井本喬作品集

イーヨーの父

 ブルーシートと呼ばれる青いビニール布が家々の屋根を覆うなかを歩きながら、災厄は人の心を変えるのだろうかと考えた。この辺りでは、破壊の選択は意図的でもあり、気紛れでもあるように思える。古い瓦葺の家はねらい撃ちされたようだが、被害のひどい地区から少し行くとそうでもない地区があるというように、どのような要因が働いたのか結局は私たちには知りえない。

 原因は地震だ、しかしなぜ自分に、他の誰でもなく自分にこのような災厄が降りかかるのかという問に、答は得られるだろうか。かつて「未開人」と呼ばれていた人々は、例えば登っていた梯子段が腐っていたため折れて傷ついたとき、誰でもが被ったであろう事故に他でもない自分があったのは、何者かが呪術をかけた結果だと判断する。この超因果論とでもいうものから私たちは免れているとは言えない。『ピンチランナー調書』の「妻」は主人公と「森」を見捨てるに当たって次のように言う。

 おまえより他の男と結婚したならば、絶対に正常な子供が生まれる!仮定1!実際に森がプルトニウム汚染のせいだった場合、今度私が結婚する相手はプルトニウムになんか汚染されていない。それ故に、子供は正常!仮定2!森が単なる事故だったのなら、私にはもうその事故がおこったんだから、確率からいっても、次の子供は正常!

 彼女の不安は、明確な原因と全くの偶然という二つのカテゴリーで埋め尽くされはしないのである。なぜ彼女が選ばれたのかという問は依然として残されるのであるから。しかし、既に選ばれたのであるから、もはや選ばれることはないという彼女の論理にも一理ある。というより、そのような論理によって彼女は事態のコントロールを取り戻すわけである。

 偶然という要素を取り去ろうとすることは自らの手に事態を納めようとする努力に他ならない。因果関係が辿れるのであれば、たとえ自分自身が原因者としての責任を負わねばならぬとしても、不安はおさまる。自分自身の態度を変えることによって事態の変化が予想されるであろうから。

 ひどい目にあったから態度を変えるというのは話が簡単すぎるだろう。子供の頃、「人道主義的」勧善懲悪物語で、正義の側にやっつけられた悪人が改心するのに、私は常に不満だった。状況によって態度を変えるにすぎないなら、それは正義の心ではない。状況が再び変わったなら、悪心が芽生えてくるのではないか。しかし、今では私にも分かる。ひどい目にあって自分の気づかなかった間違いを悟らされるということは、因果論的に納得することなのである。例えば、野坂昭如。

 ひたすら憂鬱な気分に落ちこんでいる。阪神大震災の惨たる状態をみて、はしゃぐ者はいない、明日はわが身と怯えもすれば、避難所暮しの慄然たる生活を思いやり、胸ふたがれて当然。僕の場合、加えて慙愧の念が強い。‥‥‥具体的に何がどうというわけじゃないが、「天罰」みたいなものを考えたのだ。他処者がとやかくいうことじゃないと思いつつ、胸のうちに、こんなことをしていると、今にえらいことが起こる、ハラハラしていた。‥‥‥何もしなかった。大袈裟にいえば、見て見ぬふりをしつづけた、あるべき神戸の姿を知りながら。(毎日新聞 一九九五年一月二八日)

 あるいは、立松和平。

 日本全体が浮ついている。都市文明ばかりが発達し、地方が解体してきたのが戦後の五十年であった。高度都市文明の象徴のひとつが神戸だったのだ。‥‥‥排水を流し埋め立てて海を汚し、堤防をコンクリートでがっちりと固めて川の生命力を損ない、永遠の恵みをくれるはずの大地を顧みずに、ただ人工的な都市に向かって疾走しようとした私たちの文明が、たった数十秒で崩壊したのが阪神大震災だったのである。身を慎んで生きていきたいのだ。私たちは、傲慢になり過ぎていた。(毎日新聞 一九九五年一月三〇日)

 過酷な運命を乗り切るには、それを主体的に引き受けなければならない、ということの真実を人は経験によって知る。一番恐ろしいのは、災厄の責任を誰にも課すことができないことだ。毎年春になると田舎の道に車にひかれた夥しい数の毛虫の死骸の斑点ができる。車に乗っている人々はその死に気づきもしないということを毛虫が知ったら、絶望するであろう。そのような意味のない死に比べれば、鳥についばまれた方が救いがある。彼をねらい撃ちする者の意思が感じられれば、自己の生に意味をもたらすことができる。

