだが、「芸術に政治的價値なんてものはない」における中野重治は同じところに立っている。政治人間とか芸術人間が存在しないように(存在するとしたら、政治を職業とする人間とか芸術を職業とする人間であろう)、政治人間の作る作品と芸術人間の作る作品の区別はない。ある人間が作品を作ることを芸術と言い、権力に関わることを政治と言うだけのことである。人間は常に全的であり、あるときは政治的部分を働かせ、あるときは芸術的部分を働かせるなどということはありえない。
このような批判に対しては、社会だの個人だの物質だの存在だの意識だの基盤だの規定だのと並べ立てても、歯が立つはずはないのだ。それらの言葉や概念が既に我々の表現を敗北させている。新しい言葉や概念を持ち出してきたところで同じだ。
逃げ道は一つ、言葉を具体的なものと結びつけること。しかし、それこそ小林秀雄の思う壺なのである。一体、具体的なものとは何か。一つの言葉が指示する具体性とは、その言葉によって起る心の動き以外に何があるか。世界は具体的であるとしても、世界に具体性を持たせているのは人間ではないか。人間を除外したら、何もありはしないのだ。
作品とは作家であり、作品を批評することは作品をはさんでの作家との対峙に他ならない。そして批評家は自らを語ることによって作家について述べるしかない。人間以外に客観的な基準などどこにもない。小林秀雄が文学者に求めるのは、そういう覚悟である。リアリズムもヘチマもない、あるのは作品を書く作家だけなのだ。
2
ところが、主観と客観の分裂は、意外にも――あるいは当然なのかもしれないが――言葉において見出される。
人々は、その各自の内面論理を捨てて、言葉本来のすばらしい社会的実践性の海に投身してしまった。人々はこの報酬として生き生きした社会関係を獲得したが、又、罰として、言葉はさまざまな意匠として、彼等の法則をもって、彼等の魔術をもって人々を支配するに至ったのである。(「様々なる意匠」)
言葉は、人間が語るにもかかわらず、逆に人間の間を渡り歩きそれ自身の独自の論理を獲得する。言葉は個人としての我々を消失させる。個人の具体性の表現は、言語の「公共性」の誘惑に屈する。言葉は不完全な(個別性とは一致しない)伝達手段だという判断が、体験と言葉を隔離させる。個別(主観)と普遍(客観)が同じである体験とは異なり、言葉は個別を失った普遍――不完全な普遍しか成立させない。つまり、言葉は相互主観性を成立させるが、体験の次元とは別の、伝達の次元においてのみ成立させるのであり、いわば主観性なしの相互主観性を成立させるのである。
むろん、小林秀雄は言葉を単に伝達の手段としてのみ見ているのではない。言葉の独自存在(それ自体一つの物であるという事情)をも指摘している。
フロオベルはモオパッサンに「世に一つとして同じ樹はない石はない」と教へた。これは自然の無限に豊富な外貌を尊敬せよといふ事である。然しこの言葉はもう一つの真実を語ってゐる。それは、世の中に、一つとして同じ「世に一つとして同じ樹はない石はない」といふ言葉もないといふ事実である。言葉も亦各自の陰翳を有する各自の外貌をもって無限である。(「様々なる意匠」)
しかし、この事情こそ、伝達の手段としての言葉をおびやかすのだ。言葉を支えているのは人間だが、人間と人間の間の伝達を支えるのは言葉である。もし言葉による伝達が完全なものでないなら――体験の明証性を欠いており、誤解や理解困難を生ぜしめるものであるなら、人間は言葉を彼自身の内から失う。なぜなら、ある言葉によって起る心の動きが、人間の間で異なっているとすれば、もはや人間は伝達の手段としての言葉の存在を保証するのに充分でない。つまり、言葉は体験においては相互主観性を失い、伝達においては相互主観性しか持ち得ない。
言葉を流通させようとする限り、言葉の「公共性」を容認しなければならない。とすれば、言葉を奪還するためには、言葉の通用する基礎にある信用を破壊するしかない。言葉を支えている約束の世界を無視しなければならない。
われわれの精神も亦言語といふ商品に慣れて、その魔術性に誑かされてゐる社会である。久しい間、人間社会の暗黙の合意の裡に生きて来た言葉は、その合意の衣をかなぐり捨てねばならぬ。合意の衣とは言葉の強力な属性に他ならぬといふ事だ。古来あらゆる最上作家等の前提は、言はば言葉の裸形の洞見に存した事は疑ひない。(「アシルと亀の子 Ⅳ」)
小林秀雄は言葉の「公共性」を拒否した後、言葉なしの体験の普遍性に言葉を結びつけるか、言葉を含めた体験の普遍性に頼ることによって「絶対言語」を定めようとする。前者の態度は唯名論的であり、後者は実在論的であると言えよう。唯名論的態度を言葉の「事物化」と呼んでリアリズムに結びつけ、実在論的態度を言葉の「唯物化」と呼んでサンボリスムに結びつける。
ついでにいえば、このような言葉の扱いは、意味されるものと意味するもの、所記と能記、メッセージとコード、意味と表象、その他何でもいいけれど、二つの要素に分析することに似ている。けれども、言葉はこの二つの要素に分けられる以前のものとしてのみ現象する。リアリズムは言葉をメッセージに還元し、サンボリスムはコードに還元する、というのは正しい言い方ではないだろう。彼等が言葉を扱う以上、サンボリストはメッセージを捨象出来ないし、リアリストはコードを捨象出来ない。ただし、小林秀雄は近似的に何かを表現している。ちょうど、人間を肉体と精神に分け、読書を精神の仕事、穴掘りを肉体の仕事と言うようなものである。
このコード-メッセージ関係が社会的なのは言うまでもない。言葉が伝達の手段である以上当然のことだ。しかし、小林秀雄は人間の内における反応を重視する。言葉は理解すると同時に感じるものだからだ。近似的に言うなら、リアリズムとはどのようなコードであれ反応の大きいメッセージを選ぶことであり、サンボリスムとはどのようなメッセージであれ反応の大きいコードを選ぶことである。
ところで、体験の普遍性の中で物と関係づけられ、あるいは物とみなされる言葉と、伝達を成立させる言葉が区別されるというのは、社会性という次元の認識に他ならない。個別性(主観)と普遍性(客観)は体験において一つである。しかし、社会性はその中間にあって、体験の明証性を危うくする。マルクス主義文学理論の批判者としての小林秀雄が、言葉において社会性を認識しているのは皮肉である(彼の言語論は、商品を言葉に置き換えた疎外論である)。社会性を「迷妄」として排撃するとしても、それを理論の「迷妄」とみなすか実際の「迷妄」とみなすかによって大きな相異が生じる。実際の「迷妄」とみなすのであれば、少なくとも社会性の存在は認められる。もし、社会性を、言葉においてだけではなく、文化一般においてまで認識するようになれば、小林秀雄がマルクス主義理論に接近するのは当然なのだ。
3
「私小説論」が「様々なる意匠」と異なっているのは、「社会」への評価である。例えば、大衆文芸、通俗小説について。
文学を娯楽の一形式としようと企図するなら、今日の如く直接な生理的娯楽の充満する世に、人間感情を一たん文字に変へて後、文字によって人間感情の錯覚を起させんとするが如き方法は、最も拙劣だ。(「様々なる意匠」)
過去に成熟した文化をいくつも持ち、長い歴史を引摺った民族の眼や耳は不思議なものだと思ふ。僕はこの眼や耳を疑ふ事が出来ない。(「私小説論」)
あるいは、言葉について。
つまり言葉の実践的公共性に、論理の公共性を附加する事によって子供は大人となる。この言葉の二重の公共性を拒絶する事が詩人の実践の前提となるのである。(「様々なる意匠」)
言葉にも物質のように様々な比重があるので、言葉は社会化し歴史化するに準じて、言はばその比重を増すのである。どの様に巧みに発明された新語も、長い間人間の脂や汗や血や肉が染みこんで生きつゞけてゐる言葉の魅力には及ばない。どんな大詩人でも比重の少ない言葉をあつめて、人を魅惑する事は出来ない。(「私小説論」)
あるいは作家と作品と読者の関係について。
作品とは、彼にとって、己れのたてた里程標に過ぎない、彼に重要なのは歩くことである。この里程標を見る人が、その効果によって何を感じ何処へ行くかは、作者の与り知らぬ処である。(「様々なる意匠」)
作家が扱ふ題材が、社会的伝統のうちに生きてゐるものなら、作家がこれに手を加へなくても、読者の心にある共感を齎す。さふいふ題材そのものの持っている魅力の上に、作者は一体どれだけの魅力を、新しい見方により考へ方によって附加し得るか。(「私小説論」)
マルクス主義文学理論への小林秀雄の批判の方法は、社会なんぞ自明のことだとして葬り去ることだった。個人と社会の一体は分かりきったことである。マルクス主義者が社会から個人へと辿っていくのに対し、小林秀雄は個人に執着することで直接社会に触れ得るとし、マルクス主義の方法を余計なまわり道として退けた。社会を独自の存在として措定する必要はないという確信があった。
一人一人の人間は、それ自体で完全な存在であり、人間の普遍性はその個別性を通してのみ獲得出来るのだという確信――「私小説論」ではそれが失われている。人間を成立せしめているバックグラウンドの存在が意識され、そこから飛び出した人間は、実質内容を失うとされたのである。このバックグラウンドはもはや自己そのままでは到達出来ず、一体化という行為によってのみ自らのものとなすことが出来るのだ。事実が規範に変化する。「社会化した『私』」という概念は、「私」は社会化されねばならないという要請の出現を意味する。
このような変化は「私小説論」よりはるか以前に起こっている。人間(個人)の確信とは、自己の確信から導かれるものだろう。自己の手に負えぬ現実について語ることは、現実が対象として措定されることを意味する。現実と人間の分離を認めることにより、小林秀雄は認識の保証としての自己を失う。
何一つ定かなものはない。恐らく人類史上で新事実と云ふ言葉が最も重要性を帯びた今日、新事実を追ふ私達の疲れた眼には、事物の色彩は重畳し、輪郭は交錯し、何一つ定かなものはない。わずかの暇をぬすみ、眼を閉じて静思しようとすれば、雑然たる思索の波は思索の上にどうしようもない矛盾を齎す。矛盾を感じない知識人は馬鹿か嘘つきに限られている。(「現代文学の不安」)