 例え悪意であってもいいのだ。自分が選ばれたことが確認さえ出来れば。そこから私たちは再起する。

 大江健三郎のノーベル文学賞受賞について様々な発言があったが、私が一番聞きたかったのは江藤淳のコメントである。しかし彼はここ二十年間の作品は読んでないと言ったらしい。二十年前からの無視というのは、日本文学、もっと広く日本の文化なり思潮というようなものを扱う際に、大江健三郎の作品が持つ意義なり影響力は考慮しなくていいという判断であろう。時代の傾向からみれば、江藤淳の判断はそれほど偏見あるものとは言えない。あえて下らぬ比喩を使えば、大江健三郎の受賞は江藤淳にとって、九回裏ツーアウトで打たれた逆転ホームランであったのではなかろうか。ノーベル文学賞の世間的重みには、一人の評論家では、たとえ彼の影響力がどのように大きくとも、対抗できぬ。

 しかし、感情的反発が邪魔をしているが、江藤淳にとって大江健三郎は肯定的な存在であるべきではなかろうか。私は江藤淳の考え方に精通しているわけではないので何程のことも言えないが、少なくとも夫・父親としてその責任を果しているという点で、大江健三郎は江藤淳の倫理的批判に十分耐えられると私は思う。しかも、ノーベル賞という世俗的な栄誉も手に入れたのである。(文化勲章を拒否するという首尾一貫しないようで論理の道筋は分かるおまけつきだが。)江藤淳が世の賞賛を通俗性のゆえに拒否するはずがないから、文学という非実用的な営みを遂行することで、世間的な成功を得た大江健三郎をこそ評価すべきではないのか。

 だが、もし江藤淳がそのような大江健三郎像を打ち出したとしたら、大江健三郎自身が拒否することだろう。私は大江健三郎は本質的に健全な人間だと思っている。健全さとは文学などというものは生活の手段でしかないと割り切ることを含む。ところが大江健三郎は自身の健全さを否定しようとする。

 大江健三郎がヨタ話を書き散らして、それで得た原稿料で家族を養ったのなら、誰がその生き方を批判でできるだろうか。むしろ、その雄々しさは賞賛されただろう。しかし彼は自分と家族を描くことを選んだ。むろん、事実報告ではなく虚構を折り込んだ作品として。この私小説風の作品の中の登場人物の発言や手紙は大江健三郎の文体そのままであり、この一連の作品の事実性を疑わしめるに十分である。それゆえ、作中のイーヨーの言葉さえも疑わしくなり、創作のために息子の障害までダシに使うのかと思えてくる。ではなぜそれが事実起こったことのように書くのか。

 事実そのままを書かないからといって、作家を責めることは出来ない。(少なくとも私小説のあり方を否定しているのであれば。)虚構をいかにも事実のように書くからといって作家を責めることも出来ない。小説とはそういうものではないか。自分に起こったことのようにして嘘を書くからといって作家を責めることは出来ない。要は人称の問題にすぎぬではないか。

 作家が主人公と一体であるように思わせて作品の効果を高めようとするのも、創作技術の一つであるとすれば誰が非難できようか。そのようにして読者に作品を保障してやる作家がいてもいいではないか。作家自体が嫌いだから作品を嫌う読者がいてもいいように。作家の像自体が作品であるように作家が振る舞ったとしても、ボロを出さなければ何の支障もない。そのような作家像が嫌われるとしても、それは作家の創作力の不足か、読者の好みの問題に過ぎないのであるから。

 そうなのだ。大江健三郎の作品は嘘っぽいのであり、その大江健三郎らしさを読者は受容する。その嘘っぽさにリアリティを持たせるために、事実の報告のようなスタイルを取ることは、成功すればそれはそれでよい。それが嘘だと分かっていても、リアリティは得られるであろう。ところが大江健三郎の場合、それがうまくいっていない。それは、大江健三郎が単に創作上の手法として私小説的方法をとっているのではないからである。大江健三郎は作品によってメッセージ(プロパガンダと言いたくなる)を発したいのであり、そのリアリティの保障として事実のように振る舞うのである。書かれてあることは嘘かもしれないが、書こうとしたことは真実なのだ、と。それが私たちを嘘を嘘として楽しめなくさせ、かといって事実の確実さは得られず、中途半端な気分にさせる。

 大江健三郎自身が彼の虚構部分の空々しさに耐えかねて、事実報告的なスタイルを選んだのであろう。事実と虚構を地続きにすることで、どこまでが事実でどこまでが虚構かを分からなくさせることで、「芸術と実生活」を統一させようとした。それはやはりイーヨ―の存在のゆえであろう。

 私はここで、大江光氏のことをイーヨーと呼ぶことにする。そうすることで光氏と創作上の人物であるイーヨーを混同することになってしまうだろうが、私が言及するのは小説を通した光氏の姿であって、それはイーヨーに他ならない。イーヨーではない光氏については興味がないし、光氏ではないイーヨーもイーヨーであるのだ。

 イーヨーに知的障害があることは大江健三郎にとっては大きな衝撃であった。自身も認めているように彼は知的エリート主義者であるゆえに、深い絶望にとらわれたのである。それは過度なほどといっていい。イーヨーの生活のための多くの困難は、家族を中心とした様々な人の協力によって克服されていったはずだが、そのような次元とは異なる存在論的な苦難が解決されずに残る。「なぜ、自分に」。

 しかし、本当にその問を発しなければならないのはイーヨーなのだ。大江健三郎は自分の危機としてイーヨーの障害を受けとめたのだが、イーヨー自身がどのように受容するかには気づいていなかった。それゆえ、作家として危機に対処するのを最優先した。(書かれることがイーヨーや他の家族にどのような影響を及ぼすのかの判断は後回しにして。)そのような個人的営為が読者に伝わりにくくなったのは当然である。

 大江健三郎の「復活」のきざしは以前からあった。光氏のCDが話題になり、NHKテレビで放映されたドキュメンタリーが好評であった。そのような下地があったせいか、ノーベル賞受賞に際してのマスメディアのコメントは、彼の「生き方」と作品を結びつけて語るものが多かった。彼の作品を私小説と解説しているものもあった。そういうふうに作家を扱ってしまう日本の知的風土‥‥などといったことを私は言うつもりはない。私小説は厳密な概念規定をされているのであり、大江健三郎の作品もそれに照らして検討されるまでは軽々しく私小説であるなどと口にすべきではない‥‥といったことを言うつもりもない。

 私は志賀直哉のことを考える。その生き方が作品と呼応しているということ、心の安定――救済が作品で扱われていること、一般の読者から道徳的な作家と見なされ、それゆえ一部の読者から反発をかっていることなど、両者はよく似ている。志賀直哉、この忘れ去られた(漱石、鴎外、そして宮沢賢治についての数多くの評論が本屋の本棚にあるのに、ほとんど言及されることのないという意味で)作家こそ大江健三郎を理解する導きの糸である、と私は思う。

 まず、初歩的なことから片付けよう。大江健三郎の作品は事実そのままを描いているのではなく、創作の過程を経てきているゆえに私小説ではない、という反論が予想される。そもそも創作過程を経ない作品などというものがありえるのか、事実をありのままに書くとは一体どういうことなのか、と切り返す意地悪はやめて、では、『暗夜行路』は事実そのままを描いているのではないから私小説とはなりえないのか、と問い質すのみに留めよう。

 『暗夜行路』と大江健三郎の私小説的作品は、奇妙な対照をなしている。両作品の主人公は自ら招いたのではない危機に襲われる。(両者が危機と見なすことを、私はそのまま認めるわけではないが。)両作品のテーマはこの危機の克服ということで共通している。しかし、作品の中の危機と事実の関係は正反対である。志賀直哉の出生に秘密があったわけではなかろうし、妻の不倫もなかっただろう。危機は作品のプロットとしての虚構である。一方、大江健三郎の私小説的作品はイーヨーの障害なしにはありえなかった。

 『暗夜行路』は私小説的特徴を持った作品とされている。つまり、作品の根本的な構成要素である危機が虚構である作品が私小説であるとされているのである。では、それが事実である大江健三郎の作品は、当然私小説であるのか、あるいは、それでも私小説ではないのか。

 しかし、事実と作品の関係のこの逆転は私小説論を危うくしない。なぜなら、私小説は虚構の有無や事実の下敷きの有無によって識別されるのではないとされているからである。私小説の本質は作家と主人公の視点が一体であることにある。作家は主人公を客観的に見ることができないという点がその本質とされているのだ。

 だがこのような定義づけは、作品と事実の関係の必然性を失うことによって得られたものであり、実は守るに値しないものを擁護しているのだ。いわば志賀直哉を残すために私小説を流してしまったのである。むしろ私小説を洗い出すためには志賀直哉を捨て去るべきであるのに。

 この歪みは、日本文学の否定的特質を私小説に求めたことに由来する。事実は、私小説とみなされる作品には優れたものとくだらないものがあるということであるのに、私小説であるから劣っているという定式化がなされてしまった。一方、志賀直哉を否定的対象とする見方があり、それが私小説を否定的対象とする見方と結び付いた。志賀直哉を私小説家とすることで私小説の概念は余計なものを含んでしまい、変質せざるをえなくなる。事実は、志賀直哉は私小説も私小説でない小説も書いたということであるに過ぎないのに。志賀直哉を否定すること、志賀直哉を私小説家とすること、そして私小説を否定することは、別の作業である。たとえば、もし私小説を否定することに成功したとしても、志賀直哉が非私小説を書いていたとしたら、志賀直哉を否定することにはならないのである。

 私小説というのは日本文学の一特徴として中途半端に一般化されたものである。したがって、大江健三郎を含ませるのをためらわせるのである。より一般化させれば、大江健三郎の作品の一部は私小説とされうるし、歴史的概念として特定化すれば文学史の問題となるにすぎない。