かつて個別性がそのまま普遍性であったのに、今や普遍性は個別性を取り除いた後に残るもの、共通性のようなものになる。この共通性は当然個体を超越する。個体を離れる。つまり、個体は共通性の中にあるか、ないかの二つの可能性を持つ。
共通性を保証するものとしての「伝統」を失わざるを得ない現代において、当然古い「伝統」を信頼できないインテリゲンチャとしての覚悟を小林秀雄は語る。ここにあるのは、「伝統」の発見と、その「伝統」が既に崩壊していることの発見という二重性である。小林秀雄は「伝統」の重要性の強調と、その「伝統」がもはや失われていることの嘆きを語っているのである。混乱した現実に対応する伝統は我々には無い。我々に無いものとしての伝統について語るとき、小林秀雄はマルクス主義者をも含めた欧化論者に結果として近づいている。
「私小説論」の時期が特別に注目された理由がそこにある。
それは使用された言葉によっても見てとれる。例えば、「通説といふもの」において「思想」「概念」という言葉が肯定的に扱われ始めている。あるいは「文芸批評に就いて」「手帳 Ⅰ」などにおける「科学」「分析」ということばの使用。
伝統の欠如とは科学の欠如でもある。日本は二重の意味において現実的制約を受けている。現実の混乱という世界的共通性と、「科学」「思想」などの伝統の欠如という個別性において(「故郷を失った文学」)。このような主張は小林秀雄が「科学」的視点を採用した結果と見てよい。混乱とは「科学」の前に現れてくるからだ。つまり、混乱とは「分析」不可能性として規定されるからだ。
小林秀雄が「分析」の限界を言い、「綜合」の必要性を言うことは重要ではない(そんなことは誰でも言える平凡なことだ)。かれが「分析」を受け入れていることが注目されるのだ。分析可能と分析不可能の区分こそ、既に「分析」のなせる技なのだ。これは、小林秀雄が、彼が反対していたものに近づいたことを意味する。この時期、小林秀雄は「常識」に対して否定的である。「科学」的な道具を持たずに一気に認識に到達することについて、確信を失っている。
それゆえ、彼が自身から区別していた人々との差異を失っていく。これは小林秀雄を受けとめる側においてもそうであり、小林自身においてもそうである。小林秀雄は次のように呼びかける。
私のような若輩に苦し気な文芸時評を書かせて、そっぽをむいてゐる凡そ理論といふものを見境なく毛嫌ひしてゐる今日の老作家、中老作家に、私は今話し掛けようしてゐるのではない。私と同じ環境に育ち、私と同じ教育をうけ、私と同じ年齢に達した知識人達(たとへ諸君がどんな思想を装ってゐようと)に、話しかけたいのである。(「現代文学の不安」)
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本多秋五は『転向文学論』の中で、小林秀雄の(戦前、戦中の)批評活動を三期に分け、それぞれの代表作として、『文芸評論』(初期)、評論集『私小説論』と『ドストエフスキイの生活』(中期)、評論集『無常といふこと』(後期)をあげている。この三つの時期の関係は次のように要約されている。
小林秀雄の古い読者なら、『戦争と平和』を読んで初期の『からくり』を思い出し、『無常といふこと』を読んで『眠られぬ夜』の記憶を新たにするかもしれぬ。小林秀雄は、『無常といふこと』一巻にいたって、彼の稟質の出発点に回帰し、彼の才能は一周を終わって完結したといえる。
厳密には、その一貫を「Seinに固執するもの」といい、その変化を「ベルグソンから宮本武蔵への道」といい、その回帰を「志賀直哉から出発して志賀直哉に帰着」といって、若干の視点の変化を示してはいるが。
回帰という見方は、「私小説論」の時期を特別に設定することによって導かれている。「『私小説論』の時期には、彼は自分の過去の仕事にについて何程かの自己批判を加えている」という本多秋五の意見の妥当性を判断するためには、小林秀雄とマルクス主義の関係を検討せねばなるまい。
まず、日本におけるマルクス主義受容がどのようであったかが問題である。「日本のマルクス主義は、いわばブルジョワ的実証主義とプロレタリア的社会思想との二重の意味をもっていた」(『転向文学論』)とか、「マルクス主義――戦前の日本で唯一の社会科学であり、合理主義的思想であり、宗教でさえあったもの」(本多秋五『物語戦後文学史』)とか、「マルクシズム作家達が、己れの観念的焦燥に気が附かなかったのは、この主義が精妙な実証主義的思想に立ってゐる事を信じたが為」(「私小説論」)とかいう証言を信じれば、マルクス主義が科学(主義)や実証主義と同一視されていたことになる。