 私小説論の中で、平野=伊藤理論は大江健三郎に適応できるのではないかと思う。平野=伊藤理論は事実と虚構の関係に重点を置くことで、他の論にはない一般性を保持している。私小説にこの理論を適応すると便利なのは、作品と「実生活」の照応を作品によって行なえるところにある。私小説においては、事実関係の脚色はあるにしても、ほぼ書かれてあることは事実であると信頼してよい。大江健三郎の作品については、本当は何が事実で何が創作かを厳密に調査する必要があるのだが、とりあえずこの方法を適用する。

 多くの論者によって指摘され、大江健三郎自身も認めていることだが、イーヨーの「自立」ということが創作に影響をもたらしている。イーヨーの自立はいわれるように『新しい人よ眼ざめよ』において認められるのであるが、より進行するのは『静かな生活』であろう。イーヨーの障害という危機(危機と表現することには抵抗があるが、大江健三郎にとってはそう思われた)は創作動機となり、イーヨーの作品への登場が危機の克服となる。イーヨーの自立は「実生活」における危機の克服の結果の反映である。イーヨーの自立が危機の克服となったのではなく、ずっと早くからイーヨーの存在は危機でも何でもなくなっていたであろう。ただ大江健三郎の意識において危機であり続けていたのである。大江健三郎がやっとイーヨーを実像の大きさでみられるようになって、その自立を云々しだしたにすぎない。平野理論によれば、「実生活」での危機の克服が創作の枯渇になり、場合によっては危機を作り出す悪循環に陥る。大江健三郎の休止宣言は、危機の克服の結果と見れば、志賀直哉と同様、平野理論の典型にも思える。

 伊藤理論によれば、人間関係を壊さずに作品を書くためには、虚構を使えわざるを得ない。なぜなら、人間のエゴは醜く、作家が真実を描こうとすれば、身近な人についてもそれを暴くことになり、傷つけずにはおかない。それゆえ、虚構を使わないで作家の生活範囲を描く場合、二つの可能性が考えられる。第一は、真実を描くことによって、作家は孤立し、社会から疎外されていく。第二は、人間関係を保持するために、真実が描けない。たとえエゴ=真実という彼独特の前提が疑わしいとしても、伊藤理論の核心部分は有効である。すなわち、事実として身近な人間を描くとき、限定されたものになるだろうと予想される。

 例えば、『静かな生活』の中の「家としての日記」で、マーちゃんの新井君に対する気持ちはほとんど描かれていない。マーちゃんの夢の中に新井君が出てくることも、重藤さんの話の中で突然出てくる。そして、イーヨーとマーちゃんのために話をつけようとした重藤さんの肋骨を三本折った新井君のマンションにのこのこついて行く――イーヨーも一緒だが――理由が分からない。むろん、全てはイーヨーの活躍を導き出すための虚構であるのかもしれない。だとしても、いや、それならなぜ、マーちゃんが新井君に引かれていることを明確にしないのか。

 考えられるのは、この作品が「家としての日記」という形式であるため、家族に公表されることを前提としていて、マーちゃんが自分の気持ちを隠しているということである。それが事実であれ、虚構の設定であれ、作品としては不明の部分になっている。大江健三郎が娘について書くことに限定があるということであろう。

 障害を描くことについてはどうであろうか。障害を否定的に扱うことは世間の抵抗があり非常に困難である。『人生の親戚』のまり恵さんの言葉は、障害児の親でさえ備えているそのような自己規制を批判するが、それは大江健三郎のものでもあるのだろうか。

 私たちは、それぞれに障害を持った子供と生きている。そして子供たちが独自の美しさ愛らしさ心優しさをそなえているのに、力づけられる。しかしかれらにはまた、障害を持っているゆえにさけられない醜さはある。それにつながるようにして、心にも歪み・ひずみがしばしば出てくるのじゃないか? 前者については、私たちの眼で直接見るより、子供たちが集団下校するバス停までの道のりで出会う人たちの反応を鏡とすれば、赤裸々にあらわれているはず。後者は、私たちがひそかに認めざるをえないところ。自分たちが力をあわせて、障害児の真実をつたえる本を作るなら、むしろ障害者の醜さや歪み・ひずみも、はっきり提示するものにしたい。その上で、総ぐるみ一般社会の人間に受けとめさせるのでなければ、七面倒な苦労をして一冊の本を作る甲斐はない……

 しかし、世間は障害者を悪く言わない代わりに、無邪気に好みを押しつける。それは時として過酷な試練を課すことになる。私の経験だが、職場から派遣されたある研修で、障害児の施設生活を題材にしたビデオを見せられ、その感想を問われたとき、一緒に行った身体障害のある同僚が、障害者は頑張らなければならないのかと疑問を呈した。そのビデオの編集方針は例のごとく「障害があるにもかかわらず頑張っている」子供達の姿を映すことにあった。じゃあ、障害があるにもかかわらず頑張らない子はどう評価するのか。そういう子に対しては障害を免責の理由にするなと非難するのか、と彼は追及した。

 震災の被害にあった人々に対して、どれだけの回数「頑張れ」という言葉が投げ掛けられたろう。私は精神疾患については全くの素人だが、それでも鬱状態の人を励ましてはいけないということを知っている。しかし、被災者は落ち込んでいたり嘆いていてはいけないのである。復興に向けて頑張らねばならないのだ。そういう被災者に対して援助はさしのべられる。

 頑張るというのは、理想的な障害者や被災者を演じることである。好感の持てる弱者、助けがいのある不幸な人。自分の落ち込んだ場所を受容して、そこから出発しようとしてる人。自分の落ち込んだ場所が一段低いことを自覚して、上昇指向を持ち得る人。弱い立場に甘えてはいけないが、自分の不幸を忘れてもいけない。そういう人に対して、私たちは頑張れと声をかけるのである。

 しかし、イーヨーに対してまわりの人は頑張れと励ましたりするだろうか。イーヨーは異質な人間として超然としている。私たち世俗にまみれた者をはるかな高みから眺めている。(そして時々託宣を垂れ、大江健三郎が解釈する。)

 イーヨーは援助を当てにして頑張ったりはしない。なぜなら、イーヨーは貰うよりも多くを与えているからだ。イーヨーは回りの人に恵みを与える――特に父親に対して。大江健三郎にとって、イーヨーは生きる意味であり、創作の種である。そのようなイーヨーが世間の要求に屈する姿や、醜さを示すはずはないのである。

 それに対しては、現実のイーヨーがそうであるから、仕方がないという反論の可能性がある。しかし、作品は報告ではない。作品の当否は単なる事実によって支えられるものではない。単なる事実報告と文学の違いはどこに求められるというのだろうか。そこで第二の反論が仕掛けられる。イーヨーは理想の障害者ではない、だからこそイーヨーはそのように描かれるのだ、と。しかし、そうであるならなぜイーヨーは大江健三郎の息子として描かれるのか。

 描かれたイーヨーは現実のイーヨーと同じなのか、違うとすればどのくらい違うのか、と問うことに大して意味はない。作品と事実との関係は微妙であって、虚構の有無などでは簡単に割り切れないのである。だから、私たちにとっては大江健三郎の提供するイーヨーだけで十分である。そしてそのイーヨーは聖化されているのだ。大江健三郎の一家はイーヨーを中心とした献身的な集団として描かれている。イーヨーを教祖とする教団といってもいいだろう。したがって、大江健三郎にとっては次のような発言も全く他人ごとでしかない。同情はするが、理解は出来ないのである。

 二人のうちどちらかの子供の死が養護学校につたえられた時、妻はバザーの準備に行っていた。どのようなかたちで弔問に行くかという相談になると、一緒に働いていた若い母親が、――希望者だけ行くことにしましょう、おめでたいことなんだから!といったというのだ。この母親も、すすんでバザーの準備に加わっているのである以上、自分の障害児を育てるために力をつくすのみならず、障害児仲間にも気をくばっている人にちがいないのである。繰り返しぶりかえす絶望的な思いの瞬間があり、そういう時の言葉であっただろう。当の言葉を発してしまったことについて、彼女自身、聞いた誰よりも永く覚えているにちがいないが、できることならば忘れてしまったほうがいい、そのような言葉だと、僕はいった。若い母親への批判の感情をもってというのでなく、共有するある傷ましさの思いとともに、この言葉を頭のなかで旋回させているのらしい妻に。(「鎖につながれたる魂をして」『新しい人よ眼ざめよ』)

 障害があることの偶然性から逃れるため、その偶然性を必然に変える。たまたま障害者になったのではなく、障害者として選ばれたからには何らかの意味があるのだ、と。そのことを証明するかのようにイーヨーは音楽的才能を示す。しかしそれは障害者一般とイーヨーの個別性が分離することであり、イーヨーは選良になっていく。さらにいえば、大江健三郎の息子であったということが、イーヨーの才能を伸ばすよい環境であった。その環境はイーヨーだけのものである。むろん大江健三郎はそのことに気づいている。次に引用するのは『静かな生活』の中のマーちゃんの言葉を借りた彼の認識である。

 ――しばらく前、父と私がお医者さんに招んでいただいて食事をしたことがありました。私たちが約束をまちがえて一時間遅れて行ったのが悪いのですが、ホスト側の、まだインターンのような若い方が初めから攻撃的で、自分たちの病棟に来れば、生れて来たのが悲惨なだけの、しかし殺すことはできない、そういう子供がゴロゴロしている、といわれました。それは兄の存在に意味を見出すと書いてきた、父への批判であるわけで……重籐さんの奥さんが私たちを決して許さない様子でいられるのは、私たちがなんでもない人でいながら、そうじゃないふりをしてきたと見ぬかれたせい。いうまでもなくそれは父がいくらか名を知られた小説家で、私たちがその子供だということを意識してというのじゃなかった。私は子供の頃からずっと、誰かが父の名前を出すのが嫌だった。たとえ担任の先生であっても、そういうことをする人からは遠ざかっていようとした。重藤さんの奥さんも、そこを誤解していられるのではない。そうではなくて、私がイーヨーの障害を特権的にとらえていて、障害を持ちながら音楽がよくわかる以上、なんでもない人ではないと誇りに感じ、その兄にどこまでもついて行く――いまもこのアラビア半島の砂漠にまで一緒に来ている――自分のことも、なんでもない人ではないと考えているのがいけない、といわれるのだ、テレパシーによる無言の非難として。