小林秀雄がそのようなマルクス主義受容を一面的であると批判し、主観的側面を強調したのは、あまりに正当すぎる。弊害になるほど客観主義が横行していただろうか。むしろ、客観主義の不足に悩んでいたからこそマルクス主義があれほど「流行」したのではないか。小林秀雄はそのようなマルクス主義受容への対処法を心得ていたゆえに、正当でありえたのである。つまり、半分は譲り半分は譲らせることによって、均衡を保ちえたのである。それゆえ、対立していた相手が崩れ去ると、均衡が失われるのはやむをえなかったろう。
「様々なる意匠」や「アシルと亀の子」における小林秀雄の立場は、マルクス主義という経験主義にその必当然性としての不可知論を強要しつつ、自らは不可知論から免れている主知主義であった。彼の批判は正当であるが、マルクス主義という批判対象がなければ成立しえなかったろう。主観の明証性は、批判としては有効であったが、一人立ちできる秩序(例えば、存在論・認識論における身体、言語論におけるラング、社会論・文化論における構造)は所有されていなかった。「私小説論」では批判対象を失い、その空白を自ら埋めねばならなかった。それゆえ、客観主義の一つとしてのマルクス主義の功績を確定したのだ。
「社会化した『私』」における「社会」とは、我々にないものとしての「社会」(特定の個別社会、つまり西欧近代社会)を意味し、社会一般(それぞれの個別社会としての社会一般)のことではない。さもなければ、西欧にだけ「社会化」が成立したなどとは言えない。では、この「社会」の特定性は何に求められるかというと、それは思想なのである。それゆえ、「社会化」とは思想化に他ならない。しかも、この場合の思想も、思想一般ではなく特定の思想(実証主義)のことである。
だからこそ、我国での「私」と「社会」の関係は、「私の世界がそのまま社会の姿だったのであって、私の封建的残滓と社会の封建的残滓の微妙な一致の上に私小説は爛熟して行った」と言われ、一方、「社会化した『私』」には「自然や社会との確然たる対決が存した」と言われるのである。封建社会では「私」と「社会」が対応し、近代社会では「私」と「社会」が対決したのならば、そして後者にのみ「社会化」が成立するのであれば、「社会化」とは反社会化のことになってしまう。
あるいは、「わが国の自然主義小説はブルジョワ文学といふより封建主義的文学であり、西洋の自然主義文学の一流品が、その限界に時代を持ってゐたに反して、わが国の私小説の傑作は個人の明瞭な顔立ちを示してゐる」という一節の解釈において、封建社会が個人(主義)的で、近代社会が社会(主義)的であるのか、ということになる。
思想のない社会には「社会化」はなく、実証主義思想のない社会には思想はない、とされるからこそ、このような逆説じみた主張がなされうるのである。社会が成立している以上、どのような社会であれ人は既に「社会化」しており、したがって、封建社会においては人は封建的なのであり、封建的思想(イデオロギー)を抱いているというのであれば、「社会」や「思想」という言葉の一般性だけでは何の説明にもならない。一つの文化から他の文化へ、一つの社会形態から他の社会形態へ、一つの思想から他の思想へという移行はありうる。しかし、無文化から文化へ、無社会から社会へ、無思想から思想へという移行は(発生論的な意味以外においては)ありえるだろうか。
したがって、「社会化した『私』」における「社会」という言葉は実証主義思想という以上の意味を持ち得ない。「彼等の『私』は作品になるまへに一ぺん死んだ事のある『私』である」という言葉はそのような文脈で使われているのであって、一般性を持っているわけではない。「私」を「社会化」する(前の)「私」とは一体何なのかと反省してみれば、そう易々と「私」から逃れられぬのは明白であろう。
「私小説論」はいささか度外れに西欧近代社会ないし実証主義思想を重視し、その個別性を見失いかけている(規範化する)。しかし、「伝統」「社会」「思想」などの言葉の一般性が回復されればそれは相対化される。つまり、一つの「伝統」、一つの「社会」、一つの「思想」であって、「伝統」そのもの、「社会」そのもの、「思想」そのものではないことがはっきりする。
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「私小説論」の中には、「あらゆるものを科学によって計量し利用しようとする貪婪な夢は、既にフロオベルに人生の絶望を教え、実生活に袂別する決心をさてゐた」とか、「思想が各作家の独特な解釈を許さぬ絶対的な相を帯びてゐた時、そして実はこれこそ社会化した思想の本来の姿なのだが」といった文章がある。これらを次の文章と比べてみてほしい。