 しかし、イーヨーを特別視することは他人もまた同様である。イーヨーの才能は無垢の証明として受け止められる。『静かな生活』の帯には映画の宣伝とからめた次のような惹句がある。

 イーヨーは障害者ですが、とても美しい音楽をつくります。その音楽が美しいのは、イーヨーが、この世で一番美しい魂を持っているからだと思います。

 このような言葉に対して大江健三郎はどう反応するであろうか。障害がイーヨーを他の人々とは違うものにし、それゆえ音楽的才能が得られたというのであれば、音楽的才能のためイーヨーの障害は必要だったのか、ということになってしまう。障害の必然性は必要性であってはならない。障害のゆえに、ではなく、障害にもかかわらず、でなければならない。再び『静かな生活』から引用しよう。

 父がイーヨーの楽譜を自費出版して知り合いに配った際、その音楽には人間の限界を越えた神秘的な声が聴える、といってくださる方が幾人もいられた。私は例のとおり胸の中だけで発した言葉ではあるけれど、そのような感想はセンチメンタルだと思っていた。兄は、「北軽の夏」という曲でも「Mのレクイエム」という曲でも、それぞれに自分で表現したいと思うことをよく考えて作り始めるし、そのための技法は、FM放送やレコードを聴いての、またT先生に忍耐強く教えていただいての積みかさねによるものだ。普通の音楽家のように雄弁に作品解説はできなくても、兄は天上の意志にサジェストされてじゃなく、地上の人間の音楽の主題と文法で、作曲しているのだと思う。

 障害は恩寵ではなくて克服されるべきものという当り前のことが認識される。それは障害がどうしようもない不幸とみなされることから、扱いうる対象にまで輪郭を明確にすることである。

 では、才能は恩寵なのか。イーヨーのように一個人の中に才能と障害が同居している場合、どちらかか偶然でどちらかが必然という不整合性は私たちには受け入れにくい。もし両者を必然と見なせば、両者の結びつきも必然となる。人々はそのような場合に才能を許容する。才能は災難と見なされる。才能は人格の他の部分を犠牲にして成立している。それゆえ羨ましがることはない。天才は変人・奇人であるか、無知である。才能のためにあがなわれなければならなかったものを見よ、というわけだ。

 イーヨーが「白痴天才」ではなく「障害を克服し才能を伸ばした人」であるためには、障害と才能のどちらかの必然性が手放さなければならない。必然である障害の克服が才能という偶然によるものだとしたら、幸運によって救われることになる。そして、障害を必然的なものとして引き受けるという主体性は再び私たちから取り上げられてしまう。

 だからこそ努力が強調される。私たちは頑張れば成果が上がるという信仰を持っているので、インプットの評価がアウトプットの評価になるのかということについては楽観的であり、それゆえ優れた業績を示した人を頑張った人と同一視する。そして、才能のゆえに努力せずに優秀である者に対しては猜疑的になるのである。才能の有無は偶然的であり、そんなものでこの世が運行されてはたまらないのだ。

 だが、そのような操作は、明らかに存在する才能の偶然性に目をつむるものだ。もし才能は必然であるが障害は偶然であるとしたら、障害は単なる不運になってしまう。そのように見なすことは健全であるのだろうけれど、「必然的な才能」なくしてはそのような見方が得られないのであるとしたならば、私たちは天の配分の不公平さに不満を言いたくなる。

 では、障害も偶然であり、才能もまた偶然であったとすればどうだろうか。そうであれば、人間は障害と才能の単なる容器に化してしまうのだろうか。

 あるいはそこが出発点なのかもしれない。偶然性に耐えること。私はサルトルのことを懐かしく思う。かつて大江健三郎は『自由への道』は第一部で完結しており、第二部以降は余計な付け足しだと言った。しかし、戦争を契機にサルトルに訪れた変化が、イーヨーを契機に大江健三郎にも現われる。次の二つの物語の終の文章に呼応を感じるのは私だけだろうか。

 ‥‥彼は、人間、道徳、世界に向って射った。自由とは、恐怖だ。火は、役場のなかでも、彼の頭のなかでも燃えつづけた。弾丸が空中を自由に、ひゅうひゅう飛んでいた。世界は飛び散るだろう。おれと一緒に。彼は射った。時計を見た。十四分半。あと三十秒延びれば文句はない。教会の方に威張って駈けてくる、あの美しい将校を射つだけの時間がある。彼は美しい将校をめがけて射った。地上のいっさいの美に対して、道路、花、庭、彼の愛したいっさいのものに対して。美はみだらな水鳥のように、水に潜った。それでもマチウは射った。彼は射った。彼は純粋だった。全能だった。自由だった。

  十五分。

 (サルトル、佐藤朔・白井浩司訳『自由への道』第三部「魂の中の死」第一部)

  揚げ蓋がひきあげられる。昏れた地上の光のうちに鯨の皮膚のように青黒いものを一瞬見ただけで、撃ち込まれるガス弾に目をつむり、勇魚は引金をしぼる。五発。銃弾を大切に使わねばならない。引金はすぐに離して、連射を短くおさえねばならない。ガス弾が集中する。かれは呼吸をとめる。二度と呼吸をすることはないだろう。かれは三発撃つ。強い放水が地下壕の内壁にあたり、反転して彼に襲いかかる。すでに深い水のなかに再び落ちながら、かれは四発撃つ。すべては宙ぶらりんで、そのむこうに無が露出している。「樹木の魂」「鯨の魂」にむけて、かれは最後の挨拶をおくる、すべてよし

  あらゆる人間をついにおとずれるものが、かれをおとずれる。

 (『洪水はわが魂に及び』)

 大江健三郎がイーヨーとともに発見したのは、家族であり、親族であり、故郷である。地縁血縁による集団と、それを成り立たせている特定の地域である。それは事実関係に基づくゆえに、同志的結合という仮想のつながりによる集団よりもはるかに凝集力は強い。しかし、その結び付きはイーヨーを媒介としたものであり、イーヨーという凝集剤なくしては得られぬものであった。

 阪神大震災を契機とするボランティアの大量出現はそれと似通うものがある。現代社会の個人化傾向に逆らうような献身的な相互扶助のユートピアが突如成立したのである。そこには労働の喜び、人々との連帯感、確かな遂行の手応えなど、日常では得られぬものが何でもあった。震災後の緊急対応はまさに祭であった。日常の秩序は一時的に崩壊し、権力は分散したのである。日頃は許されないことが、緊急時の大義名分のもとにまかり通る。大江健三郎の好きな文化人類学の用語を使えば、ハレの日々であった。

 しかし、時がたつにつれ、人々は自己の利害にめざめる。利害の衝突、それは政治的に解決しなければならない。ユートピアは消失する。ハレは終り、ケの日に戻る。日常の秩序が回復する。ボランティアたちは疎外される。

 ユートピアは日常化できぬものか。そんなことはない。イーヨーを中心とする大江家では成立している。聖なるイーヨーをあがめる宗教的集団のようにして。この事実を基盤にして大江健三郎は人間的信頼による集団の成立を描こうとする。しかし、大江健三郎が気がついているように、地縁血縁を媒介とするからこそ結合は保たれるのであり、他人は利害を持ち込んで集団の結束を弱める。かといって、地縁血縁の限界内にとどまっていたのでは、発展はないだろう。

 近代は共同体の崩壊に対して二つの代替案を提出した。利害に基づく結合と思想を絆とする結合。思想による結合の典型が社会主義だとすれば、ソ連・東欧圏の社会主義政権とともに崩壊したのは社会主義の理念だけではない。フランス革命以来の社会や人間に対する大陸の熱情が、アングロサクソン流の現実主義によって息の根を止められたのだ。フランスの核実験はその戯画的象徴である。西欧からはるかに遠い極東の島国でも、世の中に自己を越えて賭けるに値するものなどはない、あるのは卑小な自己の範囲内での喜怒哀楽に過ぎぬという、意気阻喪させる「現実」が突き付けられているのである。

 むろん、こんな現実を拒否しようとする心情はくすぶり続けている。例えばオーム真理教。しかし、この教団は現実の平俗さの反証例でなく、実証例になってしまった。

 日本型という変種とはいえまがりなりにも成立した自然主義は、自己と人生の理想欠如状態を悲痛な思いで描いたが、それが肯定されてしまうなどは思いもよらなかっただろう。エゴの罪悪を認めることを被虐的なほど強調した伊藤整は、それが当たり前とされてしまうことで満足しただろうか。

 しかし私たちは献身が犠牲を強いるものであることを知っている。犠牲はそれを喜びとして引き受けるものなら美しい。それを負担と感じつつ、打算でやるとすれば、献身の価値は失われるのだろうか。例えば、ボランティアや寄付をやることが有利であってはいけないのか。ボランティア活動の実績を成績評価に組み入れたり、寄付に対して税を免除したりすることによって、それらに対する利益誘導的な支援を行なうことは不当なことなのだろうか。