かくかくの事情が無ければ牧野氏は自殺しないでも済んだかも知れないといふことと、さふいふ事情が牧野氏を積極的に動かして死に到らしめたといふことは、如何にその事情がなるものが確実であり切実であろうとも、断じて違ふことなのだと河上君は言ふ。僕もそう思ふ。これを説明することは仲々困難だが、要はそこに異なった二つの見方があるのだと思ふ。/これをトルストイの場合に当て嵌めれば、細君がヒステリイを起さなかったならトルストイは家出をしなかったらう、といふ風に、科学的な見方と言ふのか、ともかく事件を因果的に見て、これを普通の社会人の社会的事件のうちに解消し、そこに人生の真相を見ようとする見方と、もう一つは、文学的な見方とでも言ふのか、家出は、単なる家庭乃至は社会的事件として、どれもこれも甲乙があるわけではないが、家出事件が、トルストイといふ特殊な人間の特殊な天才を語ってゐる点に、その事件の在るがまゝの現実性を見ようとする態度である。(「文学者の思想と実生活」)
小林秀雄は多分次のように言ったのだろう。
正宗白鳥がトルストイにおいて捕えた人間像というのは、突かれれば動き、突かれなければ動くことのない(動かされるのを待っている)玉突きの玉のようなものだ。インプットとして刺激を与えれば、アウトプットとして反応が出てくる。トルストイにしたところが、細君のヒステリイというインプットに対応して家出というアウトプットが出てきたにすぎぬ。つまり、トルストイは、細君のヒステリイ→家出と言う刺激-反応系でしかない。思想的煩悶などというものは何処にもありはしないのである。
これに対して小林秀雄は、人間は具体的行動(実生活)を取り除けば何も残らぬ存在ではないと反駁する。思想は実在する。たとえ抽象的なものであろうとも。したがって、インプットはそこを通過せぬ限りアウトプットにはならぬ。インプットとアウトプットとを結びつけるもの、インプットとアウトプットとの関係を説明するのは思想だ。インプットとして何でも放り込むがいい。アウトプットとして何でも引き出すがいい。どれだけインプットとアウトプットの組を成立させようとも、両者の関係は説明しきれるものではない。
「科学的な見方」(実証主義)は思想を捕えそこなうと小林秀雄は言っているのだろうか。主観(思想)とは客観(実生活)化されない秘密である。客観的事実をいくら集めてみても、主観は理解できない、と。
では、このような主観は、「私小説論」からの逆転であり、「様々なる意匠」への回帰なのだろうか。そうではあるまい。単に言葉の使われ方が変わったという程度にすぎず、あるいは重心の位置が少し移動したという程度にすぎず、継続しているものの方が本質的である。ここではもはや主観性は明証性を欠いているのだ。明証性を欠いた主観性は、主体性と呼ばれるのだろう。客観は主観とともに一挙に与えられるのではなく、主体の引き受けとして、環境、選択の場、つまり対象世界として措定されることになるのだ。したがって、問題になるのは主体の働き(作用、機能)である。環境は制約条件であるととともに、主体の働きの構成の場、主体を生かすものとなりうるわけだ。
このような意味において「伝統」の評価も変化する。かつて「伝統」とは、自らにないものとしての「西欧」であった。しかしながら、一方で小林秀雄が「伝統」の内に見出しているのは、自らを貫いているものである。「私小説論」では彼はその伝統を古いと考えている。「その伝統が急速に破れて行く」と考えている。やがて考えは逆転する。古かろうと何だろうと、それが実在する以上認めるべきではないか。我々が自身の内にその実在を確かめることが出来る以上、崩壊せずに存続しているのではないか。日本にはないものとしての「伝統」などは、我々とは何の関係もない。「伝統」の違いというのはあるだろう。しかし、現に自分の内に存在する「伝統」以外の「伝統」をわざわざ求める必要があるのか。いや、そんなことは可能か。現にある以上、我々はそれを信じる以外にはないのではないか。
伝統は何処にあるか。僕の血の中にある。若し無ければ僕は生きてはいない。こんな単純な事実についていろいろな考へ方があるわけはない。だから若し近代人たる僕が正直に自分を語ったら、伝統性と近代性との一致について何等かの表象を納得する筈だ。(「文学の伝統性と近代性」)
小林秀雄が再び自分の内に全てを取り戻したことにはならないのは、ここでも同じである。彼が自分の内に見出す「伝統」とは共通性であり、普遍性ではない。それゆえ、彼はインテリゲンチャ(作家)を棄てて民衆(読者)につく。「伝統」は常に存在し、決して古くなるものではないと考えれば、「伝統」の内にあってゆるぎない民衆につくのは必然的な成り行きだ。
共通性は実体で普遍性は抽象で、と言ってしまえば正しくないが、とにかく共通性は数を頼まねばならない。一人は万人に通ず、と言っても、万人が控えていなければ一人は代表としてあつかわれないのが共通性であろう。
文学においては当然多く読まれることが重視される。なぜなら、作品が多くの人に読まれるということは、多くの人に受け入れられる文学的リアリティを備えていることを意味する。文学的リアリティというものの存在を表現するのは、それ以外にはない。
ところで、読者にとって、読書は生活の一部でしかなく、作品との関係が全的であるはずはない。生活の他の領域と競合せねばならぬから、作品は読者におもねる。通俗とはそういうことだ。小林秀雄が「小説の面白さ」「低級な面白がり方」「通俗性」(「現代文学の諸問題」)について肯定的に語り出すのも、これまた当然といえよう。