 私たちがたどり着いた地点というのは、破壊することのできない個人の利害という岩盤が歴史的教訓として横たわっている場所なのだ。むろん個人の利害は、収入に関する関心から地球環境の悪化に対する懸念まで大きな幅を持っている。したがって問題は、これらの利害をどう調整するか、その範囲内で個人が自らの利害追及を自由に行ないうるルールを作ることである。感情という劇薬は、効力は短く不確定である。一時的にその力を借りなくてはならない場合もあるが。

 だが、文学は政治ではない。大江健三郎が彼の夢を文学において追及するのに何の制限があろうか。ただ現実世界にいる私たちが彼の夢に共感するかどうかである。私たちは、家族、共同体、国家、人類に幻滅しているとしても、大江健三郎がそれを文学的に再生させてくれることを期待してもいいわけではあるのだが。

 大江健三郎の文章は分かりにくいといわれる。読みかけてすぐに諦め投げ出したとわざわざ書く人もいる。自分は読みこなすだけの力もしくは忍耐力がないと言いつつ、悪いのは分かり易く書かない作家の方だと、あからさまにあるいは言外に主張する。(本当は投げ出してはいないのだ。)だが、分かり易く書くことが作品の評価の基準としてどれほどのウエイトとを占めるというのか。言葉とは単なるメッセージの伝達の道具ではない。文章はそれを書く者にとって、自らの美意識を働かさざるをえないものだ。文章は彼自身にとって美的なもの(理想的文章)でなければならない。他人が読んで理解できるという考慮は最優先されるものではない。それをひとりよがりというなら、まともな文章はみなひとりよがりである。(官庁文や商業文は、それらの美的基準によって、ひとりよがりである。)他人がよく理解するかどうかは、それからの問題であり、文章を書いた人間の美的感覚が判断されるのも、それからである。

 そして、悲しいことであるかもしれないのだが、理解する人間の多さが、その文章の美的水準の高さを決定するのではない。難解であることは、美的水準の高さを示すものではないが、かといって、難解であることが美的水準の低さを意味するのでもないのである。つまり、文章が難解であることを述べたとしても、それはそれ以上のことについて何も語ったことにはならない。難解であることは多くの人々を遠ざけるかもしれないが、そのことはいささかも美的水準に影響しない。むろん、難解であって美的でない文章はごまんと存在するだろう、たとえ文章の書き手が読む者に理解しやすいようにと書いたものであっても。

 文章がいかに読まれるかを科学的に調査することは出来るだろうか。多くの読み手にその文章を評価してもらい、それを集計する。それだけでは文章の価値を判断することは出来ない。どのような読み手がどのような判断を下したか、つまり読み手の属性と文章の評価を相関させてみる必要があろう。読み手の属性の要素としては、年齢、職業、性別、学歴、収入、趣味、信条などがあろうか。おおざっぱな相関関係は見出されるかもしれないが、それがどうだというのだ。文章の評価というのはもっと個人的なものであり、同時にもっと普遍的なものといえよう。

 もっとも、大江健三郎も資本主義社会の一商品生産者としての立場をわきまえており、自分の生産物の売れ行きを気に掛けている。あるいは、伝導者として自らの教義が理解されるかどうかを心配している。

 大江の小説は難解だという評判が立って、このあとさっぱり本が売れなくなりました。それで、もっと人に読まれるものを書かないとだめだと思って、それから短編を書くようになり、短篇の連作という形で本を作っていくわけです。『同時代ゲーム』を書いた当座は、これが自分が書いた中でいちばんいい小説だと思っていたんですが、後から読み直してみると、やはりあれは全体の物語としてはうまくいっていないと思います。書き出しも『万延元年』みたいにわかりにくい。いろんな不満があって、同じ題材を別の語り口で書いてみたのが『M/Tと森のフシギの物語』(一九八六)になるわけです。(立花隆「イーヨーと大江光の間」)

 しかし、それが成功しているかどうかについては、作者の思惑と読者の受け取り方が一致するとは限らない。読者を意識しようが無視しようが、作者は事後的にしかその結果を知りえないのだ。作者は彼自身の中の読者を相手にしているに過ぎない。

 読者の立場からいえば、商品の消費において他人の評価を必要とするのは、文学という特殊な商品だけのことではなく、むしろ商品一般の特性である。逆に、他人の評価がどうであれ、気に入ったものを得るのに躊躇させないという商品一般の性質は、また文学のものでもある。生産者は消費者のことを気にするかもしれないが、消費者は生産者に望みを託したりしない。ただ、選ぶだけだ。

 もうブルーシートはほとんど見られなくなり、壊れた家が撤去された更地に新しい家が建ち始めている。公共的建造物の回復も順調である。そして、時は心をも変えていく。危機は風化していく。

 災厄は人の心を変えるか。答えはイエスでありノーである。傷は癒される、しかし、傷痕は残る。

 いずれにしても、私たちは生きていかねばならない。

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