私なりの反論をしておけば、作品が多く読まれることが、作家(の「私」)が社会化されることになる、などという単純な仕組ではあるまい。作品は作者によってのみ規定される以外に、どのような形態をとる必然性があるというのだろうか。もし作家が自らを信じるとすれば、読者が彼をどのように遇しようとも本来関係はない。その覚悟が作家をして作家たらしめているのではないか。であるのに、審判者として読者をかつぎ上げる必要がどこにあろうか。変わらねばならぬのは読者かもしれないではないか。少なくとも両者は対等である。読者が作家を無視しようが、作家だって読者を無視できるのだ。傲慢だろうが何だろうが、そうでなくてはならない。
けれども、もはや、ここでは作家が自分自身を作家にすることの特権は否定されている。作家は、いわば社会人として一般化される。作品は製品であり、創作過程は製造過程である。生産者の善し悪しが製品の善し悪しで計られるように、作家は製品としての作品によって評価される。作家は社会的(機能的)に裁断されるようになる。
6
この部分は言語論についての寄り道になる。というのは、もう一人の小林ヒデオ(英夫)の存在を知ったので、より広く述べてみたいからだ。
既に引用したように、「様々なる意匠」と「私小説論」の言語観は鋭い対照を見せている。前者では言葉の「公共性」は排除されるべきものであったが、後者では言葉が「社会化」「歴史化」によってのみ効力を持つことが出来るとされる。前者においては、言葉と個人との関係が全てであり、言葉は体験の中においてのみ正当に存在しうるのである。伝達として使用される言葉は単なる約束事にすぎず、体験の中で持つ実在性を失っている。一方、「伝統」「社会」「歴史」などを媒介とせぬ限り主観は客観に結びつかないと考えられるようになると、個人が言葉と結ぶ関係などは恣意的であり何の必然性もないものとされ、逆に共有財産としての言葉が重視される。社会に通用している言葉こそが実在であり、その実在に触れることによって我々の内に反応が起きるのである。
ところで、否定された主観性はすぐに回復される。但し、「私小説論」での立場が解消されてしまう「回帰」としてではなく。なぜなら、「様々なる意匠」では、言葉は、物との関係においてか(リアリズム)、物としてか(サンボリスム)のどちらかであったのに、「私小説論」において、物とは切り離され、物とは違った実在が見出されたから。
小説のリアリティは、何を措いても描かれた現実の対象のリアリティに依拠してゐる。一般の言葉のリアリティは、言葉が指す対象のリアリティに依拠してゐる。(「現代詩について」)
「長い間人間の脂や汗や血や肉が染みこんで生きつゞけてゐる言葉の魅力」(「私小説論」)に代わって「対象のリアリティ」が再び登場する。しかし、もはやリアリズムは信頼を失っている。
一と口で言へば、独特な文体の代りに正確な観察を置き代へる事により、作家達は、言語を観察者と観察対象との単なる中間項の様なものにして了ったのである。(「言語の問題」)
言葉は「文体」として主体内に取り戻される。「文体」としての言葉はリアリズムから離れるだけサンボリスムに近づいている。サンボリスムは小林秀雄の基点だから、それが評価されるのは当然である。だが、「作家の個人的技法のうちに解消し難い絶対的な姿」としての思想が重視される「私小説論」の中では、サンボリスムは「技法」とみなさざるをえないだろう。したがって、サンボリスムの重視は明らかに重点の移行なのである。
では、「文体」は、リアリズム(言葉の「事物化」)とサンボリスム(言葉の「唯物化」)に分裂していた「様々なる意匠」の立場を改善するのだろうか。言葉というものが、物の徴表でも、物自体でもなく、主体の表現であると考えられるならば、言葉の独自存在が見出されるのではなかろうか。
しかし、「文体」は言葉が話され理解されることを前提としており、言葉自体の問題は背景に退いている。つまり、多様性としての「文体」が可能になるためには、普遍性としての言葉が存在していなければならない。この事情が看過ないし無視されると、言葉は主体が作り出すものだということが主張されることになる。これは、小林秀雄個人の変化の結果であるとともに、また、時代の傾向の反映でもある。
例えば、小林英夫の紹介によるソシュール理論を、現象学に拠りながら批判した時枝誠記にこのような態度を見ることが出来る。時枝誠記の批判は、人間が先か、言葉が先か、という形でなされている。当然、言語(ラング)という概念に疑問が呈される。まず「言語」があって、人間がそれに基づいて話すのではなく、人間の「心理現象」として言葉が結果されるというわけだ。
興味深いのは、当の小林英夫が表面そう見えるようには時枝誠記の反対者ではないということだ。小林英夫は「言語」を慣習ないし規範とみなし、主体に内在するものとはみなさない。主体は外在する「言語」を運用して「言」(パロール)をなす。時枝誠記もこれと異なったことを言っているとは思えない。主体の内には「言語」などというものはなく、あるのは「精神生理的継起的過程現象」の一つである「言語過程」である。「言語過程」の各人における同一性が習慣としての「言語」を成立させている。
小林英夫が、時枝誠記は「言語」と「言語活動」(ランガージュ、「言語」+「言」)を混同していると批判したのは、この間の事情をよく現している。両者とも、主体が「言語」とかかわるのは「言語活動」ないし「言語過程」においてであるとみなしており、主体の内に「言語」が見出せるとは考えていない。つまり、彼等においては、「言語活動」にしても「言語過程」にしても、言語のための活動、言語のための過程ではなく、活動の一つの現れとしての言語、過程の一つとしての言語であるにすぎない。
「主体」は言葉を持たずに出現するのである。それゆえ、主体が言葉を話すようになるのは、世界と交渉してからである。主体が自らに見出すのは概念化ないし範疇化作用だけであり、そこから出発して言語を獲得するのである(その詳しい過程は不明のまま)。だが、なぜ概念化作用だけしか残されていないのか。あるいは、なぜ概念化作用だけは残されているのか。
彼等は主体から言葉を取り上げ、主体に言葉を与えるときは他の一さい合さいと同時に与えるのである。主体は身体も言葉も持たないやせ細った存在(但し、意識にまでは純粋化しえていない)として出現し、次の瞬間には他人達と特定の「場面」で喋っている。言葉は「主体」にも「世界」にも見出されないのに、両者の接合によって突然成立するのである。
ことさら「主体」が持ち出されるのは、言葉は物ではなくて「行為」ないし「実践」であるという意味あいからであろう。しかし、我々が言葉を話すべく存在づけられていないとしたら、いくら「行為」や「実践」を積み重ねても言葉を話すことは出来ない。言葉が「行為」や「実践」として現象することと、言葉が「行為」や「実践」から生成することとは別である。確かに、我々は特定の言葉とともに生れるわけではない。しかし、生れてすぐに立つことが出来ないからといって、我々が直立できるのは「行為」や「実践」の結果であるとは誰も言いはすまい。赤ん坊を立たせるのは、猿や犬を立つように訓練するのとは違うのだ。フッサールも言っている、「言葉はただ単に生理的、心理的および文化史的な基盤をもつだけでなく、さらに先天的(アプリオリ)な基盤をも有している」(『論理学研究』)。むろん、チョムスキーしかり。
「主体」が強調されるもう一つの理由は、言葉は客観的表現だけではなく主体的表現のにない手でもあるという事情からであろう。これもまた、客観より主観、鑑賞より行為、認識より実践という文脈の中でのことである。そして、ここでもまた先駆者としての三木清に注目せざるを得ない。
言葉はもとロゴスである。しかしながらパラドキシカルに聞えるにしても、言葉がもしただロゴス的であるとしたならば、文学といふものはないであろう。ロゴスたる言葉のうちにはまたパトスが自己を表現するのでなければならぬ。言ひ換へると、言葉は外に見られた形あるものの形を写すのみでなく、内に働く形なきものの形を現はし得るものでなければならない。言葉において人間は語られた物を表はすばかりでなく、同時にまた語る自己自身を顕はにするのである。(「今日の倫理の問題と文学」)
この主張は時枝誠記の言う「詞」と「辞」の区別に対応している。しかしながら、この区別自体は言葉にとっても主体にとっても何ら本質的なものではない。「語られた物」にしろ「語る自己自身」にしろ、表現するのは主体であって、「語られた物」が主体の表現行為に先行するわけでも、「語る自己自身」が事後的であるのでもない。言葉には表象機能と表出機能があるというにすぎない(これらは言葉と言語外的事実との関係にすぎず、言葉自体の性質ではない)。表象する行為と表出する行為のどちらが主体的かと問うこと自体が馬鹿らしいのである。問題は、単なる表出行為と言葉を使った表出行為を、やはり区別しなければならないということだ。その区別が「行為」という次元においては不可能なら、言葉は「行為」に還元されることは出来ない。
もっとも、三木清はロゴス的な言葉(詞)とパトス的な言葉(辞)を区別しうるとか、論理が物であり心理が行為であるとは言っていない。言葉は行為であり、行為は論理(ロゴス)と心理(パトス)の両者の「弁証法的統一」であると言っているのだ。「主体」は心理だけを担うのではなく、やはり論理をも必要とする。
しかしながら、論理の形式と、論理と心理の「弁証法的統一」である行為の形式が異なっているのであれば、お互いに還元出来ないそれぞれ独自の形式はやはり追求されねばならぬだろう。行為の型式を知ることがそのまま論理の形式を知ることにならぬとすれば、依然として論理の形式を知る義務を免れないだろう。ソシュール流に言えば、「言」(パロール)の研究がそのまま「言語」(ラング)の研究とはならぬ。(「言語」が論理に、「言」が行為に属すというのが妥当かどうかは問題だが。)
「主体」の強調は、非主体的なものの根拠を論敵の考えの中に見出すべきであって、存在の中に見出すべきではない。さもなければ、「主体」というのは対象の特徴による区別の一つにすぎなくなるだろう。つまり、存在を「主体」と非「主体」に分け、両者の関係に注意するというのでは、状況への反応という程度の常識的な認識しか得られない。「主体」と「環境」の間の相互作用として考えては駄目なのだ。主体と環境は不可分であると考えねばならない。三木清は、「弁証法的統一」を導き出すためにもともと統一的であるものを二つに分けるという、逆立ちした弁証法を使っている。
すなわち、経験という場合客観をどこまでも自我に引き寄せることが可能であるに反し、関係という場合関係するのは本来独立のものでなければならぬ、あるいは経験という場合その関係は出来事の意味を有しない。出来事は独立のものの間の関係として生じる。解釈学の論理がなお経験の論理であるに反して、修辞学の論理は関係の論理であり、出来事の論理である。(「解釈学と修辞学」)
論理(ロゴス)と心理(パトス)の「綜合」である「修辞学」の扱うのは、「独立のものの間の関係」としての「出来事」である。「主体」は非主体的なものから独立であり、非主体的なものは「主体」から独立であって、両者は関係に入る前はお互いに未知である。成程両者は「弁証法的統一」へ向かうかもしれないが。
我々はこれらの言葉の背後に、客観は主観とは一致しないという絶望感――明証性への絶望と、にもかかわらず客観と主観は一致しなければならない、させなければならないという覚悟を聞くべきなのかもしれない。三木清に現れたものはまた小林秀雄にも現れたのだろう。
言葉はそれの発せられた時代の文脈の中で聞かれなければならぬのかもしれない。しかしながら、我々が聞くのは、理解のために何の補助も必要としない言葉である。我々の理解はそれなりに完全なのだ。
7
小林秀雄が批評について語ったことが、彼の語った批評によって実現されているとすれば、それはどのような特徴を示しているのだろうか。
小林秀雄が文学に人間だけを見ようとしたとき、彼の見た人間は個体としての人間に他ならなかった。彼の確信も個体としての彼自身に根ざしていた。個体を超えるものは、彼にとっては人間を超えるものであった。だからそのようなものに対しては反発し、あるいはそれを自己の内におさめようと努力する。いずれにせよ個体を超えるものは人間にとって異物とされるのだ。
個体としての人間を超えるものとして見出されたのは、まず「言葉」(「公共性」としての)であり、次に「伝統」、そして「社会」(近代社会)ないし「思想」(実証主義思想)である。これらは個体にとってそれぞれ、逃れるべきもの、失われたもの、持ち得なかったもの、であった。
「私小説論」とそれに先行する諸評論においては、これらは個体に欠如したものとして評価されるのだが、持ちうるものに転化することによって結局は個体の中に閉じこめられてしまう。というよりも、個体の中におさめきれぬ限り評価されなくなる。
小林秀雄にとって文学は個体の形をしているのだ。文学だけではない、およそ人間的なものは全てそうなのだ。個体こそが、個体だけが原因となりうるのであり、個体が見えてくればそれで済む。
しかし、文学は個体としての人間を超えると私は思う。文学は個体より小さくまた大きい、あるいは、小さくかつ大きい。但し、個体としての人間を超えるからといって、人間を超えるわけではない。ただ、個体というまとまりにこだわる必要はないのだ。
作品には作者がいる。だが、作者とは何だ。彼の意図、彼の資質、彼の家系、彼の教養、彼の経験、彼の財産、彼の体格、彼の健康、彼の顔付き、彼の声、彼の知人、彼の秘密――そんなものをいくら積み上げてみても作品には届かぬのである。あるいは、彼は彼だけの言葉を語るか、彼だけの考えを考えるか、彼だけの経験を経験するか、彼だけの感情を感じるか、要するに彼だけの世界を所有するのだろうか(ここで言う、「彼だけ」というのは強い意味である)。だとすれば、我々の理解は届かぬであろう。
文学は人間の部分なのではない。ただ特定の焦点を持つだけだ。つまり、文学は個体としての人間とは別の焦点、別のまとまりを持つ。例えば、言葉がそうであるように。使用される言葉は共通の言葉でなければならない。しかし、言葉は他者との交渉の中で成立、維持されるものではない。言葉はそれを話す者によってのみ支えられる。言葉は個体の外に(だけ)あるのでもなければ、内に(だけ)あるのでもない。だとすれば、個体としての人間にこだわる必要があるだろうか。
作家論を否定するつもりはない。作家と、作家の名を付された個体としての人間は別であると心得てさえいれば。評伝における作家とは単なる職業名にすぎぬ。人物への興味は作品への興味とは別だ。
小林秀雄の批評はしばしば作品をつきぬけて個体へ達しようとしている。個体が見えてくれば作品は用済みとなる。しかし、作品(ないし作家)から個体へと飛び越えてしまえば、別の地点に立つことになるだろう。それが禁じられているわけではないのだが。